2014年10月31日 金曜日/ Friday 31st October 2014
水戸芸術館 (茨城県水戸市)(Mito, Japan)
曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:ピアノ四重奏曲第1番 K.478
コダーイ=ゾルターン:ヴァイオリンとチェロのための二重奏曲 op.7
(休憩)
セザール=フランク:ピアノ五重奏曲
弦楽四重奏:新ダヴィッド同盟 (New "Davidsbundler" )
第一ヴァイオリン:庄司紗矢香(Shoji Sayaka)
第二ヴァイオリン:佐藤俊介(Sato Shunsuke)
ヴィオラ:磯村和英(Isomura Kazuhide)
ピアノ:小菅優 (Kosuge Yu)
ゲスト奏者(guest):
ヴァイオリン-チェロ:クライヴ=グリーンスミス(Clive Greensmith)
新ダヴィッド同盟は、10月31日・11月2日に別のプログラムを一公演ずつ、計2公演、水戸芸術館にて演奏会を開催する。チェロの石坂団十郎は今回は出演せず、代わりにクライヴ=グリーンスミスが担当する。コダーイのヴァイオリンは、佐藤俊介の演奏となる。
着席位置は正面後方上手側、観客の入りは7割程である。左右・舞台背面に空席が目立っている。弦楽五重奏かつ地方での公演となると、庄司紗矢香出演とはいっても集客には苦労するのだろうか。
前半のモーツァルトは、まあ普通の演奏である。水戸芸術館のデッドな響きでは、モーツァルトは厳しいのかもしれない。二曲目のコダーイは素晴らしい。チェロのグリーンスミスがソロの場面でニュアンスを効かせた音色に惹きつけられる。ヴァイオリンが盛り立てるのは当然だけど、あれだけチェロが響くと盛りあがるなあ。
後半はフランクのピアノ五重奏曲。もう言葉を失うほどの名演である。冒頭、小菅優の気だるいピアノが素晴らしい。これに(当時の先鋭的な女流作曲家だったらしい)オーギュスタ=オルメスにフランクが抱いた情欲を表す鋭い弦楽との対比からして、全観客を惹きつける!
曲の進行とともに、「気だるさ」と「情欲」との対比の展開となっていくが、的確に描き分けている演奏だ。ドラマティックな展開である一方で、決して溺れず、パッションを全開に出した一瞬後には、実に気だるい表現になったりする。
もちろん、純音楽的にも庄司紗矢香を筆頭とする奏者は、全てが完璧な技巧で表現する。例えば、庄司紗矢香と佐藤俊介とのユニゾンは完璧に合っており、完璧に合っているからこその厚みのある響きを実現させる。
個々の技術は完璧で、全奏者それぞれがニュアンスに富んだ表現でよく響かせる。あのデッドな響きの水戸芸術館で、あれ程まで響かせるのだ。
一方で個々の技巧だけに決して頼らず、五重奏団としての統一体として完璧な響きを考え抜き実現させる。吉田秀和さんが生きていらっしゃったら、どんなに喜んだだろう。
いつもはそれぞれが別々の活動を繰り広げつつ、二年ぶりに集まったと言うのに、まるでアルカント-カルテットのような世界第一級の常設楽団のように精緻な響きを実現させている。もう手放しで賞賛するのみ。無理して松本から来て良かった!
