2018年9月30日日曜日

Opernhaus Zürich ‘Macbeth’ (チューリッヒ歌劇場「マクベス」)感想

全般的に、歌い手に全く穴がなく、主役級だけでない誰もが管弦楽を一歩抜きん出る声量と技量を持ち、管弦楽も冴えまくり、完璧な「マクベス」であった。世界中のどの「一流」歌劇場でも、これほどまでのレベルの「マクベス」は不可能であろう。

マクベス夫妻役が完全に狂っていた。

Lady Macbeth: Tatiana Serjan
このマクベス夫人役が、私にとってはベストだ。圧倒的な声量というだけではない。もうニュアンスとかコントロールとかいう技量など、どうでも良かった。ただただ狂っていた。完全に狂っていた。真の主役は彼女だ!こんな狂ったマクベス夫人が、世界中のどこの歌劇場にいるのだろう。
もう、私のニヤニヤ笑いが止まらない。

Macbeth: Markus Brück
マクベス夫人に狂わされた題名役を傑出したレベルで演じた。彼も完全に狂っていた。

演出は Barrie Kosky 完璧であった。合唱団が反乱の箇所で初めて顔を出したり、舞台袖から管楽を鳴らして絶妙な遠近感を出したり(この管弦楽が、綺麗な弱奏で見事に表現する)する。豆電球のみで舞台空間を区切ったり、奥舞台を十全に用いた点も傑出している。

まさに、音楽面・演出面共に最高の「マクベス」!

私は粗筋の把握以外の何らの予習をせずに、この公演に望んだ。もうこの公演で封印していいだろう。これ以上の出来は、もう望めない。

【以下、劇場発表のキャスト等】

Macbeth

Opera in four acts by Giuseppe Verdi (1813-1901)
Libretto by Francesco Maria Piave with amendments by Andrea Maffei after «The Tragedy of Macbeth» by William Shakespeare

Musical director: Francesco Lanzillotta
Producer: Barrie Kosky
Stage and lighting designer: Klaus Grünberg
Assistant set designer: Anne Kuhn
Costumes: Klaus Bruns
Choir director: Christian Günther
Dramaturgy: Claus Spahn

Macbeth: Markus Brück
Banco: Wenwei Zhang
Lady Macbeth: Tatiana Serjan
Kammerfrau der Lady Macbeth: Justyna Bluj
Macduff: David Junghoon Kim
Malcolm: Leonardo Sanchez
Arzt: Wojciech Rasiak
Diener Macbeths, Mörder Richard Walshe
Philharmonia Zürich
Chor der Oper Zürich
Statistenverein am Opernhaus Zürich

2018年9月2日日曜日

サイトウ キネン フェスティバル「オーケストラ コンサート Cプログラム」 2018年9月2日 演奏会 感想

サイトウ キネン フェスティバル も今年最後の演奏会。正式には9月7日までの日程でありますが、後は教育プログラムのみです。

今日は「オーケストラ コンサート Cプログラム」。私の嫌いな長野県松本文化会館が会場です。デカ過ぎて、死んだような響きのホールで、サイトウキネンのオケでなければ、まず行きません。

前半は、「音文が恋しい」気持ちでいっぱいです。まだマシな響きになる二階席、tutti 全力前進演奏でないと、音圧が掛からないし、聴衆の心に響きません。

しかし、指揮が出来なくなった(どころか、腰椎圧迫骨折により、今年は松本にすらいない)小澤征爾の降板を受け、「「セイジのために」と急遽来日を快諾」(サイトウ キネン フェスティバル ウェブページ)し、特別出演された Marcus Roberts Trio が、この演奏会の印象を一変させました。

Marcus Roberts Trio の凄い点は、そんな最悪のホールなど物ともせずに、聴衆の心を掴み取るところにあります。

あれだけ振幅が少ないピアノがどうして私の心を惹きつけるのか、理由は全く分からないが、これが事実です。

弱音の綺麗さや、基本的な技量の高さの点では、サイトウ キネン オーケストラの管弦楽も実現されていました。

しかし、観客に与える印象は、圧倒的に Marcus Roberts Trio が勝っております。

後半の Marcus Roberts Trio 単独での演奏、’Tonight’ は文句なしの白眉で、なぜか知りませんが、いつの間にか私の心を興奮させます。’Somewhere’ では弱音の美しさが光りました。

最後の曲目は ‘I Got Rhythm’ です。Marcus Roberts Trio がソリストになった協奏曲の形態となりましたが、Trio のコントラバス奏者、Rodney Jordan のソロは圧巻で、あの弱音の場面で、驚異的な聴衆の集中力を引き出しました。

Marcus Roberts Trio 、音量の振幅はクラシック音楽の比にならないほど小さいのに、どうして名手揃いの最強メンバーで構成されたサイトウキネンオケが足元にも及ばない何かを聴衆にもたらすのでしょう?

