2014年4月27日日曜日

モイツァ=エルトマン+グザヴィエ=ドゥ-メストレ デュオ-リサイタル評

2014年4月27日 日曜日
青山音楽記念館 バロックザール (京都府京都市)

曲目:

フランツ=シューベルト:男なんてみんな悪者 op.95 D.866-3
フランツ=シューベルト:至福 D.433
フランツ=シューベルト:乙女 D.652
フランツ=シューベルト:野ばら op.3-3 D.257
フランツ=シューベルト:月に寄せて D.259
フランツ=シューベルト:糸を紡ぐグレートヒェン op.2 D.118
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:ピアノ-ソナタ 第16番 K.545 (※)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト:歌劇「フィガロの結婚」 K.492 より「さあ早く来て、いとしい人よ」(スザンナのアリア)
ヴィンツェンツォ=ベッリーニ:歌劇「カブレーティとモンテッキ」より「ああ幾度か」
(休憩)
リヒャルト=シュトラウス:ひどい天気 op.69-5
リヒャルト=シュトラウス:万霊節 op.10-8
リヒャルト=シュトラウス:私の思いのすべて op.21-1
リヒャルト=シュトラウス:何もなく op.10-2
リヒャルト=シュトラウス:あなたは私の心の王冠 op.21-2
リヒャルト=シュトラウス:セレナーデ op.17-2
ベドルジハ=スメタナ:交響詩「わが祖国」より「モルダウ」 (※)
ジュゼッペ=ヴェルディ:歌劇「リゴレット」より「愛しき御名」(ジルダのアリア)
アントニオ=サリエーリ:歌劇「ダナオスの娘たち」より「あなたの娘が震えながら」
ジャコモ=プッチーニ:歌劇「ジャンニ=スキッキ」より「私のいとしいお父さん」(ラウレッタのアリア)
(※:ハープのみ)

ソプラノ:モイツァ=エルトマン (Mojca Erdmann)
ハープ:グザヴィエ=ドゥ-メストレ (Xavier de Maistre)

ドイツ連邦共和国ハンブルク市で生まれたモイツァ=エルトマンは、フランス人ハープ奏者であるグザヴィエ=ドゥ-メストレとともにこの4月に日本ツアーを行い、東京(タケミツメモリアル及び王子ホール)・兵庫県西宮市(兵庫県立芸術文化センター)・京都(青山音楽記念館バロックザール)にて演奏会を開催した。この評は、4月27日に開催された京都公演に対してのものである。なお、最も理想的な環境である、十分な残響が保たれた中・小規模ホールでの開催は、この日本ツアーで京都公演が唯一のものである。

着席位置はやや前方上手側、チケットは完売した。観客の鑑賞態度はかなり良好であり、特に拍手のタイミングが完全に曲が終わってから為されていた。

モイツァの調子はとても良い。サウンドチェックは完璧に為されており、青山音楽記念館の音響を完全に我がものとして、自由自在に操っている。第一曲目から浮気する男に対して怒っているような表情を見せながら、完成度の高い響きで観客の心を掴んでいく。曲の構成力も優れており、曲の最初の穏やかなところからクライマックスに達するまでの波状攻撃が実に巧みだ。第一波よりも強く第二波が押し寄せ、さらに強い第三波で観客を熱狂に追い込む。青山音楽記念館の音響が実に懐が深く、弱音からかなり強い音まで綺麗に響かせる。モイツァはそのホールの特質を完全に掌握しており、自信を持って安定感のある三回転半ジャンプを繰り返す。

前半は、特に「糸を紡ぐグレートヒェン」・「ああ幾度か」はモイツァの特質を良く活かしている。後半も完璧な出来であるが、もう曲名すらどうでも良くなり、何も考えず、モイツァの歌声にただただ酔いしれる。

取ってつけたように、大して興味がない(♪)メストレのハープについても言及するが、モイツァを実に巧みに支えている。弱音も綺麗に響く。ハープソロは、「モルダウ」が素晴らしい。

