2015年8月1日土曜日

Noism 近代童話劇シリーズ vol.1 「箱入り娘」 感想

2015年8月1日 土曜日
新潟市民芸術文化会館 りゅーとぴあ スタジオB (新潟県新潟市)

演目:箱入り娘

出演:Noism1

箱入り娘(我儘娘):井関佐和子
Ne(e)T(無業男):佐藤琢哉
老魔女(悪戯老婆):石原悠子
イケ面(木偶の坊):吉﨑裕也
湖母(娘の養母):簡麟懿(男性である)
お芋(娘の侍女):池ヶ谷奏
欅父(娘の養父):上田尚弘
deザイナー(衣装デザイナー):梶田留以
あしすたんと(deザイナーのアシスタント):亀井彩加
花黒衣(老魔女のアシスタント):亀井彩加・梶田留以
カメラ兎(謎の撮影者):角田レオナルド仁

振り付け・演出:金森穣
音楽:バルトーク=ベーラ「かかし王子」
衣装:堂本教子
映像:遠藤龍

Noism 1は、2015年6月6日から8月1日に掛けて、「箱入り娘」を本拠地新潟で13公演・横浜で6公演・金沢で2公演、計21公演上演した。この感想は、8月1日千秋楽公演のものである。

着席位置は下手側かつやや後方、チケットは完売している。7/25以降のチケットは全て完売したとの情報が入っている。観客の鑑賞態度は極めて良好であった。

(以下、演劇色の強い舞踊であり、新作であるため、ネタばれ注意!)

りゅーとぴあの4階にあるスタジオBでの公演である。開演30分前にホワイエまで入場が可能となる。ホワイエには仕掛けが一つあり、覗いてみてねと貼り紙がある。覗いてみると、(私の部屋ほどではないけど♪)散らかっている和室が一つあるが、特に何の変哲もない。何だろうなあと思いつつ。。

観客の入場が終了するかしないかの内に、明らかに観客席を映している映像が、舞台のスクリーンに映し出される。映し出されて手を振っている観客もいる。どこにカメラがあるのか探して見たところ、舞台下手側にいるピンク色の兎によるものだ。しばらくその光景が続いた後、大きな物音がしてからだったか、登場人物の紹介がどこかの地方語を用いて為される。どこの地方語かは分からないが、琉球語でもなく球磨語でもないため、共通語さえ分かっている観客であれば理解は可能だ。

私にとってNoism公演は初めてで、井関佐和子さんを実際に目にするのは初めてであったが、「箱入り娘」役で登場した彼女は予想に反して可愛い。予想に反してなどと言うと消されてしまいそうだが、ずっとボーイッシュなイメージが強かったので、白い衣装に包まれて、予期していたイメージとは違っていたので。。

演劇色の強い舞踊である。冒頭の登場人物紹介以外に言葉はない。箱入り娘はイケ面大好き、まずはイケ面を狙う。木偶の坊でも何でも、イケ面でさえあればいいのだ。Ne(e)Tは箱入り娘が大好きで狙っていたり、妄想に耽っていたりし、スクリーンに映し出される映像により、ホワイエに展示されていた部屋が実はNe(e)Tの部屋である事が明かされる。

しかしながらイケ面は変態(途中から背中から尻まで露出するスーツ姿となる)である事が明らかになり、実はNe(e)Tはそこそこイケメンであり、箱入り娘は乗り換えようとしたりするが、その辺りの展開が最も面白く私の好みの箇所である。

結局は、箱入り娘は老婆になって終わる。どこまでが映像でどこからが妄想なのか?スクリーンに映し出されるホワイエの映像はどこまでがライブでどこからが収録物の再生なのか?金森監督は観客に対して内緒にしている。

アフタートークで金森監督が出て、いくらか質問に答えたりする。観客からの質問も、要領を得ないものや自分語りのものは全くなく、素晴らしい質問ばかりだ。金森監督は飄飄とした雰囲気でありながら、かなり真面目に回答してくれる。

終盤近くの海の映像は、新潟市西部にある五十嵐浜で収録したものであるとのこと、新潟を本拠地にしているだけあり、日本海の映像であることは必須だったらしいが、地元でよい撮影地があったとのことだろう。

この「箱入り娘」は、「水と土の芸術祭」の一環として、小学生以下のみの観客の公演を一公演、65歳以上のみの観客の公演を一公演、上演している。観客の反応が通常公演と違っていたそうだ。小学生以下の公演ではピンク色の兎に対する反応が、65歳以上の公演ではお芋(娘の侍女)に対する反応が強かったとのこと。地味系なお芋が恋を成就させるかも・・・、の箇所での反応が鋭かったらしい。

Ne(e)Tの別室については、横浜KAAT公演では りゅーとぴあ よりも舞台面積が広かったため、舞台上に別室を置いたとのこと、金沢では別室の設置スペースがなかったとのことである。観客がホワイエに設置してあるNe(e)Tの部屋を覗いてみる事が出来たのは、本拠地である りゅーとぴあ 観客のみであったのかもしれない。

6月にこの「箱入り娘」の公演が始まった時は賛否両論であったらしいが、否の意見の内容とは、シャープなダンスが観られないことのようだ。まあ「近代童話劇シリーズ」なのだから、その路線の公演内容ではないだろうな。

Noismの存在をしったのは、私が舞踊公演を頻繁に観劇しに行くようになってからなので、約一年くらい前の話か。2011年のサイトウ-キネン-フェスティバルで松本に来たようであるが、そもそもペルー旅行を最優先して一公演も観に行かなかったし、そもそもこの舞踊に対する関心が全くなかった頃なので、存在を知らなかったのだ。横浜KAATでも金沢21世紀美術館でも、ましてや(別の演目であるが)NHKホールで初めてNoismを観劇することは、信越地区在住の私としては決してしたくなかった。念願を本拠地である新潟市の りゅーとぴあ でかなえる事ができ、嬉しく思う。

