2016年11月28日 月曜日
Monday 28th November 2016
ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデン (連合王国ロンドン市)
Royal Opera House, Covent Garden (London, U.K.)
演目:
Jacques Offenbach: Opera ‘Les Contes d'Hoffmann’
ジャック=オッフェンバック 歌劇「ホフマン物語」
Hoffmann: Leonardo Capalbo
FourVillains: Thomas Hampson
Olympia: Sofia Fomina
Giulietta: Christine Rice
Antonia: Sonya Yoncheva
Nicklausse: Kate Lindsey
Spalanzani: Christophe Mortagne
Crespel: Eric Halfvarson
Four Servants: Vincent Ordonneau
Spirit of Antonia's Mother: Catherine Carby
Nathanael: David Junghoon Kim
Hermann: Charles Rice
Schlemil: Yuriy Yurchuk
Luther: Jeremy White
Stella: Olga Sabadoch
Coro: Royal Opera Chorus
Director: John Schlesinger
Set design: William Dudley
Costumes design: Maria Björnson
Lighting design: David Hersey
Choreographer: Eleanor Fazan
Fight director: William Hobbs
orchestra: Orchestra of the Royal Opera House
direttore: Evelino Pidò
ロイヤルオペラハウス コヴェントガーデンは、2016年11月11日から12月3日までの日程で、ジャック=オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」を7公演開催する。この評は2016年11月28日に催された第6公演に対するものである。演出は1980年に初演されたものである。
着席位置は一階中央やや下手側である。チケットは完売した。観客の鑑賞態度は概ね良好であった。
舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。古風であるが、よく作り込まれた舞台で、安っぽさを感じる箇所が全くない豪華なものだ。
ソリストの出来について述べる。
あまりに素晴らし過ぎて言葉が出ない。歌い手のソリストが全て見事で、全く穴がなく、ホフマンもオリンピアもジュリエッタもアントニアもリンドルフもニコラウスもその他も完璧な「完璧なホフマン物語」である。
ピットは深めで(写真のハープで深さを推察して欲しい)、管弦楽が上手く音がすっぽ抜けたのか、歌をよく聴ける感じとなった。バレエ公演の時に、大して上手ではないと思っていたが、今日は非常に見事であった。
オリンピア役の Sofia Fomina はあんなに歌えて踊れて、観客を沸き立たせていた。ジュリエッタ役の Christine Rice も歌えて素晴らしい。
アントニア役の Sonya Yoncheva は、とにかく圧巻である。単独でも、ホフマン役との二重唱、母親亡霊+ミラクル博士との三重奏でも、もうこれ以上は望む事はできない。12/3は「個人的な事情」により代役になってしまうため、 Sonya Yoncheva のアントニアは今日が千秋楽で、本当に聴けてよかった!
題名役の Leonardo Capalbo は、長時間にわたり声量・ニュアンスとも完璧で、主役として劇場空間を支配した。ニコラウス(ズボン役)の Kate Lindsey も同様だ。このコンビも素晴らし過ぎました。
その他、リンドルフ役の Thomas Hampson 、クレスペル役の Eric Halfvarson 、アントニアの母親の亡霊役の Catherine Carby 等出番の少ない役も、声量ニュアンスとも完璧だった。
全てがあまりに素晴らし過ぎて、エピローグの前の「舟歌」を聴いている最中に、ここまでの見事な歌いっぷり演じっぷりを思い出して、泣き出しそうになり、舞台上部の紋章を見て、なんとか堪えた程だ。こんな完璧なオペラは初めてで、一生のうちでもそうそう味わえないレベルである。ロイヤルオペラハウス-コヴェントガーデンのプロダクションの力量を思い知らさた。
2016年11月29日火曜日
2016年11月25日金曜日
