2013年1月20日 日曜日
福井県立音楽堂(ハーモニーホールふくい) 小ホール (福井県福井市)
曲目:
バルトーク=ベラ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ Sz.117
セルゲイ=プロコフィエフ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ op.115
(休憩)
ウジェーヌ-オーギュスト=イザイ 無伴奏ヴァイオリン-ソナタ第6番 op.27-6
ヨハン=セバスチャン=バッハ 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第2番 BWV1004
ヴァイオリン:戸田弥生
戸田弥生の演奏を聴くのは初めてである。実は、戸田弥生の出生地は福井市であるとのこと、福井県立音楽堂が供用されて15年経つが、14回もの演奏をこの福井県立音楽堂で行う事となる。
選曲はかなりハードな路線である。地方都市の場合、「聴きやすい」というか、いわゆる有名な「名曲」で固め、商業的に無難な路線に走る事が多いように思うが、福井の聴衆に受け入れられるか心配する程の曲目だ。
戸田弥生は、かなり強靭な精神の持ち主である。協奏曲であれば20分から30分程の間、断続的に演奏していれば良いが、無伴奏の場合連続して弾き続けなければならない。実演奏時間は約80分であるが、その時間緊張を維持するのは並大抵でないだろう。
第一曲目のバルトークから飛ばす演奏だ。楽章の間は、楽器の調整を必要とする場面以外は、10秒弱で次の楽章に入る。これ見よがしのテンポの変化や強弱の変化はない。純音楽的な展開の面白さを追求するタイプではなく、音の密度の濃さと緊迫感を漲らせるタイプの演奏である。その緊迫感は、楽章の間で咳をする雰囲気ではない程だ。ある意味、ロマ音楽のような、ここぞといった焦点に向けて熱を帯びる演奏でもあるとも言える。
最後、バッハのパルティータ第2番の第五楽章も、最も疲労がたまってくるところではあるが、そもそもが舞曲とは信じがたい程の緊迫感を一層高めていた。
非常に硬派な演奏会であり、最後はアンコールはなかったこととされている。プログラム終了後に福井県立音楽堂の橋本氏が出てきて(演奏にちゃんと臨席して聴いていた)、戸田弥生とのちょっとしたトークショウのような異例の展開となる。2013年7月14日に福井県立音楽堂にて、どこぞの管弦楽団とベートーフェンのヴァイオリン協奏曲の競演を行うとか、そのプログラムでラヴェルのツィガーヌを演奏するとか、面白そうな噂が囁かれている。最後に「亜麻色の髪の乙女」事件が発生したが、この内容について詳細な事情は敢えて書かないでおく。
2013年1月20日日曜日
2013年1月13日日曜日
第86回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評
2013年1月13日 日曜日
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
曲目:
アントニン=レオポルト=ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ op.22
エドワード=ベンジャミン=ブリテン ノクターン op.60
(休憩)
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第6(7)番 D589
テノール:西村悟(ブリテン ノクターン)
ファゴット-ソロ(ブリテン ノクターン第2曲):マーク=ゴールドバーグ
ハープ-ソロ(ブリテン ノクターン第3曲):吉野直子
ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第4曲):ラデク=バボラーク
ティンパニ-ソロ(ブリテン ノクターン第5曲):ローランド=アルトマン
イングリッシュ-ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第6曲):フィリップ=トーンドゥル
フルート-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):工藤重典
クラリネット-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):スコット=アンドリュース
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:大野和士
第86回水戸室内管弦楽団定期演奏会は、1月13日・1月14日両日にわたり二公演開催された。この評は、第一日目1月13日の公演に対してのものである。
第一曲目の「弦楽セレナーデ」は、メリハリがキッチリつけられた、良く考えられた演奏である。楽章が進むに連れ熱を帯びる演奏であり、ある楽器がどこで出てきてどこで他の楽器のサポートに回るかが良く分かる演奏だ。弱奏部でさえも、もちろん音量は小さくはなるが、なぜか力強く聴こえてくる。