アンコールは、リヒャルト=シュトラウスの「高鳴る心」op.29-2、シューベルトの「万霊の連祷」D.343の二曲であった。

昨年11月17日に三井住友海上しらかわホール(名古屋)で開催されたマグダレーナ=コジェナに引き続き、歌唱ソロ部門で傑出した声を味わうことができた。ホールの吟味を慎重に行い、大規模ホールは避け、中小規模の残響が豊かなホールを選択した事も成功要因の一つだったろう。このリサイタルの存在は、東京-初台にあるタケミツメモリアルのチケット売り場でチラシを漁っている最中に発見した。チラシの隅を読んだのか、検索を掛けたからなのか、青山音楽記念館で同一プログラムが日曜日に開催される事が判明し京都入りを決断、東京オペラシティ地下一階のサークルKに駆け下ってカルワザステーションを操作し、購入したものである。この日本ツアーについては、青山音楽記念館以外には考えられなかった。私の狙いは予想を超えて当たり、歌い手とハープとホールとが実にうまく絡み合い、私の心を幸せな気持ちにさせてくれた。

2014年4月13日日曜日

庄司紗矢香+メナヘム=プレスラー デュオ-リサイタル 松本公演 評

2014年4月13日 日曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)

曲目:
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ K.454
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのための二重奏曲 op.162 D.574
(休憩)
フランツ=シューベルト ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番 op.137-1 D.384
ヨハネス=ブラームス ヴァイオリンとピアノのためのソナタ第1番「雨の歌」 op.78

ヴァイオリン:庄司紗矢香
ピアノ:メナヘム=プレスラー

庄司紗矢香とメナヘム=プレスラーは、2014年4月1日から4月13日までに掛けて日本ツアーを行い、高崎(群馬県)・美深町(北海道中川郡、何とまあ、北海道は旭川の北の名寄の北の小さな町に登場したのだ!)・宇都宮・大阪・東京・鎌倉(神奈川県)・松本にて計7公演開催した。この評は、第七回目(最終回)4月13日松本市音楽文化ホールでの公演に対してのものである

庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく世界的にトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎えた。今日は、松本で桜が開花し満開に近づきつつある事を踏まえたのか、桜色のドレスで観客の目を惹きつける。

メナヘム=プレスラーは1923年にドイツ、マクレブルク生まれで、昨年12月に90歳に達した。庄司紗矢香とは約60年の年の差で、祖父と孫のように思える。メナヘム=プレスラーは大変小柄な方で、あの庄司紗矢香よりも背が低い程だ。

着席位置は正面中央やや上手側、観客の入りは九割程で、チケットは完売には至らなかったようだ。観客の鑑賞態度は、致命傷にはならない程度に携帯電話の着信音があったものの、拍手のタイミングは余韻が消えた後に為され、またアタッカ気味に進められる曲の進行を妨げる動きもなく、その意味では大変良好であった。

曲を知っている人たちにとってはご存じの通り、聴衆に対しても集中力を要する曲目で、その全てが聴衆を眠らせる魔力を持った曲である。

二人とも目指した方向性は、技巧を見せつけるものではなく、如何に曲を鋭く解釈しニュアンスを豊かにして新たな生命を吹き込むか、と言ったところにある。

完成度は全般的にプログラムの進行とともに上がっていく。リピートがある部分では、二回目の方がより良い出来となっていく。

二人の関係性は、時にヴァイオリンが表に出たり、ピアノが表に出たり、二人で一緒に奏でたりと、かなり明確に区別している。二人とも弱音がとても豊かである。集中力に満ち、ニュアンスに富み、何気ないフレーズからすら新たな命が吹き込まれる名演である。特に最後のブラームスは完璧と言って良い。

プレスラーのピアノは、さすがに90歳であり肉体的に技巧を極める路線では決してないが、何をしたいのかが明確で、優しい響きで淡々と進めているようで、どこか深みが感じられる演奏である。