アンコールは、ドヴォルジャークのピアノ五重奏曲より第三楽章であった。
2014年10月31日金曜日
2014年10月25日土曜日
第417回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2014年10月25日 土曜日
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第1番 op.21
カレヴィ=アホ (Kalevi Aho) トロンボーン協奏曲(日本初演)
(休憩)
藤倉大:「バニツァ グルーヴ!」(Banitza Groove! )
ドミトリー=ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 op.10
トロンボーン:ヨルゲン=ファン=ライエン(Jörgen van Rijen)
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団 (Nagoya Philharmonic Orchestra)
指揮:マーティン=ブラビンス (Martyn Brabbins)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ヨルゲン=ファン=ライエンをソリストに迎えて、2014年10月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第417回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
プログラムは、現代スオミ(フィンランド)を代表する作曲家であるカレヴィ=アホ(Kalevi Aho)の日本初演となるトロンボーン協奏曲、ショスタコーヴィチを蛇蝎のごとく嫌っている藤倉大の現代作品「バニツァ グルーヴ!」、その藤倉大がアナフィラキシーショックを引き起こし死亡するとされるショスタコーヴィチの交響曲第1番により構成される先鋭的なもので、音楽を聴く気のない人物をフィルターに掛け、真に音楽好きな者のみを相手とするもので、それ自体が傑出したものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管・金管パートは後方中央、ティンパニは後方中央で、ティンパニ奏者以外の担当するパーカッションは後方下手側である。
着席位置は一階正面後方上手側、客の入りは8割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であるが、曲の終了と勘違いした拍手があった。ショスタコーヴィチのブラボーは、あと二秒遅らせて欲しい。
演奏会の白眉は、やはり二曲目のカレヴィ=アホのトロンボーン協奏曲である。Rijenのソロはもちろんだが、管弦楽が素晴らしい。下支えの弱奏が実に綺麗で見事で、弦管打揃って精緻な響きを随所で実現し、カレヴィ=アホの世界を作り出している。特に、終幕間近の最強奏に持っていく箇所の、精緻さを伴った迫力は、愛知県芸術劇場の見事な響きもフルに活かした、素晴らしい響きである。独奏者だけでは成り立たないこの曲を、名フィルは重要な役割を十二分に果たしている。
他の三曲も、良い意味で手堅くまとめた演奏だ。とても素晴らしい水準の演奏で、特にショスタコーヴィチでは大管弦楽の迫力を味わえる。名フィルの弦楽の響きは弱めだと言われるが、その弦楽もよく響いていたし、ショスタコーヴィチで各ソロを担当した首席の演奏も見事だ。ブラビンスは通例左右対向配置であるが、通例通りだったらチェロのソロも正面に響いただろう。オルガン横の下手側に、チェロのソロは響いたか?
演奏会終了後に、「ポストリュード」という名の、アフター-ミニコンサートがある。ソリスト-アンコールとも言える。
ライブで録音して時間差を置いて再生できる機器を用いながらの、ソロ-トロンボーンの演奏だけど、ついさっき出したライブの音との合奏となる♪
ポストリュードの際に、12列中央に席を移したのは大正解である。スピーカーを左右に配置しほぼ正三角形の頂点に位置する。
Rijenがライブで的確な演奏をしているからこそ、「合奏」が活きてくる見事なポストリュードであった。
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
曲目:
ルートヴィッヒ=ファン=ベートーフェン 交響曲第1番 op.21
カレヴィ=アホ (Kalevi Aho) トロンボーン協奏曲(日本初演)
(休憩)
藤倉大:「バニツァ グルーヴ!」(Banitza Groove! )
ドミトリー=ショスタコーヴィチ 交響曲第1番 op.10
トロンボーン:ヨルゲン=ファン=ライエン(Jörgen van Rijen)
管弦楽:名古屋フィルハーモニー交響楽団 (Nagoya Philharmonic Orchestra)
指揮:マーティン=ブラビンス (Martyn Brabbins)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、ヨルゲン=ファン=ライエンをソリストに迎えて、2014年10月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第417回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
プログラムは、現代スオミ(フィンランド)を代表する作曲家であるカレヴィ=アホ(Kalevi Aho)の日本初演となるトロンボーン協奏曲、ショスタコーヴィチを蛇蝎のごとく嫌っている藤倉大の現代作品「バニツァ グルーヴ!」、その藤倉大がアナフィラキシーショックを引き起こし死亡するとされるショスタコーヴィチの交響曲第1番により構成される先鋭的なもので、音楽を聴く気のない人物をフィルターに掛け、真に音楽好きな者のみを相手とするもので、それ自体が傑出したものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管・金管パートは後方中央、ティンパニは後方中央で、ティンパニ奏者以外の担当するパーカッションは後方下手側である。
着席位置は一階正面後方上手側、客の入りは8割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であるが、曲の終了と勘違いした拍手があった。ショスタコーヴィチのブラボーは、あと二秒遅らせて欲しい。
演奏会の白眉は、やはり二曲目のカレヴィ=アホのトロンボーン協奏曲である。Rijenのソロはもちろんだが、管弦楽が素晴らしい。下支えの弱奏が実に綺麗で見事で、弦管打揃って精緻な響きを随所で実現し、カレヴィ=アホの世界を作り出している。特に、終幕間近の最強奏に持っていく箇所の、精緻さを伴った迫力は、愛知県芸術劇場の見事な響きもフルに活かした、素晴らしい響きである。独奏者だけでは成り立たないこの曲を、名フィルは重要な役割を十二分に果たしている。
他の三曲も、良い意味で手堅くまとめた演奏だ。とても素晴らしい水準の演奏で、特にショスタコーヴィチでは大管弦楽の迫力を味わえる。名フィルの弦楽の響きは弱めだと言われるが、その弦楽もよく響いていたし、ショスタコーヴィチで各ソロを担当した首席の演奏も見事だ。ブラビンスは通例左右対向配置であるが、通例通りだったらチェロのソロも正面に響いただろう。オルガン横の下手側に、チェロのソロは響いたか?