第二曲目、ブリテンのノクターンは、この演奏会の白眉である。第1曲の「詩人の唇の上に私は眠った」の部分は、西村悟と管弦楽のみで、普通の演奏であるが、第2曲「ファゴットのオブリガート」から本気モードになり始める。これ以降全曲に渡り、西村悟は水戸芸術館の響きを自在に使って、力強さと軽妙さとを的確に使い分ける、素晴らしい歌唱を見せる。
第4曲「ホルンのオブリガート」では、ホルン-ソロのラデク=バボラークが非常に見事だ。犬の鳴き声、鶯の鳴き声、猫の鳴き声が出てくる曲であるが、西村悟とラデク=バボラークの響きが完璧に調和が取れており、また軽妙な曲調を掌中に入れて楽しい雰囲気だ。まるで、モーツァルトの二重協奏曲を完璧な独奏で聴いている気分になる。
一転第5曲「ティンパニのオブリガート」では、フランス革命時の虐殺事件を扱う題材となる。ティンパニ-ソロのローランド=アルトマンも完璧な出来だ。題材が持つ重さや恐怖心を見事に表現している。
残念ながら、第7曲、工藤重典のフルート-ソロは音が曖昧に聴こえ、違和感を覚えた。これが、私がフルートの性質を理解していないからかもしれないし、工藤重典が使っているフルートの癖を承知でそのような音を出しているのかもしれないし、指揮者の指示であるのかも知れないが、これまで聴いてきた工藤重典のフルートとはどうも異質である。
最近、サイトウ-キネンにしても水戸室内管弦楽団にしても、工藤重典の出番が減ってきているのとは関係あるのだろうか、工藤重典の体調の問題でもあるのではないかと心配してしまう。同じ違和感は、休憩後のシューベルト第6交響曲第1・2楽章でも感じられた。彼のフルートは、スタッカートになっていなかった。
第三曲目のシューベルト第6交響曲は、極めて濃厚な味付けで、おそらく好き嫌いが分かれる演奏である。このズンッ、ズンッ、と言ったようなスタッカートを基調とした交響曲は、やはり軽妙かつリズミカルにやってくれた方が私の好みではある。
ところが、まるでベートーフェンの交響曲を演奏するかのような、あるいは同じハ長調の曲でも「ザ-グレート」を弾いているかのような気合の入れようである。小澤征爾+水戸室内管弦楽団でよく在りがちな展開で、ただ大野和士の場合はこれをもうちょっとひねった形となるのだろうか、その「ちょっとひねった」ところが面白いと言えば面白い。
例えば、第三楽章のトリオではテンポを落とさず、一方で第四楽章序奏の部分ではテンポを揺るがすなどの部分に、大野の独特な部分がある。
アンコールは、フォーレ組曲「ドリー」から第1曲「子守歌」であった。
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
曲目:
アントニン=レオポルト=ドヴォルザーク 弦楽セレナーデ op.22
エドワード=ベンジャミン=ブリテン ノクターン op.60
(休憩)
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第6(7)番 D589
テノール:西村悟(ブリテン ノクターン)
ファゴット-ソロ(ブリテン ノクターン第2曲):マーク=ゴールドバーグ
ハープ-ソロ(ブリテン ノクターン第3曲):吉野直子
ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第4曲):ラデク=バボラーク
ティンパニ-ソロ(ブリテン ノクターン第5曲):ローランド=アルトマン
イングリッシュ-ホルン-ソロ(ブリテン ノクターン第6曲):フィリップ=トーンドゥル
フルート-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):工藤重典
クラリネット-ソロ(ブリテン ノクターン第7曲):スコット=アンドリュース
管弦楽:水戸室内管弦楽団(MCO)
指揮:大野和士
第86回水戸室内管弦楽団定期演奏会は、1月13日・1月14日両日にわたり二公演開催された。この評は、第一日目1月13日の公演に対してのものである。
第一曲目の「弦楽セレナーデ」は、メリハリがキッチリつけられた、良く考えられた演奏である。楽章が進むに連れ熱を帯びる演奏であり、ある楽器がどこで出てきてどこで他の楽器のサポートに回るかが良く分かる演奏だ。弱奏部でさえも、もちろん音量は小さくはなるが、なぜか力強く聴こえてくる。
第二曲目、ブリテンのノクターンは、この演奏会の白眉である。第1曲の「詩人の唇の上に私は眠った」の部分は、西村悟と管弦楽のみで、普通の演奏であるが、第2曲「ファゴットのオブリガート」から本気モードになり始める。これ以降全曲に渡り、西村悟は水戸芸術館の響きを自在に使って、力強さと軽妙さとを的確に使い分ける、素晴らしい歌唱を見せる。
第4曲「ホルンのオブリガート」では、ホルン-ソロのラデク=バボラークが非常に見事だ。犬の鳴き声、鶯の鳴き声、猫の鳴き声が出てくる曲であるが、西村悟とラデク=バボラークの響きが完璧に調和が取れており、また軽妙な曲調を掌中に入れて楽しい雰囲気だ。まるで、モーツァルトの二重協奏曲を完璧な独奏で聴いている気分になる。
一転第5曲「ティンパニのオブリガート」では、フランス革命時の虐殺事件を扱う題材となる。ティンパニ-ソロのローランド=アルトマンも完璧な出来だ。題材が持つ重さや恐怖心を見事に表現している。
