2015年6月6日 土曜日
Saturday 6th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Antonín Dvořák: ouverture da concerto “Carnevale” op.92 B.169 (序曲「謝肉祭」)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
violino: Arabella Steinbacher (ヴァイオリン:アラベラ=シュタインバッハー)
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Thomas Hengelbrock(指揮:トーマス=ヘンゲルブロック)
北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2015年5月から6月に掛けてアジア-ツアーを実施し、ソウル・北京・上海・大阪・東京・名古屋にて演奏会を開催した。この評は、アジア-ツアー最終公演である2015年6月6日名古屋公演に対するものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方(上手側)につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。
着席位置は二階正面上手側、客の入りは6割程であろうか、三階席はもちろんのこと、一階席中央の席でさえも空席がある始末、梶本音楽事務所は、どんな切符の売り方をしているのだろう。先行発売初日でさえ、第一希望の席は売られていないと梶本音楽事務所の電話口の女性は話していたのだけれど。後半だけ聴きに来る遅刻者が多かった印象もある。
第一曲目の、ドヴォルジャーク序曲「謝肉祭」は、個々の演奏はいいように思える所もあるし、後半は良かったけど、アウェイ感が満載ではある。どうも管弦楽全体として噛み合っていない点があり、愛知県芸術劇場の音響に馴染んでいないような感じがある。
第二曲目の、メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲、ソリストはアラベラ=シュタインバッハであるが、一言で言うと子守唄だ。技術的に破綻しているとは思えないし、繊細と言えば繊細だし、優しい演奏と言えばその通りなのだろうけど、前衛性は全くなく、単に楽譜通りに弾いているだけで、アラベラ独自のパッションはなく、個性がない演奏である。何らのサプライズもなく、そのような演奏を国外ツアーでやる意義はない。管弦楽は、必ずしも音量が大きい訳ではないアラベラを盛り立てるべく、バランスを絶妙に取り、弱い響きであるがよく通り、かつアラベラのソロをかき消さないよう、細心の注意を払って演奏する。アラベラ=シュタインバッハーは、このような献身的な北ドイツ放送交響楽団の演奏に応えなかった。
後半は、Beethovenの第七交響曲である。全般的に、トーマス=ヘンゲルブロックは極めて凡庸な指揮者で、前衛性の欠片もなく、因習的な演奏に終始した。因習的な演奏にピリオドチックな味付けをしただけで、面白みは全くない。この解釈の指揮なら、三流指揮者でもやれるレベルで、ポジティブな評価ができない。
それでも第二楽章冒頭の、ヴィオラ+チェロの音色だけは、ヘンゲルブロックの個性が出ていた。
北ドイツ放送交響楽団の管弦楽のレベルは高く、木管・金管とも上手だ。一箇所不用意な音が出たのは、見逃すに値する。全般的には安定しており、さすがドイツの名のある交響楽団だ。
それだけに、卓越した技量を有する北ドイツ放送交響楽団の管弦楽を活かせない、トーマス=ヘンゲルブロックに対する欲求不満が爆発しそうである。ヘンゲルブロックとシュタインバッハーは、平凡な解釈をする者同志で、お似合いだった。梶本音楽事務所から刺客が放たれるとしても、私にとっては事実なのだから、述べるしかない。
今日のBeethoven第七交響曲を聴く限り、ヘンゲルブロックは、およそ古楽系・ピリオド系の指揮者だとは思えない。躍動感と言うか、ヴィヴィッドな感覚も鋭さも欠如している。第一・第三楽章のモサッとした演奏には苛立ちを覚える。第四楽章も速めのテンポだが、緩急の付け方が緩慢なのか、単に速く演奏しているだけで、ちっとも面白くない。ヘンゲルブロックなりに色々考えてはいるのだろうけど、やはりどこか構成力に難点があるのだと考えざるを得ない。
シュタインバッハーのソリスト-アンコールは、クライスラーのカプリチオ op.6-1 レチタティーヴォとスケルツォ、アンコールはブラームスのマジャール舞曲第5番だった。
2015年6月6日土曜日
2015年5月23日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 424th Subscription Concert, review 第424回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2015年5月23日 土曜日
Saturday 23nd May 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Felix Mendelssohn Bartholdy: Ouverture da concerto in re maggiore per orchestra “Calma di mare e viaggio felice” op.27(演奏会用序曲:静かな海と
楽しい航海)
Gondai Atsuhiko (権代敦彦): Berceuse(子守歌)
(休憩)
Robert Alexander Schumann: Sinfonia n. 3
mezzo soprano: Fujii Miyuki (藤井美雪)
pianoforte: Noda Kiyotaka (野田清隆)
Coro dei bambini: Nagoya Children's Choir (児童合唱:名古屋少年少女合唱団)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Kawase Kentaro(川瀬賢太郎)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月23日・24日に愛知県芸術劇場で、第424回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。管打楽はホルンを含めて後方中央の位置に着く。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは9割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、極めて良好で権代敦彦の「子守歌」の後での静寂も完璧に守られた。
二曲目の、権代敦彦作の「子守歌」は、誰が上手だとか、そう言う次元で分析する曲ではない。強いて言えば、児童合唱が効いたのか。管弦楽が奏でる旋律に乗る箇所はあったのだろうか?管弦楽の助けが得られない故に、高度な自律性を要し、バラバラに声を発する箇所もあり、明らかに難曲だったが、名古屋少年少女合唱団は見事に表現した。この曲は合唱の役割が大きいが、十二分に果たしている。
もちろん児童合唱だけでなく、全ての出演者が高い士気をもって演奏する。ソリスト・合唱・管弦楽が三位一体となって、噛み合っている。
安直な表現ではあるが、涙腺が決壊しそうになる表現で、演奏中「子守歌」の題名は全く意識しなかった。単に娘を学校で殺された一つの悲劇だけではない、どこか普遍性を帯びる性格を有している。これをどう言語化する術はないが、誰かの親で無ければ、入り込めない世界では、決してなかった。
繊細に響きをコントロールさせて演奏が終わった後の静寂も守られたのは幸せな事であった。指揮者の合図があるまで反応を示さない、当たり前な事が、どれだけ素晴らしい結末を迎えるのか、改めて実感する。
現代音楽かつ暗いテーマのこの曲を取り上げるのは、興行面では冒険だったとは思うが、この曲を演奏したこと自体が快挙であり、このような高い水準での演奏を実現した事が驚異である。この「子守歌」を取り上げた名フィルの企画力に感謝の言葉しかない。
後半は、シューマンの交響曲第3番、グスタフ=マーラーの編曲によるものとのことだ。全般的に各楽章とも、小さく始まり、大きくパッションを伴いながら終わる形である。響きは管楽優位に感じられた。
Saturday 23nd May 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Felix Mendelssohn Bartholdy: Ouverture da concerto in re maggiore per orchestra “Calma di mare e viaggio felice” op.27(演奏会用序曲:静かな海と
楽しい航海)
Gondai Atsuhiko (権代敦彦): Berceuse(子守歌)
(休憩)
Robert Alexander Schumann: Sinfonia n. 3
mezzo soprano: Fujii Miyuki (藤井美雪)
pianoforte: Noda Kiyotaka (野田清隆)
Coro dei bambini: Nagoya Children's Choir (児童合唱:名古屋少年少女合唱団)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Kawase Kentaro(川瀬賢太郎)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月23日・24日に愛知県芸術劇場で、第424回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。管打楽はホルンを含めて後方中央の位置に着く。
着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは9割程であろうか、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、極めて良好で権代敦彦の「子守歌」の後での静寂も完璧に守られた。