霊感でしょうか?

でも、何でも霊感で済ませるのもアレなので、強いて言及するとなると、「引き算の極み」によるものと思います。これ見よがしな余計な作為を排除しつつ、霊感を呼び寄せる。今日は Santa Cecilia が松本で微笑んでくれたのかもしれません。

彼らを招待した小澤征爾総監督に、感謝の演奏会でした。

2018年8月26日日曜日

JAPON dance project 2018×新国立劇場バレエ団 Summer/Night/Dream 「夏ノ夜ノ夢」感想

第一幕は、原作に沿ったもの、第二幕はこの公演のメンバーによる独自の解釈が加えられたもの。
実は、第二幕には米沢唯ちゃんは出演していない。カーテンコールの時にシレッと第二幕の衣装で出てきているけど。。
ハーミアは、第一幕、津川さんが唯ちゃんの腕をブランとさせた時に、なんらかの意味で「死」んだのか?

ハーミアが三人で運ばれたのは葬送だろう。

第一幕のラストは、夢の中の「大団円」なのか。パックが裸で出て、ディミートリアスにお面がつけられ、第二幕で唯ちゃんが消えたところに意味があるのだろう。

第二幕では、唯ちゃんの他にもう一人消えている説が濃厚だ。カーテンコールには14人、「記念撮影」は12人。。
米沢唯ちゃんは、クラシックの要素を前面に出した、ちょっとイタズラ好きないい子ちゃん路線を見事に貫徹した。

対照的なエレナ役の津川友利江さん、美味しい役だなあ。ストーカーユリりんの満面の微笑み。「ニッ」ってあの勝ち誇ったような微笑みに大ウケしてしまった。
新国立劇場バレエ団のダンサーたちは変幻自在。いつもと雰囲気が違い、誰が誰だか分からない。。体格の差が、どういうわけか、希薄になる。

萌子ちゃん(いつもの公演にまして可愛かった)が変な子っぷりを二箇所ほどで発揮する。うち一箇所は、第二幕、記念撮影の場から幾何学模様の行進の場への移行の箇所であるが、仕掛けの場面の表情が素晴らしい。

第二幕はよく分からんが、全てを脱ぎ捨てた無防備な姿になってからの、再生の儀式だったのかなあ。

舞台奥方の光に導かれて飛び出したのは、ディミートリアスなのかなあ?そこにはハーミアはいるのかなあ?

希望を感じさせつつ、考えさせられる終盤である。

初日公演と二回目公演とは、下記の通りの差異があった。

1. 冒頭の呼吸の場面は簡略化した。
2. 第二幕、初演時の「君が代」は「シャボン玉飛んだ」に変わった。

第二幕については、ネタバレも考慮したのかな。多分計画的だろうな。

2018年7月14日土曜日

Noism 「ROMEO & JULIETS」 富山公演 感想

今日は、富山市オーバードホールにて、新潟市に本拠を置く Noism 「ROMEO & JULIETS」「ロメオとジュリエットたち」を観劇しました。
ジュリエットが複数形じゃないか、「たち」とは何だ?と妄想しながらの、富山入りです。。

以下、ネタバレ注意です。

今回は「ラ バヤデール」と比して spac の俳優の比率が高まりました。

第一幕では、セリフが多過ぎと感じられるかもしれません。今回私は、セリフは聴かず、モニター画面も見ず、踊りを中心に見ておりました。

精神病院に読み替えをしたのでしょうか。医師役はまさかの 金森穣 芸術監督。初めて芸術監督の舞台を見ましたが、驚くほどの踊りの完成度です。一方で、戯画的なまでのインチキ医師っぽい雰囲気も見事でした。

