2014年1月26日 日曜日
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 「コリオラン」序曲 op.62
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン 三重協奏曲 op.56
(休憩)
カール=マリア=フォン-ヴェーバー 交響曲第1番 op.19
ヴァイオリン:マーク=ゴトーニ
ヴァイオリン-チェロ:水谷川優子(みやがわ ゆうこ)
ピアノ:ラルフ=ゴトーニ
管弦楽:オーケストラ-アンサンブル-金沢(OEK)
指揮:ラルフ=ゴトーニ
OEKは、ラルフ=ゴトーニを指揮者に迎えて、2014年1月26日、第345回定期演奏会を開催した。ラルフ=ゴトーニのOEKへの出演は2012年以来二年ぶりである。ヴァイオリンのソリストであるマーク=ゴトーニはラルフ=ゴトーニの息子で、実に良く父親と似ている。チェロのソリストは、当初予定はヴォルグガング=メールホルンであったが、演奏会前日に体調を崩し、水谷川優子が代役として出演することとなった。彼女は、実はマーク=ゴトーニの妻である。予期せぬ形で、三重協奏曲はゴトーニ一家とOEKとの共演と言う形となる。
コンサートミストレスは、マーラー室内管弦楽団のコンサートミストレスとしても名高いアビゲイル=ヤングである。ティンパニは、関西フィルハーモニー管弦楽団首席奏者のエリック=パケラが担当だ。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後ろにつく。舞台後方下手側にホルン、中央部に木管パートとその後ろにティンパニ、上手側にホルン以外の金管楽器を配置している。
着席位置は一階正面ど真ん中より僅かに上手側、観客の入りは六割程であろうか、一階正面14列目中央の席にすら空席がある状態だ。おそらく、定期会員の客がサボったものと考えられる。ひでえ輩だ。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲目の「コリオラン」序曲は、既に用意されてあるピアノの前に立っての指揮だ。今日のOEKの演奏は実に完成度が高い。精緻さ・パッションいずれもがOEKの実力を100%発揮している素晴らしい演奏だ。もちろん最強奏のあとのゼネラルパウゼになり響く残響は、石川県立音楽堂ならではのもので、涙を誘う。実に素晴らしいホールであることも実感させられる。
二曲目の三重協奏曲は、弾き振りのラルフ=ゴトーニのピアノ、マーク=ゴトーニのヴァイオリンともに管弦楽を一歩上回る響きである。ラルフ=ゴトーニのピアノは実に上手で、響きについてよく考え練られ、とてもピアノを舞台後方に向け天板を外している演奏とは思えない。この点でシュテファン=ヴラダーを軽く圧倒するし、全般的な完成度も上だ。
水谷川優子のチェロは、特に第一楽章ではガチガチに固くなっていて、エンドピンを刺す場所を変えたりとかなり神経質な状況だ。チェロの音は鳴らず聞こえず、特に多くの音を速く演奏するフレーズでは何を弾いているかさっぱり分からない状況で、ヴォルグガング=メールホルンの不在を思い知らされる。それでも、第二楽章冒頭のチェロのソロ、第三楽章中盤の、長めのスタッカートで音を刻んでいく箇所に於いてはそれなりの音で聴けるものであり、急な代役としての最低限の責務は果たしたと言うべきか。
三曲目のヴェーバーの交響曲第1番は、マニア向けとしか言いようのない変わった曲である。しかしこの曲も演奏が素晴らしいと、作曲の巧拙などどうでも良くなる。ラルフ=ゴトーニの導きは的確で、この場面でどの楽器がどのように弾けば良いのかが明確で、精緻さを伴いつつもパッションを出している素晴らしい演奏だ。OEKの持っている力を100%活かし、石川県立音楽堂の響きを確実に掴んでいる。まるで二年のブランクを全く感じさせない、ずっと長い間常任指揮者として関わってきたかのような親密さすら感じる。指揮者と管弦楽との信頼関係が噛み合っているからこそのものだろう。曲の終了後にゴトーニが一番先に立たせたのは、フルートの岡本えり子である。