二曲目の、権代敦彦作の「子守歌」は、誰が上手だとか、そう言う次元で分析する曲ではない。強いて言えば、児童合唱が効いたのか。管弦楽が奏でる旋律に乗る箇所はあったのだろうか?管弦楽の助けが得られない故に、高度な自律性を要し、バラバラに声を発する箇所もあり、明らかに難曲だったが、名古屋少年少女合唱団は見事に表現した。この曲は合唱の役割が大きいが、十二分に果たしている。
もちろん児童合唱だけでなく、全ての出演者が高い士気をもって演奏する。ソリスト・合唱・管弦楽が三位一体となって、噛み合っている。
安直な表現ではあるが、涙腺が決壊しそうになる表現で、演奏中「子守歌」の題名は全く意識しなかった。単に娘を学校で殺された一つの悲劇だけではない、どこか普遍性を帯びる性格を有している。これをどう言語化する術はないが、誰かの親で無ければ、入り込めない世界では、決してなかった。
繊細に響きをコントロールさせて演奏が終わった後の静寂も守られたのは幸せな事であった。指揮者の合図があるまで反応を示さない、当たり前な事が、どれだけ素晴らしい結末を迎えるのか、改めて実感する。
現代音楽かつ暗いテーマのこの曲を取り上げるのは、興行面では冒険だったとは思うが、この曲を演奏したこと自体が快挙であり、このような高い水準での演奏を実現した事が驚異である。この「子守歌」を取り上げた名フィルの企画力に感謝の言葉しかない。
後半は、シューマンの交響曲第3番、グスタフ=マーラーの編曲によるものとのことだ。全般的に各楽章とも、小さく始まり、大きくパッションを伴いながら終わる形である。響きは管楽優位に感じられた。
2015年5月17日日曜日
Mahler Chamber Orchestra, Leif Ove Andsnes, Tokyo performance (17th May 2015), review マーラー室内管弦楽団+レイフ=オヴェ=アンスネス 東京公演(2015年5月17日) 評
2015年5月17日 日曜日
Sunday 17th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.1 op.15
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.5 op.73
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
レイフ=オヴェ=アンスネスのピアノは、正面にピアノを舞台後方に向けて置かれ、蓋は取り外されている。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割程の入りで、一階後方上手側に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
前半はピアノ協奏曲第1番。第三楽章が面白い。また、木管が素晴らしい技量で盛り上げていた。
後半はピアノ協奏曲第5番。かなりピアノ優位の構成でテンポの変動を大きくつけている。管弦楽は控えめな表現であるが、弱音が綺麗である。変わり者のあきらにゃん のムフフポイントは、第三楽章で、下手側ホルン→上手側金管→その両方が合わさって絶妙なブレンドが得られた箇所と、その後で同じように精緻に弦楽が音を合わせてブレンドさせた箇所である。
アンコールは全てBeethovenの作品で、一般参賀の後に一曲加わり、計三曲となった。
一曲目は、ピアノ-ソナタ第18番第三楽章。二曲目は「12のドイツ舞曲」で、ここでも管弦楽の絶妙にブレンドされた弦楽の音色が聴けた。アンスネスはなんとタンバリンを叩いたが、素晴らしい出来だ。ここで客電もついて管弦楽が引き揚げたが、鳴り止まない拍手に応え、アンスネスのソロでバガテルを演奏し、演奏会を終了した。
15・17日の二回の演奏会によりBeethovenピアノ協奏曲全曲演奏会を構成したが、曲レベルで一番素晴らしかったのは第3番、楽章レベルでは第4番第二楽章であった。
チクルスものは、無謀な日程が組まれ、高い水準の演奏を構築出来ないまま演奏会に臨まざるを得ない事例もあるが、今回に関しては、そのような負の要素が避けられた。
今回のチクルスは、全般的に水準の高い演奏であったが、その成功の要因は以下の6つに集約されるだろう。
1. アンスネスのピアノ技量の確実さ
2. アンスネスの驚異的な体力
3. MCOの世界トップレベルの技量・自発性
4. 二回の演奏会で収まる内容であったこと
5. タケミツメモリアルの音響の素晴らしさ。特に第4番第二楽章では、この残響の美しさが効いた。
6. 既に何回も演奏されている内容であり、高水準の演奏が完成されており、アップデートでさらに水準を上げるのみの状態であったこと。
成功は始めから約束されていた。企画段階での吟味がいかに大切かを、改めて認識した、Beethovenピアノ協奏曲チクルスであった。
Sunday 17th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.1 op.15
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.5 op.73
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
レイフ=オヴェ=アンスネスのピアノは、正面にピアノを舞台後方に向けて置かれ、蓋は取り外されている。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割程の入りで、一階後方上手側に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
前半はピアノ協奏曲第1番。第三楽章が面白い。また、木管が素晴らしい技量で盛り上げていた。
後半はピアノ協奏曲第5番。かなりピアノ優位の構成でテンポの変動を大きくつけている。管弦楽は控えめな表現であるが、弱音が綺麗である。変わり者のあきらにゃん のムフフポイントは、第三楽章で、下手側ホルン→上手側金管→その両方が合わさって絶妙なブレンドが得られた箇所と、その後で同じように精緻に弦楽が音を合わせてブレンドさせた箇所である。
アンコールは全てBeethovenの作品で、一般参賀の後に一曲加わり、計三曲となった。
一曲目は、ピアノ-ソナタ第18番第三楽章。二曲目は「12のドイツ舞曲」で、ここでも管弦楽の絶妙にブレンドされた弦楽の音色が聴けた。アンスネスはなんとタンバリンを叩いたが、素晴らしい出来だ。ここで客電もついて管弦楽が引き揚げたが、鳴り止まない拍手に応え、アンスネスのソロでバガテルを演奏し、演奏会を終了した。
15・17日の二回の演奏会によりBeethovenピアノ協奏曲全曲演奏会を構成したが、曲レベルで一番素晴らしかったのは第3番、楽章レベルでは第4番第二楽章であった。
チクルスものは、無謀な日程が組まれ、高い水準の演奏を構築出来ないまま演奏会に臨まざるを得ない事例もあるが、今回に関しては、そのような負の要素が避けられた。
今回のチクルスは、全般的に水準の高い演奏であったが、その成功の要因は以下の6つに集約されるだろう。
1. アンスネスのピアノ技量の確実さ
2. アンスネスの驚異的な体力
3. MCOの世界トップレベルの技量・自発性
4. 二回の演奏会で収まる内容であったこと
5. タケミツメモリアルの音響の素晴らしさ。特に第4番第二楽章では、この残響の美しさが効いた。
6. 既に何回も演奏されている内容であり、高水準の演奏が完成されており、アップデートでさらに水準を上げるのみの状態であったこと。
成功は始めから約束されていた。企画段階での吟味がいかに大切かを、改めて認識した、Beethovenピアノ協奏曲チクルスであった。
2015年5月16日土曜日
Miyazaki International Music Festival Orchestra, Pinchas Zukerman, Amanda Forsyth, the 20th Miyazaki International Music Festival Concert (16th May 2015), review 宮崎国際音楽祭管弦楽団 ピンカス=ズッカーマン アマンダ=フォーサイス 第20回宮崎国際音楽祭 演奏会4 評
2015年5月16日 土曜日
Saturday 16th May 2015
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
Miyazaki Prefectural Arts Center (Miyazaki, Japan)
曲目:
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Mélodie (Souvenir d'un lieu cher op.42) (チャイコフスキー:メロディー 「懐かしい土地の想い出)より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Andante cantabile (Quartetto per archi n.1 op.11) (チャイコフスキー:アンダンテ-カンタービレ 弦楽四重奏曲第1番より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Notturno (6 pezzi op.19) (チャイコフスキー:夜想曲 「6つの小品」より)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64 (チャイコフスキー:交響曲第5番)
violino: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン)
violoncello: Amanda Forsyth(ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス)
orchestra: Miyazaki International Music Festival Orchestra(宮崎国際音楽祭管弦楽団)
direttore: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (指揮:ピンカス=ズッカーマン)
第20回宮崎国際音楽祭は、2015年4月29日から5月17日まで開催され、5つのメインプログラムとその他の演奏会により構成されている。この評の演奏会は、2015年5月16日に開催された「メインプログラム4」である。ヴァイオリン・指揮は、ここ最近恒例のピンカス=ズッカーマンが担当する。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ホルンは正面後方、ホルン以外の金管パートは後方上手側、ティンパニは後方正面わずかに下手側の位置につく。