残念ながら、第7曲、工藤重典のフルート-ソロは音が曖昧に聴こえ、違和感を覚えた。これが、私がフルートの性質を理解していないからかもしれないし、工藤重典が使っているフルートの癖を承知でそのような音を出しているのかもしれないし、指揮者の指示であるのかも知れないが、これまで聴いてきた工藤重典のフルートとはどうも異質である。
最近、サイトウ-キネンにしても水戸室内管弦楽団にしても、工藤重典の出番が減ってきているのとは関係あるのだろうか、工藤重典の体調の問題でもあるのではないかと心配してしまう。同じ違和感は、休憩後のシューベルト第6交響曲第1・2楽章でも感じられた。彼のフルートは、スタッカートになっていなかった。
第三曲目のシューベルト第6交響曲は、極めて濃厚な味付けで、おそらく好き嫌いが分かれる演奏である。このズンッ、ズンッ、と言ったようなスタッカートを基調とした交響曲は、やはり軽妙かつリズミカルにやってくれた方が私の好みではある。
ところが、まるでベートーフェンの交響曲を演奏するかのような、あるいは同じハ長調の曲でも「ザ-グレート」を弾いているかのような気合の入れようである。小澤征爾+水戸室内管弦楽団でよく在りがちな展開で、ただ大野和士の場合はこれをもうちょっとひねった形となるのだろうか、その「ちょっとひねった」ところが面白いと言えば面白い。
例えば、第三楽章のトリオではテンポを落とさず、一方で第四楽章序奏の部分ではテンポを揺るがすなどの部分に、大野の独特な部分がある。
アンコールは、フォーレ組曲「ドリー」から第1曲「子守歌」であった。
2013年1月1日火曜日
フェニーチェ大劇場 2013年新年演奏会評
2013年1月1日 火曜日
フェニーチェ大劇場 (イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア市)
曲目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アイーダ」より「シンフォニア」
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 op.17
(休憩)
ジョアキーノ=ロッシーニ 歌劇「コリントスの包囲」より「ギャロップ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「我らはマドリードの闘牛士」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アッティラ」より前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「花から花へ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」
ソプラノ:デジレ=ランカトーレ
テノール:サイミール=ピルグ
合唱:フェニーチェ大劇場合唱団
管弦楽:フェニーチェ大劇場管弦楽団
合唱指揮:クラウディオ=マリノ=モレッティ
指揮:サー=ジョン=エリオット=ガーディナー
フェニーチェ大劇場での2013年新年演奏会(Concerto di Capodanno)は、2012年12月29日から2013年1月1日まで、合計4公演開催された。この評は2013年1月1日の公演に対してのものである。なお、この演奏会は休憩後の後半部分に於いてイタリア放送協会第一テレビシオン番組(Rai 1)でも生放送されている。
昨年とは違い、イタリア国歌斉唱とはならず、いきなり「アイーダ」のシンフォニアが始まる。普通の出来と言ったところか。
第二曲目のチャイコフスキー「小ロシア」交響曲は、第一楽章こそ平凡な出来であるが、なぜか拍手が起こる。よく分からない展開となる。奇妙な感覚のイタリア人がいたのか、それともアメリカ人の田舎者が紛れ込んでいるからなのかは分からない。演奏は楽章が進むにつれ熱を帯びていく。第三楽章の終わりでも拍手が起きたが、まあ起きても良いかという程度の演奏だ。第四楽章は、それこそ第四・第五交響曲と並ぶだけの内容を持つ楽章にふさわしい演奏で、如何にもロシアを感じさせる堂々とした演奏だ。良い演奏であるとは言える。ただ、私が居住している日本での演奏ではなく、膨大な資源を投じて10,000km近い距離のヴェネツィアまで行く程の価値があるかと言われると、疑問を感じるところがあるのも否めない。
前半部については、昨年のディエゴ=マテウス指揮の方が面白かったか。プログラムにないイタリア国歌から始まってチャイコフスキーの第5交響曲だったから、前半部でも十分盛り上がれる内容だったし、実際第5の演奏も縦の線がビシっと決まった素晴らしい演奏だったから。今年は、こういったフェニーチェ大劇場管弦楽団の見せ場は少なかったように思える。
休憩は25分で、昨年より長めである。
後半が始まる。まずはロッシーニの「コリントスの包囲」からの「ギャロップ」だ。管弦楽だけの演奏で、ゆっくりとしたテンポではあるが、前半と違って大変ノリがよい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=MVE25H1Vpao
2曲目は「椿姫」から「我らはマドリードの闘牛士」。合唱団がここで登場する。合唱は普通の出来か。
