2015年7月4日 土曜日
Saturday 4st July 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: “Le nozze di Figaro”(ouverture) K.492 (序曲「フィガロの結婚」序曲)
Johannes Brahms: Doppio concerto per violino, violoncello e orchestra op.102
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
violino: Rainer Honeck /ライナー=ホーネック
violoncello: Maximilian Hornung / マキシミリアン=ホルヌング
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Семён Ма́евич Бычко́в/ Semyon Bychkov / セミヨン=ビシュコフ
紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、セミヨン=ビシュコフを指揮者に、ライナー=ホーネック・マキシミリアン=ホルヌングをソリストに迎えて、2015年7月3日・4日に東京-紀尾井ホールで、第100回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニ・トランペットは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、前半は稀に見る程極めて良好であったが、後半は第二楽章冒頭で寝息が流れる(隣席の方は起こしてあげて欲しい)等多少のノイズがあった。
第一曲目の「フィガロの結婚」序曲は、弦楽を控え目な響きにさせ、管楽重視の普通の演奏である。
二曲目は、Brahmsによる、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲である。第一楽章から管弦楽を良く響かせている一方で、ソリストとの響きのバランスも十分に考えられている。ソリストはホーネック・ホルヌングとも第一楽章中程から本領を発揮し、自由自在に音量・ニュアンスを組み立て、駆使している。音色の扱い方、微妙なテンポの揺るがし方が絶妙である。
東京のホールであったら、(少し大きめのホールであるが)紀尾井ホールで無ければ実現出来ない演奏である。弦楽系協奏曲では、ホールの大きさがどれだけ適切かが問われてくる。大音量ではなく、繊細な音色やニュアンスで攻めるタイプの弦楽系ソリストの場合、適切な会場は600〜800席規模の中規模ホールだ。紀尾井ホールの場合、一般的な中規模ホールでは大きい部類に入るが、それでもホーネック・ホルヌングの音色を適切な音圧をもって聴衆に伝える事ができた。それは中規模ホールだからであって、東京オペラシティ-タケミツメモリアルであったらアウトだろう。
後半はBeethovenの交響曲第7番。第一楽章のテンポ処理については、好みが分かれるかもしれない。遅めのテンポで、ゆっくりだからこそ見えてくる風景を見せるかのように考えられているが、一方で躍動感を感じるのは難しい。率直に申し上げれば私の好みではないが、管弦楽はその演奏で求められている要素を的確に演奏している。好みの問題は、ビシュコフの解釈に起因するものである。
(好みが分かれる第一楽章を含め)全曲を通してとにかく立派な演奏だ。序盤を華やかにする木管の響きから始まり、今日の管弦楽の精度は極めて高い。その精度でニュアンス溢れる表現を行えば、好みはどうであれ、優れた演奏である事を否定できる者は誰一人いないだろう。室内管弦楽団ならではの、素晴らしい演奏であった。
2015年7月4日土曜日
2015年6月27日土曜日
Chubu Philharmonic Orchestra, the 47th Subscription Concert, review 第47回 中部フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2015年6月27日 土曜日
Saturday 27th June 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: “Exsultate, Jubilate”K.165 (K.158a) (踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)
(休憩)
Gustav Mahler: Sinfonia n.4
soprano: Kobayashi Sara (小林沙羅)
orchestra: Chubu Philharmonic Orchestra(中部フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Akiyama Kazuyoshi(秋山和慶)
中部フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月27日に三井住友海上しらかわホールで、小林沙羅・秋山和慶を招き、第47回定期演奏会を開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方下手側から中央、ホルンを含め金管パートは後方上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。
着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは9割は超えたであろうか、一階席はほぼ埋まり二階バルコニー席に空席が目立った程度だった。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ノイズが多く、後半曲目開始直前に携帯電話が鳴ったり、途中退出者が扉を静かに押さえないでノイズを発生させる事があったものの、演奏に致命傷を与える程ではなかった点は救いである。
モーツァルトのモテットK165は、小林沙羅ちゃんは純白のドレスで登場し、とても可愛い。歌い出しまでの前奏は、お嬢様スマイルで観客を悩殺する。しかし、その可愛らしい容姿とは想像がつかない程、しらかわホールを余裕のある声量で響かせ、音が迫ってくるようにも感じられ、何となく、カルメンを聴いているようにも思える。恐らく、室容積の小ささも効いているのだろう。第一楽章こそ装飾を多数掛ける箇所で重心の低さが感じられた所もあったが、第二楽章レチタティーヴォ、第三楽章アレルヤは完璧である。レチタティーヴォ・アレルヤでは、ソリストと管弦楽とのバランスも見事にとれている。20分程で15分間の休憩に入る。
後半は、マーラーの第四交響曲である。全般的に感じた事は、暴論承知で申し上げるが、マーラーを1800人規模の大ホールで、フル-オーケストラで演奏するのは間違っているのではないかと言う事だ。むしろマーラーは、約700名規模の中規模ホール、例えば、松本市音楽文化ホールや三井住友海上しらかわホールやサラマンカホール(岐阜)や いずみホール(大阪)で演奏するように作られているのではないか?
