2016年1月30日 土曜日
Saturday 30th January 2016
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)
曲目:
Benjamin Britten: Simple Symphony op.4
Frédéric Chopin: Variations on "La ci darem la mano" op.2
(休憩)
Frédéric Chopin: Concert Londo "Krakowiak" op.14
Felix Mendelssohn Bartholdy: Sinfonia n.5 op.107
pianoforte: Alexander Krichel
orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢)
direttore: Matthias Bamert
オーケストラ-アンサンブル-金沢は、ピアノにアレクサンダー=クリッヒェル、指揮にマティアス=バーメルトを迎えて、2016年1月30日に石川県立音楽堂で、第372回定期演奏会を開催した。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの上手方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、他の金管は後方上手、ティンパニは最後方中央の位置につく。
着席位置は一階正面中央わずかに上手側、客の入りは八割程であろうか、チケット完売には至らなかった。
演奏について述べる。
一曲目のシンプル-シンフォニーは、第三楽章・第四楽章が素晴らしい。第二楽章のピッチカートは、中規模ホールだとよく響いて素晴らしい演奏になったろう。
ショパンの、事実上の一楽章形式のピアノ協奏曲が二曲披露される。
ピアノのアレクサンダー=クリッヒェルはハンブルク生まれ。強い音も軽やかさを失わない響きで魅了される。 管弦楽のサポートは絶妙に考えられ、ピアノが休んで管弦楽が強く出るべき箇所の鋭さも見事で、構築力のある組み立てである。
ショパンがモーツァルトの影響を受けた事を伺わせるピアノの軽やかな響きは、これら事実上のピアノ協奏曲には必須な要素だが、これをどんな強い音でも失わせないアレクサンダー=クリッヒェルは素晴らしい!アンコールはクリッヒェル自身の作による「ララバイ」であったが、弱音が綺麗であった。
後半は、メンデルスゾーンの交響曲第5番である。冒頭の金管の鮮やかな響きと(終始金管の調子は良かったように思える)弦楽の弱いけど細さを感じさせない響きとの対比から惹き寄せられる。全般的に奇を衒わない正統派の演奏であるが、もう少し派手にやったら名演の域に達したかもしれない。アンコールはモーツァルトの「カッサシオン」KV65 からアンダンテであった。 #oekjp
2016年1月30日土曜日
2016年1月10日日曜日
新国立劇場バレエ団 ニューイヤーバレエ (2016年1月) 雑感
2015年最後の公演をパリ国立オペラ バレエで終え、今年初めての公演は、新国立劇場バレエ団の「ニューイヤーバレエ」でありました。
1月9・10日の二回だけの公演であり、いずれもチケットは完売したかと思われます。
三部構成に分かれます。
第一部はジョージ=バランシンの「セレナーデ」、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」op.48の音楽に乗せた演目です。
第二部は、貝川鐵夫(新国立劇場バレエ団ファースト-ソリスト)の振り付けによるFoliaの他、バレエ-ガラ形式で、「パリの炎」「海賊」「タランテラ」の演目です。
第三部は、アレクサンドル=グラズノフの「ライムンダ」第三幕です。
以下、1月9日公演、1月10日公演と分けて、感想を記載します。
(2016年1月9日公演)
第一部の「セレナーデ」は、細田千晶さんが私にとって一番好みの踊りでした。あと、本島美和さんがスカートを空気抵抗を使って落とす場面が印象的です。バランシンの演目は積極的に取り上げて欲しいです。
第二部は、米沢唯ちゃんの「タランテラ」を完璧な踊りで可愛いく仕上げてきました😊あと、ファリアの池田さんらしき踊りが印象に残りました。
第三部の「ライムンダ」は、小野絢子さんのオーラで盛り上げました。
チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」は、室内管弦楽団の規模で、やはり松本市音楽文化ホールや紀尾井ホールといったような、響きの優れた中規模ホールでやって欲しい曲目です。それでも、特に10日公演での新国立劇場に於ける東フィルは、巨大劇場の割にはよくやっていると思います。
ど素人の放言と受け止めて頂きたいですが😅、細田千晶さんのファースト-ソリスト、池田武志さんのソリスト昇格は確実だと思っています。
池田さんの場合は、今シーズン2階級特進しても良かったのだろうけど、花純さんのように主役起用ではなかったから、1階級ずつにしただけなのでしょうね。
細田千晶さんは、現行ソリスト階級陣の中で、明らかに抜きん出ています。踊りの完成度と、これがもたらす踊りの美しさの点で。彼女が昇格しなくて他のソリストが昇格したら、ちょっと抗議活動ものかな😜(←コラッ😅😅)
(2016年1月10日公演)
第一部「セレナーデ」。二回目となると、身を委ねるように観ることができるようになります。今日は涙腺が決壊しそうになりました。主要メンバーだけでなく、群舞まで士気の高さが感じられる踊りをしているからなのでしょう。
「セレナーデ」はプロセニアム制限を掛ける事なく、12mそのまんま使っているのも、いいのだと思います。舞台装置使っていると、地方公演考慮して12mフルに使っていないようであるので。
10日公演はほぼ中央の席で観劇でき、その場所ならではの視点で観ることがができましたが、後半部で、本島美和さんが菅野英男さん(?)の背後に回って、鳥の羽ばたきの仕草をしたあとに、寺田亜沙子さんから略奪していくように見えた場面では、さすが、わる〜い女の美和りん だなと思いました😜😁😊
第2部について。
「海賊」の長田佳世さんは、女性ソロの柔らかい浮遊感溢れる跳躍と、最後の後方上手側から前方下手側に来るところが綺麗に決まっておりました。これらの箇所については、9日のキャストであった木村優里さんにとって、素晴らしい手本になる箇所かと考えます。
「タランテラ」の小野絢子さんは、米沢唯ちゃんとは別種の可愛さです。タンバリンを持ち出した直後のソロは管弦楽と揃えることに焦点を絞り、見事に決まりました。雄大さんも素晴らしかったです。
第3部終了。10日公演の「ライムンダ」は米沢唯ちゃん!一つ一つの所作が完璧でした。昨日の親しみやすい可愛さから、貫禄のあるお姫様に変身しておりました😊
作品としての「ライムンダ」はどうかと思うけど(第三幕は結婚式の舞踊だけという、どうしようもない内容!)、ここまでの内容で打ち出してくる新国立劇場バレエ団のダンサーたちは凄いです!
