2014年1月26日日曜日

第345回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 演奏会 評

2014年1月26日 日曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)

曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 「コリオラン」序曲 op.62
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 三重協奏曲 op.56
(休憩)
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 交響曲第1番 op.19

ヴァイオリン:マーク=ゴトーニ
ヴァイオリン-チェロ:水谷川優子(みやがわ ゆうこ)
ピアノ:ラルフ=ゴトーニ
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ

OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年1月26日、第345回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりである。ヴァイオリンのソリストであるマーク=ゴトーニはラルフ=ゴトーニの息子で、実に良く父親と似ている。チェロのソリストは、当初予定はヴォルグガング=メールホルンであったが、演奏会前日に体調を崩し、水谷川優子が代役として出演することとなった。彼女は、実はマーク=ゴトーニの妻である。予期せぬ形で、三重協奏曲はゴトーニ一家とOEKとの共演と言う形となる。

コンサートミストレスは、マーラー室内管弦楽団のコンサートミストレスとしても名高いアビゲイル=ヤングである。ティンパニは、関西フィルハーモニー管弦楽団首席奏者のエリック=パケラが担当だ。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。

着席位置は一階正面ど真ん中より僅かに上手側、観客の入りは六割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある状態だ。おそらく、定期会員の客がサボったものと考えられる。ひでえ輩だ。観客の鑑賞態度は良好であった。

第一曲目の「コリオラン」序曲は、既に用意されてあるピアノの前に立っての指揮だ。今日のOEKの演奏は実に完成度が高い。精緻さ・パッションいずれもがOEKの実力を100%発揮している素晴らしい演奏だ。もちろん最強奏のあとのゼネラルパウゼになり響く残響は、石川県立音楽堂ならではのもので、涙を誘う。実に素晴らしいホールであることも実感させられる。

二曲目の三重協奏曲は、弾き振りのラルフ=ゴトーニのピアノ、マーク=ゴトーニのヴァイオリンともに管弦楽を一歩上回る響きである。ラルフ=ゴトーニのピアノは実に上手で、響きについてよく考え練られ、とてもピアノを舞台後方に向け天板を外している演奏とは思えない。この点でシュテファン=ヴラダーを軽く圧倒するし、全般的な完成度も上だ。

水谷川優子のチェロは、特に第一楽章ではガチガチに固くなっていて、エンドピンを刺す場所を変えたりとかなり神経質な状況だ。チェロの音は鳴らず聞こえず、特に多くの音を速く演奏するフレーズでは何を弾いているかさっぱり分からない状況で、ヴォルグガング=メールホルンの不在を思い知らされる。それでも、第二楽章冒頭のチェロのソロ、第三楽章中盤の、長めのスタッカートで音を刻んでいく箇所に於いてはそれなりの音で聴けるものであり、急な代役としての最低限の責務は果たしたと言うべきか。

三曲目のヴェーバーの交響曲第1番は、マニア向けとしか言いようのない変わった曲である。しかしこの曲も演奏が素晴らしいと、作曲の巧拙などどうでも良くなる。ラルフ=ゴトーニの導きは的確で、この場面でどの楽器がどのように弾けば良いのかが明確で、精緻さを伴いつつもパッションを出している素晴らしい演奏だ。OEKの持っている力を100%活かし、石川県立音楽堂の響きを確実に掴んでいる。まるで二年のブランクを全く感じさせない、ずっと長い間常任指揮者として関わってきたかのような親密さすら感じる。指揮者と管弦楽との信頼関係が噛み合っているからこそのものだろう。曲の終了後にゴトーニが一番先に立たせたのは、フルートの岡本えり子である。

マルク=ミンコフスキとはタイプが違うのだろうけど、ラルフ=ゴトーニも間違いなく「響きの魔術師」だ。OEKに取って最も必要としている指揮者の一人であることは確実である。次期音楽監督は、ラルフ=ゴトーニか山田和樹のどちらかで決まりだろうし、そうしなけらばならない。

アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」、お国ものスオミの曲で幕を閉じた。

2014年1月25日土曜日

庄司紗矢香+サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団 大阪公演 評

2014年1月25日 土曜日
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)

曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36

ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ

サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである

庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。

着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。

第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。

対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。

管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。

庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。

ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。

後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。

アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。

2014年1月19日日曜日

ラデク-バボラーク ホルン-リサイタル 評

2014年1月19日 日曜日
挙母市コンサートホール (愛知県挙母市)

曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン ホルン-ソナタ op.17
ロベルト=シューマン アラベスク op.18 (※)
シャルル=ケクラン ホルン-ソナタ op.70
(休憩)
ロベルト=シューマン 「3つのロマンス」 op.94
フランシス=プーランク 即興曲第15番 「エディット=ピアフを讃えて」 (※)
ヤン=ズデニュク=バルトシュ 「エレジーとロンディーノ」
レフ=コーガン 〈CHABAD〉によるハシディック組曲

(※印は菊池洋子のソロ)

ホルン:ラデク=バボラーク
ピアノ:菊池洋子

着席位置は、一階ど真ん中より少し後方かつ上手側である。客の入りは七割くらいであろうか。聴衆の鑑賞態度は概ね良好であった。

ラデク=バボラークは全般的に渡り、いかなる場面でも完璧な音量、ニュアンスで、かつ柔和な響きで魅了させられる。テンポは中庸で、あまり変動は掛けない。

一方で菊池洋子のピアノは、特に前半は遠くにあるように聴こえる。私の列は17列目かつ上手側であるが、キチンと響かせていない形である。良く言えば、バボラークに遠慮した抑制的な演奏であるが、しかし「伴奏者」もパッションを出して「主役」に対抗し、「主役」に決起を促す役割はあるだろう。今日の菊池洋子は「貞淑な人妻」のような演奏で、あまり面白みがない。不倫をするかのような雰囲気を漂わせて「主役」に火をつけてもらいたかったところはある。

特に良かった演奏は、ケクランの「ホルン-ソナタ」、バルトシュの「エレジーとロンディーノ」であり、叙情的な曲で二人の演奏の方向性が似合っていたようには思う。

アンコールは5曲というか、一つの小品と一つの組曲の演奏で、曲目は、田中カレンの「魔法にかけられた森」から第二楽章、マイケル=ホーヴィット「サーカス組曲」から第一曲「行進曲」、第三曲「象」、第四曲「空中ブランコ」、第五曲「ピエロ」であった。

2014年1月13日月曜日

東京楽所 雅楽 「源氏物語~悠久の響宴」 評

2014年1月13日 月曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)

演目:

管絃
・盤渡調音取(ばんしきちょうねとり)
・青海波(せいがいは)
・越天楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんへん)
(休憩)
舞楽
・万歳楽(まんざいらく)
・落蹲(らくそん)

雅楽:東京楽所(とうきょうがくそ)
(舞人・演奏者の詳細は最後に掲載)

解説:多忠輝(おおのただあき) 進行:野原耕二

東京楽所 雅楽「源氏物語~悠久の響宴」は、1月11日に栃木県総合文化センター、1月13日に三井住友海上しらかわホールにて上演された。一部重複するプログラムで、1月19日にも東京オペラシティ-タケミツメモリアルでも上演される。

着席位置は、二階三列目ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは八割程であろうか。二階左右バルコニー席は閉鎖している。聴衆の鑑賞態度はかなり良好である。

休憩前の第一部は「管絃」であり、西洋音楽でいえば室内管弦楽団演奏会に相当するものである。舞台に管絃が座り演奏する形態だ。

16人による演奏であるが、笙はオルガンのように響き、弦楽器・管楽器・打楽器と西洋音楽の管弦楽と同様に構成されている。雅楽の楽器は思ったよりも大きな音量を出せる。しらかわホールのような中規模ホールでは、強い音圧でしっかりとした残響とともに響いてくる。栃木県総合文化センターでは絶対味わえないし、タケミツメモリアルは大きなホールであるため、残響はともかくここまで強い音圧では響かないだろう。理想的な環境での演奏だ。

恐らく西洋の楽器に持ち帰れば即アンサンブルとして名が知られるだろうと思えるほど、上手に演奏する。雅楽の様式による演奏であるため、テンポの変動はあまりない。「越天楽残楽三返」の「残楽」とは、ヨーゼフ=ハイドンの「告別」最終楽章のように、メロディーをフルメンバーで演奏した後、演奏を止める奏者が増えていき、最後は楽箏のみが残って演奏して終わる形式である。ハイドンの「告別」のように退席まではしないが、西洋音楽がこのような形式を編み出す何百年も前から、日本では「残楽」の形で演奏されている事に注目させられる。

