2013年4月28日 日曜日
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場 (新潟県新潟市)
曲目:
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ロンド K.511
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト メヌエットK.355
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト 小さなジーグ K.574
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト アダージョ K.540
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第11番「トルコ行進曲付き」 K.331
ピアノ:マタン=ポラト
このリサイタルは、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として開催された。本来の音楽会場とは別の「劇場」での開催であり、三味線・ピアノ等、自己残響機能を有する楽器以外の演奏にはそもそも向かない会場でのリサイタルである。着席場所は、一階後方中央(「2階席」とされているが、実態は一階席)。
「3階席」まで使う程混んでいる。お昼の時間帯となり、当日買いの観客が増えたのか?
ゆっくり目な、丁寧なタッチの演奏である。しかしながら、一本調子であり、気持ちの良い音色であるだけに、居眠りの危険を有する。
最後の「トルコ行進曲」だけテンポがやや速めである。このスピードで、彼の丁寧さで演奏されるのは絶品である。
2013年4月28日日曜日
ジャン-クロード=ペヌティエ リサイタル 評
2013年4月28日 日曜日
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場 (新潟県新潟市)
曲目:
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第12番K.332
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第8番K.310
ピアノ:ジャン-クロード=ペヌティエ
このリサイタルは、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として開催された。本来の音楽会場とは別の「劇場」での開催であり、三味線・ピアノ等、自己残響機能を有する楽器以外の演奏にはそもそも向かない会場でのリサイタルである。着席場所は、一階後方中央(「2階席」とされているが、実態は一階席)。
観客と言うものは、一限の授業に来ない大学生のようなもので、朝10時開始であるせいか、かなりガラガラの演奏会である。客の入りは約300人前後か?
演奏は軽やかさを特徴としたもので、モーツァルトに似合う味のある演奏であった。
りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館 劇場 (新潟県新潟市)
曲目:
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第12番K.332
ヴォルグガング=アマデウス=モーツァルト ピアノ-ソナタ第8番K.310
ピアノ:ジャン-クロード=ペヌティエ
このリサイタルは、ラ-フォル-ジュルネ新潟のプログラムの一環として開催された。本来の音楽会場とは別の「劇場」での開催であり、三味線・ピアノ等、自己残響機能を有する楽器以外の演奏にはそもそも向かない会場でのリサイタルである。着席場所は、一階後方中央(「2階席」とされているが、実態は一階席)。
観客と言うものは、一限の授業に来ない大学生のようなもので、朝10時開始であるせいか、かなりガラガラの演奏会である。客の入りは約300人前後か?
演奏は軽やかさを特徴としたもので、モーツァルトに似合う味のある演奏であった。
2013年4月27日土曜日
小山実稚恵 ピアノリサイタル 評
2013年4月27日 土曜日
