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2013年2月17日日曜日
バッハ-コレギウム-ジャパン 福井演奏会評
2013年2月17日 日曜日
福井県立音楽堂(ハーモニーホールふくい) (福井県福井市)
曲目:
全曲ヨハン=セバスチャン=バッハ作曲
前奏曲 BWV552/1
コラール「主イエズス=キリストよ、我らを顧みて」 BWV709
フーガ BWV552/2
管弦楽組曲 第3番 BWV 1068
(休憩)
カンタータ 第30番 「喜べ、贖われた者たちの群れよ」 BWV 30 より第2.3.4を除いた全て
カンタータ 第191番 「いと高きところには栄光神にあれ」 BWV 191
ソプラノ:ハナ=ブラシコヴァ
アルト(カウンターテノール):ロビン=ブレイズ
テノール:ゲルト=テュルク
バス:ペーター=コーイ
オルガン:鈴木雅明
合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明
最初の三曲は、鈴木雅明のオルガン-ソロである。オルガンの出来は可もなく不可もなくと言った形だ。鈴木雅明は、最後を割と引っ張る演奏を行う。福井県立音楽堂は残響が豊かなホールであるはずなのだが、オルガンの残響はあまり良く計算されていないのか、すっと消える形となる。
福井県立音楽堂のオルガンに関して、鈴木雅明は2013年2月18日に下記のツイートを発している。参考までにURLを明記する。
https://twitter.com/quovadis166/status/303157478470860800
https://twitter.com/quovadis166/status/303158225975517184
https://twitter.com/quovadis166/status/303159319929704449
https://twitter.com/quovadis166/status/303160065869901825
https://twitter.com/quovadis166/status/303161376346624000
福井県立音楽堂のオルガンはドイツ、カール=シュッケ社のもので、5402本ものパイプを伴う立派なものであるが、それでも全てのオルガン奏者を満足させる事は難しいらしい。余程の策を講じなれば低い稼働率となるオルガンを設置する事が如何に難しいか、痛感させられる。
管弦楽組曲、第一楽章の入りが明瞭な響きでない。比較的良かったのは第二楽章である。トランペットが控え目過ぎてアクセントになっていない。チェンバロの音は配慮されていたが。全体的に、福井県立音楽堂の音響の良さを今ひとつ活かせていない。
休憩後のカンタータBWV30は、カウンターテナーのロビン-ブレイズのソロが良かった。レシタティーヴォのみであれば、ソプラノのハナ=ブラシコヴァの良い。
BWV191でも言えた事だが、何かアクセントをつけると言うよりは、溶け込ませる事を旨とした演奏であるように思う。私にとっては、あまり好みの演奏ではない。
アンコールは、ロ短調ミサ曲の終曲、「我らに平安を与えたまえ」であった。
写真は、福井県立音楽堂のオルガンと、その解説である。
福井県立音楽堂(ハーモニーホールふくい) (福井県福井市)
曲目:
全曲ヨハン=セバスチャン=バッハ作曲
前奏曲 BWV552/1
コラール「主イエズス=キリストよ、我らを顧みて」 BWV709
フーガ BWV552/2
管弦楽組曲 第3番 BWV 1068
(休憩)
カンタータ 第30番 「喜べ、贖われた者たちの群れよ」 BWV 30 より第2.3.4を除いた全て
カンタータ 第191番 「いと高きところには栄光神にあれ」 BWV 191
ソプラノ:ハナ=ブラシコヴァ
アルト(カウンターテノール):ロビン=ブレイズ
テノール:ゲルト=テュルク
バス:ペーター=コーイ
オルガン:鈴木雅明
合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明
最初の三曲は、鈴木雅明のオルガン-ソロである。オルガンの出来は可もなく不可もなくと言った形だ。鈴木雅明は、最後を割と引っ張る演奏を行う。福井県立音楽堂は残響が豊かなホールであるはずなのだが、オルガンの残響はあまり良く計算されていないのか、すっと消える形となる。
福井県立音楽堂のオルガンに関して、鈴木雅明は2013年2月18日に下記のツイートを発している。参考までにURLを明記する。
https://twitter.com/quovadis166/status/303157478470860800
https://twitter.com/quovadis166/status/303158225975517184
https://twitter.com/quovadis166/status/303159319929704449
https://twitter.com/quovadis166/status/303160065869901825
https://twitter.com/quovadis166/status/303161376346624000
福井県立音楽堂のオルガンはドイツ、カール=シュッケ社のもので、5402本ものパイプを伴う立派なものであるが、それでも全てのオルガン奏者を満足させる事は難しいらしい。余程の策を講じなれば低い稼働率となるオルガンを設置する事が如何に難しいか、痛感させられる。
管弦楽組曲、第一楽章の入りが明瞭な響きでない。比較的良かったのは第二楽章である。トランペットが控え目過ぎてアクセントになっていない。チェンバロの音は配慮されていたが。全体的に、福井県立音楽堂の音響の良さを今ひとつ活かせていない。
休憩後のカンタータBWV30は、カウンターテナーのロビン-ブレイズのソロが良かった。レシタティーヴォのみであれば、ソプラノのハナ=ブラシコヴァの良い。
BWV191でも言えた事だが、何かアクセントをつけると言うよりは、溶け込ませる事を旨とした演奏であるように思う。私にとっては、あまり好みの演奏ではない。
アンコールは、ロ短調ミサ曲の終曲、「我らに平安を与えたまえ」であった。
写真は、福井県立音楽堂のオルガンと、その解説である。
2013年2月16日土曜日
諏訪内晶子・ピーテル=ヴィスペルウェイ・江口玲 演奏会評
2013年2月16日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス ピアノ-トリオ第1番 op.8
(休憩)
モーリス-ラヴェル ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ ピアノ-トリオ第1番 op.49
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ヴァイオリン-チェロ:ピーテル=ヴィスペルウェイ
ピアノ:江口玲
私の席:真ん中より上手側。
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年第三回目の演奏会となる。ヴァイオリン-チェロのピーテル=ヴィスペルウェイはネーデルラント王国ハールレム生まれの50歳、ピアノ奏者である江口玲も同じく50歳になったばかりで、諏訪内より九歳年上の世代となる。
全体的に完成度の高い演奏であり、どこで誰を際立たせるか、よく配慮された演奏会である。奇を衒う解釈はなく、自然な流れの演奏である。江口玲のピアノは控えめであるが、そのようなピアノでも表に出てくる場合は、他の二つの弦楽器が巧くサポートしている。
ブラームスは地味な曲ではあるが、フーガ、ユニゾンがきれいに決まっていて、この曲の魅力を引き出している。
最も面白い演奏はラヴェルである。ピアノを配慮する必要がないせいか、ヴァイオリンとチェロのデュオがパッションを剥き出しにしている。他の二曲が、様々な制約の下どのように弾いていくかをよく考えている演奏であるのに対し、そのような制約がないのか、より自由に躍動しているかのような演奏だ。巨大なみなとみらいホールにいるとは思えない程の力強い響きをも実現させていた。
なお、この演奏会はNHK BSプレミアムで日本時間2013年3月27日朝6時から放送された。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ヨハネス=ブラームス ピアノ-トリオ第1番 op.8
(休憩)
モーリス-ラヴェル ヴァイオリンとチェロのためのソナタ
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ ピアノ-トリオ第1番 op.49
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ヴァイオリン-チェロ:ピーテル=ヴィスペルウェイ
ピアノ:江口玲
私の席:真ん中より上手側。