前半はチャイコフスキーの小品集、メロディはズッカーマンのソロ、アンダンテ-カンタービレと夜想曲はフォーサイスのソロだ。どの曲も、ソリストだけでなく、管弦楽全体で弱音を繊細に響かせる。ズッカーマン・フォーサイス夫妻のソリストはもちろんの事、バックの管弦楽が非常によく考えている演奏だ。
後半はチャイコフスキーの第五交響曲。弦楽があまりにも素晴らし過ぎる。この宮崎で産み出された独特の音色で豊かなニュアンスを付けてうねらせつつ、パッションを込めて精緻さも保って圧倒していく、最も理想的な響きの形態を実現させる。ズッカーマンは音色を重視し、どのような音色を見つけ出すのか、弦楽奏者に発見させるべく追い込んだのだろうか?経験が浅い若手奏者もいる臨時編成の弦楽とは思えない徹底ぶりと精緻さは驚異である。やはり音色だ。第二楽章後半部では感極まりそうになるほどである。
チャイ5は、暴論承知で言えば、やはり弦楽が全てである。弦楽さえしっかりしていれば、管にアラがあったとしても成立する。臨時構成のオケであるが、弦楽は若手奏者に至るまで何をしたいのかが極めて明確だった。歴史ある管弦楽団でもあの音色は出せないだろう。あるいは、逆に歴史がない臨時編成のオケだからこそ出せたのだろうか。
アンコールは、ブラームスの「五つのリート」より「子守歌」を、ズッカーマンがヴァイオリン奏者から楽器を借りてソロで演奏し、サヨナラと言って演奏会を閉じた。
Saturday 16th May 2015
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
Miyazaki Prefectural Arts Center (Miyazaki, Japan)
曲目:
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Mélodie (Souvenir d'un lieu cher op.42) (チャイコフスキー:メロディー 「懐かしい土地の想い出)より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Andante cantabile (Quartetto per archi n.1 op.11) (チャイコフスキー:アンダンテ-カンタービレ 弦楽四重奏曲第1番より)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Notturno (6 pezzi op.19) (チャイコフスキー:夜想曲 「6つの小品」より)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64 (チャイコフスキー:交響曲第5番)
violino: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (ヴァイオリン:ピンカス=ズッカーマン)
violoncello: Amanda Forsyth(ヴァイオリン-チェロ:アマンダ=フォーサイス)
orchestra: Miyazaki International Music Festival Orchestra(宮崎国際音楽祭管弦楽団)
direttore: צוקרמן פנחס / Pinchas Zukerman (指揮:ピンカス=ズッカーマン)
第20回宮崎国際音楽祭は、2015年4月29日から5月17日まで開催され、5つのメインプログラムとその他の演奏会により構成されている。この評の演奏会は、2015年5月16日に開催された「メインプログラム4」である。ヴァイオリン・指揮は、ここ最近恒例のピンカス=ズッカーマンが担当する。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ホルンは正面後方、ホルン以外の金管パートは後方上手側、ティンパニは後方正面わずかに下手側の位置につく。
前半はチャイコフスキーの小品集、メロディはズッカーマンのソロ、アンダンテ-カンタービレと夜想曲はフォーサイスのソロだ。どの曲も、ソリストだけでなく、管弦楽全体で弱音を繊細に響かせる。ズッカーマン・フォーサイス夫妻のソリストはもちろんの事、バックの管弦楽が非常によく考えている演奏だ。
後半はチャイコフスキーの第五交響曲。弦楽があまりにも素晴らし過ぎる。この宮崎で産み出された独特の音色で豊かなニュアンスを付けてうねらせつつ、パッションを込めて精緻さも保って圧倒していく、最も理想的な響きの形態を実現させる。ズッカーマンは音色を重視し、どのような音色を見つけ出すのか、弦楽奏者に発見させるべく追い込んだのだろうか?経験が浅い若手奏者もいる臨時編成の弦楽とは思えない徹底ぶりと精緻さは驚異である。やはり音色だ。第二楽章後半部では感極まりそうになるほどである。
チャイ5は、暴論承知で言えば、やはり弦楽が全てである。弦楽さえしっかりしていれば、管にアラがあったとしても成立する。臨時構成のオケであるが、弦楽は若手奏者に至るまで何をしたいのかが極めて明確だった。歴史ある管弦楽団でもあの音色は出せないだろう。あるいは、逆に歴史がない臨時編成のオケだからこそ出せたのだろうか。
アンコールは、ブラームスの「五つのリート」より「子守歌」を、ズッカーマンがヴァイオリン奏者から楽器を借りてソロで演奏し、サヨナラと言って演奏会を閉じた。
2015年5月15日金曜日
Mahler Chamber Orchestra, Leif Ove Andsnes, Tokyo performance (15th May 2015), review マーラー室内管弦楽団+レイフ=オヴェ=アンスネス 東京公演(2015年5月15日) 評
2015年5月15日 金曜日
Friday 15th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.19
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.3 op.37
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.4 op.58
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割ほど、一階席後部に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、第四番終了時にフライング-ブラヴォーがあった。
前半はピアノ協奏曲第2・3番。アンスネスのピアノは、繊細でニュアンスに富んでいて、響きも綺麗で最高の出来だ。マーラー室内管も素晴らしい。どこでどのように演奏するべきか、全員が心得ている。全ての響きがこうあるべき所にバシッと決まる。
変わり者の あきらにゃん のムフフポイントは、第2番第三楽章の、ヴィオラ→第二Vn→第一Vn→ピアノと繋げる所♪随所でそう言った繋ぎの上手さを感じたなあ。第3番終盤のティンパニの鋭い響きも良いアクセントだった。あそこだけだから効果的に決まったかな♪
後半は、ピアノ協奏曲第4番。誰がなんと言おうと、白眉は第二楽章である!繊細なアンスネスのピアノと、そのピアノを圧倒しようとする弦楽、しかしその弦楽も精緻で、ピアノもなぜかよく通る響きなのだ。その不思議な聖チェチーリアに祝福された空間よ!
変わり者の あきらにゃん的ムフフポイントは、第一楽章序盤の、弦楽セクションが出した、ニュアンスとパッション溢れる最高音であります。全員が名手だから、あのような響きが出せるのだな。
全般的には、前半(2・3番)の方が良い出来だった。特に3番は、繊細さ・ニュアンス共に抜群に活きていた。
日曜日(17日)は1番と5番を聴きに行きます。
Friday 15th May 2015
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
Tokyo Opera City Concert Hall: Takemitsu Memorial (Tokyo, Japan)
曲目:
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.19
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.3 op.37
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.4 op.58
pianoforte: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: Leif Ove Andsnes (レイフ=オヴェ=アンスネス)
マーラー室内管弦楽団は、2015年5月3日から17日までアジアツアーを行い、香港・台北・台南(中華民国)・上海・高陽(ソウル近郊)・静岡・東京にて計9公演の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮はレイフ=オヴェ=アンスネスである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側位置につく。ティンパニは小さく鋭い音のするタイプである。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは九割ほど、一階席後部に空席が目立った。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、第四番終了時にフライング-ブラヴォーがあった。
前半はピアノ協奏曲第2・3番。アンスネスのピアノは、繊細でニュアンスに富んでいて、響きも綺麗で最高の出来だ。マーラー室内管も素晴らしい。どこでどのように演奏するべきか、全員が心得ている。全ての響きがこうあるべき所にバシッと決まる。
変わり者の あきらにゃん のムフフポイントは、第2番第三楽章の、ヴィオラ→第二Vn→第一Vn→ピアノと繋げる所♪随所でそう言った繋ぎの上手さを感じたなあ。第3番終盤のティンパニの鋭い響きも良いアクセントだった。あそこだけだから効果的に決まったかな♪
後半は、ピアノ協奏曲第4番。誰がなんと言おうと、白眉は第二楽章である!繊細なアンスネスのピアノと、そのピアノを圧倒しようとする弦楽、しかしその弦楽も精緻で、ピアノもなぜかよく通る響きなのだ。その不思議な聖チェチーリアに祝福された空間よ!