というわけで、今年は、新国立劇場バレエ団、ニューイヤーバレエ、連続二公演で幕を開けました。早速の素晴らしい公演で、意気揚々と松本に帰っております😊😊
1月9・10日の二回だけの公演であり、いずれもチケットは完売したかと思われます。
三部構成に分かれます。
第一部はジョージ=バランシンの「セレナーデ」、チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」op.48の音楽に乗せた演目です。
第二部は、貝川鐵夫(新国立劇場バレエ団ファースト-ソリスト)の振り付けによるFoliaの他、バレエ-ガラ形式で、「パリの炎」「海賊」「タランテラ」の演目です。
第三部は、アレクサンドル=グラズノフの「ライムンダ」第三幕です。
以下、1月9日公演、1月10日公演と分けて、感想を記載します。
(2016年1月9日公演)
第一部の「セレナーデ」は、細田千晶さんが私にとって一番好みの踊りでした。あと、本島美和さんがスカートを空気抵抗を使って落とす場面が印象的です。バランシンの演目は積極的に取り上げて欲しいです。
第二部は、米沢唯ちゃんの「タランテラ」を完璧な踊りで可愛いく仕上げてきました😊あと、ファリアの池田さんらしき踊りが印象に残りました。
第三部の「ライムンダ」は、小野絢子さんのオーラで盛り上げました。
チャイコフスキーの「弦楽セレナーデ」は、室内管弦楽団の規模で、やはり松本市音楽文化ホールや紀尾井ホールといったような、響きの優れた中規模ホールでやって欲しい曲目です。それでも、特に10日公演での新国立劇場に於ける東フィルは、巨大劇場の割にはよくやっていると思います。
ど素人の放言と受け止めて頂きたいですが😅、細田千晶さんのファースト-ソリスト、池田武志さんのソリスト昇格は確実だと思っています。
池田さんの場合は、今シーズン2階級特進しても良かったのだろうけど、花純さんのように主役起用ではなかったから、1階級ずつにしただけなのでしょうね。
細田千晶さんは、現行ソリスト階級陣の中で、明らかに抜きん出ています。踊りの完成度と、これがもたらす踊りの美しさの点で。彼女が昇格しなくて他のソリストが昇格したら、ちょっと抗議活動ものかな😜(←コラッ😅😅)
(2016年1月10日公演)
第一部「セレナーデ」。二回目となると、身を委ねるように観ることができるようになります。今日は涙腺が決壊しそうになりました。主要メンバーだけでなく、群舞まで士気の高さが感じられる踊りをしているからなのでしょう。
「セレナーデ」はプロセニアム制限を掛ける事なく、12mそのまんま使っているのも、いいのだと思います。舞台装置使っていると、地方公演考慮して12mフルに使っていないようであるので。
10日公演はほぼ中央の席で観劇でき、その場所ならではの視点で観ることがができましたが、後半部で、本島美和さんが菅野英男さん(?)の背後に回って、鳥の羽ばたきの仕草をしたあとに、寺田亜沙子さんから略奪していくように見えた場面では、さすが、わる〜い女の美和りん だなと思いました😜😁😊
第2部について。
「海賊」の長田佳世さんは、女性ソロの柔らかい浮遊感溢れる跳躍と、最後の後方上手側から前方下手側に来るところが綺麗に決まっておりました。これらの箇所については、9日のキャストであった木村優里さんにとって、素晴らしい手本になる箇所かと考えます。
「タランテラ」の小野絢子さんは、米沢唯ちゃんとは別種の可愛さです。タンバリンを持ち出した直後のソロは管弦楽と揃えることに焦点を絞り、見事に決まりました。雄大さんも素晴らしかったです。
第3部終了。10日公演の「ライムンダ」は米沢唯ちゃん!一つ一つの所作が完璧でした。昨日の親しみやすい可愛さから、貫禄のあるお姫様に変身しておりました😊
作品としての「ライムンダ」はどうかと思うけど(第三幕は結婚式の舞踊だけという、どうしようもない内容!)、ここまでの内容で打ち出してくる新国立劇場バレエ団のダンサーたちは凄いです!
というわけで、今年は、新国立劇場バレエ団、ニューイヤーバレエ、連続二公演で幕を開けました。早速の素晴らしい公演で、意気揚々と松本に帰っております😊😊
2015年11月25日水曜日
Sinfonia Lahti, Matsumoto performance, review ラハティ交響楽団 松本公演 評
2015年11月25日 水曜日
Wednesday 25th November 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Jean Sibelius: “Finlandia” op.26
Jean Sibelius: Concerto per violino e orchestra op.47
(休憩)
Jean Sibelius: Sinfonia n.2 op.43
violino: Petteri Iivonen
orchestra: Sinfonia Lahti
direttore: Okko Kamu
ラハティ交響楽団は、スオミ共和国の首都ヘルシンキから、北北東に100kmの地に位置するラハティ市に本拠を置く。
2015年11月に、ラハティ交響楽団は、オッコ=カムを指揮者に、ペッテリ=イーヴォネンをソリストに迎えて、日本ツアーを行う。全てシベリウスの作品を演奏する。松本・札幌はフィンランディア+ヴァイオリン協奏曲+交響曲第2番のプログラムである。東京では、シベリウスの全ての交響曲とヴァイオリン協奏曲を披露する。なぜか、札幌公演のみソリストは神尾真由子であった(代役ではなく、当初からの予定)。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、打楽器群とホルンは後方下手側、その他の金管パートは後方上手側の位置につく
着席位置は一階正面やや後方僅かに上手側、観客の入りは、7割程であろうか。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
一曲目の「フィンランディア」は音取り的要素もあり、アウェイ感が感じられるところもある。
二曲目のヴァイオリン協奏曲からは、ソリスト・管弦楽ともホールの響きを完璧に掴み始める。
ソリストのイーヴォネンはかなり個性的な演奏だ。技術を誇示するようなタイプではなく、彼独自で解釈した曲想を披露する。誰とも似ていないシベリウスを、彼は産み出す。
技術的に彼より巧い奏者はいるのだろうけど、彼の個性の代わりを務められる奏者は、どこにもいない。音量は小さめであるが、巧みに響かせる。独特の深い音色を駆使しニュアンスで攻めるタイプである。良く響く693席の中規模音楽堂である松本市音楽文化ホールだからこそ、彼の演奏が活きてくる。ヴァイオリン協奏曲というものは、中規模音楽堂を想定して書かれたものなのだと、強く確信する。タケミツメモリアルのような大規模音楽堂では、まず音量が重要になってくるので、彼には不向きなのかも知れない。
音量が必ずしも大きくないタイプのイーヴォネンを、楽団員は巧みに盛りたてる。ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロとも、素晴らしく美しい弱音を響かせる。だからこそ、イーヴォネンを引き立たせる事ができるのだ。バランスを良く考えても、美しい弱音が生み出せない管弦楽では、イーヴォネンを引き立たせる事はできない。
イーヴォネンとカムと管弦楽は、あたかも一つの家族のような感じで演奏を繰り広げる。ソリスト・指揮者・管弦楽の三者が目指すべき音楽を共有しており、その場面でどのように演奏してどのような響きを出すべきなのか、一音一音誰もが熟知している。イーヴォネンは、いい意味でシベリウスホールの座付きソリストのようだ。外からお客さんとして招かれたソリストというのではなく、ずっとラハティ交響楽団と一緒に演奏して来たようなソリストのように感じられる。おらが交響楽団のソリストを盛りたてようと、管弦楽がサポートしているような、暖かな関係性が目の前にある。これ程まで自然な感じで見事にソリストをサポートする管弦楽は、見た事がない。
ソリストアンコールは、バッハの無伴奏を二曲披露した。BWV1004からアルマンドとBWV1005からアレグロ-アッサイであった。
休憩の後は、第二交響曲だ。
前にこの曲を別の楽団で聴いた時に、この曲への愛を失ってしまい、2番やるなら5番やってくれよと正直思ったところではあるが、冒頭から説得力のある響きで、第二交響曲への愛を取り戻す。
やはり弦楽は素晴らしい技量で、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロとも随所で美しい響きを出してくる。弦楽の実力は間違いなく世界屈指のものだ。シベリウスの2番は、弦楽が強いと本当に活きてくる。
管楽については、意地悪な耳で聴くと超絶技巧の持ち主は少ないけれど、一定の力は保持している。第二楽章のファゴットは実に見事であるし、他の管楽も要所要所では決めてくる。
ある特定の管楽器奏者の名人芸に頼るのではなく、管弦楽全体で作り上げる意志を強く感じる。どこで何をしなければならないかを、楽団員全員が一音一音全て理解している事が感じられ、好感が持てる。
オッコ=カムの指揮は、奇を衒う事はせず、かといって平凡ではなく適度にエッジを利かした巧みな構成力により、ラハティ交響楽団が持つ個性を維持し、ラハティ交響楽団を適切な方向に導いている。他の管弦楽団では聴けない響きを、カムとラハティ交響楽団は産み出してくるのだ。これほどまでに強い個性を持つ管弦楽団も、珍しい。
アンコールは、全てシベリウスの作品で、「悲しいワルツ」「ミュゼット」「鶴のいる風景」の三曲であった。「悲しいワルツ」では、某エストニア人指揮者のような極端な弱音を用いない、至極真っ当な演奏で魅了されし、他の二曲も弦楽とクラリネットとの見事な対比を味わう事が出来るものであった。