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年第三回目の演奏会となる。ヴァイオリン-チェロのピーテル=ヴィスペルウェイはネーデルラント王国ハールレム生まれの50歳、ピアノ奏者である江口玲も同じく50歳になったばかりで、諏訪内より九歳年上の世代となる。
全体的に完成度の高い演奏であり、どこで誰を際立たせるか、よく配慮された演奏会である。奇を衒う解釈はなく、自然な流れの演奏である。江口玲のピアノは控えめであるが、そのようなピアノでも表に出てくる場合は、他の二つの弦楽器が巧くサポートしている。
ブラームスは地味な曲ではあるが、フーガ、ユニゾンがきれいに決まっていて、この曲の魅力を引き出している。
最も面白い演奏はラヴェルである。ピアノを配慮する必要がないせいか、ヴァイオリンとチェロのデュオがパッションを剥き出しにしている。他の二曲が、様々な制約の下どのように弾いていくかをよく考えている演奏であるのに対し、そのような制約がないのか、より自由に躍動しているかのような演奏だ。巨大なみなとみらいホールにいるとは思えない程の力強い響きをも実現させていた。
なお、この演奏会はNHK BSプレミアムで日本時間2013年3月27日朝6時から放送された。
2013年2月9日土曜日
フィルハーモニア管弦楽団 横浜公演 演奏会評
2013年2月9日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 劇付随音楽「シュテファン王」 op.117より 序曲
ジャン=シベリウス ヴァイオリン協奏曲op.47
(休憩)
ジャン=シベリウス 交響詩「ポホヨラの娘」 op.49
エサ-ペッカ=サロネン ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団は、2013年2月に来日公演を行い、この演奏会は8公演あるうちの7番目の演奏会である。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」の一環としてでも開催される。この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子は、ヴァイオリンのソリストとして二つの協奏曲に出演する。「国際音楽祭NIPPON」初年第二回目の演奏会であり、今年唯一の大管弦楽を伴う演奏会でもある。二曲目のヴァイオリン協奏曲は、エサ-ペッカ=サロネンの自作自演であり、日本における初演である。演奏順について、当初発表の予定から休憩前と後の曲目を入れ替えたものとなる。
管弦楽は左右対向配置ではなく、舞台下手側より第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロと、高弦から低弦に向け順番に下がる配置である。コントラバスはチェロの後ろ、舞台上手側に位置する。
当日の私の席は、ほぼ真ん中である。
第一曲目は「シュテファン王」である。フィルハーモニア管は予想以上にとても上手だ。木管のソロの部分も力強い響きを難なくこなしてしまう安心感がある。
第二曲目は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲である。諏訪内晶子のヴァイオリンは、鋭さはやや封印して、ディテールを重視した、ややゆっくり目な演奏である。朗々と流れる響きを主眼にしているのだろう。テンポを一気に変化させる個所は、かなり絞った印象だ。管弦楽との関係は対抗的と言うよりは、むしろ協調的で一緒に音楽を作り上げていく方向性か。ナイフのような切れ味の鋭さや、崩壊寸前のスリリングな展開を求める向きには、やや物足りなさが残るかもしれないが、これはこれで良い。
フィルハーモニア管は、背景になるべきところと前面に出るところとのメリハリがはっきりして見事な演奏だ。ヴァイオリン-ソロが前面に出る部分は、諏訪内晶子のヴァイオリンが引き立つよう精密に音量を調節しており、一方で管弦楽が前面に出るところでは、みなとみらいホールの響きを味方につけながら全開のパワーで観客に迫ってくる。エサ-ペッカ=サロネンの的確な指示があったのか、フィルハーモニア管弦楽団員の職人的な自発性によるものなのか、おそらくその両方によるものだと思うが、協奏曲に対して理想的なアプローチの一つである。
休憩後の第三曲目は「ポホヨラの娘」、弦も木管も金管もパーカッションもとても上手で、完成度の高い惚れ惚れとする演奏である。
第四曲目の、エサ=ペッカ=サロネン自作自演のヴァイオリン協奏曲は、40分はあるのではないかと感じさせる、思った以上の大作である。当日プログラムを変更したのは、やはり当たりである。スタンダードの曲目であるシベリウスとは違い、諏訪内晶子にも譜面が用意される。
この曲は、ソロでの技巧的な部分が多く、多大なプレッシャーをヴァイオリン-ソロに与える曲かとは思うが、諏訪内晶子は、特に弱奏部こその緊迫感を要する部分が素晴らしい。ちょっとした不協和音をソロで弱めに奏でる部分は、浅田真央がトリプルアクセルを飛ぶどころではない、静かではあるが張り詰めたスリルを感じるが、諏訪内晶子は見事に決めていく。彼女の弱奏部は、どういう訳か弱くない。芯があるというか、凛としたものがあるというか、いずれも嘘ではないのだが、朗々としている響きでありながら冷たいナイフを首筋に当てられている時のような心拍の鼓動を覚える、そんな瞬間を味わえる演奏である。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 劇付随音楽「シュテファン王」 op.117より 序曲
ジャン=シベリウス ヴァイオリン協奏曲op.47
(休憩)
ジャン=シベリウス 交響詩「ポホヨラの娘」 op.49
エサ-ペッカ=サロネン ヴァイオリン協奏曲
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団は、2013年2月に来日公演を行い、この演奏会は8公演あるうちの7番目の演奏会である。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」の一環としてでも開催される。この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子は、ヴァイオリンのソリストとして二つの協奏曲に出演する。「国際音楽祭NIPPON」初年第二回目の演奏会であり、今年唯一の大管弦楽を伴う演奏会でもある。二曲目のヴァイオリン協奏曲は、エサ-ペッカ=サロネンの自作自演であり、日本における初演である。演奏順について、当初発表の予定から休憩前と後の曲目を入れ替えたものとなる。
管弦楽は左右対向配置ではなく、舞台下手側より第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→チェロと、高弦から低弦に向け順番に下がる配置である。コントラバスはチェロの後ろ、舞台上手側に位置する。
当日の私の席は、ほぼ真ん中である。
第一曲目は「シュテファン王」である。フィルハーモニア管は予想以上にとても上手だ。木管のソロの部分も力強い響きを難なくこなしてしまう安心感がある。
第二曲目は、シベリウスのヴァイオリン協奏曲である。諏訪内晶子のヴァイオリンは、鋭さはやや封印して、ディテールを重視した、ややゆっくり目な演奏である。朗々と流れる響きを主眼にしているのだろう。テンポを一気に変化させる個所は、かなり絞った印象だ。管弦楽との関係は対抗的と言うよりは、むしろ協調的で一緒に音楽を作り上げていく方向性か。ナイフのような切れ味の鋭さや、崩壊寸前のスリリングな展開を求める向きには、やや物足りなさが残るかもしれないが、これはこれで良い。
フィルハーモニア管は、背景になるべきところと前面に出るところとのメリハリがはっきりして見事な演奏だ。ヴァイオリン-ソロが前面に出る部分は、諏訪内晶子のヴァイオリンが引き立つよう精密に音量を調節しており、一方で管弦楽が前面に出るところでは、みなとみらいホールの響きを味方につけながら全開のパワーで観客に迫ってくる。エサ-ペッカ=サロネンの的確な指示があったのか、フィルハーモニア管弦楽団員の職人的な自発性によるものなのか、おそらくその両方によるものだと思うが、協奏曲に対して理想的なアプローチの一つである。
休憩後の第三曲目は「ポホヨラの娘」、弦も木管も金管もパーカッションもとても上手で、完成度の高い惚れ惚れとする演奏である。
第四曲目の、エサ=ペッカ=サロネン自作自演のヴァイオリン協奏曲は、40分はあるのではないかと感じさせる、思った以上の大作である。当日プログラムを変更したのは、やはり当たりである。スタンダードの曲目であるシベリウスとは違い、諏訪内晶子にも譜面が用意される。