Camerata Salzburg, Matsumoto performance (25th November 2016), review カメラータ-ザルツブルク 松本公演(2016年11月25日) 評
2016年11月25日 金曜日
Friday 25th November 2016
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per oboe e orchestra K.314
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per violino e orchestra n.4 K.218
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.11 K.251
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra K.622
oboe: Hansjörg Schellenberger
violino: 堀米ゆず子 / Horigome Yuzuko
clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Camerata Salzburg(カメラータ-ザルツブルク)
direttore: Hansjörg Schellenberger
カメラータ-ザルツブルクは、2016年11月19日から11月27日まで日本ツアーを行い、岡山・東京(杉並公会堂)・静岡・大垣(岐阜県)・松本・横浜(神奈川県立音楽堂)・西宮(兵庫県)にて計7公演(静岡公演と大垣公演は二手に分かれてのほぼ同時の演奏会)の演奏会を開催する。用紙された曲目の中から、公演地の主催者の要望によって変更をしたのか、曲目は公演地により異なる。
この日本ツアーで、中規模ホールである700席前後のホールで演奏されるのは、この松本市音楽文化ホールが唯一である。この日本ツアーの中で、間違いなく最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは下手側であるが木管と同じ場所にある。
着席位置は一階正面後方やや上手側、客席の入りは5割に満たなかったかもしれない。室内管弦楽団かつ全てモーツァルトのプログラムであり、なおかつ地方開催となると、観客動員には限界があるのだろう。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
最初はオーボエ協奏曲K.314である。松本市音楽文化ホールの響きには、二分くらいで慣れた感がある。一曲目から手を抜かない演奏である。
二曲目はヴァイオリン協奏曲第4番 K.218で、ソリストは堀米ゆず子である。ソリストと管弦楽との関係は、同じ方向を向き溶け込む方向性であるが、時折堀米ゆず子が、しとやなか音色に変えたりテンポを遅くしたりと面白い。管弦楽は非常に高いレベルにある。ホルンも柔らかく溶け込むし、管弦楽全体としてのアクセントも、全音域で美しくヴィヴィッドに決めてくる。松本市音楽文化ホールならではの、幸福感に満たされた響きが実現されている。
後半はディヴェルティメント第11番K.251である。オーボエ・指揮の Hansjörg Schellenberger は、弦楽に囲まれるような位置で客席を向いて座り、吹き指揮をする。曲想は何かの祝典のBGMを思わせるもので、この曲想を面白く演奏するのはなかなか難しそうに思える。しかしながら、曲の進行とともに華麗な曲想となる要素の上に、美しく演奏し続けることによりテンションが上がってくる要素の相乗効果が働き、単なるBGMではないこの曲の魅力を余すことなく表現仕切っている。
最後はクラリネット協奏曲K.626である。ソリストである Alessandro Carbonare のクラリネットは完璧過ぎる。冒頭から高い技巧を見せつけ、管弦楽を終始リードし、第二楽章弱奏部ソロも完璧な技巧で、ニュアンス豊かに演奏する。音の多い部分は、残響が豊かな松本市音楽文化ホールで美しく響かせるのは難しいが、この点も難なくクリアされている。これ以上のMozartのクラリネット協奏曲は望めない!管弦楽は後半も素晴らしい演奏をしたが、これほどまでのクラリネット-ソロを見せつけられては、どうしてもソリストの独擅場となるのはやむを得ない。それでも、ソリストと管弦楽双方が高い水準の演奏を繰り広げ、これが Mozart なのだと納得させられる演奏である。ソリスト・管弦楽・松本市音楽文化ホールの秀逸な音響が三位一体となって、観客に届く演奏である。演奏終了後に即スタンディングオベーションを行って差し支えない。
アンコールは、K.626の第二楽章からで、弱奏部ソロが始まる直前から開始された。アンコールはどの曲目で行うべきか、的確に把握されている。今年の、松本市で開催された演奏会の中で、最も優れた演奏であった。
