2020年12月31日木曜日

新国立劇場バレエ団プリンシパル 米沢唯さん 2020年出演記録

新国立劇場バレエ団プリンシパル 米沢唯さん 2020年出演記録
(2020年12月31日確定)

【注意事項】
・新国立劇場バレエ団プリンシパル 米沢唯さん の2020年出演記録(実績)
・特に記載がない公演は、新国立劇場バレエ団の公演、場所は新国立劇場、主催者は新国立劇場運営財団。
・情報の利用は、各自ご確認の上、自己責任で行われたい。

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2020年1月11日(土)ニューイヤー バレエ DGV(Danse à Grande Vitesse)第三区
2020年1月12日(日)ニューイヤー バレエ DGV(Danse à Grande Vitesse)第三区
2020年1月13日(月)ニューイヤー バレエ 「ライモンダ」よりパ ド ドゥ・DGV(Danse à Grande Vitesse)第三区
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2020年2月22日(土) 「マノン」マノン
2020年2月23日(日) 「マノン」マノン
(2020年2月29日(土) 「マノン」マノン は公演中止となった)
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(2020年3月27日(金) 「Dance to the Future 2020」’Contact’、「神秘的な障壁」/’Les Baricades mistérieuses’、’accordance’は公演中止となった)
(2020年3月28日(土) 昼公演・夜公演 「Dance to the Future 2020」’Contact’、「神秘的な障壁」/’Les Baricades mistérieuses’、’accordance’は公演中止となった)
(2020年3月29日(日) 「Dance to the Future 2020」’Contact’、「神秘的な障壁」/’Les Baricades mistérieuses’、’accordance’は公演中止となった)
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(2020年4月4日(土) 「白鳥の湖」オデット/オディール は公演中止(2021年4月10日(土)に延期)となった)
山形県総合文化芸術館(山形市)
主催:山形県総合文化芸術館オープニング事業等実行委員会
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(2020年5月2日(土) 「ドン キホーテ」キテリア は公演中止となった)
(2020年5月9日(土) 「ドン キホーテ」キテリア は公演中止となった)
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(2020年6月5日(金) 「不思議の国のアリス」 アリス は公演中止となった)
(2020年6月7日(日) 「不思議の国のアリス」 アリス は公演中止となった)
(2020年6月10日(水) 「不思議の国のアリス」 アリス は公演中止となった)

(2020年6月20日(土) 「不思議の国のアリス」 アリス は公演中止となった)
愛知県芸術劇場 (名古屋市)
主催:公益財団法人 愛知県文化振興事業団

(2020年6月28日(日) 「不思議の国のアリス」 アリス は公演中止となった)
高崎芸術劇場(群馬県高崎市)
主催:公益財団法人 高崎財団
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2020年7月24日(金) 子ども「竜宮 りゅうぐう ~亀の姫と季の庭~」プリンセス亀の姫
2020年7月26日(日)昼公演 子ども「竜宮 りゅうぐう ~亀の姫と季の庭~」プリンセス亀の姫
(2020年7月30日(木) 子ども「竜宮 りゅうぐう ~亀の姫と季の庭~」プリンセス亀の姫 は公演中止となった) 
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2020年8月14日(金) 大和シティバレエ夏季公演 「牡丹灯篭」・’Contact’
大和市文化創造拠点シリウス(神奈川県大和市)
主催:佐々木三夏バレエアカデミー

2020年8月17日(月) SHIVER京都 ‘Contact’
2020年8月18日(火) SHIVER京都 ‘Contact’
京都会館ノースホール(京都市)
主催:株式会社ソイプランニング
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2020年9月19日(土) 子ども「竜宮 りゅうぐう ~亀の姫と季の庭~」プリンセス亀の姫
アルカスSASEBO (長崎県佐世保市)
主催:公益財団法人 佐世保地域文化事業財団
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2020年10月23日(金) 「ドン キホーテ」キテリア
2020年10月31日(土)夜公演 「ドン キホーテ」キテリア
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2020年11月15日(日) 「眠れる森の美女」アウロラ姫
札幌文化芸術劇場 hitaru (札幌市)
主催:公益財団法人 札幌市芸術文化財団

2020年11月29日(日) 「Shakespeare THE SONNETS」
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2020年12月12日(土)夜公演 「くるみ割り人形」クララ
2020年12月18日(金) 「くるみ割り人形」クララ
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2020年バレエ界のパワーワード

2020年に於けるバレエ界のパワーワードとしては、下記の4つを挙げたい。


1. アタマからっぽの女 (2月)

2. 男性ダンサーを救え! (5月)

3. 美術スタッフが力を込めて作(った)模造品 (8月)

4. ЮСへの陰謀←拡散お願い!!! (2月-11月)


1. アタマからっぽの女

 2月の某公演に於ける女性主演ダンサーAのアンチである観客Bのツイートの文言。

 その公演は、世界中から様々な世界的メジャーバレエ団もが参戦している日本のバレエ公演の中でも名演と評されるもので、当該国立バレエ団の公演としては五年に一回レベルの名演と言えるものである。これは日本に於ける価値観にのみ合致したものではなく、人としての普遍性を帯びる意味で成功した公演であったことも、念のため付け加えたい。

 アンチならアンチでそれはしょうがないと思うし、ファンになれよと言うつもりは全くない。無気力演技を見せられたのであれば、「アタマからっぽ」とブーイングしてもいいと思うがね。しかし、あれだけ高い水準の演技をして「アタマからっぽの女」とはね。

