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2016年8月22日月曜日

Saito Kinen Orchestra, Fabio Luisi , Ozawa Seiji, 22nd August 2016 Concert, review サイトウ-キネン-オーケストラ+ファビオ=ルイージ+小澤征爾 2016年8月22日演奏会 感想

2016年8月22日 月曜日
Monday 22nd August 2016
長野県松本文化会館 (長野県松本市)
Nagano-ken Matsumoto Bunka Kaikan (Nagano Prefectural Matsumoto Theater) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Arthur Honegger: Sinfonia n.3
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92

orchestra: Saito Kinen Orchestra(サイトウ-キネン-オーケストラ)
direttore: Fabio Luisi (Honegger)(指揮:ファビオ=ルイージ), 小澤征爾/Ozawa Seiji (Beethoven)

ファビオ=ルイージを指揮者に迎えて、サイトウ-キネン-フェスティバルの小澤征爾総監督も指揮するこの演奏会は、2016年8月18日・22日に長野県松本文化会館にて開催された。この評は、2016年8月22日第二公演に対する者である。

管弦楽配置は、記録を失念した。着席位置は二階最後方上手側、チケットは完売していたはずだが、当日関係者席解放があったせいか、僅かに当日券が出た。観客の鑑賞態度は覚えていない。

ルイージのオネゲルは、序盤固さがあったようにも思えたが(曲想によるかもしれないが)、曲の進行に連れて本領を発揮した印象がある。高弦が鋭い響きを出し、管楽が見事である。終盤のチェロ・ピッコロ・ヴァイオリン・ティンパニの四重奏が素晴らしい表現を見せる。

小澤征爾指揮の Beethoven 交響曲第7番は、私にとっては感銘を受ける演奏とは言いがたかった。

演奏は、ミクロの濃厚な表現で攻めている方向性で、相変わらずの生真面目ぶりである。第一楽章では木管が崩壊するなど、名手とは思えない出来の箇所もあったが、持ち直した。日本人主体の弦楽と、外国人主体の管楽との間にテンションの差を感じる演奏ではある。部分について言えば、第一楽章終盤・第二楽章冒頭・第四楽章終盤近くの低弦は、実に深い響きであり見事であったが、管楽は普通に素晴らしい程度の演奏である。

弦楽は小澤征爾の我儘に実に的確に答えていた。しかしながら、15-11-10-8-6もの巨大な弦楽配置はどうなのだろう?著しく弦楽に重きを置きすぎ、管楽が軽く聴こえ、バランスが悪すぎる。ていうか、そもそもベト7を音響の悪い2000名規模のホールで大編成の弦楽で演奏することは正しいことなのだろうか?

私は弦楽が好きであり、弦楽が吠えなければ、いくら管楽が吠えてもいい音楽にはならないと思っているし、弦楽に重きを置く演奏は大好きである。その私がこのような感想を持ったくらいである。

小澤征爾は、作曲者の想定したバランスから踏み外して、弦楽バズーカ砲を用いたキワモノ路線を走ったとも言える。一方、細部の濃厚な表現でカバーしているとは言え、構成全般として天才的な面白みはなく、何年も前からの小澤征爾の生真面目ぶりは変わっていない。

小澤征爾と言えば、横綱級とされる指揮者のはずである。しかしながら、まるで横綱が邪道な技で平幕力士を打ち負かした取り組みを見たような気分である。生気がない時代遅れな演奏で、正々堂々と正門から討ち入る感じがない。横綱相撲をしている感じがないのだ。

当初ブラームスの交響曲第4番の予定だったのをこの曲に変更したのであるが、この曲に変更した時点で松本市音楽文化ホールのような中規模ホールに変えるのが本来の筋だと思う(チケット払い戻しが生じ現実的な方法でないことは承知である)。

私は思う。Beethoven はこのような形態の演奏を想定したのだろうか?2000名規模の巨大ホールで演奏することを想定したのだろうか?15-11-10-8-6もの巨大な弦楽編成で演奏することを想定したのだろうか?小澤征爾がやっていることは、19世紀的ロマンチズムに過剰に傾倒し、Beethoven本来の生気に満ちた音楽を軽視しているのではないかと。これは21世紀の現代に披露する演奏会であるのだろうかと。

どう考えても、チョン=ミョンフンが東京フィルハーモニー管弦楽団を率いて軽井沢大賀ホールで演奏した内容に、遠く及ばない演奏である。「一流の指揮者」「一流の奏者」、日本の最も優秀な奏者を揃えてこの演奏はないだろう。まあ、そこが音楽の難しさだと思うが。

私は小澤征爾が好きで聴きに行ったのではなく、たまたま松本で演奏するので実況見分しに行く気分で、この演奏会に臨席している。征爾君が好きでスタンディング-オベーションをする人たちのことを否定するつもりはない。しかし、私にはそのような気持ちにはなれなかった。演奏終了後に、私はすぐにホワイエに退却した。

2016年8月21日日曜日

Saito Kinen Orchestra, Fabio Luisi , 21st August 2016 Concert, review サイトウ-キネン-オーケストラ+ファビオ=ルイージ 2016年8月21日演奏会 感想

2016年8月21日 日曜日
Sunday 21st August 2016
長野県松本文化会館 (長野県松本市)
Nagano-ken Matsumoto Bunka Kaikan (Nagano Prefectural Matsumoto Theater) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Gustav Mahler: Sinfonia n.2

orchestra: Saito Kinen Orchestra(サイトウ-キネン-オーケストラ)
direttore: Fabio Luisi (指揮:ファビオ=ルイージ)

ファビオ=ルイージを指揮者に迎えて、2015年8月19日・21日に長野県松本文化会館にて開催された。

管弦楽配置は、失念した。着席位置は19日は二階正面中央下手側、21日は二階正面やや上手側最前方、チケットは僅かに完売には至らなかった。

この公演については二公演とも臨席した。19日公演と21日公演とでは大きな差が出た。

8月19日公演は、どこか精彩を欠いていた。音響劣悪な長野県松本文化会館で、演奏者の意図が伝えることの難しさを感じた。また、上手いオケが感銘を与える演奏をするのは難しいことも実感した。