変わり者の あきらにゃん的ムフフポイントは、第一楽章序盤の、弦楽セクションが出した、ニュアンスとパッション溢れる最高音であります。全員が名手だから、あのような響きが出せるのだな。
全般的には、前半(2・3番)の方が良い出来だった。特に3番は、繊細さ・ニュアンス共に抜群に活きていた。
日曜日(17日)は1番と5番を聴きに行きます。
2015年5月4日月曜日
Tokyo Philharmonic Orchestra, Cheong Myeonghun, Karuizawa Ohga Hall the 10th Anniversary Concert (4th May 2015), review 東京フィルハーモニー交響楽団 軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会 評
2015年5月4日 月曜日
Monday 4th May 2015
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
Karuizawa Ohga Hall (Karuizawa, Nagano prefecture, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.23 K488
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
pianoforte: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra(東京フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
東京フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月4日に軽井沢大賀ホールで、軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会を開催した。指揮・ピアノは、鄭明勳(チョン=ミョンフン)である。このプログラムでの演奏会は、「ラ-フォル-ジュルネ金沢」にも持ち込まれ、2015年5月5日に石川県立音楽堂でも演奏される。
着席位置は一階正面後方中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
冒頭からアンコールがあり、モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」をミョンフンのピアノソロであった。
モーツァルトのピアノ協奏曲23番では、ピアノを上手側後方に斜めに向け、ピアノの蓋は取らずに通常のまま開いた形態である。その周りに半円状に、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→管楽器と囲んでいる。コントラバスは、下手側後方に位置する。
今日はピアノ・管弦楽とも端正に響き、生々しさを感じさせず、綺麗に響いている。デッドな響きの感覚がしないのは、不思議だ。モーツァルトの曲想を活かし、古典派ならではの興奮度を意図した演奏ではあるが、第一楽章で演奏し直しのアクシデントがあった。原因は不明である。その箇所は、長い文脈を経て最高音に達する途中の白眉の箇所であり、ぶつ切り状態となってしまったのは残念である。管楽は、やや大管弦楽のノリっぽい。第三楽章後半部はパッションが込められ、素晴らしい出来である。
ソリストアンコールがここで二曲あり、シューマンの「アラベスク」とBeethoven の「エリーゼのために」である。「エリーゼのために」は大賀緑さんへのラブレターとして捧げられたが、今日のピアノ-ソロの中では一番いい出来である。
Beethovenの第7交響曲の管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスは最上手側を占める。木管・金管パートは後方、ティンパニは後方上手側にズラした位置につく。
第二〜第四楽章まで、私の好みそのまま!きっちり計算され尽くされて、興奮に導かれた感じである。中程度に効かせたテンポの変動の巧みさ、長いフェルマータ、金管のソロの強調などが特徴となるか。緊張感を失わない第二楽章、第三楽章ではA-B-AのAの部分を速く快活にし、Bの部分をかなり遅くしじっくり聴かせる対比が面白い。弦管打きちっと噛み合い、全体的な構成もしっかりしている。終了間近の追い込みの箇所も、見事に実現した。
今日の東フィルは、本当に響きが綺麗である。軽井沢大賀ホールを一番美しく響かせる演奏だ。明日5月5日に、金沢市にある石川県立音楽堂でもBeethovenの7番が演奏される。期待して欲しい!
Monday 4th May 2015
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
Karuizawa Ohga Hall (Karuizawa, Nagano prefecture, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.23 K488
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92
pianoforte: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra(東京フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 鄭明勳(Cheong Myeonghun/チョン=ミョンフン)
東京フィルハーモニー交響楽団は、2015年5月4日に軽井沢大賀ホールで、軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会を開催した。指揮・ピアノは、鄭明勳(チョン=ミョンフン)である。このプログラムでの演奏会は、「ラ-フォル-ジュルネ金沢」にも持ち込まれ、2015年5月5日に石川県立音楽堂でも演奏される。
着席位置は一階正面後方中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
冒頭からアンコールがあり、モーツァルトの「キラキラ星変奏曲」をミョンフンのピアノソロであった。
モーツァルトのピアノ協奏曲23番では、ピアノを上手側後方に斜めに向け、ピアノの蓋は取らずに通常のまま開いた形態である。その周りに半円状に、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→管楽器と囲んでいる。コントラバスは、下手側後方に位置する。
今日はピアノ・管弦楽とも端正に響き、生々しさを感じさせず、綺麗に響いている。デッドな響きの感覚がしないのは、不思議だ。モーツァルトの曲想を活かし、古典派ならではの興奮度を意図した演奏ではあるが、第一楽章で演奏し直しのアクシデントがあった。原因は不明である。その箇所は、長い文脈を経て最高音に達する途中の白眉の箇所であり、ぶつ切り状態となってしまったのは残念である。管楽は、やや大管弦楽のノリっぽい。第三楽章後半部はパッションが込められ、素晴らしい出来である。
ソリストアンコールがここで二曲あり、シューマンの「アラベスク」とBeethoven の「エリーゼのために」である。「エリーゼのために」は大賀緑さんへのラブレターとして捧げられたが、今日のピアノ-ソロの中では一番いい出来である。
Beethovenの第7交響曲の管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスは最上手側を占める。木管・金管パートは後方、ティンパニは後方上手側にズラした位置につく。
第二〜第四楽章まで、私の好みそのまま!きっちり計算され尽くされて、興奮に導かれた感じである。中程度に効かせたテンポの変動の巧みさ、長いフェルマータ、金管のソロの強調などが特徴となるか。緊張感を失わない第二楽章、第三楽章ではA-B-AのAの部分を速く快活にし、Bの部分をかなり遅くしじっくり聴かせる対比が面白い。弦管打きちっと噛み合い、全体的な構成もしっかりしている。終了間近の追い込みの箇所も、見事に実現した。
今日の東フィルは、本当に響きが綺麗である。軽井沢大賀ホールを一番美しく響かせる演奏だ。明日5月5日に、金沢市にある石川県立音楽堂でもBeethovenの7番が演奏される。期待して欲しい!