演奏会終了後に、「ポストリュード」という名の、アフター-ミニコンサートがある。ソリスト-アンコールとも言える。
ライブで録音して時間差を置いて再生できる機器を用いながらの、ソロ-トロンボーンの演奏だけど、ついさっき出したライブの音との合奏となる♪
ポストリュードの際に、12列中央に席を移したのは大正解である。スピーカーを左右に配置しほぼ正三角形の頂点に位置する。
Rijenがライブで的確な演奏をしているからこそ、「合奏」が活きてくる見事なポストリュードであった。
2014年10月5日日曜日
第91回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評
2014年10月5日 土曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
曲目:
ヨーゼフ=ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」 Hob.I-103
ヴィトルト=ルトスワフスキ オーボエ・ハープと室内管弦楽のための二重協奏曲
(休憩)
クロード=ドビュッシー:バレエ音楽「おもちゃ箱」
オーボエ:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)
ハープ:シャンタル=マテュー (Chantal Mathieu)
語り:柳家花緑
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)
MCOは、ハインツ=ホリガーを指揮者に迎えて、2014年10月4日・5日に水戸で、第91回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。
なお二曲目のルトスワフスキは、弦楽が下手側から高音→低音の順に半円状に並び、背後にパーカッション、囲まれたスペースの下手側にハープ、上手側にオーボエが入る。
着席位置は正面中央やや後方やや下手寄り、客の入りは9割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、飴の包みビニールの音が気になった。
第1曲目、ハイドンはゲネラル-パウゼをかなり長めに取ったり、いきなり音量を変えて驚かしたりと、やや作為的ではある。それでも強奏部の響きは素晴らしく、曲の終盤にクライマックスを持ってくる。
第2曲目のルトスワフスキの協奏曲は、極めて素晴らしい。ホリガーのオーボエは炸裂するし、マテューのハープも鋭い。もちろんパーカッションも弦楽も言うまでもなく、ビシッと決めていて、水戸室内管弦楽団らしい完成度の高い演奏だ。テンポ設定もハイドンとは違い、自然に任せたもので、ルトスワフスキの意図そのままを実現させた感じである。水戸室内管弦楽団の現代音楽、久しぶりに聴いたが、こういった曲目はどんどん取り上げて欲しい。
第3曲目はドビュッシーのバレエ音楽「おもちゃ箱」、管弦楽が繊細に響きをコントロールしており、何もかもが夢の世界を思わせる、極めて傑出した演奏だ。神経を通わせてフランス音楽ならではの色彩感を伴う響き実現し、この響きが夢の世界、「おもちゃ箱」の世界にいざなってくれる。特別な作為を加える事なく、ただただ響きを繊細に産み出し、適度な緊張感を伴いつつも、弦管打全ての響きを心を一つにして、ドビュッシーが考えた情景を実現させる。
何年か前の、小澤征爾指揮による「マ-メール-ロワ」の名演を彷彿とさせるもので、言葉が出ない最高の演奏である。アンコールはない。とにかく幸せな気持ちに満たされる演奏会であった。
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
曲目:
ヨーゼフ=ハイドン 交響曲第103番「太鼓連打」 Hob.I-103
ヴィトルト=ルトスワフスキ オーボエ・ハープと室内管弦楽のための二重協奏曲
(休憩)
クロード=ドビュッシー:バレエ音楽「おもちゃ箱」
