2017年9月23日 土曜日
Saturday 23nd September 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Arcangelo Corelli: Concerto grosso in re maggiore op.6-4 (合奏協奏曲ニ長調)
Antonio Vivaldi: ‘L'estro armonico’ Concerto nº 12 op.3-12 RV265
Antonio Vivaldi: ‘L'estro armonico’ Concerto nº 6 op.3-6 RV356
Arcangelo Corelli: Concerto grosso fatto per la notte di Natale op.6-8(クリスマス協奏曲)
(休憩)
Jean Sibelius: Sarja viululle ja jousiorkesterille op.117 JS185 (ヴァイオリンと弦楽のための組曲)
Jean Sibelius: ‘Andante Festivo’ JS34
Edvard Hagerup Grieg:’ Fra Holbergs Tid’ op.40 (「ホルベアの時代から」)
violino: 日下紗矢子 / KUSAKA Sayako
orchestra: Konzerthaus Kammerorchester Berlin (ベルリン-コンツェルトハウス-室内オーケストラ)
ベルリン-コンツェルトハウス-室内オーケストラは、その母体であるベルリン-コンツェルトハウス管弦楽団のコンサートミストレスである日下紗矢子をリーダーとして2009年に結成された室内管弦楽団である。
2017年9月16日から23日までにかけて、フィリアホール(横浜市)・中新田バッハホール(宮城県加美郡加美町)・兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市、なぜか大ホールでの公演だった)岡崎市シビックセンター(愛知県岡崎市)・石橋文化ホール(福岡県久留米市)・松本市音楽文化ホールで、日本ツアーを開催した。今回は、管楽奏者はツアーに参加せず、弦楽とチェンバロ奏者のみによる来日公演である。
この評は、2017年9月23日、第六公演(千秋楽)松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→コントラバス→ヴァイオリン-チェロの配置で、第一ヴァイオリン4(日下紗矢子を含む)・第二ヴァイオリン3・ヴィオラ2・ヴァイオリン-チェロ2・コントラバス1の数である。前半にはチェンバロもあり、弦楽奏者に半円状に囲まれた中で、客席に背を向けての演奏であった。
着席位置は一階正面後方やや上手側、客の入りは残念ながら四割を切っていた。観客の鑑賞態度は素晴らしかったが、拍手のタイミングが早かった(誰か一人でもそういう奴がいると、そうなる)。もう3秒遅くしてもいいところだ。
演奏について述べる。
第一曲目のコレッリから「流す」要素がなく全力を尽くす演奏で好感が持てる。コレッリ・ヴィヴァルディはノンヴィブラートの演奏で、透明感のある響きを実現させる。テンポは要所で変化させ、全般的には早めで、ピリオド奏法の様式を取り入れているようにも思える。チェンバロの響きが伝わるように、弦楽奏者の音量もよく考えられている。
休憩後は一転して、イタリアから一気に北欧に飛び、シベリウスとグリーグのプログラムである。
滅多に演奏されることがないシベリウスの「ヴァイオリンと弦楽のための組曲」「アンダンテ-フェスティーヴォ」は、全般的に極めて高い水準であるこの演奏会の中でも、最も私の好みに合うものである。「組曲」は夏の高原にいるような雰囲気が感じられ、一方で「アンダンテ-フェスティーヴォ」は少し厳粛な雰囲気を持つ祝典にいるような感がする。
最後のグリーグ「ホルベアの時代より」は、今年のサイトウ-キネン-フェスティバルでも取り上げられており、同じ月の中でこの松本市内で二度演奏されるという異常事態となる。サイトウ-キネンは8-6-5-4-2の編成で長野県松本文化会館のデッドな会場に対応するべく、味付けを分厚く濃厚にして一本調子で乗り切ったような印象があるが、ベルリン-コンツェルトハウス-室内オーケストラでは、4-3-2-2-1と半分以下の規模だ。高い弦を弱めに引いて低弦を際立たせたりと、響きの良いホールでは表現に多様性が生じた点が印象的だ。
アンコールは、モーツァルトのディヴェルティメントK.136から第三楽章、チャイコフスキーの弦楽セレナーデOP.48 第二楽章であった。
(この演奏者での奏者は以下の通り)
violino: 日下紗矢子 / KUSAKA Sayako, Petr Matěják, Luisa Rönnebeck, Elias Schödel, Johannes Jahnel, Karoline Bestehorn, Christoph Kulicke
viola: Katja Plagens, Pei-Yi Wu
violoncello: Andreas Timm, David Drost
contrabbasso: Igor Prokopets
clavicembalo: Christine Kessler
2017年9月23日土曜日
2017年8月6日日曜日
びわ湖ホール オペラへの招待 サリヴァン作曲 コミック-オペラ 『ミカド』 感想
2017年8月5日 土曜日
2017年8月6日 日曜日
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール (滋賀県大津市)
演目:
アーサー=サリヴァン 歌劇「ミカド」(日本語版)
ミカド:松森 治
ナンキプー:二塚直紀
ココ:迎 肇聡
プーバー:竹内直紀
ピシュタッシュ:五島真澄
ヤムヤム:飯嶋幸子
ピッティシング:山際きみ佳
ピープボー:藤村江李奈
カティーシャ:吉川秋穂
貴族・市民:平尾 悠、溝越美詩、益田早織、吉川秋穂、川野貴之、島影聖人、増田貴寛、内山建人、宮城島 康 ほか
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
美術:増田寿子
照明:山本英明
衣裳:下斗米雪子
振付:佐藤ミツル
音響:押谷征仁(びわ湖ホール)
舞台監督:牧野 優(びわ湖ホール)
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
指揮:園田隆一郎
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールは、2017年8月5日から6日までの日程で、園田隆一郎の指揮による歌劇「ミカド」を2公演上演した。この他に、同年8月26日から27日までの日程で、新国立劇場にて2公演上演する。この評は2017年8月5日・6日に催された、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールでの公演に対するものである。
着席位置は二階正面上手側である。チケットは両公演とも完売となった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
(以下ネタバレ注意)
演出は、日本語による上演ということもあり、最新の時事ネタをも取り混ぜたものである。レチタティーヴォにて、「防衛大臣は辞任した」の他、中身白紙の100万円ネタがあり、この作品で求められている風刺を実現させている。
背景は、いかにも外国人観光客向けのウェブサイトを連想させるもの。ほとんど大道具はなく、場面転換もなく、いかに低予算で楽しませるかを狙ったものである。
最初のプロジェクターマッピングで鉄道車両を載せてくるが、懐かしい165系を出したり、E5系ではなくJR北海道所有のH5系(紫帯)を出すなど、映像担当者は絶対テツ(鉄道マニア)だろ!と、ツッコミどころ満載である(笑)。
衣装についてはポップなもので、女性についてはカティーシャ以外は全員「コギャル」の攻めた設定だ。
ミカドは、「公然イチャつき禁止法」に違反すると死刑にするは、死刑囚であるはずのココを最高指導者にするは、破茶滅茶の設定である(笑)
歌い手について述べる。
基本的に男声に力量のあるソリストを配置したことが分かる。
事実上の主役ナンキプー役の二塚直紀は、伸びやかな声量でアクセントを付け、終始全歌い手をリードした。ココ役の迎肇聡も、十二分にある声量だけでなく、その演技力で観客を沸かした。ナンキプーとココと、最も重要な役が素晴らしく、この公演の成功に貢献した。
ミカド役の松森修、プーパー役の竹内直紀も、コミカルな演技と十分な声量で魅了された。
女声では、やはりカティーシャ役の吉川秋穂が圧巻の出来で、この役に必要な貫禄を見せつけた。このストーカー女がやらかさないと面白くならないが、その責を十二分に果たしたと言える。