Noism2 監督の 山田勇気 さんは、第二幕での、井関佐和子さんとの踊りの場面が見事です。このチャリ場を見事に盛り立て、ユーモラスな雰囲気を出していました。マジメな富山の観客たちは、笑い声立てずに見ており、私が一人で笑ってしまい、恐縮しております。。拍手が出てもいいかも。地域によっては、笑いと拍手が出てもおかしくないですね。

看護師たちは病的で、過剰な胸、過剰な尻を強調する二人の看護師と、井関佐和子さんの そのまんま の体型の看護師とがいました。佐和子さん看護師は、美しいですが、やはり病的です。

「ジュリエットたち」は五人です。身長差が大きい五人で、その個性を活かした五人でした。

今回の富山公演は、唯一の大劇場での公演です。
オケピ迫り を二分割し、客席寄りは舞台面-30cmまで上げ、舞台側は沈む込ませています。いずれも照明装置を置いているが、沈み込ませた側に何を埋め込んでいるのかは不明でした。
第二幕でこれらは明らかになりました。
誰かが死ぬ時、舞台前方からオケピに落ちて、消えるのです。分厚く敷き詰められたクッションが、沈み込ませた舞台側の迫りに仕込まれていたのです。その効果は実に見事です。
オケピ迫りを分割して高さを調整出来るホールは限られます。
これは、三面半舞台を持ち、どんなオペラの演出でも対応可能なオーバードホールだからこそ出来た演出です。新潟市りゅーとぴあ劇場や9月公演の彩の国さいたま芸術劇場 にもオケピはありますが、分割出来るオケピ迫りではないでしょう。静岡芸術劇場にはオケピはありません。
大劇場ならではの演出を楽しめました。

7/21 に、静岡芸術劇場でも楽しみます。

(訂正:りゅーとぴあ劇場にはオケピ迫りは存在し、富山と同様の演出だったとのことです。7月15日に当該箇所を修正しました。

2018年4月22日日曜日

新国立劇場「アイーダ」(2018年) 感想

新国立劇場が五年毎の節目に上演する「アイーダ」が終わった。

「アイーダ」世界初演のデータを示そう。

・1871年12月24日
・エジプト カイロの Khedivial Opera House (1971年焼失)
・劇場客席数:約850。

・政治体制:オスマン帝国、90%程のイスラムと10%ほどのキリスト(コプト)

・対するエチオピア。エチオピア帝国。3分の2のエチオピア正教(キリスト)、他はイスラム。

そんな状況下のカイロで、850席規模の、中小規模の歌劇場での初演であった。

なので、「アイーダ」はもともと精緻なアンサンブルの響きで攻める、中小規模の劇場向けの演目であるということだ。

第一幕冒頭序奏から弱奏での演奏であり、第三幕ではアカペラのようで微かに弦を鳴らしている場面があり、第四幕も裁判の場面で微かにティンパニを鳴らす。まさに中小規模の劇場向けの演目だ。

1814席もの巨大な新国立劇場で上演するべき演目かと聞かれたら、かなり違うだろう。新国立劇場でのゼッフィレッリ演出版は、良くも悪くも、ヴェルディの意図した劇場環境とは違うのだ。壮麗な舞台、アイーダ-トランペット10砲(もともとは6砲)、やはり別物だろう、良くも悪くも。

バレエが出てくるなど「グランド オペラ」の要素や、良くも悪くもゼッフィレッリの演出の壮麗さに、幻惑されるところもあるかとおもうが・・・。

2018年のキャストは、中小規模の劇場での公演の延長線の路線で行けば、アイーダ役以外の歌い手の選定は納得がいく。

しかし、新国立劇場は席によって本当に響きが異なる。今回は三回観劇したが、一階前方では素晴らしい響きの歌い手が、後方や二階正面だと音圧が掛からないし、一階後方や二階正面では「そこまで」は気にならない大声が、一階前方ではキンキンうるさく響く。響き作りは難しい。

どの席にいたかで、評価は大きく異なる。

アイーダ役の Rim Sae-Kyung は、その意味で評価は割れるだろう。私の見解は、彼女だけは戦艦大和級の46cm主砲で攻めて、アンサンブルを壊している。歌い手の人選がアイーダ役だけバランスを崩しているのだ。