オーボエ:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)
ハープ:シャンタル=マテュー (Chantal Mathieu)
語り:柳家花緑
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:ハインツ=ホリガー (Heinz Holliger)
MCOは、ハインツ=ホリガーを指揮者に迎えて、2014年10月4日・5日に水戸で、第91回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・ティンパニは後方下手側の位置につく。
なお二曲目のルトスワフスキは、弦楽が下手側から高音→低音の順に半円状に並び、背後にパーカッション、囲まれたスペースの下手側にハープ、上手側にオーボエが入る。
着席位置は正面中央やや後方やや下手寄り、客の入りは9割程であり、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であったが、飴の包みビニールの音が気になった。
第1曲目、ハイドンはゲネラル-パウゼをかなり長めに取ったり、いきなり音量を変えて驚かしたりと、やや作為的ではある。それでも強奏部の響きは素晴らしく、曲の終盤にクライマックスを持ってくる。
第2曲目のルトスワフスキの協奏曲は、極めて素晴らしい。ホリガーのオーボエは炸裂するし、マテューのハープも鋭い。もちろんパーカッションも弦楽も言うまでもなく、ビシッと決めていて、水戸室内管弦楽団らしい完成度の高い演奏だ。テンポ設定もハイドンとは違い、自然に任せたもので、ルトスワフスキの意図そのままを実現させた感じである。水戸室内管弦楽団の現代音楽、久しぶりに聴いたが、こういった曲目はどんどん取り上げて欲しい。
第3曲目はドビュッシーのバレエ音楽「おもちゃ箱」、管弦楽が繊細に響きをコントロールしており、何もかもが夢の世界を思わせる、極めて傑出した演奏だ。神経を通わせてフランス音楽ならではの色彩感を伴う響き実現し、この響きが夢の世界、「おもちゃ箱」の世界にいざなってくれる。特別な作為を加える事なく、ただただ響きを繊細に産み出し、適度な緊張感を伴いつつも、弦管打全ての響きを心を一つにして、ドビュッシーが考えた情景を実現させる。
何年か前の、小澤征爾指揮による「マ-メール-ロワ」の名演を彷彿とさせるもので、言葉が出ない最高の演奏である。アンコールはない。とにかく幸せな気持ちに満たされる演奏会であった。
2014年10月4日土曜日
ピエール-ロラン=エマール ピアノ-リサイタル 評
2014年10月4日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
曲目:
ヨハン=セバスティアン=バッハ:「平均律クラヴィーア曲集第1巻」全曲 BWV846-869
(休憩は第12曲と13曲の間)
ピアノ:ピエール-ロラン=エマール (Pierre-Laurent Aimard)
着席位置は、一階中央上手側である。チケットは公演三日前に完売した。止むを得ない咳が時折ある程度で、聴衆の鑑賞態度は極めて良好である。弱奏部で呼吸音が聞こえてきたには、エマール自身のものなのか?呼吸器疾患の有無を心配してしまう。
当初予定では、休憩無しとされていた。80分クラスの長さの曲だと思っていたら、110分もの長さの曲だ。休憩有りに変更したには妥当な判断だろう。いくら座っているとはいえ、ずっと弾きっぱなしのソロ、演奏終盤で疲労が影響してくるでしょうし。
始まりは、ピアノの自己残響機能を殺して、クリアな音色を印象づける。しかし貧しい響きにはならない。彩の国さいたま芸術劇場ならではの残響の長さが活きてくる。
曲が進むに連れて、演奏様式は変えてくる。静謐な曲に於いては、夾雑物を取り除いたクリアな演奏に思え、バッハが求めていたものを探求していたように思えるが、速いテンポの曲になると、少しエマールのパッションが入り込んでいるような感もある。