例えば、第二楽章では弦楽ソロの出番が多い。そのソロの響きが、この しらかわホールでは観客に迫ってくる。世界トップクラスの音響を誇る愛知県芸術劇場コンサートホールでさえも、このような迫ってくる弦楽ソロの響きは実現出来ないだろう。室容積が大き過ぎるからである。
中部フィルハーモニーの演奏は、しらかわホールの響きを熟知しているからこその演奏で、弦楽・木管の素晴らしさがまず感じられた。ホルンは前半は固かったが、後半はかなり良かった。特に弦楽は、ヴァイオリンの自発性溢れるパッションが込められたニュアンスに満ちた演奏で、純音楽的な面白さを感じた。重ねて書くが、第二楽章の迫ってくる弦楽ソロは本当に素晴らしい。しらかわホールの響きを的確に味方につけている。
第四楽章が始まり、小林沙羅ちゃんは、今度は水色のドレスで登場♪充実した管弦楽の上に乗っかり、ソリストとしての存在感を感じさせる。結果、管弦楽とのバランスも良く考えられた見事な演奏となる。
小林沙羅ちゃんと中部フィルの管弦楽と しらかわホールとが三位一体となって全てが素晴らしいかったからこその、充実した演奏会であった。良質な中規模ホールが紀尾井だけの東京の観客は、残念ながらあの弦楽ソロを伴った第二楽章を味わえない。
それだけに、マーラーの4番を小林沙羅ちゃんを呼んで しらかわホールで演奏する企画を立て、優れた演奏で実現させた、中部フィルに感謝感激でいっぱいの思いだ。マーラーの交響曲を大ホールでやるのは、間違っている!♪♪
この しらかわホールでの演奏を聴けば、私がなぜ新国立劇場の1812席が大き過ぎると主張しているか、理解してもらえるだろう。ホールはもっと小さくし、普通に優れた歌い手や首席奏者が映えるようにしなければならない。音楽と言うものは、本来600-800席程度の中規模ホールで演奏されるべきものなのではないだろうか、そのような私の信念を再確認させるような演奏会でもあった。
Saturday 27th June 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: “Exsultate, Jubilate”K.165 (K.158a) (踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)
(休憩)
Gustav Mahler: Sinfonia n.4
soprano: Kobayashi Sara (小林沙羅)
orchestra: Chubu Philharmonic Orchestra(中部フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Akiyama Kazuyoshi(秋山和慶)
中部フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月27日に三井住友海上しらかわホールで、小林沙羅・秋山和慶を招き、第47回定期演奏会を開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方下手側から中央、ホルンを含め金管パートは後方上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。
着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは9割は超えたであろうか、一階席はほぼ埋まり二階バルコニー席に空席が目立った程度だった。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ノイズが多く、後半曲目開始直前に携帯電話が鳴ったり、途中退出者が扉を静かに押さえないでノイズを発生させる事があったものの、演奏に致命傷を与える程ではなかった点は救いである。
モーツァルトのモテットK165は、小林沙羅ちゃんは純白のドレスで登場し、とても可愛い。歌い出しまでの前奏は、お嬢様スマイルで観客を悩殺する。しかし、その可愛らしい容姿とは想像がつかない程、しらかわホールを余裕のある声量で響かせ、音が迫ってくるようにも感じられ、何となく、カルメンを聴いているようにも思える。恐らく、室容積の小ささも効いているのだろう。第一楽章こそ装飾を多数掛ける箇所で重心の低さが感じられた所もあったが、第二楽章レチタティーヴォ、第三楽章アレルヤは完璧である。レチタティーヴォ・アレルヤでは、ソリストと管弦楽とのバランスも見事にとれている。20分程で15分間の休憩に入る。
後半は、マーラーの第四交響曲である。全般的に感じた事は、暴論承知で申し上げるが、マーラーを1800人規模の大ホールで、フル-オーケストラで演奏するのは間違っているのではないかと言う事だ。むしろマーラーは、約700名規模の中規模ホール、例えば、松本市音楽文化ホールや三井住友海上しらかわホールやサラマンカホール(岐阜)や いずみホール(大阪)で演奏するように作られているのではないか?
例えば、第二楽章では弦楽ソロの出番が多い。そのソロの響きが、この しらかわホールでは観客に迫ってくる。世界トップクラスの音響を誇る愛知県芸術劇場コンサートホールでさえも、このような迫ってくる弦楽ソロの響きは実現出来ないだろう。室容積が大き過ぎるからである。
中部フィルハーモニーの演奏は、しらかわホールの響きを熟知しているからこその演奏で、弦楽・木管の素晴らしさがまず感じられた。ホルンは前半は固かったが、後半はかなり良かった。特に弦楽は、ヴァイオリンの自発性溢れるパッションが込められたニュアンスに満ちた演奏で、純音楽的な面白さを感じた。重ねて書くが、第二楽章の迫ってくる弦楽ソロは本当に素晴らしい。しらかわホールの響きを的確に味方につけている。
第四楽章が始まり、小林沙羅ちゃんは、今度は水色のドレスで登場♪充実した管弦楽の上に乗っかり、ソリストとしての存在感を感じさせる。結果、管弦楽とのバランスも良く考えられた見事な演奏となる。
小林沙羅ちゃんと中部フィルの管弦楽と しらかわホールとが三位一体となって全てが素晴らしいかったからこその、充実した演奏会であった。良質な中規模ホールが紀尾井だけの東京の観客は、残念ながらあの弦楽ソロを伴った第二楽章を味わえない。
それだけに、マーラーの4番を小林沙羅ちゃんを呼んで しらかわホールで演奏する企画を立て、優れた演奏で実現させた、中部フィルに感謝感激でいっぱいの思いだ。マーラーの交響曲を大ホールでやるのは、間違っている!♪♪
この しらかわホールでの演奏を聴けば、私がなぜ新国立劇場の1812席が大き過ぎると主張しているか、理解してもらえるだろう。ホールはもっと小さくし、普通に優れた歌い手や首席奏者が映えるようにしなければならない。音楽と言うものは、本来600-800席程度の中規模ホールで演奏されるべきものなのではないだろうか、そのような私の信念を再確認させるような演奏会でもあった。
2015年6月21日日曜日
Tero Saarinen Company "MORPHED" review テロ=サーリネン-カンパニー 「モーフト」 評
2015年6月21日 日曜日
Sunday 21st June 2015
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater (Yono, Saitama, Japan)
演目:MORPHED (モーフト)
dancer: Ima Iduozee, Leo Kirjonen, Saku Koistinen, Mikko Lampinen, Jarkko Lehmus, Pekka Louhio, Jussi Nousiainen, David Scarantino
スオミ国(フィンランド)首都ヘルシンキに本拠を置く Tero Saarinen Company は、2015年6月20日・21日に、彩の国さいたま芸術劇場で、日本公演を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
冒頭は幾何学的な動きから始まる。音楽は、モーツァルトでもチャイコフスキーでもない、現代曲のエサ-ペッカ=サロネン(Esa-Pekka Salonen)の曲でもあり、曲想から想像することはまず不可能で、振りが極めて難しいそうだ。
中盤二曲目の後半辺りから弛緩しない展開で最後まで持っていく。ロープを動かして背景を歪まる空間の処理が、実に巧みだ。三曲目サロネンのヴァイオリン協奏曲に入ってからの、2〜3人のダンサーによる展開や、終盤近くの腕にタトウを入れている Ima Iduozee のソロは特に素晴らしい。
Ima Iduozee のソロのどこが良いのかと言われると言語化は難しいが、表情の他あらゆる身体の動きが、求心力を保っている。この演目は、幾何学的な動きから、闘っているような動きや、愛し合っているような動き、そう言った物語的な展開へと移行して行くが、Ima の演技はあたかも物語を雄弁に語り、所作がとても美しい。もちろん、全てのダンサーが的確に役を演じているが、終盤近くに登場した Ima Iduozee が持っていってしまう感じである。
