2018年4月22日日曜日

新国立劇場「アイーダ」(2018年) 感想

新国立劇場が五年毎の節目に上演する「アイーダ」が終わった。

「アイーダ」世界初演のデータを示そう。

・1871年12月24日
・エジプト カイロの Khedivial Opera House (1971年焼失)
・劇場客席数:約850。

・政治体制:オスマン帝国、90%程のイスラムと10%ほどのキリスト(コプト)

・対するエチオピア。エチオピア帝国。3分の2のエチオピア正教(キリスト)、他はイスラム。

そんな状況下のカイロで、850席規模の、中小規模の歌劇場での初演であった。

なので、「アイーダ」はもともと精緻なアンサンブルの響きで攻める、中小規模の劇場向けの演目であるということだ。

第一幕冒頭序奏から弱奏での演奏であり、第三幕ではアカペラのようで微かに弦を鳴らしている場面があり、第四幕も裁判の場面で微かにティンパニを鳴らす。まさに中小規模の劇場向けの演目だ。

1814席もの巨大な新国立劇場で上演するべき演目かと聞かれたら、かなり違うだろう。新国立劇場でのゼッフィレッリ演出版は、良くも悪くも、ヴェルディの意図した劇場環境とは違うのだ。壮麗な舞台、アイーダ-トランペット10砲(もともとは6砲)、やはり別物だろう、良くも悪くも。

バレエが出てくるなど「グランド オペラ」の要素や、良くも悪くもゼッフィレッリの演出の壮麗さに、幻惑されるところもあるかとおもうが・・・。

2018年のキャストは、中小規模の劇場での公演の延長線の路線で行けば、アイーダ役以外の歌い手の選定は納得がいく。

しかし、新国立劇場は席によって本当に響きが異なる。今回は三回観劇したが、一階前方では素晴らしい響きの歌い手が、後方や二階正面だと音圧が掛からないし、一階後方や二階正面では「そこまで」は気にならない大声が、一階前方ではキンキンうるさく響く。響き作りは難しい。

どの席にいたかで、評価は大きく異なる。

アイーダ役の Rim Sae-Kyung は、その意味で評価は割れるだろう。私の見解は、彼女だけは戦艦大和級の46cm主砲で攻めて、アンサンブルを壊している。歌い手の人選がアイーダ役だけバランスを崩しているのだ。

Rim Sae-Kyung はNHKホールやメトロポリタン歌劇場のような超巨大劇場でしか、活躍の舞台がないだろうと思った。皮肉な表現で申し訳ないが。

アムネリス役の Ekaterina Semenchuk は、もう少し声量が欲しい箇所が無きにしも非ずだが、第四幕は素晴らしい。涙腺がウルウルする。

しかし、一番の功績者は、新国立劇場合唱団だろう。繊細な弱唱から迫力ある強唱まで、精緻に美しくコントロールされた合唱で、第一幕第二場の場面から感激の余り泣き出しそうになった。

「アイーダ」を、祝祭的な側面で評価することは間違っている。個々の歌い手のスタンドプレーではなく、アンサンブルとして、全体のハーモニーとして如何に精緻な響きを実現させたかによって評価されるべき作品だ。

新国立劇場で言えば中劇場でさえも大き過ぎるだろう。「アイーダ」こそ、三桁規模の中小規模の箱で上演するべき作品だと、思い知らされた。