Rim Sae-Kyung はNHKホールやメトロポリタン歌劇場のような超巨大劇場でしか、活躍の舞台がないだろうと思った。皮肉な表現で申し訳ないが。

アムネリス役の Ekaterina Semenchuk は、もう少し声量が欲しい箇所が無きにしも非ずだが、第四幕は素晴らしい。涙腺がウルウルする。

しかし、一番の功績者は、新国立劇場合唱団だろう。繊細な弱唱から迫力ある強唱まで、精緻に美しくコントロールされた合唱で、第一幕第二場の場面から感激の余り泣き出しそうになった。

「アイーダ」を、祝祭的な側面で評価することは間違っている。個々の歌い手のスタンドプレーではなく、アンサンブルとして、全体のハーモニーとして如何に精緻な響きを実現させたかによって評価されるべき作品だ。

新国立劇場で言えば中劇場でさえも大き過ぎるだろう。「アイーダ」こそ、三桁規模の中小規模の箱で上演するべき作品だと、思い知らされた。

2018年3月7日水曜日

Noism に関する 篠田昭 新潟市長への手紙

新潟市民芸術文化会館りゅーとぴあ の専属舞踊集団である Noism について、その存続を懸念する報道に接しました。

Noismの存続が当然ではなく「検討」と、小柳聡市議会議員の質問に回答されたことを残念に思い、深い懸念の意を表します。

これまでNoismは、新潟市に根を下ろして活動し、数々の新作を産み出し、高い演技水準で新潟市のみならず、さいたま・横浜・静岡・名古屋等国内のみならず、国外からも高い評価を得て来ました。

これまでの活動を踏まえ、従来通りの支援を新潟市として継続することを表明し、出演するダンサーたちに動揺を与えることなく、高い水準の公演をもって、新潟市の高い文化水準の維持、都市イメージの向上、日々の生活に疲労した市民の癒し、芸術を通しての社会への問題提起を実現することが、地方自治体としての責務かと思います。

外来の音楽家たちの寄せ集め公演である ラ フォル ジュルネ と、りゅーとぴあ の座付き舞踊集団として新潟市と密着して活動してきたNoism とを同列に扱うべきではありません。

これまで Noism が新潟市に築き上げてきた財産を毀損することなく、その財産を活かし続けていくことを、市長として力強く表明することを、衷心よりお願いいたします。

2018年2月24日土曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, the 399th Subscription Concert, review 第399回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2018年2月24日 土曜日
Saturday 24th February 2018
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
Juan Crisostomo Arriaga: Sinfonia in re per grande orchestra
Wolfgang Amadeus Mozart: Andante per flauto e orchestra KV315
尾高尚忠 / Otaka Hisatada: Concerto per flauto e orchestra op.30a
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.6 D589

flauto: 최나경/ Choi Jasmine
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Matthias Bamert

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、フルート-ソロに韓国人のチェ=ジャスミン、指揮にマティアス=バーメルト(当初予定の Jesús López Cobos は病気のため降板)を迎えて、2018年2月24日に石川県立音楽堂で、第399回定期演奏会を開催した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、金管パートは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは八割程であろうか。

演奏について述べる。

冒頭から序曲などではなく、交響曲である。19歳で夭逝したエウスカディ(バスク)の作曲家アリアーガのもの。滅多に聴けない曲だ。

今日のOEKは、キチッと音圧を掛け、ホールの響きを味方に付けている。序奏部の木管の伸びやかな響きから、この演奏会の成功を期待させる。指揮者バーメルトの構成力の巧みさが、感じ取れる。

二曲目と三曲目は、フルート-ソロにチェ=ジャスミンを迎えての演奏だ。音量が大きなタイプではなく、管弦楽も抑えめでサポートする。管弦楽から一歩抜け出して自己主張するタイプではなく、管弦楽に溶け込ませるタイプなのは、かつてOEKの客演奏者だったためなのか?

モーツァルトのカデンツァの部分、尾高尚忠の第二楽章は良かった。尾高尚忠の作はとてつもない難曲で、演奏にも難しさを感じさせる箇所もある。

圧巻だったのはアンコールで、イアン=クラークの「ザ-グレイト-トレイン-レース」、舞台を上手下手に歩きながら楽しげに、フルートからこんな音色が出せるのかと感嘆させる演奏である。

後半は、シューベルトの交響曲第6番だ。

Matthias Bamert が目指した路線は、テンポでヴィヴィッドにするのではないが(テンポはむしろ遅いだろう)、一音一音、精密に音色を深く考慮して産み出された、美しく明るい響きで、古典派の交響曲に求められるヴィヴィッド感を出すものである。この試みは成功する。