Friday 25th November 2016
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per oboe e orchestra K.314
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per violino e orchestra n.4 K.218
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Divertimento n.11 K.251
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per clarinetto e orchestra K.622
oboe: Hansjörg Schellenberger
violino: 堀米ゆず子 / Horigome Yuzuko
clarinetto: Alessandro Carbonare
orchestra: Camerata Salzburg(カメラータ-ザルツブルク)
direttore: Hansjörg Schellenberger
カメラータ-ザルツブルクは、2016年11月19日から11月27日まで日本ツアーを行い、岡山・東京(杉並公会堂)・静岡・大垣(岐阜県)・松本・横浜(神奈川県立音楽堂)・西宮(兵庫県)にて計7公演(静岡公演と大垣公演は二手に分かれてのほぼ同時の演奏会)の演奏会を開催する。用紙された曲目の中から、公演地の主催者の要望によって変更をしたのか、曲目は公演地により異なる。
この日本ツアーで、中規模ホールである700席前後のホールで演奏されるのは、この松本市音楽文化ホールが唯一である。この日本ツアーの中で、間違いなく最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは下手側であるが木管と同じ場所にある。
着席位置は一階正面後方やや上手側、客席の入りは5割に満たなかったかもしれない。室内管弦楽団かつ全てモーツァルトのプログラムであり、なおかつ地方開催となると、観客動員には限界があるのだろう。観客の鑑賞態度は、概ね極めて良好であった。
最初はオーボエ協奏曲K.314である。松本市音楽文化ホールの響きには、二分くらいで慣れた感がある。一曲目から手を抜かない演奏である。
二曲目はヴァイオリン協奏曲第4番 K.218で、ソリストは堀米ゆず子である。ソリストと管弦楽との関係は、同じ方向を向き溶け込む方向性であるが、時折堀米ゆず子が、しとやなか音色に変えたりテンポを遅くしたりと面白い。管弦楽は非常に高いレベルにある。ホルンも柔らかく溶け込むし、管弦楽全体としてのアクセントも、全音域で美しくヴィヴィッドに決めてくる。松本市音楽文化ホールならではの、幸福感に満たされた響きが実現されている。
後半はディヴェルティメント第11番K.251である。オーボエ・指揮の Hansjörg Schellenberger は、弦楽に囲まれるような位置で客席を向いて座り、吹き指揮をする。曲想は何かの祝典のBGMを思わせるもので、この曲想を面白く演奏するのはなかなか難しそうに思える。しかしながら、曲の進行とともに華麗な曲想となる要素の上に、美しく演奏し続けることによりテンションが上がってくる要素の相乗効果が働き、単なるBGMではないこの曲の魅力を余すことなく表現仕切っている。
最後はクラリネット協奏曲K.626である。ソリストである Alessandro Carbonare のクラリネットは完璧過ぎる。冒頭から高い技巧を見せつけ、管弦楽を終始リードし、第二楽章弱奏部ソロも完璧な技巧で、ニュアンス豊かに演奏する。音の多い部分は、残響が豊かな松本市音楽文化ホールで美しく響かせるのは難しいが、この点も難なくクリアされている。これ以上のMozartのクラリネット協奏曲は望めない!管弦楽は後半も素晴らしい演奏をしたが、これほどまでのクラリネット-ソロを見せつけられては、どうしてもソリストの独擅場となるのはやむを得ない。それでも、ソリストと管弦楽双方が高い水準の演奏を繰り広げ、これが Mozart なのだと納得させられる演奏である。ソリスト・管弦楽・松本市音楽文化ホールの秀逸な音響が三位一体となって、観客に届く演奏である。演奏終了後に即スタンディングオベーションを行って差し支えない。
アンコールは、K.626の第二楽章からで、弱奏部ソロが始まる直前から開始された。アンコールはどの曲目で行うべきか、的確に把握されている。今年の、松本市で開催された演奏会の中で、最も優れた演奏であった。
2016年11月20日日曜日
新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2016 Autumn」雑感