この曲は、ソロでの技巧的な部分が多く、多大なプレッシャーをヴァイオリン-ソロに与える曲かとは思うが、諏訪内晶子は、特に弱奏部こその緊迫感を要する部分が素晴らしい。ちょっとした不協和音をソロで弱めに奏でる部分は、浅田真央がトリプルアクセルを飛ぶどころではない、静かではあるが張り詰めたスリルを感じるが、諏訪内晶子は見事に決めていく。彼女の弱奏部は、どういう訳か弱くない。芯があるというか、凛としたものがあるというか、いずれも嘘ではないのだが、朗々としている響きでありながら冷たいナイフを首筋に当てられている時のような心拍の鼓動を覚える、そんな瞬間を味わえる演奏である。
講演記録 「エサ-ペッカ=サロネン 自作を語る」
2013年2月9日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団横浜公演が2013年2月9日に開催されたが、その前にプレトークやらプレシンポジウムやら公開総稽古が実施された。
この公演自体が、「国際音楽祭NIPPON」の一環であり、この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子の強い意向があって開催されたものであろう。「現代音楽」をもっと大衆に広めたいとの意志が、諏訪内晶子の中にあることは間違いない。この公演で諏訪内晶子は、協奏曲のソロを二曲もやり、その内の一曲がエサ-ペッカ=サロネン作曲の「現代音楽」だ。極めてハードなプログラムであり、余程の意向がなければ、このような「無謀」なプログラムは組まないだろう。
この企画は、三部に分けて構成される。
第一部:エサ-ペッカ=サロネンによる単独の講演で、彼自身の「現代音楽」に対する見解及び、自作のヴァイオリン協奏曲の解説。
第二部:同じく現代音楽の作曲家である西村朗と、エサ-ペッカ=サロネンとの対談形式のシンポジウム
第三部:公開総稽古
以下、あくまで私の記憶の範囲であり、内容の正しさについては保証しない。誤った部分があれば指摘していただければ幸いである。
第一部.まずは、エサ-ペッカ=サロネンによる「現代音楽」に対する見解を述べる。作曲家の誰もが持つ願い・・・、自作が「永遠の音楽」になる願いを実現するために、これまで様々な作曲家が努力してきた。「現代音楽」家たちも「永遠の音楽」を実現させるため、「規則的なもの」「普遍的原理」があるのではないかと追及して来た。しかしながらその追求は「現代音楽」の要素以外の存在が否定され、その抑圧はスターリン時代に於けるソヴィエト連邦の音楽と本質的な性質は同じものであった。当然、「現代音楽」は行き詰った。「永遠の音楽」を実現させるための「規則的なもの」「普遍的原理」など存在しない。「永遠の音楽」を実現させるために必要なものは、「努力、努力、ひたすら努力あるのみ」とのこと。
その後、自作のヴァイオリン協奏曲についての解説となる。諏訪内晶子が登場し、あたかも映画の予告編のように、ヴァイオリン-ソロを弾いては、エサ-ペッカ=サロネンが解説するパターン。あまり語り過ぎない内容で、予習としては良い内容である。
第二部は、西村朗による基調講演っぽいちょっと長い独演から始まる。西村朗、話が巧いよなあ。作曲家だけでなく、講談師にもなれるし、大学教授にも即なれそうだ。話の掴みは、「永遠の音楽」を実現させるために、自身が作曲する前にまず「私は天才である」と唱えるとのこと。私が会場中で一番笑い過ぎていたかも知れない♪もちろん冗談だと思うけどね。ホントだったら、怖いと同時に面白過ぎだけど♪
で、西村朗の基調講演の内容は、以下のとおりである。「現代音楽」は破壊から始まった。ドイツのダルムシュタットを拠点として、まずはナチスドイツ=ドイツロマン派を破壊する活動を開始する。米国からの裏資金が出ていたとの噂もあり♪でもすぐ行き詰りを迎え、今度は「後退」を開始する。その「後退」は、これまでの足跡を踏まない、そのままの逆戻りするわけではない「後退」があり、現在に至る。一方で米国では「偶然性」を追求した結果、ピアノの蓋を開け閉めするだけの「4分33秒」にまで至る。
この後、エサ-ペッカ=サロネンとの対話の展開がある。「現代音楽」、どうせ一回演奏したくらいで観客が全部覚えられるはずがないから、観客を「引っかける」要素は必要だよね、などと、西村朗が発言しただなんて、そんな秘密はバラさないでおいてあげよう♪
シンポジウムでは、ピリオド派について下記の議論がなされていた。現在は音楽のフィールドが広がっている。世界中のいろんな地域から音楽が流通している。18世紀とは時代背景は全く違う。いまの人はマドンナを知っている。そのような中で、ピリオド楽器を用いたり、カツラを被って当時の格好を着用して、18世紀の音楽を単純に再現する意味はないとのこと。同じ理由で、アルフレット=ブレンデルが、ピリオド楽器ではなくモダン楽器を用いて演奏すると。
以下は私の意見である。なるほどね、エサ-ペッカ=サロネンは反ピリオド派ではないのだろうけど、非ピリオド派なのね。だから、ヴァイオリンパートの左右対向配置はやらないのだよね。ピリオド楽器を用いる事の意味は、私はあると思うけど。しかし、単純にピリオド楽器を用いるだけでは演奏する意味は全くない。ピリオド楽器であろうと、その演奏にパッションを込め、かつ適切な様式に沿って発露させなければならないのは、モダン楽器を用いる時と同じ。そうでなければ、ピリオド楽器による演奏を現代に甦らせることはできないし。
第三部は公開総稽古。まずは、諏訪内晶子付きで約1時間強。
この日私はホテルで眠れず、睡眠不足だったため、本番で覚醒させるために、故意に意識レベルを低下させていた。聴き過ぎるのも良くないので、寝ぼけながら聴いて置くのはその意味ではいいだろう。本番でなくてあくまで稽古、真面目に聴く必要はない。
やはり、エサ-ペッカ=サロネンのヴァイオリン協奏曲をメインに時間を取っている。第一楽章は通しで演奏しただけで、サロネンは満足の意を表明。他の楽章でちょこっと指示を出して細切れに演奏をしている。18列目辺りに座っているフィルハーモニア管の職員らしき者とサロネンとが会話しているのは、響きの確認であろうか。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、二楽章と三楽章をさらっとおさらいしただけである。響きのバランスは、この時点で精密に取れている。既に他会場で演奏済みだからかな。
休憩後、諏訪内晶子抜きで管弦楽のみの総稽古を20分くらい。ほとんど修正点はなく、思い出し稽古のようなものか。
本番については、別稿を参照してほしい。
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
ヴァイオリン:諏訪内晶子
管弦楽:フィルハーモニア管弦楽団
指揮:エサ-ペッカ=サロネン
フィルハーモニア管弦楽団横浜公演が2013年2月9日に開催されたが、その前にプレトークやらプレシンポジウムやら公開総稽古が実施された。
この公演自体が、「国際音楽祭NIPPON」の一環であり、この音楽祭の芸術監督である諏訪内晶子の強い意向があって開催されたものであろう。「現代音楽」をもっと大衆に広めたいとの意志が、諏訪内晶子の中にあることは間違いない。この公演で諏訪内晶子は、協奏曲のソロを二曲もやり、その内の一曲がエサ-ペッカ=サロネン作曲の「現代音楽」だ。極めてハードなプログラムであり、余程の意向がなければ、このような「無謀」なプログラムは組まないだろう。
この企画は、三部に分けて構成される。
第一部:エサ-ペッカ=サロネンによる単独の講演で、彼自身の「現代音楽」に対する見解及び、自作のヴァイオリン協奏曲の解説。
第二部:同じく現代音楽の作曲家である西村朗と、エサ-ペッカ=サロネンとの対談形式のシンポジウム
第三部:公開総稽古
以下、あくまで私の記憶の範囲であり、内容の正しさについては保証しない。誤った部分があれば指摘していただければ幸いである。
第一部.まずは、エサ-ペッカ=サロネンによる「現代音楽」に対する見解を述べる。作曲家の誰もが持つ願い・・・、自作が「永遠の音楽」になる願いを実現するために、これまで様々な作曲家が努力してきた。「現代音楽」家たちも「永遠の音楽」を実現させるため、「規則的なもの」「普遍的原理」があるのではないかと追及して来た。しかしながらその追求は「現代音楽」の要素以外の存在が否定され、その抑圧はスターリン時代に於けるソヴィエト連邦の音楽と本質的な性質は同じものであった。当然、「現代音楽」は行き詰った。「永遠の音楽」を実現させるための「規則的なもの」「普遍的原理」など存在しない。「永遠の音楽」を実現させるために必要なものは、「努力、努力、ひたすら努力あるのみ」とのこと。
その後、自作のヴァイオリン協奏曲についての解説となる。諏訪内晶子が登場し、あたかも映画の予告編のように、ヴァイオリン-ソロを弾いては、エサ-ペッカ=サロネンが解説するパターン。あまり語り過ぎない内容で、予習としては良い内容である。
第二部は、西村朗による基調講演っぽいちょっと長い独演から始まる。西村朗、話が巧いよなあ。作曲家だけでなく、講談師にもなれるし、大学教授にも即なれそうだ。話の掴みは、「永遠の音楽」を実現させるために、自身が作曲する前にまず「私は天才である」と唱えるとのこと。私が会場中で一番笑い過ぎていたかも知れない♪もちろん冗談だと思うけどね。ホントだったら、怖いと同時に面白過ぎだけど♪
