2014年12月24日水曜日

中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆 に対する公開書簡

 中日新聞社 放送芸能部 長谷義隆へ

  主文

 長谷義隆に対し、放送芸能部からの異動希望を人事当局に出されるよう、私は勧告する。また長谷義隆に対し、この異動が発令される際に文化部への異動がなされないように、異動希望を人事当局に出されることを私は勧告する。

  理由

 中日新聞社2014年12月22日(月曜日)夕刊にて、長谷義隆は名古屋フィルハーモニー交響楽団に対する侮辱的・嘲笑的・挑戦的発言を「回顧2014」に投稿した。

 名古屋フィルハーモニー交響楽団(以下「名フィル」という)は、Thierry Fischer・Martyn Brabbins、両常任指揮者の尽力により、現代曲を果敢に取り上げてきた。いわゆる「名曲」よりも技術的な困難さの度合いを深めた現代曲に対し、名フィル奏者は自身の持つ技量を高めてこれに臨み、観客に感銘を与えるまでの演奏を為し、喝采を浴びてきた。

 名フィルは、先進的意欲的なプログラムを消化し、名古屋の観客を啓蒙した。第415回定期演奏会にて取り上げた、Witold Lutosławski作曲の「管弦楽のための協奏曲」、第417回定期演奏会にて取り上げたKalevi Aho作曲の「トロンボーン協奏曲」の二例を上げれば十分であろう。特にKalevi Ahoの作品は日本初演であり、彼の当該曲を日本のどこよりも早くこの名古屋で演奏し、作曲家Kalevi Ahoの真価を日本に知らしめた。

 そのような名フィルの営みを、「さて、リーダー格の名古屋フィルハーモニー交響楽団は今年始めた豊田定期公演や小林研一郎指揮のマーラー交響曲第二番「復活」などでは喝采を浴びたが、肝心の定期演奏会は聴衆ニーズから離れた選曲が多く定期会員の漸減に歯止めがかかっていない。切り口の斬新さより、名曲を感動的に演奏する原点に立ち返る必要がありそうだ。」と評するのは、名フィルによるこれまでの先進的意欲的な努力を嘲笑する卑劣漢の行為である。

 長谷義隆は、名古屋の文芸を破壊したいのか!大阪市長の橋下徹が文楽を敵視するのと同じように、先進的意欲的な方向性を攻撃し、名古屋の文芸に反動的な影響を与え、もって名古屋の文芸に打撃を与えたいのか!

 先進的意欲的な方向性で挑戦しているのであれば、これを説明し、解説し、案内することにより読者を啓蒙し、もって名古屋の聴衆の前衛となって導き、奏者・評者・読者が三位一体となって前に向かって歩み続ける、その助けとなるのが、中日新聞社文化担当記者の責務である。長谷義隆は、その責務を放棄しただけではない。読者に反動的影響力を与え、反啓蒙の作用を齎し、名古屋の文芸に対する有害な破壊行為を為した。長谷義隆は、名古屋の文芸に対するテロリストである。

 ついでに言及するが、「名古屋で定期演奏するNHK交響楽団、京都市交響楽団などの外来オーケストラと聴き比べると、名古屋勢の物足りなさは浮き彫りになる。合奏力は上がっているものの、総じて奏者個々の個人技が見劣りする。」とは、単なる事実誤認であるだろう。あれほどまでの水準で現代曲の演奏を見せつけられて、そのような評しか出せないのは、長谷義隆が何も聴いていない事を露呈したに過ぎない。NHK交響楽団や京都市交響楽団と比較する事に意味があるとは思えないし、百歩譲ってその評の通りであれば、名古屋市や愛知県、トヨタ自動車に補助金を出させて、金の力で実力のある奏者をごっそり雇い、引き抜けばいい。長谷義隆の評の矛先が間違っているのだ。名フィルが限られた予算の中で、これ程までの水準で演奏が実現されている事をまずは評価すべきで、この行為を為さない長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者として怠慢の謗りを免れない。

 長谷義隆は、中日新聞社文化担当記者としての適格性に著しく欠け、その任に堪え得ない。よって長谷義隆に対し中日新聞社放送芸能部・文化部からの転身を、私は勧告する。

  付記

 この書簡は公開書簡である。ウェブサイト@OOKI_Akira twitter Archive(http://ookiakira.blogspot.jp/)上に2014年12月24日の日付にて掲載している。また、長谷義隆から返信があった場合には、特に意志が明示されない限り、@OOKI_Akira twitter Archiveに掲載する。