休憩後の第二部は「舞楽」であり、室内管弦楽団を伴うカルテットまたはソロ-バレエに相当するか。管絃は舞台後方の一段高くなっているところに位置し、舞台は文字通り舞人のためだけのスペースとなる。

最後に掲載した(舞人・演奏者詳細)でも示した通り、舞人は休憩前は管絃として演奏をしている。

西洋音楽のように、バレリーナ・歌い手・管弦楽のような職務上の区別はなく、演奏も舞う事も要求されるのが雅楽である。

演奏自体は前半と同様の完成度の高いものであり、申し分ない。

「万歳楽」は四人の舞人による群舞である。左舞であり、遣唐使により唐の国を経由して(あくまで「経由」であり、唐由来ではなく、あるいはヴェトナム辺りの様式であるのかもしれない)入ってきた様式による舞いだ。衣装はどこか中国風である。

テンポが遅めである事もあるのだろうが、群舞の全ての振る舞いは、一糸乱れずとの文字通りとまでは言えないまでも、基本的には合っている。時間的な要素だけでなく、指先の角度と言った空間的な要素に於いても、ボリジョイ-バレエの群舞の精度と比較すれば抜群の精度を保ち、これほどまで合っていれば十分だ。彼らが専任のバレリーナでない事を踏まえれば驚異的であろう。

「落蹲」となると、題名の意味する通りに、いよいよ一人だけの舞いとなる。右舞であり、朝鮮半島を経由(これも、あくまで「経由」であり、朝鮮半島由来という意味ではない)して入ってきた様式による舞いである。面を被っての舞いだ。


多忠純によるこの舞いも見事なもので、テンポは遅めであるものの、その分「静」を強調しなければならず、静止する場面もある。その静止した場面で安定感ある静止をしているところに目を奪われる。ロシアのプリマクラスのバレリーナでも、このような安定感ある静止の演技は期待できない。また、たった一人で20分近くに渡り連続した舞踏を続けていく。もちろん高いジャンプやリフトを要求される性格のものではないが、その長い時間に渡って安定した演技を続けるのは驚異的な体力を要するだろう。

雅楽は日本固有のものだけではない。唐の国を経由した左舞、朝鮮半島を経由した右舞、中国風の衣装を見れば分かる通り、遠い大陸の音楽や舞を千年規模のスケールで継承している所にこそ、我々日本文化の誇る所である。そのような雅楽を見て、改めて日本人として私がどのように振る舞うべきなのか、改めて考えさせられるところもある。文楽と並び、日本が誇る総合舞台芸術であることを思い知らされた公演であった。

(舞人・演奏者詳細)
管絃

鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:笠井聖秀
鉦鼓:中村容子
楽琵琶:松井北斗 多忠純
楽箏:岩波孝昌 小原完基
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美

舞楽

舞人「万歳楽」:岩波孝昌 増山誠一 植原宏樹 小原完基
舞人「落蹲」:多忠純

鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:松井北斗
鉦鼓:中村容子
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美

2013年12月22日日曜日

バッハ-コレギウム-ジャパン 「メサイア」2013年軽井沢演奏会 評

2013年12月22日 日曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)

曲目:
ゲオルク=フリードリヒ=ヘンデル オラトリオ「メサイア」 HMV56 1753年版

ソプラノ:シェレザード=パンタキ
アルト(カウンターテノール):ダニエル=テイラー
テノール:櫻田亮
バス:クリスティアン=イムラー

合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明

軽井沢大賀ホールにて2010年12月から開始された、クリスマスの時期に於けるBCJによる「メサイア」演奏会は、四回目を迎えた。昨年と比較しての今年の特徴としては、昨年の「1743年ロンドン初演版」ではなく「1753年版」を採用したこと。ソプラノ・テノールのソリストを2名から1名にしたことである。

同じ公演は、12月21日に鎌倉芸術館(神奈川県鎌倉市)、23日にサントリーホール(東京)でも開催された。良い音響が期待できるのは、この軽井沢大賀ホールのみであり、事前にソプラノのシェレザード=パンタキの調子が良いらしいとのツィッター情報を得て、急遽当日券により臨席する。

管弦楽配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(その後方にヴィオラ)→チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ(その後方にオルガン)→ファゴット→オーボエの順である。トランペット・ティンパニは舞台下手側後方の配置だ。合唱は舞台後方に下手側からソプラノ→アルト→テノール→バスで一列の配列である。ソリストは、原則として指揮者のすぐ下手側からカウンターテノールとテノール、すぐ上手側からソプラノとバスが歌う形態である。なお第一部では、トランペットが二階合唱席下手側後方上方から演奏する場面もあった。