 好みと内容の良し悪しとは別のもの、自分の好むスタイルの女性として演じてくれなかったのであれば、それを言うのはいい。その上でのベストは、内容面は別途検討した上で「好みではなかったが名演の一つと言える」とコメントを出すこと。まあ、そこまでは求めない。しかし「アタマからっぽの女」とまで言えば、それはそれで相当の反応は来るだろう。しかもBは、他カンパニーの特定のダンサーCを持ち出してまで、Cは「現代的で理知的」でありフェミニズムに則ってる(注:どこまで本当か疑わしい)と「正解」を規定し、Aはそうではないからとまで言って印象操作(かなり疑わしい見解)までしていましたし。

 当然、違う観客Dの一人が反応し、公立劇場のプロデューサーEからの反応まであった。これらの反応は、規範となる解釈にAの演技がはまらないと批判している声があるとの一般的な指摘であり、その上でD、Eそれぞれの見解を述べるものであり、特段Bの見解をあげつらう意図はない。エアリプと言えばエアリプと強引に解釈しようと思えばできなくもないが、直接Bのみを対象に批判したり攻撃する意図はないものであった。この後、Bの仲間のFがDの本論を曲解して「批判」(実態は訳の分からない助太刀)するなど、どうしようもない展開が生じた。予想外の反応にビックリしたせいか、Bはずいぶんと気にされて、DもEも期待していないのに、いろいろ言い訳されていた。その後、BはAのアンチではあり続けているけど、Aについての言及はしていない。

 要するに、Aに対してBが公言した内容が一線を超え、いろいろ反応があったら、やけにそれをBが気にし始め、お仲間のFが加勢するという意味不明な事態になったということだった。散々Aについてdisっておきながら(批判しておきながら)、これに対して批判されたら、「自分が好きなものは全員が好きじゃないといけないっていう同調圧力はおかしいと思うよ」と、自分が受けた批判の内容を 捏造改竄 して言い訳するの、ホント、ファシストの所業だと思う。

 これとは別に、Bの言説はある意味興味深いものであった。その公演に於けるAとパートナーGとの在り方は、「役を演じる」のではなく「役を生きる」ものであり、リハーサルで一応構築した演技方針を本番で解体し、一方の演技がもう一方のパートナーの反応を新たに生じさせる螺旋階段をその場で構築したものであった。「役作り」という次元を超えた、「役を生きる」次元にまで到達したものであり、その在り方を「アタマからっぽ」とBが評するのはどうかと疑問を呈せざるを得ないが、まあBの見解を受け止めるとしても、であればAと同じ方向性の演技であったGについてもきちんと非難するべきなのに、非難したのはAの演技だけでGに対しては絶賛であった。フェミニズムを持ち出した割には、フェミニズムを求めている対象が女性だけという奇妙な形となった。

 Dは「思い込んだH(役名)のイメージに合わないからと文句を言う。夢想の舞台ではなくいま見てる舞台から感じなきゃ。演者の個性もあるしね。正解は一つじゃない。」と発言されたが、蓋し名言である。「正解」と規定するCの残照(この残照はBが勝手に想像して作り上げたもの。Dの言うところ「夢想の舞台」。規範でも正解でもない点に注意)と比較してAを貶める意味は全くないし、不適当かつ不公正でもある。

 結局、BはAをdisりたかっただけなのさ。基本はそこ。実質さんざんdisっているくせに、いろいろ逃げ道作って、単に「感想述べただけ」的に「いい子ちゃん」のふりをする。だったら、はっきりとアンチAと宣言した方がずっとマシだろう。

 蛇足ながら付け加えると、一般的にAアンチの方々は、非常に欧米(あるいは欧州?)に対するコンプレックスが強いようにも思える。10時間以上かけて飛行機に乗り世界中のバレエ団の公演を観劇し、あるいは自宅等で動画をたくさんご覧になり、勉強熱心で感心だ。しかし、単に誰かを貶めるための材料にいろんな公演や動画を見ることにどんな意味があるのか?それも、目の前にある当該実演自体から何も感じず、何かの残照と「優劣」を比較するだけのお勉強に?いわゆる「演技力」信仰、「欧州は大人」信仰なのかも知れないが(子どもな欧州人も沢山いるだろに)、このような出羽守的な「信仰」に左右されることなく、目の前にあるものをちゃんと見ることから始め、その上で日本のバレエ団がどのようにあるべきかを考慮しながら、評なり感想を書くべきではないかなと、私自身は思っている。


2. 男性ダンサーを救え!