前半部分は、余り良く練られていない感じがあった。前半部で低弦がマトモに響いたのは、第一楽章終盤部のみであった。曲冒頭の、低弦の貧しい響きは、愛知芸文の響きがスタンダードな私にとっては、堪え難かった。第三楽章冒頭のティンパニ、残響消しの術が見事に失敗して、汚い音になったのは残念である。あと、ソプラノのソロが出る直前のフルートとトランペットの音は、あまりに大き過ぎ、繊細さに掛けていた。弱音を多用する試みは、この貧しい響きの長野県松本文化会館では無謀である。意図が伝わらず、つまらなく響くから。愛知芸文だったら、観客に伝わるだろうけど。

全般的に、個々に傑出した表現は見られるけど、第五楽章前半は良かったと思うけど・・。

二人のソロの歌い手は、単独だと綺麗な中弱音で聴かせてくれるけど、オケが強めに入ってくると、声が引き立たない。サイトウキネン、歌モノは苦手なのかなあと思わせる。

中部フィルによる しらかわホール におけるマーラーの第四交響曲を聴いた後のような満足感が得られなかったのか、考えさせられる。ホールにしても管弦楽にしても、小さければ小さいほど良くて、大きなモノはダメなのだろうか?ある種の まとまり感 があるのかないのか?どこか統合されていないのか?長野県松本文化会館が悪いのか?大きいから全てが上手くいかないのか?私にはサッパリ分からないけど、不完全燃焼状態が強かった。

8月21日の演奏は、19日のこれとは全く別物であった。

弦管打全てが絡みあった感が強く、弦が強く響くと全てが締まる。音の洪水で攻める点だけでなく、弦のゾクッとさせられる鋭い響きを始めとしたニュアンスが効いて、二階席の私の席にも届いた。これぞ、サイトウキネン!合唱も管弦楽に負けずにハーモニーを構成していた。まとまり感が違っていた。一番強調するべき事は、全員が第一楽章冒頭から緊張感に満ち、弛緩した響きがなかった。前半も充実した演奏で、そこが19日とは違っていた。

長野県松本文化会館にはシャンデリアがないので、天井を向いたり、敢えて目を瞑る箇所が多かった。どれほど素晴らしい演奏だったかを示す、私にとっての証左だ。その音にとにかく浸りたい時、私は視覚情報をカットする。この場面の多さが、演奏の傑出した見事さを示す!

どんなに一流の指揮者や奏者を揃え、万全のリハーサルを組んでも、演奏は生物、どうなる事か分からない怖さと面白さを、今回のファビオ=ルイージ+サイトウキネンの「復活」で思い知らされた。

2015年8月30日日曜日

Saito Kinen Festival 2015, Chamber Concert II , review サイトウ-キネン-フェスティバル ふれあいコンサートII (室内楽演奏会II) 感想

2015年8月30日 日曜日
Sunday 30th August 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Sonata per flauto e basso continuo BWV1035 (arranged for flute, cello and Harp by Jacques Zoon )(フルート-ソナタ)

flauto: Jacques Zoon / ジャック=ズーン
violoncello: Iseut Chuat / イズー=シュア
arpa: 吉野直子 / Yoshino Naoko

Fryderyk Chopin: Trio con pianoforte op.8 (arranged for flute, cello and Piano by Jacques Zoon )(ピアノ三重奏曲)

flauto: Jacques Zoon / ジャック=ズーン
violoncello: Iseut Chuat / イズー=シュア
pianoforte: 江口玲 Eguchi Akira

(休憩)

Aaron Copland: Fanfare for the Common Man (市民のためのファンファーレ)
Richard Strauss: Feierlicher Einzug der Ritter des Johanniter-Ordens (ヨハネ騎士修道会の荘重な入場)
Giuseppe Verdi: “la Traviata” preludio atto primo (「椿姫」から第一幕前奏曲)
Irish Forl Song: Londonderry Air (ロンドンデリーの歌)

John Williams --Special selection--
1. Main Title from “Superman”
2. The Imperial March from “Ster Wars : The Empire Strikes Back”
3. The Raiders March from “Raiders of the Lost Ark”
4. Main Title from “JFK”
5. The Throne Room and Finale from “the Star Wars” suite

ジョン=ウィリアムズ スペシャル-セレクション
1. スーパーマンのテーマ(映画「スーパーマン」から)
2. ダース=ベイダーのテーマ(インペリアル-マーチ)(映画「スター-ウォーズ 帝国の逆襲」より)
3. レイダース-マーチ(映画「レイダース 失われた聖櫃」より)
4. JFK プロローグ(メイン-タイトル)(映画「JFK」より)
5. 王座の間とエンド-タイトル(スター-ウォーズ組曲より)


tromba: Gábor Tarkövi, Karl Sodl, 高橋敦 / Takahashi Osamu, 服部孝也 / Hattori Takaya
corno: Radek Baborák, 阿部麿 / Abe Maro
trombone: Walter Voglmayr, 呉信一 / Go Shin-ichi, Randall Hawes
tuba: 杉山康人 / Sugiyama Yasuhito
timpani e percussioni: Don Liuzzi, 竹島悟史 / Takeshima Satoshi

サイトウ-キネン-フェスティバルは、今年も2015年8月9日から9月15日までに掛けて、松本市を中心に長野県内で歌劇・大管弦楽演奏会・室内楽演奏会・ジャズ演奏会・教育プログラムを繰り広げる。室内楽演奏会は「ふれあいコンサート」の名に於いて、2プログラム2公演、いずれも松本市音楽文化ホールにて演奏される。

なお、「セイジ-オザワ松本フェスティバル」の名称は、そもそもその名称への変更自体に正当性がなく、松本市民の私としては承認できないため、今後も一切用いず、従前通り「サイトウ-キネン-フェスティバル」の名称を用いる。

着席位置は最後方上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、かなり良好であった。

今回の「ふれあいコンサートII」は、前半はクラシックの室内楽、後半は金管アンサンブルによるガラ-コンサートの形態を取る。後半に関しては映画音楽を演奏するなど、ポピュラー路線に振っているプログラムであるとも言える。どのような演奏会になるのだろう?

前半の二曲は、普通にいい演奏である。ジャック=ズーンとイズー=シュアの二人は、ピンク色の衣装を着ている。ショパンの第三楽章・第四楽章は良かったかな。

圧巻は後半の金管サンサンブルである。まさに世界最強の金管アンサンブルが、この松本市音楽文化ホールに現れた!

第一曲目のコープランドの作品から完璧な演奏である。完璧な響きでありテンポであり構成であり、パッションと様式の両方を満たす演奏だ。

完璧とはなんであろう?

