2025年2月2日日曜日

Bayerisches Staatsballett 'La Sylphide' (Pierre Lacotte nach Filippo Taglioni)

Bayerisches Staatsballett
La Sylphide (Pierre Lacotte nach Filippo Taglioni)
Thursday, 2nd January 2025
Bayerisches Staatsorchester, Musikalische Leitung: Myron Romanul
Nationaltheater, München, Deutschland

バイエルン州立バレエ
「ラ シルフィード」(Filippo Taglioni版 を復元した Pierre Lacotte版)
Nationaltheater(ドイツ連邦共和国ミュンヘン市)
バイエルン州立管弦楽団(バイエルン州立歌劇場管弦楽団)、指揮:Myron Romanul
2025年1月2日(木曜日)

ドイツ南部の都市ミュンヘンにあるバイエルン州立バレエは、2024年11月22日から2025年7月11日に掛けて「La Sylphide」を11公演上演する。そのうち9公演は2025年1月5日までに集中的に上演された。この公演は第8公演になる。

バイエルン州立バレエによるラコット版「ラ シルフィード」カンパニー初演は、2024年11月22日である。1972年1月1日テレビジョン初演から約53年を経過して、バイエルン州立バレエの演目となった。2022年5月に就任した Laurent Hilaire 芸術監督の意向が反映されていると思われる。舞台装置は Andrea Hajek の指揮によるバイエルン州立歌劇場工房により、バイエルン州立バレエのために制作された。衣装もバイエルン州立歌劇場により制作された。

この2025年1月2日公演の主要キャストは、
Die Sylphide: Maria Baranova
James: Jakob Feyferlik
Effie: Carollina Bastos
Madge: Alexey Dobikov
Gurn : Matteo Dilaghi
Effies Mutter : Séverine Ferrolier
である。シルフィード役 Maria Baranova はロールデビュー、ジェームズ・エフィ・グァーン・エフィ母の四役は2024年11月22日カンパニー初演初日キャストを充てている。
なお、公演前にダンサーの予備知識を得ずに臨んだ。

Sylphide: Maria Baranova
多幸感に溢れる存在感で観客を魅了した。ロールデビューであることは公演後に知ったが、以前から本役に何度も出演し熟達している印象で、およそロールデビューとは思えなかった。エフィと結婚するジェームズに悲嘆を伝える場面と、ジェームズに構ってもらえた後の嬉しさとの対比が強く明白であるは効果的で、音楽が眠いのにも関わらず、嬉しそうな踊りの強さに鮮烈な印象を与えた。超絶技巧をアピールする場面がないシルフィード役ではあるが、観客をウットリさせる見せ方のテクニックが素晴らしく、見得を切る場面が美しく、第二幕は天国にいる気持ちにさせられる。あれだけ可愛いエフィを捨てて、Maria Baranovaのシルフィードを追って森に向かったのは正解であった。ずっと見ていたいと思わせるシルフィードである。

James: Jakob Feyferlik
個人的には、24/25年末年始観劇旅行の中で最も素晴らしい男性ダンサーであった。この旅行最後のバレエ公演で、最も素晴らしい主役男性ダンサーで締めくくられたのは幸いである。着地が美しく、形が綺麗に決まり、高いテクニックがジェームズ役として理想的な形で体現された。カンパニー初演初日キャストに選抜されるのは当然と言えた。

Effie: Carollina Bastos
顔立ちは美女系であるが小柄であり、小柄カワイ子ちゃん役も似合う守備範囲の広さを感じる。テクニックに優れ、第一幕の見せ場を素晴らしく決め、演技も自然で、理想的なエフィ役であった。第一幕後半の、シルフィード-ジェームズ-エフィの三角関係のパドトロワも素晴らしい。こんな可愛らしいエフィからジェームズを略奪するのは困難だろうと思わせる(その辺りに説得力を持たせるのが、Pierre Lacotte の振り付けの巧みさであろう)。さすがは、カンパニー初演初日キャストである。

Madge: Alexey Dobikov
下位階級のダンサーであるが、このようなキャラクター役が得意なのか、素晴らしい演技力で期待を大きく上回った。Laurent Hilaire の抜擢が大当たりした。

他の主要六役も高い水準で魅了させられた。

再び個人的な話に戻るが、この公演は私の24/25年末年始観劇旅行の中で、もっとも感銘を受けた舞踊公演となった。主要六役のみならず、群舞に至るまで士気高くその技量を存分に観客に示せたからである。

Pierre Lacotte 版の La Sylphide は、音楽は全く助けにならない。三部作を作曲したチャイコフスキーや「明るい小川」を作曲したショスタコーヴィチはもちろんのこと、同時代の「ジゼル」を作曲した Adolphe Adam にも及ばない。その証左に La Sylphide の作曲家をソラで言えるバレエファンなど、二百人に一人くらいだろう。よって、観客に作用させる要素はダンサーの踊りだけとなる。また、 August Bournonville 版と全く同じストーリーでありながら実演時間も長いため、より踊りのみで観客を魅了させなければならない難しさがある。

バイエルン州立バレエの舞踊手は、主役から群舞に至るまで、それぞれの見せ場でその役割を高い水準で果たした。第一幕で、大柄な男性ダンサー8人が横一列になったユニゾンは良く揃い観客に圧を掛けていたし、第二幕では群舞のシルフィードたちが主役のシルフィードとともに一致団結して森の中の天国を形成した。結婚指輪を奪ったシルフィードを追って、エフィを見捨てて森の中にやって来たのは正解だったと思える空間を創り上げた。

同時期に、パリで Pierre Lacotte 作品を観た時に感じた、「題名役だけが素晴らしく頑張っている」状態(たまたま私が観劇したその一公演だけと信じたい)ではなく、主役、ソリスト、群舞に至るまで、高い完成度でこの La Sylphide の世界を表現しようとする士気が高い完成度となって結実したと言える。全員が素晴らしいバレエほど感銘を与えるものはない。

Laurent Hilaire が、ロシアによるウクライナ侵攻に抗議し、モスクワ音楽劇場(ダンチェンコ劇場)舞踊監督を辞任して間もなく、2022年5月にバイエルン州立バレエ芸術監督に就任して二年半が経過した。この二年半の時間を用いて、万全の体制でこの Pierre Lacotte 版 La Sylphide をプロデュースしたことが強く感じられた。Laurent Hilaire の知見は、バイエルン州立バレエのダンサーに的確に伝達されている。

「Pierre Lacotte 作品の本場はパリではありません。ミュンヘンです」と、公演直後に私はツイートした。世界的メガカンパニーでなくても、優秀な芸術監督、指導者、ダンサーと彼ら彼女らの高い士気があれば、世界第一級のバレエは実現できるのだ。

#BSBsylphide

2025年1月27日月曜日

Ballet de l’Opéra national du Capitole 'Magie Balanchine'

Ballet de l’Opéra national du Capitole
Magie Balanchine
Sunday, 29th December 2024
Orchestre national du Capitole, Direction musicale: Fayçal Karoui
Théâtre du Capitole, Toulouse, France

フランス国立キャピトル劇場バレエ団
「Magie Balanchine」
キャピトル劇場(フランス共和国トゥールーズ市)
フランス国立キャピトル管弦楽団、指揮:Fayçal Karoui
2024年12月29日(日曜日)

フランス南西部の都市トゥールーズにあるキャピトル劇場バレエ団は、2024年12月20日から31日に掛けて「Magie Balanchine」を8公演上演した。この公演は第7公演になる。
「Magie Balanchine」は三つのバランシン作品を上演するトリプルビルである。
「Theme and Variations」
「Tschaikovsky Pas de Deux」
「Who Cares?」

「Theme and Variations」は新国立劇場バレエ団で上演されてきた(Patricia Neary が振付指導者から引退し、今後上演できるかは不明だが?)。「Tschaikovsky Pas de Deux」は諸ガラ公演で頻繁に上演される。しかし、「Who Cares?」の日本での全編上演は、2003年K Ballet 、2004年 New York City Ballet のみである。日本にて20年以上に渡って全く上演されていない演目のToulouse での上演は貴重であり、大変意義深い。

振付指導者は、「Theme and Variations」、「Tschaikovsky Pas de Deux」は Ben Huys、「Who Cares?」は Diana White であった。日本にも来日している振付指導者である。

「Theme and Variations」の主演は Nina Queiroz, Ramiro Gómez Samón である。序盤 Nina は苦しい立ち上がりである。Ben Huys による「とにかくソフトにフェミニンに」踊るよう指導する方針も相乗して、音楽に遅れがちに始まり、固い。第8変奏では、Nina のサポートに必死で、Ninaと群舞6人(Théâtre du Capitol の舞台は狭く、群舞8人は厳しいと思われる)との間隔が揃わず、フォーメーションが乱れた。しかしながら、この後の Nina は奮闘し、第9変奏に於ける連発パドシャが鮮やかに決まり、その後の群舞との調和も良かった。デミソリストの階級と2021年入団の若手であることを踏まえれば「よく頑張った」と言える。次席ソリストと群舞は素晴らしく、主演に多少の難があってもカヴァーできる内容であった。
キャピトル劇場バレエ団は総勢35名の小規模カンパニーであり、プリンシパルとソリストを全部合わせても8人しかおらず、トリプルビルとなると、全ての演目にプリンシパルを投入するわけにはいかない。どれか一つの主演が将来期待できる若手デミソリストであることは止むを得ない。

「Tschaikovsky Pas de Deux」はNatalia de Froberville と Kleber Rebello の二人である。Natalia はさすがエトワール、甘やかに踊る箇所と切れ味鋭く踊る箇所との使い分けが決まり、強い印象を観客に与える。

休憩を挟んだ後半の 「Who Cares?」 が本日のメイン演目、プリンシパルやソリスト階級を惜しげなく投入している。George Gershwin の音楽に乗せ、ニューヨークの若者たちの青春群像劇の印象を与える演目である。ソリスト級4人と群舞10人によるダンサーの構成であるが、群舞にもデュオの見せ場が与えられている。よって、どのダンサーも優れていなければならない演目だ。

日本人/日系人と思わせる名前が3人あり、日本由来ダンサーが大活躍している。
デュオを与えられる見せ場では、 'S Wonderful で Hatuka Tonooka が、That Certain Feeling 2 で Minoru Kaneko が演じたが、様式だけでなく強い踊りで観客に圧を与えることに成功している。Minoru kaneko は男性群舞5人の筆頭格であり、真ん中で見事にリードしていた。

また、ソリストの Kayo Nakazato が最もテクニックを要し誤魔化しが効かない My One And Only のソロを任され、期待されたであろう堅実なテクニックで決めた。
当然のことながら日本由来以外のダンサーも素晴らしく、Marlen Fuerte Castro はプリンシパルらしく華のある演技で Fascinatin’ Rhythm のソロを始め、舞台を引っ張った。