 署名サイトChange.orgで、関西の舞台監督である澁谷文孝が署名キャンペーンを募った件である。当初は「男性ダンサーを救え」とのタイトルで、発起人として、日本バレエ協会関西支部や関西に於ける名門バレエ団の重鎮の名(計3名)を挙げて、署名キャンペーンを開始した。

 コロナ禍で公演を自粛せざるを得なくなり、生活に困窮している「男性ダンサー」を救えとする内容で、あからさまに性差別的であり、当然のことながら非難が殺到、そうしたら発起人が全員辞任した。

 その後、女性ダンサーも含めた内容に修正はされたものの、発起人が全員辞任するような事態になったのにも関わらず、澁谷文孝は署名キャンペーンの取り下げを行わないまま継続している状態となっている。

 当初の性差別的な署名内容についても当然であるが、一旦署名キャンペーンをご破算にしたうえで、きちんと修正された内容で再度署名キャンペーンの立ち上げを行い、署名を募る手法を用いていない手続き上の瑕疵は、見解の違いを超えて非難されるべきである。澁谷文孝によるこの署名キャンペーンは、明らかにスキャンダルであり、日本のバレエ界の恥である。日本のバレエ界を挙げて対処する必要があると思慮する。

(以下参考↓)

https://www.change.org/p/%E5%86%85%E9%96%A3%E7%B7%8F%E7%90%86%E5%A4%A7%E8%87%A3-%E5%AE%89%E5%80%8D-%E6%99%8B%E4%B8%89-%E6%AE%BF-%E6%96%87%E9%83%A8%E7%A7%91%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E8%87%A3-%E8%90%A9%E7%94%9F%E7%94%B0-%E5%85%89%E4%B8%80-%E6%AE%BF-%E5%8E%9A%E7%94%9F%E5%8A%B4%E5%83%8D%E5%A4%A7%E8%87%A3-%E5%8A%A0%E8%97%A4-%E5%8B%9D%E4%BF%A1-%E6%AE%BF-%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%83%8A%E3%81%A7%E8%8B%A6%E3%81%97%E3%82%80%E3%83%90%E3%83%AC%E3%82%A8%E7%AD%89%E8%88%9E%E8%B8%8A%E3%81%AB%E6%90%BA%E3%82%8F%E3%82%8B%E4%BA%BA%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%82%92%E6%94%BF%E5%BA%9C%E3%81%AB%E6%B1%82%E3%82%81%E3%82%88%E3%81%86?recruiter=1090881161&utm_source=share_petition&utm_medium=facebook&utm_campaign=psf_combo_share_initial&utm_term=7af1939ccda346c08d11fd01562ff472&recruited_by_id=7d335720-98e9-11ea-8110-79d71bb7cd45


3. 美術スタッフが力を込めて作(った)模造品

 一つくらいは、楽しい話題を載せよう。

 バレエチャンネルに 乗越たかお さんが「バレエファンのための!コンテンポラリー・ダンス講座〈第6回〉ダンスと衣裳〜すごく近くて、ものすごく深い〜」を提供し、2020年8月10日に発表された。

 本題の衣装の話題が充実しているが、やはりね~。衣装がない演目もあるわけで。ほらっ、衣装がないとスッポンポンになるでしょう。そういう演目で「けしからん」と苦情が入ったりするみたいですが、その際に、プロデューサーがしれっと「模造品」だと言ったとの都市伝説の紹介であります。詳細は、バレエチャンネルの下記URLを見てね!佐〇ま〇みプロデューサーなら、本当にしれっと言いそうですよね(笑)。唐〇絵〇プロデューサーがカワイイお顔で平然と言ってるシーンも想像すると、楽しいですよね(笑)

(以下参考↓)

https://balletchannel.jp/10122


4. ЮСへの陰謀←拡散お願い!!!

 ЮСはイニシャルね。あるブログの投稿のタイトルだけど、(その11+続編2)まで続く一大長編ドラマです。おちょロシアのバレエの世界はホントにおちょろしいようで。しゅごい内容ですよん。その内容がトンデモでありますが。

 どういうことかと言いますと、とあるおそロシアのバレエ団で、ОСというイニシャルのダンサーがいるのですけど、そのОСが芸術監督を裏から操ってЮСが主役に出るのを邪魔してるというやつです。まあОСが嫌いでもいいし、単なる人格攻撃レベルならまだいいのですが(感心はしない)、そのブログのトンデモなところは、ОСが主役で出てЮСが降ろされているのは、バックについている「ユダヤ系組織」だからと言っているのだよね。

 あのさ、まずダンサーがライヴァルの主役降ろす権限あるのかよと言うのが一点。これって、新国立劇場バレエ団で言えば、Y(O)がファーストキャストの主役にならないのはO(Y)がY監督に対してファーストキャスト キャスティングの指図をしてるからと言ってるようなもの。こんなバカな話があるか!良くも悪くも日本が平和なところは、さすがにこのような陰謀論は出てこない。

 あとさ、これが一番重大なことなのだけど、「ユダヤ系組織」の陰謀云々持ち出すのは止めるべきで、今すぐにでも当該ブログ投稿は削除するべきであろう。一体どれだけソ連邦時代を含めロシアで反ユダヤ主義が蔓延しているか、ウィキペディアレベルでも理解できる話で、そういった状況でユダヤ陰謀論を流布することが如何にユダヤ人に対する差別や暴力を引き起こすか、少しでも歴史を習えば理解できるはずだ。このような反ユダヤブログの存在を肯定することはできないし、反ユダヤ主義がバレエの世界に蔓延してるのであれば、断固として非難されなければならない。「アタマからっぽ」ツイートどころの騒ぎではない。

 あなたがそのブロガーのお友達であれば、ハッキリと忠告するべきである。

 なお、そのブログについて参考資料として公に挙げることは敢えて行わない。存在自体認めてはならないし、閲覧数が増えてそのブロガーに悪影響を与えてはいけないものだからだ。