で、西村朗の基調講演の内容は、以下のとおりである。「現代音楽」は破壊から始まった。ドイツのダルムシュタットを拠点として、まずはナチスドイツ=ドイツロマン派を破壊する活動を開始する。米国からの裏資金が出ていたとの噂もあり♪でもすぐ行き詰りを迎え、今度は「後退」を開始する。その「後退」は、これまでの足跡を踏まない、そのままの逆戻りするわけではない「後退」があり、現在に至る。一方で米国では「偶然性」を追求した結果、ピアノの蓋を開け閉めするだけの「4分33秒」にまで至る。
この後、エサ-ペッカ=サロネンとの対話の展開がある。「現代音楽」、どうせ一回演奏したくらいで観客が全部覚えられるはずがないから、観客を「引っかける」要素は必要だよね、などと、西村朗が発言しただなんて、そんな秘密はバラさないでおいてあげよう♪
シンポジウムでは、ピリオド派について下記の議論がなされていた。現在は音楽のフィールドが広がっている。世界中のいろんな地域から音楽が流通している。18世紀とは時代背景は全く違う。いまの人はマドンナを知っている。そのような中で、ピリオド楽器を用いたり、カツラを被って当時の格好を着用して、18世紀の音楽を単純に再現する意味はないとのこと。同じ理由で、アルフレット=ブレンデルが、ピリオド楽器ではなくモダン楽器を用いて演奏すると。
以下は私の意見である。なるほどね、エサ-ペッカ=サロネンは反ピリオド派ではないのだろうけど、非ピリオド派なのね。だから、ヴァイオリンパートの左右対向配置はやらないのだよね。ピリオド楽器を用いる事の意味は、私はあると思うけど。しかし、単純にピリオド楽器を用いるだけでは演奏する意味は全くない。ピリオド楽器であろうと、その演奏にパッションを込め、かつ適切な様式に沿って発露させなければならないのは、モダン楽器を用いる時と同じ。そうでなければ、ピリオド楽器による演奏を現代に甦らせることはできないし。
第三部は公開総稽古。まずは、諏訪内晶子付きで約1時間強。
この日私はホテルで眠れず、睡眠不足だったため、本番で覚醒させるために、故意に意識レベルを低下させていた。聴き過ぎるのも良くないので、寝ぼけながら聴いて置くのはその意味ではいいだろう。本番でなくてあくまで稽古、真面目に聴く必要はない。
やはり、エサ-ペッカ=サロネンのヴァイオリン協奏曲をメインに時間を取っている。第一楽章は通しで演奏しただけで、サロネンは満足の意を表明。他の楽章でちょこっと指示を出して細切れに演奏をしている。18列目辺りに座っているフィルハーモニア管の職員らしき者とサロネンとが会話しているのは、響きの確認であろうか。
シベリウスのヴァイオリン協奏曲は、二楽章と三楽章をさらっとおさらいしただけである。響きのバランスは、この時点で精密に取れている。既に他会場で演奏済みだからかな。
休憩後、諏訪内晶子抜きで管弦楽のみの総稽古を20分くらい。ほとんど修正点はなく、思い出し稽古のようなものか。
本番については、別稿を参照してほしい。
2013年2月2日土曜日
諏訪内晶子・レイフ=オヴェ=アンスネス 演奏会評
2013年2月2日 土曜日
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
フランツ=シューベルト ソナチネ第1番 D.384
バルトーク=ベーラ ヴァイオリン-ソナタ第2番 Sz.76
(休憩)
アントン=ヴェーベルン:ヴァイオリン&ピアノのための4つの小品 op.7
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ヴァイオリン-ソナタ第9番「クロイツェル」 op.47
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ピアノ:レイフ=オヴェ=アンスネス
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年初回の演奏会となる。ピアノ奏者であるアンスネスはノルゲ(ノルウェー)出身で1970年生まれ、1972年生まれの諏訪内より若干年上である。
第一曲目のシューベルトは、諏訪内晶子らしい朗々とした響きが限られており、この演奏会の行方を心配させる程である。
しかしながら、第二曲目のバルトークでその懸念は一掃され、会場の雰囲気は一変する。第三曲目のヴェーベルン、第四曲目のベートーフェンに於いても同じように準備は入念になされている。
2020名収容する巨大なホールであり、室内楽を演奏するに当たってどのような響きになるか不透明な部分があった。ヒラリー=ハーンのヴァイオリンは明らかに音量不足であったし(2012年6月2日演奏会評参照)、神尾真由子では確実にアウトである。しかしながら、何年か前に長野県松本文化会館での演奏会にて、ゲルギエフもロンドン交響楽団も無気力演奏をしていた中で、たった一人だけ気迫を込めた演奏を諏訪内晶子がしていたのを知っている私としては、多分大丈夫だろうとは思っていた。
やはり、みなとみらいホールが大き過ぎるとは感じられる所は部分部分にはある。600~800名規模の小さめなホールであれば、あらゆる音量に対しても、もっと的確な響きにコントロールする事が可能であるとは確実に言える。松本市音楽文化ホールや軽井沢大賀ホール・水戸芸術館が演奏会場であれば、完璧を期する事ができると感じられる部分はある。
しかしながら、強奏部と、逆に最弱奏部に於いては、みなとみらいホールを味方につける事に成功している。バルトークでは、ロマ音楽の影響を強く受けたのだろうなという部分が実感できるとともにパッションが十二分に込められた素晴らしい演奏である。
休憩後のヴェーベルンは、全曲で10分満たない小品であるが精密で丁寧な演奏である。
ベートーフェンもヴァイオリンが表に出てくるところ、ピアノが表に出てくるところ、二人で親密に合わせて演奏するところでどのように処理するか明確な演奏である。諏訪内晶子はヴァイオリンを朗々と響かせて観客の心を掴んでいくが、ピアノのアンスネスもピアノが表になるところでちょっとテンポと音量をひねって新鮮な印象を残していく。長く緩やかなアッチェレランド掛けて、いつの間にかテンポが速くなっていたり、ちょっと長めにゼネラルパウゼを掛けてテンポを遅く再設定したりするが、全く不自然なところがない。ベートーフェンの曲に新たな生命を吹き込みながらも、完成度を高く保った立派な演奏である。
アンコールは、ヤナーチェクのヴァイオリン-ソナタ、第2楽章であった。
写真(編注:facebookに掲載。このブログでは写真の掲載はしない方針です)は、「国際音楽祭NIPPON」のチラシの中にある、諏訪内晶子芸術監督によるご挨拶(的な文)。天下のトヨタ自動車を味方につけるとは、諏訪内晶子、偉くなったなあ♪ウェブサイト見ると、来年は名古屋でもやるみたい。そりゃ、トヨタ自動車がスポンサーでは、名古屋開催は不可避だな。それにしても第一回目の主会場を横浜としたのは、横浜駅前に本社を置く某自動車会社への宣戦布告??まあ、私としては「音楽祭」云々はどうでも良くて、どんな形態であれ良い演奏が聴ければいいし、トヨタ車を買うこともないかと思いますが、このような機会を設けるのに重要な役割を果たしてくれましたトヨタ自動車様には、ただただ感謝申し上げる次第であります♪♪
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
曲目:
フランツ=シューベルト ソナチネ第1番 D.384
バルトーク=ベーラ ヴァイオリン-ソナタ第2番 Sz.76
(休憩)
アントン=ヴェーベルン:ヴァイオリン&ピアノのための4つの小品 op.7
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ヴァイオリン-ソナタ第9番「クロイツェル」 op.47
ヴァイオリン:諏訪内晶子
ピアノ:レイフ=オヴェ=アンスネス
「国際音楽祭NIPPON」は諏訪内晶子を芸術監督としており、今年は横浜で3公演、仙台で1公演、開催される。この演奏会は、「国際音楽祭NIPPON」初年初回の演奏会となる。ピアノ奏者であるアンスネスはノルゲ(ノルウェー)出身で1970年生まれ、1972年生まれの諏訪内より若干年上である。
第一曲目のシューベルトは、諏訪内晶子らしい朗々とした響きが限られており、この演奏会の行方を心配させる程である。
しかしながら、第二曲目のバルトークでその懸念は一掃され、会場の雰囲気は一変する。第三曲目のヴェーベルン、第四曲目のベートーフェンに於いても同じように準備は入念になされている。