演劇面でも舞踊面でも素晴らしい公演である。今後とも出来得る限り新潟で、Noismの公演を見に行きたい。

2015年7月26日日曜日

まつもと市民芸術館「空中サーカス」2015 感想

2015年7月20日(月)・26日(日)
まつもと市民芸術館 (長野県松本市)

演目:空中サーカス

出演:
歌い手・俳優部門:
串田和美・高泉淳子・小西康久・内田紳一郎・片岡正二郎・秋本奈緒美・近藤隼・佐藤卓・細川貴司・下地尚子

音楽(バンド)部門:
coba・大熊ワタル・花島英三郎・キデオン=ジュークス・熊谷太輔・杉山卓

サーカス・大道芸部門:
ジュロ・ロラン・ロッタ・スティーナ・メリッサ・サラ・金井ケイスケ・目黒陽介・宮野玲・ジェームス=ヨギ

構成演出:串田和美
音楽:coba
サーカスアドヴァイザー:ジュロ

以降、ネタばれ注意!もともとストーリ性がない作品ではあるが、2011年以来二年に一回開催されてきた「空中キャバレー」が今後も上演される場合、舞台装置の設定や、どのような出し物があるかが、この感想によりある程度明らかになってしまう。これまでの「空中キャバレー」をご覧になっていない状態で、2017年に初めて観劇する場合に白紙の状態で臨みたい方は、これ以降は閲覧されないようお勧めする。

まつもと市民芸術館にて、2015年7月17日から26日に掛けて「空中キャバレー」を9公演上演した。私が臨席したのは、4回目の7月20日公演と、千秋楽7月26日公演である。

入口は、西側搬入出口という異例の場所である。まつもと市民芸術館は、東側から搬入用トラックを入れ、舞台北側に横付けし搬入作業後、西側からトラックを出す事が出来る、先進的かつ機能的な搬入システムを用いている。東側搬入入口・西側搬入出口にはシャッターが備え付けられ、真冬の氷点下環境であっても、屋内環境で搬入作業を行う事が出来る。

いつもは閉じられている西側搬入出口のシャッターが開けられ、開場前に集まった観客は搬入作業スペースに誘導される。開場後は、東側舞台搬入口から脇舞台へと誘導される。まつもと市民芸術館は田の字型四面舞台となっており、南西側に主舞台・北西側に奥舞台・主舞台と奥舞台の東側にそれぞれ脇舞台を設置している構成となっている。この公演では主・奥舞台の西側と、脇舞台の東側とを分けており、二分割して用いている。

脇舞台(及びチケットコントロール後の制限区域内の搬入作業スペース)には「空中マルシェ」があり、十ほどの地元企業による仮設店舗が営業している。パンやクッキー・花・ガラス細工・木工作品・絵までも売られている。もちろん、そこで腹ごしらえも可能だ。

前半60分、後半100分、休憩20分を含めると三時間もの長丁場、冷房の効いた脇舞台で軽く食事が取れることは大きい。

脇舞台には「空中マルシェ」の他、小舞台が設置され大道芸が披露されたり、ロッタ+スティーナによるスオミ国コンビがチョコチョコ動き回って、サーカス技を披露していたり、どこかで誰かが歌っていたり、サラが脇舞台1号ホイストから吊り下げられたロープ下りパフォーマンスを繰り広げたりする。プロセニアム高さが15mであることからすると、同じ高さのキャットウォークからロープに移り、ホイストで3m程東側壁から西側へ移動して、スリルあふれる技を伴って下りてくる。客席で落ち付いている開演前の時間ではなく、既にプロローグが始まっているような、賑やかな時間だ。

開演時刻になると、秋本奈緒美がハーメルンの笛吹き女となって、目印を持って観客を主舞台東側下手側から誘導する。この公演の本番では、主舞台と奥舞台をつなげて使っているが、奥舞台には「実験劇場」用の椅子が360席設置されている。大劇場では南側に観客席があるが、「実験劇場」として用いる場合には、北側に観客席が設けられる。主舞台は大劇場公演・「実験劇場」公演いずれも同一の物を用いるが、下手・上手は正反対となる。この稿では、混乱を避けるために「東側下手側」「西側上手側」の表現を用いる。

大劇場の観客席は閉鎖されている。主舞台は当然サイトウ-キネン-フェスティバルのオペラ公演として用いているものと全く同じである。観客たちには、主舞台の床の上にそのまま座って観劇するよう推奨される。「実験劇場」の椅子に座っていると、開演早々、串田和美により「人生に疲れた人たちの席」と揶揄される。

舞台には白円が描かれており、白円内が舞台になることもあれば、観客スペースになる事もあり、演技スペースと観客スペースとの境界は可変的であるだけでなく、混ざり合う事もある。

冒頭はcobaと杉山卓(東大卒!)とのアコーディオン-パフォーマンスから始まる。全般を通したストーリーは存在しない。芝居と歌とサーカスと大道芸を適宜組み合わせ、同時に進行させたりしている。

「空中ブランコに恋する兵士」の芝居は、メリッサの空中ブランコとも組み合わさっているように、同時進行の複合形態は「空中キャバレー」にはよくあることだ。

芝居では、「空中ブランコに恋する兵士」の他、ライオン吠えさせ罪・才能は放棄できない・冬山スキー・太鼓・アカプルコへ行くサボテンがあり、

歌では高泉淳子・秋本奈緒美が三曲ほど単独で歌うほか、秋本奈緒美は「アカプルコへ行くサボテン」でも紅一点歌っている。

サーカス・大道芸部門では、ロッタ+スティーナによるスオミ組地上サーカス演技・メリッサ+サラによる空中ブランコ演技・ロランによる綱演技・ジェームス=ヨギによる自転車演技の他は、大道芸の色彩が強いものだ。