2020年11月16日月曜日

新国立劇場 新作曲オペラ「アルマゲドンの夢」観劇記録

新国立劇場 新作曲オペラ「アルマゲドンの夢」観劇記録


(東京の新型コロナウイルス蔓延状況のため、私は観劇が叶わなかった。チケットを「ワルイ子諜報団」に無償譲渡の上、レポートを求めた。下記がそのレポートの内容である。)


【以下ネタバレ注意】


新国立劇場は、2020年11月15日(日)に、藤倉大による第三作目のオペラ「アルマゲドンの夢」の世界初演を果たした。

この「アルマゲドン」上演に際しては、歌い手の外国人ソリストはもちろんのこと、演出の Lydia Steier も来日後二週間の自主隔離の上で、新国立劇場でのリハーサルに臨んだ。UK在住の作曲家藤倉大自身も、少なくとも世界初演には新国立劇場に臨席している。

冒頭の新国立劇場合唱団のアカペラからして素晴らしく、どのソリストも一定以上の高い水準であった。インスペクター(加納悦子)や冷笑家(望月哲也、歌もさることながら、ウザさの表現が特筆もの)も素晴らしく、このオペラの層を厚くした。その厚い基盤の上に、Bella Loggia 役 Jessica Aszodi、Johnson Evesham 役 Seth Carico の二人が傑出しており、役柄同様にこの公演をリードした。

Cooper Hedon 役 Peter Tantsits の声量は、特に前半は弱めで、Bella・Evesham役に喰われていたが、これは故意に弱めにしたのかも知れない。Cooperの平凡さを表すために。

原作は、H.G. Wellsの’A Dream of Armageddon’ であり、そのままである。大幅な読み替えは行っていない。それでも Harry Ross により下記の点で原作に手が入れられた。


・ファシスト組織 ’Circle’(サークル)の創作

・Cooper はリアルでは原作も平凡な男であるが、夢の中でも(元国家指導者から)小市民的な平凡な男となった。原作での、元国家指導者の営みに疲れ愛に生きる覚悟を決めた設定とは大幅に異なる。

・Bella については、原作の控えめな「ヒロイン」から対照的に、革命思想に目覚める、自立した女性像へ再構成された。事実上の「いい子ちゃん」側の主役である。

・独裁者Johnson Evesham 役(「ワルイ子ちゃん」側の主役)と、原作ではCooperの夢の聞き手役であった Fortnum Roscoe は同一の歌い手となる。

・原作では特段言及されなかった「神」についての言及が為されている。独裁者たちは主を蔑ろにしている。「神に教えてやる」とか「神の天使」(まさに偶像崇拝!)とか、とにかく「神」を利用している。ナチスドイツが日本にヒトラーユーゲントを派遣した際に、平気な面して神社を参拝させたように(偶像崇拝)、独裁者たちは主を利用するだけ利用して蔑ろにするのだ。

・インスペクターは「神の天使」の翼を付けている。しかしその翼は、独裁者により操作される代物だ。インスペクターの兄が「冷笑家」なのであろうか?その「冷笑家」は、どうも実は反体制派のために活動をしていたらしく、処刑される。「冷笑家」は婦人靴を履いている。その婦人靴を履いて処刑された姿でカーテンコールに登場する。それで、インスペクターは兄の行為により「神の天使」の座を独裁者により剥奪される。新たな少年兵が「英雄」になり、「神の天使」の翼を付けられる。その少年兵は、最後に Bella を撃つのだ。独裁者側についたとしても、自身の責任の範囲外にある何かのきっかけでその地位は剥奪される。UK在住者は皮肉が大好きなのであろうか?Harry Ross も藤倉大も、相当な皮肉屋であることは疑いがなさそうだ。


このオペラでは、主役は Bella と Evesham の二人であり、Cooperは平凡な小市民の設定となっている。このCooperは、昨今の社会に対する意識が低い大衆と同一と考えられ、この世界の一員である観客、ひいては民衆に対する批判の意図があることに疑いはない。Cooperは Bella の呼びかけに乏しい反応で、Bellaを見殺しにするのである。愛欲を満たしまくった Bella が、自由を求め社会に目を向ける姿へ変貌するのとは対照的だ。

終盤は悲しく、しかし興味深い場面である。Bella は少年兵により撃たれ殺される。その少年兵により、ソロのボーイソプラノが劇場を満たし、一見美しく無垢な歌声で「主への賛歌」を歌う。テキストを無視すれば、救われる結末とも解釈できるだろう。しかし、その歌詞の大意は、銃を私に授けてくれた主に感謝します、との内容だ。Harry Ross あるいは、藤倉大 による意図は、おそらく勝手に自分たちの都合の良いように「神」を使い「主への賛歌」を歌うファシストに対する皮肉なのだろう。少年兵は、素顔の状態では泣いている。しかし、‘Circle’の面を被った途端に、Bella を撃つ人格に変容するのだ。


紗幕と鏡とディスプレイとプロジェクターを用いた舞台装置は、実に見事である。紗幕の照射するプロジェクター照射は、実効プロセニアムの12mの高さではなく、15mを超えるであろうオペラカーテンの面積と同一だ。その縦の長さも生かしたプロジェクターが実に生きる。冒頭では、日本の国会で独裁者が演説する場面のプロジェクターも流れており、笑い事ではないのだが笑える場面もあった。