昨日・今日(2016年11月19/20日)と、新国立劇場バレエ団「DANCE to the Future 2016 Autumn」を観劇しました。三公演あるうちの、第二公演と第三公演(千秋楽)です。
音楽面で、特にヘンデルとショスタコーヴィチに目が向けられた事が素晴らしいと思います。ヘンデルのオラトリオに目を向け、前衛的なショスタコーヴィチを的確に扱う点に注目させられました。
ショスタコーヴィチのop.67(ピアノ三重奏曲第2番 第四楽章)から「3匹の子ぶた」を思いついた宝満直也は凄いと思います。私だったら、同じ旋律を用いながらもキレッキレのop.110(弦楽四重奏曲第8番 第二楽章)で攻めに掛かると思いつきますが。op.110 しか知らない私にとっては、どうしてあんなユルユルの演奏になるんかと思ったけど、op.67だからあの演奏があって、「3匹の子ぶた」が成立するのですね。
それに、純音楽的にショスタコーヴィチのop.110は完璧な名曲で、第二楽章なんて特別な感情無くして聴けませんし(水戸室内管弦楽団で室内管弦楽団版で初めて聴いた時の衝撃は忘れられない)。でも同じ旋律が「3匹の子ぶた」などとコメディに適用できると言うのが、興味深いところです。
「3匹の子ぶた」については、プログラム上の「怠け者の長男」「誰よりもしっかり者」との記載は、ツボにハマって爆笑してしまいました!それぞれ、八幡顕光さんと小野絢子さんですね♪如何にもそんな感じですから。
三日目千秋楽は、第三部の「即興」が面白かったです。米沢唯ちゃんは、航空会社客室乗務員風の衣装から上着を脱いでダンスパーティー風に変わる衣装です。今日の唯ちゃんはやりたい放題♪官能的に挑発したり、オーボエ奏者をおちょくってるし♪公演毎に登場する楽器・奏者が違う事もあり、千秋楽ではアコーディオンが出てくる事もあるのか、アルヘンティーナ風にタンゴを取り入れていました。
第三部の「即興」は、多分最初と最後の場面や、「今日はアコーディオンが出てくるからタンゴを踊る」と言う程度は決めていて、後は本当に即興だったのですね。振りが昨日の公演とは全面的に(冒頭から!)異なっていました。昨日よりスリリングな展開で楽しめました。
音楽面で、特にヘンデルとショスタコーヴィチに目が向けられた事が素晴らしいと思います。ヘンデルのオラトリオに目を向け、前衛的なショスタコーヴィチを的確に扱う点に注目させられました。
ショスタコーヴィチのop.67(ピアノ三重奏曲第2番 第四楽章)から「3匹の子ぶた」を思いついた宝満直也は凄いと思います。私だったら、同じ旋律を用いながらもキレッキレのop.110(弦楽四重奏曲第8番 第二楽章)で攻めに掛かると思いつきますが。op.110 しか知らない私にとっては、どうしてあんなユルユルの演奏になるんかと思ったけど、op.67だからあの演奏があって、「3匹の子ぶた」が成立するのですね。
それに、純音楽的にショスタコーヴィチのop.110は完璧な名曲で、第二楽章なんて特別な感情無くして聴けませんし(水戸室内管弦楽団で室内管弦楽団版で初めて聴いた時の衝撃は忘れられない)。でも同じ旋律が「3匹の子ぶた」などとコメディに適用できると言うのが、興味深いところです。
「3匹の子ぶた」については、プログラム上の「怠け者の長男」「誰よりもしっかり者」との記載は、ツボにハマって爆笑してしまいました!それぞれ、八幡顕光さんと小野絢子さんですね♪如何にもそんな感じですから。
三日目千秋楽は、第三部の「即興」が面白かったです。米沢唯ちゃんは、航空会社客室乗務員風の衣装から上着を脱いでダンスパーティー風に変わる衣装です。今日の唯ちゃんはやりたい放題♪官能的に挑発したり、オーボエ奏者をおちょくってるし♪公演毎に登場する楽器・奏者が違う事もあり、千秋楽ではアコーディオンが出てくる事もあるのか、アルヘンティーナ風にタンゴを取り入れていました。
第三部の「即興」は、多分最初と最後の場面や、「今日はアコーディオンが出てくるからタンゴを踊る」と言う程度は決めていて、後は本当に即興だったのですね。振りが昨日の公演とは全面的に(冒頭から!)異なっていました。昨日よりスリリングな展開で楽しめました。
2016年11月12日土曜日
Bach Collegium Japan, Messa in Si minore (J.S. Bach) Yono Concert (2016), review バッハ-コレギウム-ジャパン バッハ「ミサ曲ロ短調」与野演奏会 評
2016年11月12日 土曜日
Saturday 12th November 2016
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Messa in Si minore BWV 232
soprano: 朴瑛実 / Boku Terumi
soprano: Joanne Lunn
contralto: Damien Guillon
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Dominik Wörner