注目するべき点は、音楽は全てcoba率いるバンドにより生演奏され、録音物は用いられない。サーカスを盛り上げる音楽をも、音楽(バンド)部門によって担当され、全ての芝居・歌・サーカス・大道芸の基盤を見事に構築している。

特に前半部では、観客参加型の色彩が強い。主舞台中央で観客が輪になって踊ったりもする。全般に渡り、演者は観客と極めて近い距離で演技し歌う。高泉淳子も秋本奈緒美も、観客のすぐそばを歩きながら、子どもとダンスし歌う。ジェームスの自転車技では、二人を飛び越えて観客が座っている僅か1mの距離を保って見事に停止させる。これ程までの距離感が近い公演は、「空中サーカス」以外にはありえないだろう。

休憩中は、脇舞台・搬入スペースにそれぞれ小舞台が設置され短時間の芝居が上演され、音楽も鳴らされ、出演者はいつ休んでいるのだろうと考えてしまう程だ。もちろん「空中マルシェ」も営業している。休憩時間でもお祭りは続いている。

私の特に好みとしているのは、東側下手側での音楽劇「アカプルコへ行くサボテン」・グラス-ハープによる音楽を背景にしたメリッサ+サラによる幻想的な空中ブランコである。

命綱を用いたサーカス技は、最後の空中ブランコのみである。7月20日公演ではメリッサ、7月26日千秋楽公演ではサラが演じた。私の上空での姿勢変換は、スリルと迫力を感じる。

この「空中サーカス」は、まつもと市民芸術館でないと実現不可能である。田の字型四面舞台、大きな主舞台、収納式の椅子、公道に面し誰もが分かりやすくアクセス出来る搬入口も必要だ。日本で最も設備が整った新国立劇場でさえも、上演不可能な演目で、この松本でしか上演出来ない。

twitterで検索して見ると、地元民だけでなく、東京から遠征して観劇しに来た方も多かったようだ。全てはあっという間に過ぎ去った三時間の空間であった。

2015年7月25日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 426th Subscription Concert, review 第426回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年7月25日 土曜日
Saturday 25th July 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Николай Римский-Корсаков / Nikolai Rimsky-Korsakov: Каприччио на испанские темы / Capriccio spagnolo (エスパーニャ奇想曲)
Моде́ст Му́соргский / Modest Mussorgsky (orchestrated by Александр Раскатов / Alexander Raskatov): Песни и пляски смерти / Canti e danze della morte (死の歌と踊り) (Japan Premiere / 日本初演)
(休憩)
藤倉大 / Fujikura Dai: 歌曲集「世界にあてたわたしの手紙」/ “My Letter to the World” (World Premiere / 世界初演)
Моде́ст Му́соргский / Modest Mussorgsky (orchestrated by Maurice Ravel): Картинки с выставки / Quadri da un'esposizione (展覧会の絵)

baritono: Simon Bailey (バリトン:サイモン=ベイリー)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Martyn Brabbins (指揮:マーティン=ブラビンズ)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、サイモン=ベイリー(バリトン)をソリストに迎えて、2015年7月24日・25日に愛知県芸術劇場で、第426回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリンと並ぶモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、金管は後方中央から上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。

着席位置は一階正面上手側後方、客の入りは8割程であろうか、三階席の様子は不明だが、二階バルコニー席後方に空席が目立った。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。

第一曲目の「エスパーニャ奇想曲」は後半になって全てがうまく響きが噛み合ってくる。その勢いで第二曲目の「死の歌と踊り」に入る。

ムソルグスキーの「死の歌と踊り」は、アレクサンドル=ラスカトフの編曲によるもので、ラスカトフ編曲版は日本初演である。先進的な企画を打ち出すブラビンズ+名フィルならではの企画だ。上手側にエレキギターがある一方で、下手側にはチェンバロがある点が凄い♪

バリトンのベイリーは美しい声で愛知県芸術劇場コンサートホールを満たす。十分な声量で大きなホールを響かせる。管弦楽とのバランスも見事で、ベイリーを見事に引き立たせる。特に第二楽章に相当するセレナーデからが素晴らしい。

第三曲は藤倉大の作品で、管弦楽編曲版は世界初演である。管弦楽編曲版を作成した動機で、ピアノ版でピアニストが酷い演奏をしたからと公言するのはいかがなものか?聴く立場としては複雑な心境となる。

演奏自体は、ベイリーと名フィルの絶妙なバランスが効いて、これまた見事な出来である。

最後の曲目、「展覧会の絵」は最高の出来だ!何をやりたいのか明確になっていて、その路線を実現させようとする士気に漲った演奏だ。欲を言うと・・・の要素が皆無な訳ではないけれど、特定の楽器や特定のソリスティックな何かに頼らない演奏である事が何よりも大切な事である。ティンパニ砲発射〜、金管砲炸裂〜だけでは、響きにならず、音楽にならない。全般的に誰もが高いレベルで精緻な演奏をパッションを込めて行う事が大切なのだと改めて思い知らされる。

冒頭のトランペットからプレッシャーに負けずに決めて、曲の中間部では弦楽がニュアンス豊かに精緻さを伴って攻めてくる。「キエフの大門」では、モッサリしない程度のゆっくりとしたテンポで、ゼネラルパウゼをやり過ぎない程度に長めに取りながら、堂々と演奏する。

ブラビンズの構成力は盤石であり、その上で管弦楽全員で勝負をかけ、勝利した。大管弦楽の醍醐味を味わえる演奏であった。

2015年7月18日土曜日

Orchestra Ensemble Kanazawa , the 365st Subscription Concert, review 第365回 オーケストラ-アンサンブル-金沢 定期演奏会 評