第一幕での数名規模までの合唱は、二日目の方が良かったか。第二幕前半の五重唱は、両日とも素晴らしい。
歌と管弦楽とのバランスも的確に取られており、歌い手が活きるように、歌と管弦楽とのアンサンブルがよく考えられる。
びわ湖ホールでの公演では、プロセニアムの両脇に日本語、上方に英語の字幕があった。字幕を見ると演者を見なくなる作用もあり、字幕の功罪について述べると長くなるので差し控えるが、字幕を出すのであれば、英語をも出したことは評価に値する。
テアトロ-レアル(マドリード)・リセウ歌劇場(バルセロナ)・ハンブルグ州立歌劇場・チューリッヒ歌劇場でも、現地語に加えて英語字幕は実施されており、もはやグローバルスタンダード、当たり前と言えば当たり前であるが、日本では新国立劇場でも行なっていない事を、手間を掛けて実施した先駆的な試みである。新国立劇場でも、このびわ湖ホールの試みは見習うべき点ではないか。8月26日27日の新国立劇場での上演時でも、英語字幕を実現して欲しい。
ラストは、タコ焼きに阪神タイガースネタを出したり、ミカドはランニング姿になるなど、衝撃的な結末となった(笑)。
2017年8月6日 日曜日
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール 中ホール (滋賀県大津市)
演目:
アーサー=サリヴァン 歌劇「ミカド」(日本語版)
ミカド:松森 治
ナンキプー:二塚直紀
ココ:迎 肇聡
プーバー:竹内直紀
ピシュタッシュ:五島真澄
ヤムヤム:飯嶋幸子
ピッティシング:山際きみ佳
ピープボー:藤村江李奈
カティーシャ:吉川秋穂
貴族・市民:平尾 悠、溝越美詩、益田早織、吉川秋穂、川野貴之、島影聖人、増田貴寛、内山建人、宮城島 康 ほか
合唱:びわ湖ホール声楽アンサンブル
美術:増田寿子
照明:山本英明
衣裳:下斗米雪子
振付:佐藤ミツル
音響:押谷征仁(びわ湖ホール)
舞台監督:牧野 優(びわ湖ホール)
管弦楽:日本センチュリー交響楽団
指揮:園田隆一郎
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールは、2017年8月5日から6日までの日程で、園田隆一郎の指揮による歌劇「ミカド」を2公演上演した。この他に、同年8月26日から27日までの日程で、新国立劇場にて2公演上演する。この評は2017年8月5日・6日に催された、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホールでの公演に対するものである。
着席位置は二階正面上手側である。チケットは両公演とも完売となった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
(以下ネタバレ注意)
演出は、日本語による上演ということもあり、最新の時事ネタをも取り混ぜたものである。レチタティーヴォにて、「防衛大臣は辞任した」の他、中身白紙の100万円ネタがあり、この作品で求められている風刺を実現させている。
背景は、いかにも外国人観光客向けのウェブサイトを連想させるもの。ほとんど大道具はなく、場面転換もなく、いかに低予算で楽しませるかを狙ったものである。
最初のプロジェクターマッピングで鉄道車両を載せてくるが、懐かしい165系を出したり、E5系ではなくJR北海道所有のH5系(紫帯)を出すなど、映像担当者は絶対テツ(鉄道マニア)だろ!と、ツッコミどころ満載である(笑)。
衣装についてはポップなもので、女性についてはカティーシャ以外は全員「コギャル」の攻めた設定だ。
ミカドは、「公然イチャつき禁止法」に違反すると死刑にするは、死刑囚であるはずのココを最高指導者にするは、破茶滅茶の設定である(笑)
歌い手について述べる。
基本的に男声に力量のあるソリストを配置したことが分かる。
事実上の主役ナンキプー役の二塚直紀は、伸びやかな声量でアクセントを付け、終始全歌い手をリードした。ココ役の迎肇聡も、十二分にある声量だけでなく、その演技力で観客を沸かした。ナンキプーとココと、最も重要な役が素晴らしく、この公演の成功に貢献した。
ミカド役の松森修、プーパー役の竹内直紀も、コミカルな演技と十分な声量で魅了された。
女声では、やはりカティーシャ役の吉川秋穂が圧巻の出来で、この役に必要な貫禄を見せつけた。このストーカー女がやらかさないと面白くならないが、その責を十二分に果たしたと言える。
第一幕での数名規模までの合唱は、二日目の方が良かったか。第二幕前半の五重唱は、両日とも素晴らしい。
歌と管弦楽とのバランスも的確に取られており、歌い手が活きるように、歌と管弦楽とのアンサンブルがよく考えられる。
びわ湖ホールでの公演では、プロセニアムの両脇に日本語、上方に英語の字幕があった。字幕を見ると演者を見なくなる作用もあり、字幕の功罪について述べると長くなるので差し控えるが、字幕を出すのであれば、英語をも出したことは評価に値する。
テアトロ-レアル(マドリード)・リセウ歌劇場(バルセロナ)・ハンブルグ州立歌劇場・チューリッヒ歌劇場でも、現地語に加えて英語字幕は実施されており、もはやグローバルスタンダード、当たり前と言えば当たり前であるが、日本では新国立劇場でも行なっていない事を、手間を掛けて実施した先駆的な試みである。新国立劇場でも、このびわ湖ホールの試みは見習うべき点ではないか。8月26日27日の新国立劇場での上演時でも、英語字幕を実現して欲しい。
ラストは、タコ焼きに阪神タイガースネタを出したり、ミカドはランニング姿になるなど、衝撃的な結末となった(笑)。
2017年7月22日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 448th Subscription Concert, review 第448回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2017年7月22日 土曜日
Saturday 22nd July 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Ouverture ‘Don Giovanni’ KV527
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra KV622
(休憩)
José Pablo Moncayo García: ‘Huapango’
Jesús Arturo Márquez Navarro: Danzón no 2
Alberto Evaristo Ginastera: Estancia (Quatro Danzas del Ballet) op.8a
clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Alondra de la Parra
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アレッサンドロ=カルボナーレをソリストに、アロンドラ=デ-ラ-パーラを指揮者に迎えて、2016年7月21日・22日に愛知県芸術劇場で、第448回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、特に後半は、メヒコの作曲家モンカーヨ・マルケス、アルヘンティーナの作曲家ヒナステラを充て、中南米音楽に接する貴重な機会を齎している。メヒコの美人指揮者、アロンドラ=デ-ラ-パーラの意向も含まれているだろう。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央から上手側に掛けて、打楽器は最後方中央のティンパニの他は下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方わずかに下手側、客の入りは8割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、きわめて良好だった。
「ドン-ジョバンニ」序曲の時点で、Alondra de la Parra の棒に名フィルがテンション高く反応する。熱量が高く面白い。
モーツァルトのクラリネット協奏曲は、カルボナーレのソロは見事ではあるが、中弱音を多用したために、ホールの大きさも相まって自己主張は抑えめとなる。むしろ、Alondra de la Parra 率いる管弦楽の方が、第一楽章後半部などで見せる熱量の高い演奏を見せ、カルボナーレとは対照的である点が興味深い。
(余談だが、2016年11月にカルボナーレはカメラータ-ザルツブルクと同じ曲で松本市音楽文化ホールにて共演していたが、その時はカルボナーレがかなりリードしているようにも思えた。ホール規模による印象の差なのか?「カメラータ」とフルオーケストラとの差なのか?)