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
曲目:
フレデリック=ショパン ノクターン第1番 op.9-1
フレデリック=ショパン ノクターン第2番 op.9-2
フレデリック=ショパン ワルツ第6番「小犬」 op.64-1
フレデリック=ショパン ワルツ第7番 op.64-2
フレデリック=ショパン ワルツ第8番 op.64-3
ヨハン=セバスチャン=バッハ (ブゾーニ編曲) シャコンヌ
(休憩)
ロベルト=シューマン(リスト編曲) 献呈
リヒャルト=ヴァーグナー(リスト編曲) 楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「イゾルデの愛の死」
フレデリック=ショパン ラルゲット(ピアノ協奏曲第2番 第二楽章)
フレデリック=ショパン バラード第4番 op.52
フレデリック=ショパン ポロネーズ第6番「英雄」 op.53
ピアノ:小山実稚恵
軽井沢大賀ホール(芸術監督:ダニエル=ハーディング)では、4月27日から5月6日までに掛けて「軽井沢大賀ホール2013 春の音楽祭」としてクラシック音楽を中心に7公演を企画しており、その1番目の演奏会として開催されたものである。
第一曲目・二曲目のショパンのノクターンは、とても素晴らしい。丁寧な演奏が活きて、優しい性格が垣間見れる演奏である。
その他の曲については、速いテンポの部分で音抜けが目立つように思えたが、気のせいか?劇的な要素がある曲になると、どこに頂点に置き、その頂点に向けてどのように音楽を組み立てていくかと言う点について、明確な筋がなかったように思われる。最高音に向けて興奮しながら駆け上がる要素がない。
ちょうど一週間前に、私が王羽佳(ワン=ユジャ)の演奏を聴いてしまったのは、小山実稚恵にとっては災難だったのかも知れない。比較した場合の落差は歴然としている。今日の小山実稚恵はやや精彩を欠いていた所があるのかもしれない。
アンコールは、ショパンのワルツ第10番、シューベルトの即興曲、ショパンの「華麗なる大円舞曲」の三曲であった。
軽井沢大賀ホール (長野県北佐久郡軽井沢町)
曲目:
フレデリック=ショパン ノクターン第1番 op.9-1
フレデリック=ショパン ノクターン第2番 op.9-2
フレデリック=ショパン ワルツ第6番「小犬」 op.64-1
フレデリック=ショパン ワルツ第7番 op.64-2
フレデリック=ショパン ワルツ第8番 op.64-3
ヨハン=セバスチャン=バッハ (ブゾーニ編曲) シャコンヌ
(休憩)
ロベルト=シューマン(リスト編曲) 献呈
リヒャルト=ヴァーグナー(リスト編曲) 楽劇「トリスタンとイゾルデ」から「イゾルデの愛の死」
フレデリック=ショパン ラルゲット(ピアノ協奏曲第2番 第二楽章)
フレデリック=ショパン バラード第4番 op.52
フレデリック=ショパン ポロネーズ第6番「英雄」 op.53
ピアノ:小山実稚恵
軽井沢大賀ホール(芸術監督:ダニエル=ハーディング)では、4月27日から5月6日までに掛けて「軽井沢大賀ホール2013 春の音楽祭」としてクラシック音楽を中心に7公演を企画しており、その1番目の演奏会として開催されたものである。
第一曲目・二曲目のショパンのノクターンは、とても素晴らしい。丁寧な演奏が活きて、優しい性格が垣間見れる演奏である。
その他の曲については、速いテンポの部分で音抜けが目立つように思えたが、気のせいか?劇的な要素がある曲になると、どこに頂点に置き、その頂点に向けてどのように音楽を組み立てていくかと言う点について、明確な筋がなかったように思われる。最高音に向けて興奮しながら駆け上がる要素がない。
ちょうど一週間前に、私が王羽佳(ワン=ユジャ)の演奏を聴いてしまったのは、小山実稚恵にとっては災難だったのかも知れない。比較した場合の落差は歴然としている。今日の小山実稚恵はやや精彩を欠いていた所があるのかもしれない。
アンコールは、ショパンのワルツ第10番、シューベルトの即興曲、ショパンの「華麗なる大円舞曲」の三曲であった。
2013年4月20日土曜日
王羽佳(ワン=ユジャ/ユジャ=ワン) リサイタル 評