2015年7月18日 土曜日
Saturday 18th February 2015
石川県立音楽堂 (石川県金沢市)
Ishikawa Ongakudo (Ishikawa Prefectural Concert Hall) (Kanazawa, Japan)

曲目:
Gondai Atsuhiko: “Vice Versa” (world premier) (権代敦彦:「逆も真なり」)(世界初演/オーケストラ-アンサンブル-金沢委嘱作品)
Franz Joseph Haydn: Sinfonia n.87 Hob.I:87
(休憩)
И́горь Фёдорович Страви́нский / Igor Stravinsky: “Le sacre du printemps” (「春の祭典」)

orchestra: Orchestra Ensemble Kanazawa (OEK)(オーケストラ-アンサンブル-金沢), Japan Century Symphony Orchestra (日本センチュリー交響楽団)
direttore: Inoue Michiyoshi (指揮:井上道義)

オーケストラ-アンサンブル-金沢は、2015年7月18日に石川県立音楽堂で、第365回定期演奏会として開催した。権代敦彦の「逆も真なり」を世界初演する他、「春の祭典」を日本センチュリー交響楽団と合同で演奏する事で注目された演奏会である。

管弦楽配置は曲によって異なる。

「逆も真なり」では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置である。コントラバスは前方左右端に一台ずつ、ホルン・トランペットは後方左右端に一台ずつ左右対称に置かれる。木管パート・パーカッションは後方中央の位置につく。フルート(ピッコロ)は、第一楽章では後方中央、第二楽章では指揮者のすぐ前に向かい合うように配置される。

ハイドン交響曲第87番では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対抗配置で、コントラバスはチェロの後方上手側につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側の位置につく。

「春の祭典」では、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方上手側につく。木管パート・パーカッションは後方中央、ホルンは後方下手側、その他の金管は後方上手側に位置する。

着席位置は一階正面ど真ん中から僅かに後方、客の入りは七割程であろうか。一階席でも後方端に空席が目立った。観客の鑑賞態度は概ね極めて良好であった。

演奏について述べる。

権代敦彦の「Vice Versa」(「逆も真なり」)が本日の白眉である。プレトークによると、作曲に当たり、井上道義から二楽章形式で作るように、注文があったそうだ。バリバリの現代音楽らしい現代音楽なので、好みは別れるだろう。冒頭の掴みの段階で魅了され、私の頭蓋骨が共鳴する不思議な感覚を味わう。権代敦彦が譜面に描いた世界を、十分に検討され、よく考えられた構成で、パッションとニュアンスを込めて、精緻な表現で聴かせる。OEKの実力を十全に引き出す演奏だ。

ハイドン87番は、響きが「大ホールのハイドン」であまり迫らない。上手に演奏しているが、ハイドンならではの歓びに満ちた演奏ではなく、解釈は平凡である。ただ、「Vice Versa」と「春の祭典」の谷間であり、大きな期待を掛けるのは難しいだろう。

「春の祭典」は日本センチュリー交響楽団を招いての合同の演奏であり、この演奏会の目玉となる曲目である。しかしながら、指揮者である井上道義自身の準備不足・解釈不足が感じられる、欲求不満な演奏だ。ティンパニ強打と金管の技倆のみに逃げ込んだ解釈で、おどろおどろしさと野蛮さに欠け、何を表現したかったのか不明確な演奏であり、非難に値する。

特に第一部では、ソロを際立たせるべき箇所で弱い響きしか出せなかった。

井上道義の弦楽セクションの響きに対する関心の稀薄ぶりは唖然とする他ない。弦楽セクションにやってもらう事は、いくらでもあるはずだが、おそらく、リハーサルでこんな響きにして欲しいとの要望も指示もしないし、実現するまで練習もさせないし、そもそも弦楽に対する考え自体を、まとめていなかったのだろう。要するに準備不足で、井上道義が「春の祭典」やるのは十年早かったのではないか?

「春の祭典」は金管とティンパニをぶっ放せばいい曲では決してない。どの曲目でも一緒だが、弦管打が揃わなければいい演奏にはならない。特に弦楽は全ての基礎だ。弦楽が大きく出て、はじめて全ては回り始める。弦楽に対する無関心は正当化できない。

日本センチュリー交響楽団と合わせ、あれだけ素晴らしい弦楽奏者を揃えといて、あんな結果かよ、と言う感じだ。アンコールの「六甲おろし」であれだけ響かせて、どうして本番ではああなのか?「求めよ、さらば与えられん」だろう。求めなかったのだよな、指揮者井上道義は。

井上道義の解釈の是非は置いておいて、ティンパニは素晴らしい。ホルンはあまりに綺麗過ぎる響きで「春の祭典」向けではないけど、実に見事であった事は確かである。あと、「生贄の踊り」の場面での上手側金管も素晴らしい響きで魅了させられた。それだけに、この合同オケから「春の祭典」は今日の演奏の三倍は引き出せる。もっとやれるだろう、と言う欲求不満の気持ちでいっぱいだった。

井上道義は、指揮台の上で変な格好つけなくていいし、マイクパフォーマンスなどいらないから、音楽そのもので勝負するべきだろう。純粋にエンターテイメント追求型のファンタジー-シリーズなら、各種パフォーマンスは許容されるが、井上道義はやっている事の方向性が何もかも間違っている。OEKは井上道義を切り、ピリオド系の才能ある若手指揮者を音楽監督に据えなければならない。

2015年7月12日日曜日

Kioi Sinfonietta Tokyo, the 20th Anniversary Concert, review 紀尾井ホール・紀尾井シンフォニエッタ東京 創立20周年 特別演奏会 評