2015年4月29日水曜日
Tokyo Philharmonic Orchestra, Andrea Battistoni, Karuizawa Ohga Hall the 10th Anniversary Concert (29th April 2015), review 東京フィルハーモニー交響楽団 軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会 評
2015年4月29日 水曜日
Wednesday 29th April 2015
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
Karuizawa Ohga Hall (Karuizawa, Nagano prefecture, Japan)
曲目:
Georges Bizet: L'Arlésienne, Suite n.1 e n.2(アルルの女、第一・第二組曲)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra(東京フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Andrea Battistoni (アンドレア=バッティストーニ)
東京フィルハーモニー交響楽団は、2015年4月29日に軽井沢大賀ホールで、軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会を開催した。指揮は、この四月に首席客演指揮者に就任したばかりのアンドレア=バッティストーニであり、就任後初の演奏会となる。このプログラムでの演奏会は、この軽井沢大賀ホールに於ける演奏会のみであり、東京を含め他の演奏会はない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスは最上手側を占める。木管パート・ホルン以外の金管パートは後方中央、ホルン・ハープ・パーカッションは後方下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方中央、ほぼ満席である。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
前半の「アルルの女」組曲について、第一組曲の出来は良いとは言えない。第一楽章から響きの一体感が十分ではない。個々の楽器の演奏は良く響いていても、管弦楽全体としての響きがバラバラで、どの楽器を際立たせたいのか、その意図が不明だった。また、軽井沢大賀ホールのデッドな響きに苦しめられていた。弦楽が強く弾けば生々しい響きになるし、弱く弾くと他の楽器にかき消されてしまい、ホールの響きを味方につける事が出来ない。大賀典雄は、松本市音楽文化ホールのような豊かな残響を嫌っていたのだと思う。直撃音がきちんと来ることは想定しているが、柔らかく艶のある響きには決してならない。
しかしながら、第二組曲では管弦楽全体としての響きが統一性を持ち始めた。第四楽章は圧巻の出来である。
後半はチャイコフスキーの交響曲第五番だ。冒頭部から全てが噛み合い、完成度の高い演奏を予感させる。木管のソロも美しく響き、これを支える他楽器の支援も考えられている。バッティストーニのテンポの変動は、実はさりげないけど、その加減が絶妙だ。全般的に速めで躍動感に満ちているので、テンポの変動をやり過ぎる必要がないのだろう。大胆なテンポの変動は、曲の終了部のみである。なので、決してやり過ぎにはならない。管弦楽がついていくのは大変だろうが、見事にバッティストーニの意図を反映させていく。
私がゾクゾクしたのは、第四楽章冒頭の、高音弦から低音弦への受け渡しの箇所である。繊細に攻めるべきところは繊細に攻めている。第四楽章で弦管打がこれほどまで噛み合った演奏はなかなか聴けない。スリル感・ワイルド感溢れる響きだが、決して崩壊せず緊張感を保っている。ソリスティックな演奏箇所の見事さや、金管楽器の威力に頼らない演奏でもあるが、やはり弦楽がしっかりしているからであろう。弦楽が吠えることができるからこそ、木管・金管も活きてくるのだと思う。
アンコールはチャイコフスキーの弦楽セレナーデから第二楽章と、プログラムにもある「アルルの女」第二組曲第四楽章である。弦楽セレナーデでは弦楽の繊細さをアピールし、ファランドールでは弦管打全体での躍動感ある響きで華やかに終了する。
軽井沢大賀ホールはデッドな響きで艶はなく、ナマナマしく響き、私にとって決して好きな響きのホールではないが、「アルルの女」第一組曲を除いては、小容積の中規模ホールならではの密度ある響きを活かした演奏会であった。
Wednesday 29th April 2015
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
Karuizawa Ohga Hall (Karuizawa, Nagano prefecture, Japan)
曲目:
Georges Bizet: L'Arlésienne, Suite n.1 e n.2(アルルの女、第一・第二組曲)
(休憩)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Sinfonia n.5 op.64
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra(東京フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Andrea Battistoni (アンドレア=バッティストーニ)
東京フィルハーモニー交響楽団は、2015年4月29日に軽井沢大賀ホールで、軽井沢大賀ホール開館10周年記念演奏会を開催した。指揮は、この四月に首席客演指揮者に就任したばかりのアンドレア=バッティストーニであり、就任後初の演奏会となる。このプログラムでの演奏会は、この軽井沢大賀ホールに於ける演奏会のみであり、東京を含め他の演奏会はない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスは最上手側を占める。木管パート・ホルン以外の金管パートは後方中央、ホルン・ハープ・パーカッションは後方下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方中央、ほぼ満席である。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
前半の「アルルの女」組曲について、第一組曲の出来は良いとは言えない。第一楽章から響きの一体感が十分ではない。個々の楽器の演奏は良く響いていても、管弦楽全体としての響きがバラバラで、どの楽器を際立たせたいのか、その意図が不明だった。また、軽井沢大賀ホールのデッドな響きに苦しめられていた。弦楽が強く弾けば生々しい響きになるし、弱く弾くと他の楽器にかき消されてしまい、ホールの響きを味方につける事が出来ない。大賀典雄は、松本市音楽文化ホールのような豊かな残響を嫌っていたのだと思う。直撃音がきちんと来ることは想定しているが、柔らかく艶のある響きには決してならない。
しかしながら、第二組曲では管弦楽全体としての響きが統一性を持ち始めた。第四楽章は圧巻の出来である。
後半はチャイコフスキーの交響曲第五番だ。冒頭部から全てが噛み合い、完成度の高い演奏を予感させる。木管のソロも美しく響き、これを支える他楽器の支援も考えられている。バッティストーニのテンポの変動は、実はさりげないけど、その加減が絶妙だ。全般的に速めで躍動感に満ちているので、テンポの変動をやり過ぎる必要がないのだろう。大胆なテンポの変動は、曲の終了部のみである。なので、決してやり過ぎにはならない。管弦楽がついていくのは大変だろうが、見事にバッティストーニの意図を反映させていく。
私がゾクゾクしたのは、第四楽章冒頭の、高音弦から低音弦への受け渡しの箇所である。繊細に攻めるべきところは繊細に攻めている。第四楽章で弦管打がこれほどまで噛み合った演奏はなかなか聴けない。スリル感・ワイルド感溢れる響きだが、決して崩壊せず緊張感を保っている。ソリスティックな演奏箇所の見事さや、金管楽器の威力に頼らない演奏でもあるが、やはり弦楽がしっかりしているからであろう。弦楽が吠えることができるからこそ、木管・金管も活きてくるのだと思う。
アンコールはチャイコフスキーの弦楽セレナーデから第二楽章と、プログラムにもある「アルルの女」第二組曲第四楽章である。弦楽セレナーデでは弦楽の繊細さをアピールし、ファランドールでは弦管打全体での躍動感ある響きで華やかに終了する。
軽井沢大賀ホールはデッドな響きで艶はなく、ナマナマしく響き、私にとって決して好きな響きのホールではないが、「アルルの女」第一組曲を除いては、小容積の中規模ホールならではの密度ある響きを活かした演奏会であった。
