2020年に於けるバレエ界のパワーワードとしては、下記の4つを挙げたい。
1. アタマからっぽの女 (2月)
2. 男性ダンサーを救え! (5月)
3. 美術スタッフが力を込めて作(った)模造品 (8月)
4. ЮСへの陰謀←拡散お願い!!! (2月-11月)
1. アタマからっぽの女
2月の某公演に於ける女性主演ダンサーAのアンチである観客Bのツイートの文言。
その公演は、世界中から様々な世界的メジャーバレエ団もが参戦している日本のバレエ公演の中でも名演と評されるもので、当該国立バレエ団の公演としては五年に一回レベルの名演と言えるものである。これは日本に於ける価値観にのみ合致したものではなく、人としての普遍性を帯びる意味で成功した公演であったことも、念のため付け加えたい。
アンチならアンチでそれはしょうがないと思うし、ファンになれよと言うつもりは全くない。無気力演技を見せられたのであれば、「アタマからっぽ」とブーイングしてもいいと思うがね。しかし、あれだけ高い水準の演技をして「アタマからっぽの女」とはね。
好みと内容の良し悪しとは別のもの、自分の好むスタイルの女性として演じてくれなかったのであれば、それを言うのはいい。その上でのベストは、内容面は別途検討した上で「好みではなかったが名演の一つと言える」とコメントを出すこと。まあ、そこまでは求めない。しかし「アタマからっぽの女」とまで言えば、それはそれで相当の反応は来るだろう。しかもBは、他カンパニーの特定のダンサーCを持ち出してまで、Cは「現代的で理知的」でありフェミニズムに則ってる(注:どこまで本当か疑わしい)と「正解」を規定し、Aはそうではないからとまで言って印象操作(かなり疑わしい見解)までしていましたし。
当然、違う観客Dの一人が反応し、公立劇場のプロデューサーEからの反応まであった。これらの反応は、規範となる解釈にAの演技がはまらないと批判している声があるとの一般的な指摘であり、その上でD、Eそれぞれの見解を述べるものであり、特段Bの見解をあげつらう意図はない。エアリプと言えばエアリプと強引に解釈しようと思えばできなくもないが、直接Bのみを対象に批判したり攻撃する意図はないものであった。この後、Bの仲間のFがDの本論を曲解して「批判」(実態は訳の分からない助太刀)するなど、どうしようもない展開が生じた。予想外の反応にビックリしたせいか、Bはずいぶんと気にされて、DもEも期待していないのに、いろいろ言い訳されていた。その後、BはAのアンチではあり続けているけど、Aについての言及はしていない。
要するに、Aに対してBが公言した内容が一線を超え、いろいろ反応があったら、やけにそれをBが気にし始め、お仲間のFが加勢するという意味不明な事態になったということだった。散々Aについてdisっておきながら(批判しておきながら)、これに対して批判されたら、「自分が好きなものは全員が好きじゃないといけないっていう同調圧力はおかしいと思うよ」と、自分が受けた批判の内容を 捏造改竄 して言い訳するの、ホント、ファシストの所業だと思う。
これとは別に、Bの言説はある意味興味深いものであった。その公演に於けるAとパートナーGとの在り方は、「役を演じる」のではなく「役を生きる」ものであり、リハーサルで一応構築した演技方針を本番で解体し、一方の演技がもう一方のパートナーの反応を新たに生じさせる螺旋階段をその場で構築したものであった。「役作り」という次元を超えた、「役を生きる」次元にまで到達したものであり、その在り方を「アタマからっぽ」とBが評するのはどうかと疑問を呈せざるを得ないが、まあBの見解を受け止めるとしても、であればAと同じ方向性の演技であったGについてもきちんと非難するべきなのに、非難したのはAの演技だけでGに対しては絶賛であった。フェミニズムを持ち出した割には、フェミニズムを求めている対象が女性だけという奇妙な形となった。
Dは「思い込んだH(役名)のイメージに合わないからと文句を言う。夢想の舞台ではなくいま見てる舞台から感じなきゃ。演者の個性もあるしね。正解は一つじゃない。」と発言されたが、蓋し名言である。「正解」と規定するCの残照(この残照はBが勝手に想像して作り上げたもの。Dの言うところ「夢想の舞台」。規範でも正解でもない点に注意)と比較してAを貶める意味は全くないし、不適当かつ不公正でもある。
結局、BはAをdisりたかっただけなのさ。基本はそこ。実質さんざんdisっているくせに、いろいろ逃げ道作って、単に「感想述べただけ」的に「いい子ちゃん」のふりをする。だったら、はっきりとアンチAと宣言した方がずっとマシだろう。
蛇足ながら付け加えると、一般的にAアンチの方々は、非常に欧米(あるいは欧州?)に対するコンプレックスが強いようにも思える。10時間以上かけて飛行機に乗り世界中のバレエ団の公演を観劇し、あるいは自宅等で動画をたくさんご覧になり、勉強熱心で感心だ。しかし、単に誰かを貶めるための材料にいろんな公演や動画を見ることにどんな意味があるのか?それも、目の前にある当該実演自体から何も感じず、何かの残照と「優劣」を比較するだけのお勉強に?いわゆる「演技力」信仰、「欧州は大人」信仰なのかも知れないが(子どもな欧州人も沢山いるだろに)、このような出羽守的な「信仰」に左右されることなく、目の前にあるものをちゃんと見ることから始め、その上で日本のバレエ団がどのようにあるべきかを考慮しながら、評なり感想を書くべきではないかなと、私自身は思っている。
2. 男性ダンサーを救え!