2020名収容する巨大なホールであり、室内楽を演奏するに当たってどのような響きになるか不透明な部分があった。ヒラリー=ハーンのヴァイオリンは明らかに音量不足であったし(2012年6月2日演奏会評参照)、神尾真由子では確実にアウトである。しかしながら、何年か前に長野県松本文化会館での演奏会にて、ゲルギエフもロンドン交響楽団も無気力演奏をしていた中で、たった一人だけ気迫を込めた演奏を諏訪内晶子がしていたのを知っている私としては、多分大丈夫だろうとは思っていた。
やはり、みなとみらいホールが大き過ぎるとは感じられる所は部分部分にはある。600~800名規模の小さめなホールであれば、あらゆる音量に対しても、もっと的確な響きにコントロールする事が可能であるとは確実に言える。松本市音楽文化ホールや軽井沢大賀ホール・水戸芸術館が演奏会場であれば、完璧を期する事ができると感じられる部分はある。
しかしながら、強奏部と、逆に最弱奏部に於いては、みなとみらいホールを味方につける事に成功している。バルトークでは、ロマ音楽の影響を強く受けたのだろうなという部分が実感できるとともにパッションが十二分に込められた素晴らしい演奏である。
休憩後のヴェーベルンは、全曲で10分満たない小品であるが精密で丁寧な演奏である。
ベートーフェンもヴァイオリンが表に出てくるところ、ピアノが表に出てくるところ、二人で親密に合わせて演奏するところでどのように処理するか明確な演奏である。諏訪内晶子はヴァイオリンを朗々と響かせて観客の心を掴んでいくが、ピアノのアンスネスもピアノが表になるところでちょっとテンポと音量をひねって新鮮な印象を残していく。長く緩やかなアッチェレランド掛けて、いつの間にかテンポが速くなっていたり、ちょっと長めにゼネラルパウゼを掛けてテンポを遅く再設定したりするが、全く不自然なところがない。ベートーフェンの曲に新たな生命を吹き込みながらも、完成度を高く保った立派な演奏である。
アンコールは、ヤナーチェクのヴァイオリン-ソナタ、第2楽章であった。
写真(編注:facebookに掲載。このブログでは写真の掲載はしない方針です)は、「国際音楽祭NIPPON」のチラシの中にある、諏訪内晶子芸術監督によるご挨拶(的な文)。天下のトヨタ自動車を味方につけるとは、諏訪内晶子、偉くなったなあ♪ウェブサイト見ると、来年は名古屋でもやるみたい。そりゃ、トヨタ自動車がスポンサーでは、名古屋開催は不可避だな。それにしても第一回目の主会場を横浜としたのは、横浜駅前に本社を置く某自動車会社への宣戦布告??まあ、私としては「音楽祭」云々はどうでも良くて、どんな形態であれ良い演奏が聴ければいいし、トヨタ車を買うこともないかと思いますが、このような機会を設けるのに重要な役割を果たしてくれましたトヨタ自動車様には、ただただ感謝申し上げる次第であります♪♪
2013年1月20日日曜日
戸田弥生 ヴァイオリン-リサイタル 評
2013年1月20日 日曜日
福井県立音楽堂(ハーモニーホールふくい) 小ホール (福井県福井市)
曲目:
バルトーク=ベラ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ Sz.117
セルゲイ=プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ op.115
(休憩)
ウジェーヌ-オーギュスト=イザイ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第6番 op.27-6
ヨハン=セバスチャン=バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 BWV1004
ヴァイオリン:戸田弥生
戸田弥生の演奏を聴くのは初めてである。実は、戸田弥生の出生地は福井市であるとのこと、福井県立音楽堂が供用されて15年経つが、14回もの演奏をこの福井県立音楽堂で行う事となる。
選曲はかなりハードな路線である。地方都市の場合、「聴きやすい」というか、いわゆる有名な「名曲」で固め、商業的に無難な路線に走る事が多いように思うが、福井の聴衆に受け入れられるか心配する程の曲目だ。
戸田弥生は、かなり強靭な精神の持ち主である。協奏曲であれば20分から30分程の間、断続的に演奏していれば良いが、無伴奏の場合連続して弾き続けなければならない。実演奏時間は約80分であるが、その時間緊張を維持するのは並大抵でないだろう。
第一曲目のバルトークから飛ばす演奏だ。楽章の間は、楽器の調整を必要とする場面以外は、10秒弱で次の楽章に入る。これ見よがしのテンポの変化や強弱の変化はない。純音楽的な展開の面白さを追求するタイプではなく、音の密度の濃さと緊迫感を漲らせるタイプの演奏である。その緊迫感は、楽章の間で咳をする雰囲気ではない程だ。ある意味、ロマ音楽のような、ここぞといった焦点に向けて熱を帯びる演奏でもあるとも言える。
最後、バッハのパルティータ第2番の第五楽章も、最も疲労がたまってくるところではあるが、そもそもが舞曲とは信じがたい程の緊迫感を一層高めていた。
非常に硬派な演奏会であり、最後はアンコールはなかったこととされている。プログラム終了後に福井県立音楽堂の橋本氏が出てきて(演奏にちゃんと臨席して聴いていた)、戸田弥生とのちょっとしたトークショウのような異例の展開となる。2013年7月14日に福井県立音楽堂にて、どこぞの管弦楽団とベートーフェンのヴァイオリン協奏曲の競演を行うとか、そのプログラムでラヴェルのツィガーヌを演奏するとか、面白そうな噂が囁かれている。最後に「亜麻色の髪の乙女」事件が発生したが、この内容について詳細な事情は敢えて書かないでおく。
福井県立音楽堂(ハーモニーホールふくい) 小ホール (福井県福井市)
曲目:
バルトーク=ベラ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ Sz.117
セルゲイ=プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ op.115
(休憩)
ウジェーヌ-オーギュスト=イザイ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第6番 op.27-6
ヨハン=セバスチャン=バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 BWV1004
ヴァイオリン:戸田弥生
戸田弥生の演奏を聴くのは初めてである。実は、戸田弥生の出生地は福井市であるとのこと、福井県立音楽堂が供用されて15年経つが、14回もの演奏をこの福井県立音楽堂で行う事となる。
選曲はかなりハードな路線である。地方都市の場合、「聴きやすい」というか、いわゆる有名な「名曲」で固め、商業的に無難な路線に走る事が多いように思うが、福井の聴衆に受け入れられるか心配する程の曲目だ。
戸田弥生は、かなり強靭な精神の持ち主である。協奏曲であれば20分から30分程の間、断続的に演奏していれば良いが、無伴奏の場合連続して弾き続けなければならない。実演奏時間は約80分であるが、その時間緊張を維持するのは並大抵でないだろう。
第一曲目のバルトークから飛ばす演奏だ。楽章の間は、楽器の調整を必要とする場面以外は、10秒弱で次の楽章に入る。これ見よがしのテンポの変化や強弱の変化はない。純音楽的な展開の面白さを追求するタイプではなく、音の密度の濃さと緊迫感を漲らせるタイプの演奏である。その緊迫感は、楽章の間で咳をする雰囲気ではない程だ。ある意味、ロマ音楽のような、ここぞといった焦点に向けて熱を帯びる演奏でもあるとも言える。
最後、バッハのパルティータ第2番の第五楽章も、最も疲労がたまってくるところではあるが、そもそもが舞曲とは信じがたい程の緊迫感を一層高めていた。
非常に硬派な演奏会であり、最後はアンコールはなかったこととされている。プログラム終了後に福井県立音楽堂の橋本氏が出てきて(演奏にちゃんと臨席して聴いていた)、戸田弥生とのちょっとしたトークショウのような異例の展開となる。2013年7月14日に福井県立音楽堂にて、どこぞの管弦楽団とベートーフェンのヴァイオリン協奏曲の競演を行うとか、そのプログラムでラヴェルのツィガーヌを演奏するとか、面白そうな噂が囁かれている。最後に「亜麻色の髪の乙女」事件が発生したが、この内容について詳細な事情は敢えて書かないでおく。
2013年1月13日日曜日
第86回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評
2013年1月13日 日曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
曲目:
アントニン=レオポルト=ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ op.22
エドワード=ベンジャミン=ブリテン ノクターン op.60
(休憩)
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第6(7)番 D589
テノール:西村悟(ブリテン ノクターン)