 長谷義隆に対し、敬称を付す意志はない。卑劣漢であり、名古屋の文芸に対するテロリストである長谷義隆に、いかなる敬意を持てないからである。なお、当然の事ながら私は、長谷義隆より同様の取り扱いをされることを受け入れる。

                   松本にて 2014年12月24日
                    (署 名)

2014年12月21日日曜日

国立劇場 通し狂言「伊賀越道中双六」 評


今日は国立劇場で25年ぶりに歌舞伎を見る。国立劇場も25年ぶり、高等学校時代に何かの校外学習っぽいもので行って以来だ。高等学校時代に何を観たのかはさっぱり思い出せない。楽しめたのかつまらなかったのかさえ、良く分からない状態だ。

文楽は「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」を見てきたが、歌舞伎については何も見ていなかった。新国立劇場「シンデレラ」公演は寺田亜沙子さん主演の日であったが、なぜかチケットを確保しておらず、あわてて確保しようとしたら、私にとっての理想的な席が埋まってしまったのだ。

そうこうしているうちに、NBSと紛らわしい独立行政法人日本芸術文化振興会から、誘惑メールが来た。「伊賀越道中双六」を通しでやる。44年ぶりに三州岡崎をやる。東京駅100周年記念Suicaには関心がなかったものの、限定物に弱いあきらにゃん、舞台がこなれ千秋楽が近づく21日に行くことを決め、チケット取得を決意、見事に、わずかに前方・ど真ん中の最高の席を入手した!

通しとは言え休憩を除けば、総上演時間は三時間程なので、気軽に見ることができる。

冒頭では、やはり私は文楽向きではないかとも懸念したが、股五郎役中村錦之助の見事な悪役により目が覚める。和田行家暗殺大成功♪この時の私、顔を見られていたらニタニタ、気味の悪い笑みを浮かべていたに相違ない。

第三幕「藤川新関」の場面は、お袖(中村米吉)が本当に艶やかで目を奪われる。本当に女性よりも女性らしく、歌舞伎の女形とはこういうことかと認識させられる。美女だし所作が本当に女性そのものだ。

助平役の中村又五郎も、その間抜けな役柄を見事に演じる。

この第三幕、和田志津馬(尾上菊之助)が旅券(通行手形)は奪取するわ、他人名義の旅券での国境(関所)を通過するわ、密出境したらブービートラップが鳴って国境警察官が到着するわ、国境警察官を気絶させて強行突破大成功するわ、という内容の、とんでもない犯罪アクションである。一方、間抜けな助平は旅券を奪われ、密出境に失敗して、国境警察官に逮捕される♪歌舞伎、面白過ぎです♪♪法務省入国管理局から抗議が来てもおかしくない内容でありますね(むふふ)♪♪

第四幕の「岡崎」の場面は、派手さはなく難しい場面ではあるが、まあまあの内容か。

大詰の仇討ちの場面は圧巻、最後のとどめを刺す場面では涙腺がちょっと潤む(←ここで潤むのかよ!)

主役の中村吉右衛門はもちろん、中村歌六、中村又五郎、尾上菊之助、中村米吉、悪役の中村錦之助が素晴らしく、私の四半世紀ぶりの歌舞伎公演は成功裏に終わったのでありました。。


(国立劇場での鑑賞事情について↓)

国立文楽劇場は舞台上方に字幕が出ますが、国立劇場にはそのような設備はありません。しかし、高等学校時代に古典が全くダメダメ状態であった私でも大丈夫でしたので、誰でも楽しめると思います。

あらすじは、チラシの裏レベルで大丈夫です。セリフも、私でさえ七割は内容が分かりましたから、筋を追うに当たっては支障ありません。

間違ってもイヤホンガイドなんて使わないでくださいね。単なる鑑賞の邪魔だから。イヤホンガイドやるくらいだったら、字幕を付けるべきだと思うけど、どうしてしないのだろう。

バルセロナにあるリセウ大劇場にあるような、座席背面の字幕で英語を表示させる必要もあるように思います。歌舞伎座や明治座とは違い、ちゃんとした通しをやるのですから、日本語が分からない外国人も含めて誰もが楽しめる環境になるといいのかなと、思っています。

2014年12月20日土曜日

新国立劇場バレエ団「シンデレラ」 評(仮)