着席位置は、一階平土間後方上手側である。客の入りは八割程であろうか。聴衆の鑑賞態度はかなり良いが、補聴器の作動音らしき音が下手側から継続的に聞こえていた。

ソリストについては、ソプラノのシェレザード=パンタキは期待通りの声量で、特に第一部では圧倒的な存在感を示している。

カウンターテノールのダニエル=テイラーは、声量面では決して大きいものではないが、特に第二部でのアリアが傑出した出来である。これは、第一声から「これは凄い」と感嘆させられると言うよりは、聴いているうちにいつの間にか惹き込まれていて、終わってみたらその自然と溶け込むような歌声に感嘆させられる不思議なものだ。声の音色にカウンターテノールにありがちな不自然なところがないところも、私の好みと合っている。

クリスティアン=イムラーは、第三部第43曲のトランペットと掛けあうアリアが素晴らしい。

合唱は、ソプラノが2010年の時のような二歩前に出たり、昨年のようにあまり自己主張をしていなかったりする事もなく、今年は半歩前に出る歌唱であろうか。基本的には、他のソリスト・管弦楽と溶け込むアプローチではあるが、いつもながらのレベルの高い合唱である。

管弦楽で特筆するべき点は、トランペット奏者にジャン-フランソワ=マドゥフを招聘し首席奏者として演奏することである。ナチュラル-トランペットの奏法は難しく、BCJの演奏会の際にその出来に期待する事はなかったが、今回のマドゥフ招聘の効果は大きく、全てが完璧ではないものの、大幅に改善されている。特に、第二部最後のハレルヤ-コーラスでは、マドゥフのトランペットが実に絶妙な音量で入ってきて、精緻なハーモニーを構築している。また、第三部第43曲でのバスと掛けあうアリアのトランペットも絶品である。

また今回は、昨年とは着席位置が違うこともあるのか、チェンバロやチェロが良く聴こえ、深みがある響きを楽しむことができた。

アンコールは、ジョン=ヘンリー=ホプキンズ-ジュニアの「われらは来たりぬ」であり、テノールのソロはBCJ合唱陣が務める。それぞれのソロが美しく響き、ソプラノパートとの対比が印象的であった。

2013年12月21日土曜日

ロレンツォ=ギエルミ オルガン-リサイタル 評

2013年12月21日 土曜日
ふれあい福寿会館 サラマンカホール (岐阜県岐阜市)

曲目:
アルノルト=ブルンクホルスト 前奏曲
ヨハン=パッヘルベル シャコンヌ
ヨハン=パッヘルベル 「高き天より、我は来たれり」
ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル 「アダージョとフーガ」
ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル 「メサイア」HWV56より「なんと美しい事か、平和の福音を伝える者の足は」(※)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「アンナ=マグダレーナ=バッハの音楽帳」より「御身がそばにあるのならば」 BWV508 (※)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「アンナ=マグダレーナ=バッハの音楽帳」より「あなたの心をくださるのなら」 BWV518 (※)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「コーヒー-カンタータ」 BWV211より「ああ!コーヒーってとってもおいしい」 (※)
(休憩)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「前奏曲とフーガ」 BWV539
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「イタリア様式によるアリアと変奏」 BWV989
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」 BWV659
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「目覚めよ、と呼ぶ声あり」 BWV645
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「甘き喜びのうちに」 BWV751
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「トッカータ、アダージョとフーガ」 BWV564

ソプラノ:日比野景 (※のみ)
オルガン:ロレンツォ=ギエルミ

着席位置は、一階後方上手側である。チケットは完売している。聴衆の鑑賞態度は、特に前半はあまり良いとは言えず、遅刻者の比率が多く、かつ次の曲が始まるまで着席せず、また飴の包装を破る音や話し声まである始末だった。

前半部の後半に登場した日比野景のソプラノは、音量的にはサラマンカホールを十分に響かせていたが、一本調子のところがあり、表現の多様さは見られないように思える。

さて、このリサイタルで用いたサラマンカホールのオルガンは、岐阜県加茂郡白川町に本拠を置いた辻宏(1933-2005)により建造されたものである。

辻宏は、「サラマンカホール」の名の由来になった、スペイン国サラマンカ大聖堂のオルガンを修復した実績があることで高名であり、古典的建造法によるオルガンの建造・修復のスペシャリストとして国内外で活躍してきたが、2005年の逝去に伴い、辻オルガン工房は2008年に閉鎖された。