庄司紗矢香のヴァイオリンから発せられるニュアンスからは、新たな解釈が生まれる。紗矢香の素晴らしいところは、他の誰もが特に意識することなく通り過ぎる場面であっても、新しい世界を構築していく力があるところだ。間違いなく日本人の中で圧倒的な差を持ってトップに君臨するヴァイオリニストであるし、世界的にも彼女のような存在は(いたとしても)稀だろう。

アンコールは四曲あり、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」、ショパンの夜想曲第20番(プレスラーのソロ)、ブラームスの「愛のワルツ」、ショパンのマズルカ(op.17-4)(プレスラーのソロ)であった。

2014年4月12日土曜日

第94回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2014年4月12日 土曜日
紀尾井ホール (東京)

曲目:
モーリス=ラヴェル 組曲「マ-メール-ロワ」
モーリス=ラヴェル 「亡き王女のためのパヴァーヌ」
コダーイ=ゾルターン 「ガランタ舞曲」
(休憩)
リヒャルト=シュトラウス 「町人貴族」 op.60 TrV228c

管弦楽:紀尾井シンフォニエッタ東京
ゲスト-コンサートマスター:千々岩英一(パリ管弦楽団副コンサートマスター)
指揮:ペーター=チャバ

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ペーター=チャバを指揮者に迎えて、2014年4月11日・12日に東京-紀尾井ホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

指揮のペーター=チャバは、マジャール系ではあるがルーマニアで生まれた指揮者である。ゲスト-コンサートマスターの千々岩英一は、パリ管弦楽団の副コンサートマスターである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管・打楽器群は後方上手側の位置につく。なお、「町人貴族」にあっては、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロの順に配置換えし、第一プルトを半円形にして各パート二人ずつ配置し、その後ろに第二プルトを二人ずつ(計4人)配置している。

着席位置は正面後方中央、観客の入りは8割程か。観客の鑑賞態度は鈴の音が部分的に響く箇所はあったが、KSTの定期演奏会にしては良好の部類に入る。拍手のタイミングが適切である。

前半のラヴェル・コダーイは、弦楽の線が細く音圧が感じられない演奏である。

一番素晴らしいのは木管パートで、池田昭子のオーボエ、中川佳子のフルートはもちろんであるが、「ガランタ舞曲」で見せた鈴木豊人の長いソロには強く弾きつけられる。難波薫のピッコロは、私はもう少し強く鋭い響きが好みであるが、チャバの指示によって溶け込むようは響きになったのか?

ホルンは弱音で下支えする部分は素晴らしいが、「亡き王女のためのパヴァーヌ」冒頭のホルン-ソロはよく響いてはいるものの、生硬な響きでニュアンスが感じられない。松本に住んでいる私としては、ホルンはラデク=バボラークのように出来て当たり前で、彼のような柔らかくニュアンスに富んだ表現で観客の心を惹きつけるべきところである。「亡き王女のためのパヴァーヌ」終了後に一番最初にホルン首席を立たせたのは、納得しがたい。

休憩後の「町人貴族」で、弦楽は数を減らし、ゲスト-コンサートマスター千々岩英一を始め各弦楽パート首席によるソロも多いが、人数が減ったのにも関わらず前半よりも豊かな響きで音圧を感じさせる演奏だ。休憩前の木管の素晴らしさに弦楽が対抗できる状態となり、わざわざパリから千々岩英一を招いた意味がようやく明らかとなる。千々岩英一は、リヒャルト=シュトラウスならではの音色を朗々と掲示して管弦楽全体を導いていく。「町人貴族」では、故意に下手な奏者を演じるところもあるのだろうか、そのような場面は上品なオブラートに包んで演奏しているようにも思える。各弦楽パート首席のソロも素晴らしく、その室内楽的聴きどころを的確に演奏し、千々岩英一が提示したテンションを保持している。管弦楽全体で紀尾井ホールの響きを味方につけた演奏で完成度が高い演奏だ。

アンコールは、「町人貴族」の中から二分ほど抜粋しての演奏であった。