カルボナーレのソリスト-アンコールは、チャーリー=パーカーの「チェロキー」にちなむ「クラリネット-ロギア」である。モーツァルトの演奏とは打って変わって、カルボナーレがその技巧を惜しみなく注ぎ込み、ホール全体によく響かせる演奏で、とても楽しい。まるで、このアンコールを吹くためにモーツァルトのソロを引き受けたのではないかと思えるほどである。中南米の曲目で固めた後半につなげるような、ヨーロッパからアメリカに飛んだ選曲も素晴らしい。
なお、その光景は、指揮台に座った Alondra de la Parra がスマホで動画撮影し、直後の休憩時に即instagramに投稿している。
後半は、いよいよお待ちかねの中南米音楽である。
まずは、Moncayo ‘Huapango’ モンカーヨの「ウアパンゴ」だ。曲の進行とともに管弦楽が噛み合い始め、管楽弱音ソロで決める場面もキッチリ決まる。私の個人的なポイントは、何と言っても、ヴァイオリンの強烈なウネリを掛けた強奏で、その絶妙かつ強いニュアンスを効かせた強い響きは効果的だ。この場面を愛知県芸術劇場コンサートホールの響きで聴けたのは幸せである。名フィル始まって以来のヴァイオリンの強烈な響きではないだろうか?その旋律を追いかけるトランペットも素晴らしい。
次は、Márquez ‘Danzón’ no 2 マルケスの「ダンソン」第2番である。メヒコの太陽の強烈さは影も深い、印象を持つ。
最後はGinastera: Estancia ヒナステラのバレエ音楽「エスタンシア」組曲版である。どうしても、Damza Final (Malambo) の強烈な旋律が全てを持っていってしまう。名フィルの総力を挙げ、愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを知り尽くし、現代音楽で鍛え上げられた弦管打全てが絡み合う名演である。牛の鳴き声を表現しているかと思われる管楽の挿入も見事で、題名の通り、アルヘンティーナの農場を思わせる光景だ。打楽の二連音のアクセントも強めに入る好みの展開である。まさに、愛知県芸術劇場コンサートホール改修工事前の、お別れにふさわしい幕切れだ。シャイな名古屋の観客がスタオベやり始める展開である。
アンコールは、マランボの繰り返しである。これが前代未聞のアンコールとなる。Alondra de la Parra から観客に対して指示が出る。立ち上がろう!手拍子しよう!体を左右に振って踊ろう!(管弦楽も体を左右に振りだしている)しまいには、打楽二連音のアクセントの箇所でジャンプ指令まで出た。まあ、手拍子レベルならあり得る展開であるが、ジャンプまでさせるとはねえ。アロンドラも指揮台の上で楽し気にジャンプしている。日本のクラシック音楽演奏会史に残る伝説的なアンコールであった。
Alondra de la Parra は、管弦楽を情熱的にさせる音楽面での確かな充実ぶりはもちろんのこと、観客を楽しませるエンターテイメントの面でも素晴らしい才覚を発揮した。ソリスト-アンコール中の動画撮影と即時instagram 投稿、アンコールでの観客関与、サラリと前代未聞の仕掛けを実現させていく。メヒコ美女だからこそ、日本の演奏会のスタイルを変えていけるのかもしれない。
Alondra de la Parra は、実はバレエ好きで、名古屋滞在中に English National Ballet の’Coppélia’ 公演を観劇していたりする。instagramを覗くと、Alondra自身がバーレッスンをしている写真もある。この伝説的なアンコールには、彼女のバレエとの関わりをも背景にあるように思える。(余談ではあるが、新国立劇場バレエ団に彼女を指揮者として呼んで、Ginastera の ‘Estancia’ 全幕を上演したら面白いだろなと、頭に浮かんでくる。)
愛知県芸術劇場コンサートホールは、2017年8月から一年以上にわたって改修工事に入る。この第448回定期演奏会は、名フィルにとって改修工事前の最後の演奏会であった。愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを十全に活かした響き、革新的な演奏会の在り方の提起、メヒコからの旋風がこの美しいホールに吹き込まれた、画期的な演奏会となった。
Saturday 22nd July 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Ouverture ‘Don Giovanni’ KV527
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra KV622
(休憩)
José Pablo Moncayo García: ‘Huapango’
Jesús Arturo Márquez Navarro: Danzón no 2
Alberto Evaristo Ginastera: Estancia (Quatro Danzas del Ballet) op.8a
clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Alondra de la Parra
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アレッサンドロ=カルボナーレをソリストに、アロンドラ=デ-ラ-パーラを指揮者に迎えて、2016年7月21日・22日に愛知県芸術劇場で、第448回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、特に後半は、メヒコの作曲家モンカーヨ・マルケス、アルヘンティーナの作曲家ヒナステラを充て、中南米音楽に接する貴重な機会を齎している。メヒコの美人指揮者、アロンドラ=デ-ラ-パーラの意向も含まれているだろう。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央から上手側に掛けて、打楽器は最後方中央のティンパニの他は下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方わずかに下手側、客の入りは8割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、きわめて良好だった。
「ドン-ジョバンニ」序曲の時点で、Alondra de la Parra の棒に名フィルがテンション高く反応する。熱量が高く面白い。
モーツァルトのクラリネット協奏曲は、カルボナーレのソロは見事ではあるが、中弱音を多用したために、ホールの大きさも相まって自己主張は抑えめとなる。むしろ、Alondra de la Parra 率いる管弦楽の方が、第一楽章後半部などで見せる熱量の高い演奏を見せ、カルボナーレとは対照的である点が興味深い。
(余談だが、2016年11月にカルボナーレはカメラータ-ザルツブルクと同じ曲で松本市音楽文化ホールにて共演していたが、その時はカルボナーレがかなりリードしているようにも思えた。ホール規模による印象の差なのか?「カメラータ」とフルオーケストラとの差なのか?)
カルボナーレのソリスト-アンコールは、チャーリー=パーカーの「チェロキー」にちなむ「クラリネット-ロギア」である。モーツァルトの演奏とは打って変わって、カルボナーレがその技巧を惜しみなく注ぎ込み、ホール全体によく響かせる演奏で、とても楽しい。まるで、このアンコールを吹くためにモーツァルトのソロを引き受けたのではないかと思えるほどである。中南米の曲目で固めた後半につなげるような、ヨーロッパからアメリカに飛んだ選曲も素晴らしい。
なお、その光景は、指揮台に座った Alondra de la Parra がスマホで動画撮影し、直後の休憩時に即instagramに投稿している。
後半は、いよいよお待ちかねの中南米音楽である。
まずは、Moncayo ‘Huapango’ モンカーヨの「ウアパンゴ」だ。曲の進行とともに管弦楽が噛み合い始め、管楽弱音ソロで決める場面もキッチリ決まる。私の個人的なポイントは、何と言っても、ヴァイオリンの強烈なウネリを掛けた強奏で、その絶妙かつ強いニュアンスを効かせた強い響きは効果的だ。この場面を愛知県芸術劇場コンサートホールの響きで聴けたのは幸せである。名フィル始まって以来のヴァイオリンの強烈な響きではないだろうか?その旋律を追いかけるトランペットも素晴らしい。
次は、Márquez ‘Danzón’ no 2 マルケスの「ダンソン」第2番である。メヒコの太陽の強烈さは影も深い、印象を持つ。
最後はGinastera: Estancia ヒナステラのバレエ音楽「エスタンシア」組曲版である。どうしても、Damza Final (Malambo) の強烈な旋律が全てを持っていってしまう。名フィルの総力を挙げ、愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを知り尽くし、現代音楽で鍛え上げられた弦管打全てが絡み合う名演である。牛の鳴き声を表現しているかと思われる管楽の挿入も見事で、題名の通り、アルヘンティーナの農場を思わせる光景だ。打楽の二連音のアクセントも強めに入る好みの展開である。まさに、愛知県芸術劇場コンサートホール改修工事前の、お別れにふさわしい幕切れだ。シャイな名古屋の観客がスタオベやり始める展開である。
アンコールは、マランボの繰り返しである。これが前代未聞のアンコールとなる。Alondra de la Parra から観客に対して指示が出る。立ち上がろう!手拍子しよう!体を左右に振って踊ろう!(管弦楽も体を左右に振りだしている)しまいには、打楽二連音のアクセントの箇所でジャンプ指令まで出た。まあ、手拍子レベルならあり得る展開であるが、ジャンプまでさせるとはねえ。アロンドラも指揮台の上で楽し気にジャンプしている。日本のクラシック音楽演奏会史に残る伝説的なアンコールであった。
Alondra de la Parra は、管弦楽を情熱的にさせる音楽面での確かな充実ぶりはもちろんのこと、観客を楽しませるエンターテイメントの面でも素晴らしい才覚を発揮した。ソリスト-アンコール中の動画撮影と即時instagram 投稿、アンコールでの観客関与、サラリと前代未聞の仕掛けを実現させていく。メヒコ美女だからこそ、日本の演奏会のスタイルを変えていけるのかもしれない。