2015年7月11日 土曜日
Saturday 11th July 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Johann Sebastian Bach: Messa in Si minore BWV.232 (ミサ曲ロ短調)

soprano: Sawae Eri, Fujisaki Minae / 澤江衣里, 藤崎美苗
contralto: Aoki Hiroya / 青木洋也
tenore: Nakashima Katsuhiko / 中嶋克彦
basso: Kaku Toru / 加耒 徹

Coro: Kioi Bach Chor (合唱:紀尾井バッハコーア)
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Trevor David Pinnock / トレヴァー=ピノック

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、トレヴァー=ピノックを指揮者に迎えて、2015年7月10日・11日に東京-紀尾井ホールで、「紀尾井ホール・紀尾井シンフォニエッタ東京創立20周年記念 特別演奏会」を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。第二ヴァイオリンとチェロとの間にオルガンが置かれ、指揮台にはチェンバロが置かれ、オルガン奏者と向かい合う形となる。そのチェンバロは、ピノックによって弾かれる。

フルートは後方中央の下手側、後方中央の上手側には、下手側からオーボエ→ファゴットの順に配置される。ティンパニとトランペット、ホルンは、最も下手側に位置し、下手側バルコニーからは見えない位置だ。

着席位置は一階正面後方中央、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、極めて良好であった。

冒頭の合唱から心を捕まされる。紀尾井バッハコーアは、実質的にバッハ-コレギウム-ジャパンの合唱である。澤江衣里、青木洋也、中嶋克彦が素晴らしい。澤江衣里・中嶋克彦の二重唱は、実に相性が良くて前半の白眉である。

澤江衣里のソプラノは、終始自由自在に紀尾井ホールを響かせ、やり過ぎない程度にドラマティックで、歌唱分野をリードしている。

一方で青木洋也のコントラルトは、切々と訴える表現で、聴衆の心に語りかける。主に憐れみを乞う内容を踏まえ、紀尾井ホールの響きを的確に味方につけて歌い上げる。ソプラノとは対称的な役割を与えられているコントラルトであるが、完成度高い歌唱で、心を惹きつけられるソロである。

合唱は30人弱の規模でも、紀尾井ホールでは迫力をも伴う。下手側のソプラノが二歩前に出ると、天国が出現する。私は、他のパートから二歩前に出てくるBCJのソプラノが大好きで、完全に私の好みの展開でもある。

一方管弦楽は控え目で、奇を衒わない方向性でありながら、パッションを込めるべき所は実は攻めている。トランペットの響きは、突出させず精妙にブレンドさせる方向性である。この曲のこの箇所はこのように演奏される必要があると、高い理解の下で弾かれている印象を持つ。

Sanctusでは合唱・管弦楽・ホールが三位一体となって迫ってくる。響きが綺麗なだけでなく、迫ってくるというのが大切なのだ。800席の中規模ホールである、紀尾井ホールならではの響きである。このような響きを指向した紀尾井ホールの20周年を祝福するような、幸福感に満ちた時間だ。

今日は紀尾井ホール始まって以来の観客の素晴らしさだった。演奏中に寝ている人たちはいても(曲想上、これは仕方ない♪)物音はほとんどなかったし、何よりも、指揮者が明確に終了の合図を出してから拍手が沸き起こった事は重大な意味を持った。

曲を終える際の響きの消え去り方は本当に絶妙だった。あのような美しい響きの消え去り方は、なかなか味わえない。最後のあの響きの消え去りの絶妙さは、観客によって尊重され、共有された。"Dona nobis pacem" 平安は我らに与えられた。

2015年7月4日土曜日

Kioi Sinfonietta Tokyo, the 100th Subscription Concert, review 第100回 紀尾井シンフォニエッタ東京 定期演奏会 評

2015年7月4日 土曜日
Saturday 4st July 2015
紀尾井ホール (東京)
Kioi Hall (Tokyo, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: “Le nozze di Figaro”(ouverture) K.492 (序曲「フィガロの結婚」序曲)
Johannes Brahms: Doppio concerto per violino, violoncello e orchestra op.102
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92

violino: Rainer Honeck /ライナー=ホーネック
violoncello: Maximilian Hornung / マキシミリアン=ホルヌング
orchestra: Kioi Sinfonietta Tokyo(紀尾井シンフォニエッタ東京)
direttore: Семён Ма́евич Бычко́в/ Semyon Bychkov / セミヨン=ビシュコフ

紀尾井シンフォニエッタ東京(KST)は、セミヨン=ビシュコフを指揮者に、ライナー=ホーネック・マキシミリアン=ホルヌングをソリストに迎えて、2015年7月3日・4日に東京-紀尾井ホールで、第100回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニ・トランペットは後方上手側の位置につく。

着席位置は一階正面後方僅かに上手側、チケットは完売している。観客の鑑賞態度は、前半は稀に見る程極めて良好であったが、後半は第二楽章冒頭で寝息が流れる(隣席の方は起こしてあげて欲しい)等多少のノイズがあった。

第一曲目の「フィガロの結婚」序曲は、弦楽を控え目な響きにさせ、管楽重視の普通の演奏である。

二曲目は、Brahmsによる、ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲である。第一楽章から管弦楽を良く響かせている一方で、ソリストとの響きのバランスも十分に考えられている。ソリストはホーネック・ホルヌングとも第一楽章中程から本領を発揮し、自由自在に音量・ニュアンスを組み立て、駆使している。音色の扱い方、微妙なテンポの揺るがし方が絶妙である。

東京のホールであったら、(少し大きめのホールであるが)紀尾井ホールで無ければ実現出来ない演奏である。弦楽系協奏曲では、ホールの大きさがどれだけ適切かが問われてくる。大音量ではなく、繊細な音色やニュアンスで攻めるタイプの弦楽系ソリストの場合、適切な会場は600〜800席規模の中規模ホールだ。紀尾井ホールの場合、一般的な中規模ホールでは大きい部類に入るが、それでもホーネック・ホルヌングの音色を適切な音圧をもって聴衆に伝える事ができた。それは中規模ホールだからであって、東京オペラシティ-タケミツメモリアルであったらアウトだろう。