2013年4月20日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
曲目:
アレクサンドル=スクリャービン ピアノ-ソナタ第2番「幻想ソナタ」 op.19
アレクサンドル=スクリャービン ピアノ-ソナタ第6番 po.62
モーリス=ラヴェル 「ラ-ヴァルス」
(休憩)
ローウェル=リーバーマン 「ガーゴイル」 op.29
セルゲイ=ラフマニノフ ピアノ-ソナタ第2番 (1931年改訂版) op.36
ピアノ:王羽佳(ワン=ユジャ/ユジャ=ワン)
美術館に行き、日本美術と中国美術とが並べられていると、九割の確率で日本の作品か中国の作品か、区別する事が可能だったりする。大雑把に言うと、日本美術は細部の繊細さに、中国美術は雄大さに特色が現れているというところか。北京生まれの若いピアニストというと、若々しい豪胆な演奏をするのではないかとの想像が湧いてくる。
会場時間を数分過ぎ、照明が落とされて神経質になる時間になり、しばらくしてユジャが登場する。「ワンショルダーで黒の超ミニスカボディコンワンピに爪先が厚底の、15㎝はあるだろうエナメルピンヒール黒のワンピース」(twitter@ichliebeballettさん2012年4月20日投稿文面)で体に密着させたもので、スカート部は短く、実際にヒールは13cmの高さだ。ちゃんとピアノのペダルを操作できるのか、心配になってくる。「SMの女王様」とも連想してしまう格好で、鞭を持ったらまさしくこれだ。中国の人たちって、そういう格好が好きなのかなあ。
ご挨拶は膝近くまで頭を下げる独特なお辞儀である。実に素っ気ない挨拶ですぐに着席し、ピアノを弾き始める。
まずはスクリャービンが二曲である。スクリャービンはあまり私の波長とはあっていない作曲家であるが、それでもユジャの響きの綺麗さと、盛り上げ方の巧さに注目する。
前半最後の曲は、最も華麗な「ラ-ヴァルス」である。ユジャは、「作曲者の意図通りに忠実に演奏する」タイプではなく、ブルーノ=レオナルド=ゲルバーやイングリット=フリッターと同様、一旦演奏者の解釈に落とし込み、「ユジャの音楽」として再構成して演奏するタイプであることが良く分かる。
冒頭は、主旋律を曖昧にし、いかにも渦巻く雲の間から垣間見れる舞踏会の風景を思わせる、絵画的な始まりである。アクセントをどこに置くか、テンポの配置、いずれもユジャ独自の境地にある。一見好き嫌いが分かれそうだが、不思議な説得力で惹きつけられていく。クライマックスへの盛り上げ方は卓越しており、個性的な演奏である一方で強固な構成力に裏打ちされている。強靭な中でも繊細さを伴った、綺麗な響きであることに驚きを禁じ得ない。「驚異的なテクニックに裏打ちされた華麗かつ完璧な演技」としか言いようがない。
フィギュアスケートで言えば、トリプル-アクセルを完璧な蹴り出しから始まり、軸は真っ直ぐ垂直に伸びており、着地も完璧であるだけでなく、全般的な氷上の滑りの音が終始滑らかで、ジャンプ・スピン等の構成も極めてよく考えられたもので、テクニカル-ポイント・アーティスティック-インプレッションいずれも、九人の審査員が6.0の満点を与える完璧な演技と言ったところだ。
これ以上の「ラ-ヴァルス」は、ピアノ独奏・ピアノ連弾・管弦楽、いずれを含めても考えられない。
後半のリーバーマン・ラフマニノフも、「ラ-ヴァルス」で受けた印象そのままの演奏であり、傑出した演奏である。
興が乗っていたのか、アンコールは実に四曲だ。ラフマニノフ「エレジー」、シューベルト(リスト編曲)「糸を紡ぐグレートヒェン」、ビゼー(ホロヴィッツ編曲)「カルメンのテーマによる変奏曲」、ショパンのワルツ第7番である。
ショパンのワルツのような静かな曲でも綺麗な響きで聴かせるが、「カルメン変奏曲」のような躍動的な曲となるとこれはもう最高で、「ラ-ヴァルス」でも同じであるが、ユジャ以上に弾けるピアニストはいないのではないかと思わざるを得ない。
ユジャに対して当初抱いていた予想については、「若々しい豪胆な演奏」と言う点は当たっていたが、これ以上に、日本的なのかどうかは分からないが、強靭な響きの中に繊細さを貫徹させているとは思ってもみなかった。少なくとも、ユジャが中国10億人の中で音楽界の頂点に君臨している事は間違いないし、まだ26歳、これからも世界中でエキサイティングな演奏を長く楽しめるのがうれしい。