この演目は、第三曲にサロネンのヴァイオリン協奏曲が用いられている。録音を用いているが、ヴァイオリンのソリストは諏訪内晶子(Suwanai Akiko)とのことだ。
実は、諏訪内晶子とエサ-ペッカ=サロネン、フィルハーモニー管弦楽団により、2013年2月9日に横浜みなとみらいホールで日本初演されている(恐らく現在に至るまで再演がなく、日本で唯一の公演となっている)。この時に臨席した私の拙い感想は→ http://ookiakira.blogspot.jp/2013/02/blog-post_6547.html?m=0
に掲載している。
どうりで、どこかで聴いた事があるはずだ。本当に近現代曲の諏訪内晶子のヴァイオリンは無敵と言って良い。サロネンの素晴らしい曲想が、諏訪内晶子の抜群なテクニックで実現されていることが、録音を聴いても分かる程だ。2013年2月9日の日本初演から二年四ヶ月して、今度は舞踊公演で再開した。なんと言う縁であろう。
日本とスオミとの関わりにも感慨深いものを感じる、Tero Saarinen Company の日本公演であった。
Sunday 21st June 2015
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater (Yono, Saitama, Japan)
演目:MORPHED (モーフト)
dancer: Ima Iduozee, Leo Kirjonen, Saku Koistinen, Mikko Lampinen, Jarkko Lehmus, Pekka Louhio, Jussi Nousiainen, David Scarantino
スオミ国(フィンランド)首都ヘルシンキに本拠を置く Tero Saarinen Company は、2015年6月20日・21日に、彩の国さいたま芸術劇場で、日本公演を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
冒頭は幾何学的な動きから始まる。音楽は、モーツァルトでもチャイコフスキーでもない、現代曲のエサ-ペッカ=サロネン(Esa-Pekka Salonen)の曲でもあり、曲想から想像することはまず不可能で、振りが極めて難しいそうだ。
中盤二曲目の後半辺りから弛緩しない展開で最後まで持っていく。ロープを動かして背景を歪まる空間の処理が、実に巧みだ。三曲目サロネンのヴァイオリン協奏曲に入ってからの、2〜3人のダンサーによる展開や、終盤近くの腕にタトウを入れている Ima Iduozee のソロは特に素晴らしい。
Ima Iduozee のソロのどこが良いのかと言われると言語化は難しいが、表情の他あらゆる身体の動きが、求心力を保っている。この演目は、幾何学的な動きから、闘っているような動きや、愛し合っているような動き、そう言った物語的な展開へと移行して行くが、Ima の演技はあたかも物語を雄弁に語り、所作がとても美しい。もちろん、全てのダンサーが的確に役を演じているが、終盤近くに登場した Ima Iduozee が持っていってしまう感じである。
この演目は、第三曲にサロネンのヴァイオリン協奏曲が用いられている。録音を用いているが、ヴァイオリンのソリストは諏訪内晶子(Suwanai Akiko)とのことだ。
実は、諏訪内晶子とエサ-ペッカ=サロネン、フィルハーモニー管弦楽団により、2013年2月9日に横浜みなとみらいホールで日本初演されている(恐らく現在に至るまで再演がなく、日本で唯一の公演となっている)。この時に臨席した私の拙い感想は→ http://ookiakira.blogspot.jp/2013/02/blog-post_6547.html?m=0
に掲載している。
どうりで、どこかで聴いた事があるはずだ。本当に近現代曲の諏訪内晶子のヴァイオリンは無敵と言って良い。サロネンの素晴らしい曲想が、諏訪内晶子の抜群なテクニックで実現されていることが、録音を聴いても分かる程だ。2013年2月9日の日本初演から二年四ヶ月して、今度は舞踊公演で再開した。なんと言う縁であろう。
日本とスオミとの関わりにも感慨深いものを感じる、Tero Saarinen Company の日本公演であった。
2015年6月20日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 425th Subscription Concert, review 第425回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2015年6月20日 土曜日
Saturday 20th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Maurice Ravel: “Valses nobles et sentimentales” (高雅にして感傷的なワルツ)
Camille Saint-Saëns: Concerto per violino e orchestra n.3 op.61
(休憩)
Maurice Ravel: “Alborada del gracioso” (道化師の朝の歌)
Claude Debussy (arr. Michael Jarrell): Douze Études pour piano- 9. pour les notes répétées- 10. pour les sonorités opposées- 12. pour les accords (「12のピアノ練習曲」より、第9番「反復音のために」、第10番「対比的な響きのために」、第12番「和音のために」)
Maurice Ravel: “Boléro” (ボレロ)
violino: Miura Fumiaki (三浦文彰)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Thierry Fischer(ティエリー=フィッシャー)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月19日・20日に愛知県芸術劇場で、第425回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ティンパニ・ホルンは後方中央、ハープ・サキソフォン系や小太鼓・大太鼓等のパーカッションは後方下手側の位置につく。
私の着席位置は一階正面上手側後方、客の入りはほぼ満席である。ティエリー=フィッシャー人気なのか、ボレロ人気なのか?観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。
個人的にこの演奏会の白眉は、サン-サーンスのヴァイオリン協奏曲第三番である。ヴァイオリンのソリストである三浦文彰は、初めて聴くが、第一音から凄い!まるでヴィオラのような太く低い音色から始まる。
冒頭のみならず、三浦文彰のヴァイオリンは、惹きつけるべき箇所での一音が素晴らしいし、ホールを朗々とした響きで満たせる。愛知芸文の大きなコンサートホールをこれ程までの響きで満たせる奏者は、世界的にも少ない。第二楽章では緊張感を途切れさせない見事な演奏だ。第三楽章も同様に完成度が高い演奏であるが、ヴァイオリン-ソロから第一ヴァイオリンとのユニゾンに移行する場面は、変わり者の あきらにゃん のお気に入りの箇所である♪
管弦楽も、ヴァイオリン協奏曲モードに抑えることなく、ごく普通に交響曲を演奏するかのようなノリであるが、三浦文彰のヴァイオリンが良く響いているからこそ、そのようなノリで行けるのだろう。そのような状況下でバランスも良く取られ、これまた完成度が高い。
有名なメンデルスゾーンでもなくチャイコフスキーでもない、演奏機会が極めて少ないサン-サーンスの協奏曲で、これ程観客を惹きつける三浦文彰のヴァイオリンは、只者ではない。彼は庄司紗矢香の次の世代を担えるようになるだろう。
後半、「道化師の朝の歌」は中ほどのファゴットのソロが素晴らしい。ドビュッシーの12のピアノ練習曲も完成度が高い出来だ。「ボレロ」は二台目の小太鼓の攻め方や木管・サキソフォン系が特に良かった。サキソフォン系は、愛知芸文の響きを信じて、スッと音を引っ込める奏法を採ったようにも見受けられた。
ティエリー=フィッシャーは、全般的に管楽を際立たせるアプローチで、華麗な音色であった。
Saturday 20th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Maurice Ravel: “Valses nobles et sentimentales” (高雅にして感傷的なワルツ)
Camille Saint-Saëns: Concerto per violino e orchestra n.3 op.61
(休憩)
Maurice Ravel: “Alborada del gracioso” (道化師の朝の歌)
Claude Debussy (arr. Michael Jarrell): Douze Études pour piano- 9. pour les notes répétées- 10. pour les sonorités opposées- 12. pour les accords (「12のピアノ練習曲」より、第9番「反復音のために」、第10番「対比的な響きのために」、第12番「和音のために」)