サラマンカホールのオルガンは、46ストップ、パイプ数2997本であり、コンサートホールにあるオルガンとしては小ぶりではあるが、古典的建造法により建造されたこれとしては、日本では唯一であろうか。古典的建造法により建造されたオルガンであるからなのだろうか、やや鋭い高音部の音色も適切な音色で響いてくる。モダン指向のカール=シュッケ社のオルガンのように耳触りな響きは全くない。

ロレンツォ=ギエルミのオルガンは、テンポは中庸で基本的には作曲者の意図を伝える演奏であり、曲想上眠くなる曲もあるが、多様な音色を的確に用いている。

特に最後の、「トッカータ、アダージョとフーガ」に於けるフーガは、密かな興奮から生じる霊感を感じさせる素晴らしい演奏である。

アンコールは、J.S.バッハの「コンチェルト」BWV596から第四楽章と、作者不詳の「パストラーレ」であった。


追記:サラマンカホールに於けるオルガン建造の経緯は、下記が詳しい。
https://salamanca.gifu-fureai.jp/information/organ.html

2013年12月14日土曜日

ラファウ=ブレハッチ ピアノ-リサイタル 評

2013年12月14日 土曜日
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ 第9番 K.311
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ピアノ-ソナタ 第7番 op.10-3
(休憩)
フレデリック=ショパン 夜想曲 第10番 op.32-2
フレデリック=ショパン ポロネーズ 第3番「軍隊」 op.40-1
フレデリック=ショパン ポロネーズ 第4番 op.40-2
フレデリック=ショパン 三つのマズルカ op.63
フレデリック=ショパン スケルツォ 第3番 op.69

ピアノ:ラファウ=ブレハッチ

ラファウ=ブレハッチは、12月13日から17日に掛けて来日ツアーを行い、武蔵野(東京都)、東京、横浜、与野(埼玉県)にてリサイタルを行う。12月13日は武蔵野市民文化会館、14日は東京オペラシティ タケミツメモリアル、16日は横浜みなとみらいホール、17日は彩の国さいたま芸術劇場を会場とする。東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切であるとは考えたが、土日開催の都合によりタケミツメモリアルでの公演を選択した。よってこの評は二日目の東京オペラシティ タケミツメモリアルでの公演に対するものである。

着席位置は、一階中央上手側である。チケットは完売している。聴衆の鑑賞態度は良好であった。

前半のモーツァルト・ベートーフェンは楽譜通りの演奏で、ブレハッチ独自の味付けは淡白である。速めの楽章よりは、案外緩徐楽章の方が面白い。ベートーフェンについては、テンポは遅めである。響きは軽めであり、軽快であると言えばその通りであるが、しかし音が遠くに感じ臨場感が感じられない。タケミツメモリアルはやはり大き過ぎるのであろうか?いくら音響のよいタケミツメモリアルでも、18列目では難しいのか。彩の国さいたま芸術劇場のような604席しかないホールの方が、断然素晴らしい成果を上げただろう。

一方、後半のショパンでは表現の幅が増す。ピアノが近くにあるように聴こえ始め、適切な音圧で迫ってくる。テンポの扱いは自由自在となる。その一方で、感情に溺れず、放逸を排除した、貴族的とも言うべきブレハッチ独自の様式の枠を構成しながらも、パッションはよく込められてくる。特にこのようなブレハッチの個性が最も行き渡っているのは、ポロネーズ第3番「軍隊」と、アンコール一曲目の前奏曲第20番である。この二曲が私にとっては特に好みの演奏だ。

アンコールは三曲あり、いずれもショパンの作で、「24の前奏曲」第20番、ワルツop34-2、「24の前奏曲」第4番である。「24の前奏曲」第20番で見せたピアニッシモは、絶品であった。

2013年12月7日土曜日

バッハ-コレギウム-ジャパン モーツァルト「レクイエム」演奏会評

2013年12月7日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「証聖者の荘厳な晩課」 K.339
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「レクイエム」 K.626

