2013年12月22日日曜日

バッハ-コレギウム-ジャパン 「メサイア」2013年軽井沢演奏会 評

2013年12月22日 日曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)

曲目:
ゲオルク=フリードリヒ=ヘンデル オラトリオ「メサイア」 HMV56 1753年版

ソプラノ:シェレザード=パンタキ
アルト(カウンターテノール):ダニエル=テイラー
テノール:櫻田亮
バス:クリスティアン=イムラー

合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明

軽井沢大賀ホールにて2010年12月から開始された、クリスマスの時期に於けるBCJによる「メサイア」演奏会は、四回目を迎えた。昨年と比較しての今年の特徴としては、昨年の「1743年ロンドン初演版」ではなく「1753年版」を採用したこと。ソプラノ・テノールのソリストを2名から1名にしたことである。

同じ公演は、12月21日に鎌倉芸術館(神奈川県鎌倉市)、23日にサントリーホール(東京)でも開催された。良い音響が期待できるのは、この軽井沢大賀ホールのみであり、事前にソプラノのシェレザード=パンタキの調子が良いらしいとのツィッター情報を得て、急遽当日券により臨席する。

管弦楽配置は、舞台下手側から第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(その後方にヴィオラ)→チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ(その後方にオルガン)→ファゴット→オーボエの順である。トランペット・ティンパニは舞台下手側後方の配置だ。合唱は舞台後方に下手側からソプラノ→アルト→テノール→バスで一列の配列である。ソリストは、原則として指揮者のすぐ下手側からカウンターテノールとテノール、すぐ上手側からソプラノとバスが歌う形態である。なお第一部では、トランペットが二階合唱席下手側後方上方から演奏する場面もあった。

着席位置は、一階平土間後方上手側である。客の入りは八割程であろうか。聴衆の鑑賞態度はかなり良いが、補聴器の作動音らしき音が下手側から継続的に聞こえていた。

ソリストについては、ソプラノのシェレザード=パンタキは期待通りの声量で、特に第一部では圧倒的な存在感を示している。

カウンターテノールのダニエル=テイラーは、声量面では決して大きいものではないが、特に第二部でのアリアが傑出した出来である。これは、第一声から「これは凄い」と感嘆させられると言うよりは、聴いているうちにいつの間にか惹き込まれていて、終わってみたらその自然と溶け込むような歌声に感嘆させられる不思議なものだ。声の音色にカウンターテノールにありがちな不自然なところがないところも、私の好みと合っている。

クリスティアン=イムラーは、第三部第43曲のトランペットと掛けあうアリアが素晴らしい。

合唱は、ソプラノが2010年の時のような二歩前に出たり、昨年のようにあまり自己主張をしていなかったりする事もなく、今年は半歩前に出る歌唱であろうか。基本的には、他のソリスト・管弦楽と溶け込むアプローチではあるが、いつもながらのレベルの高い合唱である。

管弦楽で特筆するべき点は、トランペット奏者にジャン-フランソワ=マドゥフを招聘し首席奏者として演奏することである。ナチュラル-トランペットの奏法は難しく、BCJの演奏会の際にその出来に期待する事はなかったが、今回のマドゥフ招聘の効果は大きく、全てが完璧ではないものの、大幅に改善されている。特に、第二部最後のハレルヤ-コーラスでは、マドゥフのトランペットが実に絶妙な音量で入ってきて、精緻なハーモニーを構築している。また、第三部第43曲でのバスと掛けあうアリアのトランペットも絶品である。

また今回は、昨年とは着席位置が違うこともあるのか、チェンバロやチェロが良く聴こえ、深みがある響きを楽しむことができた。

アンコールは、ジョン=ヘンリー=ホプキンズ-ジュニアの「われらは来たりぬ」であり、テノールのソロはBCJ合唱陣が務める。それぞれのソロが美しく響き、ソプラノパートとの対比が印象的であった。