第一点として、松本市音楽文化ホールは残響が長めで、かつ696席の中規模ホールであり、飽和点を適切に見極める必要がある。最強奏をどのくらいの音量とするべきかについて、飽和点ギリギリの点を的確に把握している。その点から逆算して、中音量・小音量の音量をシームレスに定義し、的確に音量をコントロールしている。

第二点として、響きが美しい。本拠としている出身楽団が違うと言うのに、12名金管・打楽器奏者の心が一致している。合奏精度は高く、ズレは全く感じられない。また、一人ひとりがどのように演奏すれば、ブレンドされてどのように聴衆に伝わるか、誰もが的確に認識している。ソロの響きも美しいが、トゥッティで演奏している時の響きも絶妙にブレンドされ、夢見るような響きとなるのだ。

第三点として、特定のスーパースターに依存する演奏ではない。Gábor Tarköviは案外控えめで、他のトランペット奏者に演奏させている時間が長かったが、誰もが的確な響きを産み出している。重ねて書くが、全員が心を一つにしている演奏であるのだ。

完璧な音楽とは、ホールの響きを知り、曲を深く理解し、個々の奏者がどのように演奏すればどのような響きになるか綿密に計算し、その通りに演奏する事である。その全てが決まっていたからこその、世界最強の金管アンサンブルである!!

曲目がクラシカルなリヒャルト=シュトラウスであろうと、ジョン=ウィリアムズの映画音楽であろうと、古典的様式美を完璧に満たしている。この古典的様式美が全ての基礎であり、その上にパッションを乗せる技術が、傑出した音楽を産み出すのだ

松本市音楽文化ホールでの公演では、2014年10月2日(Arcanto Quartett)以来の、即スタオベを、私は敢行した。

アンコール一曲目は「威風堂々」、二曲目は予定されていなかったが、観客半立ち(後方の観客がスタンディング-オベーションを行っていた)の熱狂に応え、「レイダース-マーチ」をもう一回演奏し、観客総立ちとなった!

演奏会終了後の観客の顔は、みんなどこか高揚した顔をしている。いい演奏会の後はいい顔をしているものであるが、違った顔をしている。どこかみんな冷静さを失い興奮し切っている。どれだけ凄い演奏を展開したかが分かるような顔だ。

1920年生まれのRobert Mann(ロバート=マン、ジュリアード弦楽四重奏団の奏者だった)が演奏していた時の、サイトウ-キネン-フェスティバル室内楽演奏会の黄金時代を取り戻した。サイトウ-キネンの室内楽演奏会で、観客総立ちのスタンディングオベーションが起こったのは、何年ぶりの事だったろうか?

2015年8月30日、日曜日、ふれあいコンサートII 、世界最高の金管アンサンブルは、 サイトウ-キネン-フェスティバルの歴史に残る名演を披露した。サイトウ-キネンに於ける歴史的名演である事に、疑いを持つ者は誰もいない!!松本市音楽文化ホールの響きを熟知し、完璧な計算による響きを見事に実現した!この歴史的名演は、私たち松本市民の誇りである、松本市音楽文化ホールの響きと、世界最高の演奏者たちによって成し遂げられた。 全ての演奏者たちに感謝と万歳を贈る。そして、音文万歳!松本市音楽文化ホール万歳!!

2015年8月28日金曜日

Saito Kinen Orchestra, Fabio Luisi , 28th August 2015 Concert, review サイトウ-キネン-オーケストラ+ファビオ=ルイージ 2015年8月28日演奏会 感想

2015年8月28日 金曜日
Friday 28th August 2015
長野県松本文化会館 (長野県松本市)
Nagano-ken Matsumoto Bunka Kaikan (Nagano Prefectural Matsumoto Theater)
(Matsumoto, Japan)

曲目:
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.82 Hob.I:82
(休憩)
Gustav Mahler: Sinfonia n.5

orchestra: Saito Kinen Orchestra(サイトウ-キネン-オーケストラ)
direttore: Fabio Luisi (指揮:ファビオ=ルイージ)

ファビオ=ルイージを指揮者に迎えて、2015年7月28日に長野県松本文化会館にて開催された。このプログラムによる演奏会は、この一回のみであった。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管は後方中央から上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。

着席位置は二階正面やや上手側最前方、チケットは僅かに完売には至らなかったが、ほぼ満席である。観客の鑑賞態度は、二階で飴の包み紙の音が若干あった以外は、極めて良好であった。

ハイドン82番の、弱奏部で「大ホールのハイドン」となる箇所こそあれ、全般的には、この音響が劣悪の長野県松本文化会館をものともしない演奏だ。このホールにしては驚異的な響きであり、これ以上は望めない。松本市音楽文化ホールでやってくれたら、弱奏部も迫る響きだ。

ハイドンでファビオ=ルイージは奇を衒う事をせず、この箇所ではこの響きでないといけないと言うことを、説得力を持って示している。緊張感を伴う構成力は見事だ。

弦楽はパッションが込められている。ハイドンが仕掛けた数々の仕掛けを的確なニュアンスとともに、ルイージの構成力の下で完璧な響きで圧倒する。

管弦楽の明確な意図は、長野県松本文化会館の劣悪な響きに阻まれる時でさえ、意図を理解することが出来る。それだけに、大管弦楽向けにこのような演奏会場しか提供できない事を、松本市民として、長野県民として恥じるばかりだ。意図を理解出来るが響きとして観客に迫れないのは、全面的にホールの責任であり、もどかしい思いで弱奏部は聴いていた。

一方で後半の、マーラーの5番は、もちろん見事な個人技が聴けたし、部分的に素晴らしい箇所はあったけど、私にとっては不完全燃焼である。ブラボーの数も多く、スタンディング-オベーションを送っている観客もいた。何か、取り残された気持ちで、あっさりと会場を後にした。私は変わり者なのか、偏屈なのかと思いながら。

しかしながら、誰が何と言おうが私にとっては、全体的な完成度はハイドンの方がずっと良かった。

もちろん、タルコヴィのトランペット、バボラークのホルン、いずれもも素晴らしい。(バボラークのホルンは柔らかい響きが特色であり、今回はその特色は出ていなかったが、これは曲想上の問題であり、バボラークの責任ではない)

しかし、私にとっては、やはりどこか違っていた。

マーラーよりも、ずっとずっとハイドンの方が弦楽が好みだった事もあるかもしれない。マーラーの弦楽のスカスカ感があったのは、確かに私の好みではない。ハイドンよりも弦楽の数が多いのに、ハイドンよりも響いていない印象が強い。第四楽章では、そのスカスカ感はなかったけれど。吹奏楽ファンにとっては素晴らしかったに違いないけど。。

作曲家としてのハイドンの完璧さと、マーラーの不完全さが露わになってしまったのかなあ。

ルイージとハイドンとの相性は完璧で、その完璧さをマーラーにまで求めた私が間違っているのかもしれないけれど、あのマーラーはルイージらしくはなかった。

ハイドンではルイージが仕掛けた箇所はバッチリ決まっているけど、マーラーでの仕掛けはどこかチギハグな印象で、作為的との感想を抱かざるを得ない。

ルイージにとって、ハイドンについての解釈は深いレベルまで完璧だったけど、マーラーについてはどうだったのだろう?