cembalo / organo: Francesco Corti
orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2016年11月11日から15日までにかけて、J.S.バッハの ミサ曲ロ短調 演奏会を、東京・与野(埼玉県)・札幌にて開催する。(同時期の11月13日に、全く別のプログラムで第6回名古屋定期演奏会が開催される。)
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(この影に隠れるように)ヴィオラ(ここまでで下手側を占める)→オルガン・チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ→オーボエと囲み、これらに囲まれて指揮者のすぐ前にフルートが付く。ヴィオローネ(コントラバス相当)はチェロの後方につく。ファゴットはオーボエの後方で上手側、ティンパニとホルンはヴィオラの後方で下手側、トランペットは前方ながら最も下手側である。
合唱配置は、ソプラノ→コントラルト→バス→テノール→ソプラノで始まり、サンクトゥスからコントラルトの一部(上手側)とテノールを入れ替えて演奏された。
着席位置は一階正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は極めて良好だった。
全体的に、非常によく考えられて構築された計画にパッションが加わった、盤石な演奏である。誰もが自己顕示とは無縁で、全体の中でどのように歌ったり奏でたりして響きを作り出すかを理解しているかが、よく分かる演奏だ。その上にパッションを乗せてくる。
第一部第8曲目は、私の好きな展開である。朴瑛実と櫻井亮の日本在住者コンビが実に息が合っていて、同じ方向性を向いていて、管弦楽に乗っかっている。一方でフルートも程よく自己主張しつつ、その他の管弦楽は巧みに弱奏で根底から支える。そうやってよく考えられた響きが観客に届く時の幸せは何て表現したらいいだろう。
第一部第10曲と第四部第26曲に於けるコントラルト-ソロ(ダミアン=ギヨン)も素晴らしい。ソリストだけでなく、管弦楽全体を含めた全体で作り上げた音楽を実感出来る点も、注目する点である。
合唱は、冒頭から自由自在に彩の国さいたま芸術劇場の素晴らしいホールを響かせる。構築がしっかり為されていると察せられるところにパッションが乗っかり、ニュアンスに出てくる。第一部のどこかは忘れたが、そのニュアンスで涙腺が潤む。第三部サンクトゥスでの女声の押し寄せる波のようなニュアンスも強い印象を残す。
全体的に、歌・管弦楽とも高い充実ぶりを伺わせる素晴らしい演奏会であった。来年2017年4月に、松本市音楽文化ホール での「マタイ受難曲」が予定されているとのことだ。オルガンがある数少ない中規模ホールである松本市音楽文化ホールでのBCJの演奏会が今までなかったのが不思議なくらいだ。今から楽しみに待っていることとしよう!
Saturday 12th November 2016
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater, Concert Hall (Yono, Saitama, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Messa in Si minore BWV 232
soprano: 朴瑛実 / Boku Terumi
soprano: Joanne Lunn
contralto: Damien Guillon
tenore: 櫻田亮 / Sakurada Makoto
basso: Dominik Wörner
cembalo / organo: Francesco Corti
orchestra: Bach Collegium Japan(バッハ-コレギウム-ジャパン)
direttore: 鈴木雅明 / Suzuki Masaaki
バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)は、2016年11月11日から15日までにかけて、J.S.バッハの ミサ曲ロ短調 演奏会を、東京・与野(埼玉県)・札幌にて開催する。(同時期の11月13日に、全く別のプログラムで第6回名古屋定期演奏会が開催される。)
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン(この影に隠れるように)ヴィオラ(ここまでで下手側を占める)→オルガン・チェンバロ→ヴァイオリン-チェロ→オーボエと囲み、これらに囲まれて指揮者のすぐ前にフルートが付く。ヴィオローネ(コントラバス相当)はチェロの後方につく。ファゴットはオーボエの後方で上手側、ティンパニとホルンはヴィオラの後方で下手側、トランペットは前方ながら最も下手側である。