今日の演奏会も売り切れだったとのこと。604席の彩の国さいたま芸術劇場は、ピアノの音響も実に完璧であった。
彩の国さいたま芸術劇場 音楽ホール (埼玉県与野市)
曲目:
アレクサンドル=スクリャービン ピアノ-ソナタ第2番「幻想ソナタ」 op.19
アレクサンドル=スクリャービン ピアノ-ソナタ第6番 po.62
モーリス=ラヴェル 「ラ-ヴァルス」
(休憩)
ローウェル=リーバーマン 「ガーゴイル」 op.29
セルゲイ=ラフマニノフ ピアノ-ソナタ第2番 (1931年改訂版) op.36
ピアノ:王羽佳(ワン=ユジャ/ユジャ=ワン)
美術館に行き、日本美術と中国美術とが並べられていると、九割の確率で日本の作品か中国の作品か、区別する事が可能だったりする。大雑把に言うと、日本美術は細部の繊細さに、中国美術は雄大さに特色が現れているというところか。北京生まれの若いピアニストというと、若々しい豪胆な演奏をするのではないかとの想像が湧いてくる。
会場時間を数分過ぎ、照明が落とされて神経質になる時間になり、しばらくしてユジャが登場する。「ワンショルダーで黒の超ミニスカボディコンワンピに爪先が厚底の、15㎝はあるだろうエナメルピンヒール黒のワンピース」(twitter@ichliebeballettさん2012年4月20日投稿文面)で体に密着させたもので、スカート部は短く、実際にヒールは13cmの高さだ。ちゃんとピアノのペダルを操作できるのか、心配になってくる。「SMの女王様」とも連想してしまう格好で、鞭を持ったらまさしくこれだ。中国の人たちって、そういう格好が好きなのかなあ。
ご挨拶は膝近くまで頭を下げる独特なお辞儀である。実に素っ気ない挨拶ですぐに着席し、ピアノを弾き始める。
まずはスクリャービンが二曲である。スクリャービンはあまり私の波長とはあっていない作曲家であるが、それでもユジャの響きの綺麗さと、盛り上げ方の巧さに注目する。
前半最後の曲は、最も華麗な「ラ-ヴァルス」である。ユジャは、「作曲者の意図通りに忠実に演奏する」タイプではなく、ブルーノ=レオナルド=ゲルバーやイングリット=フリッターと同様、一旦演奏者の解釈に落とし込み、「ユジャの音楽」として再構成して演奏するタイプであることが良く分かる。
冒頭は、主旋律を曖昧にし、いかにも渦巻く雲の間から垣間見れる舞踏会の風景を思わせる、絵画的な始まりである。アクセントをどこに置くか、テンポの配置、いずれもユジャ独自の境地にある。一見好き嫌いが分かれそうだが、不思議な説得力で惹きつけられていく。クライマックスへの盛り上げ方は卓越しており、個性的な演奏である一方で強固な構成力に裏打ちされている。強靭な中でも繊細さを伴った、綺麗な響きであることに驚きを禁じ得ない。「驚異的なテクニックに裏打ちされた華麗かつ完璧な演技」としか言いようがない。
フィギュアスケートで言えば、トリプル-アクセルを完璧な蹴り出しから始まり、軸は真っ直ぐ垂直に伸びており、着地も完璧であるだけでなく、全般的な氷上の滑りの音が終始滑らかで、ジャンプ・スピン等の構成も極めてよく考えられたもので、テクニカル-ポイント・アーティスティック-インプレッションいずれも、九人の審査員が6.0の満点を与える完璧な演技と言ったところだ。
これ以上の「ラ-ヴァルス」は、ピアノ独奏・ピアノ連弾・管弦楽、いずれを含めても考えられない。
後半のリーバーマン・ラフマニノフも、「ラ-ヴァルス」で受けた印象そのままの演奏であり、傑出した演奏である。
興が乗っていたのか、アンコールは実に四曲だ。ラフマニノフ「エレジー」、シューベルト(リスト編曲)「糸を紡ぐグレートヒェン」、ビゼー(ホロヴィッツ編曲)「カルメンのテーマによる変奏曲」、ショパンのワルツ第7番である。
ショパンのワルツのような静かな曲でも綺麗な響きで聴かせるが、「カルメン変奏曲」のような躍動的な曲となるとこれはもう最高で、「ラ-ヴァルス」でも同じであるが、ユジャ以上に弾けるピアニストはいないのではないかと思わざるを得ない。
