2017年4月16日日曜日

Bach Collegium Japan, Passione secondo Matteo (J.S. Bach) Matsumoto Concert (2017), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「マタイ受難曲」松本演奏会 評

2017年4月16日 日曜日
Sunday 16th April 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244

soprano: Hannah Morrison
soprano: 松井亜希 / Matsui Aki
contralto: Robin Blaze
contralto: 青木洋也 / Aoki Hiroya
Evangelista: Benjamin Bruns
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Christian Immler
basso: 加耒徹 / Kaku Toru
coro e orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki

バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2017年4月13日から16日までにかけて、J.S.バッハの マタイ受難曲 演奏会を、名古屋・東京・与野(埼玉県)・松本にて開催した。この評は、千秋楽2017年4月16日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。

管弦楽配置は、ヴァイオリンとヴィオラは左右対称に配置し、通奏低音は中央に置く。ホールのオルガンは使わず、通奏低音奏者の後ろでポジティフオルガンを二台置いた。歌い手は管弦楽の後ろを取り囲むように配置し、福音史家は指揮者のすぐそばに、他のソロパートは、最後方中央から歌ったり、指揮者のそばだったり、管弦楽の中に混じる場所だったりと、場面に応じた場所での歌唱となる。

着席位置は一階正面後方ほぼ中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、曲終了直後のBravoは残念だった。連鎖反応で鈴木雅明さんが手を下ろしていないのに満場の拍手となってしまったのは残念だ。通常松本では、余韻は守られることが多いが、県外からの聴衆がやってしまったか?

やはり、福音史家 Evangelista役の Benjamin Bruns は世界最高だと思う。「マタイ受難曲」の福音史家役で、これだけの素晴らしさを見せつけられたら、彼以外の歌い手は考えられない。あまりの別格ぶりに唖然とするしかない。

声の美しさ、ニュアンスの付け方、ホールの響きを味方につける巧みさ、綿密に響きを計算する構築力、全部完璧である。

残響が豊かである故に綺麗な響きを作り上げるのが難しい、松本市音楽文化ホールの飽和点を的確に認識して最高音を設定し、ホールの残響を計算して大胆に踏み込み、美しい響きで実現させる技には感嘆するしかない。

通奏低音はエッジを効かせる箇所もあり、ニュアンスを楽しめた。後ろで短いソロを披露する歌い手の皆様も随所で見事である。

また、Christian Immler のソロの他、私の好みとしては青木洋也のただ一箇所の長いソロも聴き惚れる。

重ねて書くが、松本市音楽文化ホールのような響くホールは、響きのコントロールや組み立て方が難しい。BCJにとって初めての場所、で当日に臨んで戸惑われたかも知れないけれど、だんだん響きがホールと馴染んでくるのはさすがである。若松夏美さんのソロはじめ、管弦楽も素晴らしかった。

2017年4月15日土曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Otello’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「オテロ」 感想

2017年4月15日 土曜日
Saturday 15th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Giuseppe Verdi: Opera ‘Otello’
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「オテロ」

Otello: Carlo Ventre
Desdemona: Serena Farnocchia
Iago: Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov
Lodovico: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Cassio: 与儀巧 / Yogi Takumi
Emilia: 清水華澄 / Shimizu Kasumi
Roderigo: 村上敏明 / Murakami Toshiaki
Montano: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
un Araldo: Tang Jun Bo

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Setagaya Junior Chorus (児童合唱:世田谷ジュニア合唱団)

Production: Mario Martone
Set design: Margherita Palli
Costumes design: Ursula Patzak
Lighting design: 川口雅弘 / Kawaguchi Masahiro

orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Paolo Carignani

新国立劇場は、2017年4月9日から22日までの日程で、パオロ=カリニャーニの指揮による歌劇「オテロ」を5公演開催する。この評は2017年4月15日に催された第三回目の公演に対するものである。

着席位置は一階正面ど真ん中である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、特に前半は、一階席中央はノイズが目立った。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。50トンもの水を用い、ヴェネツィアの街を再現した舞台は美しい。舞台中央に置かれた寝室は、廻り舞台となっている。オケピット下手側には橋が架けられ、第一幕でのオテロ他の客席側からの登場の場面や、第三幕冒頭での幕をスノコまで上げないシーンで、舞台効果を発揮した。実に素晴らしい舞台装置である。

休憩は、第二幕と第三幕との間で一回だけ設けられた。以下、前半は第一幕・第二幕、後半は第三幕・第四幕を言う。

ソリストの出来について述べる。

題名役 Otello を演じた Carlo Ventre は、第一幕や第三幕冒頭、第三幕の Otello・Cassio・Iagoの三重唱の場面で、ニュアンスに乏しい単調な場面があった難点はあるが、概して声量はあり、第四幕は素晴らしい出来であった。