合唱配置は、ソプラノ→コントラルト→バス→テノール→ソプラノで始まり、サンクトゥスからコントラルトの一部(上手側)とテノールを入れ替えて演奏された。
着席位置は一階正面やや後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は極めて良好だった。
全体的に、非常によく考えられて構築された計画にパッションが加わった、盤石な演奏である。誰もが自己顕示とは無縁で、全体の中でどのように歌ったり奏でたりして響きを作り出すかを理解しているかが、よく分かる演奏だ。その上にパッションを乗せてくる。
第一部第8曲目は、私の好きな展開である。朴瑛実と櫻井亮の日本在住者コンビが実に息が合っていて、同じ方向性を向いていて、管弦楽に乗っかっている。一方でフルートも程よく自己主張しつつ、その他の管弦楽は巧みに弱奏で根底から支える。そうやってよく考えられた響きが観客に届く時の幸せは何て表現したらいいだろう。
第一部第10曲と第四部第26曲に於けるコントラルト-ソロ(ダミアン=ギヨン)も素晴らしい。ソリストだけでなく、管弦楽全体を含めた全体で作り上げた音楽を実感出来る点も、注目する点である。
合唱は、冒頭から自由自在に彩の国さいたま芸術劇場の素晴らしいホールを響かせる。構築がしっかり為されていると察せられるところにパッションが乗っかり、ニュアンスに出てくる。第一部のどこかは忘れたが、そのニュアンスで涙腺が潤む。第三部サンクトゥスでの女声の押し寄せる波のようなニュアンスも強い印象を残す。
全体的に、歌・管弦楽とも高い充実ぶりを伺わせる素晴らしい演奏会であった。来年2017年4月に、松本市音楽文化ホール での「マタイ受難曲」が予定されているとのことだ。オルガンがある数少ない中規模ホールである松本市音楽文化ホールでのBCJの演奏会が今までなかったのが不思議なくらいだ。今から楽しみに待っていることとしよう!
2016年11月6日日曜日
Mahler Chamber Orchestra, Uchida Mitsuko, Toyota performance (6th November 2016), review マーラー室内管弦楽団+内田光子 豊田公演(2016年11月6日) 評
2016年11月6日 日曜日
Sunday 6th November 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.17 K.453
Bartók Béla: Divertimento Sz.113
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.25 K.503
pianoforte: 内田光子 / Uchida Mitsuko
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: 内田光子 / Uchida Mitsuko
マーラー室内管弦楽団は、2016年10月28日から11月8日まで日本ツアーを行い、札幌・大阪・東京・豊田にて計8公演(室内楽公演を含む)の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮は内田光子である。なお、バルトークのディヴェルティメントについては、コンサートマスターのリードによる演奏であり、内田光子は参画しない。この豊田市コンサートホールでのプログラムは、2016年11月22日から29日までの欧州ツアー(Amsterdam, Rotterdam, Dortmund, Berlin, London)と同じである。
この日本ツアーで、中規模ホールに準じる規模である1004席のホールで演奏されるのは、この豊田市コンサートホールが唯一である。残響はあっても音が届かないサントリーホールはもちろんのこと、大きな室容積と収容人数を誇るKitaraを圧倒的に上回る、豊かな残響と適切な音圧の下での鑑賞となる。欧州ツアーを含めて、最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、これは、ダニエル=ハーディングと一緒に来日した時と変わりないか。木管・金管パートは後方中央に位置する。下手側のホルンと上手側のトランペットに挟まれるように、木管奏者の席がある。ティンパニは後方上手側の位置につく。バルトークはピアノを撤去し、配置は同じながら、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者は立って演奏する。