Alondra de la Parra は、実はバレエ好きで、名古屋滞在中に English National Ballet の’Coppélia’ 公演を観劇していたりする。instagramを覗くと、Alondra自身がバーレッスンをしている写真もある。この伝説的なアンコールには、彼女のバレエとの関わりをも背景にあるように思える。(余談ではあるが、新国立劇場バレエ団に彼女を指揮者として呼んで、Ginastera の ‘Estancia’ 全幕を上演したら面白いだろなと、頭に浮かんでくる。)
愛知県芸術劇場コンサートホールは、2017年8月から一年以上にわたって改修工事に入る。この第448回定期演奏会は、名フィルにとって改修工事前の最後の演奏会であった。愛知県芸術劇場コンサートホールの響きを十全に活かした響き、革新的な演奏会の在り方の提起、メヒコからの旋風がこの美しいホールに吹き込まれた、画期的な演奏会となった。
2017年7月21日金曜日
Orchestra Ensemble Kanazawa, the 392nd Subscription Concert, review 第392回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評
2017年7月21日 金曜日
Friday 21st July 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Organ Inprovisation by Thierry Escaich
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.7 D759 ‘Incompiuta’
Charles Camille Saint-Saëns: Concerto per violoncello e orchestra n.1 op.33
(休憩)
Thierry Escaich: Concerto per organo e orchestra n.3 'Quatre Visages du Temps' (「時の四つの顔」)
violoncello: Ľudovít Kanta
organo: Thierry Escaich
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: 井上道義 / Inoue Michiyoshi
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、オルガンにティエリー=エスケシュを迎え、指揮は音楽監督の井上道義、チェロは首席奏者ルドヴィート=カンタが担当し、2017年7月18日から23日までに、石川県立音楽堂(金沢市)・那須野が原ハーモニーホール(栃木県大田原市)・松本市音楽文化ホール・ミューザ川崎シンフォニーホールで、第392回定期演奏会を開催する。
この評は、2017年7月21日、第三回目松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは両側端の位置につく。
着席位置は一階正面後方わずかに上手側、客の入りは四割程であろうか、空席が目立った。観客の鑑賞態度は、極めて素晴らしい。
演奏について述べる。
シューベルトの「未完成」は、低弦を中央後方に置き、通常弦楽の上手側となる位置に管楽を置く変態的な配置であったが、意味があったのかは疑問である。響きは豊かだが、構成は眠くなる感じである。
サン-サーンスのチェロ協奏曲は素晴らしい。チェロと管弦楽との一体感が、曲の進行とともに増してくる。696席の松本市音楽文化ホールならではのチェロの響きで、チェロのソロがこれだけ鳴るホールも少ない。カンタのチェロが情感を深くした第二楽章と思える箇所の、チェロと管弦楽との掛け合いは、同じ方向性を向いた、家族のような一体感を感じさせるものである。
エスケシュのオルガン協奏曲は、オルガンと管弦楽とがブレンドされ、誰が鳴らしているのか分からないほどの見事な演奏である。第二楽章の弦楽とオルガンとの一体感を感じさせる響きに惹きつけられる。一方で、両翼に配置した打楽は的確なアクセントを与える。楽器の構成がワールドワイドで楽しい。
サン-サーンスのチェロ協奏曲と、エスケシュの世界初演されたばかり(松本が第三公演!)のオルガン協奏曲を味わう事ができた、充実した演奏会であった。
#oekjp
Friday 21st July 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Organ Inprovisation by Thierry Escaich
Franz Peter Schubert: Sinfonia n.7 D759 ‘Incompiuta’
Charles Camille Saint-Saëns: Concerto per violoncello e orchestra n.1 op.33
(休憩)
Thierry Escaich: Concerto per organo e orchestra n.3 'Quatre Visages du Temps' (「時の四つの顔」)
violoncello: Ľudovít Kanta
organo: Thierry Escaich
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: 井上道義 / Inoue Michiyoshi
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、オルガンにティエリー=エスケシュを迎え、指揮は音楽監督の井上道義、チェロは首席奏者ルドヴィート=カンタが担当し、2017年7月18日から23日までに、石川県立音楽堂(金沢市)・那須野が原ハーモニーホール(栃木県大田原市)・松本市音楽文化ホール・ミューザ川崎シンフォニーホールで、第392回定期演奏会を開催する。
この評は、2017年7月21日、第三回目松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは後方上手、他のパーカッションは両側端の位置につく。
着席位置は一階正面後方わずかに上手側、客の入りは四割程であろうか、空席が目立った。観客の鑑賞態度は、極めて素晴らしい。
演奏について述べる。
シューベルトの「未完成」は、低弦を中央後方に置き、通常弦楽の上手側となる位置に管楽を置く変態的な配置であったが、意味があったのかは疑問である。響きは豊かだが、構成は眠くなる感じである。
サン-サーンスのチェロ協奏曲は素晴らしい。チェロと管弦楽との一体感が、曲の進行とともに増してくる。696席の松本市音楽文化ホールならではのチェロの響きで、チェロのソロがこれだけ鳴るホールも少ない。カンタのチェロが情感を深くした第二楽章と思える箇所の、チェロと管弦楽との掛け合いは、同じ方向性を向いた、家族のような一体感を感じさせるものである。
エスケシュのオルガン協奏曲は、オルガンと管弦楽とがブレンドされ、誰が鳴らしているのか分からないほどの見事な演奏である。第二楽章の弦楽とオルガンとの一体感を感じさせる響きに惹きつけられる。一方で、両翼に配置した打楽は的確なアクセントを与える。楽器の構成がワールドワイドで楽しい。
サン-サーンスのチェロ協奏曲と、エスケシュの世界初演されたばかり(松本が第三公演!)のオルガン協奏曲を味わう事ができた、充実した演奏会であった。
#oekjp
2017年6月4日日曜日
Gustav Mahler Ensemble, Matsumoto Concert (2017), review グスタフ=マーラー-アンサンブル 松本公演 評
2017年6月4日 日曜日
Sunday 4th June 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244
ハイドン:弦楽四重奏曲 変ロ長調「日の出」作品76-4
J.シュトラウスⅡ:ジーフェリングのリラの花 〜喜歌劇『踊り子ファニー・エルスラー』より
J.シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル「浮気心」op.319
S.メルカダンテ フルート協奏曲 op.57 第三楽章
R.シュトルツ:ウィーンは夜が一番美しい 〜喜歌劇『春のパレード』より
(休憩)
W.A.モーツァルト:弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458「狩」
J.シュトラウスⅠ:ギャロップ「ため息」op.9
P.A. ジュナン 「ヴェニスの謝肉祭」 フルートと弦楽による
F.レハール:私の唇に熱き口づけを 〜喜歌劇『ジュディッタ』より
soprano: Monika Mosser / モニカ=モッシャー
violino 1: Alexander Burggasser / アレクサンダー=バーギャセル
violino 2: 大竹貴子 / Otake Takako
viola: Peter Sagaischek / ペーター=ザガイシェク
violoncello: Nikolaus Straka / ニコラス=ストラーカー
flauto: Matthias Schulz / マティアス=シュルツ
グスタフ=マーラー-アンサンブルは、2017年6月3日から5日までにかけて、日本ツアーを実施し、各務原(岐阜県)・松本・名古屋にて演奏会を開催する。この評は、第二公演2017年6月4日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
メンバーは、ヴィーン交響楽団のコンサートマスターの他、ヴィーンフィル・フォルクスオーパー等の奏者などによって構成されている。大竹貴子は、名古屋近郊の出身でスズキメソードの教育を受けた後、現在、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団のアフェリエイト-プレイヤーである。
着席位置は一階正面後方やや上手側、観客の入りは半分弱。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
全般的に、前半は、弦楽・管楽・ソプラノとの響きのバラバラ感があったが、後半は完成度の高い演奏を見せた。
モーツァルトの「狩」は、松本市音楽文化ホールの響きを活かした演奏で、端正な方向性を志向した演奏だ。管弦楽団の奏者を本職にしていて、かつアウェイの難しい響きのホールでの演奏を考えれば、素晴らしい演奏である。完成度の高い演奏を目指し、安全運転気味な要素はあったけど、と思うのは贅沢か?