技術面では、彩の国さいたま芸術劇場の響きの特性を完璧に捉えており、曖昧さを感じさせるところはない素晴らしいものがある。テンポの揺らぎは控えめで、作為的な不自然さもない。
黒一色の衣装のせいか、修道士のようで、ピレネーの修道院からやって来て演奏したかのようにも感じられる。ある種のストイックさを感じさせるところにエマールの個性があるのだろう。エマールのピアノは初めて聴く感覚だ。
実演奏時間110分と言うこともあり、アンコールはなかった。
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
曲目:
ヨハン=セバスティアン=バッハ:「平均律クラヴィーア曲集第1巻」全曲 BWV846-869
(休憩は第12曲と13曲の間)
ピアノ:ピエール-ロラン=エマール (Pierre-Laurent Aimard)
着席位置は、一階中央上手側である。チケットは公演三日前に完売した。止むを得ない咳が時折ある程度で、聴衆の鑑賞態度は極めて良好である。弱奏部で呼吸音が聞こえてきたには、エマール自身のものなのか?呼吸器疾患の有無を心配してしまう。
当初予定では、休憩無しとされていた。80分クラスの長さの曲だと思っていたら、110分もの長さの曲だ。休憩有りに変更したには妥当な判断だろう。いくら座っているとはいえ、ずっと弾きっぱなしのソロ、演奏終盤で疲労が影響してくるでしょうし。
始まりは、ピアノの自己残響機能を殺して、クリアな音色を印象づける。しかし貧しい響きにはならない。彩の国さいたま芸術劇場ならではの残響の長さが活きてくる。
曲が進むに連れて、演奏様式は変えてくる。静謐な曲に於いては、夾雑物を取り除いたクリアな演奏に思え、バッハが求めていたものを探求していたように思えるが、速いテンポの曲になると、少しエマールのパッションが入り込んでいるような感もある。
技術面では、彩の国さいたま芸術劇場の響きの特性を完璧に捉えており、曖昧さを感じさせるところはない素晴らしいものがある。テンポの揺らぎは控えめで、作為的な不自然さもない。
黒一色の衣装のせいか、修道士のようで、ピレネーの修道院からやって来て演奏したかのようにも感じられる。ある種のストイックさを感じさせるところにエマールの個性があるのだろう。エマールのピアノは初めて聴く感覚だ。
実演奏時間110分と言うこともあり、アンコールはなかった。
2014年10月2日木曜日
アルカント-カルテット(+オリヴィエ=マロン) 演奏会 評
2014年10月2日 木曜日/ Thursday 2nd October 2014
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)(Matsumoto, Japan)
曲目:
フランツ=シューベルト:弦楽四重奏曲第12番「四重奏断章」 D703
ルイジ=ボッケリーニ:弦楽五重奏曲 op.37-2 G.362
(休憩)
フランツ=シューベルト:弦楽五重奏曲 op.163 D956
弦楽四重奏:アルカント-カルテット (Arcanto Quartett)
第一ヴァイオリン:アンティエ=ヴァイトハース(Antje Weithaas)
第二ヴァイオリン:ダニエル=ゼペック(Daniel Sepec)
ヴィオラ:タベア=ツィンマーマン(Tabea Zimmermann)
ヴァイオリン-チェロ:ジャン-ギアン=ケラス(Jean-Guihen Queyras)
ゲスト奏者:
第二ヴァイオリン-チェロ:オリヴィエ=マロン(Olivier Marron)
アルカント-カルテットは、9月26日から10月5日に掛けて来日ツアーを行い、東京で4公演(王子ホールで2公演、トッパンホールで1公演、第一生命ホールで1公演)、松本市音楽文化ホール(長野県松本市)、兵庫県立文化センターリサイタルホール(兵庫県西宮市)、びわこホール(滋賀県大津市)にてそれぞれ1公演、合計7公演開始される。大都市圏以外ではこの松本公演が唯一の公演となるが、残響が豊かな事で定評があるホールでの公演は、この松本公演が唯一のものとなる。