ハイドンでの完璧さが崩れさっていくのを聴くのは、正直ちょっと辛かった。

松本市音楽文化ホールで、ハイドン・モーツァルト・前期シューベルトのプログラムだったら、完璧なプログラムだったのだろうな。うーむ。

2015年8月27日木曜日

Saito Kinen Festival Matsumoto 2015, Opera ‘Béatrice et Bénédict’ review サイトウ-キネン-フェスティバル 歌劇「ベアトリスとベネディクト」 感想

2015年8月27日 木曜日
Thursday 27th August 2015
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)
Matsumoto Performing Arts Centre (Matsumoto, Japan)

演目:
Hector Berlioz: Opera ‘Béatrice et Bénédict’
エクトル=ベルリオーズ 歌劇「ベアトリスとベネディクト」

Beatrice: Marie Lenormand (マリー=ルノルマン)
Benedict: Jean-François Borras (ジャン-フランソワ=ボラス)
Hero: Lydia Teuscher (リディア=トイシャー)
Claudio: Edwin Crossley-Mercer (エドウィン=クロスリー-マーサー)
Don Pedro: Paul Gay (ポール=ガイ)
Somarone: Jean-Philippe Lafont (ジャン-フィリップ=ラフォン)
Ursule: Karen Cargill (キャレン=カーギル)
Leonato: Christian Gonon (クリスティアン=ゴノン)
A Messenger / Notary: Vincent Joncquez (ヴァンサン=ジョンケ)

Coro: Saito Kinen Festival Matsumoto Chorus (合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団)

Director: Côme de Bellescize (演出:コム=ドゥ-ベルシーズ)
Set design: Sigolène de Chassy(装置:シゴレーヌ=ドゥ-シャシィ)
Costumes design: Colombe Lauriot-Prévost (衣裳:コロンブ=ロリオ-プレヴォ)
Lighting design: Thomas Costerg (照明:トマ=コステール)
Video Images: Ishrann Silgidjian (映像:イシュラン=シルギジアン)

orchestra: Saito Kinen Orchestra (管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ)
direttore: Gil Rose (指揮:ギル=ローズ)

サイトウ-キネン-フェスティバル実行委員会は、2015年8月24日から8月29日までの日程で、エクトル=ベルリオーズ歌劇「ベアトリスとベネディクト」を、まつもと市民芸術館にて3公演上演する。この評は2015年8月27日に催された第二回目の公演に対するものである。

当初予定されていた、指揮の小澤征爾(Ozawa Seiji)、ベアトリス役のVirginie Verrez(ヴィルジニー=ヴェレーズ)は、それぞれ負傷・病気のため降板した。

着席位置は一階最前方ほぼ中央である。チケットはこの日の公演のみ当日券発売をしており、当日券対応となる。サイトウ-キネン-フェスティバルが主催者も観客も小澤征爾頼みであることを反映している。小澤征爾が引退した時に、サイトウ-キネン-フェスティバルはなくなる見解に変わりはない。観客の鑑賞態度は良好であった。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。昨年同様に、舞台で観客の目を眩ます事はせず、音のみで勝負する形態である。但し、照明・映像を用い方については効果的で、朝から夜までの時間を的確に舞台上に表出している。下手側に、中央から上手側からしか見れない視覚となる箇所にも舞台はあるが、基本的に物語の中心となる部分がその箇所で演じられる事はなく、背景として用いられている。

ソリストの出来について述べる。

主要ソリストは、ベアトリス役のマリー=ルノルマン以外全てが素晴らしい。

エロー役のリディア=トイシャーは、見栄えも声も可憐で、第一幕の装飾音から決めてくる。リディア=トイシャーとウルスル役キャレン=カーギルによる、第一幕終盤の二重唱は完璧な繊細さを伴う響きで表現される。管弦楽の見事な弱奏に支えられた夢見るような時間だ。

楽団指揮者ソマローネ役のジャン-フィリップ=ラフォンは傑出した素晴らしさである。圧倒的な声量と諧謔に満ちた演技で、強烈なアクセントを添えるあの最強合唱団との掛け合いも傑出していた。

ベネディクト役のジャン-フランソワ=ポラスも、主役の一人として、確実な声量を伴いつつ、よく通る声で圧倒した。あの声で口説かれたら、女性たちはメロメロだろう♪

ベアトリス役のマリー=ルノルマンは、カルメンのような強烈な女が「愛の犠牲者」になるところが肝であるので、何よりもパワーが必要となるが、その点に欠けていた。急遽降板した歌い手の代役であり、しょうがないかという感じだ。

次に、合唱について述べる。

第一幕では、合唱団の練習風景も素晴らしい。声量は圧倒的で、音程が合っているような違っているような、上手いのか下手なのか分からない合唱が面白い。

第二幕では、酔っ払った場面の弾けぶりから凄過ぎで、合唱団の方々の飲み会の騒がしさを想像するに、恐ろしい気持ちになる程である。

一方で、バンダで結婚のお誘いをする場面は、静かな歓びに満ちた、繊細な表現に転ずる。

最後の最強唱も素晴らしい完成度で、これ以上は望めない。ベアトリスとベネディクトが結婚を決意した際の、はやし立てる「ヒュー」もお見事である。

管弦楽について述べる。

管弦楽は実に的確な響きで基盤を構築する。この場面ではこの響きと、求められている響きが見事に実現される。弱奏部が繊細でありながら確実に響き、ギターの箇所や第一幕終盤の二重唱で、見事に活きる。サイトウ-キネン-オーケストラの実力はもちろんのこと、指揮を担当したギル=ローズの構成力の賜物だ。