最も特筆するべきは、全員が素晴らしいことである。「揃っている」云々の次元ではなく、一つの作品を作るに当たっての一体感や士気の高さが、この作品をフランスの地方劇場で花開かせた。この Toulouse の劇場で New York の街が現れ、華やかで懐かしさをも感じさせる青春群像劇が再現された。プリンシパル、ソリスト、群舞が一体となった舞台は強い。ファーストキャストで精鋭を集めた舞台であれば、地方の小規模バレエカンパニーでも高い水準の公演が可能であることを証明した。


2024年5月29日水曜日

Korean National Ballet ‘The Little Mermaid’ 韓国国立バレエ団 ノイマイヤー版「人魚姫」 2024年5月 観劇記録

2024年5月1日(水)から5日(日)にかけて、ノイマイヤー版「人魚姫」が韓国国立バレエ団により上演された。上演会場は、Seoul Arts Center 歌劇場である。一日1公演、計5公演の上演であった。

当方が観劇したのは、5月3日(金)公演である。以下、その記録である。

1.概観

この公演はダブルキャストであり、私が観劇した2024年5月3日(金)公演はファーストキャストによる上演であった。

会場は、Seoul Arts Center であり、三階席・四階席は閉鎖して上演された。三階席・四階席は、当初から発売されていないようであった。

ダンサーはロシアバレエの流儀のカンパニーであるが、元 Stuttgarter Ballett (ドイツのカンパニーである点に注目)プリンシパルである Kang Suejin 芸術監督による招聘があってか、少なくとも主要ソリストについては、ノイマイヤーの流儀を吸収しているように見える。

主演も含めキャストが発表されたのは、記者会見があった4月23日であり、初日上演の8日前であった。ジョン ノイマイヤー自身がソウルを訪れ、4月23日の記者会見に臨み、公演に関わった。


2.実演・振り付け

「人魚姫」役 Cho Yeonjae は薄幸の人形姫を見事に演じた。前半は、脚の長さよりも長い衣装を介して踊るなど、独特の難しさがあるが、これを見事にクリアし、リフトされるのがとても上手く、前半の人魚の幸福感が表出される。他方、人間になってからの痛々しさの表現も素晴らしく、人魚との落差が明瞭であった。

「プリンス」役 Lee Jaewoo は完璧なサポートである。ノイマイヤー独自の非定型リフトを完璧にこなし、Cho Yeonjae を美しく支えつつ、尊大なプリンスの役柄も表出した。「詩人」役 Byun Seongwan は人魚姫に寄り添い、「海の魔女」役 Kwak Donghyeon は見事な技巧で、「プリンセス」役 Kwak Hwakyung は明るいキャラクターで、いずれも的確に役を表現した。

少なくとも主要キャストについては、ノイマイヤーによる吟味が極めて有効に働いた。人魚姫はいずれもソリスト以下の階級から抜擢されたが、懐妊故に出演できなかったプリンシパル Park Seulki の不在を見事にカヴァーした。キャスティングは、技術的必要条件を満たした中から、キャラクターに合致したダンサーが選べた印象を持ち、カンパニーソリスト陣の基礎力の高さを伺えた。ノイマイヤーの他に、Lloyd Riggins と Niurka Moredo の二人が振付指導者として参画した。

ノイマイヤー版の舞台装置は見事で、プロセニアム上方に船の模型を走らせるが、煙を吐いたり、沈没した後は上下逆さまにしたりと、小道具まで芸が細かい。振り付けは、人間になった後の人魚姫と詩人とを、プリンスへの愛が報われない意味で同一性を持たせたもので、筋書きの完成度が高く、その上で、独自の非定型リフトを用いた振り付けは天才的である。前半の人魚時代の人魚姫は、この非定型リフトにより見事に人魚として舞台上に存在する。


3.指揮・管弦楽

指揮は Simon Hewett である。韓国国立交響楽団の演奏は完成度が高い(韓国国立バレエ団の強みは、管弦楽のレベルの高さであろう)。ヴァイオリンソロはAnton Barakhovsky、Theremin は Lydia Kavina による演奏であった。


2024年5月26日日曜日

新国立劇場バレエ団「ラ バヤデール」2024年4-5月 観劇記録

2024年4月27日(土)から5月5日(日)にかけて、「ラ バヤデール」が新国立劇場バレエ団により上演された。

当方が観劇したのは、4月28日(日)ソワレ・5月4日(土)マチネ・4日(土)ソワレ・5日(日)の四公演である。以下、その記録である。

常日頃から目標としている通り、米沢唯主演公演は全公演臨席、例外を除き他キャスト主演公演は一公演臨席を目標とし、これらの目標は達成された。廣川みくり主演の公演はボイコットした。理由は、2023年11月25日(土)公演に於ける実況見分を踏まえ、この程度の実力で2公演ニキヤ役に割り振ったバレエ団のキャスティングは適切でなく、観客に対する挑発と考えられたからである。


1.概観

公演は全て予定通り上演された。

ニキヤ役については、当方の予測通りの出来、ガムザッティ役については、ファーストセカンドの選定は極めて妥当だった。

パダクションについてはピンクの圧勝、影の三人についてはファーストキャストの圧勝であったが花形悠月だけはファーストキャストと同程度の成果を示した。

若手ダンサーの育成は限定的にしか成果が表れておらず、外部からの補強が急務であると伺わせた。国内バレエ最強の地位は既に揺らいでいる。


2.今回の公演群で最も貢献したダンサー

・米沢唯(ニキヤ)


3. 今回の公演群で最も貢献したダンサーに準ずるダンサー

・直塚美穂(ガムザッティ)

・福岡雄大(ソロル)


4.ニキヤ役について

1位:米沢唯、2位:小野絢子、3位:柴山紗帆 の順であった。順番を付けるとこのような相対的な評価になるが、三人とも主演者としての力量を発揮しており、満足できる出来である。

4-1.米沢唯

特に2024年4月28日ソワレ公演が素晴らしく、世界的なメジャーカンパニーのプリンシパルに比肩する実力を見せる。

ニキヤ役は特に第三幕が難しいが、抜群のコントロールでその幽玄さを表現する。あの幽玄さを表現するには、高度かつ正確な技術が必要であることも思い知らされる。

アレクセイ バクランが導く管弦楽との音楽性は、バクランとの共同作業を思わせるものである。片方が他方に依存することは全くなく、まるで室内楽のような緊密なアンサンブルを想像させる共同作業である。

他方、第二幕終盤の、蛇に噛まれる直前のソロは情感があり、涙腺を潤ませる。

特に2024年4月28日ソワレ公演での米沢唯は、踊りのスケールの正確さ、繊細さ、強さ、美しさ、音楽性の面で、要するに全ての面で無敵であった。踊りの精緻さ、技術的な正確さが表現の強さに直結し、観客に深い圧を与える。

米沢唯の本質は、どの場面においても、研ぎ澄まされた鋭い感覚で身体を制御し、強さと繊細さを同時に併存させ、格調の高さを保ちながら、威厳も情感も変幻自在に表出できる点にある。その特質がこの「ラ バヤデール」でも活きた。

4-2.小野絢子

普通にいいんじゃないの~。

4-3.柴山紗帆

第二幕終盤のソロは、米沢唯同様に情感があり、涙腺を潤ませる。米沢唯の技術や完成度には達していないが、それでも満足できる出来で、ニキヤ配役は妥当である。千秋楽の終盤は圧巻のシェネであった。


5.ガムザッティ役について

直塚美穂の圧勝である。異論は許さない。どう考えても直塚美穂がプリンシパルの出来であり、木村優里は足元にも及ばない。どうして木村優里がプリンシパルの地位であり、直塚美穂の採用時の階級がファースト アーティストだったのか、強い疑問を抱かせる出来である。新国立劇場バレエ団のスタッフの見立て(ダンサーの評価)は「恥を知れ」レベルで崩壊していると言わざるを得ない。直塚美穂をファーストキャストにしたことだけが、唯一の救いである。

5-1.直塚美穂

技術的に完成度が高く、イタリアンフェッテの大技は強い踊りで魅せられる。四人のピンクチュチュを従える真ん中の役割を完璧に果たしている。また、ガムザッティの内面の弱さも見事に表現し、対比の作用で、敢えて強さを見せる要所でナイフのような鋭さを見せることに成功した。

5-2.木村優里

小顔でお目目くりくり、お化粧が上手なだけで(それだけで人気が得られるのだから、新国立劇場バレエ団の観客はチョロい)、到底プリンシパルのガムザッティとは言えない。ほぼ踊らない第一幕こそボロは出していないが、彼女の弱点は第二幕で露呈する。踊りの弱さは、直塚美穂と比較すれば一目瞭然で、どちらがプリンシパルだよと強い怒りを感じながら観劇せざるを得ない。四人のピンクチュチュに対しても礼を失した出来である。第二幕のガムザッティとニキヤの対決は、華やかに決めればそれだけでガムザッティの勝利になるほど、ガムザッティに有利な対決であるが、米沢唯にはもちろん、柴山紗帆にも対抗できないほどの弱さである(てか、木村優里のガムザッティへの怒りが、米沢唯や柴山紗帆の情感あるニキヤで浄化される感じである)。直塚美穂が表現し得たガムザッティの内面の弱さは、木村優里は表現できなかった。目力を強調したメイクをしたために、強さ一辺倒のガムザッティの表現しかできなかったのであろう。木村優里は決して演技派でもない(演技派と勘違いしている観客が多過ぎるので、明確に指摘する)。

5月4日マチネは、木村優里のいつもの技量の弱さが出た公演で、バクランの指揮に全面的に寄りかかって大崩壊を辛うじて防いだ状態で、跳躍が特に汚く、これではイタリアンフェッテ失敗するだろうなと予想したら、その通りの展開になった。あの出来であのような喝采を与えるのは、観客としての見識のなさを示すものであり、世界中のバレエファンに対する恥であると言える。私は、あの時の観客の反応を見て、新国立劇場バレエ団の未来は無くなったと感じた。見る目のない観客に支持されるようなバレエ団など、早晩潰れる憂き目に遭うだろう。


6.ソロル役について

福岡雄大が圧勝である。

6-1.福岡雄大 

全てが完璧なソロルである。男性ダンサーの中で技術はダントツで一位であり、全てが滑らかに運び、かつ戦士としてのキャラクターにも見事に合致する。

6-2.渡邊峻郁

ソロルのキャラクターとは合致しておらず、「何か違う」違和感は感じるものの、特段な破綻はなく、技術的にもまあまあなので、まあ良いのではないか。

6-3.速水渉悟

本領を発揮したとは言えない。基本的にソロは見事だが、盤石なサポート力をつけてもらいたい。新国立劇場バレエ団から指導者の菅野英男が去っていったが、主演男性ダンサーが会得するべきサポートを強力かつ的確に指導できる新たな人材は確保しているのか?