Desdemona を演じた Serena Farnocchia は、得意とする声域で伸びやかに歌う場面は比較的良いが、低めの声域では声量がなく、声が特別美しい訳でもなかった。それでも何故か第四幕では、一応決めたと言えるか?ソプラノを聴いた実感は、薄かった。

Iago役の Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov は、声量が新国立劇場の巨大さとマッチしていないのが残念である。1000席前後の中小規模の歌劇場であれば、良い方向で変わった結果が得られたかもしれない。第三幕での装飾音を決める場面の出来は、良くなかった。歌で決めるべき場面では確実に決めて欲しい。観客は演劇を観に来たのではなく、音楽を聴きに来ているのだから。

日本人キャストでは、前半で Cassio 役の与儀巧 / Yogi Takumi 、第四幕で Emilia 役の清水華澄 / Shimizu Kasumi 、総督大使役の 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu は素晴らしい。

総じて、美しい歌声を楽しむ感じではなく、第二幕終盤で Otello 役と Iago 役とで縦の線が乱れるなど、前半部では低調であった。

最も素晴らしかったのは管弦楽の東フィルであった。この「オテロ」では、管弦楽は煽る傾向にあったが、指揮者の要求に的確に応えたと言える。第三幕での総督大使到着の場面での、金管の精緻な演奏は見事であった。

2017年3月26日日曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (26th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想

2017年3月26日 日曜日
Sunday 26th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti

新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月26日に催された第五回目千秋楽の公演に対するものである。

着席位置は一階正面上手側である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。

私にとっては、3月20日の公演とは打って変わって、総じて素晴らしい公演になった。

ソリストの出来について述べる。

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti

鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、結果的に素晴らしかったとは言えるが、手放しでの賛辞ではない。

Olga Peretyatko オルガ=ペレチャッコは、3月20日公演と比べたら断然良い出来に思える。音域が変化する場所で自然な遷移にならなかったり、不自然さを感じさせたり、音程に甘さを感じさせた箇所もあり、何よりもルチア役に求められる中低音領域の弱さは気になる。ベルカントの歌い手として売りにするのは疑問を呈せざるを得ない。しかしながら、高音域スイートポイントの美声とコントロール、勢いで観客を力づくでノックアウトした感じである。

それでも、第三幕で一回目に倒れる直前の、ルチア役とアルモニカとによるフーガの場面はほぼ完璧だったと言えるし、第二幕六重唱の箇所でのアクセントは的確であるし、第三幕で最低限掛けるべき装飾音も、美声と勢いとで乗り切った。

3月20日公演では気になったヴィブラートも、今日は美声の印象が強い。

Olga Peretyatko の苦手とする部分は、結果的に、得意の高音部の美声と勢いとで糊塗することに、成功したか。是非はともかく、まあいいや!って感じではある。

Edgardo: Ismael Jordi

勢いで観客をノックアウトした Olga Peretyatko とは対照的に、的確な声で攻めたのは、エドガルド役の Ismael Jordi イスマエル=ホルディ(新国立劇場の表記ではイスマエル=ジョルディです)でしょう。

終始特に音域上で得意不得意を感じさせない、堅実な技巧を感じさせる。

Enrico: Artur Rucinski

エンリーコ役の Artur Rucinski アルトゥール=ルチンスキーも、要所で堅実な技巧を見せる。印象的な箇所は、第二幕六重唱の部分で掛けるアクセントで、ペレチャッコと同様に的確であった。

日本人ソリストについて述べる。

Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
教師として、威厳と貫禄を感じさせた。

Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka

両者とも、要所で十分な声量をもって劇場内の空間を満たし、外国人ソリスト頼みにせず、歌劇の緊張感を保った。

東フィルの金管楽器陣も、3月20日公演とは格段に違う高い水準の演奏である。もちろん、綺麗な弱奏が欲しいと感じさせる箇所もあるが、一方で第三幕冒頭部での的確な響きなど、聴かせる部分もあった。

本日の公演を通して、いろいろ突っ込み所はあるものの、総じて満足出来る公演で、スタオベも当然と納得する公演であった。

2017年3月25日土曜日

Schiff András, recital, (25th March 2017), review シフ=アンドラーシュ 与野公演 評

2017年3月25日 土曜日
Saturday 25th March 2017
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Sonata per pianoforte n.17(16) K.570
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n.31 op.110
Franz Joseph Haydn: Sonata per pianoforte Hob. XVI:51
Franz Peter Schubert: Sonata per pianoforte n.20 D.959

pianoforte: Schiff András

マジャールのピアニスト、シフ=アンドラーシュは、2016年3月17日から25日に掛けて日本ツアーを実施し、リサイタルを、いずみホール(大阪市)、神奈川県立音楽堂(横浜市)、東京オペラシティコンサートホール「タケミツメモリアル」(東京)(2公演)、彩の国さいたま芸術劇場(埼玉県与野市)にて、計5公演開催する。理想的な音響となる中小規模ホールでの公演は、いずみホールと彩の国さいたま芸術劇場音楽ホールの二か所だけである。

