2016年2月21日日曜日

Noism "Carmen" 2016年2月 横浜公演 感想

2016年2月20/21日と、神奈川芸術劇場(KAAT)にて、Noism 「カルメン」を観劇しました。

Noism は新潟市の劇場施設 りゅーとぴあ の座付き舞踊演劇カンパニーです。

Noism の演目は、一度だけでは分からない事も、二度観ると見えてくるものがあります。二回行って良かったと思います。

あの有名なビゼーによるオペラのカルメンの音楽を用いてはおりますが、ストーリーは大幅に変えております。そもそもオペラ前の原作にはなかったミカエラが、このNoism版では極めて重要な位置を占めています。ここまでミカエラの心情を表現したのは、物語の強い核になり素晴らしいものがあります。

また、歌舞伎・文楽の手法をかなり取り入れているように思えます。

第一幕で、門外の警備の情景と、門内のタバコ工場の場面の転換は、複数(5つ?)繋げたパーテーションをダンサーの手で一気に回して行いますが、やっている事は歌舞伎に於ける回り舞台そのものです。

また、第二幕でのガルシア登場の場は、学者役が大夫になって、パントマイムをしているダンサーの台詞を言います。ダンサーを人形に置き換えれば、やっている事はまさしく文楽です。そもそも舞台を張り出して、学者の部屋のようにしている時点で、文楽の出語り床そのものです。

その他舞台装置に関して言えば、パーテーションの使い方が実に絶妙でした。

このカルメンには亡霊たちが登場しますが、東海道四谷怪談的でもあり、オペラ「ドン-ジョバンニ」の騎士長が迫る場面のように思いました。

もちろん、Noismの皆さん、みんな踊れるし演じられるしで、舞踊と言うよりは演劇を楽しめた感じです♪

2016年2月18日木曜日

Janine Jansen + Itamar Golan, recital, (18th February 2016), review ジャニーヌ=ヤンセン + イタマール=ゴラン 名古屋公演 評

2016年2月18日 木曜日
Thursday 18th February 2016
電気文化会館コンサートホール (愛知県名古屋市)
Denki Bunka Kaikan Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Johannes Brahms: Sonata per violino e pianoforte n.2 op.100
Bartók Béla: Sonata per violino e pianoforte n.2 Sz.76
(休憩)
Bartók Béla: Dansuri populare românești Sz.56 (ルーマニア民族舞曲)
Fritz Kreisler: Marche Miniature Viennoise (ヴィーン風小行進曲)
Fritz Kreisler: Liebesleid (愛の悲しみ)
Fritz Kreisler: syncopation (シンコペーション)
Manuel de Falla (arr. Fritz Kreisler): Danza Española nº 1 (La vida breve) (エスパーニャ舞曲第1番 (歌劇「はかなき人生」より))
Manuel de Falla: Siete canciones populares españolas (7つのエスパーニャ民謡より)

violino: Janine Jansen
pianoforte: Itamar Golan

「7つのエスパーニャ民謡より」で演奏された曲目は、1. ムーア人の衣装 2. 子守唄 3. 歌 4. ポーロ 5. アストゥリアス地方の歌 6. ホタ である。

ジャニーヌ=ヤンセンは、2016年2月16日から22日に掛けて、イタマール=ゴランとともにリサイタルを、ファリアホール(横浜)、紀尾井ホール(東京)、電気文化会館(名古屋)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)、東京文化会館(東京)にて行う。電気文化会館に於いては、ブラームス・バルトークのほか、クライスラー・ファジャを演奏するプログラムとなる。

この評は、2月18日電気文化会館の公演に対する評である。

着席位置はやや前方正面中央、観客の入りは9割程か。観客の鑑賞態度は、若干ノイズはあったものの、余韻を損なう拍手はなく、概ね極めて良好だった。

前半は、バルトークのVnソナタ2番が素晴らしい。目を見張る出来だ。ゴランも同格に張り合うし、ジャニーヌはよく考えて構築し、求められている響きを的確に出す。鋭く弾いていても太さがある響きが伴うからか、優し目な響きに聴こえるかな♪

後半はバルトーク・クライスラー・ファジャの曲で、乱暴に言うとポピュラー路線である。全般的にジャニーヌのしっとりとした音色で色付けされている。ファジャだからと言ってエスパーニャ色そのまんまには、決してしない。通俗的な曲目もジャニーヌに掛かるとこのようになるんだ!と言った感じになり、ジャニーヌ色に染まると違って聴こえてくるのだなあと感じられる。