「ヴェニスの謝肉祭」は、フルートの超絶技巧が活き、また弦楽の深みのある響きが出た点でも、この演奏会の白眉である。
「私の唇に熱き口づけを」では、ソプラノとフルート・弦楽のバランスがキチッと取られている。この松本市音楽文化ホールは、音量面では楽勝なホールであるが、美しく響かせるコントロールは難しい。この曲では、ソプラノの響きのコントロールが最も良く取られていた。ダンスも交えていて、もちろんバレエダンサーのような技巧を駆使したものではないけれど、明らかに何らかの舞踊教育を受けた事が分かるダンスであった。
アンコールは、ジーツェンスキーの「ヴィーン我が夢の街」、ビゼー「アルルの女」第二組曲よりメヌエット、ヨハン=シュトラウス(父)の「アンネン-ポルカ」の三曲であった。「アンネン-ポルカ」では、モニカ=モッシャーがシャンパーニュを放つは、グラスを落として割ってしまうわと、やりたい放題であった。
Sunday 4th June 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244
ハイドン:弦楽四重奏曲 変ロ長調「日の出」作品76-4
J.シュトラウスⅡ:ジーフェリングのリラの花 〜喜歌劇『踊り子ファニー・エルスラー』より
J.シュトラウスⅡ:ポルカ・シュネル「浮気心」op.319
S.メルカダンテ フルート協奏曲 op.57 第三楽章
R.シュトルツ:ウィーンは夜が一番美しい 〜喜歌劇『春のパレード』より
(休憩)
W.A.モーツァルト:弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 K.458「狩」
J.シュトラウスⅠ:ギャロップ「ため息」op.9
P.A. ジュナン 「ヴェニスの謝肉祭」 フルートと弦楽による
F.レハール:私の唇に熱き口づけを 〜喜歌劇『ジュディッタ』より
soprano: Monika Mosser / モニカ=モッシャー
violino 1: Alexander Burggasser / アレクサンダー=バーギャセル
violino 2: 大竹貴子 / Otake Takako
viola: Peter Sagaischek / ペーター=ザガイシェク
violoncello: Nikolaus Straka / ニコラス=ストラーカー
flauto: Matthias Schulz / マティアス=シュルツ
グスタフ=マーラー-アンサンブルは、2017年6月3日から5日までにかけて、日本ツアーを実施し、各務原(岐阜県)・松本・名古屋にて演奏会を開催する。この評は、第二公演2017年6月4日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
メンバーは、ヴィーン交響楽団のコンサートマスターの他、ヴィーンフィル・フォルクスオーパー等の奏者などによって構成されている。大竹貴子は、名古屋近郊の出身でスズキメソードの教育を受けた後、現在、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団のアフェリエイト-プレイヤーである。
着席位置は一階正面後方やや上手側、観客の入りは半分弱。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
全般的に、前半は、弦楽・管楽・ソプラノとの響きのバラバラ感があったが、後半は完成度の高い演奏を見せた。
モーツァルトの「狩」は、松本市音楽文化ホールの響きを活かした演奏で、端正な方向性を志向した演奏だ。管弦楽団の奏者を本職にしていて、かつアウェイの難しい響きのホールでの演奏を考えれば、素晴らしい演奏である。完成度の高い演奏を目指し、安全運転気味な要素はあったけど、と思うのは贅沢か?
「ヴェニスの謝肉祭」は、フルートの超絶技巧が活き、また弦楽の深みのある響きが出た点でも、この演奏会の白眉である。
「私の唇に熱き口づけを」では、ソプラノとフルート・弦楽のバランスがキチッと取られている。この松本市音楽文化ホールは、音量面では楽勝なホールであるが、美しく響かせるコントロールは難しい。この曲では、ソプラノの響きのコントロールが最も良く取られていた。ダンスも交えていて、もちろんバレエダンサーのような技巧を駆使したものではないけれど、明らかに何らかの舞踊教育を受けた事が分かるダンスであった。
アンコールは、ジーツェンスキーの「ヴィーン我が夢の街」、ビゼー「アルルの女」第二組曲よりメヌエット、ヨハン=シュトラウス(父)の「アンネン-ポルカ」の三曲であった。「アンネン-ポルカ」では、モニカ=モッシャーがシャンパーニュを放つは、グラスを落として割ってしまうわと、やりたい放題であった。
2017年6月3日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 446th Subscription Concert, review 第446回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2017年6月3日 土曜日
Saturday 3rd June 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
吉松隆/ Yoshimatsu Takashi: 「鳥は静かに…」 / ‘And Birds are Still...’ op.72
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Concerto per violino e orchestra op.35
(休憩)
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Sinfonia n.12 op.112 ≪1917-й год≫ 「1917年」
violino: Noah Bendix-Balgley (ノア=ベンディックス-バルグリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 川瀬賢太郎 / Kawase Kentaro
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、米国生まれのノア=ベンディックス-バルグリー(ヴァイオリン)をソリストに、川瀬賢太郎を指揮者に迎えて、2017年6月2日・3日に愛知県芸術劇場で、第446回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を別とすれば、吉松隆による1998年の作品「鳥は静かに…」、ドミトリー=ショスタコーヴィチの交響曲第12番と、近現代音楽から構成されている。バランスが取れた曲目と言えるかもしれない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は中央最後方下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、時折ノイズはあったものの、概ね良好であった。
「鳥は静かに...」は、弦楽のみによる神経を通わした演奏である。
二曲目のチャイコフスキーによるヴァイオリン協奏曲は、一言で言うと面白かった。
ヴァイオリンのNoah Bendix-Balgley は、特に第一楽章前半では遅めのテンポで朗々と奏でるような方向性の演奏で、少し小技を用いてニュアンスを掛けてはいるものの、眠くなりがちのように思えた。しかし、ヴァイオリンが休み管弦楽のみで最強奏全速前進し始めた箇所は、目が覚め、ここからが Noah と川瀬賢太郎とによる共謀作業が始める。Noah のカデンツァは、朗々とした美しい響きで、王道を歩む演奏だ。
第二楽章では、極限まで弱い響きにしたりするし。第三楽章冒頭で、Noah がリタルダンドを掛けるニュアンスはバッチリ効いた。第一楽章とは逆に、管弦楽だけで極端に遅いテンポにした箇所もあり、ニヤケてしまう。
一方で、Noah と川瀬賢太郎とによる構成はよく考えられており、ソリストと管弦楽との響きのバランスも取れており、記憶に留められない程の数々の仕掛けにより、個性溢れるチャイコフスキーを実現した。
好き嫌いが分かれそうな演奏であり、ブーイングとこれに対抗するブラヴォーが飛び交うかと期待、、じゃなかった、心配をしたが、観客の反応は思ったよりも暖かい反応で、その意味では、つまらなかった(←コラ
後半は、ショスタコーヴィッチの交響曲第12番である。前常任指揮者である Martyn Brabbins による、現代音楽の演奏により鍛え上げられた、名フィルの総力を結集した演奏である。弦管打全てが的確に絡み合い、全奏者が一致団結して成し遂げる演奏である。もちろん、どんな強奏になっても美しい響きを保つ管楽の力には注目させられるけど、弦楽も士気に溢れるパッションを出し、打楽もショスタコーヴィッチの求める躍動感を見事に表出する。全管弦楽が一体となったハーモニーの美しさが、どんなに速く強く演奏する箇所でも、常に保たれる。フル-オーケストラの威力を存分に堪能した演奏であった。
#名フィル446
Saturday 3rd June 2017
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
吉松隆/ Yoshimatsu Takashi: 「鳥は静かに…」 / ‘And Birds are Still...’ op.72
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Concerto per violino e orchestra op.35
(休憩)
Дмитрий Дмитриевич Шостакович / Dmitrii Shostakovich: Sinfonia n.12 op.112 ≪1917-й год≫ 「1917年」
violino: Noah Bendix-Balgley (ノア=ベンディックス-バルグリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: 川瀬賢太郎 / Kawase Kentaro
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、米国生まれのノア=ベンディックス-バルグリー(ヴァイオリン)をソリストに、川瀬賢太郎を指揮者に迎えて、2017年6月2日・3日に愛知県芸術劇場で、第446回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
今回のプログラムは、保守化した今シーズンのプログラムの中では例外的に良心的なもので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を別とすれば、吉松隆による1998年の作品「鳥は静かに…」、ドミトリー=ショスタコーヴィチの交響曲第12番と、近現代音楽から構成されている。バランスが取れた曲目と言えるかもしれない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの上手側につく。管楽パートは後方中央、打楽器は中央最後方下手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、時折ノイズはあったものの、概ね良好であった。
「鳥は静かに...」は、弦楽のみによる神経を通わした演奏である。
二曲目のチャイコフスキーによるヴァイオリン協奏曲は、一言で言うと面白かった。
ヴァイオリンのNoah Bendix-Balgley は、特に第一楽章前半では遅めのテンポで朗々と奏でるような方向性の演奏で、少し小技を用いてニュアンスを掛けてはいるものの、眠くなりがちのように思えた。しかし、ヴァイオリンが休み管弦楽のみで最強奏全速前進し始めた箇所は、目が覚め、ここからが Noah と川瀬賢太郎とによる共謀作業が始める。Noah のカデンツァは、朗々とした美しい響きで、王道を歩む演奏だ。
第二楽章では、極限まで弱い響きにしたりするし。第三楽章冒頭で、Noah がリタルダンドを掛けるニュアンスはバッチリ効いた。第一楽章とは逆に、管弦楽だけで極端に遅いテンポにした箇所もあり、ニヤケてしまう。
一方で、Noah と川瀬賢太郎とによる構成はよく考えられており、ソリストと管弦楽との響きのバランスも取れており、記憶に留められない程の数々の仕掛けにより、個性溢れるチャイコフスキーを実現した。