Maurice Ravel: “Boléro” (ボレロ)
violino: Miura Fumiaki (三浦文彰)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Thierry Fischer(ティエリー=フィッシャー)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月19日・20日に愛知県芸術劇場で、第425回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ティンパニ・ホルンは後方中央、ハープ・サキソフォン系や小太鼓・大太鼓等のパーカッションは後方下手側の位置につく。
私の着席位置は一階正面上手側後方、客の入りはほぼ満席である。ティエリー=フィッシャー人気なのか、ボレロ人気なのか?観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。
個人的にこの演奏会の白眉は、サン-サーンスのヴァイオリン協奏曲第三番である。ヴァイオリンのソリストである三浦文彰は、初めて聴くが、第一音から凄い!まるでヴィオラのような太く低い音色から始まる。
冒頭のみならず、三浦文彰のヴァイオリンは、惹きつけるべき箇所での一音が素晴らしいし、ホールを朗々とした響きで満たせる。愛知芸文の大きなコンサートホールをこれ程までの響きで満たせる奏者は、世界的にも少ない。第二楽章では緊張感を途切れさせない見事な演奏だ。第三楽章も同様に完成度が高い演奏であるが、ヴァイオリン-ソロから第一ヴァイオリンとのユニゾンに移行する場面は、変わり者の あきらにゃん のお気に入りの箇所である♪
管弦楽も、ヴァイオリン協奏曲モードに抑えることなく、ごく普通に交響曲を演奏するかのようなノリであるが、三浦文彰のヴァイオリンが良く響いているからこそ、そのようなノリで行けるのだろう。そのような状況下でバランスも良く取られ、これまた完成度が高い。
有名なメンデルスゾーンでもなくチャイコフスキーでもない、演奏機会が極めて少ないサン-サーンスの協奏曲で、これ程観客を惹きつける三浦文彰のヴァイオリンは、只者ではない。彼は庄司紗矢香の次の世代を担えるようになるだろう。
後半、「道化師の朝の歌」は中ほどのファゴットのソロが素晴らしい。ドビュッシーの12のピアノ練習曲も完成度が高い出来だ。「ボレロ」は二台目の小太鼓の攻め方や木管・サキソフォン系が特に良かった。サキソフォン系は、愛知芸文の響きを信じて、スッと音を引っ込める奏法を採ったようにも見受けられた。
ティエリー=フィッシャーは、全般的に管楽を際立たせるアプローチで、華麗な音色であった。
2015年6月6日土曜日
NDR Sinfonieorchester Hamburg, Thomas Hengelbrock, Arabella Steinbacher, Nagoya perfomance, (6th June 2015), review 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 名古屋公演 評
2015年6月6日 土曜日
Saturday 6th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Antonín Dvořák: ouverture da concerto “Carnevale” op.92 B.169 (序曲「謝肉祭」)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
violino: Arabella Steinbacher (ヴァイオリン:アラベラ=シュタインバッハー)
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Thomas Hengelbrock(指揮:トーマス=ヘンゲルブロック)
北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2015年5月から6月に掛けてアジア-ツアーを実施し、ソウル・北京・上海・大阪・東京・名古屋にて演奏会を開催した。この評は、アジア-ツアー最終公演である2015年6月6日名古屋公演に対するものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方(上手側)につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。
着席位置は二階正面上手側、客の入りは6割程であろうか、三階席はもちろんのこと、一階席中央の席でさえも空席がある始末、梶本音楽事務所は、どんな切符の売り方をしているのだろう。先行発売初日でさえ、第一希望の席は売られていないと梶本音楽事務所の電話口の女性は話していたのだけれど。後半だけ聴きに来る遅刻者が多かった印象もある。
第一曲目の、ドヴォルジャーク序曲「謝肉祭」は、個々の演奏はいいように思える所もあるし、後半は良かったけど、アウェイ感が満載ではある。どうも管弦楽全体として噛み合っていない点があり、愛知県芸術劇場の音響に馴染んでいないような感じがある。
第二曲目の、メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲、ソリストはアラベラ=シュタインバッハであるが、一言で言うと子守唄だ。技術的に破綻しているとは思えないし、繊細と言えば繊細だし、優しい演奏と言えばその通りなのだろうけど、前衛性は全くなく、単に楽譜通りに弾いているだけで、アラベラ独自のパッションはなく、個性がない演奏である。何らのサプライズもなく、そのような演奏を国外ツアーでやる意義はない。管弦楽は、必ずしも音量が大きい訳ではないアラベラを盛り立てるべく、バランスを絶妙に取り、弱い響きであるがよく通り、かつアラベラのソロをかき消さないよう、細心の注意を払って演奏する。アラベラ=シュタインバッハーは、このような献身的な北ドイツ放送交響楽団の演奏に応えなかった。
後半は、Beethovenの第七交響曲である。全般的に、トーマス=ヘンゲルブロックは極めて凡庸な指揮者で、前衛性の欠片もなく、因習的な演奏に終始した。因習的な演奏にピリオドチックな味付けをしただけで、面白みは全くない。この解釈の指揮なら、三流指揮者でもやれるレベルで、ポジティブな評価ができない。
それでも第二楽章冒頭の、ヴィオラ+チェロの音色だけは、ヘンゲルブロックの個性が出ていた。
北ドイツ放送交響楽団の管弦楽のレベルは高く、木管・金管とも上手だ。一箇所不用意な音が出たのは、見逃すに値する。全般的には安定しており、さすがドイツの名のある交響楽団だ。
それだけに、卓越した技量を有する北ドイツ放送交響楽団の管弦楽を活かせない、トーマス=ヘンゲルブロックに対する欲求不満が爆発しそうである。ヘンゲルブロックとシュタインバッハーは、平凡な解釈をする者同志で、お似合いだった。梶本音楽事務所から刺客が放たれるとしても、私にとっては事実なのだから、述べるしかない。
今日のBeethoven第七交響曲を聴く限り、ヘンゲルブロックは、およそ古楽系・ピリオド系の指揮者だとは思えない。躍動感と言うか、ヴィヴィッドな感覚も鋭さも欠如している。第一・第三楽章のモサッとした演奏には苛立ちを覚える。第四楽章も速めのテンポだが、緩急の付け方が緩慢なのか、単に速く演奏しているだけで、ちっとも面白くない。ヘンゲルブロックなりに色々考えてはいるのだろうけど、やはりどこか構成力に難点があるのだと考えざるを得ない。
シュタインバッハーのソリスト-アンコールは、クライスラーのカプリチオ op.6-1 レチタティーヴォとスケルツォ、アンコールはブラームスのマジャール舞曲第5番だった。
Saturday 6th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Antonín Dvořák: ouverture da concerto “Carnevale” op.92 B.169 (序曲「謝肉祭」)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
violino: Arabella Steinbacher (ヴァイオリン:アラベラ=シュタインバッハー)
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Thomas Hengelbrock(指揮:トーマス=ヘンゲルブロック)
北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2015年5月から6月に掛けてアジア-ツアーを実施し、ソウル・北京・上海・大阪・東京・名古屋にて演奏会を開催した。この評は、アジア-ツアー最終公演である2015年6月6日名古屋公演に対するものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方(上手側)につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。