2013年12月21日土曜日

ロレンツォ=ギエルミ オルガン-リサイタル 評

2013年12月21日 土曜日
ふれあい福寿会館 サラマンカホール (岐阜県岐阜市)

曲目:
アルノルト=ブルンクホルスト 前奏曲
ヨハン=パッヘルベル シャコンヌ
ヨハン=パッヘルベル 「高き天より、我は来たれり」
ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル 「アダージョとフーガ」
ゲオルグ=フリードリヒ=ヘンデル 「メサイア」HWV56より「なんと美しい事か、平和の福音を伝える者の足は」(※)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「アンナ=マグダレーナ=バッハの音楽帳」より「御身がそばにあるのならば」 BWV508 (※)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「アンナ=マグダレーナ=バッハの音楽帳」より「あなたの心をくださるのなら」 BWV518 (※)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「コーヒー-カンタータ」 BWV211より「ああ!コーヒーってとってもおいしい」 (※)
(休憩)
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「前奏曲とフーガ」 BWV539
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「イタリア様式によるアリアと変奏」 BWV989
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「いざ来たれ、異教徒の救い主よ」 BWV659
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「目覚めよ、と呼ぶ声あり」 BWV645
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「甘き喜びのうちに」 BWV751
ヨハン=セバスティアン=バッハ 「トッカータ、アダージョとフーガ」 BWV564

ソプラノ:日比野景 (※のみ)
オルガン:ロレンツォ=ギエルミ

着席位置は、一階後方上手側である。チケットは完売している。聴衆の鑑賞態度は、特に前半はあまり良いとは言えず、遅刻者の比率が多く、かつ次の曲が始まるまで着席せず、また飴の包装を破る音や話し声まである始末だった。

前半部の後半に登場した日比野景のソプラノは、音量的にはサラマンカホールを十分に響かせていたが、一本調子のところがあり、表現の多様さは見られないように思える。

さて、このリサイタルで用いたサラマンカホールのオルガンは、岐阜県加茂郡白川町に本拠を置いた辻宏(1933-2005)により建造されたものである。

辻宏は、「サラマンカホール」の名の由来になった、スペイン国サラマンカ大聖堂のオルガンを修復した実績があることで高名であり、古典的建造法によるオルガンの建造・修復のスペシャリストとして国内外で活躍してきたが、2005年の逝去に伴い、辻オルガン工房は2008年に閉鎖された。

サラマンカホールのオルガンは、46ストップ、パイプ数2997本であり、コンサートホールにあるオルガンとしては小ぶりではあるが、古典的建造法により建造されたこれとしては、日本では唯一であろうか。古典的建造法により建造されたオルガンであるからなのだろうか、やや鋭い高音部の音色も適切な音色で響いてくる。モダン指向のカール=シュッケ社のオルガンのように耳触りな響きは全くない。

ロレンツォ=ギエルミのオルガンは、テンポは中庸で基本的には作曲者の意図を伝える演奏であり、曲想上眠くなる曲もあるが、多様な音色を的確に用いている。

特に最後の、「トッカータ、アダージョとフーガ」に於けるフーガは、密かな興奮から生じる霊感を感じさせる素晴らしい演奏である。

アンコールは、J.S.バッハの「コンチェルト」BWV596から第四楽章と、作者不詳の「パストラーレ」であった。


追記:サラマンカホールに於けるオルガン建造の経緯は、下記が詳しい。
https://salamanca.gifu-fureai.jp/information/organ.html

2013年12月14日土曜日

ラファウ=ブレハッチ ピアノ-リサイタル 評

2013年12月14日 土曜日
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ 第9番 K.311
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン ピアノ-ソナタ 第7番 op.10-3
(休憩)
フレデリック=ショパン 夜想曲 第10番 op.32-2
フレデリック=ショパン ポロネーズ 第3番「軍隊」 op.40-1
フレデリック=ショパン ポロネーズ 第4番 op.40-2
フレデリック=ショパン 三つのマズルカ op.63
フレデリック=ショパン スケルツォ 第3番 op.69