3曲目は「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」である。ここでソリスト、デジレ=ランカトーレが登場する。この演目は、ランカトーレがシチリアの出身であることをも意識しているのか。
ランカトーレの歌声は、この「ありがとう友よ」に於いては、若干安定感を欠く部分もあり、突っ込みを入れようと思えば入れられるところもあるが、全般的には声量は十分あり劇場全般に行きとどいているだけでなく、その声質も力強い。特に歌い終わりで見栄を切るところが素晴らしい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=iLZBpNEjvTQ
4曲目は歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」である。もう一人のソリスト、サイミール=ピルグが登場する。イベリア地方の出身かと思いきや、実はシュキペリア(アルバニア)出身の若手テノールである。ピルグの歌声は完璧の一言だ。声量が十二分に劇場全般に行き渡り、崩れるところが一切なく、軽やかで甘い声質を存分に活かしている。これ以上の完璧さを求めるのは難しいだろう。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=rYeYdNJMPws
5曲目は歌劇「アッティラ」より前奏曲は管弦楽のみの演奏である。テンポは遅めでしっとりとした演奏だ。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=wlhMfYKwhH8
6曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=TIBRuPQ1atw
7曲目は歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲である。遅めのテンポでしっとりと進めていく。参考映像での2分57秒頃で微妙にリタルランドを掛けているが、とても効果的だ。この日の管弦楽単独の演奏の中では最もよい演奏である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=nHfDxtlMpw0
8曲目は歌劇「椿姫」より「花から花へ」である。ランカトーレの歌声はより完成度を増し、完璧な歌声である。途中、ピルグが舞台裏で歌い出す。ピルグのパワーは音響板をものともせず、ランカトーレとの完璧なバランスを保って客席まで響かせる。演奏会も終わりが近づく所で、劇場中を一気に盛り上げていく。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=9eqw_R4MSvk
9曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」である。ピルグの歌声が変わらずに冴えわたっている。
http://www.youtube.com/watch?v=6SxleoSb3lc
10曲目は歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」である。今年はあまり合唱が前面に出なかったところもあるが、それでもこの歌唱はこの演奏会の中では一番良い。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=OIpkUf5eF0c
11曲目は歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」である。本番最後の曲であると同時に、アンコールでも演奏される。ヴィーンの新年演奏会で「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」をアンコールで演奏するのと同じ約束事である。
ランカトーレ・ピルグ・合唱・管弦楽が全て揃って、新年演奏会の幕を閉じる。今年のソリストは二人とも完璧に近く、このような歌声であれば例え短い一時間程の時間であっても、遠いヴェネツィアまで行って良かったと思える。このような力のあるソリストが揃った歌劇なら、どんな遠くの歌劇場にでも駆けつけたいと強く思う。
参考映像は(本番のみ)↓。
http://www.youtube.com/watch?v=X11tKxJ-5qc
アンコール(同曲)付の参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=MsumKsptexo
画像が悪いが、本番とアンコールの間の情景付↓
http://www.youtube.com/watch?v=RvrqIZF1LSU
なお余談であるが、Rai 1は生放送に当たって下記↓のイントロダクションを放映している。
http://www.youtube.com/watch?v=rAyStaowowg
上記参考映像の中にはバレエ風景もあり、これもヴィーンでの新年演奏会の真似か何かで賛否両論かとは思うが、賛否は別として、さすがにミラノ-スカラ座のバレエ団には美男美女が揃っていて、絵になっている。