この評は、日本ツアー千秋楽である3月25日彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホールでの公演に対する評である。

着席位置は正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、極めて良好だった。

使用ピアノは、 Bösendorfer MODEL280VC である。ピアノの配置は、通常は上手側に真っ直ぐ向けられているものを、舞台奥側に15度ほど偏心させた。移動用の車輪は奏者に対して踏ん張るようにしてロックされた(通常はピアノの中心に向けてロックされる)。

休憩はなく、あたかも、一曲を一楽章とし、四曲をもって一つの曲にする意図を感じさせた。楽章間はアタッカ風に処理され、曲間も10秒も経過せずに次の曲が始められた。

彩の国さいたま芸術劇場の音楽ホールはやはり素晴らしく、モーツァルトやハイドンについてもマトモに響く。タケミツメモリアルでは、こうはいかなかっただろう。

感想は敢えて短く示そう。

シフの解釈は、引き算の解釈のように思える。これ見よがしのギアチェンジを行うことなく、自然な運びの中で、繊細に考えられた一音一音を奏でていく感じである。

私は、曲の刹那刹那を楽しむようなアプローチで臨んだ。Beethoven op.110 の第二楽章のある場面が、心に響く。

Bösendorfer MODEL280VC は、強奏部でもスタインウェイのような鋭い響きにならないところが、シフの解釈と曲想とに合致している印象を持つ。

機嫌が良かったのか、アンコールは何と7曲である。タケミツメモリアルでも、そのくらいの量のアンコールであったそうだ。シューベルトD.946から第一曲、J.S.バッハの「インヴェンション」1番 BWV772、同8番 BWV779、ベートーヴェン「6つのパガテル」から第6曲 op.126、シューベルトD.946から第三曲、J.S.バッハ パルティータ第四番から第五曲 サラバンド、最後はマジャールの作曲家 バルトーク=ベーラの「マジャールの旋律による三つのロンド」から第一曲であった。

2017年3月20日月曜日

New National Theatre Tokyo, Opera ‘Lucia di Lammermoor’ (20th March 2017) review 新国立劇場 歌劇「ランメルモールのルチア」 感想

2017年3月20日 月曜日
Monday 20th March 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)

演目:
Gaetano Donizetti: Opera ‘Lucia di Lammermoor’
ガエターノ=ドニゼッティ 歌劇「ランメルモールのルチア」

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti
Edgardo: Ismael Jordi
Enrico: Artur Rucinski
Raimondo: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Arturo: 小原啓楼 / Ohara Keiro
Alisa: 小林由佳 / Kobayashi Yuka
Normanno: 菅野敬 / Kanno Atsushi

Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Tokyo FM Boys Choir

Production: 鵜山仁 / Uyama Hitoshi
Set design: 島次郎 / Shima Jiro
Costumes design: 緒方規矩子 / Ogata Kikuko
Lighting design: 沢田祐二 / Sawada Yuji

armonica a bicchieri: Sascha Reckert
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Giampaolo Bisanti

新国立劇場は、2017年3月14日から26日までの日程で、ジャンパオロ=ビザンティの指揮による歌劇「ランメルモールのルチア」を5公演開催する。この評は2017年3月20日に催された第三回目の公演に対するものである。

着席位置は二階正面最前列ほぼ中央である。要するに、天皇陛下が座る座席と考えて差し支えない。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、狂乱の場で咳が止まらなくなった観客がいたのは不運としか言いようがない。。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。CGを用いた波を再現したり、スコットランドの美しく、また荒々しい風景を再現したり、宮殿内の内装は、壁に鹿の角を飾るなど、かなり贅沢な舞台装置である。ただし、モンテカルロ歌劇場の設備と合わせたため、プロセニアムの高さを極めて厳しく制限し、二階席最前列の観客でさえも舞台上方が見切れる形となった。

私にとっては、全般的に不完全燃焼となる結果と終わった。理由は複合的である。呪われた公演と言ってもよい。

Lucia: Ольга Александровна Перетятько / Olga Peretyatko-Mariotti (ルチア役 オルガ=ペレチャッコ)の不出来。

鳴り物入りで主演を担うこととなった Olga Peretyatko であるが、第一幕終了の時点でその実力に疑問符が付き、第二幕で彼女の実力は大してないことを確信した。