着席位置は正面ほぼ中央わずかに上手側、観客の入りは六割程である。かなり空席が目立っている。しかしながら、周辺人口40万人の松本平で、かつ平日木曜日の公演であり、東京・名古屋からの半日休暇を伴う遠征も期待できない曜日である。人口希薄地帯の地元客を集めるしかなく、世界最高のアルカント-カルテットとは言っても、弦楽四(五)重奏と地味なジャンルであり、これで696席の松本市音楽文化ホールが満席になったら、何かの陰謀である。そのような地方の環境下で、凸版王子クラスのホールを満席にしたようなものですから、その意味では快挙としか言いようがない!周辺人口比では松本が一番観客を集めているのは明らかで、その意味では松本の観客は「意識が高い」と主張するのは、単なるお国自慢か??観客の鑑賞態度は、携帯電話が一回鳴ったり、ジーとなる電子機器の音がしたものの、基本的にはかなり良好であった。
前半は実力の片鱗は見せていたが、松本市音楽文化ホールの響きを完全に会得した演奏と言われると、音取りの要素もある。丸みがあるけど尖がっていて、尖がっているようだけど丸みがあって、とても良い演奏ではあるが、そのくらいのレベルなら他にも演奏可能なカルテットはあるだろうとも思う。
やはり、後半のシューベルトD956を聴かなければならないのだろう。
神経質に椅子の場所を調整して、ようやく始まる最初の一音から緊迫感が全く違う響きだ。その後も緊迫感を維持し、あまりに素晴らしい内容で、言葉にならない。サンタ-チェチーリアは、この松本に舞い降りた!松本市音楽文化ホールの豊かな残響を活かしきる、霊感に漲っている演奏である。録音媒体では絶対に再現できない。
松本に住んで良かった!東京のトッパンホールでも王子ホールでも味わえない豊かな残響は精霊を呼び込み、響きが霊感を呼び起こし、霊感が響きに深みを与える。東京の観客も大阪の観客も味わえない響きが、この松本で鳴り響く。鋭く弾き切る直後のパウゼで響き渡る残響は、まさにこの松本市音楽文化ホールならではのものだ。
室内楽でアルカントを上回る楽団が、一体どこにあるのだろう。無理やり分析的に聴いてみると、どんな強い音、尖鋭的な音に対してもニュアンスに溢れている。テンポの変動は比較的穏やかで自然な感じだ。前半でも感じられた「丸みがあるけど尖がっていて、尖がっているようだけど丸みがある」要素はそのままだけれども、よりパッションが込められ、やや尖がった方向に走っているとも言える。
それにしても、幾度ソロで奏でる音色にドキっとさせられただろう。幾度和音の響きにドキっとさせられただろう。要所に於ける和音の精度は完璧で、心を一つに合わせるそのような完璧な技術が、あの和音を産み出すのだ!!
あんなシューベルトのD956、私がどんなに完璧な技術を持っていたとしても、庄司紗矢香や諏訪内晶子級の実力を持っていたとしても、三分持たないだろう。あそこまでの緊迫感に溢れる次元の演奏を実践するタフな精神と肉体に、驚愕する以外に術はない。長大な曲であり純音楽的に決めなければならない要所も多く、果たして無事に終わりまでたどり着けるのだろうかと心配したが、彼ら彼女らによる死闘は無事終わる。
アンコールは無かったし不要だった。
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)(Matsumoto, Japan)
曲目:
フランツ=シューベルト:弦楽四重奏曲第12番「四重奏断章」 D703
ルイジ=ボッケリーニ:弦楽五重奏曲 op.37-2 G.362
(休憩)
フランツ=シューベルト:弦楽五重奏曲 op.163 D956
弦楽四重奏:アルカント-カルテット (Arcanto Quartett)
第一ヴァイオリン:アンティエ=ヴァイトハース(Antje Weithaas)
第二ヴァイオリン:ダニエル=ゼペック(Daniel Sepec)
ヴィオラ:タベア=ツィンマーマン(Tabea Zimmermann)