電車は、第一セリを用いて奈落から出し入れ、スライディングステージ機能を用い、電車が奈落にある間は舞台を前方に丸ごと移動の上、回り盆も用いるなど、日本では新国立劇場の他、びわ湖ホールや富山市芸術文化ホール(オーバードホール)と言った、第一級の設備を持つ劇場でなければ上演不可能であろう。セリと奥舞台がある欧州の劇場では、可能な劇場は多いと思われるが。


(2020年11月20日第二版追記)



2020年11月4日水曜日

新国立劇場バレエ団「ドン キホーテ」2020年 観劇記録

 2020年10月23日(金)から11月1日(日)にかけて、「ドン キホーテ」が新国立劇場バレエ団により上演された。

当方、東京都内の新型コロナウイルス感染状況悪化のため観劇できず、「ワルイ子諜報団」にチケットを無償譲渡した上で、レポートを依頼した。以下、その記録である。

1.概観

新国立劇場バレエ団の芸術監督が、吉田都に代わり、三代ぶりに当地在住となった意味は大きい。ビントレー、大原とUK在住、日頃のリハーサルから立ち会うことはできなかったのだろう。概してダンサーのスタイルが変わり、表現が強化されたところに、吉田都芸監の指導の成果がさっそく現れた。

昨シーズンまでシニアバレエミストレスだった板橋綾子が退任し、湯川麻美子がバレエミストレスに昇格となった。既に「竜宮」(2020年7月から9月に上演)から指導を開始し、吉田都芸監との方向性も合致しており、コールドに至るまでダンサーたちの士気が上がり、今回の「ドン キホーテ」の強化に貢献したように思える。第一公演からコールドを含めて舞台に熱気が満ちていた。ストーリーに難があるファジェーチェフ版が面白く感じられたのも、その成果であろう。

表現するための知見をダンサーに伝授する体制が、吉田都-湯川麻美子ラインにより確立されたと思える公演群であった。

2.キテリア(キトリ)役について

ベストスリーは、1位:米沢唯、2位:小野絢子、3位:池田理沙子の順であった。

3.米沢唯

米沢唯のキテリア(キトリ)は、2016年公演と比して身体の使い方が変化した。ニュアンスやアクセントがより豊かになった。2016年の時点で高水準でありながら、敢えて踊りのスタイルを変え、さらに表現が強くなった。もちろん顔芸も濃厚にはなっているが、そもそもの踊りのスタイルの基礎から進化させたのが最も大きな要因である。長い上肢はコントロールが良く効き、絶大なる圧を観客に与える。この圧は、米沢唯でなければ実現できない。トリプルを交えたフェッテが取り沙汰されがちな彼女であり、もちろんフェッテは誰よりも回転が掛かり安定し見事なものであるが、これとは対照的な第二幕第三場でのドルシネア姫を演じる際の、様式美と気品、優美さで涙腺が潤む。世界的にも最高のドルシネアであろう。

この「ドン キホーテ」での公演は、井澤駿・速水渉悟の二人をパートナーとした。二人のパートナーと演じることは、二演目演じるも同然であり、また、リハーサル時期も重なり、大きな負荷が掛かったと考えられるが、二公演とも熱く引っ張った。

4.小野絢子

特段スタイルの変更はなく、いつもながらの繊細に計算されつくされた「絢子ワールド」を進化させたもの。特に11月1日千秋楽公演は明らかに絶好調であり、彼女が意図した演技が見事に実現されていた。

5.池田理沙子

初役でありながら、池田理沙子の本性丸出しの演技で楽しめた。カワイイ顔立ちでありながら気が強い彼女の性格をそのまま出せばよく、キテリアとキャラクターの相性が合っていた。入団から四年近く経過し、技術面を年々進化させ、不利な体格の中であるべき所作を見つけ出して来ていたが、首から上に大きな課題が残っていた。しかしながら、「竜宮」とこの「ドン キホーテ」を演じる過程で、笑顔は自然となり、本性丸出しの表現が豊かになった。パートナーの奥村康祐との相性も抜群に素晴らしい。第一幕でのタンバリン片手リフトも、余裕の滞空時間の長さを保った。若手主役グループの中では頭二つ抜け出し、最もプリンシパルに近い候補と評価できるほどに進化した。

別の役であるが、第三幕の第二ヴァリアシオンも揺るぎない脚の強さや無音着地が活き、全般的にも素晴らしい出来であった。

6.柴山紗帆

彼女は、池田理沙子とは対照的にリアルお嬢様であり、お転婆娘のキテリア役とキャラクターが適合しているとは言い難かった。また体調が良くなかったからか、日頃の美しい所作が活きたとは言い難かった。それでも第三幕は見違えたようになり、ヴァリエーションの場面で彼女の特質が活かされた。サポートに定評がある中家正博の助けも活き、第一幕でのタンバリン片手リフトも長時間保った。

7.木村優里

第一幕でのガマーシュへのおざなりレヴェランスの場で舌を出すなど、独特な芝居は波紋を呼びそうだが、これは是とする。しかしながら、渡邊峻郁(どういう訳か、踊りの線が細く感じた)との相互作用は希薄で、二人で細かく演技を設定して勝負する「ゆりたか」コンビの特質は出なかった。また、彼女の恵まれた体格は活かされず、進歩が停滞しているようにも感じられる。フェッテはトリプルが入り、ニューイヤーバレエの時とは違い音楽に遅れることもなかったが、しかしフェッテだけが出来ればいいという問題ではなく、バレエの様々な所作について、基礎からの見直しが必要な感がある。所作が何となく綺麗に決まらない。せっかくの長い上肢がコントロールされておらず、ニュアンスが希薄なのは残念である。「街の踊り子」の衣装とは抜群に似合い、その意味での「華」はあるが、「華」だけでバレエは成立しない。