後半はBeethovenの交響曲第7番。第一楽章のテンポ処理については、好みが分かれるかもしれない。遅めのテンポで、ゆっくりだからこそ見えてくる風景を見せるかのように考えられているが、一方で躍動感を感じるのは難しい。率直に申し上げれば私の好みではないが、管弦楽はその演奏で求められている要素を的確に演奏している。好みの問題は、ビシュコフの解釈に起因するものである。

(好みが分かれる第一楽章を含め)全曲を通してとにかく立派な演奏だ。序盤を華やかにする木管の響きから始まり、今日の管弦楽の精度は極めて高い。その精度でニュアンス溢れる表現を行えば、好みはどうであれ、優れた演奏である事を否定できる者は誰一人いないだろう。室内管弦楽団ならではの、素晴らしい演奏であった。

2015年6月27日土曜日

Chubu Philharmonic Orchestra, the 47th Subscription Concert, review 第47回 中部フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年6月27日 土曜日
Saturday 27th June 2015
三井住友海上しらかわホール (愛知県名古屋市)
Shirakawa Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Wolfgang Amadeus Mozart: “Exsultate, Jubilate”K.165 (K.158a) (踊れ、喜べ、幸いなる魂よ)
(休憩)
Gustav Mahler: Sinfonia n.4

soprano: Kobayashi Sara (小林沙羅)
orchestra: Chubu Philharmonic Orchestra(中部フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Akiyama Kazuyoshi(秋山和慶)

中部フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月27日に三井住友海上しらかわホールで、小林沙羅・秋山和慶を招き、第47回定期演奏会を開催した。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴァイオリン-チェロ→ヴィオラのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パートは後方下手側から中央、ホルンを含め金管パートは後方上手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。

着席位置は一階正面中央上手側、客の入りは9割は超えたであろうか、一階席はほぼ埋まり二階バルコニー席に空席が目立った程度だった。チケット完売には至らなかった。観客の鑑賞態度は、ノイズが多く、後半曲目開始直前に携帯電話が鳴ったり、途中退出者が扉を静かに押さえないでノイズを発生させる事があったものの、演奏に致命傷を与える程ではなかった点は救いである。

モーツァルトのモテットK165は、小林沙羅ちゃんは純白のドレスで登場し、とても可愛い。歌い出しまでの前奏は、お嬢様スマイルで観客を悩殺する。しかし、その可愛らしい容姿とは想像がつかない程、しらかわホールを余裕のある声量で響かせ、音が迫ってくるようにも感じられ、何となく、カルメンを聴いているようにも思える。恐らく、室容積の小ささも効いているのだろう。第一楽章こそ装飾を多数掛ける箇所で重心の低さが感じられた所もあったが、第二楽章レチタティーヴォ、第三楽章アレルヤは完璧である。レチタティーヴォ・アレルヤでは、ソリストと管弦楽とのバランスも見事にとれている。20分程で15分間の休憩に入る。

後半は、マーラーの第四交響曲である。全般的に感じた事は、暴論承知で申し上げるが、マーラーを1800人規模の大ホールで、フル-オーケストラで演奏するのは間違っているのではないかと言う事だ。むしろマーラーは、約700名規模の中規模ホール、例えば、松本市音楽文化ホールや三井住友海上しらかわホールやサラマンカホール(岐阜)や いずみホール(大阪)で演奏するように作られているのではないか?

例えば、第二楽章では弦楽ソロの出番が多い。そのソロの響きが、この しらかわホールでは観客に迫ってくる。世界トップクラスの音響を誇る愛知県芸術劇場コンサートホールでさえも、このような迫ってくる弦楽ソロの響きは実現出来ないだろう。室容積が大き過ぎるからである。

中部フィルハーモニーの演奏は、しらかわホールの響きを熟知しているからこその演奏で、弦楽・木管の素晴らしさがまず感じられた。ホルンは前半は固かったが、後半はかなり良かった。特に弦楽は、ヴァイオリンの自発性溢れるパッションが込められたニュアンスに満ちた演奏で、純音楽的な面白さを感じた。重ねて書くが、第二楽章の迫ってくる弦楽ソロは本当に素晴らしい。しらかわホールの響きを的確に味方につけている。

第四楽章が始まり、小林沙羅ちゃんは、今度は水色のドレスで登場♪充実した管弦楽の上に乗っかり、ソリストとしての存在感を感じさせる。結果、管弦楽とのバランスも良く考えられた見事な演奏となる。

小林沙羅ちゃんと中部フィルの管弦楽と しらかわホールとが三位一体となって全てが素晴らしいかったからこその、充実した演奏会であった。良質な中規模ホールが紀尾井だけの東京の観客は、残念ながらあの弦楽ソロを伴った第二楽章を味わえない。

それだけに、マーラーの4番を小林沙羅ちゃんを呼んで しらかわホールで演奏する企画を立て、優れた演奏で実現させた、中部フィルに感謝感激でいっぱいの思いだ。マーラーの交響曲を大ホールでやるのは、間違っている!♪♪

この しらかわホールでの演奏を聴けば、私がなぜ新国立劇場の1812席が大き過ぎると主張しているか、理解してもらえるだろう。ホールはもっと小さくし、普通に優れた歌い手や首席奏者が映えるようにしなければならない。音楽と言うものは、本来600-800席程度の中規模ホールで演奏されるべきものなのではないだろうか、そのような私の信念を再確認させるような演奏会でもあった。