ファゴット-ソロ(ブリテン ノクターン第2曲):マーク=ゴールドバーグ
ハープ-ソロ(ブリテン ノクターン第3曲):吉野直子
ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第4曲):ラデク=バボラーク
ティンパニ-ソロ(ブリテン ノクターン第5曲):ローランド=アルトマン
イングリッシュ-ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第6曲):フィリップ=トーンドゥル
フルート-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):工藤重典
クラリネット-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):スコット=アンドリュース
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:大野和士
第86回水戸室内管弦楽団定期演奏会は、1月13日・1月14日両日にわたり二公演開催された。この評は、第一日目1月13日の公演に対してのものである。
第一曲目の「弦楽セレナーデ」は、メリハリがキッチリつけられた、良く考えられた演奏である。楽章が進むに連れ熱を帯びる演奏であり、ある楽器がどこで出てきてどこで他の楽器のサポートに回るかが良く分かる演奏だ。弱奏部でさえも、もちろん音量は小さくはなるが、なぜか力強く聴こえてくる。
第二曲目、ブリテンのノクターンは、この演奏会の白眉である。第1曲の「詩人の唇の上に私は眠った」の部分は、西村悟と管弦楽のみで、普通の演奏であるが、第2曲「ファゴットのオブリガート」から本気モードになり始める。これ以降全曲に渡り、西村悟は水戸芸術館の響きを自在に使って、力強さと軽妙さとを的確に使い分ける、素晴らしい歌唱を見せる。
第4曲「ホルンのオブリガート」では、ホルン-ソロのラデク=バボラークが非常に見事だ。犬の鳴き声、鶯の鳴き声、猫の鳴き声が出てくる曲であるが、西村悟とラデク=バボラークの響きが完璧に調和が取れており、また軽妙な曲調を掌中に入れて楽しい雰囲気だ。まるで、モーツァルトの二重協奏曲を完璧な独奏で聴いている気分になる。
一転第5曲「ティンパニのオブリガート」では、フランス革命時の虐殺事件を扱う題材となる。ティンパニ-ソロのローランド=アルトマンも完璧な出来だ。題材が持つ重さや恐怖心を見事に表現している。
残念ながら、第7曲、工藤重典のフルート-ソロは音が曖昧に聴こえ、違和感を覚えた。これが、私がフルートの性質を理解していないからかもしれないし、工藤重典が使っているフルートの癖を承知でそのような音を出しているのかもしれないし、指揮者の指示であるのかも知れないが、これまで聴いてきた工藤重典のフルートとはどうも異質である。
最近、サイトウ-キネンにしても水戸室内管弦楽団にしても、工藤重典の出番が減ってきているのとは関係あるのだろうか、工藤重典の体調の問題でもあるのではないかと心配してしまう。同じ違和感は、休憩後のシューベルト第6交響曲第1・2楽章でも感じられた。彼のフルートは、スタッカートになっていなかった。
第三曲目のシューベルト第6交響曲は、極めて濃厚な味付けで、おそらく好き嫌いが分かれる演奏である。このズンッ、ズンッ、と言ったようなスタッカートを基調とした交響曲は、やはり軽妙かつリズミカルにやってくれた方が私の好みではある。
ところが、まるでベートーフェンの交響曲を演奏するかのような、あるいは同じハ長調の曲でも「ザ-グレート」を弾いているかのような気合の入れようである。小澤征爾+水戸室内管弦楽団でよく在りがちな展開で、ただ大野和士の場合はこれをもうちょっとひねった形となるのだろうか、その「ちょっとひねった」ところが面白いと言えば面白い。
例えば、第三楽章のトリオではテンポを落とさず、一方で第四楽章序奏の部分ではテンポを揺るがすなどの部分に、大野の独特な部分がある。
アンコールは、フォーレ組曲「ドリー」から第1曲「子守歌」であった。
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
曲目:
アントニン=レオポルト=ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ op.22
エドワード=ベンジャミン=ブリテン ノクターン op.60
(休憩)
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第6(7)番 D589
テノール:西村悟(ブリテン ノクターン)
ファゴット-ソロ(ブリテン ノクターン第2曲):マーク=ゴールドバーグ
ハープ-ソロ(ブリテン ノクターン第3曲):吉野直子
ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第4曲):ラデク=バボラーク
ティンパニ-ソロ(ブリテン ノクターン第5曲):ローランド=アルトマン
イングリッシュ-ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第6曲):フィリップ=トーンドゥル
フルート-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):工藤重典
クラリネット-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):スコット=アンドリュース
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:大野和士
第86回水戸室内管弦楽団定期演奏会は、1月13日・1月14日両日にわたり二公演開催された。この評は、第一日目1月13日の公演に対してのものである。
第一曲目の「弦楽セレナーデ」は、メリハリがキッチリつけられた、良く考えられた演奏である。楽章が進むに連れ熱を帯びる演奏であり、ある楽器がどこで出てきてどこで他の楽器のサポートに回るかが良く分かる演奏だ。弱奏部でさえも、もちろん音量は小さくはなるが、なぜか力強く聴こえてくる。
第二曲目、ブリテンのノクターンは、この演奏会の白眉である。第1曲の「詩人の唇の上に私は眠った」の部分は、西村悟と管弦楽のみで、普通の演奏であるが、第2曲「ファゴットのオブリガート」から本気モードになり始める。これ以降全曲に渡り、西村悟は水戸芸術館の響きを自在に使って、力強さと軽妙さとを的確に使い分ける、素晴らしい歌唱を見せる。
第4曲「ホルンのオブリガート」では、ホルン-ソロのラデク=バボラークが非常に見事だ。犬の鳴き声、鶯の鳴き声、猫の鳴き声が出てくる曲であるが、西村悟とラデク=バボラークの響きが完璧に調和が取れており、また軽妙な曲調を掌中に入れて楽しい雰囲気だ。まるで、モーツァルトの二重協奏曲を完璧な独奏で聴いている気分になる。
一転第5曲「ティンパニのオブリガート」では、フランス革命時の虐殺事件を扱う題材となる。ティンパニ-ソロのローランド=アルトマンも完璧な出来だ。題材が持つ重さや恐怖心を見事に表現している。
残念ながら、第7曲、工藤重典のフルート-ソロは音が曖昧に聴こえ、違和感を覚えた。これが、私がフルートの性質を理解していないからかもしれないし、工藤重典が使っているフルートの癖を承知でそのような音を出しているのかもしれないし、指揮者の指示であるのかも知れないが、これまで聴いてきた工藤重典のフルートとはどうも異質である。
最近、サイトウ-キネンにしても水戸室内管弦楽団にしても、工藤重典の出番が減ってきているのとは関係あるのだろうか、工藤重典の体調の問題でもあるのではないかと心配してしまう。同じ違和感は、休憩後のシューベルト第6交響曲第1・2楽章でも感じられた。彼のフルートは、スタッカートになっていなかった。
第三曲目のシューベルト第6交響曲は、極めて濃厚な味付けで、おそらく好き嫌いが分かれる演奏である。このズンッ、ズンッ、と言ったようなスタッカートを基調とした交響曲は、やはり軽妙かつリズミカルにやってくれた方が私の好みではある。
ところが、まるでベートーフェンの交響曲を演奏するかのような、あるいは同じハ長調の曲でも「ザ-グレート」を弾いているかのような気合の入れようである。小澤征爾+水戸室内管弦楽団でよく在りがちな展開で、ただ大野和士の場合はこれをもうちょっとひねった形となるのだろうか、その「ちょっとひねった」ところが面白いと言えば面白い。
例えば、第三楽章のトリオではテンポを落とさず、一方で第四楽章序奏の部分ではテンポを揺るがすなどの部分に、大野の独特な部分がある。
アンコールは、フォーレ組曲「ドリー」から第1曲「子守歌」であった。
2013年1月1日火曜日
フェニーチェ大劇場 2013年新年演奏会評
2013年1月1日 火曜日
フェニーチェ大劇場 (イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア市)