7.その他

7-1.パ ダクション

ピンクとブルーの実力差が顕著である。

ピンクチュチュに重鎮を充てていることもあり、特に池田理沙子・飯野萌子・奥田花純・五月女遥の四人によるパ ダクションは、世界屈指のものである。個々の踊りの力強さと統一感が見事である。

ブルーチュチュは、特に吉田朱里・中島春菜の二人が大味である。花形悠月だけは素晴らしく、彼女が出演した公演は彼女しか見ていない。花形悠月が出演していない公演では吉田明花に注目していた。

7-2.影

第一・第二・第三とも、ファーストキャストである、五月女遥・池田理沙子・飯野萌子の圧勝である。ファーストキャストは、ソロの演技はもちろんのこと、三人で踊る場面では統一感もあり、「3」としての踊りで観客に迫ることに成功している。

セカンドキャスト(変形セカンドキャストを含む)については、第一の花形悠月はファーストと同水準に達していたが、残りはいかがなものか?第二の金城帆香は、4月28日ソワレは明らかに雑だった。5月4日マチネ公演では改善されたが。第三の吉田朱里は、スタビリティーが欠如しており、基本的な技量が不足していると考えられた。当然、「3」としての統一感は感じられない。花形悠月が一人で頑張っても、他の二人の実力が拮抗しなければ、統一感は産まれない。


8.指揮・管弦楽

バクランの指揮に東京フィルハーモニー交響楽団の管弦楽はよく応えた。バクランによるダンサーへの音楽的サポートは実に見事である。


9.意見事項

下記の通り意見する。

・現状、重要脇役を担うソリスト級ダンサーがスカスカとなり掛けている。直塚美穂・花形悠月・山本涼杏のような有望な若手は存在するが、数が足りない。ビントレー世代の引退とともに、致命的な影響が公演水準に齎されるだろう。国外バレエ団からの帰国組にも触手を伸ばすなど、30歳前後までの強力な若手の補強が急務である。

2023年6月22日木曜日

新国立劇場バレエ団「白鳥の湖」2023年6月 観劇記録

 2023年6月10日(土)から18日(日)にかけて、「白鳥の湖」が新国立劇場バレエ団により9公演上演された。
当方とワルイ子北陸により5公演観劇した。この観劇記録は、ワルイ子北陸との合議により作成された。
当記録の対象は、2023年6月10日・11日マチネ・13日・17日ソワレ・18日公演を対象とし、その他の4公演は対象としない。

1.概観
公演は全て予定通り上演された。
米沢唯と福岡雄大がともに絶好調であった6月13日公演が最も素晴らしく、米沢唯の最終公演である6月17日公演が僅差で追った。6月11日マチネの柴山紗帆+井澤駿+速水渉悟も完成度が高く、柴山紗帆と速水渉悟のプリンシパル昇格を確実にした公演であった。


2.オデット/オディール役について

2-1.米沢唯
13日・17日ソワレと、傑出したオデット/オディール役を披露した。オデットもオディールも世界最高水準の出来で(これ自体が稀有な存在)、本調子の米沢唯に日本国内で対抗できる踊り手はいないだろう。踊りの強さはバレエ団中最強であり、この強さと様式美が同時に実現され、高度な技術が物語を形づくった。1-1-3を四回入れつつ水平移動がないフェッテは、高度な技術の一例に過ぎない。最初のオデットの登場からハケるまでの3分の時点で魅了される。オディールについても、オディール役としての修飾は入れつつも、踊りの強さと美しさの本質で涙腺を流させ、観客の心を熱くさせる。13日・17日ソワレに於けるオディールのレヴェランスはたっぷりと風格があるもの。夾雑物を入れず、純舞踊の力量のみで全観客を征服した。

2-2.柴山紗帆
もともと正統派の踊りで魅了させるダンサーであるが、オデットだけでなく、オディールも強さを伴うようになり、著しい伸長を見せた。踊りのタイプは米沢唯の路線である。オデットとオディールを総合的に併せて評価した場合、米沢唯に次ぐ実力を発揮した。米沢唯も小野絢子も調子を落としたら、柴山紗帆が上回るくらいにまで成長した成果は大きい。11日マチネの公演では、プリンシパルとしての必要とされる水準を楽々とクリアした。次の目標は、本調子の米沢唯の水準に近づけていくことである。柴山紗帆の成長は、吉田都芸術監督の数少ない大きな成果の一つである。

2-3.小野絢子
良く考えられた緻密な構成により、米沢唯とは全く違うアプローチで素晴らしいオデットを披露した。

3.王子役について

3-1.福岡雄大
10日・13日公演とも絶好調であり、技術的強さと高い完成度は他の追随を許さない。また、米沢唯とのパートナーシップも素晴らしく、オデットへの愛情を強く感じさせる演技であった。なお、クルティザンヌがそばに寄ってくると嬉しそうであった。


3-2.井澤駿
柴山紗帆とのパートナーシップが素晴らしく、王子らしい振る舞いで、柴山紗帆との物語を見事に構築した。第一幕での憂いの表現が素晴らしく、速水渉悟のお馬鹿ベンノとのコントラストが鮮やかに出た。

3-3.速水渉悟
17日ソワレだけの出演で、当日の調子は明らかに良くなかったが、米沢唯とのパートナーシップは水準に達しており、シーズン全般の出来と将来性を踏まえた場合にプリンシパル昇格は適切妥当と思わせた。二公演あったら、違った成果を出せただろう。さらに体調を整えた上で、来シーズンのバジリオ役では540を安定して決めて、観客を熱狂させてほしい。


4.ベンノ役について

4-1.速水渉悟
主役級がお馬鹿路線で攻めるとこうなるという、ライト版始まって以来の馬鹿ベンノである。そもそもベンノは、クルティザンヌを王子に派遣させるくらいの馬鹿だから、これはこれで説得力がある。踊りについては最高水準で、強さと美しさが同居した見事なもの。これを見せつけられたら、木下嘉人でさえも7合目の出来と思わせてしまうのは罪である。プリンシパル昇格は当然の内容である。

4-2.木下嘉人
名脇役の演技と言える。良い意味でしゃしゃり出ず、ベンノ役としての完成度は高い。


5.その他の役に付いて

5-1.クルティザンヌ役
ファーストキャストである池田理沙子+飯野萌子組が素晴らしい。

5-2.マジャール王女役 
ファーストキャストの飯野萌子が突出して見事である。

5-3.ポルスカ王女役
床が滑りやすかったからか、2021年10月公演と比して安全運転の感が強かった。直塚美穂は中足骨以遠の小技が印象的であった。

5-4.イタリア王女役
奥田花純・五月女遥が素晴らしい。

5-5.小さな四羽
最近入団したダンサーが、先輩方についていけていない点が露呈していた。千秋楽ではある程度目立たなくはなっていたが・・・。

5-6.大きな二羽
花形悠月は実に見事で、対側のダンサーを圧倒した。金城帆香+山本涼杏は二羽感が出ていた。


6.意見事項
下記の通り意見する。
・木村優里の代役は、小野絢子・柴山紗帆に一公演ずつ渡すべきであった(米沢唯は初日-千秋楽9日間で3公演出演であり、これ以上の出演は困難)。あるいは、直塚美穂のような、国外著名バレエカンパニーでの豊かな経験を有するダンサーに機会を与えるべきであった。経験がなく踊りの技量が乏しいダンサーをオデット/オディール役に充てるキャスティングは、バレエ団としての見識や観客に対する誠実さを強く疑わせるもので、非難に値し、断じて容認できない。
・柴山紗帆・速水渉悟のプリンシパル昇格発表については、タイミング・方法ともに素晴らしい。
・柴山紗帆と速水渉悟がプリンシパル昇格となった今、プリンシパル昇格候補は池田理沙子しかおらず、紗帆理沙子世代の次の主役候補が全く育っていない。女性ソリスト級ダンサーでは、寺田亜沙子・細田千晶が引退し、五月女遥・奥田花純・飯野萌子しか残っていない状況である。直塚美穂以外にソリストへ昇格できる候補がいない現状では、数年後に公演のレベルに致命的な影響を与える状態となる(新国立劇場バレエ団の存亡に関わる危機になる。マジで)。研修所出身ダンサー優遇の疑念を晴らし(石山蓮以外の10期生以降の研修所卒業生は、昇格に値しない)、国外バレエ団からの移籍者を含め、早急に実力あるソリスト昇格候補を見極め、昇格人事で示す必要がある。8月1日の昇格発表を厳しく見守っていきたい。


2022年5月8日日曜日

新国立劇場バレエ団「シンデレラ」2022年4-5月 観劇記録

 新国立劇場バレエ団「シンデレラ」2022年4-5月 観劇記録

2022年4月30日(土)から5月5日(木)にかけて、「シンデレラ」が新国立劇場バレエ団により上演された。

当方、東京都内の新型コロナウイルス感染状況悪化のため観劇できず、「ワルイ子諜報団」の仲間にチケットを無償譲渡して、レポートを依頼した。以下、その記録である。

当記録の対象は、ワルイ子諜報団を派遣した2022年4月30日・5月1日・4日・5日公演を対象とし、5月3日に開催された二公演は対象としない。

1.概観

公演は全て予定通り上演された。チケットは最前2列を除いたほぼ100%収容1724席で発売し、全公演完売状態となった。

吉田都芸術監督による指導により、アシュトン版の特徴を的確に演じられる形となった。全般的に、留め撥ねがハッキリした形となった。他方で、最近の「シンデレラ」公演ではリアルのバレエ教師のような模範演技として演じられてきた「バレエ教師」役は、デフォルメ化して演じられている。おそらくこちらがアシュトンの意図なのだろう。

主演以外の、ファーストキャストとセカンドキャストとの差が概して大きく(セカンドキャストに重鎮を配置した役(仙女・秋の精)は除く)、外部からの移籍による優秀なダンサーの補強、若手ダンサーの育成が急務であると伺わせた。当面はファーストキャストのみであれば、国内バレエ最強の地位を保てるが、瓦解の兆しが見え始めている。

キャスティングについては、疑問点がなくはないが、概ね公平か。


2.シンデレラ役について

以下、公演順に述べる。

2-1.小野絢子
右脚上げ。全体的に高い水準。特に12時の鐘が鳴る場面は鮮やかに決めた。一時期の、いかにも「演技している」風な不自然さが解消され、ナチュラルな演技を取り戻していた。

2-2.米沢唯
右脚上げ。正統派のいい子ちゃんシンデレラ。従前の「シンデレラ」公演と同様に、第二幕は最強の踊りを披露し、特に2022年5月1日公演の水準には、少なくとも国内で対抗できるダンサーはいない。スケール感や踊りの力強さが振り付けとマッチしていた。王子とのパドゥドゥは、両公演とも秀逸なるもので白眉、シームレスでスイートな雰囲気を醸し出している。小回りで王子のそばを周回する場面も、王子を円心として完璧な同一の半径で円形を描く。踊りの強さ、完璧さが甘美な世界を作り上げていた。

2-3.池田理沙子
宣伝画像の通り左脚上げ。池田理沙子のお転婆な本性と、シンデレラの役との幸福な邂逅であった。特に第一幕では、振り付けとの相性が絶妙によく、ジャンプと着地のポーズが小気味よく決まる。踊り、音感とも見事である。吉田都の指導により再構成(?)されたシンデレラの振り付けとの相性が絶妙なのであろう。他方、舞踊界に行かせてもらえなくて拗ねる表情もカワイイ。第一幕に関しては、振り付けとの相性の絶妙さもあって、米沢唯・小野絢子の領域を超えたと思われる。
第二幕はパートナーの状況が思わしくない中、水準を保ち、パートナーが交代した第三幕でも何ら動揺なく高い水準で演じた。
この2022年5月5日「シンデレラ」公演は、プリンシパル昇格に向けての天王山と言える公演で、一公演しかない公演で成果を着実に出すことが求められたが、池田理沙子は見事に成功したと言える。既に2021年12月公演の「くるみ割り人形」にて、クララ役で二公演とも絶好調で大成功を掴み、今回の「シンデレラ」のパフォーマンスを重ねて、昇格の確率を70%にまで上昇させた。プリンシパル昇格に向けての残りの変数は、来月上演される「不思議の国のアリス」に於ける題名役の成果であり、これは成し遂げられると期待する。アリス役での更なる活躍を期待したい。


3.王子役について

3-1.福岡雄大
調子が良いのか、不調なのか、良く分からない感。素晴らしい箇所は素晴らしいが、そうでない箇所もある。第二幕パドゥドゥでは、「倦怠期夫婦ペア」(注:高名な某評論家のツイートの内容は事実に反しており、実際は結婚されていない)のパートナーシップの感もあったが、小野絢子が上手く処理したか?