ソプラノ:キャロリン=サンプソン
アルト:マリアンネ=ベアーテ=キーラント
テノール:櫻田亮(アンドリュー=ケネディの代役)
バス:クリスティアン=イムラー

合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明

BCJは、12月1日・7日・9日の三回に渡り、「モーツァルト レクイエム」演奏会を開催する。12月1日は札幌コンサートホールkitara、7日は彩の国さいたま芸術劇場、9日は東京オペラシティ タケミツメモリアルを会場とする。BCJの特質からして、東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切と判断した。よってこの評は二日目の彩の国さいたま芸術劇場での公演に対するものである。

着席位置は、一階ど真ん中よりわずかに上手側である。客の入りはほぼ満席である。聴衆の鑑賞態度はかなり良く、拍手のタイミングも大変適切であった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ(「レクイエム」のみ?)→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、ヴィオローネ(コントラバスに相当)は最も上手側につく。ホルン・木管パートは後方中央、トランペットは後方下手側、トロンボーン・ティンパニは後方上手側、オルガンは中央やや上手側の位置につく。
合唱団は計23名で、舞台後方を途切れることなく二列横隊で並ぶ。ソリストは、「証聖者の荘厳な晩課」では指揮台の舞台後方側に待機し、「レクイエム」では舞台下手側に待機し、歌う時のみ舞台前方に出てくる。

前半は、「証聖者の荘厳な晩課」K.339である。この公演では、典礼に則りグレゴリオ聖歌のアンティフォナを挿入して演奏される。各曲の始まりは、クリスティアン=イムラー(バス-ソリスト)が合唱団バスセクションの所に行き、まずはイムラーの独唱アカペラで始まり、ついでイムラーの指揮でバス-セクションとの合唱に移り、鈴木雅明の指揮による管弦楽により本編が始まるというスタイルである。バス独唱→合唱と本編との対比が面白い。

後半の「レクイエム」K.626は、モーツァルト、アイブラー及びジューズマイヤーの自筆譜に基づく鈴木優人補筆校訂版」によるものである。この版による評価が出来るほど作曲技法や「レクイエム」の経緯に通じている訳ではないが、聴いていて特に不満はなく、たまに何かを挿入したなと感じる程度の差であり、版の差よりは演奏による差の方が観客にとっては大きいであろう。

演奏は、テンポのメリハリははっきりしており、入祭唱やキリエなど速く演奏する箇所はかなりの速さであり、サンクトゥス・ベネディクトゥスと言った比較的緩徐な部分は普通にゆっくりのテンポである。

二曲を通して、歌い手を前面に出す演奏である。

「証聖者の荘厳な晩課」はバスのクリスティアン=イムラーの独唱が良く、管弦楽が始まる前の、どこかビザンチン風を思わせる独唱部・グレゴリオ聖歌部を引き立たせている。また、ソプラノのキャロリン=サンプソンが素晴らしい。ソプラノ独唱から合唱団に引き継ぎ、さらにソプラノ独唱に引き継ぎながら盛り上げていく部分は、実に巧みである。

「レクイエム」はパッションが込められた合唱で、ソリスト・合唱ともここぞの所で仕掛けてくる。頂点に向けて精密に声量をコントロールし、いざ頂点に達する所でソプラノが二歩前に出てくる理想的な形だ。キャロリン=サンプソンは、アルトやテノールと合わせるところでは、それぞれのソリストの声量に合わせるが、ソプラノが飛び出す事が許容されている部分では巧くオーバーラップさせてくるし、長い独唱アリアの部分では自由自在に攻めてくる。キャロリンが歌い始めると、とても幸せな気持ちになってくる。

最後の聖体拝領唱が終わり、残響がなくなり無音となる。誰もがその余韻を尊重し、適切な空白の時間の後で熱烈な拍手となる。このような終わり方は実に素晴らしい。演奏者と観客との一体感が感じられる、とても良い演奏会であった。

2013年12月5日木曜日

ミッシャ=マイスキー チェロ-リサイタル 評

2013年12月5日 木曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヨハン=セバスティアン=バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007
フランツ=シューベルト 「アルペジョーネ-ソナタ」 D821
(休憩)
ロベルト=シューマン 「民謡風の5つの小品集」 op.102
ベンジャミン=ブリテン:チェロ-ソナタ op.65

ヴァイオリン-チェロ:ミッシャ=マイスキー
ピアノ:リリー=マイスキー

1948年にラトヴィアの首都リガで生まれたミッシャ=マイスキーは、この11・12月に来日ツアーで広島交響楽団との協演に臨むほか、鎌倉・東京・札幌・松本・小金井(東京都)・名古屋にてリサイタルに臨む。ピアノを担当するリリー=マイスキーは、ミッシャ=マイスキーの娘である。