曲目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アイーダ」より「シンフォニア」
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 op.17
(休憩)
ジョアキーノ=ロッシーニ 歌劇「コリントスの包囲」より「ギャロップ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「我らはマドリードの闘牛士」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アッティラ」より前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「花から花へ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」
ソプラノ:デジレ=ランカトーレ
テノール:サイミール=ピルグ
合唱:フェニーチェ大劇場合唱団
管弦楽:フェニーチェ大劇場管弦楽団
合唱指揮:クラウディオ=マリノ=モレッティ
指揮:サー=ジョン=エリオット=ガーディナー
フェニーチェ大劇場での2013年新年演奏会(Concerto di Capodanno)は、2012年12月29日から2013年1月1日まで、合計4公演開催された。この評は2013年1月1日の公演に対してのものである。なお、この演奏会は休憩後の後半部分に於いてイタリア放送協会第一テレビシオン番組(Rai 1)でも生放送されている。
昨年とは違い、イタリア国歌斉唱とはならず、いきなり「アイーダ」のシンフォニアが始まる。普通の出来と言ったところか。
第二曲目のチャイコフスキー「小ロシア」交響曲は、第一楽章こそ平凡な出来であるが、なぜか拍手が起こる。よく分からない展開となる。奇妙な感覚のイタリア人がいたのか、それともアメリカ人の田舎者が紛れ込んでいるからなのかは分からない。演奏は楽章が進むにつれ熱を帯びていく。第三楽章の終わりでも拍手が起きたが、まあ起きても良いかという程度の演奏だ。第四楽章は、それこそ第四・第五交響曲と並ぶだけの内容を持つ楽章にふさわしい演奏で、如何にもロシアを感じさせる堂々とした演奏だ。良い演奏であるとは言える。ただ、私が居住している日本での演奏ではなく、膨大な資源を投じて10,000km近い距離のヴェネツィアまで行く程の価値があるかと言われると、疑問を感じるところがあるのも否めない。
前半部については、昨年のディエゴ=マテウス指揮の方が面白かったか。プログラムにないイタリア国歌から始まってチャイコフスキーの第5交響曲だったから、前半部でも十分盛り上がれる内容だったし、実際第5の演奏も縦の線がビシっと決まった素晴らしい演奏だったから。今年は、こういったフェニーチェ大劇場管弦楽団の見せ場は少なかったように思える。
休憩は25分で、昨年より長めである。
後半が始まる。まずはロッシーニの「コリントスの包囲」からの「ギャロップ」だ。管弦楽だけの演奏で、ゆっくりとしたテンポではあるが、前半と違って大変ノリがよい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=MVE25H1Vpao
2曲目は「椿姫」から「我らはマドリードの闘牛士」。合唱団がここで登場する。合唱は普通の出来か。
3曲目は「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」である。ここでソリスト、デジレ=ランカトーレが登場する。この演目は、ランカトーレがシチリアの出身であることをも意識しているのか。
ランカトーレの歌声は、この「ありがとう友よ」に於いては、若干安定感を欠く部分もあり、突っ込みを入れようと思えば入れられるところもあるが、全般的には声量は十分あり劇場全般に行きとどいているだけでなく、その声質も力強い。特に歌い終わりで見栄を切るところが素晴らしい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=iLZBpNEjvTQ
4曲目は歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」である。もう一人のソリスト、サイミール=ピルグが登場する。イベリア地方の出身かと思いきや、実はシュキペリア(アルバニア)出身の若手テノールである。ピルグの歌声は完璧の一言だ。声量が十二分に劇場全般に行き渡り、崩れるところが一切なく、軽やかで甘い声質を存分に活かしている。これ以上の完璧さを求めるのは難しいだろう。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=rYeYdNJMPws
5曲目は歌劇「アッティラ」より前奏曲は管弦楽のみの演奏である。テンポは遅めでしっとりとした演奏だ。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=wlhMfYKwhH8
6曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=TIBRuPQ1atw
7曲目は歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲である。遅めのテンポでしっとりと進めていく。参考映像での2分57秒頃で微妙にリタルランドを掛けているが、とても効果的だ。この日の管弦楽単独の演奏の中では最もよい演奏である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=nHfDxtlMpw0
8曲目は歌劇「椿姫」より「花から花へ」である。ランカトーレの歌声はより完成度を増し、完璧な歌声である。途中、ピルグが舞台裏で歌い出す。ピルグのパワーは音響板をものともせず、ランカトーレとの完璧なバランスを保って客席まで響かせる。演奏会も終わりが近づく所で、劇場中を一気に盛り上げていく。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=9eqw_R4MSvk
9曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」である。ピルグの歌声が変わらずに冴えわたっている。
http://www.youtube.com/watch?v=6SxleoSb3lc
10曲目は歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」である。今年はあまり合唱が前面に出なかったところもあるが、それでもこの歌唱はこの演奏会の中では一番良い。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=OIpkUf5eF0c
11曲目は歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」である。本番最後の曲であると同時に、アンコールでも演奏される。ヴィーンの新年演奏会で「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」をアンコールで演奏するのと同じ約束事である。
ランカトーレ・ピルグ・合唱・管弦楽が全て揃って、新年演奏会の幕を閉じる。今年のソリストは二人とも完璧に近く、このような歌声であれば例え短い一時間程の時間であっても、遠いヴェネツィアまで行って良かったと思える。このような力のあるソリストが揃った歌劇なら、どんな遠くの歌劇場にでも駆けつけたいと強く思う。
参考映像は(本番のみ)↓。
http://www.youtube.com/watch?v=X11tKxJ-5qc
アンコール(同曲)付の参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=MsumKsptexo
画像が悪いが、本番とアンコールの間の情景付↓
http://www.youtube.com/watch?v=RvrqIZF1LSU
なお余談であるが、Rai 1は生放送に当たって下記↓のイントロダクションを放映している。
http://www.youtube.com/watch?v=rAyStaowowg
上記参考映像の中にはバレエ風景もあり、これもヴィーンでの新年演奏会の真似か何かで賛否両論かとは思うが、賛否は別として、さすがにミラノ-スカラ座のバレエ団には美男美女が揃っていて、絵になっている。
このイントロダクションでは、ヴェネツィアのサン-ジョルジョ-マジョーレ島や、総督宮殿でロケが行われている。
本番のカメラワークとともに、日本のNHKでは到底為し得ない映像美を楽しむのも良いだろう。
フェニーチェ大劇場 (イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア市)