観客の反応はかなり熱狂的で、スタンディングオベーションを伴って演奏会を終了した。
Wednesday 25th November 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Jean Sibelius: “Finlandia” op.26
Jean Sibelius: Concerto per violino e orchestra op.47
(休憩)
Jean Sibelius: Sinfonia n.2 op.43
violino: Petteri Iivonen
orchestra: Sinfonia Lahti
direttore: Okko Kamu
ラハティ交響楽団は、スオミ共和国の首都ヘルシンキから、北北東に100kmの地に位置するラハティ市に本拠を置く。
2015年11月に、ラハティ交響楽団は、オッコ=カムを指揮者に、ペッテリ=イーヴォネンをソリストに迎えて、日本ツアーを行う。全てシベリウスの作品を演奏する。松本・札幌はフィンランディア+ヴァイオリン協奏曲+交響曲第2番のプログラムである。東京では、シベリウスの全ての交響曲とヴァイオリン協奏曲を披露する。なぜか、札幌公演のみソリストは神尾真由子であった(代役ではなく、当初からの予定)。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、打楽器群とホルンは後方下手側、その他の金管パートは後方上手側の位置につく
着席位置は一階正面やや後方僅かに上手側、観客の入りは、7割程であろうか。観客の鑑賞態度は、概ね良好であった。
一曲目の「フィンランディア」は音取り的要素もあり、アウェイ感が感じられるところもある。
二曲目のヴァイオリン協奏曲からは、ソリスト・管弦楽ともホールの響きを完璧に掴み始める。
ソリストのイーヴォネンはかなり個性的な演奏だ。技術を誇示するようなタイプではなく、彼独自で解釈した曲想を披露する。誰とも似ていないシベリウスを、彼は産み出す。
技術的に彼より巧い奏者はいるのだろうけど、彼の個性の代わりを務められる奏者は、どこにもいない。音量は小さめであるが、巧みに響かせる。独特の深い音色を駆使しニュアンスで攻めるタイプである。良く響く693席の中規模音楽堂である松本市音楽文化ホールだからこそ、彼の演奏が活きてくる。ヴァイオリン協奏曲というものは、中規模音楽堂を想定して書かれたものなのだと、強く確信する。タケミツメモリアルのような大規模音楽堂では、まず音量が重要になってくるので、彼には不向きなのかも知れない。
音量が必ずしも大きくないタイプのイーヴォネンを、楽団員は巧みに盛りたてる。ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロとも、素晴らしく美しい弱音を響かせる。だからこそ、イーヴォネンを引き立たせる事ができるのだ。バランスを良く考えても、美しい弱音が生み出せない管弦楽では、イーヴォネンを引き立たせる事はできない。
イーヴォネンとカムと管弦楽は、あたかも一つの家族のような感じで演奏を繰り広げる。ソリスト・指揮者・管弦楽の三者が目指すべき音楽を共有しており、その場面でどのように演奏してどのような響きを出すべきなのか、一音一音誰もが熟知している。イーヴォネンは、いい意味でシベリウスホールの座付きソリストのようだ。外からお客さんとして招かれたソリストというのではなく、ずっとラハティ交響楽団と一緒に演奏して来たようなソリストのように感じられる。おらが交響楽団のソリストを盛りたてようと、管弦楽がサポートしているような、暖かな関係性が目の前にある。これ程まで自然な感じで見事にソリストをサポートする管弦楽は、見た事がない。
ソリストアンコールは、バッハの無伴奏を二曲披露した。BWV1004からアルマンドとBWV1005からアレグロ-アッサイであった。
休憩の後は、第二交響曲だ。
前にこの曲を別の楽団で聴いた時に、この曲への愛を失ってしまい、2番やるなら5番やってくれよと正直思ったところではあるが、冒頭から説得力のある響きで、第二交響曲への愛を取り戻す。
やはり弦楽は素晴らしい技量で、ヴァイオリン・ヴィオラ・チェロとも随所で美しい響きを出してくる。弦楽の実力は間違いなく世界屈指のものだ。シベリウスの2番は、弦楽が強いと本当に活きてくる。
管楽については、意地悪な耳で聴くと超絶技巧の持ち主は少ないけれど、一定の力は保持している。第二楽章のファゴットは実に見事であるし、他の管楽も要所要所では決めてくる。
ある特定の管楽器奏者の名人芸に頼るのではなく、管弦楽全体で作り上げる意志を強く感じる。どこで何をしなければならないかを、楽団員全員が一音一音全て理解している事が感じられ、好感が持てる。
オッコ=カムの指揮は、奇を衒う事はせず、かといって平凡ではなく適度にエッジを利かした巧みな構成力により、ラハティ交響楽団が持つ個性を維持し、ラハティ交響楽団を適切な方向に導いている。他の管弦楽団では聴けない響きを、カムとラハティ交響楽団は産み出してくるのだ。これほどまでに強い個性を持つ管弦楽団も、珍しい。
アンコールは、全てシベリウスの作品で、「悲しいワルツ」「ミュゼット」「鶴のいる風景」の三曲であった。「悲しいワルツ」では、某エストニア人指揮者のような極端な弱音を用いない、至極真っ当な演奏で魅了されし、他の二曲も弦楽とクラリネットとの見事な対比を味わう事が出来るものであった。
観客の反応はかなり熱狂的で、スタンディングオベーションを伴って演奏会を終了した。
2015年11月22日日曜日
Mito Chamber Orchestra, the 94th Subscription Concert, Toyota performance, review 水戸室内管弦楽団 第94回定期演奏会 豊田公演 評
2015年11月22日 土曜日
Sunday 22nd November 2015
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)
曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551
pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi
水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第三日目の豊田市コンサートホールでの公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面僅かに後方上手側、観客の入りは、8割強か?岐阜にて同時にバッハ-コレギウム-ジャパンの演奏会があったのは不幸で、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ハイドンの最終楽章で長めのパウゼを掛けた箇所で拍手が出てしまった。やっちもうたなあ。
コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。
一曲目のハイドン交響曲第102番は、序盤こそホールのアウェイ感があったものの、いつの間にか初めてであるはずのホールに馴染んでいる。やはり響きが水戸芸術館と違い、美しい。最終楽章で、パウゼを長く取る箇所で拍手が出てしまったので、もう一箇所長くパウゼを取る場面では、昨日の公演よりも短めにしている。
二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃えて始まる。そこから夢見るような時間が始まるが、響きはより美しい。
ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。ここまでは昨日と変わりないが、ホールが変わり、ピアノがよく響き、埋没しがちな昨日の公演と違い、ピアノと管弦楽とのバランスが絶妙である。
特に第二楽章は、ひたすら響きに溺れる。天井を向き恍惚とした表情で美しい響きのシャワーを浴びる。
そこには、ピアノと管弦楽との間の、「何か折り合いをつけた」と言うのとは全く違う、自然な絡み合いがある。ピアノと管弦楽とホールとの、美しい三位一体が実現されている。
児玉桃も本当に気持ち良く弾けたのだろう、アンコールが披露され、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が演奏されて休憩となる。
三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、昨日のガチガチに固い、正直聴いていて苦痛な演奏とは打って変わっている。
管弦楽のパッションがホールに美しく響き、その響きが管弦楽と観客のテンションを上げていく。
昨日より柔軟なテンポ設定のように感じられる。ピリオド派の活き活き路線ではないのだが、ホールが広上淳一の意図を実現させていくのだ。
管弦楽が奏でる一音一音が実に美しい。弦楽も、管楽も、伸びやかに心地よく響いてくる。バロック-ティンパニも良く聴こえる。
一つ一つの響きが説得力を持ってくる。そこにモーツァルトがいる。そこに水戸室内管弦楽団の響きがある。
管弦楽の自発性も活きまくり、終盤のホルンの大胆で美しい響きが最後の効果的なアクセントを与え、恍惚とした気持ちで天井を向いて最後の一音を聴く。音が鳴り止む。両側バルコニーからのbravoの声が響く。
大人しい水戸芸術館の観客とは違う反応に続き、熱い拍手が送られる。
初めてのホールなのに、本拠地での公演を圧倒的に上回る内容だ。ホールの響きは重要だ。奏者のパッションを美しく響かせる残響は、西洋古典音楽の命である。
演奏者・観客・ホールが三位一体となって、今日の演奏会を作り上げた。
豊田市コンサートホール、万歳!水戸室内管弦楽団、万歳!