第一幕では音程が不安定である。高音はバッチリ決める割りには、装飾を掛ける部分は曖昧に誤魔化されたような印象だ。第二幕で分かったことは、高音部は魅力的で、後半の六重唱の箇所等では活きるが、Lucia 役に求められる全ての音域で、きちんとした声が出せず、高い水準の歌にはならないことである。比較的低めの音が苦手な事が露呈している。

第一幕での装飾を掛ける箇所は、 Olga Peretyatko の苦手とする音域なのだろう、それで装飾を掛けられない状態となったと推察する。第二幕では、低めの音については声量が感じられず、高音部にクライマックスをもってきて大声量で圧倒させる策で観客を誤魔化そうとするが、日本の観客を舐めるなと言いたい。最初の低めの音で、50ではなく80の声を出すこと、その上でクライマックスで120の声を出すというのでなければ、手抜きと見られても仕方あるまい。

ヴィブラートは目立ち、時折不自然に感じられる箇所もあるが、まあギリギリ許容範囲と言えるか。清らかな声であるとは言い難い。得意なはずの高音ではあるが、第三幕で二回ほどある最後の決め音の高音では、地味な低い声で終わり、 Olga Peretyatko のスイートポイント声域の狭さが、超高音部・低音部ともに露呈した結果となった。

その彼女も、「狂乱の場」に於ける、ハルモニカのみを伴奏とし、静寂な中でフーガ形式を用いながらの聴かせ所は素晴らしかったが、その場面は下手側バルコニーから連続的・継続的に聴こえてきた咳によって台無しにされた。この公演は呪われていたとしか思えない。

また、 Olga Peretyatko による「狂乱の場」は、特に前半部では眠気に誘われる程のもので、狂っている感は極めて希薄である。

総じて、 Olga Peretyatko は得意とする音域でこそ、豊かな声量で観客を魅了したが、ルチア役で求められる全ての音域できちんとした声量や技巧を表現できたとは言えず、全般的に高い水準での歌唱を披露したとは言えない。人気はあるのかもしれないけど、騒がれるほどの実力のある歌い手ではない。

Gioachino Rossini によるベルカントの定義は、「自然で美しい声」「声域の高低にわたって均質な声質」「注意深い訓練によって、高度に華麗な音楽を苦もなく発声できること」と言われているが、 Olga Peretyatko はいずれも満たしていない。「ベルカントの新女王」との新国立劇場による宣伝は詐欺としか言いようがなく、その見識は強く非難されて然るべきである。

全音域できちんとした声を出せず、技巧面で弱い歌い手はいらない。Olga Peretyatko にGioachino Rossini など噴飯ものである。

曲の最初に戻そう。冒頭から少し経過部分での、Normanno役の菅野敬+合唱団+東フィルにより構成される場面であるが、菅野敬は声量がなく、東フィルの管弦楽と合唱団とがバラバラに音を出しまくっており、冒頭部から緊張感をなくす展開となった。

その東フィルの金管楽器陣は総崩れの状態と言って良い。バレエ公演で聴かれるような、音が抜けた場面はなかったのだろうけど、ただ音符を吹いているだけで、この「ランメルモールのルチア」に求められる響きを全く出しておらず、弦楽木管から浮きまくった不愉快な響きであり、一々気に障る響きである。出番の少ない第三幕ではそれほどでもなかったが、第一幕・第二幕では、金管楽器が登場するたびに私はイライラしまくっていた。

先月の「セヴィージャの理髪師」で、Gioachino Rossini と Marc Minkowski が求める響きを的確に出していた オーケストラ-アンサンブル-金沢 に遠く及ばない東フィルの金管楽器陣であり、今時、地方オケでさえも実現するアンサンブルを実現できない東フィルが、国を代表する歌劇場のオケピットに堂々と入っているのは、日本の恥であるとさえ思う。

もう一度、3月26日の公演に臨席する。立ち直りを期待したい。

2017年3月19日日曜日

新国立劇場バレエ団「ベートーヴェン-ソナタ」雑感

二度とも後方中央ブロックで観劇できたのは、本当に幸せな気持ちだった。二度観て良かったなと思える事は、一度見てるだけに、二回目で見えるものが見えてくる事である。一度目は、純舞踊的な要素で観て、二度目は物語を踏まえながら観劇出来た。

振り付けの中村恩恵さんは、三人の女性プリンシパルの特徴を捉え十二分に活かした振り付けを行なったように思える。

ジュリエッタ役の米沢唯ちゃんはテクニックを活かした踊りを披露しつつ「無邪気に、いつの間にかお乗り換え」♪

ベートーヴェンからガレンベルク伯爵役の木下嘉人さんの肩の上に乗って、拍手を受けてご結婚である♬

この過程があまりに無邪気で、何の罪の意識を感じていない無邪気さがいかに残虐なものであることを示した🎶🎶

ここは、わる〜い女の要素が全くない、どこまでもいい子ちゃんの米沢唯ちゃんだからこそ、その無邪気さが活きる。わる〜い女の本島美和りんだと、真実味がなくなるのだ!(←本島美和さんにこっぴどく怒られるぞ!!)