8.メルセデス

やはり本島美和を役につけるべきであった。渡辺与布、益田裕子とも、本島美和の2016年公演の水準には達していない。益田裕子は頑張っているが、最後の回転の場面で止まってしまうのが惜しいところである。しかしながら、両手持ちのスカート捌きは良かった。渡辺与布は本当に美女で、登場の場面は映えるが、あまり品がなく(まあそれは許す)、終盤に行くに従って技量不足が露呈した。踊りの技量不足の他、スカート捌きも雑な状態なのはあり得ない。

9.カスタネット

これは特殊技能が必要な役柄で、特に初日は完全にズレていた。朝枝尚子は比較的オケとのテンポが合っており、キャラクターとも適合しており、抜擢組の中では成果を上げていた。

10.森の女王

なんだかんだ言っても、やはり細田千晶がよく似合う役柄で、細田千晶を超えるダンサーは現れないだろう。

11.その他注目するべきダンサー

奥田花純・五月女遥の第三幕第一ヴァリアシオンは無音着地を含め実に見事。

速水渉悟は初主役であったが、第二幕第一場米沢唯ダイブギリギリ直前までの回転や540を決めるなど、アメリカンなショーマンシップを交え、鮮烈な主役デビューであった。

木下嘉人のエスパーダは、キレッキレであり強い印象を与える。井澤駿のエスパーダは端正でありながらイケメンオーラ炸裂。二人ともマント捌きが実に巧みなのも素晴らしい。2016年のマイレンの名演を超えたと言える。

福田圭吾は、空中投擲の場面で体の軸を東西から南北に替える技を披露、二人の次席ロマの役も木下嘉人とともに激しさを表現した。

12.抜擢されたダンサー

重ねて言及するが、カスタネットの朝枝尚子が最も期待に応えたか。第三幕第二ヴァリアシオンの廣川みくりは、明らかに技量不足であった。

2020年8月25日火曜日

「竜宮」ワルイ子諜報団 座談会

2020年7月24日から29日まで、新国立劇場にて上演された、新国立劇場バレエ団「竜宮」についての座談会。

この公演については、あきらにゃん が長野県外に出られない事態になったことを踏まえ、「ワルイ子諜報団」工作員に対し、無償にてチケットが譲渡され、対価としてレポートが あきらにゃん に対して送付されることとなった。

今回、ワルイ子諜報団 工作員各位の好意があり、座談会が開催できた。その内容をここに記したい。

以下)あ:あきらにゃん(司会) ・:ワルイ子諜報団工作員

1. 企画面について

・ホワイエに入った途端、「竜宮」に特化したBGMが流れ、海の物語への期待感を持った。森山開次氏の目の行き届き具合が素晴らしい。

・会場運営面でも、予想以上にスムーズな入場であった。すでに小劇場で「願いがかなうぐつぐつカクテル」が13公演も実施されており、オペレーション面での経験値が「竜宮」開催の時点で上がっていたと思われる。観客が最大745名(あ注:4階席を用いないため、定員は1490名、新型コロナウイルス感染症対策のため空席があり、観客数は最大でもその半分の745名となる)に制限されたことも、円滑な入場の助けになったと考えられる。

・亀の姫・浦島太郎・タイ女将・竜田姫を除き、AキャストとBキャストはかなり厳格に分けられていた。全公演に出演(AキャストとBキャスト両方に入っている)したダンサーは、広瀬碧さんと横山柊子さんの二名だけだった。万一の事態でも、最低限のレベルによる公演が持続できる体制にしていたか?

あ:役の数は90ありますが、34名のダンサーで演じており、一人二役や三役は当たり前でしたね。


2. 舞台装置・照明・音楽・振り付けについて

・生オケが入らない演目であり、オケピに舞台を2mほど延長していた。

・客席に入った時点で、特設のプロセニアムアーチが設営されており、観客を物語の環境へ導いていた。

・照明についてはプロジェクションマッピングを用いた秀逸なもの。舞台天井部から床への照射もしており、二階席・三階席からも楽しめるもの。

・春や秋の場面は美しかったですね。亀の姫が最後舞台奥から進む場面の光の道も素晴らしい。

・音楽は、タンゴから琉球音楽を思わせるものまで多様な素材を用い、パッチワークを上手く組み合させていた。

・振り付けは、「亀の姫」の出演時間が短めで物足りないが、最低限は確保したと言える。改訂の必要性があるとするならば、「亀の姫」の振りをより充実させる方向性になるか?