着席位置は二階正面上手側、客の入りは6割程であろうか、三階席はもちろんのこと、一階席中央の席でさえも空席がある始末、梶本音楽事務所は、どんな切符の売り方をしているのだろう。先行発売初日でさえ、第一希望の席は売られていないと梶本音楽事務所の電話口の女性は話していたのだけれど。後半だけ聴きに来る遅刻者が多かった印象もある。
第一曲目の、ドヴォルジャーク序曲「謝肉祭」は、個々の演奏はいいように思える所もあるし、後半は良かったけど、アウェイ感が満載ではある。どうも管弦楽全体として噛み合っていない点があり、愛知県芸術劇場の音響に馴染んでいないような感じがある。
第二曲目の、メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲、ソリストはアラベラ=シュタインバッハであるが、一言で言うと子守唄だ。技術的に破綻しているとは思えないし、繊細と言えば繊細だし、優しい演奏と言えばその通りなのだろうけど、前衛性は全くなく、単に楽譜通りに弾いているだけで、アラベラ独自のパッションはなく、個性がない演奏である。何らのサプライズもなく、そのような演奏を国外ツアーでやる意義はない。管弦楽は、必ずしも音量が大きい訳ではないアラベラを盛り立てるべく、バランスを絶妙に取り、弱い響きであるがよく通り、かつアラベラのソロをかき消さないよう、細心の注意を払って演奏する。アラベラ=シュタインバッハーは、このような献身的な北ドイツ放送交響楽団の演奏に応えなかった。
後半は、Beethovenの第七交響曲である。全般的に、トーマス=ヘンゲルブロックは極めて凡庸な指揮者で、前衛性の欠片もなく、因習的な演奏に終始した。因習的な演奏にピリオドチックな味付けをしただけで、面白みは全くない。この解釈の指揮なら、三流指揮者でもやれるレベルで、ポジティブな評価ができない。
それでも第二楽章冒頭の、ヴィオラ+チェロの音色だけは、ヘンゲルブロックの個性が出ていた。
北ドイツ放送交響楽団の管弦楽のレベルは高く、木管・金管とも上手だ。一箇所不用意な音が出たのは、見逃すに値する。全般的には安定しており、さすがドイツの名のある交響楽団だ。
それだけに、卓越した技量を有する北ドイツ放送交響楽団の管弦楽を活かせない、トーマス=ヘンゲルブロックに対する欲求不満が爆発しそうである。ヘンゲルブロックとシュタインバッハーは、平凡な解釈をする者同志で、お似合いだった。梶本音楽事務所から刺客が放たれるとしても、私にとっては事実なのだから、述べるしかない。
今日のBeethoven第七交響曲を聴く限り、ヘンゲルブロックは、およそ古楽系・ピリオド系の指揮者だとは思えない。躍動感と言うか、ヴィヴィッドな感覚も鋭さも欠如している。第一・第三楽章のモサッとした演奏には苛立ちを覚える。第四楽章も速めのテンポだが、緩急の付け方が緩慢なのか、単に速く演奏しているだけで、ちっとも面白くない。ヘンゲルブロックなりに色々考えてはいるのだろうけど、やはりどこか構成力に難点があるのだと考えざるを得ない。
シュタインバッハーのソリスト-アンコールは、クライスラーのカプリチオ op.6-1 レチタティーヴォとスケルツォ、アンコールはブラームスのマジャール舞曲第5番だった。
2015年5月23日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 424th Subscription Concert, review 第424回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2015年5月23日 土曜日
Saturday 23nd May 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Felix Mendelssohn Bartholdy: Ouverture da concerto in re maggiore per orchestra “Calma di mare e viaggio felice” op.27(演奏会用序曲:静かな海と
楽しい航海)
Gondai Atsuhiko (権代敦彦): Berceuse(子守歌)
(休憩)
Robert Alexander Schumann: Sinfonia n. 3
mezzo soprano: Fujii Miyuki (藤井美雪)
pianoforte: Noda Kiyotaka (野田清隆)
Coro dei bambini: Nagoya Children's Choir (児童合唱:名古屋少年少女合唱団)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Kawase Kentaro(川瀬賢太郎)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月23日・24日に愛知県芸術劇場で、第424回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。管打楽はホルンを含めて後方中央の位置に着く。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは9割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、極めて良好で権代敦彦の「子守歌」の後での静寂も完璧に守られた。
二曲目の、権代敦彦作の「子守歌」は、誰が上手だとか、そう言う次元で分析する曲ではない。強いて言えば、児童合唱が効いたのか。管弦楽が奏でる旋律に乗る箇所はあったのだろうか?管弦楽の助けが得られない故に、高度な自律性を要し、バラバラに声を発する箇所もあり、明らかに難曲だったが、名古屋少年少女合唱団は見事に表現した。この曲は合唱の役割が大きいが、十二分に果たしている。
もちろん児童合唱だけでなく、全ての出演者が高い士気をもって演奏する。ソリスト・合唱・管弦楽が三位一体となって、噛み合っている。
安直な表現ではあるが、涙腺が決壊しそうになる表現で、演奏中「子守歌」の題名は全く意識しなかった。単に娘を学校で殺された一つの悲劇だけではない、どこか普遍性を帯びる性格を有している。これをどう言語化する術はないが、誰かの親で無ければ、入り込めない世界では、決してなかった。
繊細に響きをコントロールさせて演奏が終わった後の静寂も守られたのは幸せな事であった。指揮者の合図があるまで反応を示さない、当たり前な事が、どれだけ素晴らしい結末を迎えるのか、改めて実感する。
現代音楽かつ暗いテーマのこの曲を取り上げるのは、興行面では冒険だったとは思うが、この曲を演奏したこと自体が快挙であり、このような高い水準での演奏を実現した事が驚異である。この「子守歌」を取り上げた名フィルの企画力に感謝の言葉しかない。
後半は、シューマンの交響曲第3番、グスタフ=マーラーの編曲によるものとのことだ。全般的に各楽章とも、小さく始まり、大きくパッションを伴いながら終わる形である。響きは管楽優位に感じられた。
Saturday 23nd May 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Felix Mendelssohn Bartholdy: Ouverture da concerto in re maggiore per orchestra “Calma di mare e viaggio felice” op.27(演奏会用序曲:静かな海と
楽しい航海)
Gondai Atsuhiko (権代敦彦): Berceuse(子守歌)
(休憩)
Robert Alexander Schumann: Sinfonia n. 3
mezzo soprano: Fujii Miyuki (藤井美雪)
pianoforte: Noda Kiyotaka (野田清隆)
Coro dei bambini: Nagoya Children's Choir (児童合唱:名古屋少年少女合唱団)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Kawase Kentaro(川瀬賢太郎)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月23日・24日に愛知県芸術劇場で、第424回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。管打楽はホルンを含めて後方中央の位置に着く。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは9割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、極めて良好で権代敦彦の「子守歌」の後での静寂も完璧に守られた。