Matthias Bamert は曲を知り尽くし、かつオケの性格やホールの響きを、まるでホームのオケのように知悉した職人芸で、名演を導く。まさに、ベテランならではの至芸だ。

Matthias Bamert はこれ見よがしの作為をせず、精緻にオケの音色をコントロールする。金管の音をも柔らかくブレンドする一方で、出るべき所では木管に伸びやかに演奏させるなど、深い解釈ならではの説得力を与える。管弦楽も全力で応え、狙い通りの素晴らしい響きを出しまくる。

古典派の音楽はシンプルだからこそ、観客を満足させる演奏を実現させるのは難しい。しかし今日の Matthias Bamert 指揮による演奏は、指揮者・管弦楽・素晴らしい音響のホール、三位一体となって、音楽堂を幸せな響きで満たしていく。

大きなホール、大きな管弦楽の東京では味わえない、精緻に音圧を観客に与えていく、素晴らしい演奏であった。これだから、金沢通いはやめられない!

#oekjp

2018年2月10日土曜日

Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo, the 110th Subscription Concert, review 第110回 紀尾井ホール室内管弦楽団 定期演奏会 評

2018年2月10日 土曜日
Saturday 10th February 2018
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Franz Schubert: Pezzo da concerto per violino e orchestra D345
Johann Strauss Vater: ‘Die vier Temperamente’ op.59 (四つの気質)
(休憩)
Paul Hindemith: Thema mit vier Variationen ‘Die vier Temperamente’ für Klavier und Streichorchester (四つの気質)
Franz Schubert: Sinfonia n.5 D485

pianoforte: 小川典子 / Ogawa Noriko
orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: Rainer Honeck

紀尾井ホール室内管弦楽団(旧紀尾井シンフォニエッタ東京(KST))は、小川典子をソリスト、ライナー=ホーネックを指揮者に迎えて、2018年2月9日・10日に東京-紀尾井ホールで、第110回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。ホルンは後方下手側、その他の管楽パートは後方中央、ティンパニは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方僅かに上手側、。観客の鑑賞態度は、前半でノイズが入ったものの、フライングの拍手もなく、概ね良好であった。

一曲目のシューベルト小協奏曲D345は、ライナー=ホーネックの繊細なソロが目立った。

二曲目の、ヨハン=シュトラウス(父)の「四つの気質」は楽しい雰囲気だ。

三曲目も同じ「四つの気質」であるが、こちらはヒンデミット作のもので、ピアノ-ソロと弦楽(管楽は一切入らない)との協奏曲の性質が強い。

ピアノ-ソロが入るまでの弦楽から素晴らしく、低弦の響きをも楽しませる。ピアノも場面に応じ適切な響きで、弦楽とがっしり組み合う演奏であった。

休憩後はシューベルトの5番D485。丁寧な演奏であるが、欲を言えば、ヴィヴィッドな要素がもっと欲しいところであった。

2017年11月18日土曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa, the 395th Subscription Concert, review 第395回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2017年11月18日 土曜日
Saturday 18th Novemver 2017
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
Felix Mendelssohn Bartholdy: Konzert-Ouvertüre ‘Die Hebriden’(「フィンガルの洞窟」)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.18, KV456
Christian Jost: ‘Ghost Song’ für Streichorchester
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.39, KV543

pianoforte: Sophie-Mayuko Vetter
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Michael Sanderling

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、ピアノ-ソロにソフィー-マユコ=フェッター、指揮にミヒャエル=ザンデルリンクを迎えて、2017年11月18日に石川県立音楽堂で、第395回定期演奏会を開催した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、トランペットは後方上手、ティンパニはモーツァルト交響曲第39番ではバロック-ティンパニを用い最上手側の位置につく。

着席位置は一階正面わずかに後方上手側、客の入りは八割程であろうか、二階バルコニーに空席が目立った。観客の鑑賞態度は、ごく少数の人たちによるチラシ・プログラム弄りの音が目立ったが、フライングの拍手は一切なかった。

演奏について述べる。

モーツァルトのピアノ協奏曲第18番での、Sophie-Mayuko Vetter は、敢えて鳴らさない路線を選んだようだ。管弦楽に溶け込む独奏である。第二楽章でテンポを限界まで遅くした点に彼女の個性が発揮されたか?その箇所は良かった。