3-2.井澤駿
米沢唯とのパートナーシップが良く、第二幕パドゥドゥの箇所は白眉であった。2022年5月5日公演では、急遽第三幕から池田理沙子のパートナーとして代役出演となったが、揺るぎないサポートで突然の交代を全く感じさせなかった。

3-3.奥村康祐
第二幕では最後まで池田理沙子を的確に支えた。怪我による第三幕降板は残念である。非定型的な踊りを要求される姉妹役との両立は可能だったのか、慎重な検討が必要だったと考えさせられる。


4.仙女役について

4-1.細田千晶
本島美和が仙女役から引退した現在、細田千晶以外に適役はいない。仙女役に求められる慈愛や踊りの様式美、舞台の支配力、いずれも最高の水準に達している。現在の新国立劇場バレエ団に於いて、シンデレラの仙女、眠れる森の美女のリラ、ドンキホーテの森の女王、これら三役を演じられる唯一のダンサーが細田千晶である。

4-2.木村優里
2022年4月30日公演では、踊りが何となく綺麗でなく(バレエとしての様式美の欠如)クネクネした印象を与えており、四季との五人ユニゾンの箇所も彼女のみ遅れており、仙女役に相応しいとは言えなかった。彼女をファーストキャストとして仙女役としたことには疑問を呈する。なお、2022年5月5日公演では、細田千晶の領域には達するのは遠いにしても、許容範囲の領域まで改善された。


5.道化役について

5-1.木下嘉人
福田圭吾が道化役から引退した現在、木下嘉人以外に適役はいない。大柄な体格であり、道化役は本来彼が演じる系統の役ではないが、それでも高い基礎的な身体能力で魅せる踊りを観客に披露した。スティック状の人形との遣り取りや、観客との遣り取りもベテランならではの領域で、芝居として高いレベルで成立している。
しかしながら、現在の新国立劇場バレエ団に於いて、道化役を一定水準以上で演じられるのは彼だけの状況ではあり、他方、彼の年齢面から道化役をいつまで演じられるのかを考慮しなければならないのも現状である。
新国立劇場バレエ団の道化役は、ファーストキャストが懸命に演じている表では見えにくいが、実のところは崩壊しかかっており、至急の補強が必要である。

5-2. 佐野和輝
山田悠貴の怪我により急遽代役として出演となった。代役にしてはよくやったという感じである。本人の工夫も、思い通りにはいかなかったかもしれないが、それなりに反映されていた。


6.四季の精

春・夏・冬については、ファーストキャストとセカンドキャストとの差が大きかった。秋の精はセカンドキャストが奥田花純であったこともあり、差はない。

「春の精」の五月女遥は、当役の規範である。踊りの美しさ、強さ、音感とも完璧である。誰がどうやっても様になるのが難しい「春の精」でこの水準は驚異だ。特に2022年5月5日公演は圧巻の出来であった。

「夏の精」は飯野萌子の得意役であり、抜群の完成度であった。渡辺与布は、2022年5月1日公演はイロイロ怪しかったが、2022年5月4日公演では満足できる水準に達する内容であった。

「秋の精」は踊りの面で手を抜いてでも、意地でも音楽から遅らせない踊りが求められる。その辺りのテクニックは奥田花純が上手い。完成度は2022年5月1日公演の方が素晴らしい。柴山紗帆は、本来「秋の精」を演じる体格ではないが、それでも高い水準で演じた。

「冬の精」は、寺田亜沙子がこれまで通りの完成度。中島春菜は、「冬の精」を演じるには、バレエ一般の基礎的なテクニックを固め、三段階くらい上げる必要がある。


7.姉たち

アシュトン版のシンデレラの姉たちは、男性ダンサーにより演じられる。三キャストとも水準を保ったが、ファーストの奥村康祐-小野寺雄組、セカンドの清水裕三郎-福田圭吾組が特に素晴らしい成果を出した。どれだけ上手く暴走するかで面白みが決まるが、この辺りの加減が絶妙だったか。古川和則が引退したが、その不在を埋めただけでなく、より高い次元に到達したと言える。


8.指揮・管弦楽
マーティン イェーツの指揮、東京フィルハーモニー交響楽団の管弦楽は申し分ない。2022年5月5日公演では、第一幕、池田理沙子のシンデレラに上手く付け、絶妙に支えた。


9.意見事項
下記の通り意見する。
・細田千晶が得意とする仙女やこれと同系統のリラ(眠れる森の美女)、森の女王(ドン キホーテ)を演じられるダンサーの補強、後継者の育成が急務である。
・道化系を本職とするダンサーの補強、後継者の育成が急務である。
・現状では、数年後に重要脇役を担うソリスト級ダンサーがスカスカとなり、公演のレベルに致命的な影響を与える状態となる。ロシア等、国外バレエ団からの帰国組にもアプローチを掛け、30歳前後以下の補強が急務である。女性ソリスト級ダンサーでは、寺田亜沙子・細田千晶・五月女遥・奥田花純・飯野萌子の後継者がいない状態を解決する必要がある。また、池田理沙子・柴山紗帆の次の世代の主役級ダンサーの補強も急務である。

2021年6月18日金曜日

新国立劇場バレエ団「ライモンダ」2021年6月 観劇記録

2021年6月5日(土)から13日(日)にかけて、「ライモンダ」が新国立劇場バレエ団により上演された。
当方、東京都内の新型コロナウイルス感染状況悪化のため観劇できず、「ワルイ子諜報団」の仲間にチケットを無償譲渡して、レポートを依頼した。以下、その記録である。

1.概観
公演は全て予定通り上演された。チケットは100%収容1688席で発売を開始したが、緊急事態宣言発出のため、2021年5月31日18時00分(日本時間)以降、総客席数に対して50%以上販売された時点で、チケット販売終了となった。米沢唯・小野絢子主演の日は、100%収容1688席ほぼ完売の状態で売り切ったと思われた。
バレエ教師たちが言いたそうな道徳律っぽい表現ではあるが、これまでどのようにダンサー人生を送ってきたかで、各ダンサーのパフォーマンスが決まったと言える。特に、主演にその要素が強い。顔芸が効かない、ごまかしが効かない演目であると言えた。
主演以外の、ファーストキャストとセカンドキャストとの差が概して大きく(セカンドキャストに重鎮を配置した役(第三幕のヴァリエーションに於ける池田理沙子)は除く)、若手ダンサーの育成が急務であると伺わせた。当面は国内バレエ最強の地位を保てるが、今のままでは数年後が不安である。
コール ド バレエは、初日公演こそ本領を発揮していなかったが、第二公演からは、絶妙な揃い方(個性を活かし、あまり揃え過ぎない故に、わずかな差異が目立たず、一定の強度を保つ踊りも相まって、逆説的に揃ってる感がでる)で、吉田都時代になって確立したスタイルを高度に実現した。
2008/09シーズン以来12年ぶりの上演であり、数名のダンサー以外に経験者がいない状態で、事実上の新作であったのにも関わらず、前演目千秋楽から中27日での初日となった。ソリスト役は全て初役であり、リハーサル日程は極めてタイトな状態と思われた。
キャスティングについては、概ね公平と思われるが、一部主演の組み合わせに疑問が残った。

2.今回の公演群で最も貢献したダンサー
・米沢唯(ライモンダ)

3. 今回の公演群で最も貢献したダンサーに準ずるダンサー
・小野絢子(ライモンダ)
・福岡雄大(ジャン ド ブリエンヌ)
・中家正博(アブデラフマン)

4.ライモンダ役について
1位:米沢唯、2位:小野絢子、3位:柴山紗帆 の順であった。この三人だけが、主演者としての力量を発揮した。

4-1.米沢唯
千秋楽公演について記述する。
第一幕から、「どこのロシアの大プリマかよ」と思わせる存在感である。スケールが大きく、かつ繊細である。慈愛を感じさせる優しい包容力を思わせるアダージョの直後に、アレグロを鮮やかに飾る変幻自在ぶりで、心を揺さぶられる。
アレクセイ バクランが導く管弦楽との音楽性は、評論家的語彙で単に「音感が優れている」と書かれるレベルではない。「音符一つ一つに踊りを合わせる繊細さ」という意味での音楽性とも違う。どこか天才的な音楽性とも言え、聖チェチーリアがいらっしゃり、お取りなしがあり、精霊が全てを導いた、人知を超えたレベルの音楽性であった。これほどまでの音楽性は、これまでのバレエ公演で見たことがなかった。
第二幕では、5番ポワント連続技の箇所を、最も高く跳び躍動感をもたらした。
第三幕は、初日公演でも傑出した内容であった。マジャール ヴァリエーションのソロは威厳を感じさせるものである。千秋楽の最後の手叩きは、かなり響いたが、何か強く叩きたくなる心境であったのか?運命に左右される女性の覚悟を思わせるものであった。
特に千秋楽での米沢唯は、踊りのスケールの大きさ、繊細さ、強さ、美しさ、音楽性の面で、要するに全ての面で無敵であった。踊りの強さが表現の強さに直結し、観客に強く深い圧を与える。随所で現れる、長く強く美しい静止ポーズに涙を流すのは、こういうことだ。
特定の超絶技巧を成功させた云々の記載は、却って米沢唯の演技の本質を見損なう。彼女の本質は、技術ではない。
米沢唯の本質は、どの場面においても、研ぎ澄まされた鋭い感覚で身体を制御し、強さと繊細さを同時に併存させ、格調の高さを保ちながら、慈愛も威厳も変幻自在に役を生きる点にある。世界的メジャーカンパニーのプリンシパルに比肩する米沢唯が本領を発揮したときに、彼女に対抗できるダンサーは、この日本にはいない。