小野絢子さんは、ベートーヴェンと愛し合っているのに引き裂かれるアントニア役で、似合っているし、本島美和さんは「わる〜い女」役がハマりまくっている妖艶さで魅了される。

本当に三人のプリンシパルの特質を活かした中村恩恵さんの振り付けは凄い。

私のツボにハマったのは、op.59-3で家族が出てくる場面で、クスクス笑いまくっていた。全般的に観客の皆さん、真面目に観ていらっしゃったようだけど♪

終盤部での、op.132の曲想を活かした構成は素晴らしいと思えた。

来シーズンは新国立劇場バレエ団はこのような演目はない。残念でならない。

「ベートーヴェン-ソナタ」の再演を強く望むものである。

2017年3月11日土曜日

NDR Sinfonieorchester Hamburg, Krzysztof Urbański, Shoji Sayaka, Nagoya perfomance, (11th March 2017), review 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 名古屋公演 (2017年) 評

2017年3月11日 土曜日
Saturday 11th March 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Михаил Иванович Глинка / Mikhail Ivanovich Glinka: “Руслан и Людмила” / “Ruslan e Ludmilla” Ouverture
Сергей Сергеевич Прокофьев / Sergei Sergeevich Prokofiev: Concerto per violino e orchestra n.1 op.19
(休憩)
Antonín Leopold Dvořák: Sinfonia n.9 ‘Z nového světa’ op.95 B.178

violino: 庄司紗矢香 / Shoji Sayaka
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Krzysztof Urbański (指揮:クシシュトフ=ウルバンスキ)

北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2017年3月に日本ツアーを実施し、東京・仙台・名古屋・川崎・福岡・大阪にて演奏会を開催する。この評は、2017年3月11日名古屋公演に対するものである。なお、マトモな音響のホールで聴けるのは、この愛知県芸術劇場コンサートホールでの公演と、アクロス福岡での公演のみである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方下手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは中央後方の木管のすぐ上手側に付けた。ティンパニ他打楽器は中央最後方、ハープは上手側の位置につく。

着席位置は二階正面上手側、客の入りは8割程であろうか、三階席と二階バルコニー席の舞台真横に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、生理現象とはもうせ、咳が目立ったのは残念である。

一曲目の「ルスランとリュドミラ」序曲は音取りモードのため、ノーコメントだ。二曲目から本気モードとなる。

二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番のソリストは庄司紗矢香である。いつも通りの素晴らしい演奏だ。

もちろん、ソロ公演で上演される中小規模のホールで味わえる強い音圧を望むのは無理難題だけど、それでも、刹那刹那で求められる音色は説得力がある。熱狂ではなく、その曲が求めている音色を深く考え、高い技量で実現させていく方向性の演奏である。繊細さを求める路線は、指揮のウルバンスキと相性が良いと思われた。

ソリスト-アンコールは、J. S. Bach の無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第2番から、アンダンテであった。

後半は、ドヴォルジャークの交響曲第9番、いわゆる「新世界」交響曲である。メジャー中のメジャー作品で、正直余り気乗りはしない曲目であるが、いい意味で裏切られる。

総じて言うと、ウルバンスキが構築したガラス細工を、NDRの完璧な管弦楽(特に管楽)で構築する試みである。この試みは見事に結実したと言って良い。

第二楽章は本当に見事で、繊細さが活きまくる演奏だ。前半部にある、弦楽の弱奏で攻める箇所と、その箇所に至るまで承前起後の部分の繊細な扱い方には、感嘆させられる。ウルバンスキにより微細な点まで響きを組み立て、この場面に至るまでの過程は、驚くべき解釈だ。

随所に出てくる、長めに掛けるフェルマータやパウゼも、構成上のアクセントとなる。それにしても、あんなに長くフェルマータを掛けて、全くブレないNDRの管楽は驚異的である。曲の冒頭の溜めは観客の注意を惹き起こす。

一番大切な、第四楽章最後の部分(もちろん、曲の終結部だ)で、あれ程までのフェルマータを掛けるのは冒険的と言えるが、極めて安定した演奏で酔わせてくれる。ウルバンスキの要求に応えるには、あのレベルでないといけないのだから、管弦楽は大変だけど、見事に達成する。

熱狂路線では決してないし、大管弦楽の演奏にド迫力を求める向きとは正反対の路線だ。その路線の観客からは、否定的な感想が述べられるだろう。

しかし、Krzysztof Urbański は、極めて細部に渡ってよく考えられた解釈で、彼の個性を明確に示し、NDR 北ドイツ放送響は繊細な演奏でその高い技量を活かした。オーボエもクラリネットもファゴットもフルートもピッコロもホルンも、その高い技量があって初めて実現した演奏である。Bravi !!