総合して、サイトウ-キネン-フェスティバルに相応しい素晴らしい水準である。日本で望み得る最高の出来で、歌い手・管弦楽・指揮者が三位一体となって、この まつもと市民芸術館 の素晴らしいインフラの上に、結実させたと言える。

幸せな高揚感で劇場を後にする「ベアトリスとベネディクト」であった。

2015年8月23日日曜日

Saito Kinen Festival 2015, Chamber Concert I , review サイトウ-キネン-フェスティバル ふれあいコンサートI (室内楽演奏会I) 感想

2015年8月23日 日曜日
Sunday 23th August 2015
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
The Harmony Hall (Matsumoto Municipal Concert Hall) (Matsumoto, Japan)

曲目:
Ottmar Gerster: Capriccietto per quattro timpani e orchestra d'archi (4つのティンパニと弦楽のためのカプリチエット)
timpani: Roland Altmann
orchestra: Saito Kinen Orchestra String Ensemble

Joseph Schwantner: Velocities (moto perpetuo)
marimba: 竹島悟史 / Takeshima Satoshi

Jacob ter Veldhuis: Goldrush
Percussione: 竹島悟史 / Takeshima Satoshi, 藤本隆文 / Fujimoto Takafumi
(休憩)
Franz Schubert: Ottetto in fa maggiore D803
violino: 竹澤恭子 Takezawa Kyoko/ , 会田莉凡 / Aida Ribon
viola: 今井信子 / Imai Nobuko
violoncello: 辻本玲 / Tsujimoto Rei
contrabbasso: 池松宏 / Ikematsu Hiroshi
clarinetto: Charles Neidich
fagotto: Marc Goldberg
corno: Julia Pilant

サイトウ-キネン-フェスティバルは、今年も2015年8月9日から9月15日までに掛けて、松本市を中心に長野県内で歌劇・大管弦楽演奏会・室内楽演奏会・ジャズ演奏会・教育プログラムを繰り広げる。室内楽演奏会は「ふれあいコンサート」の名に於いて、2プログラム2公演、いずれも松本市音楽文化ホールにて演奏される。

なお、「セイジ-オザワ松本フェスティバル」の名称は、そもそもその名称への変更自体に正当性がなく、松本市民の私としては承認できないため、今後も一切用いず、従前通り「サイトウ-キネン-フェスティバル」の名称を用いる。

着席位置は最後方下手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、ごく少数の人たちによる飴の包み紙の音さえ無ければ、かなり良かった。

演奏について述べる。

第一曲目ゲルスターのカプリチェットは、弦楽セクションは控えめでアルトマンの独擅場の感じである。弦楽が弱く聴こえたのは、下手側だったせいか?チケット確保の制約により止むを得ずその場所にしたが。

この曲は、2015年5月に水戸室内管弦楽団第93回定期演奏会にて、既に演奏されている。ひょっとすると、既に演奏したかなり小容積の水戸芸術館の響きが影響していたのかもしれない。室容積が大きい松本市音楽文化ホールへ適応する時間が少し足りなかったのか?

二曲目の「ヴェロシティーズ」・三曲目の「ゴールドラッシュ」は、ソロ、あるいはデュオであり、バランスがよく取れた素晴らしい出来だ。

後半は、シューベルトの八重奏曲、D803 である。冒頭から弦楽と管楽とがバラバラで、テンションが萎える。管楽が響かせ過ぎる一方で弦楽が鳴らない。クラリネット・ホルンは、2000名希望の多目的ホールのような演奏をしていて、耳を悪くしそうな音量だ。しかし、弦楽の対抗力があまりに弱く、そもそも、きちんとしたサウンドチェックを行っているのか、疑問に感じざるを得ない。

弦楽の弱さについては、竹澤恭子が犯人だと判明する。第一楽章では、第二Vnの会田莉凡ちゃんが、ほんの一小節か二小節で前に出ているけれど、竹澤恭子はこれに応えない。クラリネット・ホルンの音量が大き過ぎた一方で、竹澤恭子は何の対抗も出来なかった。

クラリネット・ホルンは、楽章が進むにつれ、明らかに響きを変え、弦楽とある程度調和させてきた。これにより、第一楽章でのバラバラな印象は薄らいだ。

しかし、竹澤恭子は、特に音の多い箇所で十分に響かせず、弱音の音色の美しさで攻めている訳でもなく(弱音の響きは全く綺麗ではなく、説得力がない)、音符がきちんと刻まれずに曖昧にしか聴こえず(私が最も嫌う奏法である)、何をしたいのか理解に苦しむ演奏だ。こんな感じだったら、若手のリボンちゃんに第一ヴァイオリンを譲った方が良かっただろう。若手らしく、怖いもの知らずに思い切って行かせた方が、断然面白くなったろうに。

それにしても、何度、竹澤恭子によってブレーキを掛けられたか!第一ヴァイオリンよりもチェロの方が響く事態は、異常事態だ。それでも、最終楽章でのニュアンスを掛けた箇所だけは、竹澤恭子の意地を見せたか?

チェロはよく響いた。チェロ奏者も周囲の奏者も、その点の配慮を行き渡らせたのだろう。ヴィオラの今井信子さんは、最終楽章で的確な響きで出てくる場面はさすがである。これらの場面の演奏は素晴らしい箇所である。

アンコールはなかった。

2014年8月26日火曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル 歌劇「ファルスタッフ」 評(二回目の観劇) Saito Kinen Festival Matsumoto, Opera ‘Falstaff’

2014年8月26日 火曜日/ Tuesday 26th August 2014
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)/ Matsumoto Performing Arts Centre (Matsumoto, Japan)

演目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」 Giuseppe Verdi ‘Falstaff’

Sir John Falstaff: Quinn Kelsey (クイン=ケルシー)
Ford: Massimo Cavalletti (マッシモ=カヴァレッティ)
Fenton: Paolo Fanale (パオロ=ファナーレ)
Alice Ford: Maite Alberola (マイテ=アルベローラ)
Nanetta: Maureen McKay (モーリーン=マッケイ)
Dame Quickly: Jane Henschel (ジェーン=ヘンシェル)
Meg Page: Jamie Barton (ジャイミー=バートン)
Bardolpho: Keith Jameson (キース=ジェイムソン)
Pistola: David Soar (ディヴィッド=ソアー)
Dr. Caius: Raúl Giménez (ラウル=ヒメネス)

Chorus: Saito Kinen Festival Matsumoto Chorus 合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団