好き嫌いが分かれそうな演奏であり、ブーイングとこれに対抗するブラヴォーが飛び交うかと期待、、じゃなかった、心配をしたが、観客の反応は思ったよりも暖かい反応で、その意味では、つまらなかった(←コラ
後半は、ショスタコーヴィッチの交響曲第12番である。前常任指揮者である Martyn Brabbins による、現代音楽の演奏により鍛え上げられた、名フィルの総力を結集した演奏である。弦管打全てが的確に絡み合い、全奏者が一致団結して成し遂げる演奏である。もちろん、どんな強奏になっても美しい響きを保つ管楽の力には注目させられるけど、弦楽も士気に溢れるパッションを出し、打楽もショスタコーヴィッチの求める躍動感を見事に表出する。全管弦楽が一体となったハーモニーの美しさが、どんなに速く強く演奏する箇所でも、常に保たれる。フル-オーケストラの威力を存分に堪能した演奏であった。
#名フィル446
2017年4月29日土曜日
New National Theatre Tokyo, Opera ‘Le nozze di Figaro’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「フィガロの結婚」 感想
2017年4月29日 土曜日
Saturday 29th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Opera ‘Le nozze di Figaro’ K.492
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
Il Conte Almaviva: Pietro Spagnoli
La Contessa: Aga Mikolaj
Figaro: Adam Palka
Susanna: 中村恵理 / Nakamura Eri
Cherubino: Jana Kurucová
Marcellina: 竹本節子 / Takemoto Setsuko
Bartolo: 久保田真澄 / Kubota Masumi
Basilio: 小山陽次郎 / Oyama Yojiro
Don Curzio: 糸賀修平 / Itoga Shuhei
Antonio: 晴雅彦 / Hare Masahiko
Barbarina: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
due Fanciulle: 岩本麻里 / Iwamoto Mari, 小林昌代 Kobayashi Masayo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Production: Andreas Homoki
Set design: Frank Philipp Schlössmann
Costumes design: Mechthild Seipel
Lighting design: Franck Evin
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Constantin Trinks
新国立劇場は、2017年4月20日から29日までの日程で、コンスタンティン=トリンクスの指揮による歌劇「フィガロの結婚」を4公演開催した。この評は2017年4月29日に催された第四回目、千秋楽公演に対するものである。
着席位置は二階正面中央である。天皇陛下のお座りになる位置である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
ソリストの出来について述べる。
4月23日の出来で最も素晴らしかったのは、ケルビーノ役の Jana Kurucová であったが、今日の公演では、ロジーナ役の Aga Mikolaj であった。
Aga Mikolaj は、4月23日公演では冒頭部の登場場面でのヴィブラートが気になったが、今日は特に美しく響いた。席の場所によるものかもしれない。
もちろん、ケルビーノ役の Jana Kurucová は今日も素晴らしい。また、マルチェリーナ役の竹本節子も、若い男に対する欲望と、母親としての慈愛を的確に表現した。
スザンナ役の中村恵理は、モーツァルトにしては重い声である。どうもソプラノを聴いた実感がない。メゾソプラノの Jana Kurucová の方が余程スザンナに向いているように思える私の感覚はおかしいか?
中村恵理を含め、他のソリストは、場面場面での出来不出来が激しいように思えた。
管弦楽については、やはり金管の実力が、モーツァルトやハイドンといったような、古典派だからこそ厳しく求められることを実感する。ホルンの出来は、素晴らしく溶け込んだハーモニーを構成したと思える箇所もあれば、ガタガタな場面でモーツァルトの意図を壊した場面もあり、モーツァルトの音楽が管弦楽奏者に求める残虐なまでの要求が露呈する結果となった。
Saturday 29th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Opera ‘Le nozze di Figaro’ K.492
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 歌劇「フィガロの結婚」
Il Conte Almaviva: Pietro Spagnoli
La Contessa: Aga Mikolaj
Figaro: Adam Palka
Susanna: 中村恵理 / Nakamura Eri
Cherubino: Jana Kurucová
Marcellina: 竹本節子 / Takemoto Setsuko
Bartolo: 久保田真澄 / Kubota Masumi
Basilio: 小山陽次郎 / Oyama Yojiro
Don Curzio: 糸賀修平 / Itoga Shuhei
Antonio: 晴雅彦 / Hare Masahiko
Barbarina: 吉原圭子 / Yoshihara Keiko
due Fanciulle: 岩本麻里 / Iwamoto Mari, 小林昌代 Kobayashi Masayo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Production: Andreas Homoki
Set design: Frank Philipp Schlössmann
Costumes design: Mechthild Seipel
Lighting design: Franck Evin
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Constantin Trinks
新国立劇場は、2017年4月20日から29日までの日程で、コンスタンティン=トリンクスの指揮による歌劇「フィガロの結婚」を4公演開催した。この評は2017年4月29日に催された第四回目、千秋楽公演に対するものである。
着席位置は二階正面中央である。天皇陛下のお座りになる位置である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
ソリストの出来について述べる。
4月23日の出来で最も素晴らしかったのは、ケルビーノ役の Jana Kurucová であったが、今日の公演では、ロジーナ役の Aga Mikolaj であった。
Aga Mikolaj は、4月23日公演では冒頭部の登場場面でのヴィブラートが気になったが、今日は特に美しく響いた。席の場所によるものかもしれない。
もちろん、ケルビーノ役の Jana Kurucová は今日も素晴らしい。また、マルチェリーナ役の竹本節子も、若い男に対する欲望と、母親としての慈愛を的確に表現した。
スザンナ役の中村恵理は、モーツァルトにしては重い声である。どうもソプラノを聴いた実感がない。メゾソプラノの Jana Kurucová の方が余程スザンナに向いているように思える私の感覚はおかしいか?
中村恵理を含め、他のソリストは、場面場面での出来不出来が激しいように思えた。
管弦楽については、やはり金管の実力が、モーツァルトやハイドンといったような、古典派だからこそ厳しく求められることを実感する。ホルンの出来は、素晴らしく溶け込んだハーモニーを構成したと思える箇所もあれば、ガタガタな場面でモーツァルトの意図を壊した場面もあり、モーツァルトの音楽が管弦楽奏者に求める残虐なまでの要求が露呈する結果となった。
2017年4月22日土曜日
Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo, the 106th Subscription Concert, review 第106回 紀尾井ホール室内管弦楽団 定期演奏会 評
2017年4月22日 土曜日
Saturday 22th April 2017
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: Concerto in Re
Johann Sebastian Bach: Concerto per due violini BWV1043
(休憩)
Franz Joseph Haydn: ‘Le sette ultime parole del nostro Redentore in croce’ Hob.XX/1A (十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉)
violino 1: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
violino 2: 千々岩英一 / Chijiiwa Eiichi
orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
紀尾井ホール室内管弦楽団(KCO)(旧紀尾井シンフォニエッタ東京(KST))は、ライナー=ホーネック=バラホフスキーをソリスト/指揮者に迎えて、2017年4月21日・22日に東京-紀尾井ホールで、第106回定期演奏会を開催した。旧名称による本拠地での演奏から10ヶ月ぶりの演奏となる。ストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」やハイドン「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」と言った、滅多に演奏されない曲目を演奏するなど、新名称になって初めての演奏会として意欲的なプログラムとなっている。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管後方上手側、ティンパニは最後方中央の位置につく。
着席位置は一階正面後方僅かに上手側、曲目がマイナーであるためかチケットは完売せず、当日券を売り出していたが、9割程の入りはあったか。サボっている定期会員もいた。観客の鑑賞態度は、時折細かいノイズはあったが、概ね良好出会った。最後の曲目の拍手が、指揮者の明確な合図があってから為されれば、なお良かったが。
第一曲目のストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」は、上手側の低弦が印象に残る。ヴィオラのソロらしき箇所が素晴らしく響く。
前半のソリスト(?)アンコールは、ヨーゼフ=ヘルメスベルガー父による第二曲目BWV1043の第三楽章のカデンツァで、これは面白かった。
後半は、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」。
まず、この知られていない曲目を取り上げたこと自体が快挙である。この緩徐楽章ばかりの難曲を、奇を衒わず的確な響きで、緊張感に満ちた演奏を繰り広げる。
序奏の強い響きで惹きつけ、その後も弱奏・強奏とも繊細で美しい響きである。管楽の入る箇所での響きの構成も的確である。Rainer Honeck によりよく考えれた構成のもとで、管弦楽にその趣旨が行き渡り、精緻な響きで実現させていく。縦の線がよく合うことが、単なる技術の見せびらかしでなく、シンプルで誤魔化しの効かないこの難曲を活かしていくのに、どれ程貢献しているか!