このイントロダクションでは、ヴェネツィアのサン-ジョルジョ-マジョーレ島や、総督宮殿でロケが行われている。
本番のカメラワークとともに、日本のNHKでは到底為し得ない映像美を楽しむのも良いだろう。
フェニーチェ大劇場 (イタリア共和国ヴェネト州ヴェネツィア市)
曲目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アイーダ」より「シンフォニア」
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第2番「小ロシア」 op.17
(休憩)
ジョアキーノ=ロッシーニ 歌劇「コリントスの包囲」より「ギャロップ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「我らはマドリードの闘牛士」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「アッティラ」より前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「花から花へ」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」
ソプラノ:デジレ=ランカトーレ
テノール:サイミール=ピルグ
合唱:フェニーチェ大劇場合唱団
管弦楽:フェニーチェ大劇場管弦楽団
合唱指揮:クラウディオ=マリノ=モレッティ
指揮:サー=ジョン=エリオット=ガーディナー
フェニーチェ大劇場での2013年新年演奏会(Concerto di Capodanno)は、2012年12月29日から2013年1月1日まで、合計4公演開催された。この評は2013年1月1日の公演に対してのものである。なお、この演奏会は休憩後の後半部分に於いてイタリア放送協会第一テレビシオン番組(Rai 1)でも生放送されている。
昨年とは違い、イタリア国歌斉唱とはならず、いきなり「アイーダ」のシンフォニアが始まる。普通の出来と言ったところか。
第二曲目のチャイコフスキー「小ロシア」交響曲は、第一楽章こそ平凡な出来であるが、なぜか拍手が起こる。よく分からない展開となる。奇妙な感覚のイタリア人がいたのか、それともアメリカ人の田舎者が紛れ込んでいるからなのかは分からない。演奏は楽章が進むにつれ熱を帯びていく。第三楽章の終わりでも拍手が起きたが、まあ起きても良いかという程度の演奏だ。第四楽章は、それこそ第四・第五交響曲と並ぶだけの内容を持つ楽章にふさわしい演奏で、如何にもロシアを感じさせる堂々とした演奏だ。良い演奏であるとは言える。ただ、私が居住している日本での演奏ではなく、膨大な資源を投じて10,000km近い距離のヴェネツィアまで行く程の価値があるかと言われると、疑問を感じるところがあるのも否めない。
前半部については、昨年のディエゴ=マテウス指揮の方が面白かったか。プログラムにないイタリア国歌から始まってチャイコフスキーの第5交響曲だったから、前半部でも十分盛り上がれる内容だったし、実際第5の演奏も縦の線がビシっと決まった素晴らしい演奏だったから。今年は、こういったフェニーチェ大劇場管弦楽団の見せ場は少なかったように思える。
休憩は25分で、昨年より長めである。
後半が始まる。まずはロッシーニの「コリントスの包囲」からの「ギャロップ」だ。管弦楽だけの演奏で、ゆっくりとしたテンポではあるが、前半と違って大変ノリがよい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=MVE25H1Vpao
2曲目は「椿姫」から「我らはマドリードの闘牛士」。合唱団がここで登場する。合唱は普通の出来か。
3曲目は「シチリア島の夕べの祈り」より「ありがとう友よ」である。ここでソリスト、デジレ=ランカトーレが登場する。この演目は、ランカトーレがシチリアの出身であることをも意識しているのか。
ランカトーレの歌声は、この「ありがとう友よ」に於いては、若干安定感を欠く部分もあり、突っ込みを入れようと思えば入れられるところもあるが、全般的には声量は十分あり劇場全般に行きとどいているだけでなく、その声質も力強い。特に歌い終わりで見栄を切るところが素晴らしい。参考映像は↓
http://www.youtube.com/watch?v=iLZBpNEjvTQ
4曲目は歌劇「リゴレット」より「あれかこれか」である。もう一人のソリスト、サイミール=ピルグが登場する。イベリア地方の出身かと思いきや、実はシュキペリア(アルバニア)出身の若手テノールである。ピルグの歌声は完璧の一言だ。声量が十二分に劇場全般に行き渡り、崩れるところが一切なく、軽やかで甘い声質を存分に活かしている。これ以上の完璧さを求めるのは難しいだろう。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=rYeYdNJMPws
5曲目は歌劇「アッティラ」より前奏曲は管弦楽のみの演奏である。テンポは遅めでしっとりとした演奏だ。参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=wlhMfYKwhH8
6曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「主よ、私の家から」である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=TIBRuPQ1atw
7曲目は歌劇「椿姫」より第一幕前奏曲である。遅めのテンポでしっとりと進めていく。参考映像での2分57秒頃で微妙にリタルランドを掛けているが、とても効果的だ。この日の管弦楽単独の演奏の中では最もよい演奏である。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=nHfDxtlMpw0
8曲目は歌劇「椿姫」より「花から花へ」である。ランカトーレの歌声はより完成度を増し、完璧な歌声である。途中、ピルグが舞台裏で歌い出す。ピルグのパワーは音響板をものともせず、ランカトーレとの完璧なバランスを保って客席まで響かせる。演奏会も終わりが近づく所で、劇場中を一気に盛り上げていく。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=9eqw_R4MSvk
9曲目は歌劇「第一回十字軍のロンバルディア人たち」より「私の喜びを」である。ピルグの歌声が変わらずに冴えわたっている。
http://www.youtube.com/watch?v=6SxleoSb3lc
10曲目は歌劇「ナブッコ」より「行け、我が想いよ、黄金の翼に乗って」である。今年はあまり合唱が前面に出なかったところもあるが、それでもこの歌唱はこの演奏会の中では一番良い。
参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=OIpkUf5eF0c
11曲目は歌劇「椿姫」より「乾杯の歌」である。本番最後の曲であると同時に、アンコールでも演奏される。ヴィーンの新年演奏会で「美しき青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」をアンコールで演奏するのと同じ約束事である。
ランカトーレ・ピルグ・合唱・管弦楽が全て揃って、新年演奏会の幕を閉じる。今年のソリストは二人とも完璧に近く、このような歌声であれば例え短い一時間程の時間であっても、遠いヴェネツィアまで行って良かったと思える。このような力のあるソリストが揃った歌劇なら、どんな遠くの歌劇場にでも駆けつけたいと強く思う。
参考映像は(本番のみ)↓。
http://www.youtube.com/watch?v=X11tKxJ-5qc
アンコール(同曲)付の参考映像は↓。
http://www.youtube.com/watch?v=MsumKsptexo
画像が悪いが、本番とアンコールの間の情景付↓
http://www.youtube.com/watch?v=RvrqIZF1LSU
なお余談であるが、Rai 1は生放送に当たって下記↓のイントロダクションを放映している。
http://www.youtube.com/watch?v=rAyStaowowg
上記参考映像の中にはバレエ風景もあり、これもヴィーンでの新年演奏会の真似か何かで賛否両論かとは思うが、賛否は別として、さすがにミラノ-スカラ座のバレエ団には美男美女が揃っていて、絵になっている。
このイントロダクションでは、ヴェネツィアのサン-ジョルジョ-マジョーレ島や、総督宮殿でロケが行われている。
本番のカメラワークとともに、日本のNHKでは到底為し得ない映像美を楽しむのも良いだろう。
2012年8月19日日曜日
サイトウ-キネン-フェスティバル-松本 聖譚曲評
2012年8月19日 日曜日
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)
曲目:
アルチュール=オネゲル 「火刑台上のジャンヌ=ダルク」
ジャンヌ=ダルク:イザベル=カラヤン
修道士ドミニク:エリック=ジェノヴェーズ
語り:クリスチャン=ゴノン
ソプラノ独唱(声・聖マルガリータ):シモーネ=オズボーン
ソプラノ独唱(聖母マリア):藤谷佳奈枝
アルト独唱(聖カタリーナ):ジュリー=ブリアンヌ
テノール独唱(声・豚・伝令官1・聖職者):トーマス=ブロンデル
バス独唱(声・伝令官2):ニコラ=テステ
合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団・栗友会合唱団・サイトウ-キネン-フェスティバル松本児童合唱団
合唱指揮:ピエール=ヴァレー
演出:コム=ドゥ-ベルシーズ
アーティスティック-アドヴァイザー:ブロンシュ=ダルクール
装置:シゴレーヌ=ドゥ-シャシィ・森安淳
衣装:コロンブ=ロリオ-プレヴォ・田中晶子
照明:齋藤茂男
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:山田和樹
サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、2012年は8月4日から9月9日までの日程で、聖譚曲・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月19日から8月29日までの間、オネゲル作曲の聖譚曲「火刑台上のジャンヌ=ダルク」が計3公演に渡って繰り広げられる。19・26・29日の日程での3公演であるが、19日と26日の間には、23・25日とダニエル=ハーディング指揮によるリヒャルト=シュトラウス「アルプス交響曲」等の演奏会があり、系統が全く違うプログラムを間に挟む事の悪影響を考慮し、リハーサルが仕上がったばかりである19日の公演を選択した。よってこの評は、初日8月19日の公演に対するものである。
まつもと市民芸術館のホールに入ると、歌劇ともまた違う舞台が構成されている。通常のオーケストラピットを設営したときよりもさらに2列の座席を撤去している。オーケストラピットの高さは、座席面とほぼ同じ高さか?左右対向配置ではない管弦楽の回りに、約3メートル幅の通路状の舞台をロの字型に作っている。舞台最前方の高さは、膝と同じくらい、管弦楽・側方の舞台とも舞台後方に向けて上り坂となっている。舞台後方の高さは、管弦楽に邪魔されない程の高さである。舞台後方から管弦楽のスペースに向けて、前方へ幅3メートル・長さ5メートル程の半島状に張り出した舞台を設置しており、舞台前方に向けて管弦楽の坂と平行した下り坂となっている。この半島状の舞台に火刑台の柱が据え付けられている。
舞台後方には、左右に三階建てのバルコニーが設置されている。舞台中央は何もなく、最後方は白い板で行き止まりとなっている。
16時ちょうどに開始時刻を迎えると、合唱隊が左右のバルコニーに3層とも入る。指揮の山田和樹はいつのまにか指揮台に立っている。合唱隊が全てバルコニーに入ったところで、小澤征爾総監督が客席に入る。総監督入場の際に拍手が起きるが、管弦楽・合唱隊・指揮者に対しては拍手がないままホール全体が一旦真っ暗となり、少し時間が経過して管弦楽の譜面台の明かりが灯って、聖譚曲が開始される。
演劇部門の構成は全く申し分がない。ジャンヌ=ダルク・修道士ドミニクは基本的に半島状の火刑台柱周辺に位置し、これを囲むようにインチキ裁判のイベントが行われたり、舞台前方で王たちのトランプ遊びが繰り広げられる。歌い手のフォーメーションは適切である。衣装は現代的ではなく、どちらかと言うと近世的である。ジャンヌ=ダルクが存在していた15世紀的でもないが、衣装により登場人物を判別させるには、これまた適切な手段だ。
歌い手については、修道士ドミニク役のエリック=ジェノヴェーズが素晴らしい。終盤のみの登場であるが、聖母マリア役の藤谷佳奈枝も良い出来だ。クリスチャン=ゴノン・トーマス=ブロンデル・ニコラ=テステの男声も、序盤こそ不安定であったが、後半になるにつれて完成度が上がっていき、存在感のある演技となっていく。
主役のイザベル=カラヤンについては、声量不足が否めず、ジャンヌ=ダルク役に求められるパワーがない。「ジャンヌの剣」にて長いモノローグがあるが、迫力がなく、最大の見せ場であるはずの場面で眠気を誘っている。イザベル=カラヤンを主役としてこの聖譚曲の公演を企画したのは、総監督小澤征爾であり、この責任は小澤征爾にあると言える。
合唱は、序盤やや不安定に感じられたところもあったが、徐々に完成度を高めていき、満足できる出来である。管弦楽とのコンビネーションはとてもよい状態である。
指揮の山田和樹は、暴走しがちなSKOを手堅くまとめ、独唱・合唱とのバランスが細部まで取れている優れた演奏を盛りたてる。SKOは独唱者の状態はなんとやら、管弦楽は管弦楽という感じでどんどん突き進む傾向が小澤征爾時代にはあったが、山田和樹はそのSKOを細かく制御し、歌劇場管弦楽団としてあるべき方向性をSKOに対して示すことに成功している。もちろん、(独唱がない)管弦楽単独の部分ではSKOならではの迫力を引き出すなど、緩急の付け方といった方向性とは全く別ではあるが、彼ならではのメリハリの利いた指揮だ。小澤征爾が本番2日前の17日まで来松しなかったのが、良い影響を与えているのだろう。山田和樹らしい個性を発揮する事ができ、小澤征爾時代には考えられなかったSKOの丁寧な響きを引き出している。
総じて、イザベル=カラヤン以外の独唱者に不満はない。SKFでは珍しく、独唱者の多くが一応満足できる水準を保っている。合唱も良い出来である。なんと言っても、地味ではあるが山田和樹の指揮がとても優れたものだ。世代交代を感じさせる聖譚曲であった。
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)
曲目:
アルチュール=オネゲル 「火刑台上のジャンヌ=ダルク」
ジャンヌ=ダルク:イザベル=カラヤン
修道士ドミニク:エリック=ジェノヴェーズ
語り:クリスチャン=ゴノン
ソプラノ独唱(声・聖マルガリータ):シモーネ=オズボーン
ソプラノ独唱(聖母マリア):藤谷佳奈枝
アルト独唱(聖カタリーナ):ジュリー=ブリアンヌ
テノール独唱(声・豚・伝令官1・聖職者):トーマス=ブロンデル
バス独唱(声・伝令官2):ニコラ=テステ
合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団・栗友会合唱団・サイトウ-キネン-フェスティバル松本児童合唱団