Director: David Kneuss 演出:ディヴィッド=ニース
Set design & Costumes design: Robert Perdziola 装置・衣装:ロバート=ペルジオーラ
Lighting design: Rick Fisher  照明:リック=フィッシャー

Orchestra: Saito Kinen Orchestra 管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ
Conductor: Fabio Luisi 指揮:ファビオ=ルイージ

今日も懲りずに「ファルスタッフ」を見に行きました。当日券売り場に行ったら、既に売られてはいたけれど、前方中央すら虫食い状に販売対象となっていた有り様です。メトロポリタン歌劇場で実績を上げた指揮者が来るのに、どうして売れないのか、私には信じられません。松本市民の一人として、松本の恥だと思います。ファビオ=ルイージ応援のために、松本市民の誇りを賭けて立ち上がり、気が付いたら歌劇場に突入した訳です♪

24日は12列ど真ん中(オケピットのため6列潰れるので、新国立劇場基準で言うと前から6列目)、今日は21列わずかに上手側(新国立劇場基準だと15列目)です。

まつもと市民芸術館は席によってかなり響きの差が大きいですね。12列目では歌唱が直撃しますが、後方21列目だと歌唱が減衰する一方で、管弦楽がバンバン響いてきます。新国立劇場以上にまつもと市民芸術館は一階席の勾配が急なので、ちょうど21列目は貴賓席に相当する場所になります。

24日の席よりは、管弦楽優位に聴こえました。特に第一幕では、クイン=ケルシーが24日と比べたら少し不調に思えたほどです。歌唱だけを聴きたいのであれば、前方の席が良さそうです。基本的に歌い手に関する感想は、24日の感想と同じです。

一方で管弦楽の音色を堪能できました。特に第二幕の偽フォンターナのソロの場面や第三幕での管弦楽の響きは、ファビオ=ルイージにより慎重に吟味され、的確に選択され、精緻に実行された美しいものでした。小澤征爾時代の暴走族としか言いようがなかった時には信じがたいほどの繊細さを持つもので、本当に弱奏が綺麗に響き渡っていました。サイトウ-キネンのオケの音色は、実に美しくなりました。もちろん、多少歌唱が細くてもしっかりと支える効果もあります。

やはり歌劇は、歌劇場でしっかりとキャリアを積んだ指揮者でなければだめなのだなあと、思い知らされました。ファビオ=ルイージ、万々歳です。

2014年8月24日日曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル 歌劇「ファルスタッフ」 評 Saito Kinen Festival Matsumoto, Opera ‘Falstaff’

2014年8月24日 日曜日/ Sunday 24th August 2014
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)/ Matsumoto Performing Arts Centre (Matsumoto, Japan)

演目:
ジュゼッペ=ヴェルディ 歌劇「ファルスタッフ」 Giuseppe Verdi ‘Falstaff’

Sir John Falstaff: Quinn Kelsey (クイン=ケルシー)
Ford: Massimo Cavalletti (マッシモ=カヴァレッティ)
Fenton: Paolo Fanale (パオロ=ファナーレ)
Alice Ford: Maite Alberola (マイテ=アルベローラ)
Nanetta: Maureen McKay (モーリーン=マッケイ)
Dame Quickly: Jane Henschel (ジェーン=ヘンシェル)
Meg Page: Jamie Barton (ジャイミー=バートン)
Bardolpho: Keith Jameson (キース=ジェイムソン)
Pistola: David Soar (ディヴィッド=ソアー)
Dr. Caius: Raúl Giménez (ラウル=ヒメネス)

Chorus: Saito Kinen Festival Matsumoto Chorus 合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団

Director: David Kneuss 演出:ディヴィッド=ニース
Set design & Costumes design: Robert Perdziola 装置・衣装:ロバート=ペルジオーラ
Lighting design: Rick Fisher  照明:リック=フィッシャー

Orchestra: Saito Kinen Orchestra 管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ
Conductor: Fabio Luisi 指揮:ファビオ=ルイージ

サイトウ-キネン-フェスティバル実行委員会は、2014年8月20日から8月26日までの日程で、ジュゼッペ=ヴェルディ歌劇「ファルスタッフ」を、まつもと市民芸術館にて4公演開催する。この評は2014年8月24日に催された第三回目の公演に対するものである。

着席位置は一階中央前方である。チケットは当日券発売をしている有り様で、サイトウ-キネン-フェスティバルが主催者も観客も小澤征爾頼みであることを反映している。小澤征爾が引退した時に、サイトウ-キネン-フェスティバルはなくなるだろう。観客の鑑賞態度は概ね良好であったが、一回だけ携帯電話が鳴っていた。特に致命傷となるような形ではなかったが。

休憩は、第二幕と第三幕の間のみの一回のみである。

舞台は伝統的なものであり、衣装を含めて前衛的な要素は何一つない、正統的なものだ。舞台で観客の目を眩ます事はせず、音のみで勝負する形態である。舞台の上に20cm程かさ上げし僅かに客席側に傾けた舞台を用いている。舞台の上に欧州の伝統的な歌劇場の額縁と舞台を乗せたような形となり、舞台の幅は狭くなり、高さも抑えられている。幕は額縁の中のみであるが、両左右角から引っ張る形の幕ではなく、単に上下に移動するだけの幕である。

ソリストの出来について述べる。

一番素晴らしいかったのは、文句なしにファルスタッフ役のクイン=ケルシーである。声量はホール中に大きく響き渡り、終始安定した歌唱である。出番は少ないが、ドクター-カイウス役のラウル=ヒメネスも素晴らしい。フォード役のマッシモ=カヴァレッティは、この二人程ではなかったが、それでも要所で確実に決めている。フェントン役のパオロ=ファナーレは、やや声量が少なめである。

女声については、全般的に男声より声量面では控えめであるが、それでも女性同士仲良く響きが合っている。アリーチェ役のマイテ=アルベローラが素晴らしい出来で、要所に於ける声量は十二分に余裕がある。ナンネッタ役のモーリーン=マッケイは大変可愛らしく、やや細めの声ではあるが、管弦楽のコントロールの助けもあり十分にホールに響いており、熟女役だらけの女性陣の中で爽やかな印象を与える事に成功している。クイックリー夫人役のジェーン=ヘンシェルは、やや不調気味である。

