2013年8月31日土曜日

追加ラベル (サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート3」 評 関連)

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http://ookiakira.blogspot.jp/2013/08/3.html

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サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート3」 評

2013年8月30日 金曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト アダージョとロンド K.617
エリオット=カーター フルートとチェロのための「魔法を掛けられた前奏曲」
モーリス=ラヴェル(カルロス=サルセード編曲) ソナチネ (フルート・ハープ・チェロによる演奏)
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト セレナード第11番 K.375

ヴィオラ:川本嘉子(第一曲目)
ヴァイオリン-チェロ:イズー=シュアー(前半全て)
フルート:ジャック=ズーン(前半全て・アンコール)
オーボエ:フィリップ=トーンドゥル(第四曲目)・マニュエル=ビルツ(第一曲目)・森枝繭子(第四曲目)
クラリネット:ウイリアム=ハジンズ・キャサリン=ハジンズ(いずれも第四曲目)
ファゴット:ロブ=ウイヤー・近藤一(いずれも第四曲目)
ホルン:ジュリア=パイラント・猶井正幸(いずれも第四曲目)
ハープ:吉野直子(第一曲目・第三曲目)

着席場所は、中央後方である。客の入りは9割程である。

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月21日から8月30日までの間、「ふれあいコンサート」という名の室内楽演奏会が、それぞれ奏者・プログラムを変え計3公演に渡って繰り広げられる。この評は、第三回目「ふれあいコンサート3」に対するものである。

この演奏会には、ヴァイオリンはない。また、米国の現代音楽作曲家で昨年103歳で亡くなったエリオット=カーターが、1988年に作曲した作品も取り上げられる。

第一曲目、モーツァルトの「アダージョとロンド」は端正な演奏だ。アダージョは速度記号通り、ロンドはゆっくり目である。モーツァルトの曲想を率直に活かしている。

第二曲目、カーター「フルートとチェロのための『魔法を掛けられた前奏曲』」は、チェロのイズー=シュアのニュアンスに富んだ演奏が印象的だ。終盤に近づくにつれフルートも乗って来て、チェロとフルートとの相乗作用が効いた演奏である。

第三曲目、ラヴェルのソナチネは、さらに精緻な演奏となる。ラヴェルが書いた楽譜通りの意図を再現する方向性の演奏ではあるが、ジャック=ズーン、イズー=シュア、吉野直子のいずれもが、深くこの曲を理解し、三者の役割と相関性が活きた秀逸なる演奏である。この演奏会の白眉だ。

休憩後、モーツァルトのセレナード第11番は、出だしの響きこそ期待させるものであるが、あまりに音量が大きすぎて、私の聴覚の許容容量を超えている。演奏終了後三十分後でも、耳に痛みが残る演奏で、そもそも評価以前の演奏である。ここはすみだトリフォニーホールでもなければ、愛知県芸術劇場コンサートホールといった大ホールでは無いので、大管弦楽のノリとは違った、響きについての基本的な配慮が必要である。

予想外にアンコールが一つあり、シャルル=グノー作の「9つの管楽器のための小交響曲」より、第2楽章アンダンテ-カンタービレである。再びフルートが登場するが、そのジャック=ズーンのフルートがあまりに凄すぎる。モーツァルトのセレナードで暴走した他の奏者が同じように核分裂を引き起こしても、一人で合奏を破綻から救い、朗々と、安定感があって、それでいて歌うような、夢見るような、うっとりさせられるフルートを披露した。ジャック=ズーンのフルートで救われた演奏会であった。

2013年8月28日水曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル-松本 歌劇「こどもと魔法」・「スペインの時」 評

2013年8月28日 水曜日
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)

演目:
モーリス=ラヴェル 「こどもと魔法」
(休憩)
モーリス=ラヴェル 「スペインの時」

「こどもと魔法」
こども:イザベル=レナード
肘掛椅子・木:ポール=ガイ
母親・中国茶碗・とんぼ:イヴォンヌ=ネフ
火・お姫様・うぐいす:アナ=クリスティ
雌猫・りす:マリー=ルノルマン
大時計・雄猫:エリオット=マドア
小さな老人・雨蛙・ティーポット:ジャン-ポール=フーシェクール
安楽椅子・こうもり:藤谷佳奈枝

合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団・サイトウ-キネン-フェスティバル松本児童合唱団

演出:ロラン=ペリー
装置:バーバラ=デリンバーグ
衣装:ロラン=ペリー・ジャン-ジャック=デルモット
照明:ジョエル=アダン
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:小澤征爾 ピエール=ヴァレー