4-2.小野絢子
第一幕から絶好調で完成度が高く、他公演と比してもその度合いは高かった。公演毎のムラが比較的少ないダンサーではあるが、他公演と比して内容は極めて充実していた。時折感じられるスケール感の小ささが、この公演ではなかった。第二公演ということもあり、群舞の出来も第一公演とは見違えており、小野絢子を素晴らしく支えた。小野絢子ファンであれば誰もが喜ぶ公演であった。

4-3.柴山紗帆
柴山紗帆の存在自体が、運命に影響されるライモンダと合致していた。
有利な体格を十全に活かした所作の美しさが特徴である。第二幕ポワントでの連続ジャンプは、たとえ跳躍の要素が希薄でも、所作は美しい。今シーズン、開幕時のキテリアこそ、主役慣れしていない感が見受けられたが、他公演に於ける重要な役での堅実な成果は目覚ましく、今回の主役起用により開花した。ファースト ソリスト昇格は確実なものにしたと断言する(8月にファースト ソリストへ昇格となった)。様式美の基礎は盤石であり、この路線を発展させ、プリンシパル昇格を目指して、更なる活躍を期待したい。

4-4.木村優里
ライモンダを演じるに当たっての基礎力の欠如が露呈し、これまでのバレエに対する姿勢が問われる。ライモンダ役への適格性を欠き、彼女を起用する意味は全くなかった。
以下具体的に挙げよう。
ピッチカートのソロは膝が曲がっており、脚が汚ない。
音の遅取りは彼女のクセであるが、特に第一幕では著しく遅い音取りであった。マトモな音取りで踊る井澤駿との二人のユニゾンが合わないのは、木村優里の責任である。
第一幕最後の大団円では、木村優里だけ一人だけ明らかに遅れる有り様であった。長大な第一幕で全力を尽くして踊り(千秋楽の米沢唯レベルでなければ、そうであったとは言えない)、その疲労により遅れたり乱れたりしたというのであれば、何も言わない。しかし、他の誰もが新国立劇場バレエ団の強みの一つである「絶妙な揃い方」で踊っているところで、第一幕の間ずっと勝手な音取りで乱したというのであれば、これは非難されなければならない。特に第一幕では、本当に木村優里はいろいろ自分勝手過ぎた。
第二幕、5番ポワント交互ジャンプの場面。交差している時としていない時が交互になる酷さ(なお、一階正面ほぼ舞台中心線上の席から観劇している)、その脚の上の上半身も汚い。あれで拍手出るのはいかがなものか。観客としての見識が問われる。
第二幕終盤で、五月女遥・廣川みくりと180度位相をズラして踊る箇所は、踊りが弱い。遥ならまだしも、みくり に踊りで負けてるようでは終わっている。
第三幕は、片脚を交互に上げる箇所、冒頭でバランス崩して上手側に1m移動してしまう。その箇所はキッチリ決めて欲しい。
2020/21シーズン、全演目(「ニューイヤー バレエ」の一部演目を除く)に主役でアサインされる破格の待遇を受けた木村優里であったが、これが正当な待遇であったとはとても思えない。特に「眠れる森の美女」と今回の「ライモンダ」はひどい出来であった。古典演目で致命的な欠点が露呈するに至っては、プリンシパル昇格は到底無理と言わざるを得ない(事実、2021年8月での昇格はなかった)。特定のワルイ子ちゃんの役(例:'Super Angels' に於けるS嬢(Mother)のような役)ならハマるが、特殊演目を除いて主役(特に いい子ちゃん系)への適格性はない。

5.ジャン ド ブリエンヌ役について
1位:福岡雄大、2位:奥村康祐、3位:井澤駿 の順であった。この三人だけが、主演者としての力量を発揮した。

5-1.福岡雄大
5月公演「コッペリア」の時点から、コロナ禍に於ける体調管理の影響から脱却したと思わせたが、この「ライモンダ」で完全に復調し、新国立劇場バレエ団に於ける男性ダンサーのトップであることを見せつけた。踊りの強さ、技量面でダントツであり、米沢唯との相性も良かった。完璧と言ってよい。

5-2.奥村康祐
小野絢子とのパートナーシップが良く、主演として小野絢子を的確に支えた。ソロの場面でも申し分ない。おバカな役だけでなく、王子の役も立派に演じている。

5-3.渡邊峻郁
男性主演ダンサーの第一の任務である女性主演へのサポートが全くできていなかった。
第一幕では、適切なタイミングで柴山紗帆のサポートが出来なかった。手を差し伸べるのが遅すぎ、何度も柴山紗帆の踊りが止まった。コロナ禍でなければ、穏健派「紗帆りんファンクラブ」からはブーイングが飛び、過激派「紗帆りんウルトラス」が発煙筒に点火して抗議するレベルである。全くお話にならない。
他方ソロも良くない。第一幕での着地は全て失敗。綺麗に5番で降りれたのは、第三幕での一回のみであった。
第三幕では、柴山紗帆をリフトから下ろす場面で、乱暴な箇所が一回あった。女性をリフトさせる場面は、高速道路を時速172kmで滑らかに走るメルセデスのようなスタヴィリティでサポートされなければならないが、その任務を果たしたとはとても思えない。
これが新国立劇場バレエ団のプリンシパルか、と疑問を呈せざるを得ない水準で、大原永子 前芸術監督の最大の失策は、彼をプリンシパルにしたことだと言われても、誰も弁護できない。
なお、7月以降の公演では、これほどまでの酷いレベルではないとのこと、一時的な不調であったと思いたい。今後の公演での、木村優里とのパートナー固定化(「ゆりたか」固定化)は、ある意味正解である。

5-4.井澤駿
本年初頭に見舞われた怪我の影響があり、本来の踊りではなく、かなりセーブした安全運転であったことは否めない。それでも木村優里へのサポートは完璧に行っており、男性主演ダンサーの任務は立派に果たしている。柴山紗帆のパートナー役は、渡邊峻郁ではなく、井澤駿にするべきであった。その方が、柴山紗帆にとってはかなり踊りやすくなっていたであろう。
なお、7月公演「竜宮」からは、本来の踊りが戻り始めている。

6.アブデラフマン役について

6-1.中家正博
盤石の出来で、演技派の真骨頂を示した。死に際の演技が抜群に上手い。千秋楽の死に際の演技は、パッションとの調和も絶妙で、涙腺を潤ませた。

6-2.速水渉悟
演技に若さを感じる。跳躍の高さには目を奪われる。死に際の演技には課題が残り、そこに中家正博との差が生じた。自然に見える死に際になるようにするためには、ダンサーの自習に頼らない、かなりの程度の導き、綿密な指導が必要だったように思われる。また、現時点での彼は主役向きであり、キャラクター系は主役の経験を積んでからでも遅くはないようにも思える。

7.その他の注目するべきダンサー

7-1.池田理沙子
第一幕でのアンリエットは、クレメンス役との細田千晶と、なぜかきちんと調和していた。全くタイプが違うダンサーとの調和も、彼女であれば可能である。
また、第三幕のヴァリエーションは、かわいいマジャール猫ちゃんで、強力な後脚技!強く上手く可愛かった。これは特別賞ものである。キャラクター的に完璧に合致し、彼女ならではの特技を見せつけられては、普通に実力があるダンサーのレベルでは太刀打ちできない。
適合するキャラクターの問題か、主役起用にはならなかったが、全公演、猫耳つけて出演し、名を捨てて実を取った感じか。

7-2.渡辺与布
ワルイ子サラセン人は、本当にワルイ子ちゃんで、他方明るく楽しそうに踊っていて惹きつけられる。
第一幕第一ヴァリエーションは、前半は頑張っていたが、後半のアレグロで総崩れになってしまった点は残念であり、飼い猫に部屋を散らかすイタズラをされた飼い主のような気持ちになる(こういう憎めない気持ちにさせられるのは、彼女独特の人徳であろう)。
年単位では、徐々に上手くはなってきているとは思うが、現時点で主役は難しい。キャラクター適合面では、いい子ちゃん役もワルイ子ちゃん役も絵になるオールマイティーさがあり(その意味では、米沢唯・小野絢子と同じ性格を持っている。柴山紗帆(いい子ちゃん)・池田理沙子(お転婆娘・人形が中核。いい子ちゃんにもウイングを広げている)・木村優里(ワルイ子S嬢)、いずれもそれぞれ適合するキャラクターに偏りがあるのとは対照的)、主役候補としては有利でありながら、これを活かせていないのは惜しい。柴山紗帆・池田理沙子・奥田花純・五月女遥、誰か一人でいい、彼女らと同じレベルまで技術力を上げて欲しい。困難ではあるが、達成すれば主役への道が開け、隠れファンたちが大手を振って顕在化するものと思われる。

7-3. 今村美由起・木村優子・関晶帆・原田舞子(あいうえお順)
新国立劇場バレエ団には コール ド バレエ にもスターがいる。第一幕ワルツファンタジアで、かわるがわる彼女らが姿を見せるシーンも、夢が現に顕れるハイライトの一つであった。

8.指揮・管弦楽
バクランの指揮に東京フィルハーモニー交響楽団の管弦楽が熱く応えた。管弦楽にミスは散見されたものの、これだけの熱い演奏であれば、大目に見たい。演奏自体の完成度は、6月11日公演が一番であったか。

9.意見事項
下記の通り意見する。
・ライモンダ役は、木村優里の枠を小野絢子に充て、小野絢子の公演を2公演にするべきだったと強く表明する。
・現状では、数年後に重要脇役を担うソリスト級ダンサーがスカスカとなり、公演のレベルに致命的な影響を与える状態となる。国外バレエ団からの帰国組にも触手を伸ばすなど、25歳前後までの強力な若手の補強が急務である。

2021年5月19日水曜日

新国立劇場バレエ団「コッペリア」2021年5月 観劇記録

 2021年5月2日(日)から8日(土)にかけて、「コッペリア」が新国立劇場バレエ団により上演された。

4月23日に発表された緊急事態宣言に基づき、無観客公演を余儀なくされ、予定されていた5公演のうち、5月1日(土)公演は中止となり、残りの4公演は無料動画配信された。

このレポートは、無料動画配信によるすべての公演を対象とする。

なお、最近の他公演を踏まえた記述については、当該公演を観劇したワルイ子諜報団(ワルイ子東京城西、ワルイ子北陸)からのレポートをも参考にした。


1.概観

ローラン プティ版によるもので、実上演時間が90分強の規模の短めな作品となる。2日、4日、5日、8日と、上演+動画配信 されたことにより、全てのキャストをリアルタイムで視聴が可能となった。