2014年12月20日、新国立劇場バレエ団の「シンデレラ」、昼夜二公演観てきました。正式な形での長文評は書く時間がない状態なので、twitter投稿に若干変更した内容ですが、略式で投稿します。

12/20昼「シンデレラ」NNTT。第一幕終了。四季の精で好みの出来だったのは、細田千晶さんの冬の精。井倉さんがシンデレラで引退したかった理由は、第一幕終盤からも良く分かる。では、第二幕に。

第二幕最後の、シンデレラの衣装の早替えは、どうやっているのか?にしても、アシュトンは天才だわ。あれ以上の振り付けは不可能だろう。諧謔の要素と華麗の要素の組み合わせが絶妙で、構成力に富んでいる。終戦直後の1940年代の振り付けとはとても思えない現代性も併せ持っているし。

12/20昼NNTT「シンデレラ」は終了。今日の小野絢子さんは完璧な出来かな。体調がいいのか、回転を要する演技もキチッと決めていた。

福岡雄大くんは、ガチムチ王子で優美さの欠片も感じられなかった「眠れる森の美女」の時よりずっと素晴らしい。奥田花純ちゃんが少し体調悪い気味に見えたのは気のせいか?八幡さんの道化は期待通り。義理の姉たちは本当に楽しい♪では、米沢唯ちゃんの夜公演に・・・・。。

12/20夜「シンデレラ」NNTT、第一幕終了。米沢唯ちゃん、ドヤ顔やっているし♪かわいいにゃあ♪♪四季の精、秋の精の五月女遥さんが良かったように思えたのは、私の独断か。

12/20新国立劇場バレエ団「シンデレラ」マチソワ終了。絢子さん→唯ちゃんだけでなく、ファースト・セカンドとキャストが変わってもそれぞれが個性を出していて、総じて差がなく高いレベルで演じられた。私にとって、物足りない思いはまるでなかった。幸せなマチソワ体験♪

12/20新国立劇場バレエ団「シンデレラ」マチソワ終了。どちらかと言うと、ソワレの方がやんちゃで面白かったかな。観客のノリもソワレの方があったか?非公然バラバラ組織「唯ちゃん親衛隊」の仕業かもしれないが♪

米沢唯ちゃんシンデレラは、灰被りの方がずっとかわいいのだよな。お姫様メイクしない方がずっといい♪絢子さんよりもやんちゃなところも好きだし。様式美を極めた「眠り」とは正反対の方向性ですが、どっち方面でもいいです♪それにしても、あのスカーフ肩に巻いたドヤ顔には笑ってしまった♪

2014年12月7日日曜日

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン 横浜公演 演奏会 評 Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen, Yokohama performance, review

2014年12月7日 日曜日/ Sunday 7th December 2014
横浜みなとみらいホール (神奈川県横浜市)
Yokohama Minato Mirai Hall (Yokohama, Japan)

曲目:
Ludwig van Beethoven: ‘Die Geschöpfe des Prometheus’ ouverture op.43 (「プロメテウスの創造物」序曲)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Karol Beffa: Concerto per violino e orchestra(world premier/世界初演/国際音楽祭NIPPON委嘱作品)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.1 op.21

ヴァイオリン:諏訪内晶子 (Suwanai Akiko)
管弦楽:ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメン(Die Deutsche Kammerphilharmonie Bremen)
指揮:パーヴォ=ヤルヴィ (Paavo Järvi)

ドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンは、2014年12月1日から14日までアジアツアーを行い、大邱・ソウル・北九州・横浜・名古屋・東京にて計10公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はパーヴォ=ヤルヴィである。諏訪内晶子との共演は、12月6日から8日までの、北九州・横浜・名古屋公演の3公演となる。

この12月7日の演奏会は、諏訪内晶子が芸術監督を務める「第3回国際音楽祭NIPPON」の一環としての演奏会でもある。フランスの作曲家、カロフ=ベッファのヴァイオリン協奏曲については、国際音楽祭NIPPONによる委嘱作品であり、世界初演となる。この協奏曲は、横浜公演のみの演奏となる。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。ティンパニはバロック-ティンパニではなく、モダン-ティンパニ、Beethovenの1番でもバロック-ティンパニは登場しなかった。昨年11月の三井住友海上しらかわホールでのスタイルとは違い、その点は残念である。着席場所は、ヴァイオリン協奏曲の演奏を考慮し前方シフトを掛け、やや前方中央である。客の入りは当日券が70枚出たとの話であるので、ほぼ満席か。観客の鑑賞態度は極めて良好であった。