マルク=ミンコフスキとはタイプが違うのだろうけど、ラルフ=ゴトーニも間違いなく「響きの魔術師」だ。OEKに取って最も必要としている指揮者の一人であることは確実である。次期音楽監督は、ラルフ=ゴトーニか山田和樹のどちらかで決まりだろうし、そうしなけらばならない。
アンコールはシベリウスの「悲しいワルツ」、お国ものスオミの曲で幕を閉じた。
2014年1月26日日曜日
2014年1月25日土曜日
庄司紗矢香+サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団 大阪公演 評
2014年1月25日 土曜日
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)
曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ
サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。
着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。
対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。
管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。
庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。
ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。
後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。
アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。
ザ-シンフォニーホール (大阪府大阪市)
曲目:
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー ヴァイオリン協奏曲 op.35
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:庄司紗矢香
管弦楽:サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー交響楽団(Санкт-Петербургская Филармония им. Шостаковича)
指揮:ユーリ=テミルカーノフ
サンクト-ペテルブルク フィルハーモニー管弦楽団は、庄司紗矢香(ヴァイオリン)、エリソ=ヴィクサラーゼ(ピアノ)をソリストに、ユーリ=テミルカーノフに率いられて、2014年1月24日から2月1日までに掛けて日本ツアーを行い、東京・大阪・横浜・名古屋・福岡にて計7公演開催する。庄司紗矢香は1月25日に大阪、1月26日に横浜、1月30日に名古屋にてソリストとして登場する。庄司紗矢香がザ-シンフォニーホール、横浜みなとみらいホール、愛知県立芸術劇場と言った、音響に定評のあるホールのみに登場するのは深い意味がありそうだ。この評は、第二回目1月25日大阪市ザ-シンフォニーホールでの公演に対してのものである
庄司紗矢香は1983年生まれの、ヴァイオリニストであり、言うまでもなく日本人ではトップレベルのヴァイオリン奏者である。この1月30日に31歳の誕生日を迎える。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラ→第二ヴァイオリンの左右対向配置である。舞台後方には舞台下手側からコントラバス→木管楽器とその後ろにティンパニ→金管楽器の順である。ホルンのみ下手側に位置する事もなく、金管楽器は全て舞台上手側に位置する点が今日深い。ロシアの管弦楽団らしく、ティンパニのみが雛壇に乗っており、他は全て同一平面上での演奏である。
着席位置は正面後方下手側、観客の入りは九割五分程である。観客の鑑賞態度は良好であった。