振付指導者であるルイジ ボニーノは来日できず、リモートでの指導となった。

この版での新国立劇場での初演は2007年5月であり、前回は2017年2月の上演であった。約4年ぶりの上演となった。

これまでなかった、木村優里-福岡雄大、小野絢子-渡邊峻郁の組み合わせも注目されるところであったが、残念ながらその成果は乏しいと言わざるを得ない。

公演レベルは、特殊演目に関わらず、基本的に各ダンサーの地力が反映されたが、観客の一般的なウケの面では特殊要素が働いた面もあった。


2. スワニルダ役について

2-1. 米沢唯

第一幕では拗ねてる表情が可愛らしいが、第二幕で人形の服を着ている場面では、黒の衣装も相まって、(ロシア風という意味でもなく、古典バレエ風と言う意味でもなく)オディールがコッペリアに化けたように思わせる。いい子ちゃんだかワルイ子ちゃんだか分からない、女性のミステリアスな性格を表され、ある意味マノンをコメディー化したかのようでもあった。

他方、民族舞踊や古典バレエの様式を強調する場面(第一幕6人の友人たちと絡む箇所でのアレグロのソロや、第二幕のフェッテを含めた終盤)でも、見事な完成度であり、上肢の長さを活かしたスケール感もあった。

2-2. 木村優里

弱点をかなり消せる修飾が効く演目ではあるが、それでも弱点は覆い隠せなかった。

総じて彼女にとっては、他演目と比較しかなり有利な展開ではあったが、それでも、古典的な技巧を必要とする箇所の弱さが目立った。

有利な点は下記。

i. 古典演目で見られるような定型的振付が希薄であり、バレエの定型的な技巧の巧拙が問われにくい

ii. 実演ではなく、動画配信でありアップにより顔の表情が強調された。可愛さを顔芸で実現する成果が配信先に届きやすかった

iii. 小顔体形が衣装とマッチしており、長い四肢がもたらす映えた見た目も、このプティ版にあっては極めて有利

これら三点が相まって、地力を上回る評判を得がちな有利な状況となった。一般受けが良かった理由は、この点からも説明できる。確かに、顔芸については命を懸けたかのような気合が入っていた。予想を超えて「可愛さ」アピールに成功したとは言える。

しかしながら、古典的な技巧を必要とする箇所は本当に弱い。

具体例としては

i. 第一幕後半の、6人の友人たちと絡むところのアレグロのソロ。

ii. 第二幕終盤のフェッテの前辺り。

これら古典的な技巧を必要とする場面では、ちゃんと踊れていなかったり、所作が何となく綺麗でなかったりした。また、民族舞踊の箇所は全キャストを通じて最も弱かった。

これらは常日頃から露呈している弱点が再現された。

木村優里のアレグロの弱さは、例えば2021年4月10日「白鳥の湖」公演に於けるルースカヤ役ソロの後半でも指摘できる(ワルイ子北陸からの情報提供)。

また、何となく所作が美しくない点についての弱点は、2021年2月の「眠れる森の美女」公演でのアウロラ・リラ両役で露呈した通りである。(ワルイ子東京城西から情報提供)

扇を飛ばしたり、瞬きをしたことについては、他が高い水準であれば目をつぶるが、このような「顔芸バレリーナ」ぶりを見ると、気になってきてしまう。まだワカイ子であり、体が思い通りに動かせるはずの年頃でこの出来では、先が思いやられる。

2-3. 池田理沙子

第一幕では、彼女が得意とするはずの「お転婆娘」が不発気味であり、本領を発揮していない感があった。体格の不利さをカヴァーしにくい版も影響しているのか?それでもアレグロのソロはキッチリこなしており、無難に終わった。

池田理沙子の本領は第二幕で発揮された。特に民族舞踊や終盤の場面は素晴らしい。基本的には米沢唯の方向性だが、米沢唯的マノン路線よりは、カワイコいい子ちゃん と 気の強さを出した表情でコントラストを出した路線であった。

2-4. 小野絢子

体格の不利さを感じさせる面が皆無ではないが、大原芸監時代からの「絢子ワールド」を、高い完成度で示し、立派な成果を残した。


3. フランツ役について

3-1. 井澤駿

「眠れる森の美女」降板の原因となった怪我の影響があるからか、安全運転気味であった。ソロの場面で見せ場を作ることはなかったが、それでもサポートは盤石であった。

3-2. 福岡雄大

コロナ禍以降、これほどまでの絶好調ぶりは見たことがなかった。ソロでの切れがある豪快さや、コッペリウス役山本隆之とのコンビネーションが光った。また、特に第一幕でのイタズラ好きな子どもっぽさの表現も見事である。フランツ役でダントツの成果を上げた。

3-3. 奥村康祐

キャラクターと合致しており、フランツの馬鹿っぽさを的確に表現した。福岡雄大に準じる成果を上げた。

3-4. 渡邊峻郁

キャラクターと全く合致していないこともあるが、全般的に演技が不自然で、フランツの馬鹿っぽさ、いたずら好きな子供っぽさを全く表現できていなかった。また、第一幕ではリフトサポートした小野絢子の挙動を乱し、サポートのスタビリティーが欠如していた。これは主役級の男性ダンサーにとっては致命的である。第二幕放り投げの場面は、落としそうとまでは思わないが、予告編で流れた2017年2月公演での福岡雄大によるものとは決定的なまでの安定感の差があった。

これまでの公演では、ここまでサポートの弱点が露呈したことはなかったが、サポートされる側の米沢唯が超絶補正していたからなのか?

また、第一幕幕切れの後ろ足は、とても綺麗とは言えないものであった。

小野絢子ファンから怨嗟を浴びてもしょうがない内容で、ファーストキャストにするべきではなかった。

第二幕終盤のソロで、難易度の高い技に挑戦した意欲は買うべきなのか?しかし、完成度の低さをしっかりと指摘するべきなのだろう。


4. コッペリウス役について

4-1. 中島駿野

かなりの頑張りが見受けられた。高い演技力を示し、初役にしては上出来であろう。

4-2. 山本隆之

元プリンシパルでもあり、卓越した演技力であった。人形遣いのサポートが実に上手い。


5. スワニルダの友人たち

ファーストキャストの中核を担った、柴山紗帆と細田千晶が素晴らしい。両者が小野絢子の脇を固めるシーンは絵になる。全体との調和を踏まえつつも、両者の強い基礎力が舞台に圧を与える。

セカンドキャストの廣川みくり は悪目立ちをしており、調和していなかった。

ファーストキャストとセカンドキャストとの差は、舞台から強い圧を発せられるか否かの面で決定的であった(当然ファーストが素晴らしい)。


6. 意見事項

下記の通り意見する。

・明らかに渡邊峻郁はファーストキャストの器ではなかった。

・小野絢子-福岡雄大、木村優里-渡邊峻郁のコンビであった方が、前者による傑出した成果が出せた可能性が高かった。公演レベルの平準化よりも、傑出した成果を狙うキャスティングを願いたい。


7. 一部の「クラスタ」に対する批判

このプティ版「コッペリア」に対しては、一部の「バレエクラスタ」(自称「評論家」「ライター」も含む)による偏見に満ちた不公正な論評が露呈しているように思われる。

自爆言語は「フランス」「フランスの風」「プティ」「プティ風」「演技力」「演技派」だ。その辺りを強調している人物に限って、ピント外れな評を表明し、中途半端に持つ発言力とともにバレエ界に対して害悪をもたらす。

もっと分かりやすく言うと、小野絢子推し且つ木村優里推し且つ渡邊峻郁推し(且つ米沢唯アンチ、この辺りは「クラスタ」内部でも差異がみられるが、古典演目では絶賛していても「コッペリア」に関してはアンチになってる事例が多い)且つ池田理沙子アンチ。(カワイイからユルイ木村優里ファン程度の方は、特段有害ではない)

まずは「フランス」や「プティ」の定義をすることが先決である。フランス風ではないとか、プティ風ではないと主張するのであれば、「フランス」「プティ」の定義をきちんと行うべきだ。

管見では、「フランス」なり「プティ」を体現しているのは、プティ自身によるコッペリウスくらいである。その意味では、プティ自身の公演以外は認めないという立場は、賛否はともかく、論理的には一貫性がある。

しかしながら、プティ芸術監督時代のマルセイユ国立バレエ団でスワニルダを演じたダンサーからして、エウスカディ人(バスク人)・カザフ人・英語圏カナダ人もおり、全く「フランス」的ではない。

それに、プティ自身によるコッペリウスも、「1970年代フランス」の体現であり、車に例えれば シトロエンDS のようなものである。現在のフランス車がドイツ車と区別できないのと同じように、現在のパリ国立オペラバレエ団のエトワールでさえも、プティの存在感は出せないであろう。当然ルイジ ボニーノなど、プティの後継者に全く値しない。

プティの死去とともに、プティ版「コッペリア」の在り方は時間の経過も相まって変容していくのは当然である。ロクでもない振り付け指導者がリモートで指導となれば、尚更だ。そのような文脈を基に、公演の評が為されなければならない。

池田理沙子のスワニルダに対して「学校的」と評した者がいた。第一幕だけならまだ理解できるが、第二幕を併せた場合にその評は失当である。百歩譲って、池田理沙子を「学校的」と評するのであれば、木村優里に対しては「学校的な水準にも達していない」と酷評するべきである。その評者は、渡邊峻郁に対してはあれ程までの低水準なパフォーマンスでありながら贔屓目な評を出している。そのような恣意的な評を発している者が、フランスバレエの理解者面し、恣意的な評価をしているのは有害である。その信奉者もまた有害であるが。

渡邊峻郁に対し「演技派」と評する者がいた。あのフランツの演技に対して「演技派」と評するのは笑止である。私にとっての彼の評価は、これまでは、女性主演ダンサーを邪魔することなく無難に演じるダンサーであったが、そのような信頼すら失墜する今回の出来であった。なお、私は本島美和以外を「演技派」とは言いたくない。

米沢唯の公演の後で「フランスの風を吹かせて欲しい」と言っておきながら、渡邊峻郁に対しては「フランスで踊っていた人でもあるし不満はなかった」と訳の分からない理由で擁護した自称「評論家」がいた。自称であれ「評論家」がそのような著しく偏った言説を発するのは公益に反するので、そいつの名前だけは公にする。門行人である。

David Mead は米沢唯を、Paul McInnes は池田理沙子をきちんと評価している。特に後者は、プティ版について嫌悪しつつも、公演水準は冷静に評価している。好き嫌いと良し悪しとを、きちんと区別しているし、「フランス(風)」「プティ(風)」には触れていない。当然、下手な日本人「クラスタ」が陥る罠に嵌まらない。外国人の方が余程マトモじゃないか!

自分の好き嫌いで、良し悪しを言うのは害悪である。下手な日本人「クラスタ」が言うところの「欧州人は大人」的な出羽守言説など、存在するに値しない。当該「クラスタ」に該当する者には、猛省を促したい。

2021年3月13日土曜日

新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」(2021年2月公演)ワルイ子諜報団 座談会

 2021年2月20日から23日まで、新国立劇場にて上演された、新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」についての座談会。

この公演については、あきらにゃん が長野県外に出られない事態になったことを踏まえ、「ワルイ子諜報団」工作員「ワルイ子東京城西」に対し、無償にてチケットが譲渡され、対価としてレポートが あきらにゃん に対して送付されることとなった。

今回、レポート提出の際に座談会を当方から申し入れたところ、ワルイ子東京城西 の快諾があり、座談会が実現できた。その内容をここに記したい。


以下)あ:あきらにゃん(司会)、 東:ワルイ子諜報団「ワルイ子東京城西」


1.レポートについて

あ:男性ダンサーについてのコメントがないが、どういうことなんだい?