合唱の扱いは、かなり控えめに扱われていた。

管弦楽は極めて素晴らしい出来だ。歌い手を上手に引き立てつつ、ソリスティックな部分では的確に聴かせどころを決めていく。小澤征爾時代とは大違いだ。

小澤征爾は、歌い手と管弦楽との関連性について何も考えていなかった。歌い手に手抜きを許し、サイトウ-キネン暴走族とも言える管弦楽は放縦に任せていた。要するに、小澤征爾はオペラに対し無知だったし、無能だった。

これに対して、ファビオ=ルイージは十二分に準備を重ねてきた事が伺えた。歌い手を引き立たせるにはどうしたら良いか、一方で曲想に応じてどこで管弦楽を走らせるか、その選択は的確だった。第三幕で見せた弱奏の美しさ、良く聴くと実に「歌わせている」けどあまりに自然に扱われるテンポのうねり、フーガの扱いの見事さ、ある歌い手から別の歌い手への絶妙なバトンタッチ、要所で鋭さを見せる管弦楽の扱い、山田和樹によって初めて歌劇としての理想的な響きを手に入れた管弦楽は、ファビオ=ルイージによってその正しい路線を発展させたと言える。一つの歌劇を作り上げるのに当たって必要な、見事な統制力と構築力を、ファビオ=ルイージは見せつける。

歌い手が手抜きばかりしていた小澤征爾時代のサイトウ-キネンとは違い、歌い手のソリストは半数以上は十分に満足出来る歌唱であり、特に重要な役に関しては傑出した実力を発揮していた。管弦楽の扱いも巧みであり、どうしてファビオ=ルイージをもっと早く松本に登場されなかったのかと思わずにはいられなかった。

Viva! 'Fabio Luisi Matsumoto Festival' !!
ファビオ=ルイージ 松本フェスティバル、万歳!!

サイトウ-キネン-フェスティバル松本の名前を変えるのであれば、ファビオ=ルイージこそその名にふさわしいであろう。

2013年8月28日水曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル-松本 歌劇「こどもと魔法」・「スペインの時」 評

2013年8月28日 水曜日
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)

演目:
モーリス=ラヴェル 「こどもと魔法」
(休憩)
モーリス=ラヴェル 「スペインの時」

「こどもと魔法」
こども:イザベル=レナード
肘掛椅子・木:ポール=ガイ
母親・中国茶碗・とんぼ:イヴォンヌ=ネフ
火・お姫様・うぐいす:アナ=クリスティ
雌猫・りす:マリー=ルノルマン
大時計・雄猫:エリオット=マドア
小さな老人・雨蛙・ティーポット:ジャン-ポール=フーシェクール
安楽椅子・こうもり:藤谷佳奈枝

合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団・サイトウ-キネン-フェスティバル松本児童合唱団

演出:ロラン=ペリー
装置:バーバラ=デリンバーグ
衣装:ロラン=ペリー・ジャン-ジャック=デルモット
照明:ジョエル=アダン
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:小澤征爾 ピエール=ヴァレー


「スペインの時」
コンセプシオン(時計屋の女房):イザベル=レナード
ラミロ(ロバ引き):エリオット=マドア
トルケマダ(時計屋):ジャン-ポール=フーシェクール
ゴンザルヴ(詩人気取りの学生):デイビット=ポーティロ
ドン・イニーゴ・ゴメス(銀行家):ポール=ガイ

演出:ロラン=ペリー
装置:キャロリーヌ=ジネ(オリジナルデザイン:キャロリーヌ=ジネ・フロランス=エヴラール
衣装:ロラン=ペリー・ジャン-ジャック=デルモット
照明:ジョエル=アダン
管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:ステファヌ=ドゥネーヴ

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、今年は8月12日から9月7日までの日程で、歌劇・演奏会・劇音楽が開催される。歌劇公演は、8月23日から8月31日までの間、計4公演に渡って繰り広げられる。この評は、第三回目8月28日の公演に対するものである。

今回の公演は、モーリス=ラヴェルの短めな歌劇を二演目上演する。休憩前が「子どもと魔法」、休憩後が「スペインの時」である。なお、これらの歌劇は、グラインドボーン音楽祭との共同制作による。

着席位置は三階上手側前方、9割5分の入りである。おそらく追加発売された席の中で売れなかった席があったものと思われ、特に三階・四階下手側側方席は空席が目立つ。

休憩前の前半は、小澤征爾指揮の「こどもと魔法」である。懸念されていた小澤征爾の降板はなく、その他の配役も全て当初の予定通りである。

私は歌い手に対しては、協奏曲に於けるソリストのような役割を求めるが、このような響きを求める私にとっては、必ずしも全てに賛同できる演奏ではない。しかしながら、総じて歌い手と管弦楽とが溶け合った響きを随所に見せ、2010年頃までのサイトウ-キネン-フェスティバルの歌劇で見せつけられたような、歌い手と管弦楽とが融合せずにバラバラに歌い演奏している点は、限定されており、許容できる内容である。

主役のイザベル=レナードの出来は、一応合格点を与えることができる出来である。同じ歌い手が複数の役を演じるため、歌い手と登場人物との関係を掴むのに苦労させられるが、それでも中国茶碗のイヴォンヌ=ネフ、雌猫のマリー=ルノルマン、安楽椅子の藤谷佳奈枝が印象に残る。

管弦楽はラヴェルが意図した多様な響きを、明瞭かつ精緻さをもって再現し魅了させられる。特に第二場前半の群舞のシーンが印象的で、小澤征爾の数少ない名演である、水戸室内管弦楽団との「マ-メール-ロア」のライブを思い出すほどだ。

休憩後の後半は「スペインの時」で指揮はステファヌ=ドゥネーヴとなる。これも当初の予定通りである。

舞台芸術等視覚的な部分は見事に出来ており、五人の歌い手の演劇的な要素は良く考えられている。しかしながら、音楽的な要素では、歌い手と管弦楽の統一感がなく、時計屋の主人役であるジャン-ポール=フーシェクール以外の男の歌い手も声量不足で、何を考えているか分からないものである。山田和樹と出会う前の、サイトウ-キネンのオペラを思い起こさせる、ひどい出来だ。ペネロペ=クルスを思わせる印象を与えるイザベル=レナードは、かろうじて主役としての役割を演じることが出来ているか。

天皇皇后両陛下が「スペインの時」を観劇せずに退席したのは当然の出来で、これはパンティ脱ぎ捨てシーンを皇族に見せるわけにはいかないという、訳のわからない配慮以前の問題で、純音楽的な問題としてそこまでの水準に達していなかった。