第一曲のチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲はとても優れた演奏である。ターコイズブルーのドレスを着た庄司紗矢香は、ソロの場面で見せるニュアンスが豊かで、特にテンポの独特かつ巧妙な揺るがせ方が抜群である。これは本当に名状しがたいもので、短い間に微妙に揺るがせ、彫りの深い表情を見せるのだ。
対する管弦楽も、前日のマーラー第2番「復活」の際には乱れていたらしいアンサンブルもキッチリ決まっている。
管弦楽のみの部分ではテンポが速めであるが、庄司紗矢香に引き継がれると、何の違和感なしにテンポがゆっくり目となって、彼女が構築する独自の世界に引き込まれるのが面白い。
庄司紗矢香と管弦楽とのバランスも良く考え抜かれている。これほどまでのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を生で接したのは初めてだ。
ソリスト-アンコールは、クライスラーの「レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース」op.6である。庄司紗矢香の構築する深い表現が味わえるアンコールである。
後半のチャイコフスキーの交響曲第4番は、アンサンブルはあっているし、個々の技量も完璧だし、綺麗に響いているし、で、テミルカーノフの意図通りの演奏である。随所に出てくる金管ソロをゆっくり吹かせたり、テンポを特に第二楽章で揺るがせたのが特徴か。大雑把だけどとにもかくにも爆演系でノックアウトさせるというものではなく、良くも悪くも「ロシア」的ではない。「ロシア」的でないという点では、あまり面白くない。
アンコールは、何故かエルガーの「愛のあいさつ」。て、ところがやはりロシアらしくないなあ。メインディッシュは庄司紗矢香と言うところか、彼女の30歳とは思えない彫りの深い表現を味わうことが出来た、演奏会であった。
2014年1月19日日曜日
ラデク-バボラーク ホルン-リサイタル 評
2014年1月19日 日曜日
挙母市コンサートホール (愛知県挙母市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン ホルン-ソナタ op.17
ロベルト=シューマン アラベスク op.18 (※)
シャルル=ケクラン ホルン-ソナタ op.70
(休憩)
ロベルト=シューマン 「3つのロマンス」 op.94
フランシス=プーランク 即興曲第15番 「エディット=ピアフを讃えて」 (※)
ヤン=ズデニュク=バルトシュ 「エレジーとロンディーノ」
レフ=コーガン 〈CHABAD〉によるハシディック組曲
(※印は菊池洋子のソロ)
ホルン:ラデク=バボラーク
ピアノ:菊池洋子
着席位置は、一階ど真ん中より少し後方かつ上手側である。客の入りは七割くらいであろうか。聴衆の鑑賞態度は概ね良好であった。
ラデク=バボラークは全般的に渡り、いかなる場面でも完璧な音量、ニュアンスで、かつ柔和な響きで魅了させられる。テンポは中庸で、あまり変動は掛けない。
一方で菊池洋子のピアノは、特に前半は遠くにあるように聴こえる。私の列は17列目かつ上手側であるが、キチンと響かせていない形である。良く言えば、バボラークに遠慮した抑制的な演奏であるが、しかし「伴奏者」もパッションを出して「主役」に対抗し、「主役」に決起を促す役割はあるだろう。今日の菊池洋子は「貞淑な人妻」のような演奏で、あまり面白みがない。不倫をするかのような雰囲気を漂わせて「主役」に火をつけてもらいたかったところはある。
特に良かった演奏は、ケクランの「ホルン-ソナタ」、バルトシュの「エレジーとロンディーノ」であり、叙情的な曲で二人の演奏の方向性が似合っていたようには思う。
アンコールは5曲というか、一つの小品と一つの組曲の演奏で、曲目は、田中カレンの「魔法にかけられた森」から第二楽章、マイケル=ホーヴィット「サーカス組曲」から第一曲「行進曲」、第三曲「象」、第四曲「空中ブランコ」、第五曲「ピエロ」であった。
挙母市コンサートホール (愛知県挙母市)
曲目:
ルートヴィヒ=ファン=ベートーフェン ホルン-ソナタ op.17
ロベルト=シューマン アラベスク op.18 (※)