東:オトコは知らね。ただそれだけ。

あ:それでも、なにがしかコメントの一つくらいあるやろ?

東:うん。速水渉悟くんは一枠でいいから早急に主役につけて、主役慣れさせるべきだね。あと、プロローグでの7人のカヴァリエは素晴らしい。揃い方が自然な感じなのもいい。


あ:今回、優里りんについてだいぶ厳しいが?

東:私もこれまで初台で何回も観劇してきたけれど、もう彼女に いい子ちゃん役 をやらせるべきではないと思う。向かないのに主役を含む大きな役を割り当てられて、逆に可哀そう。

あ:かつて、優里りんシンデレラ拝見したことがあったけど、正直シンデレラ役、優里りんは似合わないのだよね。その違和感がさらに表面化しているような感じなのかな?


2.いい子ちゃん役 についての議論

あ:バレエに於ける いい子ちゃん 役に求められる要素を最近考えます。

東:米沢唯ちゃんは「正しいポジション、美しいつま先、手先、そこにオーロラ姫のキャラクターが生まれてくる」(テアトレ誌2021年3月号通巻292号7頁、新国立劇場運営財団発行)と言っている。ポジションとポジションとの間は自由にとも発言しているけど、やはり いい子ちゃん の基礎には様式が伴うのだと思う。

あ:正しい様式による美しさがあっての いい子ちゃん だと。

東:そう。おそらく各コンクール受賞時点では未確立で、バレエ団に入り、実演と優秀なバレエミストレス/マスターの長年に渡る指導、各ダンサーの研ぎ澄まされた感覚により、年単位で確立していくものだと思う。

あ:「心を込めた演技」だとか「入魂の演技」だと勝手に観客が思う踊りは、実のところダンサーはこんなことを考えてはいないかと。「心を込め」れば上手くいくのであれば、誰も苦労しない。

東:瞬間瞬間で、体のそれぞれのパーツがどの位置になければいけないかと言った精密な作業の積み重ねなのだろうね。「心を込める」のではなく、感覚を研ぎ澄ませて精緻にコントロールしていく感じなのだろうなと、私は思っている。特に、今回のアウロラの第二幕の幻想のソロや、「ドン キホーテ」でのドルシネア姫で、その辺りが問われるような気がする。

あ:リラ役も、様式美が問われそうですね。

東:多くの観客が、リラとカラボスとの対決を「スケバンのタイマン」と勘違いしていることは嘆かわしい。ツイッターで「バレエに詳しい風」を吹かせている「大御所」「重鎮」含めて、その勘違いが蔓延している。リラ役は、優美さや慈愛、気品が基盤となる。毅然とカラボスと対峙する場面でも、これら三つの基盤を観客に伝達されなければならない。善とはそういう存在。

あ:その優美さや慈愛や気品を表現するのには、やはり様式美を正確に実現しないといけないのだよね。

東:その辺り、唯ちゃん絢子さん千晶さんは高いレベルで実現できているし、典型的お嬢様の紗帆りんがリラ役に充てられても同様だと思う。理沙子ちゃんはお転婆娘だから、リラ役が似合うかどうか疑わしいが、踊りの方向性は真っ当なので、アウロラは大丈夫と推察する。

あ:その辺り優里りんが・・・バレエ的にグレちゃっていると。

東:そういうこと。唯絢子千晶紗帆理沙子さんたちが地道に努力してやっていることを、やっていないのではないか?多分、努力の方向性を間違えていると思う。顔芸を凝らせて糊塗しようとしていたり。


3.唯ちゃん絢子さん以外のアウロラは誰が良かったのか?

あ:今回、優里りんはダメだったらしいけど、誰だったら良かった?

東:まず、4公演しかないのであれば、唯ちゃん絢子さんにそれぞれ2枠を与えるべきだったと考える。残念ながら、私は過去公演の理沙子ちゃんアウロラを観ていないので、優里りんを理沙子ちゃんに替えるのが妥当かは判断できない。

あ:それでもサードキャストを組むとしたら?

東:若手の三人でキャストを組むとするなら、アウロラ理沙子、リラ紗帆、カラボス優里で決定だな。

あ:私も同感です。

東:ていうか、リラは千晶さん紗帆りんのダブルキャスト、カラボスは美和りん優里りんのダブルキャストにするべきだったと思っている。

あ:今回のキャスティングとは方向性が違うが?

東:三つの問題がそれぞれ絡み合っていると私は思っている。第一に、近いうちに引退する世代と、現在育成するべき世代の問題。第二に、優里りんのキャリアパスの方向性の問題。第三に、新国立劇場バレエ研修所や牧麻佐美研修所長のメンツの問題。


4.若手育成の問題

あ:今の、第一と第二の問題は、若手育成の問題と整理することが可能であると思うが。

東:そうだね。近いうちに、研修所1期生と2期生は引退の時期を迎える。美和りんの引退が迫っているし、美和りん引退の二年後には2期生が引退となる。美和りん千晶さん亜沙子さんの穴をどう埋めるか?

あ:亜沙子さんを ワルイ子ちゃん にしようとバレエ団は考えているようであるし、亜沙子さんなら一定の成果は期待できると思うが?

東:確かに亜沙子さんならできるけど、でも、美和りんの穴を二年しか埋められないから、応急手当に過ぎないのだよね。

あ:そこで、バレエ的にグレちゃった優里りんを ワルイ子ちゃん に転向させようと!

東:成功するか否かは不明だけど、有望だと思う。上手くいったら、今後10年以上に渡って ワルイ子ちゃん は安泰となる。

あ:千晶さんのポジションは紗帆りんがしっかり引き継げると思うが。

東:これは確か。しかし、先ほど私が「アウロラ理沙子+リラ紗帆+カラボス優里」のキャスティングを言ってみたけど、その次の世代のキャスティングが全く考えられない状態となった。

あ:これが新国立劇場バレエ団の時限爆弾になっているんだよね。主役サードキャストから準主役級がかなりヤバい状態。現在は、千晶亜沙子紗帆理沙子の「いい子ちゃん四人組」で盤石な状態だけど、千晶さん亜沙子さんが引退したら一気に瓦解する。

東:理沙子ちゃんを2016年9月に入団させて以来、その次の世代のダンサーを全く考えず、いつの間にか五年経過しようとしている状態だからね。

あ:誰を紗帆理沙子の後について来させるかは吟味しないといけないのだよね。現在のファーストアーティストの方をソリストに昇格しても、年齢的な面で応急手当にしかならない。コロナ禍を逆用して、国外バレエ団から移籍を充てにしても、30歳前後だとやはり応急手当にしかならない。現在20歳代前半が、本来あるべき次世代のダンサーなのだけど、ファーストアーティスト階級には誰もいないし、研修所でも養成できていない。なので、前二者の応急手当で、千晶さん亜沙子さんの穴を埋めるのだろうなあ。


5.新国立劇場バレエ研修所の問題

あ:新国立劇場はバレエ研修所を持っているので、有利だと思うが。

東:劇場がバレエ研修所を持っているのは必要なことだと思うし、一見有利に見えるのだけれど、現在のバレエ研修所は機能不全に陥っていると思う。6期生修了とともに存在意義を廃したと言ってよい。

あ:小野絢子さんを輩出した後、ファーストアーティストまで昇格しているのが6期生辺りまで。それ以降は、優里りん以外全員アーティスト階級だし。

東:まともなソリスト育成機能を完全に喪失しちゃったのだよね。期待の星だった優里りんがバレエ的にグレちゃったから、絢子さんを最後にソリスト育成は終了したようなもの。研修所のセンセ大丈夫なのか?ちゃんとしたセンセ雇っているのか?

あ:紗帆理沙子と、(一見「デュオ」出身のように見えるけど、実際は)国外バレエ学校で堅実なソリストを育ててもらっているようなもの。

東:優里りん、どうしてアウロラとかリラとか、彼女に向かない いい子ちゃん にキャスティングしているのだろう?

あ:ここから先は、陰謀論であることを願って話してみるけど、木村優里をプリンシパルにしないと、バレエ研修所の存在意義をアピールできないからじゃないの~?牧阿佐美研修所長が上層部を使って みやこちゃん に圧力を加えていたりして。そんな疑惑を持っちゃうよ。冗談だと信じたいけど。

東:もし本当に、バレエ研修所のメンツのために、牧阿佐美研修所長のメンツのために、木村優里を主役(≒いい子ちゃん)に充てているのだとしたら、優里りんにとっても不幸だし、本来割り当てられるべきダンサーにとっても不幸だし、観客にとっても不幸だよね。

あ:そう、真っ当に努力している他ダンサーも犠牲になるし、公演内容にも影響してしまうのだよね。

東:大体さあ、バレエ団とバレエ研修所、同じ方向向いているの?研修所入試の際に、みやこちゃん 参画しているの?

あ:先日の21/22シーズン説明会の際に記者からの質問に対する回答で、バレエ研修所は みやこちゃん の管轄外だと話したみたいだね。バレエ団のダンサー養成計画に基づいて、研修所のカリキュラムや入所学生の選抜を行うべきなのに、完全にバラバラ。数年に一度のマトモなソリスト養成すらできないようでは、バレエ研修所の解体論がそのうち出てくるのではないのかな?


6.カーテンコールについて

あ:深刻な話題になってしまったけど、「眠り」の公演に戻ろう。カーテンコールはどうだった?

東:千秋楽は知らんけど、千秋楽以外では、やはり唯ちゃんの時が一番盛り上がっていた。てか、当然のことながら、本番の時から興奮度が高い状態だった。

あ:原因は何だったのやろ?

東:唯ちゃんの演技自体の強さと見事さ。それに、一公演しか割り当てられていないことへの同情もプラスされていたのではないかと思う。唯ちゃんファンはお互い仲悪くてバラバラだけど、血気盛んな人たち多そうだしね(笑)。あと、唯ちゃん唯一の公演が第三公演だったのも、良かったのかも知れない。初日第一公演は、観客が模様眺めで冷淡な反応になりがちだから。あと、脇が公演を重ねるごとに盛り上がっているし。

あ:その意味では、ファーストキャストだったけど初日だけのアウロラだった、2018年6月公演より好条件だったのでしょうね。それだけが唯一の救いだったのかな。

あ:唯ちゃんは、後ろ盾が誰もいないしね。研修所出身でもなければ、牧系の教室出身者でもないし、首都圏出身でもないから、チケット購入する(出身バレエ教室等の)組織票もない。本人の実力だけで今の地位に就いてその座を守っているのだからね。そんなバレエ外の要素で応援している訳ではないけれど、一応このことは頭の中では常に意識している。


あ:では、そろそろ座談会終了しましょうか。お時間作って下さり、ありがとうございました。

東:同志との語らいほど楽しいものはありません。これからも、誰も言わないことを言い続けていきましょう!