「スペインの時」
コンセプシオン(時計屋の女房):イザベル=レナード
ラミロ(ロバ引き):エリオット=マドア
トルケマダ(時計屋):ジャン-ポール=フーシェクール
ゴンザルヴ(詩人気取りの学生):デイビット=ポーティロ
ドン・イニーゴ・ゴメス(銀行家):ポール=ガイ

演出:ロラン=ペリー
装置:キャロリーヌ=ジネ(オリジナルデザイン:キャロリーヌ=ジネ・フロランス=エヴラール
衣装:ロラン=ペリー・ジャン-ジャック=デルモット
照明:ジョエル=アダン
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:ステファヌ=ドゥネーヴ

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。歌劇公演は、8月23日から8月31日までの間、計4公演に渡って繰り広げられる。この評は、第三回目8月28日の公演に対するものである。

今回の公演は、モーリス=ラヴェルの短めな歌劇を二演目上演する。休憩前が「子どもと魔法」、休憩後が「スペインの時」である。なお、これらの歌劇は、グラインドボーン音楽祭との共同制作による。

着席位置は三階上手側前方、9割5分の入りである。おそらく追加発売された席の中で売れなかった席があったものと思われ、特に三階・四階下手側側方席は空席が目立つ。

休憩前の前半は、小澤征爾指揮の「こどもと魔法」である。懸念されていた小澤征爾の降板はなく、その他の配役も全て当初の予定通りである。

私は歌い手に対しては、協奏曲に於けるソリストのような役割を求めるが、このような響きを求める私にとっては、必ずしも全てに賛同できる演奏ではない。しかしながら、総じて歌い手と管弦楽とが溶け合った響きを随所に見せ、2010年頃までのサイトウ-キネン-フェスティバルの歌劇で見せつけられたような、歌い手と管弦楽とが融合せずにバラバラに歌い演奏している点は、限定されており、許容できる内容である。

主役のイザベル=レナードの出来は、一応合格点を与えることができる出来である。同じ歌い手が複数の役を演じるため、歌い手と登場人物との関係を掴むのに苦労させられるが、それでも中国茶碗のイヴォンヌ=ネフ、雌猫のマリー=ルノルマン、安楽椅子の藤谷佳奈枝が印象に残る。

管弦楽はラヴェルが意図した多様な響きを、明瞭かつ精緻さをもって再現し魅了させられる。特に第二場前半の群舞のシーンが印象的で、小澤征爾の数少ない名演である、水戸室内管弦楽団との「マ-メール-ロア」のライブを思い出すほどだ。

休憩後の後半は「スペインの時」で指揮はステファヌ=ドゥネーヴとなる。これも当初の予定通りである。

舞台芸術等視覚的な部分は見事に出来ており、五人の歌い手の演劇的な要素は良く考えられている。しかしながら、音楽的な要素では、歌い手と管弦楽の統一感がなく、時計屋の主人役であるジャン-ポール=フーシェクール以外の男の歌い手も声量不足で、何を考えているか分からないものである。山田和樹と出会う前の、サイトウ-キネンのオペラを思い起こさせる、ひどい出来だ。ペネロペ=クルスを思わせる印象を与えるイザベル=レナードは、かろうじて主役としての役割を演じることが出来ているか。

天皇皇后両陛下が「スペインの時」を観劇せずに退席したのは当然の出来で、これはパンティ脱ぎ捨てシーンを皇族に見せるわけにはいかないという、訳のわからない配慮以前の問題で、純音楽的な問題としてそこまでの水準に達していなかった。

小澤征爾は一応復活したが、サイトウ-キネン-フェスティバルの歌劇の水準としては、例年より少し優れているといったところであろうか。

2013年8月27日火曜日

追加ラベル (サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート2」 評 関連)

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サイトウ-キネン-フェスティバル 室内楽演奏会「ふれあいコンサート2」 評

2013年8月27日 火曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ三重奏曲第3番 K.502
クロード=ドビュッシー フルートとヴィオラ、ハープのためのソナタ
(休憩)
アントニーン=ドヴォルジャーク ピアノ五重奏曲 op.81 B.155