2015年3月14日土曜日
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra, Nagoya performance, review 東京都交響楽団 名古屋公演 評
2015年3月14日 土曜日
Saturday 14th March 2015
愛知県芸術劇場 コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Wagner: ‘Tristano e Isotta’ ‘Preludio e Morte di Isotta’ 「トリ
スタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
(休憩)
Anton Bruckner: Sinfonia n. 4 (versione 1878-1880, Leopold Nowak)
orchestra: Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra(東京都交響楽団)
direttore: Eliahu Inbal / エリアフ=インバル
東京都交響楽団は、エリアフ=インバルの指揮の下、2015年3月14日・15日に名古屋・福岡ツアーを行っている。東京都交響楽団創立50周年を記念するしてのものである。2015年3月18日に、東京文化会館にて開催される、第784回定期演奏会と同一のプログラムである。
この評は、名古屋公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ハープは下手側、ティンパニは後方中央である。
着席位置は一階後方中央、客の入りは7割くらいか?正面席は三階まで埋まっているが、バルコニー席に空席が目立ち、特に三階部は顕著である。鑑賞態度は概ね極めて良好だった。
全般を通して、何をしたいのかが意図が伝わってくる演奏だ。細かい点で突っ込み所がない訳ではないが、そう言った意図なりパッションが伝わる演奏は、やはり私の心を納得させるものがある。
都響の素晴らしいところは、目指すべき地点をみんなで共有しているところである。その瞬間にどのような響きを出すのか、その意図が共有されているのだ。スタープレイヤーの個人技に頼らず、全員の一体感で攻める点が素晴らしい。みんながパッションを抱いているのがよく感じられるのだ。インバルはそのパッションを的確に交通整理する。その透徹なまでの見通しの良さ、構築力に感嘆させられる。
今日の演奏を聴くまで、ブルックナーは解釈の余地が狭く、下手に独自色を出してはいけないのだと思っていた。インバルは許容範囲を超えているはずなのに、このようなアプローチがあり得るのだと、強い説得力を感じた。
第一楽章で見せたアッチェレランドでゾクゾクさせられるスリルを感じる。純音楽的アプローチでこのような大胆な路線を見せられるが、全く反発心が起こらない。
全面降伏である。インバルの構築力だけではなく、インバルの意図を全楽団員が理解し、細かく設定された様式に的確に則りながらも、強い自発性で表現したからである。
インバルのブルックナーはブルックナーではないが、しかしこれも立派なブルックナーだ。
ブルックナーの4番が、あんなにドキドキする曲だとは思わなかった!題名通りに「ロマンティック」に演奏したらツマラナくなってしまうかも♪そんな新鮮な印象を受ける、愛知県での東京都交響楽団だった。
Saturday 14th March 2015
愛知県芸術劇場 コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Richard Wagner: ‘Tristano e Isotta’ ‘Preludio e Morte di Isotta’ 「トリ
スタンとイゾルデ」より「前奏曲と愛の死」
(休憩)
Anton Bruckner: Sinfonia n. 4 (versione 1878-1880, Leopold Nowak)
orchestra: Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra(東京都交響楽団)
direttore: Eliahu Inbal / エリアフ=インバル
東京都交響楽団は、エリアフ=インバルの指揮の下、2015年3月14日・15日に名古屋・福岡ツアーを行っている。東京都交響楽団創立50周年を記念するしてのものである。2015年3月18日に、東京文化会館にて開催される、第784回定期演奏会と同一のプログラムである。
この評は、名古屋公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ハープは下手側、ティンパニは後方中央である。
着席位置は一階後方中央、客の入りは7割くらいか?正面席は三階まで埋まっているが、バルコニー席に空席が目立ち、特に三階部は顕著である。鑑賞態度は概ね極めて良好だった。
全般を通して、何をしたいのかが意図が伝わってくる演奏だ。細かい点で突っ込み所がない訳ではないが、そう言った意図なりパッションが伝わる演奏は、やはり私の心を納得させるものがある。
都響の素晴らしいところは、目指すべき地点をみんなで共有しているところである。その瞬間にどのような響きを出すのか、その意図が共有されているのだ。スタープレイヤーの個人技に頼らず、全員の一体感で攻める点が素晴らしい。みんながパッションを抱いているのがよく感じられるのだ。インバルはそのパッションを的確に交通整理する。その透徹なまでの見通しの良さ、構築力に感嘆させられる。
今日の演奏を聴くまで、ブルックナーは解釈の余地が狭く、下手に独自色を出してはいけないのだと思っていた。インバルは許容範囲を超えているはずなのに、このようなアプローチがあり得るのだと、強い説得力を感じた。
第一楽章で見せたアッチェレランドでゾクゾクさせられるスリルを感じる。純音楽的アプローチでこのような大胆な路線を見せられるが、全く反発心が起こらない。
全面降伏である。インバルの構築力だけではなく、インバルの意図を全楽団員が理解し、細かく設定された様式に的確に則りながらも、強い自発性で表現したからである。
インバルのブルックナーはブルックナーではないが、しかしこれも立派なブルックナーだ。
ブルックナーの4番が、あんなにドキドキする曲だとは思わなかった!題名通りに「ロマンティック」に演奏したらツマラナくなってしまうかも♪そんな新鮮な印象を受ける、愛知県での東京都交響楽団だった。
2015年3月7日土曜日
Dance Archive in Japan 2015 評
新国立劇場 中劇場(東京)
第一部
「機械は生きている」(1948年)
【振付・音楽】石井 漠
【演奏】加藤訓子(打楽器)
【出演】石井 登 ほか
「マスク」(1923年)
【振付】石井 漠
【音楽】アレクサンドル=スクリャービン
【出演】石井かほる
「恐怖の踊り」(1932年)
【振付】執行正俊
【音楽】マヌエル=デ-ファリャ『恋は魔術師』より
【出演】小林洋壱
「釣り人」(1939年)
【振付】檜 健次
【音楽】宇賀神味津男
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】片岡通人
「スカラ座のまり使い」(1935年)(3つのバージョンでの上演)
【振付】江口隆哉
【音楽】フランツ=シューベルト『スケルツォ』D593
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】1. 木原浩太 2. 西川箕乃助 3. 佐藤一哉・堀登
第二部
「体(たい)」(1961年)
【振付】石井みどり
【音楽】イーゴリ=ストラヴィンスキー『春の祭典』
【装置・衣裳】前田哲彦
【出演】酒井はな・佐々木大 他
ダンス-アーカイブ in Japan 2015は新国立劇場中劇場に於いて、2015年3月7日から8日にかけ2公演上演される。この評は、一回目3月7日の公演に対するものである。
第一部について、私の感覚はいつもの通りに変わっていると思うが、「釣り人」や「スカラ座のまり使い」の日本舞踊バージョンが興味深かった。「スカラ座」の方は、日本舞踊の時間的デフォルメ感覚が歌舞伎の影響を受けているのかなあと思わされる。殺陣の場面で、いい子ちゃんの主役が見得を切っている間に、どうして悪役はやっつけないの?とついつい感じてしまう時間感覚が似ているのだなあっと。常日頃、悪事ばかり企んでいるからかもしれないが♪
最初の演目である「機械は生きている」は、純ダンス的要素とは別に、その当時の日本のメカニカルな要素の強い工場が浮かび上がってくる。半導体工場やロボットばかりの自動車工場とは違う、なんて言うか、歯車とプレス機械に囲まれた1930年代の工場に連れて行かれた感覚だ。妙に同時代的感覚に支配されてくる。