シャルル=ケクラン ホルン-ソナタ op.70
(休憩)
ロベルト=シューマン 「3つのロマンス」 op.94
フランシス=プーランク 即興曲第15番 「エディット=ピアフを讃えて」 (※)
ヤン=ズデニュク=バルトシュ 「エレジーとロンディーノ」
レフ=コーガン 〈CHABAD〉によるハシディック組曲
(※印は菊池洋子のソロ)
ホルン:ラデク=バボラーク
ピアノ:菊池洋子
着席位置は、一階ど真ん中より少し後方かつ上手側である。客の入りは七割くらいであろうか。聴衆の鑑賞態度は概ね良好であった。
ラデク=バボラークは全般的に渡り、いかなる場面でも完璧な音量、ニュアンスで、かつ柔和な響きで魅了させられる。テンポは中庸で、あまり変動は掛けない。
一方で菊池洋子のピアノは、特に前半は遠くにあるように聴こえる。私の列は17列目かつ上手側であるが、キチンと響かせていない形である。良く言えば、バボラークに遠慮した抑制的な演奏であるが、しかし「伴奏者」もパッションを出して「主役」に対抗し、「主役」に決起を促す役割はあるだろう。今日の菊池洋子は「貞淑な人妻」のような演奏で、あまり面白みがない。不倫をするかのような雰囲気を漂わせて「主役」に火をつけてもらいたかったところはある。
特に良かった演奏は、ケクランの「ホルン-ソナタ」、バルトシュの「エレジーとロンディーノ」であり、叙情的な曲で二人の演奏の方向性が似合っていたようには思う。
アンコールは5曲というか、一つの小品と一つの組曲の演奏で、曲目は、田中カレンの「魔法にかけられた森」から第二楽章、マイケル=ホーヴィット「サーカス組曲」から第一曲「行進曲」、第三曲「象」、第四曲「空中ブランコ」、第五曲「ピエロ」であった。
2014年1月13日月曜日
東京楽所 雅楽 「源氏物語~悠久の響宴」 評
2014年1月13日 月曜日
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
演目:
管絃
・盤渡調音取(ばんしきちょうねとり)
・青海波(せいがいは)
・越天楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんへん)
(休憩)
舞楽
・万歳楽(まんざいらく)
・落蹲(らくそん)
雅楽:東京楽所(とうきょうがくそ)
(舞人・演奏者の詳細は最後に掲載)
解説:多忠輝(おおのただあき) 進行:野原耕二
東京楽所 雅楽「源氏物語~悠久の響宴」は、1月11日に栃木県総合文化センター、1月13日に三井住友海上しらかわホールにて上演された。一部重複するプログラムで、1月19日にも東京オペラシティ-タケミツメモリアルでも上演される。
着席位置は、二階三列目ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは八割程であろうか。二階左右バルコニー席は閉鎖している。聴衆の鑑賞態度はかなり良好である。
休憩前の第一部は「管絃」であり、西洋音楽でいえば室内管弦楽団演奏会に相当するものである。舞台に管絃が座り演奏する形態だ。
16人による演奏であるが、笙はオルガンのように響き、弦楽器・管楽器・打楽器と西洋音楽の管弦楽と同様に構成されている。雅楽の楽器は思ったよりも大きな音量を出せる。しらかわホールのような中規模ホールでは、強い音圧でしっかりとした残響とともに響いてくる。栃木県総合文化センターでは絶対味わえないし、タケミツメモリアルは大きなホールであるため、残響はともかくここまで強い音圧では響かないだろう。理想的な環境での演奏だ。
恐らく西洋の楽器に持ち帰れば即アンサンブルとして名が知られるだろうと思えるほど、上手に演奏する。雅楽の様式による演奏であるため、テンポの変動はあまりない。「越天楽残楽三返」の「残楽」とは、ヨーゼフ=ハイドンの「告別」最終楽章のように、メロディーをフルメンバーで演奏した後、演奏を止める奏者が増えていき、最後は楽箏のみが残って演奏して終わる形式である。ハイドンの「告別」のように退席まではしないが、西洋音楽がこのような形式を編み出す何百年も前から、日本では「残楽」の形で演奏されている事に注目させられる。