ヴァイオリン:原田幸一郎・渡辺實和子
ヴィオラ:今井信子
ヴァイオリン-チェロ:原田禎夫
フルート:セヴァスチャン=ジャコー
ハープ:吉野直子
ピアノ:野平一郎

着席場所は、後方上手側である。客の入りはほぼ満席である。

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月21日から8月30日までの間、「ふれあいコンサート」という名の室内楽演奏会が、それぞれ奏者・プログラムを変え計3公演に渡って繰り広げられる。この評は、第二回目「ふれあいコンサート2」に対するものである。

第一曲目、モーツァルトのピアノ三重奏曲は、野平一郎のピアノのみを引き立たせたアプローチなのだろうか。ピアノは終始明瞭さを保った安定した響きでリードしている。それでも、ヴァイオリンの渡辺實和子は音量が小さく、パッションがあまり表出せず、音に明瞭さを感じない状態で、やや精彩を欠いていたように思える。

第一楽章冒頭部ではややチグハグな印象があったが、曲が進むにつれて溶け込むような響きを指向している部分が決まっているところでは、それなりに聴く事ができる出来になっている。

第二曲目、ドビュッシー「フルートとヴィオラ、ハープのためのソナタ」は最も完成度の高い出来で、ドビュッシーが楽譜で表現した内容を敢えていじらずに、作曲者の意図を見事に表現する演奏であると言えるだろうか。

フルートの安定感ある響きや、多くの音を出しながら意外に地味な役割に徹するハープはいずれも素晴らしいものであるが、特筆すべき点と言えば、やはりヴィオラの活躍であるだろう。

この曲は、ヴィオラが果たすべき責務が非常に大きい曲であるが、その求められている多彩な音色を、今井信子は見事に表現していく。ドビュッシーが意図した華やかな世界が再現され、観客はその世界に酔いしれる。この曲のヴィオラが今井信子であって良かったと思えるひと時だ。

休憩後、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲は、ピアノと第一ヴァイオリンの枢軸が機能し、要所でチェロ(原田禎夫)の低音が良く響く展開となる。ピアノの野平一郎は、第一曲目と同様安定感ある明瞭な美しい響きで、終始魅了させられる。一方で第一ヴァイオリンの原田幸一郎はパッションを込めてピアノとの対立軸を示し、演奏にアクセントをつける役割を果たしていく。この枢軸に他の三人を巻き込んで熱気あふれる演奏となる。精緻さよりはパッションの表出をやや優先させた印象が強い演奏であった。

2013年8月25日日曜日

菊池洋子 ピアノ-リサイタル 評

2013年8月25日 日曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツアルト:ロンド K.485
ヴォルフガング=アマデウス=モーツアルト:ピアノ-ソナタ 「トルコ行進曲付き」 K.331
(休憩)
モーリス=ラヴェル:水の戯れ 
モーリス=ラヴェル:ソナチネ
クロード=ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女 
クロード=ドビュッシー:アラベスク第1番 
フレデリック=ショパン:エオリアンハープ 
リスト=フェレンツ:愛の夢第3番 
フレデリック=ショパン:バラード第1番 
フレデリック=ショパン:ポロネーズ第6番「英雄」

ピアノ:菊池洋子

着席場所は、中央後方やや上手側である。客の入りは7割程である。舞台上手側の平土間と二階席に、特に空席が目立った。ピアノの音って、上手側に飛んでいくみたいだけど、視覚面が重視されるのか。

今日の菊池洋子の衣装は、何とも名状し難い上品な青色系統のロングドレス、私の携帯電話にある色見本アプリで、「新橋色」を濃くしたような色である。背は高く、諏訪内晶子のような髪型で、三割ほどの髪を体の左前に持ってくる。スラっとした体格で、モデルとして紹介されたら誰もが信じてしまう程の美しさだ。実際写真よりも綺麗な女性である。

前半はモーツァルトが二曲である。ロンドK.485は速めのテンポであるが、ちょっとついていけない感じで、やや単調である。

モーツァルトについては、二曲目のピアノ-ソナタK.331の方が断然良い出来だ。冒頭は遅めのテンポで始まり、そのテンポを揺るがせて観客の心を掴む。変奏曲の性格を持つこの曲らしく、それぞれのバリエーションでそのバリエーションに沿った表現で多彩な性格を浮き彫りにする。変奏部に入ると、一見あまり独自色を出さないように思わせて置きながら、意外なところで個性を出している演奏だ。