2015年6月21日日曜日

Tero Saarinen Company "MORPHED" review テロ=サーリネン-カンパニー 「モーフト」 評

2015年6月21日 日曜日
Sunday 21st June 2015
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
Sainokuni Saitama Arts Theater (Yono, Saitama, Japan)

演目:MORPHED (モーフト)

dancer: Ima Iduozee, Leo Kirjonen, Saku Koistinen, Mikko Lampinen, Jarkko Lehmus, Pekka Louhio, Jussi Nousiainen, David Scarantino

スオミ国(フィンランド)首都ヘルシンキに本拠を置く Tero Saarinen Company は、2015年6月20日・21日に、彩の国さいたま芸術劇場で、日本公演を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

冒頭は幾何学的な動きから始まる。音楽は、モーツァルトでもチャイコフスキーでもない、現代曲のエサ-ペッカ=サロネン(Esa-Pekka Salonen)の曲でもあり、曲想から想像することはまず不可能で、振りが極めて難しいそうだ。

中盤二曲目の後半辺りから弛緩しない展開で最後まで持っていく。ロープを動かして背景を歪まる空間の処理が、実に巧みだ。三曲目サロネンのヴァイオリン協奏曲に入ってからの、2〜3人のダンサーによる展開や、終盤近くの腕にタトウを入れている Ima Iduozee のソロは特に素晴らしい。

Ima Iduozee のソロのどこが良いのかと言われると言語化は難しいが、表情の他あらゆる身体の動きが、求心力を保っている。この演目は、幾何学的な動きから、闘っているような動きや、愛し合っているような動き、そう言った物語的な展開へと移行して行くが、Ima の演技はあたかも物語を雄弁に語り、所作がとても美しい。もちろん、全てのダンサーが的確に役を演じているが、終盤近くに登場した Ima Iduozee が持っていってしまう感じである。

この演目は、第三曲にサロネンのヴァイオリン協奏曲が用いられている。録音を用いているが、ヴァイオリンのソリストは諏訪内晶子(Suwanai Akiko)とのことだ。

実は、諏訪内晶子とエサ-ペッカ=サロネン、フィルハーモニー管弦楽団により、2013年2月9日に横浜みなとみらいホールで日本初演されている(恐らく現在に至るまで再演がなく、日本で唯一の公演となっている)。この時に臨席した私の拙い感想は→ http://ookiakira.blogspot.jp/2013/02/blog-post_6547.html?m=0
に掲載している。

どうりで、どこかで聴いた事があるはずだ。本当に近現代曲の諏訪内晶子のヴァイオリンは無敵と言って良い。サロネンの素晴らしい曲想が、諏訪内晶子の抜群なテクニックで実現されていることが、録音を聴いても分かる程だ。2013年2月9日の日本初演から二年四ヶ月して、今度は舞踊公演で再開した。なんと言う縁であろう。

日本とスオミとの関わりにも感慨深いものを感じる、Tero Saarinen Company の日本公演であった。

2015年6月20日土曜日

Nagoya Philharmonic Orchestra, the 425th Subscription Concert, review 第425回 名古屋フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会 評

2015年6月20日 土曜日
Saturday 20th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Maurice Ravel: “Valses nobles et sentimentales” (高雅にして感傷的なワルツ)
Camille Saint-Saëns: Concerto per violino e orchestra n.3 op.61
(休憩)
Maurice Ravel: “Alborada del gracioso” (道化師の朝の歌)
Claude Debussy (arr. Michael Jarrell): Douze Études pour piano- 9. pour les notes répétées- 10. pour les sonorités opposées- 12. pour les accords (「12のピアノ練習曲」より、第9番「反復音のために」、第10番「対比的な響きのために」、第12番「和音のために」)
Maurice Ravel: “Boléro” (ボレロ)

violino: Miura Fumiaki (三浦文彰)
orchestra: Nagoya Philharmonic Orchestra(名古屋フィルハーモニー交響楽団)
direttore: Thierry Fischer(ティエリー=フィッシャー)

名古屋フィルハーモニー交響楽団は、2015年6月19日・20日に愛知県芸術劇場で、第425回定期演奏会を開催した。この評は、第二日目の公演に対してのものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→第二ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロのモダン配置で、コントラバスはチェロの後方につく。木管パート・ティンパニ・ホルンは後方中央、ハープ・サキソフォン系や小太鼓・大太鼓等のパーカッションは後方下手側の位置につく。

私の着席位置は一階正面上手側後方、客の入りはほぼ満席である。ティエリー=フィッシャー人気なのか、ボレロ人気なのか?観客の鑑賞態度は、細かなノイズがあったものの、概ね極めて良好であった。

個人的にこの演奏会の白眉は、サン-サーンスのヴァイオリン協奏曲第三番である。ヴァイオリンのソリストである三浦文彰は、初めて聴くが、第一音から凄い!まるでヴィオラのような太く低い音色から始まる。

冒頭のみならず、三浦文彰のヴァイオリンは、惹きつけるべき箇所での一音が素晴らしいし、ホールを朗々とした響きで満たせる。愛知芸文の大きなコンサートホールをこれ程までの響きで満たせる奏者は、世界的にも少ない。第二楽章では緊張感を途切れさせない見事な演奏だ。第三楽章も同様に完成度が高い演奏であるが、ヴァイオリン-ソロから第一ヴァイオリンとのユニゾンに移行する場面は、変わり者の あきらにゃん のお気に入りの箇所である♪

管弦楽も、ヴァイオリン協奏曲モードに抑えることなく、ごく普通に交響曲を演奏するかのようなノリであるが、三浦文彰のヴァイオリンが良く響いているからこそ、そのようなノリで行けるのだろう。そのような状況下でバランスも良く取られ、これまた完成度が高い。