休憩後の第二部は「舞楽」であり、室内管弦楽団を伴うカルテットまたはソロ-バレエに相当するか。管絃は舞台後方の一段高くなっているところに位置し、舞台は文字通り舞人のためだけのスペースとなる。
最後に掲載した(舞人・演奏者詳細)でも示した通り、舞人は休憩前は管絃として演奏をしている。
西洋音楽のように、バレリーナ・歌い手・管弦楽のような職務上の区別はなく、演奏も舞う事も要求されるのが雅楽である。
演奏自体は前半と同様の完成度の高いものであり、申し分ない。
「万歳楽」は四人の舞人による群舞である。左舞であり、遣唐使により唐の国を経由して(あくまで「経由」であり、唐由来ではなく、あるいはヴェトナム辺りの様式であるのかもしれない)入ってきた様式による舞いだ。衣装はどこか中国風である。
テンポが遅めである事もあるのだろうが、群舞の全ての振る舞いは、一糸乱れずとの文字通りとまでは言えないまでも、基本的には合っている。時間的な要素だけでなく、指先の角度と言った空間的な要素に於いても、ボリジョイ-バレエの群舞の精度と比較すれば抜群の精度を保ち、これほどまで合っていれば十分だ。彼らが専任のバレリーナでない事を踏まえれば驚異的であろう。
「落蹲」となると、題名の意味する通りに、いよいよ一人だけの舞いとなる。右舞であり、朝鮮半島を経由(これも、あくまで「経由」であり、朝鮮半島由来という意味ではない)して入ってきた様式による舞いである。面を被っての舞いだ。
多忠純によるこの舞いも見事なもので、テンポは遅めであるものの、その分「静」を強調しなければならず、静止する場面もある。その静止した場面で安定感ある静止をしているところに目を奪われる。ロシアのプリマクラスのバレリーナでも、このような安定感ある静止の演技は期待できない。また、たった一人で20分近くに渡り連続した舞踏を続けていく。もちろん高いジャンプやリフトを要求される性格のものではないが、その長い時間に渡って安定した演技を続けるのは驚異的な体力を要するだろう。
雅楽は日本固有のものだけではない。唐の国を経由した左舞、朝鮮半島を経由した右舞、中国風の衣装を見れば分かる通り、遠い大陸の音楽や舞を千年規模のスケールで継承している所にこそ、我々日本文化の誇る所である。そのような雅楽を見て、改めて日本人として私がどのように振る舞うべきなのか、改めて考えさせられるところもある。文楽と並び、日本が誇る総合舞台芸術であることを思い知らされた公演であった。
(舞人・演奏者詳細)
管絃
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:笠井聖秀
鉦鼓:中村容子
楽琵琶:松井北斗 多忠純
楽箏:岩波孝昌 小原完基
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
舞楽
舞人「万歳楽」:岩波孝昌 増山誠一 植原宏樹 小原完基
舞人「落蹲」:多忠純
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:松井北斗
鉦鼓:中村容子
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
演目:
管絃
・盤渡調音取(ばんしきちょうねとり)
・青海波(せいがいは)
・越天楽残楽三返(えてんらくのこりがくさんへん)
(休憩)
舞楽
・万歳楽(まんざいらく)
・落蹲(らくそん)
雅楽:東京楽所(とうきょうがくそ)
(舞人・演奏者の詳細は最後に掲載)
解説:多忠輝(おおのただあき) 進行:野原耕二
東京楽所 雅楽「源氏物語~悠久の響宴」は、1月11日に栃木県総合文化センター、1月13日に三井住友海上しらかわホールにて上演された。一部重複するプログラムで、1月19日にも東京オペラシティ-タケミツメモリアルでも上演される。
着席位置は、二階三列目ど真ん中より僅かに上手側である。客の入りは八割程であろうか。二階左右バルコニー席は閉鎖している。聴衆の鑑賞態度はかなり良好である。
休憩前の第一部は「管絃」であり、西洋音楽でいえば室内管弦楽団演奏会に相当するものである。舞台に管絃が座り演奏する形態だ。