第二部は「体」、「春の祭典」であるが、別の題名を付けているのは意味がある。
酒井はな さんは華やかな踊りで、新国立劇場バレエ団現役時代に見て置きたかったなあと・・。もちろん華やかさだけでなくて、言語化することを意図して見てはいないのでどのように表現するべきかわからないのだけれど、私にとっては完璧で、新国立劇場バレエ団時代に見ていたらファンになっちゃっていたかも♪「こうもり」のベラ役とか面白そうだなと思ったり♪♪
「体」はソリストの出演場面は少なく、群舞が中心になるが、前半部で女性群舞が一斉にシャープに決める場面は、私としては密かにテンションが上がるところ。そのテンションを保って終わったような感じか。舞台は、新国立劇場中劇場独特の構造を活かし、主舞台とその前方の前舞台(オケピットの場所に相当)を用い、長方形状に奥行きのある広さであるが、その空間を十分に活かし躍動感を感じさせる。
酒井はな さんがラストの場面で生贄にされる乙女の踊りをするのかと想定していたが、全く違うストーリー展開で、生贄が倒れるどころか、酒井はな さんが笑みを浮かべて、凱歌を上げるような終わり方は意外過ぎて、つい苦笑してしまったが、ここに「春の祭典」とはしなかった意味があるのだな。
Dance Archive in Japan 2015、財政面でいろいろと厳しいのだろうが、Archiveの中の作品をArchiveの中に閉じ込めて死蔵したままにしておくのではなく、生の実演の形で生きた形にするという点で、国立の劇場としての使命を果たしている。この事業は続けていって欲しいと願う。
第一部
「機械は生きている」(1948年)
【振付・音楽】石井 漠
【演奏】加藤訓子(打楽器)
【出演】石井 登 ほか
「マスク」(1923年)
【振付】石井 漠
【音楽】アレクサンドル=スクリャービン
【出演】石井かほる
「恐怖の踊り」(1932年)
【振付】執行正俊
【音楽】マヌエル=デ-ファリャ『恋は魔術師』より
【出演】小林洋壱
「釣り人」(1939年)
【振付】檜 健次
【音楽】宇賀神味津男
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】片岡通人
「スカラ座のまり使い」(1935年)(3つのバージョンでの上演)
【振付】江口隆哉
【音楽】フランツ=シューベルト『スケルツォ』D593
【演奏】河内春香(ピアノ)
【出演】1. 木原浩太 2. 西川箕乃助 3. 佐藤一哉・堀登
第二部
「体(たい)」(1961年)
【振付】石井みどり
【音楽】イーゴリ=ストラヴィンスキー『春の祭典』
【装置・衣裳】前田哲彦
【出演】酒井はな・佐々木大 他
ダンス-アーカイブ in Japan 2015は新国立劇場中劇場に於いて、2015年3月7日から8日にかけ2公演上演される。この評は、一回目3月7日の公演に対するものである。
第一部について、私の感覚はいつもの通りに変わっていると思うが、「釣り人」や「スカラ座のまり使い」の日本舞踊バージョンが興味深かった。「スカラ座」の方は、日本舞踊の時間的デフォルメ感覚が歌舞伎の影響を受けているのかなあと思わされる。殺陣の場面で、いい子ちゃんの主役が見得を切っている間に、どうして悪役はやっつけないの?とついつい感じてしまう時間感覚が似ているのだなあっと。常日頃、悪事ばかり企んでいるからかもしれないが♪
最初の演目である「機械は生きている」は、純ダンス的要素とは別に、その当時の日本のメカニカルな要素の強い工場が浮かび上がってくる。半導体工場やロボットばかりの自動車工場とは違う、なんて言うか、歯車とプレス機械に囲まれた1930年代の工場に連れて行かれた感覚だ。妙に同時代的感覚に支配されてくる。
第二部は「体」、「春の祭典」であるが、別の題名を付けているのは意味がある。
酒井はな さんは華やかな踊りで、新国立劇場バレエ団現役時代に見て置きたかったなあと・・。もちろん華やかさだけでなくて、言語化することを意図して見てはいないのでどのように表現するべきかわからないのだけれど、私にとっては完璧で、新国立劇場バレエ団時代に見ていたらファンになっちゃっていたかも♪「こうもり」のベラ役とか面白そうだなと思ったり♪♪
「体」はソリストの出演場面は少なく、群舞が中心になるが、前半部で女性群舞が一斉にシャープに決める場面は、私としては密かにテンションが上がるところ。そのテンションを保って終わったような感じか。舞台は、新国立劇場中劇場独特の構造を活かし、主舞台とその前方の前舞台(オケピットの場所に相当)を用い、長方形状に奥行きのある広さであるが、その空間を十分に活かし躍動感を感じさせる。
酒井はな さんがラストの場面で生贄にされる乙女の踊りをするのかと想定していたが、全く違うストーリー展開で、生贄が倒れるどころか、酒井はな さんが笑みを浮かべて、凱歌を上げるような終わり方は意外過ぎて、つい苦笑してしまったが、ここに「春の祭典」とはしなかった意味があるのだな。
Dance Archive in Japan 2015、財政面でいろいろと厳しいのだろうが、Archiveの中の作品をArchiveの中に閉じ込めて死蔵したままにしておくのではなく、生の実演の形で生きた形にするという点で、国立の劇場としての使命を果たしている。この事業は続けていって欲しいと願う。
2015年3月1日日曜日
ボストン美術館 華麗なるジャポニズム展 印象派を魅了した日本の美
名古屋ボストン美術館 2015年3月1日 日曜日
2014年6月28日から、世田谷美術館(東京)・京都市美術館(京都府京都市)と続いて、2015年1月2日から5月10日までは名古屋ボストン美術館でこの展覧会が開催されている。
東京:大阪:名古屋の美術展観客動員数は、10:5:3であるそうだが、そのような状況の上に展示期間は名古屋が一番長く、良好な環境で鑑賞できることを期待し、混雑が予想される会期始め・会期末にならない中間の3月1日に行くこととした。前日には、トゥールーズ-キャピトル管弦楽団の名古屋公演が愛知県芸術劇場コンサートホールであったので、ちょうど良い。
2014年9月にボストン美術館に行った私にとっては、この展覧会に行くことによって、昨年9月にボストンにはなかった作品を見ることが出来るとの計算も働いた。
余裕を持って時間を確保さえすれば、一番の目玉であるであるクロード=モネ作の「ラ-ジャポネーズ」(目録番号26)ですら、独り占めする時間があるほどだ。狙いは当たった。
一年近くに渡って、作品がボストンを離れ日本ツアーを行っているが、それはボストン美術館の展示室が不足気味で、特に日本の作品の展示室が著しく少ないためである。決して気前が良い訳ではないだろう。浮世絵を紹介するための展示室は実質第280号室のみ、十万点以上の日本作品コレクションを持っているとされるのに、これでは作品は収蔵庫の中にしか入れられない。印象派の作品についても、メトロポリタン美術館ほどではないとしても、かなり充実しているので、それなりの作品を長期間出しても、ボストン美術館の展示室に支障はないのだ。
今回の展覧会は、日本趣味、女性、シティ-ライフ、自然、風景と五つに分けて、作品を紹介している。
以下、私なりの注目作品と、感想を述べる。
1.日本趣味
最初の六点の葛飾北斎・歌川広重の作品からして良いものを出してくる。
目録番号1: 葛飾北斎「富嶽三十六景 武州千住」
目録番号2: 歌川広重「東海道五拾三次内 三島 朝霧」
目録番号3: 歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
目録番号4: 歌川広重「名所江戸風景 亀戸梅屋舗」
目録番号5: 歌川広重「名所江戸風景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」
目録番号6: 歌川広重「名所江戸風景 浅草田甫酉の町詣」
こうした作品を見ていると、日本の浮世絵がいかにグラデーションを要所のみに用いていて、色彩も鮮やかでありながらシンプルで、これらの結果、グラデーションを用いている箇所でさえ輪郭の明瞭感が強調されるのだなと思う。
2.女性
目録番号23: クロード=モネ「ラ=ジャポネーズ」
女性は当時のモネの妻、カミーユ=モネである。内掛の図柄は謡曲「紅葉狩」ではないかとの説を解説板で出しており、そうだとすると、内掛の腰から下にある武者が、美女のふりして油断させて武者の命を狙おうとしていた鬼女を成敗する事となるようで、そうなるとカミーユは鬼女となってしまうのだが、どうせモネ一家はそんな経緯など知らずにこの内掛を使ってのだろう。武者が立体的に見える瞬間もあって、実に精緻に描かれていたのだなあと思い知らされる。
目録番号25: 鳥橋斎栄里「(近江八景 石山秋月)丁小屋内 雛鶴つるし つるの」