・多様なディヴェルティスマンを揃え、見どころは多かった。新人を含め、下位階級のダンサーたちにも見所がある配役で、アピールのチャンス、ダンサー各位からの宣伝がいつもより熱を帯びていた感があったが、道理である。

・被せるのが実に上手い。亀の小舟の場面は、単なる道行きになるところ、ウサギと亀の寓話を挿入したり、浦島太郎から鶴に着替える場面で天平美人二人組で視線を引き付けたりして、退屈にならないようにしている。

・ダンサーの背中を強調していますね。エイボンは背中を観客に見せるのが定位置だし。冬の場面の婚礼も、背中を見せての登場だった。


3. 主役級のダンサーについて

・やはり米沢唯さんがダントツであった。長い上肢の扱いが実に巧みで、鳥のよう(亀のヒレだけど(笑))。鷹揚でありながら自立心が強い亀の姫。夫婦明神になる場面はプリマオーラが輝かしく圧巻。随所で感じられる所作の美しさは、誰にも真似できない。

・井澤駿さんは、本来浦島太郎のキャラではないが、優しさが表に出るので、妙に王子っぽいが適合する。「どんぐり」の場面での踊り真似が「下手」なのはご愛敬。鶴になってからが妙にカッコ良すぎで、イケメンオーラ炸裂。

・森山開次さんが、キャラクター設定をするに当たって焦点に当てたのは、池田理沙子さんと奥村康祐さんのコンビか?衣装からしても、この二人に焦点を合わせたような感がある。何も作為を加えなくても、そのままで成立している。

・池田理沙子さんは、別れの場面での悲しみの表現が実現されていた。これまで、明るめな役か人形役かが適任で、古典演目の際に、例えばグランフェッテの間全く表情が変わらない場面も見受けられたが、その弱点は克服されたと思う。表情が動く振り付けに助けられたかも知れないが。

・奥村康祐さんも本当に浦島太郎が似合ってたなあ。役に想定される「大衆」的な外見とか。タイ女将と金魚たちの踊り手(女性7人))に囲まれて、うれしそうにニンマリする場面は、リアルな性格そのものだろ(笑)

・木村優里さんは、圧倒的な米沢唯さん、演目のキャラクターそのまんまの池田理沙子さんと比べると、役の在り方に難しさを感じたが、まあまあ。

・優里さん、小舟をポワントで20cm前方に動かして出発して欲しかった。彼女だけポワントで小舟が動かない。

・たかふみ君が完全にキャラを外していて、全く「浦島太郎」ではなかった。見た目の問題の要素があり、難しいところではあるが。

・たかふみ君、キャラが中途半端な感じがする。駿君のような優しさが感じられず、康祐くんのような「そのまんま」感もないので、「違う」「弱い」という印象になってしまう。

・たかふみ君、小舟の場面で、垂直に立ってる柱を押すのは、あり得ない。あれはない。あの場面は、亀の姫が竜宮に浦島太郎を運んでいるのだから、「浦島太郎が手伝っている」ような在り方は絶対にあり得ない。女性を使役させてるのかよ、って感じになってしまうけど、そういう設定なのだから。

・小舟の場面、米沢唯さんは全部自分で引っ張り、井澤駿くんはほんの僅か軌道修正をしたくらいで、あちこち景色を楽しんでいた。この在り方が正しい。たかふみ君は小舟を押してばかりだった。

・小舟の場面は、奥村康祐さんは前後方向に延びている手すりを掴んでいる形であり、手伝っている感を全く出していない。全部理沙子さんが引っ張った形にしている。女の子大好き~の康祐の奴、なんだかんだ言って優しいのだと思う。

・いわゆる「ゆりたか」コンビ、是非はともかく、綿密に演技のすり合わせをして臨むスタイルなのに、今回はチグハグ感が否めない。

あ:そうでしたか。たかふみ君にとっては相性が悪かった役なのかも知れないですね。


4. その他の役のダンサーについて

・本島美和さんが、タイ女将、竜田姫、両方とも素晴らしい。

・美和りんのタイ女将、すごい貫禄でしたな。ヤクザのリーダーになれるよ(笑)

・コラコラ、呪われちゃうぞ(笑)

・細田千晶さんの竜田姫は、儚さを感じた。

・美和さんの竜田姫は、激しい女の情念でしたなあ。千晶さんとは対照的。

・竜田姫はどういう解釈ですか?皆さん?

・うーん、秋の儚さだったり、散るという印象なのかなあ?あまり考えすぎない方が良さそう?

あ:タイ女将や竜田姫は、ワルイ子ちゃんだったの?

・いや違う。貫禄だったり情念だったりであっても、ワルイ子ちゃんじゃない。

あ;ワルイ子ちゃんいなかったんだ?

・「わっぱ六兄弟」がワルイ子ちゃん。誰が演じているのかは知っているのに、六人それぞれが、誰が誰だかさっぱり分からなかった。


・五月女遥さんの織姫、妙に似合っていた。

・遥さん、福田圭吾くんと良く似合ってましたね。

・Aキャストは小柄、Bキャストは長身の印象!スケール感がかなり統一されていたような。

・バレエ団公式ウェブサイトからの動画配信で見られるけれど、金魚六人群舞はAキャストBキャストとも実に見事。世界最強の群舞の実力を発揮している。


5. その他何か伝えたいことありましたか?

