2015年9月27日日曜日

Hagen Quartett, Kyoto perfomance, (27th September 2015), review ハーゲン-クァルテット 京都公演 評

2015年9月27日 日曜日
Sunday 27th September 2015
青山音楽記念館 (京都府京都市)
Aoyama Music Memorial Hall (Kyoto, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Quartetto n.17 K.458
Wolfgang Amadeus Mozart: Quartetto n.18 K.464
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Quartetto n.19 K.465

Quartetto d'archi: Hagen Quartett
violino 1: Lukas Hagen
violino 2: Rainer Schmidt
viola: Veronika Hagen
violoncello: Clemens Hagen

ハーゲン-クァルテットは、2015年9月から10月に掛けて日本ツアーを実施し、川崎・京都・大阪・東京にて演奏会を開催する。この評は、京都公演に対するものである。

着席位置は前方正面ほぼ中央、チケットは完売した。青山音楽記念館であるからか、観客の鑑賞態度は、極めて良好であった。

全般的にヴァイオリンに不規則に瑕疵があり、技術的にいっぱいいっぱいなのではないかと感じられる箇所もあったので、その点に神経質な方は向かない。

一方で低弦は充実しており、特にチェロのクレメンス=ハーゲンは目覚ましい演奏で聴かせてくれる。響きの説得力が他の三人と格段に違っている。たまたま僅かに下手側の席だったので、クレメンスばかり注目していた。上手側に上手な奏者が座った感じだ。

全般的な解釈は、もちろん鋭さを前面に出している所もあるが、基本的にマトモで真面目な解釈であり、あまり遊び心は感じられない。何が要因かは不明だが、どこかα波が出ている所もある。きちんととした演奏が繰り広げられているのに、眠くなってきてしまうのだ。特に17番で。18番第三楽章終盤のチェロが長いソロを仕掛け、ヴィオラ→ヴァイオリンとフーガで繋げていく所で目が覚める。あのチェロのソロは本当に見事だ。

やはり生真面目な解釈であり、面白い演奏になるか否か、曲想に左右される感がある。決して軽い響きのウキウキとするような、ヴィヴィッドな響きを目指してはいない。モーツァルトに対して、これは正解なのかは、私にはわからない。17から19番については、ヴィヴィッドに演奏してはいけないのかも知れないし。私の好みは後半の19番だった。

アンコールは、モーツァルトの弦楽四重奏曲第14番、K.387から第一楽章であった。

2015年9月26日土曜日

Aichi Chamber Orchestra, the 15th Subscription Concert, review 愛知室内オーケストラ 第15回 定期演奏会 評

2015年9月26日 土曜日
Saturday 26th September 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Carl August Nielsen: Suite op.1 FS.6 (組曲)
Carl August Nielsen: Concerto per clarinetto e orchestra op.57 FS.129
(休憩)
Jean Sibelius: “La Tempesta” Suite n.2 op.109-3 (「嵐」第二組曲)
Einojuhani Rautavaara: “Cantus Arcticus” op.61 (鳥の協奏曲)

clarinetto: 芹澤美帆 / Serizawa Miho
orchestra: Aichi Chamber Orchestra(愛知室内オーケストラ)
direttore: 新田ユリ / Nitta Yuri

愛知室内オーケストラは、2015年9月26日に三井住友海上しらかわホールで、第15回定期演奏会を開催した。クラリネット独奏は同オーケストラのクラリネット奏者である芹澤美帆、指揮は新田ユリである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、小太鼓は後方中央、ハープ・チェレスタ・その他のパーカッションは下手側の位置につく。

着席位置は一階正面やや後方中央、観客の入りは六割程である。観客の鑑賞態度は、寝息が聞こえてくる時間帯もあったが、拍手開始のタイミングは適切であり、非常に良好だったと言える。

新田ユリの構成力がしっかりしており、奇を衒わずに何をどうするべきかを明確にした導きに、管弦楽が見事に応えた演奏である。

全般的に弦がしっかりしていて、ニュアンス豊かに、要所を確実に決めてくる。特にニルセン「組曲」第三楽章の強いヴァイオリンの響きや、「鳥の協奏曲」でのチェロのソロが素晴らしい。また、シベリウスは弦楽重視の感もあったが、弦楽が充実していると曲全体が充実して聴こえてくる。

クラリネット協奏曲の芹澤美帆のクラリネットは、曲の進行に連れてノリノリになり、カデンツァその他の難しいそうな見せ場が素晴らしい。

最後のラウタヴァーラの「鳥の協奏曲」は、管弦楽全ての総力が的確に絡み合う見事な演奏である。最初のフルートから決まっていて、これを引き継ぐ管楽、厚みのある弦楽が加わって、ラウタヴァーラの曲を形作る。「鳥の協奏曲」であり、名の通りに鳥の鳴き声がバンダで聴こえたかのように思ったが、実の所は謎である。鳥の鳴き声をステージマネージャーが流したのか。下手側側廊から、舞台袖から、舞台背後の廊下から鳴らしているようにも聴こえる。まさしく舞台上には存在しない鳥がソリストの協奏曲であるが、しらかわホールを知り尽くした構成で魅了された。この作品が聴けただけでも感謝である!。1928年生まれのスオミの作曲家の真価を見事に日本に示した。