合唱指揮:ピエール=ヴァレー
演出:コム=ドゥ-ベルシーズ
アーティスティック-アドヴァイザー:ブロンシュ=ダルクール
装置:シゴレーヌ=ドゥ-シャシィ・森安淳
衣装:コロンブ=ロリオ-プレヴォ・田中晶子
照明:齋藤茂男
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:山田和樹
サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、2012年は8月4日から9月9日までの日程で、聖譚曲・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月19日から8月29日までの間、オネゲル作曲の聖譚曲「火刑台上のジャンヌ=ダルク」が計3公演に渡って繰り広げられる。19・26・29日の日程での3公演であるが、19日と26日の間には、23・25日とダニエル=ハーディング指揮によるリヒャルト=シュトラウス「アルプス交響曲」等の演奏会があり、系統が全く違うプログラムを間に挟む事の悪影響を考慮し、リハーサルが仕上がったばかりである19日の公演を選択した。よってこの評は、初日8月19日の公演に対するものである。
まつもと市民芸術館のホールに入ると、歌劇ともまた違う舞台が構成されている。通常のオーケストラピットを設営したときよりもさらに2列の座席を撤去している。オーケストラピットの高さは、座席面とほぼ同じ高さか?左右対向配置ではない管弦楽の回りに、約3メートル幅の通路状の舞台をロの字型に作っている。舞台最前方の高さは、膝と同じくらい、管弦楽・側方の舞台とも舞台後方に向けて上り坂となっている。舞台後方の高さは、管弦楽に邪魔されない程の高さである。舞台後方から管弦楽のスペースに向けて、前方へ幅3メートル・長さ5メートル程の半島状に張り出した舞台を設置しており、舞台前方に向けて管弦楽の坂と平行した下り坂となっている。この半島状の舞台に火刑台の柱が据え付けられている。
舞台後方には、左右に三階建てのバルコニーが設置されている。舞台中央は何もなく、最後方は白い板で行き止まりとなっている。
16時ちょうどに開始時刻を迎えると、合唱隊が左右のバルコニーに3層とも入る。指揮の山田和樹はいつのまにか指揮台に立っている。合唱隊が全てバルコニーに入ったところで、小澤征爾総監督が客席に入る。総監督入場の際に拍手が起きるが、管弦楽・合唱隊・指揮者に対しては拍手がないままホール全体が一旦真っ暗となり、少し時間が経過して管弦楽の譜面台の明かりが灯って、聖譚曲が開始される。
演劇部門の構成は全く申し分がない。ジャンヌ=ダルク・修道士ドミニクは基本的に半島状の火刑台柱周辺に位置し、これを囲むようにインチキ裁判のイベントが行われたり、舞台前方で王たちのトランプ遊びが繰り広げられる。歌い手のフォーメーションは適切である。衣装は現代的ではなく、どちらかと言うと近世的である。ジャンヌ=ダルクが存在していた15世紀的でもないが、衣装により登場人物を判別させるには、これまた適切な手段だ。
歌い手については、修道士ドミニク役のエリック=ジェノヴェーズが素晴らしい。終盤のみの登場であるが、聖母マリア役の藤谷佳奈枝も良い出来だ。クリスチャン=ゴノン・トーマス=ブロンデル・ニコラ=テステの男声も、序盤こそ不安定であったが、後半になるにつれて完成度が上がっていき、存在感のある演技となっていく。
主役のイザベル=カラヤンについては、声量不足が否めず、ジャンヌ=ダルク役に求められるパワーがない。「ジャンヌの剣」にて長いモノローグがあるが、迫力がなく、最大の見せ場であるはずの場面で眠気を誘っている。イザベル=カラヤンを主役としてこの聖譚曲の公演を企画したのは、総監督小澤征爾であり、この責任は小澤征爾にあると言える。
合唱は、序盤やや不安定に感じられたところもあったが、徐々に完成度を高めていき、満足できる出来である。管弦楽とのコンビネーションはとてもよい状態である。
指揮の山田和樹は、暴走しがちなSKOを手堅くまとめ、独唱・合唱とのバランスが細部まで取れている優れた演奏を盛りたてる。SKOは独唱者の状態はなんとやら、管弦楽は管弦楽という感じでどんどん突き進む傾向が小澤征爾時代にはあったが、山田和樹はそのSKOを細かく制御し、歌劇場管弦楽団としてあるべき方向性をSKOに対して示すことに成功している。もちろん、(独唱がない)管弦楽単独の部分ではSKOならではの迫力を引き出すなど、緩急の付け方といった方向性とは全く別ではあるが、彼ならではのメリハリの利いた指揮だ。小澤征爾が本番2日前の17日まで来松しなかったのが、良い影響を与えているのだろう。山田和樹らしい個性を発揮する事ができ、小澤征爾時代には考えられなかったSKOの丁寧な響きを引き出している。
総じて、イザベル=カラヤン以外の独唱者に不満はない。SKFでは珍しく、独唱者の多くが一応満足できる水準を保っている。合唱も良い出来である。なんと言っても、地味ではあるが山田和樹の指揮がとても優れたものだ。世代交代を感じさせる聖譚曲であった。
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