ピアノ:ラファウ=ブレハッチ

ラファウ=ブレハッチは、12月13日から17日に掛けて来日ツアーを行い、武蔵野(東京都)、東京、横浜、与野(埼玉県)にてリサイタルを行う。12月13日は武蔵野市民文化会館、14日は東京オペラシティ タケミツメモリアル、16日は横浜みなとみらいホール、17日は彩の国さいたま芸術劇場を会場とする。東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切であるとは考えたが、土日開催の都合によりタケミツメモリアルでの公演を選択した。よってこの評は二日目の東京オペラシティ タケミツメモリアルでの公演に対するものである。

着席位置は、一階中央上手側である。チケットは完売している。聴衆の鑑賞態度は良好であった。

前半のモーツァルト・ベートーフェンは楽譜通りの演奏で、ブレハッチ独自の味付けは淡白である。速めの楽章よりは、案外緩徐楽章の方が面白い。ベートーフェンについては、テンポは遅めである。響きは軽めであり、軽快であると言えばその通りであるが、しかし音が遠くに感じ臨場感が感じられない。タケミツメモリアルはやはり大き過ぎるのであろうか?いくら音響のよいタケミツメモリアルでも、18列目では難しいのか。彩の国さいたま芸術劇場のような604席しかないホールの方が、断然素晴らしい成果を上げただろう。

一方、後半のショパンでは表現の幅が増す。ピアノが近くにあるように聴こえ始め、適切な音圧で迫ってくる。テンポの扱いは自由自在となる。その一方で、感情に溺れず、放逸を排除した、貴族的とも言うべきブレハッチ独自の様式の枠を構成しながらも、パッションはよく込められてくる。特にこのようなブレハッチの個性が最も行き渡っているのは、ポロネーズ第3番「軍隊」と、アンコール一曲目の前奏曲第20番である。この二曲が私にとっては特に好みの演奏だ。

アンコールは三曲あり、いずれもショパンの作で、「24の前奏曲」第20番、ワルツop34-2、「24の前奏曲」第4番である。「24の前奏曲」第20番で見せたピアニッシモは、絶品であった。

2013年12月7日土曜日

バッハ-コレギウム-ジャパン モーツァルト「レクイエム」演奏会評

2013年12月7日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「証聖者の荘厳な晩課」 K.339
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「レクイエム」 K.626

ソプラノ:キャロリン=サンプソン
アルト:マリアンネ=ベアーテ=キーラント
テノール:櫻田亮(アンドリュー=ケネディの代役)
バス:クリスティアン=イムラー

合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明

BCJは、12月1日・7日・9日の三回に渡り、「モーツァルト レクイエム」演奏会を開催する。12月1日は札幌コンサートホールkitara、7日は彩の国さいたま芸術劇場、9日は東京オペラシティ タケミツメモリアルを会場とする。BCJの特質からして、東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切と判断した。よってこの評は二日目の彩の国さいたま芸術劇場での公演に対するものである。

着席位置は、一階ど真ん中よりわずかに上手側である。客の入りはほぼ満席である。聴衆の鑑賞態度はかなり良く、拍手のタイミングも大変適切であった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ(「レクイエム」のみ?)→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、ヴィオローネ(コントラバスに相当)は最も上手側につく。ホルン・木管パートは後方中央、トランペットは後方下手側、トロンボーン・ティンパニは後方上手側、オルガンは中央やや上手側の位置につく。
合唱団は計23名で、舞台後方を途切れることなく二列横隊で並ぶ。ソリストは、「証聖者の荘厳な晩課」では指揮台の舞台後方側に待機し、「レクイエム」では舞台下手側に待機し、歌う時のみ舞台前方に出てくる。