Sunday 22nd November 2015
豊田市コンサートホール (愛知県豊田市)
Toyota City Concert Hall (Toyota, Aich, Japan)
曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551
pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi
水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催した。この評は、第三日目の豊田市コンサートホールでの公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面僅かに後方上手側、観客の入りは、8割強か?岐阜にて同時にバッハ-コレギウム-ジャパンの演奏会があったのは不幸で、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ハイドンの最終楽章で長めのパウゼを掛けた箇所で拍手が出てしまった。やっちもうたなあ。
コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。
一曲目のハイドン交響曲第102番は、序盤こそホールのアウェイ感があったものの、いつの間にか初めてであるはずのホールに馴染んでいる。やはり響きが水戸芸術館と違い、美しい。最終楽章で、パウゼを長く取る箇所で拍手が出てしまったので、もう一箇所長くパウゼを取る場面では、昨日の公演よりも短めにしている。
二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃えて始まる。そこから夢見るような時間が始まるが、響きはより美しい。
ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。ここまでは昨日と変わりないが、ホールが変わり、ピアノがよく響き、埋没しがちな昨日の公演と違い、ピアノと管弦楽とのバランスが絶妙である。
特に第二楽章は、ひたすら響きに溺れる。天井を向き恍惚とした表情で美しい響きのシャワーを浴びる。
そこには、ピアノと管弦楽との間の、「何か折り合いをつけた」と言うのとは全く違う、自然な絡み合いがある。ピアノと管弦楽とホールとの、美しい三位一体が実現されている。
児玉桃も本当に気持ち良く弾けたのだろう、アンコールが披露され、ドビュッシーの「亜麻色の髪の乙女」が演奏されて休憩となる。
三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、昨日のガチガチに固い、正直聴いていて苦痛な演奏とは打って変わっている。
管弦楽のパッションがホールに美しく響き、その響きが管弦楽と観客のテンションを上げていく。
昨日より柔軟なテンポ設定のように感じられる。ピリオド派の活き活き路線ではないのだが、ホールが広上淳一の意図を実現させていくのだ。
管弦楽が奏でる一音一音が実に美しい。弦楽も、管楽も、伸びやかに心地よく響いてくる。バロック-ティンパニも良く聴こえる。
一つ一つの響きが説得力を持ってくる。そこにモーツァルトがいる。そこに水戸室内管弦楽団の響きがある。
管弦楽の自発性も活きまくり、終盤のホルンの大胆で美しい響きが最後の効果的なアクセントを与え、恍惚とした気持ちで天井を向いて最後の一音を聴く。音が鳴り止む。両側バルコニーからのbravoの声が響く。
大人しい水戸芸術館の観客とは違う反応に続き、熱い拍手が送られる。
初めてのホールなのに、本拠地での公演を圧倒的に上回る内容だ。ホールの響きは重要だ。奏者のパッションを美しく響かせる残響は、西洋古典音楽の命である。
演奏者・観客・ホールが三位一体となって、今日の演奏会を作り上げた。
豊田市コンサートホール、万歳!水戸室内管弦楽団、万歳!
2015年11月21日土曜日
Mito Chamber Orchestra, the 94th Subscription Concert, review 第94回 水戸室内管弦楽団 定期演奏会 評
2015年11月21日 土曜日
Saturday 21st November 2015
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)
曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551
pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi
水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方上手側、観客の入りは、正面席は補助席を用いた程の、かなりの入りである。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ピアノ協奏曲で出た話し声は何だったのだろう?指揮者から思わず出た声だと信じたいが。
コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。
一曲目のハイドン交響曲第102番は、精度よりは躍動感を志向しているが、楽しい演奏だ。最終楽章では、パウゼを長く取るなど、広上淳一の独自の解釈をも入れてくる。濃厚な響きであるが、愉悦感がある演奏だ。
二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃え、水戸芸術館の音響にぴったりあった響きでニュアンスをつけて、管弦楽が始まる。これがモーツァルトなんだ、これが水戸室内管弦楽団なんだ、と思わせる、幸せな時間だ。
ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。
控えめな表現のソリストと、元気いっぱいの管弦楽とで、折り合いをつけた形のコンビネーションである。
三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、好みが分かれる演奏だ。正直に申し上げると、私の好みではない。
全般的に遅めのテンポで、かつテンポの変動をかなり制限し、その基盤の上に濃厚に演奏するスタイルだ。ピリオド派の活き活きとした演奏のアンチテーゼを示したいのだろうか?
管弦楽は、広上淳一の意図をくみ取り、パッションを込めて演奏する。管弦楽は実に見事である。
しかしながら、愉悦感は全くない。およそ広上淳一らしくない展開で、一曲目で感じられた愉悦感が消え去り、聴いていて疲れる演奏である。
あれだけの演奏を管弦楽はしているのだから、曲を活かすも殺すも広上淳一次第の状況であるが、果たしてこれがモーツァルトであるのか?そう問われれば、私にとっては否だ。
どんなに見事な演奏をしても、単にクソ真面目なだけで、そこに巧みな構成を与えなければ、何らの説得力を持ち得ず、そこには音楽の悦びはない。もう少し、指揮者から何らかの工夫を注ぎ込む事は出来なかったのか?
アンコールはなかった。
Saturday 21st November 2015
水戸芸術館 (茨城県水戸市)
Art Tower Mito, Concert Hall ATM (Mito, Japan)
曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.102 Hob.I-102
Wolfgang Amadeus Mozart: Concerto per pianoforte e orchestra n.21 KV467
(休憩)
Wolfgang Amadeus Mozart: Sinfonia n.41 KV551
pianoforte: 児玉桃 / Kodama Momo
orchestra: Mito Chamber Orchestra(水戸室内管弦楽団)
direttore: 広上淳一 / Hirokami Junichi
水戸室内管弦楽団(MCO)は、広上淳一を指揮者に、児玉桃をソリストに迎えて、2015年11月20日・21日に水戸芸術館で、22日に豊田市コンサートホールで、第94回定期演奏会を開催する。この評は、第二日目の公演に対してのものである。ソリストは、当初Menahem Pressler(メナヘム=プレスラー)の予定であったが、病気療養のために変更となった。
管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、トランペットとティンパニは後方下手側、ホルンは後方上手側の位置につく。
着席位置は一階正面後方上手側、観客の入りは、正面席は補助席を用いた程の、かなりの入りである。観客の鑑賞態度は、概ね良好であったが、ピアノ協奏曲で出た話し声は何だったのだろう?指揮者から思わず出た声だと信じたいが。
コンサートマスター/ミストレスは、ハイドンは竹澤恭子、KV467は渡辺實和子、KV551は豊嶋泰嗣が担当した。
一曲目のハイドン交響曲第102番は、精度よりは躍動感を志向しているが、楽しい演奏だ。最終楽章では、パウゼを長く取るなど、広上淳一の独自の解釈をも入れてくる。濃厚な響きであるが、愉悦感がある演奏だ。
二曲目のモーツァルトピアノ協奏曲第21番KV467からは、一転縦の線をビシッと揃え、水戸芸術館の音響にぴったりあった響きでニュアンスをつけて、管弦楽が始まる。これがモーツァルトなんだ、これが水戸室内管弦楽団なんだ、と思わせる、幸せな時間だ。
ソリストの児玉桃のピアノは、自己主張は控えめで管弦楽に溶け込むアプローチを取る。ふっと哀愁を漂わせる演奏で、カデンツァの箇所で加速したテンポをすっと遅くする場面で顕著だ。
控えめな表現のソリストと、元気いっぱいの管弦楽とで、折り合いをつけた形のコンビネーションである。
三曲目のモーツァルト交響曲第41番KV551は、好みが分かれる演奏だ。正直に申し上げると、私の好みではない。
全般的に遅めのテンポで、かつテンポの変動をかなり制限し、その基盤の上に濃厚に演奏するスタイルだ。ピリオド派の活き活きとした演奏のアンチテーゼを示したいのだろうか?