内田光子のピアノは、舞台中央に置かれ、鍵盤を客席側に向け、蓋を取った形である。アンスネスの来日公演と同様だ。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは8割程で満席にはならなかった。日曜日の少し遅めの開演時間、高額(1万7千円〜2万円)チケットが影響したのだろう。観客の鑑賞態度は、バルトークの第一楽章で中央上手側にカバンや紙を触る音が反復継続的に響いた(一人の観客が注意書きの手紙を渡したため、後半は静かに鑑賞されていた)ものの、他の箇所では概ね良好であった。
演奏について述べる。
第一曲目の17番K.453については、豊田市コンサートホールの響きに全く馴染んでなかった。ピアノは、特別残響の長いホールに配慮した奏法を用いていないように思える。ベロフやプレトニョフは的確にこのホールの響きに適応していたが・・・。弦楽はもちろん素晴らしい響きであるが、木管がこのホールに馴染むのに最も苦しんだように思える。
二曲目のバルトークによる「ディヴェルティメント」は、弦楽のみの編成であり、世界トップクラスの豊田市コンサートホールの響きを十全に活かす。首席奏者による弦楽四重奏のような箇所や、ロマ音楽を取り入れたような箇所も万全だ。それだけに、中央上手側にいた観客によるノイズ(カバンの中を探る、紙を読み音を立てて触る)は残念だった。気になった客が注意しようにも、両脇にいた同行の友人たちに阻まれ、演奏妨害行為を阻止することが出来なかった。近くで見ていただけに、阻止できず慚愧に堪えない。
三曲目のK.503になり、この曲を特色付ける第一楽章一回目の6連続上昇旋律こそ、愉悦感に満ちる感じとはならなかったが(豊田市コンサートホールの響きを扱う事が如何に難しいか!)曲の進行とともに馴染み始める。木管奏者も、彼女たちなりにこのホールの響かせ方を会得したのか、内田光子との掛け合いがようやく機能し始める。内田光子のカデンツァも素晴らしい。
と言いつつも、この演奏会で最も感銘を受けた点は、個人技と言うよりは、ソリストを含めた管弦楽一体としての まとまり である。トゥッティで演奏される際に、金管楽器が吹かれているとは思えない柔らかな音色が、この豊田市コンサートホールを響かせるのだ。杜撰な音響設計のサントリーホールはもちろんのこと、タケミツメモリアルでさえも実現出来ない、音圧を感じさせながらの柔らかい響き、誰か一人がと言うのではない、全員でモーツァルトを深く理解し、各自どのような響きを出すべきか理解している響きである。
これは、マーラー室内管弦楽団の各奏者の高い技量、バルトークで見せた弦楽の他、金管セクションの、柔らかく溶け込ませるような響きの絶妙さにより実現されたものである。このアプローチでどれだけこのモーツァルトが活かされたであろうか?ホルンはもちろんのこと、トランペットはナチュラル-トランペットでありながら、音を全く外さない(これだけでも驚異)だけでなく、精緻な響きで管弦楽に溶け込ませる。鮮やかな福川ホルンのみで成り立たっているようなNHK交響楽団とは対極の響きだ。輝かしく自己顕示的な響きとは全く無縁で、如何に管弦楽全体としてあるべき響きかを考え、その響きを実現させていく、まるで木管楽器を演奏しているかのような柔らかな音色は、これこそ目立たないながらも高度な技巧を要するものである。これを実現させた金管セクションは本当に傑出した演奏である。
このような響きを出せる金管奏者こそ、今の日本の管弦楽団に欠いている。名フィルの安土さんのホルンくらいしかいないのではないか?吹奏楽部で輝かしい音色でヒーロー / ヒロインになるような金管奏者など不要である。日本の音楽教育から変える必要があるのかもしれない。挑発的に言わせて貰えば、N響福川を反面教師にする必要がある。
アンコールは、内田光子のソロにより謎の現代音楽っぽいものが演奏された。曲名の掲示はなかった。
Sunday 6th November 2016
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)
曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.17 K.453
Bartók Béla: Divertimento Sz.113
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.25 K.503
pianoforte: 内田光子 / Uchida Mitsuko
orchestra: Mahler Chamber Orchestra(マーラー室内管弦楽団)
direttore: 内田光子 / Uchida Mitsuko
マーラー室内管弦楽団は、2016年10月28日から11月8日まで日本ツアーを行い、札幌・大阪・東京・豊田にて計8公演(室内楽公演を含む)の演奏会を開催する。全ての公演のピアノ独奏・指揮は内田光子である。なお、バルトークのディヴェルティメントについては、コンサートマスターのリードによる演奏であり、内田光子は参画しない。この豊田市コンサートホールでのプログラムは、2016年11月22日から29日までの欧州ツアー(Amsterdam, Rotterdam, Dortmund, Berlin, London)と同じである。