小澤征爾は一応復活したが、サイトウ-キネン-フェスティバルの歌劇の水準としては、例年より少し優れているといったところであろうか。

2012年8月19日日曜日

サイトウ-キネン-フェスティバル-松本 聖譚曲評

2012年8月19日 日曜日
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)

曲目:
アルチュール=オネゲル 「火刑台上のジャンヌ=ダルク」

ジャンヌ=ダルク:イザベル=カラヤン
修道士ドミニク:エリック=ジェノヴェーズ
語り:クリスチャン=ゴノン
ソプラノ独唱(声・聖マルガリータ):シモーネ=オズボーン
ソプラノ独唱(聖母マリア):藤谷佳奈枝
アルト独唱(聖カタリーナ):ジュリー=ブリアンヌ
テノール独唱(声・豚・伝令官1・聖職者):トーマス=ブロンデル
バス独唱(声・伝令官2):ニコラ=テステ
合唱:サイトウ-キネン-フェスティバル松本合唱団・栗友会合唱団・サイトウ-キネン-フェスティバル松本児童合唱団
合唱指揮:ピエール=ヴァレー

演出:コム=ドゥ-ベルシーズ
アーティスティック-アドヴァイザー:ブロンシュ=ダルクール
装置:シゴレーヌ=ドゥ-シャシィ・森安淳
衣装:コロンブ=ロリオ-プレヴォ・田中晶子
照明:齋藤茂男

管弦楽:サイトウ-キネン-オーケストラ(SKO)
指揮:山田和樹

サイトウ-キネン-フェスティバル松本は、2012年は8月4日から9月9日までの日程で、聖譚曲・演奏会・劇音楽が開催される。このうち8月19日から8月29日までの間、オネゲル作曲の聖譚曲「火刑台上のジャンヌ=ダルク」が計3公演に渡って繰り広げられる。19・26・29日の日程での3公演であるが、19日と26日の間には、23・25日とダニエル=ハーディング指揮によるリヒャルト=シュトラウス「アルプス交響曲」等の演奏会があり、系統が全く違うプログラムを間に挟む事の悪影響を考慮し、リハーサルが仕上がったばかりである19日の公演を選択した。よってこの評は、初日8月19日の公演に対するものである。

まつもと市民芸術館のホールに入ると、歌劇ともまた違う舞台が構成されている。通常のオーケストラピットを設営したときよりもさらに2列の座席を撤去している。オーケストラピットの高さは、座席面とほぼ同じ高さか?左右対向配置ではない管弦楽の回りに、約3メートル幅の通路状の舞台をロの字型に作っている。舞台最前方の高さは、膝と同じくらい、管弦楽・側方の舞台とも舞台後方に向けて上り坂となっている。舞台後方の高さは、管弦楽に邪魔されない程の高さである。舞台後方から管弦楽のスペースに向けて、前方へ幅3メートル・長さ5メートル程の半島状に張り出した舞台を設置しており、舞台前方に向けて管弦楽の坂と平行した下り坂となっている。この半島状の舞台に火刑台の柱が据え付けられている。

舞台後方には、左右に三階建てのバルコニーが設置されている。舞台中央は何もなく、最後方は白い板で行き止まりとなっている。

16時ちょうどに開始時刻を迎えると、合唱隊が左右のバルコニーに3層とも入る。指揮の山田和樹はいつのまにか指揮台に立っている。合唱隊が全てバルコニーに入ったところで、小澤征爾総監督が客席に入る。総監督入場の際に拍手が起きるが、管弦楽・合唱隊・指揮者に対しては拍手がないままホール全体が一旦真っ暗となり、少し時間が経過して管弦楽の譜面台の明かりが灯って、聖譚曲が開始される。

演劇部門の構成は全く申し分がない。ジャンヌ=ダルク・修道士ドミニクは基本的に半島状の火刑台柱周辺に位置し、これを囲むようにインチキ裁判のイベントが行われたり、舞台前方で王たちのトランプ遊びが繰り広げられる。歌い手のフォーメーションは適切である。衣装は現代的ではなく、どちらかと言うと近世的である。ジャンヌ=ダルクが存在していた15世紀的でもないが、衣装により登場人物を判別させるには、これまた適切な手段だ。

歌い手については、修道士ドミニク役のエリック=ジェノヴェーズが素晴らしい。終盤のみの登場であるが、聖母マリア役の藤谷佳奈枝も良い出来だ。クリスチャン=ゴノン・トーマス=ブロンデル・ニコラ=テステの男声も、序盤こそ不安定であったが、後半になるにつれて完成度が上がっていき、存在感のある演技となっていく。

主役のイザベル=カラヤンについては、声量不足が否めず、ジャンヌ=ダルク役に求められるパワーがない。「ジャンヌの剣」にて長いモノローグがあるが、迫力がなく、最大の見せ場であるはずの場面で眠気を誘っている。イザベル=カラヤンを主役としてこの聖譚曲の公演を企画したのは、総監督小澤征爾であり、この責任は小澤征爾にあると言える。

合唱は、序盤やや不安定に感じられたところもあったが、徐々に完成度を高めていき、満足できる出来である。管弦楽とのコンビネーションはとてもよい状態である。

指揮の山田和樹は、暴走しがちなSKOを手堅くまとめ、独唱・合唱とのバランスが細部まで取れている優れた演奏を盛りたてる。SKOは独唱者の状態はなんとやら、管弦楽は管弦楽という感じでどんどん突き進む傾向が小澤征爾時代にはあったが、山田和樹はそのSKOを細かく制御し、歌劇場管弦楽団としてあるべき方向性をSKOに対して示すことに成功している。もちろん、(独唱がない)管弦楽単独の部分ではSKOならではの迫力を引き出すなど、緩急の付け方といった方向性とは全く別ではあるが、彼ならではのメリハリの利いた指揮だ。小澤征爾が本番2日前の17日まで来松しなかったのが、良い影響を与えているのだろう。山田和樹らしい個性を発揮する事ができ、小澤征爾時代には考えられなかったSKOの丁寧な響きを引き出している。

総じて、イザベル=カラヤン以外の独唱者に不満はない。SKFでは珍しく、独唱者の多くが一応満足できる水準を保っている。合唱も良い出来である。なんと言っても、地味ではあるが山田和樹の指揮がとても優れたものだ。世代交代を感じさせる聖譚曲であった。