アンコールはスクリャービンの「二つの左手のための小品」からノクターンであったが、私にとっては、正直こちらの方が素晴らしかった。あまりモーツァルト向きのピアニストではないのかなあ。

ミヒャエル=ザンデルリンクによる響きの作り方は、どちらかと言うと管楽重視で、管楽を聴かせるために弦楽を敢えて抑える箇所もあった。テンポは中庸で特段の仕掛けはない。管楽は、全般的に的確な響きを出せた。

クリスティアン=ヨストの ‘Ghost Song’ は日本初演であった。半年前の2017年5月に、作曲家自身の指揮、ベルリン-ドイツ室内管弦楽団の演奏で世界初演された作品である。OEKの弦楽は幽霊を思わせる響きで聴衆の耳を惹きつけた。

#oekjp

2017年11月3日金曜日

Kioi Hall, Opera ‘L'Olimpiade’ (2017) review 紀尾井ホール 歌劇「オリンピーアデ」 感想

2017年11月3日 金曜日
Friday 3nd November 2017
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

演目:
Giovanni Battista Pergolesi: Opera ‘L'Olimpiade’
ジョヴァンニ=バッティスタ=ペルゴレージ 歌劇「オリンピーアデ」

Clistene: 吉田浩之 / Yoshida Hiroyuki
Aristea: 幸田浩子 / Kouda Hiroko
Argene: 林美智子 / Hayashi Michiko
Licida: 澤畑恵美 / Sawahata Emi
Megacle: 向野由美子 / Kono Yumiko
Aminta: 望月哲也 / Mochizuki Tetsuya
Alcandro: 彌勒忠史 / Miroku Tadashi

Production: 粟國淳/ Aguni Jun

orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: 河原忠之 / Kawahara Tadayuki

紀尾井ホールは、2017年11月3日・5日に、河原忠之の指揮・チェンバロによるジョヴァンニ=バッティスタ=ペルゴレージ作、歌劇「オリンピーアデ」を2公演開催する。日本に於けるバロックオペラの上演は珍しく、セミステージ形式ではあるものの、どのような実体か観劇してみることとした。

この評は、第一公演である2017年11月3日公演に対するものである。

着席位置は一階正面前方やや上手側である。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、時折謎の会話が聞こえていたりした。歌い手の音圧が強く感じられたため、大きな支障にはならなかったが。

一言で言えば、全員素晴らしい公演であった。序盤の固さは3分程で解消し、管弦楽は終始的確な響きを出している。歌い手も全員十二分な声量を持ち、観客全てに強い音圧と、それぞれの声質の個性でニュアンスを加えている。

全ての出演者に満足する歌劇公演は本当に少ない。本来の力を出し切れない体調の時もあるだろう。

そんな歌劇公演の中で、全員が作品への愛情を強く持ち、士気高く、紀尾井ホールの難しい音響(響くホールだから扱いが難しい。デッドな響きの多目的ホールなら、爆音系で攻めればいいだけだもんね)の中での響きの在り方を踏まえた歌と管弦楽を実現したことは、賞賛に値する。

全員素晴らしい中でも、クリステーネ役の吉田浩之は、高音美声系で君主・父親の威厳と慈愛を示す曲芸を達成し、アルカンドロ役の彌勒忠史は、カウンターテノールを感じさせない自然な美声で、第二幕第三幕の重要な部分の構築を果たした。

敢えて、この公演の白眉を挙げるとするならば、第三幕第二場のアルカンドロのアリア「このような状態で不幸な方は」’L’infelice in questo stato’ だろう。彌勒忠史の見事な声は弱唱の箇所もあるが、その箇所での彼のソロと管弦楽の弱奏とが完璧に噛み合っている。この「オリンピーアデ」公演の特質を最も顕著に表した箇所で、個々の歌い手の妙技だけに頼らない、アンサンブル全体としての統一感を感じさせる意図が最も活きた箇所である。

世界的に活躍しているメジャーな客寄せパンダを呼ばず、演出から指揮・歌い手・管弦楽まで、全員日本人でこれほどまでの水準の公演が出来るのを目の当たりにした。

滅多に取り上げられない、眠っている作品を、紀尾井ホールという的確な規模のホールで、高い水準での上演に成功した。紀尾井ホールのこのプロダクションに敬意を表したい。