目録番号26: 菊川英山「風流近江八景 石山」
目録番号28: エドマンド=チャールズ=ターベル「夢想(キャサリン-フィン)」
目録番号29: フランク=ウェストン=ベンソン「装飾的頭像」
3.シティ-ライフ
(特になし)
4.自然
目録番号88: チャールズ=キャリル=コールマン「つつじと林檎の花のある静物」
目録番号94: アンリ=マティス「花瓶の花」
5.風景
目録番号109: 歌川広重「東海道五拾三次内 岡崎 矢矧之橋」
目録番号131: 歌川広重「名所江戸風景 鉄炮洲稲荷橋湊神社」
目録番号137: 歌川広重「名所江戸風景 神田明神曙之景」
目録番号138: ジョン=ラファージ「ヒルサイド-スタデイ(二本の木)」
目録137と138は、138が137の影響を受けていると示す展示方法である。ラファージは広重の空と全く同様に空を描いているが、どうもしっくりこない。浮世絵の影響を受けてばかりで、ラファージ自らの消化が足りない印象を受ける。
目録番号139: 歌川広重「名所江戸風景 愛宕下藪小路」
目録番号140: カミーユ=ピサロ「雪に映える朝日、エラニー-シュル-エプト」
目録139と140は、140が139の影響を受けていると示す展示方法である。
140の作品を見せられても、浮世絵の影響を受けていると素人が見破る事は困難であろう。浮世絵から得た物をピサロ自身の中で消化し、ピサロ自身の様式に落とし込む事に成功している。
目録番号143: 歌川広重「東海道五拾三次内 四日市 三重川」
目録番号144: クロード=モネ「トルーヴィルの海岸」
目録番号145: 歌川広重「東海道五拾三次内 鞠子 名物茶屋」
目録番号146: クロード=モネ「積み藁(日没)」
上記四点の作品も、それぞれ下の作品が上の作品の影響を受けていると示す展示方法である。モネの作品を見ていると、いかに浮世絵の要素を消化して、それぞれの画家の様式に落とし込む事が大切かが良く分かる。モネ・ピサロは優れた例である。日本の流儀をそのまま西洋に移植するのは、その逆がそうであるように、やはり無理があり、良い作品にはならない。影響を受けつつも、自らの様式を確立して表現する事が如何に重要かを思い知らされる。
目録番号147: クロード=モネ「睡蓮の池」
目録番号148: クロード=モネ「睡蓮」
睡蓮の作を二点ボストンから旅出させた。これらの作品を出しても、ボストン美術館の展示室を埋める作品はいくらでもあるのだ。良いことなの悪いことなのかは分からないが。
印象派・浮世絵が好きな方は、名古屋駅から電車で5分の金山駅前にある、名古屋ボストン美術館に行って、この展覧会をご覧になることを進めたい。休憩を含めずに三時間あれば余裕だろう。名フィルの演奏会とセットに訪問するのもいいのかも知れない。
2014年6月28日から、世田谷美術館(東京)・京都市美術館(京都府京都市)と続いて、2015年1月2日から5月10日までは名古屋ボストン美術館でこの展覧会が開催されている。
東京:大阪:名古屋の美術展観客動員数は、10:5:3であるそうだが、そのような状況の上に展示期間は名古屋が一番長く、良好な環境で鑑賞できることを期待し、混雑が予想される会期始め・会期末にならない中間の3月1日に行くこととした。前日には、トゥールーズ-キャピトル管弦楽団の名古屋公演が愛知県芸術劇場コンサートホールであったので、ちょうど良い。
2014年9月にボストン美術館に行った私にとっては、この展覧会に行くことによって、昨年9月にボストンにはなかった作品を見ることが出来るとの計算も働いた。
余裕を持って時間を確保さえすれば、一番の目玉であるであるクロード=モネ作の「ラ-ジャポネーズ」(目録番号26)ですら、独り占めする時間があるほどだ。狙いは当たった。
一年近くに渡って、作品がボストンを離れ日本ツアーを行っているが、それはボストン美術館の展示室が不足気味で、特に日本の作品の展示室が著しく少ないためである。決して気前が良い訳ではないだろう。浮世絵を紹介するための展示室は実質第280号室のみ、十万点以上の日本作品コレクションを持っているとされるのに、これでは作品は収蔵庫の中にしか入れられない。印象派の作品についても、メトロポリタン美術館ほどではないとしても、かなり充実しているので、それなりの作品を長期間出しても、ボストン美術館の展示室に支障はないのだ。
今回の展覧会は、日本趣味、女性、シティ-ライフ、自然、風景と五つに分けて、作品を紹介している。
以下、私なりの注目作品と、感想を述べる。
1.日本趣味
最初の六点の葛飾北斎・歌川広重の作品からして良いものを出してくる。
目録番号1: 葛飾北斎「富嶽三十六景 武州千住」
目録番号2: 歌川広重「東海道五拾三次内 三島 朝霧」
目録番号3: 歌川広重「名所江戸百景 大はしあたけの夕立」
目録番号4: 歌川広重「名所江戸風景 亀戸梅屋舗」
目録番号5: 歌川広重「名所江戸風景 真崎辺より水神の森内川関屋の里を見る図」
目録番号6: 歌川広重「名所江戸風景 浅草田甫酉の町詣」
こうした作品を見ていると、日本の浮世絵がいかにグラデーションを要所のみに用いていて、色彩も鮮やかでありながらシンプルで、これらの結果、グラデーションを用いている箇所でさえ輪郭の明瞭感が強調されるのだなと思う。
2.女性
目録番号23: クロード=モネ「ラ=ジャポネーズ」
女性は当時のモネの妻、カミーユ=モネである。内掛の図柄は謡曲「紅葉狩」ではないかとの説を解説板で出しており、そうだとすると、内掛の腰から下にある武者が、美女のふりして油断させて武者の命を狙おうとしていた鬼女を成敗する事となるようで、そうなるとカミーユは鬼女となってしまうのだが、どうせモネ一家はそんな経緯など知らずにこの内掛を使ってのだろう。武者が立体的に見える瞬間もあって、実に精緻に描かれていたのだなあと思い知らされる。
目録番号25: 鳥橋斎栄里「(近江八景 石山秋月)丁小屋内 雛鶴つるし つるの」
目録番号26: 菊川英山「風流近江八景 石山」
目録番号28: エドマンド=チャールズ=ターベル「夢想(キャサリン-フィン)」
目録番号29: フランク=ウェストン=ベンソン「装飾的頭像」
3.シティ-ライフ
(特になし)
4.自然
目録番号88: チャールズ=キャリル=コールマン「つつじと林檎の花のある静物」
目録番号94: アンリ=マティス「花瓶の花」
5.風景
目録番号109: 歌川広重「東海道五拾三次内 岡崎 矢矧之橋」
目録番号131: 歌川広重「名所江戸風景 鉄炮洲稲荷橋湊神社」
目録番号137: 歌川広重「名所江戸風景 神田明神曙之景」
目録番号138: ジョン=ラファージ「ヒルサイド-スタデイ(二本の木)」
目録137と138は、138が137の影響を受けていると示す展示方法である。ラファージは広重の空と全く同様に空を描いているが、どうもしっくりこない。浮世絵の影響を受けてばかりで、ラファージ自らの消化が足りない印象を受ける。
目録番号139: 歌川広重「名所江戸風景 愛宕下藪小路」
目録番号140: カミーユ=ピサロ「雪に映える朝日、エラニー-シュル-エプト」
目録139と140は、140が139の影響を受けていると示す展示方法である。
140の作品を見せられても、浮世絵の影響を受けていると素人が見破る事は困難であろう。浮世絵から得た物をピサロ自身の中で消化し、ピサロ自身の様式に落とし込む事に成功している。
目録番号143: 歌川広重「東海道五拾三次内 四日市 三重川」
目録番号144: クロード=モネ「トルーヴィルの海岸」
目録番号145: 歌川広重「東海道五拾三次内 鞠子 名物茶屋」
目録番号146: クロード=モネ「積み藁(日没)」
上記四点の作品も、それぞれ下の作品が上の作品の影響を受けていると示す展示方法である。モネの作品を見ていると、いかに浮世絵の要素を消化して、それぞれの画家の様式に落とし込む事が大切かが良く分かる。モネ・ピサロは優れた例である。日本の流儀をそのまま西洋に移植するのは、その逆がそうであるように、やはり無理があり、良い作品にはならない。影響を受けつつも、自らの様式を確立して表現する事が如何に重要かを思い知らされる。
目録番号147: クロード=モネ「睡蓮の池」
目録番号148: クロード=モネ「睡蓮」
睡蓮の作を二点ボストンから旅出させた。これらの作品を出しても、ボストン美術館の展示室を埋める作品はいくらでもあるのだ。良いことなの悪いことなのかは分からないが。
印象派・浮世絵が好きな方は、名古屋駅から電車で5分の金山駅前にある、名古屋ボストン美術館に行って、この展覧会をご覧になることを進めたい。休憩を含めずに三時間あれば余裕だろう。名フィルの演奏会とセットに訪問するのもいいのかも知れない。
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