しかし、最大の聴かせどころは、アンコール一曲目のルトスワフスキの「スピト」だ。バリバリの現代音楽を鋭く聴かせてくれ、テンションが上がりまくる。前半最後にバルトークのVnソナタ2番を持ってくるなど、アンコールを含めて、プログラムの構成が巧みだ。

ルトスワフスキで興奮した気持ちを鎮めるかのような、アンコール二曲目のフォーレ「夢のあとに」も素晴らしい。穏やかな気分で帰ってぐっすり眠ってね、と言った雰囲気がいいのだよな。そんなジャニーヌたん、loveだよ!!背が高くてモデルみたいな美女だし、また来てね♪♪

2016年2月13日土曜日

Kioi Sinfonietta Tokyo, the 103th Subscription Concert, review 第103回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2016年2月13日 土曜日
Saturday 13th February 2016
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: divertimento n.1 K136
Richard Strauss: Concerto per corno e orchestra n.2
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per corno e orchestra n.3 K447
Richard Strauss: Metamorphosen

violino: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック
corno: Stefan Dohr / シュテファン=ドール
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Rainer Honeck / ライナー=ホーネック

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、ライナー=ホーネックを指揮者に、ホルン奏者のシュテファン=ドールをソリストに迎えて、2016年2月12日・13日に東京-紀尾井ホールで、第103回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

ライナー=ホーネックは、ディヴェルティメントとメタモルフォーゼンはコンサート=マスター、二曲あるホルン協奏曲は指揮を担当する。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管とティンパニは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、時折ノイズが発生したものの、概ね極めて良好で、メタモルフォーゼンの後の静寂も(時報がなっちゃったけど)守られた。

第一曲目の「ディヴェルティメント」は第三楽章がヴィヴィッドな感じで私の好みである。

第二曲目はリヒャルト=シュトラウスのホルン協奏曲第2番である。ホルン-ソロはシュテファン=ドールだ。

この曲を私が聴くのは初めてであり、リヒャルト=シュトラウスの書法に慣れていないからそのように感じられたのかもしれないが、第一楽章ではドールが紀尾井ホールの響きにマッチせず苦しめられているように思えて、加えて管弦楽が控え目な設定であったこともあり、バラバラな印象を持つ。

しかし第二楽章で、木管の見せ場からさり気なくホルンが入って来るところは素晴らしい。

シュテファン=ドールが本領を発揮し出すのは、休憩後に演奏されたモーツァルトのホルン協奏曲第3番である。弱めな響きの管弦楽と完全にマッチしており、弱音のコントロールが見事で、管弦楽と同じ方向を向いた演奏が、見事に当たる。よく考えられて構成された演奏である。

しかし、シュテファン=ドールの本領はアンコールでさらに発揮される。曲目はメシアンの「峡谷から星たちへ・・」第二部第6章「恒星の叫び声」である。

協奏曲のソリストとして、あるいはアウェイである紀尾井ホールの奏者として課せられた制約から逃れ、自由を得て、伸びやかな明るい響きの演奏だ。

紀尾井ホールの響きを完全に掌握した上で、全てが絶妙に絡み合い、何らの制約なく、やりたい放題に超絶技巧を披露し、私のテンションが上がりまくる。「メタモルフォーゼン」の前で興奮しちゃって良いのかと、罪の意識を持ちながら。

最後の曲は、リヒャルト=シュトラウスのメタモルフォーゼンである。

緻密に考えられ、個々の奏者の技量が的確に発揮され、純音楽的なメリハリがありながらも、感情過多になり過ぎない(私にとっては、涙腺が潤むか潤まないかのギリギリの線だった)重さを感じさせる見事な演奏である。

この曲を、紀尾井ホールのような中規模ホールで聴くことに幸せを感じる。23人の弦楽奏者それぞれが独立しており、一人ひとりの弦楽が意味を持つこの曲は、やはり大ホールでは限界がある。大ホールフルオケばかりの東京で、機会は少ないけれども、紀尾井ホールで、紀尾井シンフォニエッタ東京の演奏で聴けるのは、奇蹟的な幸運だ。

この曲の最後では、祈る気持ちになる。天井のシャンデリアに視線を向け、あるいは目を瞑り、視覚的な情報をカットして響きに心を傾ける。曲が終わり、観客は静寂を保つ。ちょうど16時になり時報がなってしまうのは不幸だったが、祈りの時間が確保される。ホーネックが終了の合図を出したのか、観客から拍手が湧き上がり始める。曲が終わったらしい。名演が終わった。そろそろ私も目を開き、拍手をし始めよう。