管弦楽は、広上淳一の意図をくみ取り、パッションを込めて演奏する。管弦楽は実に見事である。
しかしながら、愉悦感は全くない。およそ広上淳一らしくない展開で、一曲目で感じられた愉悦感が消え去り、聴いていて疲れる演奏である。
あれだけの演奏を管弦楽はしているのだから、曲を活かすも殺すも広上淳一次第の状況であるが、果たしてこれがモーツァルトであるのか?そう問われれば、私にとっては否だ。
どんなに見事な演奏をしても、単にクソ真面目なだけで、そこに巧みな構成を与えなければ、何らの説得力を持ち得ず、そこには音楽の悦びはない。もう少し、指揮者から何らかの工夫を注ぎ込む事は出来なかったのか?
アンコールはなかった。
2015年11月14日土曜日
Christian Tetzlaff, Sonate e partite per violino solo di Johann Sebastian Bach, Tokyo performance (14th November 2015), review クリスティアン=テツラフ バッハ無伴奏 東京公演 感想
2015年11月14日 土曜日
Saturday 14th November 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.1 BWV1001
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.1 BWV1002
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.2 BWV1003
(休憩)
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.2 BWV1004
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.3 BWV1005
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.3 BWV1006
violino: Christian Tetzlaff
クリスティアン=テツラフは、2015年11月14日、バッハ無伴奏ソナタ・パルティータ
全曲演奏会を、紀尾井ホールにて行った。
着席位置は後方正面わずかに下手側、チケットは完売した。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、一階後方上手側から、何かを叩くような音が持続的に聞こえる箇所があった。そのノイズは微かな音量であるが、持続的に確実に聞こえたため、BWV1004を聴くに当たって相当なダメージがあった。
ほぼ普段着による衣装で、無伴奏を135分に渡り弾き続ける事を考慮した、動きやすさを重視したと思われる衣装である。
紀尾井ホールの響きを熟知し、全般に渡り明るく強い音色である。BWV1003・1004が特に素晴らしい。構成・ニュアンスともに高い完成度である。バッハという事もあるのか、テツラフ節は控えめであった。休憩が30分しかなかったが、最後のBWV1006に至るまで力尽きる事はなかった。
アンコールは、パリでの大量殺戮事件を踏まえ、フランスの人々のためにBWV1003からアンダンテ楽章が捧げられた。
Saturday 14th November 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)
曲目:
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.1 BWV1001
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.1 BWV1002
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.2 BWV1003
(休憩)
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.2 BWV1004
Johann Sebastian Bach: Sonata per violino solo n.3 BWV1005
Johann Sebastian Bach: Partita per violino solo n.3 BWV1006
violino: Christian Tetzlaff
クリスティアン=テツラフは、2015年11月14日、バッハ無伴奏ソナタ・パルティータ
全曲演奏会を、紀尾井ホールにて行った。
着席位置は後方正面わずかに下手側、チケットは完売した。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好だったが、一階後方上手側から、何かを叩くような音が持続的に聞こえる箇所があった。そのノイズは微かな音量であるが、持続的に確実に聞こえたため、BWV1004を聴くに当たって相当なダメージがあった。
ほぼ普段着による衣装で、無伴奏を135分に渡り弾き続ける事を考慮した、動きやすさを重視したと思われる衣装である。
紀尾井ホールの響きを熟知し、全般に渡り明るく強い音色である。BWV1003・1004が特に素晴らしい。構成・ニュアンスともに高い完成度である。バッハという事もあるのか、テツラフ節は控えめであった。休憩が30分しかなかったが、最後のBWV1006に至るまで力尽きる事はなかった。
アンコールは、パリでの大量殺戮事件を踏まえ、フランスの人々のためにBWV1003からアンダンテ楽章が捧げられた。
2015年11月10日火曜日
Maria João Pires + Julien Libeer , recital in Matsumoto, review マリア=ジョアウ=ピレシュ + ジュリアン=リベール リサイタル 感想
2015年11月10日 火曜日
Tuesday 10th November 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Franz Schubert: Allegro per pianoforte a 4 mani “Lebensstürme” D947 op.144(人生の嵐)
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n. 31 op.110 (Pires)
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n. 30 op.109 (Libeer)
Franz Schubert: Fantasia per pianoforte a quattro mani D940 op.103
pianoforte: Maria João Pires + Julien Libeer
マリア=ジョアウ=ピレシュは、2015年10月から11月に掛けて来日し、多数の演奏会を上演する。アントニオ=メネセスとの共演の他、若手ピアニストの教育事業の一環としての共演もあり、形態は多彩である。松本市音楽文化ホールでの公演は、ジュリアン=リベールとの共演となる。Schubertは四手のためのピアノ曲のため、両人で演奏し、Beethovenはop.110はピレシュ、op.109はリベール単独での演奏となる。
着席位置は後方やや上手側、客席の入りは6割程であった。観客の鑑賞態度は、前半に電子音のノイズ(補聴器?)が小さな音であったものの、持続的に鳴り響いていたのが残念だった。また、演奏内容に比して観客のテンションが低かった。
本日のピアノは、マリア=ジョアウ=ピレシュの出演に関わらず、(ヤマハじゃなくて)スタインウェイである。松本市音楽文化ホールでかなりの確率で使われる、ツヤ消し黒のスタインウェイである。松本市音楽文化ホール、ヤマハのピアノ、なかったっけ?それとも、使用頻度が低くて、状態が悪かったのか?あと、リベール氏も出演するために、ヤマハを使用する義務が免除されたのか?
一曲目のシューベルト D947 から素晴らしい演奏である。松本市音楽文化ホールの長い残響を伴う響きは、序盤で適切に把握される。
Beethoven op.110 は、マリア=ジョアウ=ピレシュによる演奏である。言葉でその素晴らしさを表現するのは難しいが、構成が良く考えられ計算されているのは当たり前として、繊細で上品で、深い響きで魅了される。弱音も含めて緊張感を伴う。単に綺麗な響きという訳ではない、霊感を感じさせるものだ。
ジュリアン=リベール単独で、Beethoven の op.109 最初はクリアな音色で攻めて来たが、次第に曲に没入していく演奏だ。若いのにop.109の難曲をそこまで弾けただけ素晴らしい。さすが、マリア=ジョアウ=ピレシュの生徒だ。
最後の、シューベルトの幻想曲 D940 は、マリア=ジョアウ=ピレシュが高音側の担当だ。どの音も深みはあり、どんなに激しい曲想の箇所でも決して上品さを失わない。低音側のリベールとの相性も完璧である。
Schubert も Beethoven も、曲を深く解釈した演奏であり、どこにもハッタリだとか、これ見よがしの見せ付けの要素は、どこにもない。激しく演奏する場面には、必ずその必然性が感じられる。だからこそ、上品さが保たれ、深みを感じさせる演奏になるのだろう。
アンコールは、クルタークの「シューベルトのへのオマージュ」であった。
Tuesday 10th November 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)
曲目:
Franz Schubert: Allegro per pianoforte a 4 mani “Lebensstürme” D947 op.144(人生の嵐)
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n. 31 op.110 (Pires)
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sonata per pianoforte n. 30 op.109 (Libeer)
Franz Schubert: Fantasia per pianoforte a quattro mani D940 op.103
pianoforte: Maria João Pires + Julien Libeer
マリア=ジョアウ=ピレシュは、2015年10月から11月に掛けて来日し、多数の演奏会を上演する。アントニオ=メネセスとの共演の他、若手ピアニストの教育事業の一環としての共演もあり、形態は多彩である。松本市音楽文化ホールでの公演は、ジュリアン=リベールとの共演となる。Schubertは四手のためのピアノ曲のため、両人で演奏し、Beethovenはop.110はピレシュ、op.109はリベール単独での演奏となる。
着席位置は後方やや上手側、客席の入りは6割程であった。観客の鑑賞態度は、前半に電子音のノイズ(補聴器?)が小さな音であったものの、持続的に鳴り響いていたのが残念だった。また、演奏内容に比して観客のテンションが低かった。
本日のピアノは、マリア=ジョアウ=ピレシュの出演に関わらず、(ヤマハじゃなくて)スタインウェイである。松本市音楽文化ホールでかなりの確率で使われる、ツヤ消し黒のスタインウェイである。松本市音楽文化ホール、ヤマハのピアノ、なかったっけ?それとも、使用頻度が低くて、状態が悪かったのか?あと、リベール氏も出演するために、ヤマハを使用する義務が免除されたのか?