アンコールはシベリウスの「舞踏間奏曲」で、センスの良い選曲に加え、熱意のある演奏でこの演奏会を終えた。

2015年9月12日土曜日

Kioi Sinfonietta Tokyo, the 101st Subscription Concert, review 第101回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2015年9月12日 土曜日
Saturday 12th September 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Ludwig van Beethoven: Musica per “König Stephan” di Kotzebue (ouverture) op.117 (劇音楽「イシュトヴァーン王」序曲)
Пётр Ильич Чайковский / Pyotr Ilyich Tchaikovsky: Concerto per violino e orchestra op.35
(休憩)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Sinfonia n.5 op.107

violino: Антон Бараховский / Anton Barakhovsky / アントン=バラホフスキー
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Takács-Nagy Gábor / タカーチ-ナジ=ガーボル

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、タカーチ-ナジ=ガーボルを指揮者に、アントン=バラホフスキーをソリストに迎えて、2015年9月11日・12日に東京-紀尾井ホールで、第101回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、基本的には極めて良好だったが、飴の包み紙の音があったり、拍手が早すぎたりした。音が消えた瞬間に拍手をすることが、いわゆるフラブラである事を認識していない人が少数でもいると厳しい。オペラでもバレエでもないのだから、指揮者が合図をしてから拍手はして欲しい。

アントン=バラホフスキーのヴァイオリン-ソロは、大小の揺らぎを上手く活かしている。大きな周期で、あるいは短い時間内でテンポを変えてくるが、違和感は全く感じないもので、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を面白いものにさせる。第三楽章冒頭のソロは、バラホフスキーのソロの白眉である。要所で出てくる木管も適切な響きであり、チェロの出番も効果的で、タカーチ-ナジによりよく準備されているのが伺える。

後半はメンデルスゾーンの交響曲第5番「宗教改革」である。タカーチ-ナジは、引いたかと思わせて一気に押し寄せる、起伏のある波のような演奏で攻めるか一方、必要とあれば響きを繊細にコントロールする。KSTも綺麗な弱音で、あるいは豊かなニュアンスを伴って演奏し、タカーチ-ナジの構成力とこれを実現させるKSTとが、がっちり絡み合う相性の良さが結実する見事な演奏だ。

演奏会終了時のアンコールとして、タカーチ-ナジは、エストニアの作曲家 Arvo Pärt (アルヴォ=ペルト)の「フラトレス」を選んだ。2015年9月11日に80歳の誕生日を迎えたばかりの作曲者の作品は、KSTの繊細さを極めた演奏で活かされた。曲は演奏されなければ活かされない。KSTの特質を把握し、80歳になったばかりのタイミングで現代音楽を紹介した、タカーチ-ナジの見識を最後に示し、名演に満たされた演奏会を終えた。

2015年9月2日水曜日

Matthias Görne, Winterreise, recital review マティアス=ゲルネ 「冬の旅」 リサイタル 感想

2015年9月2日 水曜日
Wednesday 2nd September 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Franz Schubert: Winterreise D911 (冬の旅)

baritono: Matthias Görne / マティアス=ゲルネ
pianoforte: Markus Hinterhäuser / マルクス=ヒンターホイザー

サイトウ-キネン-フェスティバルは、今年も2015年8月9日から9月15日までに掛けて、松本市を中心に長野県内で歌劇・大管弦楽演奏会・室内楽演奏会・ジャズ演奏会・教育プログラムを繰り広げる。その一環として、9月2日にマティアス=ゲルネ 「冬の旅」リサイタルが、松本市音楽文化ホールにて上演された。

なお、「セイジ-オザワ松本フェスティバル」の名称は、そもそもその名称への変更自体に正当性がなく、松本市民の私としては承認できないため、今後も一切用いず、従前通り「サイトウ-キネン-フェスティバル」の名称を用いる。

着席位置は後方中央側、客席の入りは8割程であった。後方三列は殆ど当日券の枠となった。音響の良い後方席に空席が目立ったのは、主催者側の切符の売り方に問題があるのだろう。観客の鑑賞態度は、かなり良好であった。

序盤、松本市音楽文化ホールの響きに戸惑っているようにも思える。このホールでの弱唱部から強唱へ移り変わる場面でのコントロールはは難しそうであったが、5.菩提樹 辺りで弱唱部がよくなり、14. 霜おく頭 辺りからは松本市音楽文化ホールの響きを完全に会得し、盤石な出来で曲を終える。

14. 霜おく頭 からはピアノとの相性も格段に良くなり、そのまま終曲まで緊張感を保って行った。特に、21. 宿 23. 幻の太陽 は圧巻の響きであった。もちろん圧巻と言っても、大声量で圧倒したと言う意味ではない。弱唱の良く通る響きの美しさ、あらゆる声量の場面や声量が移り変わる場面での響きの完成度の高さと言う点で、圧倒したのだ。最後の24. 辻音楽師 が最高の出来だった事は言うまでもない。

私はゲルネが内省的だったのか、精神的だったのかは知らない。内省的やら精神的やら、私にとっては定義不明で意味不明の言葉だけれど、曲がその要素を求めているのであれば、響きになって出てくるものだと思っている。

その演奏がいい音楽か否かは、全て響きによって決定する。私にとって納得できる響きであれば、間違いなく素晴らしい演奏だ。響きが全てと書くと、外見ばかり拘っていると誤解する人もいるだろうが、そのような事はない。内面的な要素が仮に必要であれば、その要素も響きとなって出てくるからである。

マティアス=ゲルネの歌唱は、特に後半部分は、曲に対する深い理解に基づいて響きを形作っている。あれだけ弱い音量でありながら、陶酔して聴ける演奏は珍しい。また、マルクス=ヒンターホイザーのピアノも、前半は歌唱よりも響きがちな部分があったものの、後半はピッタリ寄り添っており、歌唱に入るまえのソロの部分の演奏も優れたものである。

総合的に素晴らしい演奏であり、決して盛り上がる性格の曲ではなかったが、暖かな長い拍手とともに、演奏会を終えた。