前半は、「証聖者の荘厳な晩課」K.339である。この公演では、典礼に則りグレゴリオ聖歌のアンティフォナを挿入して演奏される。各曲の始まりは、クリスティアン=イムラー(バス-ソリスト)が合唱団バスセクションの所に行き、まずはイムラーの独唱アカペラで始まり、ついでイムラーの指揮でバス-セクションとの合唱に移り、鈴木雅明の指揮による管弦楽により本編が始まるというスタイルである。バス独唱→合唱と本編との対比が面白い。

後半の「レクイエム」K.626は、モーツァルト、アイブラー及びジューズマイヤーの自筆譜に基づく鈴木優人補筆校訂版」によるものである。この版による評価が出来るほど作曲技法や「レクイエム」の経緯に通じている訳ではないが、聴いていて特に不満はなく、たまに何かを挿入したなと感じる程度の差であり、版の差よりは演奏による差の方が観客にとっては大きいであろう。

演奏は、テンポのメリハリははっきりしており、入祭唱やキリエなど速く演奏する箇所はかなりの速さであり、サンクトゥス・ベネディクトゥスと言った比較的緩徐な部分は普通にゆっくりのテンポである。

二曲を通して、歌い手を前面に出す演奏である。

「証聖者の荘厳な晩課」はバスのクリスティアン=イムラーの独唱が良く、管弦楽が始まる前の、どこかビザンチン風を思わせる独唱部・グレゴリオ聖歌部を引き立たせている。また、ソプラノのキャロリン=サンプソンが素晴らしい。ソプラノ独唱から合唱団に引き継ぎ、さらにソプラノ独唱に引き継ぎながら盛り上げていく部分は、実に巧みである。

「レクイエム」はパッションが込められた合唱で、ソリスト・合唱ともここぞの所で仕掛けてくる。頂点に向けて精密に声量をコントロールし、いざ頂点に達する所でソプラノが二歩前に出てくる理想的な形だ。キャロリン=サンプソンは、アルトやテノールと合わせるところでは、それぞれのソリストの声量に合わせるが、ソプラノが飛び出す事が許容されている部分では巧くオーバーラップさせてくるし、長い独唱アリアの部分では自由自在に攻めてくる。キャロリンが歌い始めると、とても幸せな気持ちになってくる。

最後の聖体拝領唱が終わり、残響がなくなり無音となる。誰もがその余韻を尊重し、適切な空白の時間の後で熱烈な拍手となる。このような終わり方は実に素晴らしい。演奏者と観客との一体感が感じられる、とても良い演奏会であった。

2013年12月5日木曜日

ミッシャ=マイスキー チェロ-リサイタル 評

2013年12月5日 木曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヨハン=セバスティアン=バッハ 無伴奏チェロ組曲第1番 BWV1007
フランツ=シューベルト 「アルペジョーネ-ソナタ」 D821
(休憩)
ロベルト=シューマン 「民謡風の5つの小品集」 op.102
ベンジャミン=ブリテン:チェロ-ソナタ op.65

ヴァイオリン-チェロ:ミッシャ=マイスキー
ピアノ:リリー=マイスキー

1948年にラトヴィアの首都リガで生まれたミッシャ=マイスキーは、この11・12月に来日ツアーで広島交響楽団との協演に臨むほか、鎌倉・東京・札幌・松本・小金井(東京都)・名古屋にてリサイタルに臨む。ピアノを担当するリリー=マイスキーは、ミッシャ=マイスキーの娘である。

着席位置は、後方下手側である。客の入りはほぼ満席。聴衆の鑑賞態度は良好であった。

ミッシャ=マイスキーのチェロは、いかにも平和な家庭生活を送っているかのようだ。私がこのように言うときは、あまりいい意味ではないが、マルタ=アルゲリッチのピアノが嫌いだったり疲れるような人たちには、逆に向いているだろう。

基本的にテンポの変動が少なく、技術的には何ら問題なく、後先はよく考えているものの、かなり抑制的な表現である。疲れている人たちは眠ってしまうだろう。というか、眠くなるように曲を敢えて構成しているのかなと思えるところがある。