一曲目のシューベルト D947 から素晴らしい演奏である。松本市音楽文化ホールの長い残響を伴う響きは、序盤で適切に把握される。
Beethoven op.110 は、マリア=ジョアウ=ピレシュによる演奏である。言葉でその素晴らしさを表現するのは難しいが、構成が良く考えられ計算されているのは当たり前として、繊細で上品で、深い響きで魅了される。弱音も含めて緊張感を伴う。単に綺麗な響きという訳ではない、霊感を感じさせるものだ。
ジュリアン=リベール単独で、Beethoven の op.109 最初はクリアな音色で攻めて来たが、次第に曲に没入していく演奏だ。若いのにop.109の難曲をそこまで弾けただけ素晴らしい。さすが、マリア=ジョアウ=ピレシュの生徒だ。
最後の、シューベルトの幻想曲 D940 は、マリア=ジョアウ=ピレシュが高音側の担当だ。どの音も深みはあり、どんなに激しい曲想の箇所でも決して上品さを失わない。低音側のリベールとの相性も完璧である。
Schubert も Beethoven も、曲を深く解釈した演奏であり、どこにもハッタリだとか、これ見よがしの見せ付けの要素は、どこにもない。激しく演奏する場面には、必ずその必然性が感じられる。だからこそ、上品さが保たれ、深みを感じさせる演奏になるのだろう。
アンコールは、クルタークの「シューベルトのへのオマージュ」であった。
2015年11月8日日曜日
Ballet Nacional de España, Osaka performance (November 2015), review / スペイン国立バレエ団 大阪公演(2015年11月) 感想
昨日・今日と、大阪のフェスティバルホールに行きまして、エスパーニャ国立バレエ団 (BNE / Ballet Nacional de España) (スペイン国立バレエ団)の公演を二公演、観劇しました。
11/7公演は、「ファルーカ」「ビバ-ナバーラ」「ボレロ」、ここで休憩を置いて後半は、「セビージャ組曲」の演目。
11/8公演は、「マントンのソレア」「ボレロ」、ここで休憩を置いて「セビージャ組曲」の演目でした。
「バレエ団」という名称ではありますが、皆さんが想像されるような「白鳥の湖」のような古典演目も、先日、新国立劇場バレエ団が上演した「ホフマン物語」のような、物語系演目も、キリアンのようなコンテンポラリー-ダンスも、演じません。
バレエと言っても、バレエ-フラメンコ、要するにフラメンコです。普通のバレエは、CNDエスパーニャ国立ダンスカンパニーで演じます。ダンスカンパニーの方は、昨年、名古屋・横浜で上演したので、記憶に残っている方も多いでしょう。
どうしてこのような逆転現象が起きたのですって?まあ、歴史的経緯なり、大人の事情なのではないでしょうか??
しかしながら、BNEのダンサーの多くは、普通のバレエの素養を持っています。振り付けはどう考えても、バレエのものとしか思えない箇所が多いです。もちろん、どの演目も足踏みのフラメンコの要素は保っています。フラメンコとバレエを融合させたと言うのが、私の理解です。
やはり、「ボレロ」と「セビージャ組曲」の二つは、このBNEの鉄壁演目です。
「ボレロ」は男性ソロと女性群舞・男性群舞とで構成され、二回目の繰り返しからずっと男性ソロが踊り続けます。両日とも、セルヒオ=ベルナルでした。
セルヒオの踊りはとにかく優美で、緩やかなテンポの所作が完璧なテンポ感でしなやかに決まっております。また、シャープに決めるべき箇所も決して優美さを失わない点が凄いです。演技力を重視するバレエファンの方は多いですが、純舞踊的技術の完璧さは、やはり大事です。
日本のバレエ団に於ける男性ダンサーの課題は、如何に優美さと躍動感とを高い次元で両立させるかにあるような気がします。
セルヒオは、まさに両方満たしています。多分、BNEの看板ダンサーなのではないでしょうか。
やはりこの「ボレロ」はBNEしかできない演目です。普通のバレエとフラメンコ双方の高度技術が必要なのと、セルヒオ=ベルナルの存在です。足踏みの音は、お立ち台版では実現不可能でしょう。衣装は赤と黒だけを用いたシンプルなものですが、とても美しいです。女性の方は、上半身裸であるセルヒオの肉体美にメロメロになられた事でしょう♪
後半は「セビージャ組曲」も、BNEの総力を結集した演目です。
「エスペランサ」の場面と思われる箇所の、白い女性ダンサーソロは、日替わりでした。
11/7公演のミリアム=メンドーサさんは、リフトされた状態での揺るぎの無さはもちろんのこと、終始様式美を完璧に保っておりました。このようにあるべき という所で完璧に美しく踊っております。
11/8公演のインマクラーダ=サンチェスさんは、11/7の「ビバ-ナバーラ」の時は私の心に入って行きませんでしたが、今日は素晴らしかったです。
「バイラオール」での六人の男性群舞はシャープで迫力がありました。
「夢の散歩道」の官能的な場面を経て、最後の「歓喜」の場面はいつまでも続いて欲しいほどです。ソロなしの26人による群舞は、フォーメーションが巧みでお祭りを思わせるものでありました。終盤部分をアレンジしたアンコールもあり、巧みな構成に驚愕します。
BNEの「ボレロ」と「セビージャ組曲」は、何度観ても飽きないでしょう!
新旧合わせて、初めてのフェスティバルホールは、気持ちを高揚させて終わりました。
11/7公演は、「ファルーカ」「ビバ-ナバーラ」「ボレロ」、ここで休憩を置いて後半は、「セビージャ組曲」の演目。
11/8公演は、「マントンのソレア」「ボレロ」、ここで休憩を置いて「セビージャ組曲」の演目でした。
「バレエ団」という名称ではありますが、皆さんが想像されるような「白鳥の湖」のような古典演目も、先日、新国立劇場バレエ団が上演した「ホフマン物語」のような、物語系演目も、キリアンのようなコンテンポラリー-ダンスも、演じません。
バレエと言っても、バレエ-フラメンコ、要するにフラメンコです。普通のバレエは、CNDエスパーニャ国立ダンスカンパニーで演じます。ダンスカンパニーの方は、昨年、名古屋・横浜で上演したので、記憶に残っている方も多いでしょう。
どうしてこのような逆転現象が起きたのですって?まあ、歴史的経緯なり、大人の事情なのではないでしょうか??