アンコールは、ドヴォルジャークの「スラブ舞曲」第一集 第8番であった。

2017年2月19日日曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, Il Barbiere di Siviglia , the 386th Subscription Concert, review 第386回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2017年2月19日 日曜日
Sunday 19th February 2017
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
Gioachino Rossini: Il Barbiere di Siviglia (「セヴィージャの理髪師」)

Il Conte d'Almaviva: David Portillo
Don Bartolo: Carlo Lepore
Rosina: Serena Malfi
Figaro: Andrzej Filończyk
Don Basilio: 後藤春馬 / Goto Kazuma
Berta: 小泉詠子 / Koizumi Eiko
Fiorello: 駒田敏章 / Kodama Toshiaki
Ambrogio: 山本悠尋 / Yamamoto Yukihiro
Un ufficiale: 濱野杜輝 / Hamano Toki

Coro: 金沢ロッシーニ特別合唱団 / Kanazawa Rossini Special Chorus

Stage Director: Ivan Alexandre

orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
maestro del Coro: 辻博之 / Tsuji Hiroyuki
direttore: Marc Minkowski

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、指揮にマルク=ミンコフスキを迎えて、2017年2月19日に石川県立音楽堂で、第386回定期演奏会として、ロッシーニの歌劇「セヴィージャの理髪師」を演奏会形式にて上演した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は上手側の位置につく。

ピアノはフォルテピアノを用い、奏者が下手側を向くように上手側に配置し、蓋は取り外された。

着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは九割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好だった。

演奏について述べる。

全般的に歌い手も充実している。新国立劇場で有りがちな、過剰なヴィブラートを掛けて汚く歌う歌い手は、誰一人いない。特に Almaviva伯爵役の David Portillo、Rosina役のSerena Malfi、Bartolo役の Carlo Lepore は完璧である。また、外国人ゲストのみならず、Berta役の小泉詠子 / Koizumi Eiko も第二幕にある唯一の見せ場で素晴らしいソロを披露した。

第一幕では、アルマヴィーラ伯爵(David Portillo)がオルガンバルコニーにいるロジーナ(Serena Malfi)、に対し、ギターと共に歌う場面が、私にとっての白眉である。ベルタがロジーナを捕まえる展開でさえなければ、盛大なBraviが飛びまくったに違いない。

第一幕は素晴らしかったが、やはり第二幕は圧巻である。これは、ソリスト・合唱・管弦楽・指揮のマルクと全てががっしり組み合わさった結果である。

変声で変装しているアルマヴィーラ公爵役の David Portillo が仕掛けると、ロジーナ役 Serena Malfi が完璧な「無駄な用心」で答える。

第一幕が進行するに従って固さが取れた管弦楽 Orchestra Ensemble Kanazawa も、独特の音色を決めてくるなど、進行に連れどんどん冴え渡ってきて最良の響きを出す。この場面でこの響き、と Marc Minkowski が求めていたであろう響きは実現されているに違いない。 Marc の期待に大いに答えたであろう!

ピアノはフォルテピアノを用い、 Gioachino Rossini の時代を再現するなど、企画面でも完璧な配慮が為されている。プロレスのようなマイク-パフォーマンスをさせてもらうが、新国立劇場よ、飯守泰次郎よ、君らにピットにフォルテピアノを入れる根性はあるか?金沢では実現してんだぜ!と言うところである。

大き過ぎる東京の劇場・音楽堂では実現出来ない、大ホール部門では全世界で間違いなく三本の指に入る、1560席の石川県立音楽堂の優れた音楽堂だからこそ、可能なプロダクションである。劇場で再現するとしたら、1100席規模のチューリッヒ歌劇場(Opernhaus Zürich)でなければ不可能であろう。スタインウェイのピアノを入れるロッシーニなど、考えられない。著名大劇場の真似事をやって1814席もの巨大な新国立劇場を建設した当時の日本オペラ界の見識は、厳しく指弾されて然るべきである。

この、Orchestra Ensemble Kanazawa による、 Marc Minkowski 指揮による 'Il Barbiere di Siviglia ' の公演は、巨大な劇場や音楽堂志向によって見捨てられた音楽的価値を拾い上げるものである。この金沢に於ける公演の意義は、単に一つの演奏会形式による歌劇公演の成功に収まらない。日本の音楽史上でも意義のある公演であった。