モダン系による演奏としては、このアプローチは正解であると思える。曲目の性質上、ヴィヴィッド路線でと言う訳にも行かまい。ピリオド系だと、どのようなアプローチになるのだろう?とも思うけど。
この曲を、紀尾井ホールとそも座付きの管弦楽で聴けたのは、幸せな体験であった。音響が優れた中規模ホールで、技倆のある室内管弦楽団でなければ実現出来ない企画を高いレベルで達成した。
大管弦楽は沢山あるクセに、室内管弦楽団がたった一つしかないこの東京で、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」を、紀尾井ホールの企画力と、その企画を高いレベルで実現する紀尾井ホール室内管弦楽団の実力により披露した意義は極めて大きい。
名称を変更した後の、初回の定期演奏会を、まずは意義深く達成した演奏会であった。
Saturday 22th April 2017
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: Concerto in Re
Johann Sebastian Bach: Concerto per due violini BWV1043
(休憩)
Franz Joseph Haydn: ‘Le sette ultime parole del nostro Redentore in croce’ Hob.XX/1A (十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉)
violino 1: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
violino 2: 千々岩英一 / Chijiiwa Eiichi
orchestra: Kioi Hall Chamber Orchestra Tokyo(紀尾井ホール室内管弦楽団)
direttore: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
紀尾井ホール室内管弦楽団(KCO)(旧紀尾井シンフォニエッタ東京(KST))は、ライナー=ホーネック=バラホフスキーをソリスト/指揮者に迎えて、2017年4月21日・22日に東京-紀尾井ホールで、第106回定期演奏会を開催した。旧名称による本拠地での演奏から10ヶ月ぶりの演奏となる。ストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」やハイドン「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」と言った、滅多に演奏されない曲目を演奏するなど、新名称になって初めての演奏会として意欲的なプログラムとなっている。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管後方上手側、ティンパニは最後方中央の位置につく。
着席位置は一階正面後方僅かに上手側、曲目がマイナーであるためかチケットは完売せず、当日券を売り出していたが、9割程の入りはあったか。サボっている定期会員もいた。観客の鑑賞態度は、時折細かいノイズはあったが、概ね良好出会った。最後の曲目の拍手が、指揮者の明確な合図があってから為されれば、なお良かったが。
第一曲目のストラヴィンスキー「ニ調の協奏曲」は、上手側の低弦が印象に残る。ヴィオラのソロらしき箇所が素晴らしく響く。
前半のソリスト(?)アンコールは、ヨーゼフ=ヘルメスベルガー父による第二曲目BWV1043の第三楽章のカデンツァで、これは面白かった。
後半は、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」。
まず、この知られていない曲目を取り上げたこと自体が快挙である。この緩徐楽章ばかりの難曲を、奇を衒わず的確な響きで、緊張感に満ちた演奏を繰り広げる。
序奏の強い響きで惹きつけ、その後も弱奏・強奏とも繊細で美しい響きである。管楽の入る箇所での響きの構成も的確である。Rainer Honeck によりよく考えれた構成のもとで、管弦楽にその趣旨が行き渡り、精緻な響きで実現させていく。縦の線がよく合うことが、単なる技術の見せびらかしでなく、シンプルで誤魔化しの効かないこの難曲を活かしていくのに、どれ程貢献しているか!
モダン系による演奏としては、このアプローチは正解であると思える。曲目の性質上、ヴィヴィッド路線でと言う訳にも行かまい。ピリオド系だと、どのようなアプローチになるのだろう?とも思うけど。
この曲を、紀尾井ホールとそも座付きの管弦楽で聴けたのは、幸せな体験であった。音響が優れた中規模ホールで、技倆のある室内管弦楽団でなければ実現出来ない企画を高いレベルで達成した。
大管弦楽は沢山あるクセに、室内管弦楽団がたった一つしかないこの東京で、ハイドンの「十字架上のイエズス=キリストの最後の七つの言葉」を、紀尾井ホールの企画力と、その企画を高いレベルで実現する紀尾井ホール室内管弦楽団の実力により披露した意義は極めて大きい。
名称を変更した後の、初回の定期演奏会を、まずは意義深く達成した演奏会であった。
2017年4月16日日曜日
Bach Collegium Japan, Passione secondo Matteo (J.S. Bach) Matsumoto Concert (2017), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「マタイ受難曲」松本演奏会 評
2017年4月16日 日曜日
Sunday 16th April 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244
soprano: Hannah Morrison
soprano: 松井亜希 / Matsui Aki
contralto: Robin Blaze
contralto: 青木洋也 / Aoki Hiroya
Evangelista: Benjamin Bruns
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Christian Immler
basso: 加耒徹 / Kaku Toru
coro e orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2017年4月13日から16日までにかけて、J.S.バッハの マタイ受難曲 演奏会を、名古屋・東京・与野(埼玉県)・松本にて開催した。この評は、千秋楽2017年4月16日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、ヴァイオリンとヴィオラは左右対称に配置し、通奏低音は中央に置く。ホールのオルガンは使わず、通奏低音奏者の後ろでポジティフオルガンを二台置いた。歌い手は管弦楽の後ろを取り囲むように配置し、福音史家は指揮者のすぐそばに、他のソロパートは、最後方中央から歌ったり、指揮者のそばだったり、管弦楽の中に混じる場所だったりと、場面に応じた場所での歌唱となる。
着席位置は一階正面後方ほぼ中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、曲終了直後のBravoは残念だった。連鎖反応で鈴木雅明さんが手を下ろしていないのに満場の拍手となってしまったのは残念だ。通常松本では、余韻は守られることが多いが、県外からの聴衆がやってしまったか?
やはり、福音史家 Evangelista役の Benjamin Bruns は世界最高だと思う。「マタイ受難曲」の福音史家役で、これだけの素晴らしさを見せつけられたら、彼以外の歌い手は考えられない。あまりの別格ぶりに唖然とするしかない。
声の美しさ、ニュアンスの付け方、ホールの響きを味方につける巧みさ、綿密に響きを計算する構築力、全部完璧である。
残響が豊かである故に綺麗な響きを作り上げるのが難しい、松本市音楽文化ホールの飽和点を的確に認識して最高音を設定し、ホールの残響を計算して大胆に踏み込み、美しい響きで実現させる技には感嘆するしかない。
通奏低音はエッジを効かせる箇所もあり、ニュアンスを楽しめた。後ろで短いソロを披露する歌い手の皆様も随所で見事である。
また、Christian Immler のソロの他、私の好みとしては青木洋也のただ一箇所の長いソロも聴き惚れる。
重ねて書くが、松本市音楽文化ホールのような響くホールは、響きのコントロールや組み立て方が難しい。BCJにとって初めての場所、で当日に臨んで戸惑われたかも知れないけれど、だんだん響きがホールと馴染んでくるのはさすがである。若松夏美さんのソロはじめ、管弦楽も素晴らしかった。
Sunday 16th April 2017
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Passione secondo Matteo BWV 244
soprano: Hannah Morrison
soprano: 松井亜希 / Matsui Aki
contralto: Robin Blaze
contralto: 青木洋也 / Aoki Hiroya
Evangelista: Benjamin Bruns
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Christian Immler
basso: 加耒徹 / Kaku Toru
coro e orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2017年4月13日から16日までにかけて、J.S.バッハの マタイ受難曲 演奏会を、名古屋・東京・与野(埼玉県)・松本にて開催した。この評は、千秋楽2017年4月16日、松本市音楽文化ホールでの公演に対するものである。
管弦楽配置は、ヴァイオリンとヴィオラは左右対称に配置し、通奏低音は中央に置く。ホールのオルガンは使わず、通奏低音奏者の後ろでポジティフオルガンを二台置いた。歌い手は管弦楽の後ろを取り囲むように配置し、福音史家は指揮者のすぐそばに、他のソロパートは、最後方中央から歌ったり、指揮者のそばだったり、管弦楽の中に混じる場所だったりと、場面に応じた場所での歌唱となる。
着席位置は一階正面後方ほぼ中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、曲終了直後のBravoは残念だった。連鎖反応で鈴木雅明さんが手を下ろしていないのに満場の拍手となってしまったのは残念だ。通常松本では、余韻は守られることが多いが、県外からの聴衆がやってしまったか?