わずか30分ほどで休憩に入る。

休憩後はラヴェル・ドビュッシー・ショパン・リストの名曲集の構成となる。菊池洋子自身がマイクを持って、曲の案内をして二曲ずつ演奏をしていくスタイルだ。

ラヴェル・ドビュッシーでは、モーツァルトよりも完成度の高い、明晰度の高い演奏だ。音の響きが前半とは打って変わってクリアになったように思える。抑揚やテンポの扱いは、おそらく楽譜に書かれた通りで独自にいじったりはせず、ラヴェル・ドビュッシーの才能をそのまま再現するかのような演奏である。

彼女は2002年モーツァルト国際コンクールに優勝したようであるが、そのチラシでの宣伝文句とは裏腹に、実は一番得意な分野はフランス音楽かと思わせるかのようだ。彼女のセンスと相性がピッタリあっているように感じられる。

ショパンの「エオリアンハープ」とリストの「愛の夢」第3番は、連続して演奏だ。予め、同じ調性の曲であり、拍手なしで連続して演奏すると雰囲気が醸し出せる旨説明をして、演奏に入る。この二曲も、曲の持ち味をそのまま活かした演奏で、違う作曲家でありながら連続した演奏をする事により、これほどまで味わい深い流れになるのかと思い知らされる。

最後の二曲は、ショパンのバラード1番と英雄ポロネーズである。マイクによる説明なしで演奏が開始される。ここでまた彼女の音作りに変化が生じ、独自のパッションを効かせ始める。バラードの方では、速く演奏する部分で若干荒さがあるが、英雄ポロネーズでは実によく考えられた展開だ。大抵の演奏で強調してるところを敢えて弱めに引き、彼女が独自に本当に強調したいところで一気に攻勢を掛け、コントラストを引き立たせる。かなり冒険的なアプローチであり、この点で好みが別れるのだろうけど、私にとっては興味深い展開だ。

アンコールは、ショパンのノクターンと、アルベニスのタンゴであった。

それにしても、10月26日小金井市民交流センターでの演奏会のチラシがプログラムに挟み込まれていて、これには「モーツァルトの使徒—清澄かつ華麗なる響きをもつ正統派」などと、まあ凄いコピーが入っているが、これはちょっと誤解を与えるのではないかなと思う。私は横で見物していただけだが、サイン会はかなり早く始まり、異例な程丁寧な交流をされているのが印象的であった。

2013年8月21日水曜日

ミケランジェロ弦楽四重奏団 松本公演 演奏会評

2013年8月21日 水曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヨーゼフ=ハイドン 弦楽四重奏曲第78番 「日の出」 op.76-4 Hob.III-78
ドミートリイ=ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏曲第3番 op.73
(休憩)
フランツ=シューベルト 弦楽五重奏曲 D956

ヴァイオリン-チェロ:原田禎夫
ミケランジェロ弦楽四重奏団
 ヴァイオリン:ミハエラ=マルティン・ダニエル=アウストリッヒ
 ヴィオラ:今井信子
 ヴァイオリン-チェロ:フランス=ヘルメルソン

着席場所は、中央後方である。客の入りは8割程である。ど真ん中より僅かに後ろの、N列O列中央席は、関係者用としてリザーブして置いたのだろうが、結局空席のまま演奏会が始まる。このような最も良い場所の一つを何らの利用もされないのは、サイトウ-キネンの若手楽団員が忙し過ぎるのか、それとも、マネジメントがあまり巧くいっていないのか。

本日のプログラム構成は、まずミケランジェロ弦楽四重奏団により二曲演奏された後、休憩後に原田禎夫をゲストに招いて、シューベルトの弦楽五重奏曲が演奏される。同じプログラムでの演奏会は、8月16日に宗次ホール(名古屋市)でも開催されているが、ゲストのチェリストは中木健二であった。サイトウ-キネン-フェスティバル松本での、「ふれあいコンサート1」としての演奏会でもある。

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月21日から8月30日までの間、「ふれあいコンサート」という名の室内楽演奏会が、それぞれ奏者・プログラムを変え計3公演に渡って繰り広げられる。

まずは、ハイドンの「日の出」であるが、冒頭からちょっとバラバラな印象を受ける演奏である。バラバラな印象は、曲が進むに従って興に乗り、集中力が増した演奏となる。決めるべき所でのニュアンスは豊かであるが、それにしても眠くなる演奏だ。

二曲目はショスタコーヴィチの3番であるが、精度が格段に良くなり、別人のような素晴らしい演奏となる。そもそも始めから終わりまで緊張感を要する曲であるが、そのような要素が却って4人のまとまりを良くしているのかもしれない。非常に良く考えられた演奏で、ヴィオラ、チェロにもソリスティックな出番が多いが、ヴィオラってこんなに響かせる事が出来たんだと思い知らされる。ショスタコーヴィチ独特の、陰影とリズム感を表出させた演奏である。

