2020年11月16日月曜日

新国立劇場 新作曲オペラ「アルマゲドンの夢」観劇記録

新国立劇場 新作曲オペラ「アルマゲドンの夢」観劇記録


(東京の新型コロナウイルス蔓延状況のため、私は観劇が叶わなかった。チケットを「ワルイ子諜報団」に無償譲渡の上、レポートを求めた。下記がそのレポートの内容である。)


【以下ネタバレ注意】


新国立劇場は、2020年11月15日(日)に、藤倉大による第三作目のオペラ「アルマゲドンの夢」の世界初演を果たした。

この「アルマゲドン」上演に際しては、歌い手の外国人ソリストはもちろんのこと、演出の Lydia Steier も来日後二週間の自主隔離の上で、新国立劇場でのリハーサルに臨んだ。UK在住の作曲家藤倉大自身も、少なくとも世界初演には新国立劇場に臨席している。

冒頭の新国立劇場合唱団のアカペラからして素晴らしく、どのソリストも一定以上の高い水準であった。インスペクター(加納悦子)や冷笑家(望月哲也、歌もさることながら、ウザさの表現が特筆もの)も素晴らしく、このオペラの層を厚くした。その厚い基盤の上に、Bella Loggia 役 Jessica Aszodi、Johnson Evesham 役 Seth Carico の二人が傑出しており、役柄同様にこの公演をリードした。

Cooper Hedon 役 Peter Tantsits の声量は、特に前半は弱めで、Bella・Evesham役に喰われていたが、これは故意に弱めにしたのかも知れない。Cooperの平凡さを表すために。

原作は、H.G. Wellsの’A Dream of Armageddon’ であり、そのままである。大幅な読み替えは行っていない。それでも Harry Ross により下記の点で原作に手が入れられた。


・ファシスト組織 ’Circle’(サークル)の創作

・Cooper はリアルでは原作も平凡な男であるが、夢の中でも(元国家指導者から)小市民的な平凡な男となった。原作での、元国家指導者の営みに疲れ愛に生きる覚悟を決めた設定とは大幅に異なる。

・Bella については、原作の控えめな「ヒロイン」から対照的に、革命思想に目覚める、自立した女性像へ再構成された。事実上の「いい子ちゃん」側の主役である。

・独裁者Johnson Evesham 役(「ワルイ子ちゃん」側の主役)と、原作ではCooperの夢の聞き手役であった Fortnum Roscoe は同一の歌い手となる。

・原作では特段言及されなかった「神」についての言及が為されている。独裁者たちは主を蔑ろにしている。「神に教えてやる」とか「神の天使」(まさに偶像崇拝!)とか、とにかく「神」を利用している。ナチスドイツが日本にヒトラーユーゲントを派遣した際に、平気な面して神社を参拝させたように(偶像崇拝)、独裁者たちは主を利用するだけ利用して蔑ろにするのだ。

・インスペクターは「神の天使」の翼を付けている。しかしその翼は、独裁者により操作される代物だ。インスペクターの兄が「冷笑家」なのであろうか?その「冷笑家」は、どうも実は反体制派のために活動をしていたらしく、処刑される。「冷笑家」は婦人靴を履いている。その婦人靴を履いて処刑された姿でカーテンコールに登場する。それで、インスペクターは兄の行為により「神の天使」の座を独裁者により剥奪される。新たな少年兵が「英雄」になり、「神の天使」の翼を付けられる。その少年兵は、最後に Bella を撃つのだ。独裁者側についたとしても、自身の責任の範囲外にある何かのきっかけでその地位は剥奪される。UK在住者は皮肉が大好きなのであろうか?Harry Ross も藤倉大も、相当な皮肉屋であることは疑いがなさそうだ。


このオペラでは、主役は Bella と Evesham の二人であり、Cooperは平凡な小市民の設定となっている。このCooperは、昨今の社会に対する意識が低い大衆と同一と考えられ、この世界の一員である観客、ひいては民衆に対する批判の意図があることに疑いはない。Cooperは Bella の呼びかけに乏しい反応で、Bellaを見殺しにするのである。愛欲を満たしまくった Bella が、自由を求め社会に目を向ける姿へ変貌するのとは対照的だ。

終盤は悲しく、しかし興味深い場面である。Bella は少年兵により撃たれ殺される。その少年兵により、ソロのボーイソプラノが劇場を満たし、一見美しく無垢な歌声で「主への賛歌」を歌う。テキストを無視すれば、救われる結末とも解釈できるだろう。しかし、その歌詞の大意は、銃を私に授けてくれた主に感謝します、との内容だ。Harry Ross あるいは、藤倉大 による意図は、おそらく勝手に自分たちの都合の良いように「神」を使い「主への賛歌」を歌うファシストに対する皮肉なのだろう。少年兵は、素顔の状態では泣いている。しかし、‘Circle’の面を被った途端に、Bella を撃つ人格に変容するのだ。


紗幕と鏡とディスプレイとプロジェクターを用いた舞台装置は、実に見事である。紗幕の照射するプロジェクター照射は、実効プロセニアムの12mの高さではなく、15mを超えるであろうオペラカーテンの面積と同一だ。その縦の長さも生かしたプロジェクターが実に生きる。冒頭では、日本の国会で独裁者が演説する場面のプロジェクターも流れており、笑い事ではないのだが笑える場面もあった。

電車は、第一セリを用いて奈落から出し入れ、スライディングステージ機能を用い、電車が奈落にある間は舞台を前方に丸ごと移動の上、回り盆も用いるなど、日本では新国立劇場の他、びわ湖ホールや富山市芸術文化ホール(オーバードホール)と言った、第一級の設備を持つ劇場でなければ上演不可能であろう。セリと奥舞台がある欧州の劇場では、可能な劇場は多いと思われるが。


(2020年11月20日第二版追記)