やはり、福音史家 Evangelista役の Benjamin Bruns は世界最高だと思う。「マタイ受難曲」の福音史家役で、これだけの素晴らしさを見せつけられたら、彼以外の歌い手は考えられない。あまりの別格ぶりに唖然とするしかない。
声の美しさ、ニュアンスの付け方、ホールの響きを味方につける巧みさ、綿密に響きを計算する構築力、全部完璧である。
残響が豊かである故に綺麗な響きを作り上げるのが難しい、松本市音楽文化ホールの飽和点を的確に認識して最高音を設定し、ホールの残響を計算して大胆に踏み込み、美しい響きで実現させる技には感嘆するしかない。
通奏低音はエッジを効かせる箇所もあり、ニュアンスを楽しめた。後ろで短いソロを披露する歌い手の皆様も随所で見事である。
また、Christian Immler のソロの他、私の好みとしては青木洋也のただ一箇所の長いソロも聴き惚れる。
重ねて書くが、松本市音楽文化ホールのような響くホールは、響きのコントロールや組み立て方が難しい。BCJにとって初めての場所、で当日に臨んで戸惑われたかも知れないけれど、だんだん響きがホールと馴染んでくるのはさすがである。若松夏美さんのソロはじめ、管弦楽も素晴らしかった。
2017年4月15日土曜日
New National Theatre Tokyo, Opera ‘Otello’ (2017) review 新国立劇場 歌劇「オテロ」 感想
2017年4月15日 土曜日
Saturday 15th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Giuseppe Verdi: Opera ‘Otello’
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「オテロ」
Otello: Carlo Ventre
Desdemona: Serena Farnocchia
Iago: Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov
Lodovico: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Cassio: 与儀巧 / Yogi Takumi
Emilia: 清水華澄 / Shimizu Kasumi
Roderigo: 村上敏明 / Murakami Toshiaki
Montano: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
un Araldo: Tang Jun Bo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Setagaya Junior Chorus (児童合唱:世田谷ジュニア合唱団)
Production: Mario Martone
Set design: Margherita Palli
Costumes design: Ursula Patzak
Lighting design: 川口雅弘 / Kawaguchi Masahiro
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Paolo Carignani
新国立劇場は、2017年4月9日から22日までの日程で、パオロ=カリニャーニの指揮による歌劇「オテロ」を5公演開催する。この評は2017年4月15日に催された第三回目の公演に対するものである。
着席位置は一階正面ど真ん中である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、特に前半は、一階席中央はノイズが目立った。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。50トンもの水を用い、ヴェネツィアの街を再現した舞台は美しい。舞台中央に置かれた寝室は、廻り舞台となっている。オケピット下手側には橋が架けられ、第一幕でのオテロ他の客席側からの登場の場面や、第三幕冒頭での幕をスノコまで上げないシーンで、舞台効果を発揮した。実に素晴らしい舞台装置である。
休憩は、第二幕と第三幕との間で一回だけ設けられた。以下、前半は第一幕・第二幕、後半は第三幕・第四幕を言う。
ソリストの出来について述べる。
題名役 Otello を演じた Carlo Ventre は、第一幕や第三幕冒頭、第三幕の Otello・Cassio・Iagoの三重唱の場面で、ニュアンスに乏しい単調な場面があった難点はあるが、概して声量はあり、第四幕は素晴らしい出来であった。
Desdemona を演じた Serena Farnocchia は、得意とする声域で伸びやかに歌う場面は比較的良いが、低めの声域では声量がなく、声が特別美しい訳でもなかった。それでも何故か第四幕では、一応決めたと言えるか?ソプラノを聴いた実感は、薄かった。
Iago役の Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov は、声量が新国立劇場の巨大さとマッチしていないのが残念である。1000席前後の中小規模の歌劇場であれば、良い方向で変わった結果が得られたかもしれない。第三幕での装飾音を決める場面の出来は、良くなかった。歌で決めるべき場面では確実に決めて欲しい。観客は演劇を観に来たのではなく、音楽を聴きに来ているのだから。
日本人キャストでは、前半で Cassio 役の与儀巧 / Yogi Takumi 、第四幕で Emilia 役の清水華澄 / Shimizu Kasumi 、総督大使役の 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu は素晴らしい。
総じて、美しい歌声を楽しむ感じではなく、第二幕終盤で Otello 役と Iago 役とで縦の線が乱れるなど、前半部では低調であった。
最も素晴らしかったのは管弦楽の東フィルであった。この「オテロ」では、管弦楽は煽る傾向にあったが、指揮者の要求に的確に応えたと言える。第三幕での総督大使到着の場面での、金管の精緻な演奏は見事であった。
Saturday 15th April 2017
新国立劇場 (東京)
New National Theatre Tokyo (Tokyo, Japan)
演目:
Giuseppe Verdi: Opera ‘Otello’
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「オテロ」
Otello: Carlo Ventre
Desdemona: Serena Farnocchia
Iago: Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov
Lodovico: 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu
Cassio: 与儀巧 / Yogi Takumi
Emilia: 清水華澄 / Shimizu Kasumi
Roderigo: 村上敏明 / Murakami Toshiaki
Montano: 伊藤貴之 / Ito Takayuki
un Araldo: Tang Jun Bo
Coro: New National Theatre Chorus (合唱:新国立劇場合唱団)
Coro dei bambini: Setagaya Junior Chorus (児童合唱:世田谷ジュニア合唱団)
Production: Mario Martone
Set design: Margherita Palli
Costumes design: Ursula Patzak
Lighting design: 川口雅弘 / Kawaguchi Masahiro
orchestra: Tokyo Philharmonic Orchestra (管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽
団)
maestro del Coro: 三澤洋史 / Misawa Hirofumi)
direttore: Paolo Carignani
新国立劇場は、2017年4月9日から22日までの日程で、パオロ=カリニャーニの指揮による歌劇「オテロ」を5公演開催する。この評は2017年4月15日に催された第三回目の公演に対するものである。
着席位置は一階正面ど真ん中である。観客の入りはほぼ満席か。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、特に前半は、一階席中央はノイズが目立った。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は希薄な、正統的なものだ。50トンもの水を用い、ヴェネツィアの街を再現した舞台は美しい。舞台中央に置かれた寝室は、廻り舞台となっている。オケピット下手側には橋が架けられ、第一幕でのオテロ他の客席側からの登場の場面や、第三幕冒頭での幕をスノコまで上げないシーンで、舞台効果を発揮した。実に素晴らしい舞台装置である。
休憩は、第二幕と第三幕との間で一回だけ設けられた。以下、前半は第一幕・第二幕、後半は第三幕・第四幕を言う。
ソリストの出来について述べる。
題名役 Otello を演じた Carlo Ventre は、第一幕や第三幕冒頭、第三幕の Otello・Cassio・Iagoの三重唱の場面で、ニュアンスに乏しい単調な場面があった難点はあるが、概して声量はあり、第四幕は素晴らしい出来であった。
Desdemona を演じた Serena Farnocchia は、得意とする声域で伸びやかに歌う場面は比較的良いが、低めの声域では声量がなく、声が特別美しい訳でもなかった。それでも何故か第四幕では、一応決めたと言えるか?ソプラノを聴いた実感は、薄かった。
Iago役の Владимир Стоянов / Vladimir Stoyanov は、声量が新国立劇場の巨大さとマッチしていないのが残念である。1000席前後の中小規模の歌劇場であれば、良い方向で変わった結果が得られたかもしれない。第三幕での装飾音を決める場面の出来は、良くなかった。歌で決めるべき場面では確実に決めて欲しい。観客は演劇を観に来たのではなく、音楽を聴きに来ているのだから。
日本人キャストでは、前半で Cassio 役の与儀巧 / Yogi Takumi 、第四幕で Emilia 役の清水華澄 / Shimizu Kasumi 、総督大使役の 妻屋秀和 / Tsumaya Hidekazu は素晴らしい。
総じて、美しい歌声を楽しむ感じではなく、第二幕終盤で Otello 役と Iago 役とで縦の線が乱れるなど、前半部では低調であった。
最も素晴らしかったのは管弦楽の東フィルであった。この「オテロ」では、管弦楽は煽る傾向にあったが、指揮者の要求に的確に応えたと言える。第三幕での総督大使到着の場面での、金管の精緻な演奏は見事であった。
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