二曲目の、権代敦彦作の「子守歌」は、誰が上手だとか、そう言う次元で分析する曲ではない。強いて言えば、児童合唱が効いたのか。管弦楽が奏でる旋律に乗る箇所はあったのだろうか?管弦楽の助けが得られない故に、高度な自律性を要し、バラバラに声を発する箇所もあり、明らかに難曲だったが、名古屋少年少女合唱団は見事に表現した。この曲は合唱の役割が大きいが、十二分に果たしている。
もちろん児童合唱だけでなく、全ての出演者が高い士気をもって演奏する。ソリスト・合唱・管弦楽が三位一体となって、噛み合っている。
安直な表現ではあるが、涙腺が決壊しそうになる表現で、演奏中「子守歌」の題名は全く意識しなかった。単に娘を学校で殺された一つの悲劇だけではない、どこか普遍性を帯びる性格を有している。これをどう言語化する術はないが、誰かの親で無ければ、入り込めない世界では、決してなかった。
繊細に響きをコントロールさせて演奏が終わった後の静寂も守られたのは幸せな事であった。指揮者の合図があるまで反応を示さない、当たり前な事が、どれだけ素晴らしい結末を迎えるのか、改めて実感する。
現代音楽かつ暗いテーマのこの曲を取り上げるのは、興行面では冒険だったとは思うが、この曲を演奏したこと自体が快挙であり、このような高い水準での演奏を実現した事が驚異である。この「子守歌」を取り上げた名フィルの企画力に感謝の言葉しかない。
後半は、シューマンの交響曲第3番、グスタフ=マーラーの編曲によるものとのことだ。全般的に各楽章とも、小さく始まり、大きくパッションを伴いながら終わる形である。響きは管楽優位に感じられた。
2015年5月17日日曜日
Mahler Chamber Orchestra, Leif Ove Andsnes, Tokyo performance (17th May 2015), review マーラー室内管弦楽団+レイフ=オヴェ=アンスネス 東京公演(2015年5月17日) 評
2015年5月17日 日曜日
Sunday 17th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.1 op.15
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.5 op.73
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
レイフ=オヴェ=アンスネスのピアノは、正面にピアノを舞台後方に向けて置かれ、蓋は取り外されている。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割程の入りで、一階後方上手側に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
前半はピアノ協奏曲第1番。第三楽章が面白い。また、木管が素晴らしい技量で盛り上げていた。
後半はピアノ協奏曲第5番。かなりピアノ優位の構成でテンポの変動を大きくつけている。管弦楽は控えめな表現であるが、弱音が綺麗である。変わり者のあきらにゃん のムフフポイントは、第三楽章で、下手側ホルン→上手側金管→その両方が合わさって絶妙なブレンドが得られた箇所と、その後で同じように精緻に弦楽が音を合わせてブレンドさせた箇所である。
アンコールは全てBeethovenの作品で、一般参賀の後に一曲加わり、計三曲となった。
一曲目は、ピアノ-ソナタ第18番第三楽章。二曲目は「12のドイツ舞曲」で、ここでも管弦楽の絶妙にブレンドされた弦楽の音色が聴けた。アンスネスはなんとタンバリンを叩いたが、素晴らしい出来だ。ここで客電もついて管弦楽が引き揚げたが、鳴り止まない拍手に応え、アンスネスのソロでバガテルを演奏し、演奏会を終了した。
15・17日の二回の演奏会によりBeethovenピアノ協奏曲全曲演奏会を構成したが、曲レベルで一番素晴らしかったのは第3番、楽章レベルでは第4番第二楽章であった。
チクルスものは、無謀な日程が組まれ、高い水準の演奏を構築出来ないまま演奏会に臨まざるを得ない事例もあるが、今回に関しては、そのような負の要素が避けられた。
今回のチクルスは、全般的に水準の高い演奏であったが、その成功の要因は以下の6つに集約されるだろう。
1. アンスネスのピアノ技量の確実さ
2. アンスネスの驚異的な体力
3. MCOの世界トップレベルの技量・自発性
4. 二回の演奏会で収まる内容であったこと
5. タケミツメモリアルの音響の素晴らしさ。特に第4番第二楽章では、この残響の美しさが効いた。
6. 既に何回も演奏されている内容であり、高水準の演奏が完成されており、アップデートでさらに水準を上げるのみの状態であったこと。
成功は始めから約束されていた。企画段階での吟味がいかに大切かを、改めて認識した、Beethovenピアノ協奏曲チクルスであった。
Sunday 17th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.1 op.15
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.5 op.73
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
レイフ=オヴェ=アンスネスのピアノは、正面にピアノを舞台後方に向けて置かれ、蓋は取り外されている。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割程の入りで、一階後方上手側に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
前半はピアノ協奏曲第1番。第三楽章が面白い。また、木管が素晴らしい技量で盛り上げていた。
後半はピアノ協奏曲第5番。かなりピアノ優位の構成でテンポの変動を大きくつけている。管弦楽は控えめな表現であるが、弱音が綺麗である。変わり者のあきらにゃん のムフフポイントは、第三楽章で、下手側ホルン→上手側金管→その両方が合わさって絶妙なブレンドが得られた箇所と、その後で同じように精緻に弦楽が音を合わせてブレンドさせた箇所である。
アンコールは全てBeethovenの作品で、一般参賀の後に一曲加わり、計三曲となった。
一曲目は、ピアノ-ソナタ第18番第三楽章。二曲目は「12のドイツ舞曲」で、ここでも管弦楽の絶妙にブレンドされた弦楽の音色が聴けた。アンスネスはなんとタンバリンを叩いたが、素晴らしい出来だ。ここで客電もついて管弦楽が引き揚げたが、鳴り止まない拍手に応え、アンスネスのソロでバガテルを演奏し、演奏会を終了した。
15・17日の二回の演奏会によりBeethovenピアノ協奏曲全曲演奏会を構成したが、曲レベルで一番素晴らしかったのは第3番、楽章レベルでは第4番第二楽章であった。
チクルスものは、無謀な日程が組まれ、高い水準の演奏を構築出来ないまま演奏会に臨まざるを得ない事例もあるが、今回に関しては、そのような負の要素が避けられた。
今回のチクルスは、全般的に水準の高い演奏であったが、その成功の要因は以下の6つに集約されるだろう。
1. アンスネスのピアノ技量の確実さ
2. アンスネスの驚異的な体力
3. MCOの世界トップレベルの技量・自発性
4. 二回の演奏会で収まる内容であったこと
5. タケミツメモリアルの音響の素晴らしさ。特に第4番第二楽章では、この残響の美しさが効いた。
6. 既に何回も演奏されている内容であり、高水準の演奏が完成されており、アップデートでさらに水準を上げるのみの状態であったこと。
成功は始めから約束されていた。企画段階での吟味がいかに大切かを、改めて認識した、Beethovenピアノ協奏曲チクルスであった。
2015年5月16日土曜日
Miyazaki International Music Festival Orchestra, Pinchas Zukerman, Amanda Forsyth, the 20th Miyazaki International Music Festival Concert (16th May 2015), review 宮崎国際音楽祭管弦楽団 ピンカス=ズッカーマン アマンダ=フォーサイス 第20回宮崎国際音楽祭 演奏会4 評
2015年5月16日 土曜日
Saturday 16th May 2015
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
Miyazaki Prefectural Arts Center (Miyazaki, Japan)
曲目:
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Mélodie (Souvenir d'un lieu cher op.42) (チャイコフスキー:メロディー 「懐かしい土地の想い出)より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Andante cantabile (Quartetto per archi n.1 op.11) (チャイコフスキー:アンダンテ-カンタービレ 弦楽四重奏曲第1番より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Notturno (6 pezzi op.19) (チャイコフスキー:夜想曲 「6つの小品」より)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64 (チャイコフスキー:交響曲第5番)