第一曲目の「プロメテウスの創造物」序曲は、みなとみらいホールに馴染んでいない響きで、演奏は平凡である。

第二曲目のメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、予想通りの展開でサプライズはない。技術的には高水準の演奏であるが、何か大切な物が足りない。まず響きがみなとみらいホールに馴染んでいない。どこかスイートスポットを外れたかのような響きであり、やや前方の席を確保したのにも関わらず、あまり音圧が感じられない。それとニュアンスが掛らず、平板なヴァイオリンの演奏である。庄司紗矢香のようなニュアンスを伴った構成力はなく、アリーナ=イブラギモヴァのような激しさもなく、とにもかくにも面白くない。昨日聴いたばかりのDresdner Kapellsolistenのコンサート-ミストレスSusanne Brannyのようなささやかなニュアンスすら掛からない。これでは、ドイツの地方歌劇場のコンサート-ミストレスですら及ばない。ニュアンスを掛けた構成力がないのか、ニュアンスを掛ける事自体が嫌いなのか、詳細な事情は不明であるが、いずれにしても諏訪内晶子の古典物は、ほぼ全滅であろう。諏訪内晶子はドイツではとても通用しない。

諏訪内晶子の出来は、曲想に左右される、というか、左右され過ぎである。演奏者のニュアンスに依存しない、作曲の段階で楽譜通りにそのまま演奏しても面白い構成の曲でなければ、諏訪内晶子の音楽は成立しないのだ。

休憩後はベッファのヴァイオリン協奏曲、これは諏訪内晶子の高度なテクニックと集中力とが見事に噛み合った素晴らしい出来となった。前半とは違い、諏訪内晶子もドイツェ-カンマーフィルハーモニー-ブレーメンの管弦楽も、みなとみらいの響きを見事に捉えた素晴らしい響きとなる。第二楽章前半部の、下手に演奏すると退屈になりがちな部分に於いても緊迫感が途切れない演奏で説得力を持つ。カンマーフィルハーモニーの管弦楽は全員のパッションが凄まじく、一人ひとりが諏訪内晶子と同格に対決する形だ。特に打楽器は見事にアクセントを決めてくる。

ベッファのヴァイオリン協奏曲により、諏訪内晶子は活かされた。諏訪内晶子はコンテンポラリーに強い。どうして北九州でも名古屋でもベッファでなくメンデルスゾーンを演奏したのか、理解に苦しむ。北九州でも名古屋でもプログラムは保守反動的だ。国際音楽祭NIPPONの趣旨の中で、イントロダクション-エデュケーションの項目の中に「“現代作曲家への委嘱”・・・同時代で同じ音楽家として活躍する諏訪内晶子が、旬の作曲家に音楽祭委嘱作品を依頼し、その魅力を紹介していきます」とある。どうして横浜だけなのか。どうして名古屋ではやらないのか。どうして北九州ではやらないのか。諏訪内晶子芸術監督は、地方の聴衆を「現代音楽など理解できない」と馬鹿にしているとしか思えない。少なくとも名古屋の観客は決して保守的ではなく、むしろその逆であり、名古屋フィルハーモニー交響楽団の先駆的プログラムにより、日本のどこの都市よりも、現代音楽を受け入れる力を聴衆は得ている。わざわざ苦手のメンデルスゾーンではなく、得意の現代音楽で攻められるのに、どうしてしなかったのかは、理解に苦しむ。そのような事を、山の奥地のど田舎である長野県松本市に住む私に言われて恥ずかしいとは思わないのか、と強く言いたい。

第四曲目のBeethovenの1番は、先述したようにバロック-ティンパニを用いたものではなかったが、大胆なニュアンスをうまく構築した演奏で、昨年11月の三井住友海上しらかわホールでの名演を思い起こすかのような演奏であった。

2014年12月6日土曜日

ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団 松本公演 評 Dresdner Kapellsolisten, Matsumoto performance, review

2014年12月6日 土曜日/ Saturday 6th December 2014
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Auditorium) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.1 K.136
Ludwig van Beethoven: Concerto per pianoforte e orchestra n.2 op.19
(休憩)
Arcangelo Corelli: Concerto grosso ‘fatto per la notte di Natale’ op.6-8(クリスマス協奏曲)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia concertante per violino, viola e orchestra K.364

ヴァイオリン:Susanne Branny
ヴィオラ:Stephan Pätzold
ピアノ:横山幸雄 (Yokoyama Yukio)
管弦楽:ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団(Dresdner Kapellsolisten)
指揮:Helmut Branny