ヴァイオリン-チェロ:ジャン-ギアン=ケラス(Jean-Guihen Queyras)
ゲスト奏者:
第二ヴァイオリン-チェロ:オリヴィエ=マロン(Olivier Marron)
アルカント-カルテットは、9月26日から10月5日に掛けて来日ツアーを行い、東京で4公演(王子ホールで2公演、トッパンホールで1公演、第一生命ホールで1公演)、松本市音楽文化ホール(長野県松本市)、兵庫県立文化センターリサイタルホール(兵庫県西宮市)、びわこホール(滋賀県大津市)にてそれぞれ1公演、合計7公演開始される。大都市圏以外ではこの松本公演が唯一の公演となるが、残響が豊かな事で定評があるホールでの公演は、この松本公演が唯一のものとなる。
着席位置は正面ほぼ中央わずかに上手側、観客の入りは六割程である。かなり空席が目立っている。しかしながら、周辺人口40万人の松本平で、かつ平日木曜日の公演であり、東京・名古屋からの半日休暇を伴う遠征も期待できない曜日である。人口希薄地帯の地元客を集めるしかなく、世界最高のアルカント-カルテットとは言っても、弦楽四(五)重奏と地味なジャンルであり、これで696席の松本市音楽文化ホールが満席になったら、何かの陰謀である。そのような地方の環境下で、凸版王子クラスのホールを満席にしたようなものですから、その意味では快挙としか言いようがない!周辺人口比では松本が一番観客を集めているのは明らかで、その意味では松本の観客は「意識が高い」と主張するのは、単なるお国自慢か??観客の鑑賞態度は、携帯電話が一回鳴ったり、ジーとなる電子機器の音がしたものの、基本的にはかなり良好であった。
前半は実力の片鱗は見せていたが、松本市音楽文化ホールの響きを完全に会得した演奏と言われると、音取りの要素もある。丸みがあるけど尖がっていて、尖がっているようだけど丸みがあって、とても良い演奏ではあるが、そのくらいのレベルなら他にも演奏可能なカルテットはあるだろうとも思う。
やはり、後半のシューベルトD956を聴かなければならないのだろう。
神経質に椅子の場所を調整して、ようやく始まる最初の一音から緊迫感が全く違う響きだ。その後も緊迫感を維持し、あまりに素晴らしい内容で、言葉にならない。サンタ-チェチーリアは、この松本に舞い降りた!松本市音楽文化ホールの豊かな残響を活かしきる、霊感に漲っている演奏である。録音媒体では絶対に再現できない。
松本に住んで良かった!東京のトッパンホールでも王子ホールでも味わえない豊かな残響は精霊を呼び込み、響きが霊感を呼び起こし、霊感が響きに深みを与える。東京の観客も大阪の観客も味わえない響きが、この松本で鳴り響く。鋭く弾き切る直後のパウゼで響き渡る残響は、まさにこの松本市音楽文化ホールならではのものだ。
室内楽でアルカントを上回る楽団が、一体どこにあるのだろう。無理やり分析的に聴いてみると、どんな強い音、尖鋭的な音に対してもニュアンスに溢れている。テンポの変動は比較的穏やかで自然な感じだ。前半でも感じられた「丸みがあるけど尖がっていて、尖がっているようだけど丸みがある」要素はそのままだけれども、よりパッションが込められ、やや尖がった方向に走っているとも言える。
それにしても、幾度ソロで奏でる音色にドキっとさせられただろう。幾度和音の響きにドキっとさせられただろう。要所に於ける和音の精度は完璧で、心を一つに合わせるそのような完璧な技術が、あの和音を産み出すのだ!!
あんなシューベルトのD956、私がどんなに完璧な技術を持っていたとしても、庄司紗矢香や諏訪内晶子級の実力を持っていたとしても、三分持たないだろう。あそこまでの緊迫感に溢れる次元の演奏を実践するタフな精神と肉体に、驚愕する以外に術はない。長大な曲であり純音楽的に決めなければならない要所も多く、果たして無事に終わりまでたどり着けるのだろうかと心配したが、彼ら彼女らによる死闘は無事終わる。
アンコールは無かったし不要だった。
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