曲目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アイーダ」より「シンフォニア」
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 op.17
(休憩)
ジョアキーノ=ロッシーニ 歌劇「コリントスの包囲」より「ギャロップ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「我らはマドリードの闘牛士」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アッティラ」より前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「花から花へ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」
ソプラノ:デジレ=ランカトーレ
テノール:サイミール=ピルグ
合唱:フェニーチェ大劇場合唱団
管弦楽:フェニーチェ大劇場管弦楽団
合唱指揮:クラウディオ=マリノ=モレッティ
指揮:サー=ジョン=エリオット=ガーディナー
フェニーチェ大劇場での2013年新年演奏会(Concerto di Capodanno)は、2012年12月29日から2013年1月1日まで、合計4公演開催された。この評は2013年1月1日の公演に対してのものである。なお、この演奏会は休憩後の後半部分に於いてイタリア放送協会第一テレビシオン番組(Rai 1)でも生放送されている。
昨年とは違い、イタリア国歌斉唱とはならず、いきなり「アイーダ」のシンフォニアが始まる。普通の出来と言ったところか。
第二曲目のチャイコフスキー「小ロシア」交響曲は、第一楽章こそ平凡な出来であるが、なぜか拍手が起こる。よく分からない展開となる。奇妙な感覚のイタリア人がいたのか、それともアメリカ人の田舎者が紛れ込んでいるからなのかは分からない。演奏は楽章が進むにつれ熱を帯びていく。第三楽章の終わりでも拍手が起きたが、まあ起きても良いかという程度の演奏だ。第四楽章は、それこそ第四・第五交響曲と並ぶだけの内容を持つ楽章にふさわしい演奏で、如何にもロシアを感じさせる堂々とした演奏だ。良い演奏であるとは言える。ただ、私が居住している日本での演奏ではなく、膨大な資源を投じて10,000km近い距離のヴェネツィアまで行く程の価値があるかと言われると、疑問を感じるところがあるのも否めない。
前半部については、昨年のディエゴ=マテウス指揮の方が面白かったか。プログラムにないイタリア国歌から始まってチャイコフスキーの第5交響曲だったから、前半部でも十分盛り上がれる内容だったし、実際第5の演奏も縦の線がビシっと決まった素晴らしい演奏だったから。今年は、こういったフェニーチェ大劇場管弦楽団の見せ場は少なかったように思える。
休憩は25分で、昨年より長めである。
後半が始まる。まずはロッシーニの「コリントスの包囲」からの「ギャロップ」だ。管弦楽だけの演奏で、ゆっくりとしたテンポではあるが、前半と違って大変ノリがよい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=MVE25H1Vpao
2曲目は「椿姫」から「我らはマドリードの闘牛士」。合唱団がここで登場する。合唱は普通の出来か。
3曲目は「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」である。ここでソリスト、デジレ=ランカトーレが登場する。この演目は、ランカトーレがシチリアの出身であることをも意識しているのか。
ランカトーレの歌声は、この「ありがとう友よ」に於いては、若干安定感を欠く部分もあり、突っ込みを入れようと思えば入れられるところもあるが、全般的には声量は十分あり劇場全般に行きとどいているだけでなく、その声質も力強い。特に歌い終わりで見栄を切るところが素晴らしい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=iLZBpNEjvTQ
4曲目は歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」である。もう一人のソリスト、サイミール=ピルグが登場する。イベリア地方の出身かと思いきや、実はシュキペリア(アルバニア)出身の若手テノールである。ピルグの歌声は完璧の一言だ。声量が十二分に劇場全般に行き渡り、崩れるところが一切なく、軽やかで甘い声質を存分に活かしている。これ以上の完璧さを求めるのは難しいだろう。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=rYeYdNJMPws
5曲目は歌劇「アッティラ」より前奏曲は管弦楽のみの演奏である。テンポは遅めでしっとりとした演奏だ。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=wlhMfYKwhH8
6曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=TIBRuPQ1atw
7曲目は歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲である。遅めのテンポでしっとりと進めていく。参考映像での2分57秒頃で微妙にリタルランドを掛けているが、とても効果的だ。この日の管弦楽単独の演奏の中では最もよい演奏である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=nHfDxtlMpw0
8曲目は歌劇「椿姫」より「花から花へ」である。ランカトーレの歌声はより完成度を増し、完璧な歌声である。途中、ピルグが舞台裏で歌い出す。ピルグのパワーは音響板をものともせず、ランカトーレとの完璧なバランスを保って客席まで響かせる。演奏会も終わりが近づく所で、劇場中を一気に盛り上げていく。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=9eqw_R4MSvk
9曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」である。ピルグの歌声が変わらずに冴えわたっている。
http://www.youtube.com/watch?v=6SxleoSb3lc
10曲目は歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」である。今年はあまり合唱が前面に出なかったところもあるが、それでもこの歌唱はこの演奏会の中では一番良い。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=OIpkUf5eF0c
11曲目は歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」である。本番最後の曲であると同時に、アンコールでも演奏される。ヴィーンの新年演奏会で「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」をアンコールで演奏するのと同じ約束事である。
ランカトーレ・ピルグ・合唱・管弦楽が全て揃って、新年演奏会の幕を閉じる。今年のソリストは二人とも完璧に近く、このような歌声であれば例え短い一時間程の時間であっても、遠いヴェネツィアまで行って良かったと思える。このような力のあるソリストが揃った歌劇なら、どんな遠くの歌劇場にでも駆けつけたいと強く思う。
参考映像は(本番のみ)↓。
http://www.youtube.com/watch?v=X11tKxJ-5qc
アンコール(同曲)付の参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=MsumKsptexo
画像が悪いが、本番とアンコールの間の情景付↓
http://www.youtube.com/watch?v=RvrqIZF1LSU
なお余談であるが、Rai 1は生放送に当たって下記↓のイントロダクションを放映している。
http://www.youtube.com/watch?v=rAyStaowowg
上記参考映像の中にはバレエ風景もあり、これもヴィーンでの新年演奏会の真似か何かで賛否両論かとは思うが、賛否は別として、さすがにミラノ-スカラ座のバレエ団には美男美女が揃っていて、絵になっている。
このイントロダクションでは、ヴェネツィアのサン-ジョルジョ-マジョーレ島や、総督宮殿でロケが行われている。
本番のカメラワークとともに、日本のNHKでは到底為し得ない映像美を楽しむのも良いだろう。
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