16人による演奏であるが、笙はオルガンのように響き、弦楽器・管楽器・打楽器と西洋音楽の管弦楽と同様に構成されている。雅楽の楽器は思ったよりも大きな音量を出せる。しらかわホールのような中規模ホールでは、強い音圧でしっかりとした残響とともに響いてくる。栃木県総合文化センターでは絶対味わえないし、タケミツメモリアルは大きなホールであるため、残響はともかくここまで強い音圧では響かないだろう。理想的な環境での演奏だ。
恐らく西洋の楽器に持ち帰れば即アンサンブルとして名が知られるだろうと思えるほど、上手に演奏する。雅楽の様式による演奏であるため、テンポの変動はあまりない。「越天楽残楽三返」の「残楽」とは、ヨーゼフ=ハイドンの「告別」最終楽章のように、メロディーをフルメンバーで演奏した後、演奏を止める奏者が増えていき、最後は楽箏のみが残って演奏して終わる形式である。ハイドンの「告別」のように退席まではしないが、西洋音楽がこのような形式を編み出す何百年も前から、日本では「残楽」の形で演奏されている事に注目させられる。
休憩後の第二部は「舞楽」であり、室内管弦楽団を伴うカルテットまたはソロ-バレエに相当するか。管絃は舞台後方の一段高くなっているところに位置し、舞台は文字通り舞人のためだけのスペースとなる。
最後に掲載した(舞人・演奏者詳細)でも示した通り、舞人は休憩前は管絃として演奏をしている。
西洋音楽のように、バレリーナ・歌い手・管弦楽のような職務上の区別はなく、演奏も舞う事も要求されるのが雅楽である。
演奏自体は前半と同様の完成度の高いものであり、申し分ない。
「万歳楽」は四人の舞人による群舞である。左舞であり、遣唐使により唐の国を経由して(あくまで「経由」であり、唐由来ではなく、あるいはヴェトナム辺りの様式であるのかもしれない)入ってきた様式による舞いだ。衣装はどこか中国風である。
テンポが遅めである事もあるのだろうが、群舞の全ての振る舞いは、一糸乱れずとの文字通りとまでは言えないまでも、基本的には合っている。時間的な要素だけでなく、指先の角度と言った空間的な要素に於いても、ボリジョイ-バレエの群舞の精度と比較すれば抜群の精度を保ち、これほどまで合っていれば十分だ。彼らが専任のバレリーナでない事を踏まえれば驚異的であろう。
「落蹲」となると、題名の意味する通りに、いよいよ一人だけの舞いとなる。右舞であり、朝鮮半島を経由(これも、あくまで「経由」であり、朝鮮半島由来という意味ではない)して入ってきた様式による舞いである。面を被っての舞いだ。
多忠純によるこの舞いも見事なもので、テンポは遅めであるものの、その分「静」を強調しなければならず、静止する場面もある。その静止した場面で安定感ある静止をしているところに目を奪われる。ロシアのプリマクラスのバレリーナでも、このような安定感ある静止の演技は期待できない。また、たった一人で20分近くに渡り連続した舞踏を続けていく。もちろん高いジャンプやリフトを要求される性格のものではないが、その長い時間に渡って安定した演技を続けるのは驚異的な体力を要するだろう。
雅楽は日本固有のものだけではない。唐の国を経由した左舞、朝鮮半島を経由した右舞、中国風の衣装を見れば分かる通り、遠い大陸の音楽や舞を千年規模のスケールで継承している所にこそ、我々日本文化の誇る所である。そのような雅楽を見て、改めて日本人として私がどのように振る舞うべきなのか、改めて考えさせられるところもある。文楽と並び、日本が誇る総合舞台芸術であることを思い知らされた公演であった。
(舞人・演奏者詳細)
管絃
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:笠井聖秀
鉦鼓:中村容子
楽琵琶:松井北斗 多忠純
楽箏:岩波孝昌 小原完基
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
舞楽
舞人「万歳楽」:岩波孝昌 増山誠一 植原宏樹 小原完基
舞人「落蹲」:多忠純
鞨鼓:楠義雄
楽太鼓:松井北斗
鉦鼓:中村容子
笙:増山誠一 野津輝男 増田千斐
篳篥:山田文彦 四條丞慈 新谷恵
笛:上研司 植原宏樹 片山寛美
登録:
投稿 (Atom)