ドレスデン国立歌劇場室内管弦楽団は、2014年11月29日から12月7日まで日本ツアーを行い、東京(非公開を含め3公演)・大阪狭山(大阪府)・岡山・福山(広島県)・松本・大阪にて計8公演の演奏会を開催する。全ての公演の指揮者はヘルムート=ブラニーである。松本公演以外の共演者は全て森麻季(ソプラノ)であるが、松本公演のみ横山幸雄のピアノとなった理由は不明である。ピアニストだったら、小菅優さんとか児玉桃さんとか、日本人でもマトモなピアニスト沢山いるのに!

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側の位置につく。チェロ以外は全て着席せずに演奏する。着席場所は、後方上手側である。客の入りは6割程である。観客の鑑賞態度はビニールの音がした事はあったが、概ね良好であった。恐らく空調ノイズ(あるいは補聴器ノイズ?)が前半は許容範囲を超える音量であったが、後半は大幅に改善された(不満が全くない訳ではないが、受忍できる程度)。

一曲目のK.136は音取りを行うような印象である。今回の日本ツアーでは、唯一の中規模ホールかつ残響が豊かなホールであり、少し戸惑っている感じもなくもない。

二曲目はBeethovenのピアノ協奏曲第2番、ソリストの横山幸雄は鍵盤をガンガン叩きつける乱雑な演奏をするかと、ブーイングの可能性をも視野に入れて対応する程の戦闘態勢で聴き始めたが、予想よりはマトモである♪しかし淡白だ。淡白で本性が出てなかったのが良かったのか。カデンツァの音の多いところではムニャムニャ気味に聴こえるし、個性やパッションを出している訳でもない。個性やパッションが無いのが個性であるのだとするならば、まあ仕方がないことだ。残響が長いホールでもちゃんと弾く奏者は沢山いるので、残響の長さを言い訳にすることは出来ない。単なる技量の問題であるだろう。ソリスト-アンコールはベートーヴェンのピアノ-ソナタ第17番第二楽章であったが、強奏部では馬脚が出て、雑だと感じる。まあ、横山幸雄はお目当ての楽団に無理矢理セットされていただけで、管弦楽の奏者か指揮のブラニー氏に矯正されたのか、本性を出したら危険との本人の自覚があったためなのか、無難に演奏してあまり邪魔しなかっただけ良しとする。お義理の小さな拍手を送っておく。感激して大きな拍手をしている方もいるが、数多くの演奏を聴ける環境でもなく、致し方のないことだ。

休憩後の三曲目のコレルリは、チェンバロとのバランスを取りつつもよく響かせた演奏であるが、曲想もあり、ちょっと眠くなりがちにもなる。

最後の、モーツァルトの協奏交響曲K.364は絶品である。コンサート-ミストレスがヴァイオリンのソリストであるが、スザンヌ=ブラニーの演奏は見事だ。ホール中をたっぷり朗々と響かせ、技術的には完璧であるし、さりげないテンポ変動のニュアンスを違和感なくビシッと効かせる構成力もある。終始管弦楽をリードする力もある。いつでも一流のソリストとして独立出来るだけの実力が感じられる。ドイツ的美女の、凛とした強さと美しさを想像させるような演奏であり、今日の演奏会の一番の立役者だ。

ヴィオラのStephan Pätzoldは、第二楽章に於けるスザンヌ=ブラニーとの掛け合いが、ニュアンスに富んだ表現で素晴らしい。

その他、管弦楽も実力者ぞろいで、ホルンは安定した素晴らしい完成度を誇る。木管も随所でアクセントを決め、協奏交響曲を引き締めていく。松本市音楽文化ホールの残響感もキッチリ把握し、完璧な豊かな響きで観客を圧倒する。

アンコールは、日本では良くありがちな「ふるさと」であるが、木管が吠えまくりニュアンス出しまくりの名演である。これは歌うのはもったいない。木管の音色を楽しむ事とした。

さすがドイツ、ソリストを外部から呼ばなくても、地方歌劇場の管弦楽団がこれ程まで演奏会の場で高いレベルで勝負できるのだ。彼らを全員出国禁止にして、新国立劇場に一人年収1億円で強制契約させ、何なら一人2億円でもいいから日本に留まらせるべきだろう♪これだけの奏者が歌劇場専属で演奏しているドイツがただただ羨ましい。