#oekjp

2017年2月12日日曜日

Sato Shunsuke + Kosuge Yu + Lorenzo Coppola, recital, (12th February 2017), review 佐藤俊介 + 小菅優 + ロレンツォ=コッポラ トリオ 「20世紀の作品群」 松本公演 評

2017年2月12日 日曜日
Sunday 12th February 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Darius Milhaud: Suite per violino, clarinetto e pianoforte op.157b
Maurice Ravel: Sonata per violino e pianoforte
Alban Berg: Quattro pezzi per clarinetto e pianoforte op.5
(休憩)
Արամ Խաչատրյան / Арам Ильич Хачатурян / Aram Il'ich Khachaturian: Trio per clarinetto, violino e pianoforte
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: ‘L'Histoire du soldat’ 「兵士の物語」

violino: 佐藤俊介Sato Shunsuke
pianoforte: 小菅優 Kosuge Yu
clarinetto: Lorenzo Coppola

佐藤俊介、小菅優、ロレンツォ=コッポラの三人によるトリオは、2017年2月10日から12日に掛けて、盛岡市民文化ホール(岩手県盛岡市)、彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール(埼玉県与野市)、松本市音楽文化ホール(長野県松本市)にて、リサイタル「20世紀の作品群」を計3公演開催した。プログラムは全て同一である。

この評は、千秋楽2017年2月12日松本市音楽文化ホールでの公演に対する評である。

着席位置は後方正面やや上手側、観客の入りは約5割である。メジャーな作曲家でなく、室内楽であり、松本市周辺の人口規模を考慮すると、これだけ集まっただけでも良しとするしかないか?観客の鑑賞態度は、概ね良好だった。

この演奏会の曲目は、ミヨー・ラヴェル・ベルク・ハチャトゥリアン・ストラヴィンスキーと、20世紀の曲目のみで構成されている。いずれも、第一次世界大戦前後に作曲されている。

クラリネットは、フランス式(技巧的な曲を吹きやすくした)とヴィーン式(弱音器をつけたような音を出せるようにした)の両方を用いた。ヴィーン式はベルクに対してのみ用いている。

総じて、挑戦的な曲目のどの曲も繊細に神経を通わし、ホールの響きを味方につけた素晴らしい演奏である。

名手が揃えば、完成度の高い演奏となるのは、当然と言えば当然と言えるが、それでもこの松本市音楽文化ホールは響くホール故に響かせ方が難しく、どのように観客に対して音圧を掛けるかは精密な計算が必要かと思われる。この難しいホールで、どの場面でも、弱音の綺麗さや強音の力強さ、明るい場面と暗い場面、いずれも場面でも完璧な響きで表現する。曲の構成も奇を衒わず、正統的なアプローチで攻める方向性である。

私の勝手な個人的な注目ポイントは、ラヴェルのヴァイオリン-ソナタで第一楽章終盤の、佐藤俊介が奏でたノンヴィブラートのヴァイオリンの響きだ。透明感のある、ピンと張り詰める響きの完璧さは、やはりテンションが上がる。

アンコールは、第一曲目である、ミヨーの「ヴァイオリン、クラリネットとピアノのための組曲」作品157bより 第4曲〈序奏と終曲〉の終曲部であった。

2017年2月11日土曜日

The Fujiwara Opera, Opera ‘Carmen’ (2017) review 藤原歌劇団 歌劇「カルメン」 感想

2017年2月11日 土曜日
Saturday 11th February 2017
愛知県芸術劇場 (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater (Nagoya, Japan)

演目:
Georges Bizet: Opera ‘Carmen’
ジョルジュ=ビゼー 歌劇「カルメン」

Carmen: Милијана Николић / Milijana Nikolic
Don José: 笛田博昭 / Fueda Hiroaki
Escamillo: 王立夫 / Wang Lifu
Micaëla: 伊藤晴 / Ito Hare
Zuniga: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
Moralès: 押川浩士 / Oshikawa Hiroshi
Le Dancaïre: 安東玄人 / Ando Gento
Le Remendado: 狩野武 / Karino Takeshi
Frasquita: 平野雅世 / Hirano Masayo
Mercédès: 米谷朋子 / Maiya Tomoko

ballerini: 平富恵スペイン舞踊団 / Yoshie Taira Spanish Dance Company

Coro: Fujiwara Opera Chorus Group(合唱:藤原歌劇団合唱部)
Coro dei bambini: The Little Singers of Tokyo (児童合唱:東京少年少女合唱隊)