しかしながら、BNEのダンサーの多くは、普通のバレエの素養を持っています。振り付けはどう考えても、バレエのものとしか思えない箇所が多いです。もちろん、どの演目も足踏みのフラメンコの要素は保っています。フラメンコとバレエを融合させたと言うのが、私の理解です。
やはり、「ボレロ」と「セビージャ組曲」の二つは、このBNEの鉄壁演目です。
「ボレロ」は男性ソロと女性群舞・男性群舞とで構成され、二回目の繰り返しからずっと男性ソロが踊り続けます。両日とも、セルヒオ=ベルナルでした。
セルヒオの踊りはとにかく優美で、緩やかなテンポの所作が完璧なテンポ感でしなやかに決まっております。また、シャープに決めるべき箇所も決して優美さを失わない点が凄いです。演技力を重視するバレエファンの方は多いですが、純舞踊的技術の完璧さは、やはり大事です。
日本のバレエ団に於ける男性ダンサーの課題は、如何に優美さと躍動感とを高い次元で両立させるかにあるような気がします。
セルヒオは、まさに両方満たしています。多分、BNEの看板ダンサーなのではないでしょうか。
やはりこの「ボレロ」はBNEしかできない演目です。普通のバレエとフラメンコ双方の高度技術が必要なのと、セルヒオ=ベルナルの存在です。足踏みの音は、お立ち台版では実現不可能でしょう。衣装は赤と黒だけを用いたシンプルなものですが、とても美しいです。女性の方は、上半身裸であるセルヒオの肉体美にメロメロになられた事でしょう♪
後半は「セビージャ組曲」も、BNEの総力を結集した演目です。
「エスペランサ」の場面と思われる箇所の、白い女性ダンサーソロは、日替わりでした。
11/7公演のミリアム=メンドーサさんは、リフトされた状態での揺るぎの無さはもちろんのこと、終始様式美を完璧に保っておりました。このようにあるべき という所で完璧に美しく踊っております。
11/8公演のインマクラーダ=サンチェスさんは、11/7の「ビバ-ナバーラ」の時は私の心に入って行きませんでしたが、今日は素晴らしかったです。
「バイラオール」での六人の男性群舞はシャープで迫力がありました。
「夢の散歩道」の官能的な場面を経て、最後の「歓喜」の場面はいつまでも続いて欲しいほどです。ソロなしの26人による群舞は、フォーメーションが巧みでお祭りを思わせるものでありました。終盤部分をアレンジしたアンコールもあり、巧みな構成に驚愕します。
BNEの「ボレロ」と「セビージャ組曲」は、何度観ても飽きないでしょう!
新旧合わせて、初めてのフェスティバルホールは、気持ちを高揚させて終わりました。
2015年10月24日土曜日
Gidon Kremer & Kremerata Baltica, Nagoya performance, review ギドン=クレーメル + クレメラータ-バルティカ 名古屋公演 評
2015年10月24日 土曜日
Saturday 24th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Александр Раскатов / Alexander Raskatov: After “The Seasons”
Phillip Glass: Concerto per violino e orchestra “American Four Seasons”
(休憩)
梅林茂 / Umebayashi Shigeru: “Japanese Four Seasons” for violin and string orchestra
Astor Piazzolla: “Las Estaciones” (ブエノスアイレスの四季)
violino: Gidon Kremer (ギドン=クレーメル)
orchestra: Kremerata Baltica
direttore: Gidon Kremer (指揮:ギドン=クレーメル)
クレメラータ-バルティカは、創設者であるギドン=クレーメルがソリスト兼指揮者となって日本ツアーを率いた。日本での公演は、サントリーホール(東京)、神奈川県立音楽堂(神奈川県横浜市)、愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)の四箇所であり、いずれも大きめの会場ではあったが、間違いなく愛知県芸術劇場が最も理想的な会場である事は言うまでもない。
弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置であった。
着席位置は二階階正面下手側、客の入りは6割程であろうか、三階席に空席が目立った。観客の鑑賞態度については、概ね良好だった。
ギドン=クレーメルはクレメラータ-バルティカという室内管弦楽団規模の弦楽アンサンブルを創設したことは正解だったと思う。クレーメルとのバランスが自然に取れているし、特に後半では鋭い響きを的確に響かせている。愛知芸文は少し大きいかとも前半思ったが、後半でその認識は覆った。
クレーメルの構成は的確で、かつ繊細に奏でている。音量が特別あるわけではないが、求心力がある。今日はチケット購入時の制約により下手側の席であったが、クレーメルとチェロのソロとの掛け合いを正面から観るのと同然の形となったのは、幸せだった。
クレーメルはやはり大家である。ソロの場面での弱音でさえ感じられる求心力や、クレメラータ-バルティカとの完璧に取られたバランス、この場所ではこのように演奏するべきとの計算とそのように導く統率力、こう言った箇所で大家だと感じられる。
三曲目では、日本の作曲家である梅林茂による「日本の四季」であるが、彼に作曲を依頼し、ドイツでの世界初演から一カ月足らずで名古屋で披露した事を高く評価したい。名古屋フィルハーモニー交響楽団では、小泉和裕次期音楽監督がこれまで行われてきた現代音楽の演奏事業をほぼ全面的に放棄したが、クレーメルと遠いバルト海の楽団がやってくれた事に感謝する。
ピアソジャの「ブエノスアイレスの四季」は、両者の得意とする場面が最も出た演奏だ。故意に出す耳障りな音色、アップ-ボウで繰り出す鋭い音色、クレーメル頼りではないクレメラータ-バルティカの自発性が、ピアソジャの四季を活き活きとさせた。
いつの時代の演奏であれ、残響は音楽と一体不可分なものだ。強く弾き切る箇所でこの事を強く感じる。今回の日本ツアーでは四箇所での公演であるが、愛知県芸術劇場以外の開場は全てアウトだ。マトモなホールで、精緻な室内管弦楽団の演奏を聴けたのは幸せな事である。
それにしても、梅林茂の「日本の四季」と言った作品は、日本のオケが委嘱して日本で世界初演するべきものである。クレーメルとバルト海のオケにより委嘱されドイツで初演されたことを、日本のオケを始めとする音楽関係者は、日本在住者として(日本国籍を持っている者は日本人として)、恥じるべきだ!
作曲された作品は、演奏されなければ生かされないし、演奏されなければ、そこで現代音楽は終わってしまう。一定規模の都市に存在する演奏団体側は、この点の責務を有している。特に名フィル関係者(次期音楽監督及び観客)や、名フィルの保守反動路線の論陣を張った名古屋の文芸の破壊者である長谷義隆をはじめとする中日新聞放送芸能部の連中には、この事をよくよく理解してもらいたい。日本の音楽文化に関わる問題だから!
Saturday 24th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Александр Раскатов / Alexander Raskatov: After “The Seasons”
Phillip Glass: Concerto per violino e orchestra “American Four Seasons”
(休憩)
梅林茂 / Umebayashi Shigeru: “Japanese Four Seasons” for violin and string orchestra
Astor Piazzolla: “Las Estaciones” (ブエノスアイレスの四季)
violino: Gidon Kremer (ギドン=クレーメル)
orchestra: Kremerata Baltica
direttore: Gidon Kremer (指揮:ギドン=クレーメル)
クレメラータ-バルティカは、創設者であるギドン=クレーメルがソリスト兼指揮者となって日本ツアーを率いた。日本での公演は、サントリーホール(東京)、神奈川県立音楽堂(神奈川県横浜市)、愛知県芸術劇場(愛知県名古屋市)、兵庫県立芸術文化センター(兵庫県西宮市)の四箇所であり、いずれも大きめの会場ではあったが、間違いなく愛知県芸術劇場が最も理想的な会場である事は言うまでもない。
弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置であった。
着席位置は二階階正面下手側、客の入りは6割程であろうか、三階席に空席が目立った。観客の鑑賞態度については、概ね良好だった。
ギドン=クレーメルはクレメラータ-バルティカという室内管弦楽団規模の弦楽アンサンブルを創設したことは正解だったと思う。クレーメルとのバランスが自然に取れているし、特に後半では鋭い響きを的確に響かせている。愛知芸文は少し大きいかとも前半思ったが、後半でその認識は覆った。
クレーメルの構成は的確で、かつ繊細に奏でている。音量が特別あるわけではないが、求心力がある。今日はチケット購入時の制約により下手側の席であったが、クレーメルとチェロのソロとの掛け合いを正面から観るのと同然の形となったのは、幸せだった。
クレーメルはやはり大家である。ソロの場面での弱音でさえ感じられる求心力や、クレメラータ-バルティカとの完璧に取られたバランス、この場所ではこのように演奏するべきとの計算とそのように導く統率力、こう言った箇所で大家だと感じられる。
三曲目では、日本の作曲家である梅林茂による「日本の四季」であるが、彼に作曲を依頼し、ドイツでの世界初演から一カ月足らずで名古屋で披露した事を高く評価したい。名古屋フィルハーモニー交響楽団では、小泉和裕次期音楽監督がこれまで行われてきた現代音楽の演奏事業をほぼ全面的に放棄したが、クレーメルと遠いバルト海の楽団がやってくれた事に感謝する。
ピアソジャの「ブエノスアイレスの四季」は、両者の得意とする場面が最も出た演奏だ。故意に出す耳障りな音色、アップ-ボウで繰り出す鋭い音色、クレーメル頼りではないクレメラータ-バルティカの自発性が、ピアソジャの四季を活き活きとさせた。
いつの時代の演奏であれ、残響は音楽と一体不可分なものだ。強く弾き切る箇所でこの事を強く感じる。今回の日本ツアーでは四箇所での公演であるが、愛知県芸術劇場以外の開場は全てアウトだ。マトモなホールで、精緻な室内管弦楽団の演奏を聴けたのは幸せな事である。
それにしても、梅林茂の「日本の四季」と言った作品は、日本のオケが委嘱して日本で世界初演するべきものである。クレーメルとバルト海のオケにより委嘱されドイツで初演されたことを、日本のオケを始めとする音楽関係者は、日本在住者として(日本国籍を持っている者は日本人として)、恥じるべきだ!