violino: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン)
violoncello: Amanda Forsyth(ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス)
orchestra: Miyazaki International Music Festival Orchestra(宮崎国際音楽祭管弦楽団)
direttore: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (指揮:ピンカス=ズッカーマン)
第20回宮崎国際音楽祭は、2015年4月29日から5月17日まで開催され、5つのメインプログラムとその他の演奏会により構成されている。この評の演奏会は、2015年5月16日に開催された「メインプログラム4」である。ヴァイオリン・指揮は、ここ最近恒例のピンカス=ズッカーマンが担当する。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ホルンは正面後方、ホルン以外の金管パートは後方上手側、ティンパニは後方正面わずかに下手側の位置につく。
前半はチャイコフスキーの小品集、メロディはズッカーマンのソロ、アンダンテ-カンタービレと夜想曲はフォーサイスのソロだ。どの曲も、ソリストだけでなく、管弦楽全体で弱音を繊細に響かせる。ズッカーマン・フォーサイス夫妻のソリストはもちろんの事、バックの管弦楽が非常によく考えている演奏だ。
後半はチャイコフスキーの第五交響曲。弦楽があまりにも素晴らし過ぎる。この宮崎で産み出された独特の音色で豊かなニュアンスを付けてうねらせつつ、パッションを込めて精緻さも保って圧倒していく、最も理想的な響きの形態を実現させる。ズッカーマンは音色を重視し、どのような音色を見つけ出すのか、弦楽奏者に発見させるべく追い込んだのだろうか?経験が浅い若手奏者もいる臨時編成の弦楽とは思えない徹底ぶりと精緻さは驚異である。やはり音色だ。第二楽章後半部では感極まりそうになるほどである。
チャイ5は、暴論承知で言えば、やはり弦楽が全てである。弦楽さえしっかりしていれば、管にアラがあったとしても成立する。臨時構成のオケであるが、弦楽は若手奏者に至るまで何をしたいのかが極めて明確だった。歴史ある管弦楽団でもあの音色は出せないだろう。あるいは、逆に歴史がない臨時編成のオケだからこそ出せたのだろうか。
アンコールは、ブラームスの「五つのリート」より「子守歌」を、ズッカーマンがヴァイオリン奏者から楽器を借りてソロで演奏し、サヨナラと言って演奏会を閉じた。
Saturday 16th May 2015
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
Miyazaki Prefectural Arts Center (Miyazaki, Japan)
曲目:
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Mélodie (Souvenir d'un lieu cher op.42) (チャイコフスキー:メロディー 「懐かしい土地の想い出)より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Andante cantabile (Quartetto per archi n.1 op.11) (チャイコフスキー:アンダンテ-カンタービレ 弦楽四重奏曲第1番より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Notturno (6 pezzi op.19) (チャイコフスキー:夜想曲 「6つの小品」より)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64 (チャイコフスキー:交響曲第5番)
violino: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン)
violoncello: Amanda Forsyth(ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス)
orchestra: Miyazaki International Music Festival Orchestra(宮崎国際音楽祭管弦楽団)
direttore: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (指揮:ピンカス=ズッカーマン)
第20回宮崎国際音楽祭は、2015年4月29日から5月17日まで開催され、5つのメインプログラムとその他の演奏会により構成されている。この評の演奏会は、2015年5月16日に開催された「メインプログラム4」である。ヴァイオリン・指揮は、ここ最近恒例のピンカス=ズッカーマンが担当する。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ホルンは正面後方、ホルン以外の金管パートは後方上手側、ティンパニは後方正面わずかに下手側の位置につく。
前半はチャイコフスキーの小品集、メロディはズッカーマンのソロ、アンダンテ-カンタービレと夜想曲はフォーサイスのソロだ。どの曲も、ソリストだけでなく、管弦楽全体で弱音を繊細に響かせる。ズッカーマン・フォーサイス夫妻のソリストはもちろんの事、バックの管弦楽が非常によく考えている演奏だ。
後半はチャイコフスキーの第五交響曲。弦楽があまりにも素晴らし過ぎる。この宮崎で産み出された独特の音色で豊かなニュアンスを付けてうねらせつつ、パッションを込めて精緻さも保って圧倒していく、最も理想的な響きの形態を実現させる。ズッカーマンは音色を重視し、どのような音色を見つけ出すのか、弦楽奏者に発見させるべく追い込んだのだろうか?経験が浅い若手奏者もいる臨時編成の弦楽とは思えない徹底ぶりと精緻さは驚異である。やはり音色だ。第二楽章後半部では感極まりそうになるほどである。
チャイ5は、暴論承知で言えば、やはり弦楽が全てである。弦楽さえしっかりしていれば、管にアラがあったとしても成立する。臨時構成のオケであるが、弦楽は若手奏者に至るまで何をしたいのかが極めて明確だった。歴史ある管弦楽団でもあの音色は出せないだろう。あるいは、逆に歴史がない臨時編成のオケだからこそ出せたのだろうか。
アンコールは、ブラームスの「五つのリート」より「子守歌」を、ズッカーマンがヴァイオリン奏者から楽器を借りてソロで演奏し、サヨナラと言って演奏会を閉じた。
2015年5月15日金曜日
Mahler Chamber Orchestra, Leif Ove Andsnes, Tokyo performance (15th May 2015), review マーラー室内管弦楽団+レイフ=オヴェ=アンスネス 東京公演(2015年5月15日) 評
2015年5月15日 金曜日
Friday 15th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.19
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.3 op.37
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.4 op.58
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割ほど、一階席後部に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、第四番終了時にフライング-ブラヴォーがあった。
前半はピアノ協奏曲第2・3番。アンスネスのピアノは、繊細でニュアンスに富んでいて、響きも綺麗で最高の出来だ。マーラー室内管も素晴らしい。どこでどのように演奏するべきか、全員が心得ている。全ての響きがこうあるべき所にバシッと決まる。
変わり者の あきらにゃん のムフフポイントは、第2番第三楽章の、ヴィオラ→第二Vn→第一Vn→ピアノと繋げる所♪随所でそう言った繋ぎの上手さを感じたなあ。第3番終盤のティンパニの鋭い響きも良いアクセントだった。あそこだけだから効果的に決まったかな♪
後半は、ピアノ協奏曲第4番。誰がなんと言おうと、白眉は第二楽章である!繊細なアンスネスのピアノと、そのピアノを圧倒しようとする弦楽、しかしその弦楽も精緻で、ピアノもなぜかよく通る響きなのだ。その不思議な聖チェチーリアに祝福された空間よ!