・ブラヴォー禁止令が出たため、スタオベで称賛する形が瞬く間に定着した感じ。

・最大でも745名しか観客がいないはずなのに、1790名満席の時と同様の拍手の圧。その一員になれたことに、変な言い方だけど、観客としての誇りがあった。


6. 終わりに

あ:長野県から出られない我が身、その私の目となり耳となってくださった「ワルイ子諜報団」のレポートに感謝しております。座談会での生の感想も役立ちます。

・いえいえ、良席を無償提供してくださり、ありがとうございました。

・前から9列目で、床へのプロジェクションマッピングをも背景にした席で見られて、感謝感激です。

あ:今後、新型コロナウイルス感染症蔓延が落ち着くか改善するか分かりませんが、私自身も佐世保や富山で、この目で見てみようと思います。座談会に出席ありがとうございました。

2020年2月23日日曜日

Manon (Kenneth MacMillan) National Ballet of Japan, February 2020, review

Manon ('L'histoire de Manon') (Kenneth MacMillan) review
National Ballet of Japan
Saturday, 22nd February 2020
Sunday, 23rd February 2020
New National Theatre, Tokyo (Japan)

Manon: YONEZAWA Yui / 米沢唯
Des Grieux: Вадим Мунтагиров / Vadim Muntagirov

新国立劇場バレエ団「マノン」
2020年2月22日(土)・23日(日)
新国立劇場

表記の公演を観劇した。当該公演は他キャスト含め5公演を予定していたが、26日(水)開催の第三公演をもって、予定外に終了となった。新型コロナウイルス蔓延防止を理由とする日本政府の公演中止要請に基づき29日(土)・3月1日(日)公演は中止となった。

よって、私が観劇したのは、この二公演のみとなった。

公演の水準は、名演と称するべきで、特に23日公演は歴史的名演と称しても良いものであった。2017年5月6日「眠りの森の美女」の歴史的名演を超えたかもしれない。

Des Grieux役 Vadim Muntagirov は、公演四日前からリハーサルに参加したと思われるが、いつもながらに米沢唯との相性は抜群であった。技術的には、Vadim の卓越したサポートが盤石な基礎となって、新国立劇場バレエ団の中で断然トップの米沢唯の技巧が十二分に活かされた。第三幕の「沼地」はもちろんのこと、第一幕・第二幕のパドゥドゥも完璧であった。ゲストとして招かれたのは Des Grieux 役のみであり、Manon 役にゲストは不要であった。双方とも対等のレベルで演じられ、即興的な要素があっても演技の方向性は一致され(米沢唯がどんな演技をしても完璧に受け止めリアクトできる Vadim の包容力の大きさもあるのだろう)、歴史的名演を形作った。

米沢唯の Manon は、古典的な Manon の在り方であった。彼女の心には何ら邪心がない。Des Grieux も好き、兄 Lescaut も好き、お金(ブレスレットが象徴的)も好き、全て真実である。これら三面の姿を見せる米沢唯の Manon の根底には、邪悪さはなく、罪悪感もなく、(たとえ G.M. なり金を選んだにしても)無垢であった。
‘femme fatale’とは、まさに米沢唯の Manon であった。米沢唯の femme fatale の性質は、通例的な「どう見ても悪女であるが、その美貌を用いて男を屈服させる」性質のものではない(そういう性質の femme fatale が得意なのは本島美和である)。米沢唯の Manon は、男を騙す気など全くなく、悪女とは対極にあり、本当に Des Grieux を愛している。しかしながら米沢唯の Manon は燦然とした姿を誇示しつつ(第二幕のソロ)、「流されて」、結果的に男を破滅に導いていく。本島美和的な悪女には警戒するが、米沢唯は悪女ではないから無警戒だ。男にとって、一番怖い femme fatale とは、米沢唯の Manon なのである。

米沢唯の踊りは、振り付けの影響はもちろん受けるが、いつも通りの米沢唯の特質の延長線上にある。彼女の特質である、堅固な様式美と、踊りの強さとが、Manon 役と完璧に調和している。第一幕第二場での、G.M. と Lescaut との三人の踊りや、第二幕第一場での数人の男たちにリフトされる場面での完璧な様式美は、第二幕第一場でのソロと合わせて、燦然とした Manon の絶頂期を形成する。
Des Grieux とヨリを戻した後の第二幕第二場での、ブレスレットを愛でる米沢唯の Manon は、強く、美しく、純粋で、燦然と輝く故に、最も悲しい場面であろう。寝室のパドゥドゥで見せた愛の歓びに満ちた米沢唯の Manon は、金を愛でる Manon に変貌を遂げる。Vadim の Des Grieux が取り戻した(その場面のパドゥドゥも心を強く動かされた)と思った Manon は、金の魔力の作用で変わり果てた姿を見せる。その後の G.M. による Lescaut 銃殺になだれ込む場面は、「兄 Lescaut も好き」を無垢に米沢唯が演じてきたからこそ、劇的で観客の感情を揺さぶらせる。
極論すると、Manon のクライマックスは「沼地」ではない、第二幕だと、強く思わされる。

第三幕での米沢唯と Vadim Muntagirov との演技も、もちろん傑出している。看守からの虐待を受けた後でブレスレットを捨てたところで、Manon は「寝室のパドゥドゥ」の時の愛を取り戻す。放心状態の瀕死の肉体を現す他方で、Des Grieux への愛を示す場面の超絶技巧は強く美しい様式を保ち、その対比が凄絶であった。

よく「英国バレエ」では「演技力」が語られる。しかし「演技力」とは装飾に過ぎないことを、米沢唯の演技を見ると強く感じる。Manon でさえも同じだ。演出・個々の役や場面にもよるのだろうが、観客に響くのは、最後は、踊りの様式美と強さだ。米沢唯の踊りには、装飾を必要以上にしないため、いつもそこに「米沢唯」が感じられる。そのままの米沢唯で舞台の上で生きる Manon の大成功が、何よりもこのことを物語った。