この日本ツアーで、中規模ホールに準じる規模である1004席のホールで演奏されるのは、この豊田市コンサートホールが唯一である。残響はあっても音が届かないサントリーホールはもちろんのこと、大きな室容積と収容人数を誇るKitaraを圧倒的に上回る、豊かな残響と適切な音圧の下での鑑賞となる。欧州ツアーを含めて、最良の演奏会場であることは言うまでもない。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方につく、これは、ダニエル=ハーディングと一緒に来日した時と変わりないか。木管・金管パートは後方中央に位置する。下手側のホルンと上手側のトランペットに挟まれるように、木管奏者の席がある。ティンパニは後方上手側の位置につく。バルトークはピアノを撤去し、配置は同じながら、ヴァイオリン・ヴィオラ奏者は立って演奏する。
内田光子のピアノは、舞台中央に置かれ、鍵盤を客席側に向け、蓋を取った形である。アンスネスの来日公演と同様だ。
着席位置は一階正面中央やや上手側、客席の入りは8割程で満席にはならなかった。日曜日の少し遅めの開演時間、高額(1万7千円〜2万円)チケットが影響したのだろう。観客の鑑賞態度は、バルトークの第一楽章で中央上手側にカバンや紙を触る音が反復継続的に響いた(一人の観客が注意書きの手紙を渡したため、後半は静かに鑑賞されていた)ものの、他の箇所では概ね良好であった。
演奏について述べる。
第一曲目の17番K.453については、豊田市コンサートホールの響きに全く馴染んでなかった。ピアノは、特別残響の長いホールに配慮した奏法を用いていないように思える。ベロフやプレトニョフは的確にこのホールの響きに適応していたが・・・。弦楽はもちろん素晴らしい響きであるが、木管がこのホールに馴染むのに最も苦しんだように思える。
二曲目のバルトークによる「ディヴェルティメント」は、弦楽のみの編成であり、世界トップクラスの豊田市コンサートホールの響きを十全に活かす。首席奏者による弦楽四重奏のような箇所や、ロマ音楽を取り入れたような箇所も万全だ。それだけに、中央上手側にいた観客によるノイズ(カバンの中を探る、紙を読み音を立てて触る)は残念だった。気になった客が注意しようにも、両脇にいた同行の友人たちに阻まれ、演奏妨害行為を阻止することが出来なかった。近くで見ていただけに、阻止できず慚愧に堪えない。
三曲目のK.503になり、この曲を特色付ける第一楽章一回目の6連続上昇旋律こそ、愉悦感に満ちる感じとはならなかったが(豊田市コンサートホールの響きを扱う事が如何に難しいか!)曲の進行とともに馴染み始める。木管奏者も、彼女たちなりにこのホールの響かせ方を会得したのか、内田光子との掛け合いがようやく機能し始める。内田光子のカデンツァも素晴らしい。
と言いつつも、この演奏会で最も感銘を受けた点は、個人技と言うよりは、ソリストを含めた管弦楽一体としての まとまり である。トゥッティで演奏される際に、金管楽器が吹かれているとは思えない柔らかな音色が、この豊田市コンサートホールを響かせるのだ。杜撰な音響設計のサントリーホールはもちろんのこと、タケミツメモリアルでさえも実現出来ない、音圧を感じさせながらの柔らかい響き、誰か一人がと言うのではない、全員でモーツァルトを深く理解し、各自どのような響きを出すべきか理解している響きである。
これは、マーラー室内管弦楽団の各奏者の高い技量、バルトークで見せた弦楽の他、金管セクションの、柔らかく溶け込ませるような響きの絶妙さにより実現されたものである。このアプローチでどれだけこのモーツァルトが活かされたであろうか?ホルンはもちろんのこと、トランペットはナチュラル-トランペットでありながら、音を全く外さない(これだけでも驚異)だけでなく、精緻な響きで管弦楽に溶け込ませる。鮮やかな福川ホルンのみで成り立たっているようなNHK交響楽団とは対極の響きだ。輝かしく自己顕示的な響きとは全く無縁で、如何に管弦楽全体としてあるべき響きかを考え、その響きを実現させていく、まるで木管楽器を演奏しているかのような柔らかな音色は、これこそ目立たないながらも高度な技巧を要するものである。これを実現させた金管セクションは本当に傑出した演奏である。
このような響きを出せる金管奏者こそ、今の日本の管弦楽団に欠いている。名フィルの安土さんのホルンくらいしかいないのではないか?吹奏楽部で輝かしい音色でヒーロー / ヒロインになるような金管奏者など不要である。日本の音楽教育から変える必要があるのかもしれない。挑発的に言わせて貰えば、N響福川を反面教師にする必要がある。
アンコールは、内田光子のソロにより謎の現代音楽っぽいものが演奏された。曲名の掲示はなかった。
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