作曲された作品は、演奏されなければ生かされないし、演奏されなければ、そこで現代音楽は終わってしまう。一定規模の都市に存在する演奏団体側は、この点の責務を有している。特に名フィル関係者(次期音楽監督及び観客)や、名フィルの保守反動路線の論陣を張った名古屋の文芸の破壊者である長谷義隆をはじめとする中日新聞放送芸能部の連中には、この事をよくよく理解してもらいたい。日本の音楽文化に関わる問題だから!
2015年10月10日土曜日
Nagoya Philharmonic Orchestra, the 428th Subscription Concert, review 第428回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評
2015年10月10日 土曜日
Saturday 10th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Guillaume Lekeu: Adagio per orchestra da camera op.3 (弦楽のためのアダージョ)
Alban Berg: Concerto per violino e orchestra “Alla memoria di un angelo” (ある天使の想い出に)
(休憩)
Johannes Brahms: Sinfonia n.4 op.98
violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova (アリーナ=イブラギモヴァ)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Christian Arming (指揮:クリスティアン=アルミンク)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アリーナ=イブラギモヴァ(ヴァイオリン)をソリストに迎えて、2015年10月9日・10日に愛知県芸術劇場で、第428回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、記録をし忘れている。
着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、ベルクの協奏曲終了時に、指揮者が明確な合図を出す前にフライングの拍手があり、余韻を害した。
アリーナ=イブラギモヴァは、特に第二楽章前半部が素晴らしい。彼女以外の奏者が少なくなればなるほど、彼女は活き活きとしてくる。名フィルの管弦楽も丁寧に演奏していたが、アリーナはリサイタル向けの奏者だとの印象を持った。決して大ホールで大勢の観客を相手にするべき奏者ではない。アリーナ=イブラギモヴァのような、大ホールで演奏させるべきでない奏者の例は、ヒラリー=ハーンを挙げる事が出来る。アリーナが電気文化会館でリサイタルを行う理由が良くわかる。ベルクの協奏曲は、しらかわホールでやっていたら、かなり違った成果が得られただろう。
アリーナ=イブラギモヴァは、音量で攻めるタイプではない。音量的には多分小さいのだろうけど、なぜか響いて、かつ音色の深さで攻めるタイプである事が分かった。いくら愛知芸文でも、大ホールでは無理がある。尚且つあれだけの大管弦楽相手であの曲想では、成果は限定的にならざるを得ない。
後半のブラームス4番は、特に弦楽のパッションが入りまくっており、管楽(特にフルートは素晴らしい)との響きも綺麗にブレンドされ、速めのテンポで躍動感もあり、かつ端正な印象を持つ、素晴らしい演奏であった。若干の、わざとらしさが無いわけでは無く、その点で評価が分かれるかも知れないが。
アルミンクを見捨てた新日フィルは、今頃深く後悔しているであろう。やはり、弦楽が吠えると全てがしっくりし、管楽の装飾と絶妙にブレンドして、パッションと美しさとを兼ね備えた響きが迫ってくる。
3.11の時、福島第一原発があのような事故を起こした状態で、日本在住者でないアルミンクが避難したのは正当な行為だ。それを日本からの逃亡とみなし、追い出した狭量な観客に満たされた東京に戻る必要はない。あれだけキチンとした響きを作り上げる指揮者を追い出した東京は、どうかしている。
Saturday 10th October 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)
曲目:
Guillaume Lekeu: Adagio per orchestra da camera op.3 (弦楽のためのアダージョ)
Alban Berg: Concerto per violino e orchestra “Alla memoria di un angelo” (ある天使の想い出に)
(休憩)
Johannes Brahms: Sinfonia n.4 op.98
violino: Алина Ринатовна Ибрагимова / Alina Rinatovna Igragimova (アリーナ=イブラギモヴァ)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Christian Arming (指揮:クリスティアン=アルミンク)
名古屋フィルハーモニー交響楽団は、アリーナ=イブラギモヴァ(ヴァイオリン)をソリストに迎えて、2015年10月9日・10日に愛知県芸術劇場で、第428回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。
管弦楽配置は、舞台下手側から、記録をし忘れている。
着席位置は一階正面後方中央、客の入りは9割程であろうか、かなり観客数は多いと思われたが、チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度については、ベルクの協奏曲終了時に、指揮者が明確な合図を出す前にフライングの拍手があり、余韻を害した。
アリーナ=イブラギモヴァは、特に第二楽章前半部が素晴らしい。彼女以外の奏者が少なくなればなるほど、彼女は活き活きとしてくる。名フィルの管弦楽も丁寧に演奏していたが、アリーナはリサイタル向けの奏者だとの印象を持った。決して大ホールで大勢の観客を相手にするべき奏者ではない。アリーナ=イブラギモヴァのような、大ホールで演奏させるべきでない奏者の例は、ヒラリー=ハーンを挙げる事が出来る。アリーナが電気文化会館でリサイタルを行う理由が良くわかる。ベルクの協奏曲は、しらかわホールでやっていたら、かなり違った成果が得られただろう。
アリーナ=イブラギモヴァは、音量で攻めるタイプではない。音量的には多分小さいのだろうけど、なぜか響いて、かつ音色の深さで攻めるタイプである事が分かった。いくら愛知芸文でも、大ホールでは無理がある。尚且つあれだけの大管弦楽相手であの曲想では、成果は限定的にならざるを得ない。
後半のブラームス4番は、特に弦楽のパッションが入りまくっており、管楽(特にフルートは素晴らしい)との響きも綺麗にブレンドされ、速めのテンポで躍動感もあり、かつ端正な印象を持つ、素晴らしい演奏であった。若干の、わざとらしさが無いわけでは無く、その点で評価が分かれるかも知れないが。
アルミンクを見捨てた新日フィルは、今頃深く後悔しているであろう。やはり、弦楽が吠えると全てがしっくりし、管楽の装飾と絶妙にブレンドして、パッションと美しさとを兼ね備えた響きが迫ってくる。
3.11の時、福島第一原発があのような事故を起こした状態で、日本在住者でないアルミンクが避難したのは正当な行為だ。それを日本からの逃亡とみなし、追い出した狭量な観客に満たされた東京に戻る必要はない。あれだけキチンとした響きを作り上げる指揮者を追い出した東京は、どうかしている。
登録:
投稿 (Atom)