着席位置は、後方下手側である。客の入りはほぼ満席。聴衆の鑑賞態度は良好であった。

ミッシャ=マイスキーのチェロは、いかにも平和な家庭生活を送っているかのようだ。私がこのように言うときは、あまりいい意味ではないが、マルタ=アルゲリッチのピアノが嫌いだったり疲れるような人たちには、逆に向いているだろう。

基本的にテンポの変動が少なく、技術的には何ら問題なく、後先はよく考えているものの、かなり抑制的な表現である。疲れている人たちは眠ってしまうだろう。というか、眠くなるように曲を敢えて構成しているのかなと思えるところがある。

二曲目の「アルペジョーネ-ソナタ」に於けるリリー=マイスキーのピアノは、協演ではなく本当の伴奏であり、何もかも父親に任せた娘のように見え、このようなピアノを弾いて楽しいのかとリリーに疑問を呈したくなる程の出来である。父親を立てたと言えばそのようにも見えるが、これ程までピアノが控えめ過ぎる展開は私が聴いている限り初めてである。

最も、後半の進行に伴ってリリーのピアノは少しはパッションが入るようになる。ミッシャとリリーとの間の関係性は、親子だからなのかは分からないが、協調的なアプローチである。どちらかが冒険に飛び出す事はないし、何か仕掛けてスリリングな展開になる事もない。

協調的なアプローチが最もよく機能したのは、四曲目のブリテンに於ける一部楽章に見られる。現代音楽が最も面白い展開になるのは、予想外の楽しみである。

アンコールは四曲のように思えたが、掲示では五曲となっていた。どうも疲労がたまっているのかもしれない。カタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」、シチェドリンの「アルベニス風のスタイルで」、リヒャルト=シュトラウスの「朝に」、ファリャの「火祭りの踊り」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」である。

ファリャの「火祭りの踊り」は大変な盛り上がりであるが、どうもミッシャは速いテンポはあまり得意でないのだろうなと思わざるを得なかった。

圧巻なのは、「火祭りの踊り」ほど何故か盛り上がらなかったのだが、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」である。技術面での完璧さ、テンポの取り扱いの巧みさとこれに伴う曲想の豊かさ、パッションの高さの面で、この「ヴォカリーズ」だけは、まるで別の奏者が演奏しているかのように素晴らしいものである。特に、持続的な長いアッチェレランドを掛けていく展開部の曲想には圧倒される。ミッシャもリリーも、メランコリックな性格の描写というだけでなく、純音楽的な面でのパッションが最も入っているように思える。この「ヴォカリーズ」だけが別格の出来で、この演奏だけが、どうしてミッシャ=マイスキーが世界的に「巨匠」として君臨しているのかが理解できるものであった。

2013年12月1日日曜日

大崎結真 ピアノ-リサイタル 評

2013年12月1日 日曜日
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)

曲目:
クロード=ドビュッシー:版画
モーリス=ラヴェル:水の戯れ
モーリス=ラヴェル:夜のガスパール
(休憩)
オリヴィエ=メシアン:「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より
 第11曲「聖母の最初の聖体拝領」
 第13曲「ノエル」(イエズス=キリストの生誕)
アンリ=デュティユー:ピアノ-ソナタ

ピアノ:大崎結真

着席場所は、ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは6割程であろうか、中央後方の席でさえも空席の穴が目立つ。観客の鑑賞態度は概ね良好であったが、ビニールをがさがさする音が目立つ箇所があり、また補聴器のハウリングと思われる音が小音量ながらも継続してなっていた。

大崎結真は楽譜通りに作曲家の意図を再現するべく演奏する方向性で、かつ丁寧に弾いている。特に後半の演奏は優れている。しかしながらフランスものは難しい。曲想上、どうしても眠くなる方向性に向かってしまう。かと言って、プログラムに安易に「ラ-ヴァルス」を加えるのも、プログラム全体の一貫性がなくなってしまうところである。

また、曲を終え拍手を受ける時の表情も無く、彼女なりに納得できる演奏が出来たのか否かが分からず、その点でも観客のテンションが上がりにくいところがある。せっかく良い演奏をしても、観客に伝わらない形である。

アンコールは、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」より「オンディーヌ」、「前奏曲集第1巻」より「亜麻色の髪の乙女」であった。