休憩後はシューベルトの弦楽五重奏曲である。第一楽章では開始後3分程で、今井信子のヴィオラの弦が切れるハプニングが生じる。二本切れたのか?ショスタコーヴィチで強く鳴らしたのが影響したのかも知れない。弦が切れた後は、おそらく主題提示部からの再開かと思われるが、再開前と比較して妙に集中力が増しているのは気のせいか。第二楽章が一番傑出した出来で、緩徐楽章では弛緩した部分もなく、響きも良くまとまっている。

第三楽章ではA-B-A形式のAの部分は、圧倒的に繰り返し部分の完成度が高い。そんな状態だから、ライブやっている分にはいいが、レコーディングはやりにくそう。第四楽章は、楽章は完成度の高い演奏で最後を締めくくる。アンコールはなし。

全般的な印象でも感じる事だが、どうもこのミケランジェロ弦楽四重奏団は、曲の冒頭、または楽章の冒頭で、何となく僅かにバラバラな印象を受ける。楽章が進み興に乗ると、ビシッとまとまって良い響きとなる。第一ヴァイオリンは、敢えて控え目に弾いていると思える部分が多い。他楽器を引き立たせる効果を感じさせた箇所もあるが、この辺りは好き嫌いが生じるところかも知れない。曲想が変わるところでのギヤの入れ替えは、全般的にマイルドだ。ぼーっとして聴いていると、いつの間にかクライマックスに達している印象が残る、不思議な弦楽四重奏団であった。

2013年8月9日金曜日

橋下徹‬‎大阪市長による、大阪市立大学‬ の学長選挙廃止に関する声明

‎大阪市立大学‬の学長選挙を廃止しようとする橋下徹‬‎大阪市長‬に対し、その暴挙を糾弾するとともに、大阪市長職からの辞職を要求する。

大阪市立大学の前身である大阪商科大学を創設した、当時の大阪市長關一は、初代学長にリベラル派の河田嗣郎を据えた。滝川事件で京都大学教授を免官された末川博を迎え入れるなど、自主独立を伴う大学運営を戦時下でも行ってきた。

‪‎大阪市立大学の学長選挙を廃止しようとする橋下徹大阪市長の行為は、このような大学設立の経緯・歴史から体現される建学の精神に対する侮辱である。關一により築き上げられ、代々引き継がれてきた大阪市‬の知的インフラストラクチャーを破壊する行為であり、全大阪市民に対する敵対行為である。

また、日本国憲法第23条により保障されている「学問の自由」、及びこれに派生する「大学の自治」に対する重大な挑戦でもある。日本国憲法第99条に規定されている、憲法尊重義務に反した挑戦的行為であり、公職としての適格性を著しく欠いている。

よって私は、橋下徹大阪市長に対し、大阪府立大学‬との統合問題を含む、大阪市立大学に対する一切の介入を直ちに中止し、その齎した混乱に対し適切な謝罪を行うとともに、大阪市長職を辞職するよう、強く要求する。

樋渡啓祐市長によるTSUTAYA化に伴う、武雄市図書館(佐賀県)雑誌所蔵廃止に関する声明

佐賀県武雄市‬長、‪‎樋渡啓祐‬によってTSUTAYA化された武雄市図書館は、雑誌を所蔵せず販売のみにするとのこと。図書館なのか本屋なのかさっぱり分からない。いや、何を考えているのか、ぐちゃぐちゃな状態でさっぱりわからない。何を考えているのかさっぱりわからないだけに、その愚鈍な行為を敢えて行うところに、気味の悪さすら感じる。

市の資産を用いて本屋とするのは、明らかな民業圧迫であり、公正な競争の阻害である。地域文化の担い手に対する敬意が些かも感じられない暴挙である。

また、雑誌の所蔵をしないとは、過去の雑誌のは廃棄するということか。過去の雑誌が見れないのであれば、これは図書館の使命を放棄していると言わざるを得ず、もはや図書館ではない。

樋渡啓祐‎武雄市長‬は、図書館を一体何だと考えているのであろうか。何らのヴィジョンもなく、地域文化を破壊することに専念する者は、市長としての適格性に著しく欠けている。樋渡啓祐の市長職からの辞任を要求する。