有名なメンデルスゾーンでもなくチャイコフスキーでもない、演奏機会が極めて少ないサン-サーンスの協奏曲で、これ程観客を惹きつける三浦文彰のヴァイオリンは、只者ではない。彼は庄司紗矢香の次の世代を担えるようになるだろう。

後半、「道化師の朝の歌」は中ほどのファゴットのソロが素晴らしい。ドビュッシーの12のピアノ練習曲も完成度が高い出来だ。「ボレロ」は二台目の小太鼓の攻め方や木管・サキソフォン系が特に良かった。サキソフォン系は、愛知芸文の響きを信じて、スッと音を引っ込める奏法を採ったようにも見受けられた。

ティエリー=フィッシャーは、全般的に管楽を際立たせるアプローチで、華麗な音色であった。

2015年6月6日土曜日

NDR Sinfonieorchester Hamburg, Thomas Hengelbrock, Arabella Steinbacher, Nagoya perfomance, (6th June 2015), review 北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク) 名古屋公演 評

2015年6月6日 土曜日
Saturday 6th June 2015
愛知県芸術劇場コンサートホール (愛知県名古屋市)
Aichi Prefectural Art Theater Concert Hall (Nagoya, Japan)

曲目:
Antonín Dvořák: ouverture da concerto “Carnevale” op.92 B.169 (序曲「謝肉祭」)
Felix Mendelssohn Bartholdy: Concerto per violino e orchestra op.64
(休憩)
Ludwig van Beethoven: Sinfonia n.7 op.92

violino: Arabella Steinbacher (ヴァイオリン:アラベラ=シュタインバッハー)
orchestra: NDR Sinfonieorchester Hamburg(管弦楽:北ドイツ放送交響楽団-ハンブルク)
direttore: Thomas Hengelbrock(指揮:トーマス=ヘンゲルブロック)

北ドイツ放送交響楽団(ハンブルク)は、2015年5月から6月に掛けてアジア-ツアーを実施し、ソウル・北京・上海・大阪・東京・名古屋にて演奏会を開催した。この評は、アジア-ツアー最終公演である2015年6月6日名古屋公演に対するものである。

管弦楽配置は、舞台下手側から、第一ヴァイオリン→ヴィオラ→ヴァイオリン-チェロ→第二ヴァイオリンの左右対向配置で、コントラバスはチェロの後方(上手側)につく。木管パートは後方中央、ホルンは後方下手側、ティンパニは後方中央、ハープは下手側の位置につく。

着席位置は二階正面上手側、客の入りは6割程であろうか、三階席はもちろんのこと、一階席中央の席でさえも空席がある始末、梶本音楽事務所は、どんな切符の売り方をしているのだろう。先行発売初日でさえ、第一希望の席は売られていないと梶本音楽事務所の電話口の女性は話していたのだけれど。後半だけ聴きに来る遅刻者が多かった印象もある。

第一曲目の、ドヴォルジャーク序曲「謝肉祭」は、個々の演奏はいいように思える所もあるし、後半は良かったけど、アウェイ感が満載ではある。どうも管弦楽全体として噛み合っていない点があり、愛知県芸術劇場の音響に馴染んでいないような感じがある。

第二曲目の、メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲、ソリストはアラベラ=シュタインバッハであるが、一言で言うと子守唄だ。技術的に破綻しているとは思えないし、繊細と言えば繊細だし、優しい演奏と言えばその通りなのだろうけど、前衛性は全くなく、単に楽譜通りに弾いているだけで、アラベラ独自のパッションはなく、個性がない演奏である。何らのサプライズもなく、そのような演奏を国外ツアーでやる意義はない。管弦楽は、必ずしも音量が大きい訳ではないアラベラを盛り立てるべく、バランスを絶妙に取り、弱い響きであるがよく通り、かつアラベラのソロをかき消さないよう、細心の注意を払って演奏する。アラベラ=シュタインバッハーは、このような献身的な北ドイツ放送交響楽団の演奏に応えなかった。

後半は、Beethovenの第七交響曲である。全般的に、トーマス=ヘンゲルブロックは極めて凡庸な指揮者で、前衛性の欠片もなく、因習的な演奏に終始した。因習的な演奏にピリオドチックな味付けをしただけで、面白みは全くない。この解釈の指揮なら、三流指揮者でもやれるレベルで、ポジティブな評価ができない。

それでも第二楽章冒頭の、ヴィオラ+チェロの音色だけは、ヘンゲルブロックの個性が出ていた。

北ドイツ放送交響楽団の管弦楽のレベルは高く、木管・金管とも上手だ。一箇所不用意な音が出たのは、見逃すに値する。全般的には安定しており、さすがドイツの名のある交響楽団だ。

それだけに、卓越した技量を有する北ドイツ放送交響楽団の管弦楽を活かせない、トーマス=ヘンゲルブロックに対する欲求不満が爆発しそうである。ヘンゲルブロックとシュタインバッハーは、平凡な解釈をする者同志で、お似合いだった。梶本音楽事務所から刺客が放たれるとしても、私にとっては事実なのだから、述べるしかない。

今日のBeethoven第七交響曲を聴く限り、ヘンゲルブロックは、およそ古楽系・ピリオド系の指揮者だとは思えない。躍動感と言うか、ヴィヴィッドな感覚も鋭さも欠如している。第一・第三楽章のモサッとした演奏には苛立ちを覚える。第四楽章も速めのテンポだが、緩急の付け方が緩慢なのか、単に速く演奏しているだけで、ちっとも面白くない。ヘンゲルブロックなりに色々考えてはいるのだろうけど、やはりどこか構成力に難点があるのだと考えざるを得ない。

シュタインバッハーのソリスト-アンコールは、クライスラーのカプリチオ op.6-1 レチタティーヴォとスケルツォ、アンコールはブラームスのマジャール舞曲第5番だった。