二曲目の「アルペジョーネ-ソナタ」に於けるリリー=マイスキーのピアノは、協演ではなく本当の伴奏であり、何もかも父親に任せた娘のように見え、このようなピアノを弾いて楽しいのかとリリーに疑問を呈したくなる程の出来である。父親を立てたと言えばそのようにも見えるが、これ程までピアノが控えめ過ぎる展開は私が聴いている限り初めてである。

最も、後半の進行に伴ってリリーのピアノは少しはパッションが入るようになる。ミッシャとリリーとの間の関係性は、親子だからなのかは分からないが、協調的なアプローチである。どちらかが冒険に飛び出す事はないし、何か仕掛けてスリリングな展開になる事もない。

協調的なアプローチが最もよく機能したのは、四曲目のブリテンに於ける一部楽章に見られる。現代音楽が最も面白い展開になるのは、予想外の楽しみである。

アンコールは四曲のように思えたが、掲示では五曲となっていた。どうも疲労がたまっているのかもしれない。カタルーニャ民謡(カザルス編曲)の「鳥の歌」、シチェドリンの「アルベニス風のスタイルで」、リヒャルト=シュトラウスの「朝に」、ファリャの「火祭りの踊り」、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」である。

ファリャの「火祭りの踊り」は大変な盛り上がりであるが、どうもミッシャは速いテンポはあまり得意でないのだろうなと思わざるを得なかった。

圧巻なのは、「火祭りの踊り」ほど何故か盛り上がらなかったのだが、ラフマニノフの「ヴォカリーズ」である。技術面での完璧さ、テンポの取り扱いの巧みさとこれに伴う曲想の豊かさ、パッションの高さの面で、この「ヴォカリーズ」だけは、まるで別の奏者が演奏しているかのように素晴らしいものである。特に、持続的な長いアッチェレランドを掛けていく展開部の曲想には圧倒される。ミッシャもリリーも、メランコリックな性格の描写というだけでなく、純音楽的な面でのパッションが最も入っているように思える。この「ヴォカリーズ」だけが別格の出来で、この演奏だけが、どうしてミッシャ=マイスキーが世界的に「巨匠」として君臨しているのかが理解できるものであった。

2013年12月1日日曜日

大崎結真 ピアノ-リサイタル 評

2013年12月1日 日曜日
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)

曲目:
クロード=ドビュッシー:版画
モーリス=ラヴェル:水の戯れ
モーリス=ラヴェル:夜のガスパール
(休憩)
オリヴィエ=メシアン:「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」より
 第11曲「聖母の最初の聖体拝領」
 第13曲「ノエル」(イエズス=キリストの生誕)
アンリ=デュティユー:ピアノ-ソナタ

ピアノ:大崎結真

着席場所は、ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは6割程であろうか、中央後方の席でさえも空席の穴が目立つ。観客の鑑賞態度は概ね良好であったが、ビニールをがさがさする音が目立つ箇所があり、また補聴器のハウリングと思われる音が小音量ながらも継続してなっていた。

大崎結真は楽譜通りに作曲家の意図を再現するべく演奏する方向性で、かつ丁寧に弾いている。特に後半の演奏は優れている。しかしながらフランスものは難しい。曲想上、どうしても眠くなる方向性に向かってしまう。かと言って、プログラムに安易に「ラ-ヴァルス」を加えるのも、プログラム全体の一貫性がなくなってしまうところである。

また、曲を終え拍手を受ける時の表情も無く、彼女なりに納得できる演奏が出来たのか否かが分からず、その点でも観客のテンションが上がりにくいところがある。せっかく良い演奏をしても、観客に伝わらない形である。

アンコールは、ドビュッシーの「前奏曲集第2巻」より「オンディーヌ」、「前奏曲集第1巻」より「亜麻色の髪の乙女」であった。