変わり者の あきらにゃん的ムフフポイントは、第一楽章序盤の、弦楽セクションが出した、ニュアンスとパッション溢れる最高音であります。全員が名手だから、あのような響きが出せるのだな。
全般的には、前半(2・3番)の方が良い出来だった。特に3番は、繊細さ・ニュアンス共に抜群に活きていた。
日曜日(17日)は1番と5番を聴きに行きます。
Friday 15th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.19
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.3 op.37
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.4 op.58
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割ほど、一階席後部に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、第四番終了時にフライング-ブラヴォーがあった。
前半はピアノ協奏曲第2・3番。アンスネスのピアノは、繊細でニュアンスに富んでいて、響きも綺麗で最高の出来だ。マーラー室内管も素晴らしい。どこでどのように演奏するべきか、全員が心得ている。全ての響きがこうあるべき所にバシッと決まる。
変わり者の あきらにゃん のムフフポイントは、第2番第三楽章の、ヴィオラ→第二Vn→第一Vn→ピアノと繋げる所♪随所でそう言った繋ぎの上手さを感じたなあ。第3番終盤のティンパニの鋭い響きも良いアクセントだった。あそこだけだから効果的に決まったかな♪
後半は、ピアノ協奏曲第4番。誰がなんと言おうと、白眉は第二楽章である!繊細なアンスネスのピアノと、そのピアノを圧倒しようとする弦楽、しかしその弦楽も精緻で、ピアノもなぜかよく通る響きなのだ。その不思議な聖チェチーリアに祝福された空間よ!
変わり者の あきらにゃん的ムフフポイントは、第一楽章序盤の、弦楽セクションが出した、ニュアンスとパッション溢れる最高音であります。全員が名手だから、あのような響きが出せるのだな。
全般的には、前半(2・3番)の方が良い出来だった。特に3番は、繊細さ・ニュアンス共に抜群に活きていた。
日曜日(17日)は1番と5番を聴きに行きます。
2015年5月4日月曜日
Tokyo Philharmonic Orchestra, Cheong Myeonghun, Karuizawa Ohga Hall the 10th Anniversary Concert (4th May 2015), review 東京フィルハーモニー交響楽団 軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会 評
2015年5月4日 月曜日
Monday 4th May 2015
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
Karuizawa Ohga Hall (Karuizawa, Nagano prefecture, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.23 K488
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
pianoforte: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra(東京フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
東京フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月4日に軽井沢大賀ホールで、軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会を開催した。指揮・ピアノは、鄭明勳(チョン=ミョンフン)である。このプログラムでの演奏会は、「ラ-フォル-ジュルネ金沢」にも持ち込まれ、2015年5月5日に石川県立音楽堂でも演奏される。
着席位置は一階正面後方中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
冒頭からアンコールがあり、モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」をミョンフンのピアノソロであった。
モーツァルトのピアノ協奏曲23番では、ピアノを上手側後方に斜めに向け、ピアノの蓋は取らずに通常のまま開いた形態である。その周りに半円状に、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→管楽器と囲んでいる。コントラバスは、下手側後方に位置する。
今日はピアノ・管弦楽とも端正に響き、生々しさを感じさせず、綺麗に響いている。デッドな響きの感覚がしないのは、不思議だ。モーツァルトの曲想を活かし、古典派ならではの興奮度を意図した演奏ではあるが、第一楽章で演奏し直しのアクシデントがあった。原因は不明である。その箇所は、長い文脈を経て最高音に達する途中の白眉の箇所であり、ぶつ切り状態となってしまったのは残念である。管楽は、やや大管弦楽のノリっぽい。第三楽章後半部はパッションが込められ、素晴らしい出来である。
ソリストアンコールがここで二曲あり、シューマンの「アラベスク」とBeethoven の「エリーゼのために」である。「エリーゼのために」は大賀緑さんへのラブレターとして捧げられたが、今日のピアノ-ソロの中では一番いい出来である。
Beethovenの第7交響曲の管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスは最上手側を占める。木管・金管パートは後方、ティンパニは後方上手側にズラした位置につく。
第二〜第四楽章まで、私の好みそのまま!きっちり計算され尽くされて、興奮に導かれた感じである。中程度に効かせたテンポの変動の巧みさ、長いフェルマータ、金管のソロの強調などが特徴となるか。緊張感を失わない第二楽章、第三楽章ではA-B-AのAの部分を速く快活にし、Bの部分をかなり遅くしじっくり聴かせる対比が面白い。弦管打きちっと噛み合い、全体的な構成もしっかりしている。終了間近の追い込みの箇所も、見事に実現した。
今日の東フィルは、本当に響きが綺麗である。軽井沢大賀ホールを一番美しく響かせる演奏だ。明日5月5日に、金沢市にある石川県立音楽堂でもBeethovenの7番が演奏される。期待して欲しい!
Monday 4th May 2015
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
Karuizawa Ohga Hall (Karuizawa, Nagano prefecture, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.23 K488
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
pianoforte: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra(東京フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
東京フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月4日に軽井沢大賀ホールで、軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会を開催した。指揮・ピアノは、鄭明勳(チョン=ミョンフン)である。このプログラムでの演奏会は、「ラ-フォル-ジュルネ金沢」にも持ち込まれ、2015年5月5日に石川県立音楽堂でも演奏される。
着席位置は一階正面後方中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
冒頭からアンコールがあり、モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」をミョンフンのピアノソロであった。
モーツァルトのピアノ協奏曲23番では、ピアノを上手側後方に斜めに向け、ピアノの蓋は取らずに通常のまま開いた形態である。その周りに半円状に、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→管楽器と囲んでいる。コントラバスは、下手側後方に位置する。
今日はピアノ・管弦楽とも端正に響き、生々しさを感じさせず、綺麗に響いている。デッドな響きの感覚がしないのは、不思議だ。モーツァルトの曲想を活かし、古典派ならではの興奮度を意図した演奏ではあるが、第一楽章で演奏し直しのアクシデントがあった。原因は不明である。その箇所は、長い文脈を経て最高音に達する途中の白眉の箇所であり、ぶつ切り状態となってしまったのは残念である。管楽は、やや大管弦楽のノリっぽい。第三楽章後半部はパッションが込められ、素晴らしい出来である。
ソリストアンコールがここで二曲あり、シューマンの「アラベスク」とBeethoven の「エリーゼのために」である。「エリーゼのために」は大賀緑さんへのラブレターとして捧げられたが、今日のピアノ-ソロの中では一番いい出来である。
Beethovenの第7交響曲の管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスは最上手側を占める。木管・金管パートは後方、ティンパニは後方上手側にズラした位置につく。
第二〜第四楽章まで、私の好みそのまま!きっちり計算され尽くされて、興奮に導かれた感じである。中程度に効かせたテンポの変動の巧みさ、長いフェルマータ、金管のソロの強調などが特徴となるか。緊張感を失わない第二楽章、第三楽章ではA-B-AのAの部分を速く快活にし、Bの部分をかなり遅くしじっくり聴かせる対比が面白い。弦管打きちっと噛み合い、全体的な構成もしっかりしている。終了間近の追い込みの箇所も、見事に実現した。
今日の東フィルは、本当に響きが綺麗である。軽井沢大賀ホールを一番美しく響かせる演奏だ。明日5月5日に、金沢市にある石川県立音楽堂でもBeethovenの7番が演奏される。期待して欲しい!
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