参考:新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」2021年2月 観劇記録↓

http://ookiakira.blogspot.com/2021/03/20212.html


2021年3月11日木曜日

新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」2021年2月 観劇記録

2021年2月20日(土)から23日(火)にかけて、「眠れる森の美女」が新国立劇場バレエ団により上演された。

当方、東京都内の新型コロナウイルス感染状況悪化のため観劇できず、「ワルイ子諜報団」の仲間である「ワルイ子東京城西」にチケットを無償譲渡した上で、レポートを依頼した。以下、その記録である。

なお、このレポートは、2月20日(土)公演、21日(日)昼公演・夜公演の三公演のみを対象とし、2月23日(火)千秋楽公演は対象としない。


1.概観

2021年2月20日にマチネ一公演、21日にマチソワ二公演、23日にマチネ一公演と、短期集中公演であった。そもそもが「吉田都セレクション」の上演が不可能になったことにより演目変更をしたものである。

通常下位階級が演じる役に主役準主役級のソリストが充てられた点で、ダンサー不足が露呈した感が強い。第二幕「貴族たち」では、新国立劇場バレエ団創立時から踊り続けてきた丸尾孝子も登場し、「村人たち」では、超豪華メンバーと登録アーティスト(新人)とにより演じられた。群舞をもきちんと踊れるソリスト級が、下位階級不足のあおりを受けて群舞の要素が強い役に割り当てられた、逆の言い方をすると、ソリスティックな役が充てられない形となったようにも思える。新国立劇場バレエ団では、フロリナ王女役は主役級を充てているが、池田理沙子と柴山紗帆をフロリナ王女役としたのは、バレエ団なりの、彼女たちへのせめてもの誠意か。

2014年のイーグリング版初演時以来の主演ファーストキャストは米沢唯が担当したが、今回の公演群では小野絢子に変わった。そもそも2月公演は小野絢子推しの予定であったのか(10月1月6月は米沢唯推しで、12月2月5月は小野絢子推しとして、バランスを取ってる感がある)?ファーストセカンドについては議論の余地があろうが、公演結果からすれば、米沢唯と小野絢子それぞれ二公演の上演で行うべき内容であった。米沢唯が一公演のみの割り当てとなった点については、別項の不当事項にて指摘したい。


2.今回の公演群で最も貢献したダンサー

・米沢唯(アウロラ)

・本島美和(カラボス)


3.ある公演で最も貢献したダンサー

・細田千晶(リラ)2021年2月21日(日)昼公演


4.アウロラ(オーロラ)役について

1位:米沢唯、2位:小野絢子 の順であった。この二人だけが、主演者としての力量を発揮した。


5.米沢唯

米沢唯のアウロラは、少なくとも第二幕・第三幕では、これまでの新国立劇場の歴史に残る決定的な名演であった2017年5月6日公演の水準を上回った。若干硬さが見られた第一幕に於いても、ローズアダージョでの手放し時間が最長であるなど、素晴らしい内容であったが、第二幕・第三幕は絶好調と言えるもので、理想的な形で演じられたものと察する。極言すれば、「眠り」で殊更に大きく取り上げられるローズアダージョで失敗しても痛くも痒くもない。第二幕第三幕で取り戻せる。ローズアダージョはハイライトでも何でもなく、単なるエピソードだと思えるものであった。

この公演でまず盛り上げたのは、第二幕の幻想のソロであった。厳粛な場面で、コントロールを繊細かつ高度に効かせて格調高い表現を実現し、この眠気が襲ってくる場面で観客の意識を集中させ、美しい踊りに酔わせた。

他方、第三幕のグランパドゥドゥでは、舞台奥方から上手側を半円状に回り下手側前方に至る場面で、息が止まるほどの見事な演技であった。一回速度を落として回り、元のテンポに戻した後、二つか三つほどの高度な装飾を交えたものである。米沢唯の踊りの強さであれば、単に一定のテンポできれいに回りながら終えても観客を興奮させ、絶賛されるところであるが、予想を裏切る高度な装飾により、新国立劇場の歴史に残る特別なグランパドゥドゥとなった。


6.本島美和

最強のカラボスであり、負けるのが信じがたい程である。彼女のカラボスはいつでも最良のカラボスであるが、特に2月21日夜公演のカラボスは、命懸けと思えるほどの渾身の演技であり、笑ってしまう程のコワイ悪役を演じているのにも関わらず、涙腺が潤みさえするものであった。年齢や今後の上演演目から察するに、本島美和にとって最後のカラボスであったことも、渾身の演技に繋がったのかもしれない。この公演で、米沢唯(アウロラ)と二人で歴史的名演を構築する姿を見れたことは感慨深い。

他方王妃役では、寺田亜沙子演じるカラボスにイジメられる際の困惑した表情や、紡錘を持った少女たちの赦免を王に迫る場面での妖艶さに惹きつけられた。


7.細田千晶

リラの役で涙腺が潤むとは思わなかった。細田千晶のリラは、気品と慈愛に満ちている。他方第一幕で、呪い掛け放題のカラボスの前で「やめなさい」と両手を横に出すマイムとともに、上手側奥方に登場する場面では、威厳すら感じられる。カラボスとの対決の場面でも、上品さを失う場面は全くなかった。妖精や付き人との群舞の場面では、完璧な調和の上に、真ん中であるリラとしてのあるべき存在感を示した。プロローグ終了の時点で、寺田亜沙子が演じるカラボスが敗色濃厚となる説得力は、(たとえ寺田亜沙子との八百長・・、じゃなかった、綿密な演技面での打ち合わせによるものであったとしても)驚異である。まさにリラ役の模範であり、絶賛に値する。細田千晶を超えるリラ役(と「森の女王」(ドン キホーテ))は、新国立劇場バレエ団の中にはいない。


8.小野絢子

今回の「眠り」にて、スタイルが大幅に変わった。繊細さの他方で、踊りの弱さが物足りなかった「絢子ワールド」は消滅し、踊りが強くなった。幸せな変化であり、米沢唯とともにプリンシパルとしての格を示した。


9.池田理沙子

今回の「眠り」ではキャスティングに恵まれず、内心思う所はあったようにも思える。それでも誠実に全ての役に臨み、フロリナ王女の役では鳥に思える箇所もあり、素晴らしい出来であった。


10.柴山紗帆

フロリナ王女は、池田理沙子とは別の意味で素晴らしい。宝石では速水渉悟との相性が良かった。今回リラ役への割り当てはなかったが、細田千晶の後を継ぐ筆頭候補者であると考える。


11.奥田花純

勇敢の精・エメラルドのような、音が多く踊りが詰め込まれている役のエキスパートであり、両方とも実に見事である。このような役(他には、秋の精(シンデレラ))では、基本的な地力がある優れた踊り手のレベルよりも、一日の長があるところを示している。


12.木村優里

アウロラ役もリラ役も、求められる標準的な水準に達していない。概して、踊り自体が何となく美しくない。役に求められる要素を理解しないまま、自己流(=自分勝手)にいろいろ考えて好きなように踊っているだけの印象である。

アウロラ役については、冒頭長い四肢を見せつける箇所の掴みは良いと思うが、その程度である。彼女にとって、ローズアダージョさえ目立った失敗なくできれば、得意満面だったのだろう。いつものように、ごく普通に踊っている箇所が何となく美しく決まらないが、その弱点が、特に第二幕の幻想のソロで露呈した。ただ単に振りをさらっているだけで、何も訴えてくるものがない。どうしてデジレ王子は、細田千晶のリラにお乗り換えしないのだろうと思うほどである(そのくらい、細田千晶リラに負けていた)。観客に「心が入っていない」ように思わせるのは、「この瞬間はこのようでなければならない」という研ぎ澄まされた感覚、あるいは、様式についての考慮が全く欠如しているからではないか?当然、米沢唯・小野絢子と比して著しい差がついている。米沢唯からアウロラ役の貴重な一枠を奪う正当性は全くなかった。これでは、米沢唯ファンから怨嗟を投げつけられても仕方あるまい。

他方リラ役も、プロローグで納得できる所作が見当たらない。本島美和が演じるカラボスと全く拮抗できていない。カラボスとの対決のアプローチは「スケバンのタイマン」であり、リラ役に求められる気品や慈愛が完璧に欠如している。正統的なアプローチを採らないのであれば、正統的なアプローチを凌駕する天才的な閃きで観客を納得させるしかないが、そのような力量は木村優里にはない。

また、群舞が出来ない弱点も露呈している。2月20日公演では、プロローグで、下手から上手へ妖精とリラの7人が順次踊った後で、ユニゾンにより7人で決める所で、木村優里だけが完璧なまでに遅れた。音感が悪いのか?自分勝手なのか?は不明である。遅取りであるとは承知しているが、その箇所は群舞モードに切り替えて、他の六人のダンサーと合わせるべきところである。(もっとも、2月21日夜公演では、その場面は是正された。相当強く指導者から指摘を受けたと思われる)

新国立劇場バレエ団は、プリンシパルに至るまで群舞がきちんとできることが特色であり、だからこそバランシン作品でも高い評価を受けてきた。その伝統を、木村優里は引き継ぐつもりはないようだ。今シーズンは、プリンシパルへの昇格に向けての最終考査であるかのような木村優里のキャスティング(かなり優遇されている)であるが、今の技量でのプリンシパル昇格は適切ではない。

不思議なことに誰も表立って言わないのであるが、木村優里にはカラボスが向いているのではないか?木村優里はバレエ的にグレてしまっており、正統的なバレエの様式を実現させなければならない いい子ちゃん 役は向いていない。グレてしまった以上、ワルイ子ちゃん役に転向した方が良いキャリアを積めると思う。凝った顔芸をやりたがる面も、プラスに働くかもしれない。育成が順調に進み(本島美和の引退に間に合うのが理想)、当たれば、今後10年以上にわたりワルイ子ちゃん役は安泰となる。向いていないアウロラやリラの役を割り当てられたのは、彼女にとっても不幸な話である。王道を歩めないのであれば、邪道を究めるのが、希望が持てる選択肢なのではないか?


13.不当事項他

下記の通り、不当事項を指摘するとともに、意見表明する。

13-1.不当事項

・アウロラ役に米沢唯を二公演割り当てなかったことは、明らかな不当である旨指摘する。

13-2.意見事項

下記の通り意見する。

・アウロラ役は、米沢唯・小野絢子、それぞれに二公演割り当てるべきだったと強く表明する。

・議論の余地はあるものの、アウロラ役のファーストキャストは、やはり米沢唯であるべきだった。

・リラ役は、細田千晶のような、気品と慈愛を醸し出せるダンサーに割り当て願いたい。


参考:新国立劇場バレエ団「眠れる森の美女」(2021年2月公演)ワルイ子諜報団 座談会↓

http://ookiakira.blogspot.com/2021/03/20212_13.html