Production: 岩田達宗
Set design: 増田寿子
Costumes design: 半田悦子
Lighting design: 大島祐夫

orchestra: Aichi Chamber Orchestra (管弦楽:愛知室内オーケストラ)
maestro del Coro: 須藤桂司
direttore: 山田和樹 / Yamada Kazuki

藤原歌劇団 / 日本オペラ振興会は、2017年2月3日から11日までの日程で、山田和樹の指揮による歌劇「カルメン」を4公演開催する。この評は2017年2月11日に催された第四回目(千秋楽)の公演に対するものである。版はギロー版を用いており、同時期に新国立劇場で上演されたレチタティーヴォを用いた版とは異なるものとなる。

着席位置は一階正面ほぼ真ん中である。観客の入りは8割程か?観客の鑑賞態度は、一階席に於いては序曲演奏中の私語が目立った。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。第四幕では、ホセの暴力性とカルメンの意志の強さを強調したものであり、ホセに二回カルメンを刺させることにより、ホセの強い殺意を表現する点は素晴らしい。舞踊はフラメンコ舞踊団を用いている。

ソリストの出来について述べる。

断トツに素晴らしいのは、ホセ役の笛田博昭である。愛知県芸術劇場の巨大な空間を自由自在に操れる声量はもちろんのこと、控えめなヴィブラート故に声に伸びやかさが感じられ、また綺麗な声質であり、ホセの純情さを見事に表す。一方で、ストーカー殺人者と化した第四幕での説得力も不思議な程に強く、終始この上演をリードする。よくぞ日本に留まってくれていると感謝の念を禁じ得ない。

ミカエラ役の伊藤晴も素晴らしい。かなりの程度、愛知県芸術劇場の空間に対応し、第三幕に於ける、ここぞという場面での強声は絶大なる効果を発揮する。第一幕・第三幕でのホセとの二重唱も、笛田博昭と見事に対抗でき、観客の涙腺を潤ませる。

カルメン役の Милијана Николић / Milijana Nikolic は、ムラが目立つ。全ての場面で愛知県芸術劇場の巨大な空間を支配する声ではない。また、自然な演技と言うよりは作為的な箇所が目立ち、特に第一幕では下品そのものである。そりゃ、カルメンが品のある女ではないから、その路線はあるのかもしれないけれど。また、長音部にてヴィブラートが過剰と感じられる箇所もある。わざわざ外国からソリストを招聘する意味はあるのだろうか?

エスカミージョ役の王立夫は、見栄えはともかくとして、声に魅了させられる要素がなく、カルメンが心変わりする説得力が全くない。主要キャストとして選定される理由は感じられない。

その他の歌い手としては、フラスキータ役の平野雅世、ダンカイロ役かレメンダード役(または両方)は素晴らしい。メルセデス役の米谷朋子は、妙にカッコいい女性である♪

舞踊は、フラメンコ舞踊団である平富恵スペイン舞踊団が担当する。第二幕でお立ち台にで踊るのは平富恵であろうか、お美しい。私の席からは、舞台前方中央に出てきたカルメン役に視界が奪われてしまったが。フラメンコ独特の足音は、控えめに出すことについては許可が出されたのだろうか?通常のバレエによるほぼ無音の足音とは違う雰囲気である。

全般的に、第一幕では愛知県芸術劇場の空間に慣れていないアウェー感が強く感じられる。しらかわホールで演奏する機会が多い愛知室内オーケストラにとって、この巨大な空間はやはり難儀するのであろう。第一幕ではモヤモヤする響きが目立ったが、それでも進行に連れてしっかりと響かせ、歌い手とのコンビネーションも良くなっていく。歌い手の溜めを長めに取る傾向が強く、笛田博昭の絶好調な声と合わせ、的確なアクセントを与える。

ホセ役笛田博昭のリードと、これに応えたミカエラ役伊藤晴の二人の功績がなければどうなっていただろうと思わせる点はあるものの、巨大劇場の悪条件の中で、一定の成果を挙げた公演であった。

なお、特筆すべき事柄として、第四幕の「知事のお出まし」の場面で、大村秀章 愛知県知事がサプライズ出演する。選挙間近でなかれば、こういうパフォーマンスは今の時代だからこそ大事になってきている。文化芸術に対する国(連邦)政府・地方自治体の責務を放棄しようとするポピュリズム政治屋が出現している今(例:トランプ米国大統領・橋下徹・松井一郎 大阪府知事)、オペラ公演へのサプライズ出演により、「愛知県は文化芸術を全県を挙げて支援する」というメッセージを発し、コミットメントを示した 大村秀章 愛知県知事 に敬意を表したい。

(お断り:団体名に用いている個人名について、英語表記は名姓順に表記している。その団体が用いている表記を採用したためであり、ラテン文字表記による日本人表記は姓名順であるべきとの私の考えを変更したものではない)