2013年10月6日 日曜日
新国立劇場 (東京)
演目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「リゴレット」
リゴレット:マルコ=ヴラトーニャ
ジルダ:エレナ=ゴルシュノヴァ
マントヴァ公爵:キム=ウーキュン
スパラフチーレ:妻屋秀和
マッダレーナ:山下牧子
モンテローネ伯爵:谷友博
ジョヴァンナ:与田朝子
マルッロ:成田博之
ボルサ:加茂下稔
チュプラーノ伯爵:小林由樹
チュプラーノ伯爵夫人:佐藤路子
小姓:前川依子
牢番:三戸大久
合唱:新国立劇場合唱団
演出:アンドレアス=クリーゲンブルク
美術:ハラルド=トアー
衣装:ターニャ=ホフマン
照明:シュテファン=ボリガー
振付:ツェンタ=ヘルテル
合唱指揮:三澤洋史
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団(TPO)
指揮:ピエトロ=リッツォ
新国立劇場は、10月3日から22日までの日程で、ヴェルディ作歌劇「リゴレット」を、計7公演に渡って繰り広げられる。この評は、第二回目10月6日の公演に対するものである。
着席位置は二階中央前方、9割程の入りである。観客の鑑賞態度は概ね良好であったが、第一幕第二場「慕わしき御名」にて二階正面後方席でビニールの音を二分以上にも渡って鳴らす演奏妨害があった。
休憩は、第一幕と第二幕の間のみの一回のみである。
舞台は、第一幕・第二幕では、現代風のホテルの部屋やロビー、廊下、階段を円柱三層構造にした巨大な回転体があり、これをメリーゴーランドのように、場面に応じて様々な速度で動かしたり止めたり回転方向を逆転させたりする。舞台脇にはホテルの中にあるようなバルを設置している。この舞台は二幕に渡って変化はなく、そのままホテルやリゴレット邸の舞台としている。
第三幕では、一転郊外にあるスラム街のような背景である。アルコールの宣伝広告が三つあり、Twitter上でのWilm Hosenfeld さん(@wilmhosenfeld)の解説(2013年10月6日投稿)によると、「中央は、Spumante Ducale(公爵スパークリング)、右は、Birra Mantova(マントヴァ・ビール)。ビールには、dal 1813とヴェルディの生年が。左のワインには、『頭痛の日』という能書きがある」。
舞台の出来は秀逸で、高級ホテルのような第一幕・第二幕の場面と、怪しげな第三幕のスラム街の対比が、悲劇的結末へ至る見事なインフラとなっている。現代風ではあるが演目との違和感は感じない。
衣装も現代風で、マントヴァ公爵やその手下は、如何にもマフィア風である。舞台と一致している衣装であり、これまた演目との違和感は感じない。
演劇面では、冒頭から女性の扱いが乱暴である。「あれかこれか」は、ムフフな気分ではとても聴けない。「あの女性を抱いては次の女性に心変わり♪」と言った雰囲気ではなく、とにもかくにも「女を捨て、女を捨て」と言った形で最初から最後まで一貫している。捨てられ疲れ切った下着姿の娼婦の姿をしつこいほどに背景に存在させる。男の残酷さ、男性優位社会の不条理を強く印象付ける演出ではある。あまりに強い演出であるが故に、女性の観客の中には、直視できなかった人たちもいたかもしれない。
ソリストの出来について述べる。
リゴレット役のマルコ=ヴラトーニャは、第一幕では九割程の調子であるが主役としての役割を果たしている。第二幕になり管弦楽の強奏に乗ることが出来ず失速したが、終始主役として求められる存在感あるニュアンスで何とか持ちこたえ、調子が悪いなりに頑張ったか。
ジルダ役のエレナ=ゴルシュノヴァは、主要な役としてはギリギリ合格点と言った程度か。
マントヴァ公爵のキム=ウーキュンが抜群の出来だ。あれなら、女性たちも口説かれるのに納得する。「あれかこれか」、一回目の「女心の歌」については、荒っぽさがある。しかし、第一幕第二場でのジルダとの二重唱ではパワー・コントロールとも完璧である。口説く場面になるとテンションが上がるのか、一旦誘惑する女性が側につくと、全てが完璧となり圧巻の出来だ。それにしても徹底的に悪役を演じきる。そういう奴だから、マントヴァ公爵が生き残ったのかと、この歌劇の不条理に納得させられる役割を十二分に果たしている。
その他、マッダレーナ役の山下牧子は声が通っていて良い出来だ。モンテローネ伯爵役の谷友博は、呪いをかける部分での迫力が全くなく、遺憾である。登場する場面が短い役であるが、その呪いは第一幕第一場で重要な場面の一つであり、力のある歌い手である必要があった。
管弦楽の東京フィルハーモニー交響楽団は、演奏会毎の出来不出来が激しい楽団であるが、今回の公演での管弦楽に違和感を感じられるところはなく、したがって良い出来であったと思われる。