署名サイトChange.orgで、関西の舞台監督である澁谷文孝が署名キャンペーンを募った件である。当初は「男性ダンサーを救え」とのタイトルで、発起人として、日本バレエ協会関西支部や関西に於ける名門バレエ団の重鎮の名(計3名)を挙げて、署名キャンペーンを開始した。
コロナ禍で公演を自粛せざるを得なくなり、生活に困窮している「男性ダンサー」を救えとする内容で、あからさまに性差別的であり、当然のことながら非難が殺到、そうしたら発起人が全員辞任した。
その後、女性ダンサーも含めた内容に修正はされたものの、発起人が全員辞任するような事態になったのにも関わらず、澁谷文孝は署名キャンペーンの取り下げを行わないまま継続している状態となっている。
当初の性差別的な署名内容についても当然であるが、一旦署名キャンペーンをご破算にしたうえで、きちんと修正された内容で再度署名キャンペーンの立ち上げを行い、署名を募る手法を用いていない手続き上の瑕疵は、見解の違いを超えて非難されるべきである。澁谷文孝によるこの署名キャンペーンは、明らかにスキャンダルであり、日本のバレエ界の恥である。日本のバレエ界を挙げて対処する必要があると思慮する。
(以下参考↓)
3. 美術スタッフが力を込めて作(った)模造品
一つくらいは、楽しい話題を載せよう。
バレエチャンネルに 乗越たかお さんが「バレエファンのための!コンテンポラリー・ダンス講座〈第6回〉ダンスと衣裳〜すごく近くて、ものすごく深い〜」を提供し、2020年8月10日に発表された。
本題の衣装の話題が充実しているが、やはりね~。衣装がない演目もあるわけで。ほらっ、衣装がないとスッポンポンになるでしょう。そういう演目で「けしからん」と苦情が入ったりするみたいですが、その際に、プロデューサーがしれっと「模造品」だと言ったとの都市伝説の紹介であります。詳細は、バレエチャンネルの下記URLを見てね!佐〇ま〇みプロデューサーなら、本当にしれっと言いそうですよね(笑)。唐〇絵〇プロデューサーがカワイイお顔で平然と言ってるシーンも想像すると、楽しいですよね(笑)
(以下参考↓)
https://balletchannel.jp/10122
4. ЮСへの陰謀←拡散お願い!!!
ЮСはイニシャルね。あるブログの投稿のタイトルだけど、(その11+続編2)まで続く一大長編ドラマです。おちょロシアのバレエの世界はホントにおちょろしいようで。しゅごい内容ですよん。その内容がトンデモでありますが。
どういうことかと言いますと、とあるおそロシアのバレエ団で、ОСというイニシャルのダンサーがいるのですけど、そのОСが芸術監督を裏から操ってЮСが主役に出るのを邪魔してるというやつです。まあОСが嫌いでもいいし、単なる人格攻撃レベルならまだいいのですが(感心はしない)、そのブログのトンデモなところは、ОСが主役で出てЮСが降ろされているのは、バックについている「ユダヤ系組織」だからと言っているのだよね。
あのさ、まずダンサーがライヴァルの主役降ろす権限あるのかよと言うのが一点。これって、新国立劇場バレエ団で言えば、Y(O)がファーストキャストの主役にならないのはO(Y)がY監督に対してファーストキャスト キャスティングの指図をしてるからと言ってるようなもの。こんなバカな話があるか!良くも悪くも日本が平和なところは、さすがにこのような陰謀論は出てこない。
あとさ、これが一番重大なことなのだけど、「ユダヤ系組織」の陰謀云々持ち出すのは止めるべきで、今すぐにでも当該ブログ投稿は削除するべきであろう。一体どれだけソ連邦時代を含めロシアで反ユダヤ主義が蔓延しているか、ウィキペディアレベルでも理解できる話で、そういった状況でユダヤ陰謀論を流布することが如何にユダヤ人に対する差別や暴力を引き起こすか、少しでも歴史を習えば理解できるはずだ。このような反ユダヤブログの存在を肯定することはできないし、反ユダヤ主義がバレエの世界に蔓延してるのであれば、断固として非難されなければならない。「アタマからっぽ」ツイートどころの騒ぎではない。
あなたがそのブロガーのお友達であれば、ハッキリと忠告するべきである。
なお、そのブログについて参考資料として公に挙げることは敢えて行わない。存在自体認めてはならないし、閲覧数が増えてそのブロガーに悪影響を与えてはいけないものだからだ。