ユジャに対して当初抱いていた予想については、「若々しい豪胆な演奏」と言う点は当たっていたが、これ以上に、日本的なのかどうかは分からないが、強靭な響きの中に繊細さを貫徹させているとは思ってもみなかった。少なくとも、ユジャが中国10億人の中で音楽界の頂点に君臨している事は間違いないし、まだ26歳、これからも世界中でエキサイティングな演奏を長く楽しめるのがうれしい。
今日の演奏会も売り切れだったとのこと。604席の彩の国さいたま芸術劇場は、ピアノの音響も実に完璧であった。
2013年4月13日土曜日
日本フィルハーモニー交響楽団 特別演奏会 評
2013年4月13日 土曜日
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
曲目:
ヨハネス=ブラームス 「大学祝典序曲」 op.80
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ ヴァイオリン協奏曲 op.64
(休憩)
シャルル=カミーユ=サン-サーンス 交響曲第3番 「オルガン付き」op.78
ヴァイオリン:成田達輝
オルガン:長井浩美
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団(JPO)
指揮:山田和樹
山田和樹は、2012年9月から2015年8月までの三年間にわたり、JPO「正指揮者」として活動する。今回の特別演奏会は「今は一度でも多く共に演奏をと双方呼び合って」(注1)との、良くわからないけどまあいいや的な理由により、定期演奏会の枠外としての開催となる。
演奏会場は20から30歳代の若い女性の姿が多い。「ヤマカズ」人気によるものか成田達輝人気によるものかは不明である。演奏会前のプレトークには山田和樹が登場する。内容は、JPOがこの4月1日より目出度く「公益財団法人」に移行できたこと。この演奏会は「公益財団法人」に移行できたことを祝う意味があり、祝典的要素を持つこと。配布されたプログラムに「創立指揮者 渡邉暁雄」の文言を復活させたこと。渡邉暁雄が行った先駆的施策を引き継ぎ、9月13日に協奏曲を主体とした「コンツェルト-シリーズ」演奏会を行うことである。
「大学祝典序曲」は、出だしこそ管弦楽は固めであったが、次第に安定感を増していく演奏である。結尾部は強く綺麗な響きでまとまる。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、ややゆっくり目のテンポである。ソリストの成田達輝は若干詰めを欠いている部分はあるが、決めるべきところでは何故か、ちゃんと決めている。第二楽章・第三楽章の出来は良い。最も注目させられる点は、ソリストと管弦楽とのバランスは非常に良くかんがえられている点である。ソリストを引き立たせるところと木管ソロを引き立たせるところの切り替えは見事である。成田達輝をサポートする山田和樹の管弦楽に対する指示は実に的確で、成田達輝の実力を150%際立たせることに成功している。
休憩後の三曲目、いよいよ「オルガン付き」である。タケミツメモリアルのオルガンは、スイス連邦チューリッヒ近郊メンネドルフに本拠を置く、クーン社製であり、日本には兵庫県宝塚市にあるヴェガホールを皮切りに、タケミツメモリアルの他、大阪シンフォニーホール、川崎ミューザホール、川口リリカホール、群馬県安中市の新島学園高等学校に導入され、計6台となる。タケミツメモリアルは日本導入第5台目である。
http://www.operacity.jp/concert/facilities/ch/organ/index.php
第一部後半からオルガンが登場する。オルガンの響きは管弦楽と溶け合わせるようなアプローチを取っている。クーン社のオルガンの音色は柔らかいが、涙腺を潤ませる程のロマンチックな響きではなく、音楽そのものに集中しやすい音色だ。
管弦楽は序盤に固さが見られたが、山田和樹の明晰な指揮により適切に導かれ、テンションが高まっていくのが非常に良く分かる演奏である。JPOがいかなる箇所に於いても、ベルリン-フィル程の完璧な表現力を発揮している訳では決してないが、それでも金管ソロの演技が実に的確に決まるなど、失敗のリスクを冒して跳んだトリプルアクセルを見事に決めたかのような箇所もある。山田和樹が10の指示を出すと、期待以上の13の結果でフィードバックされ、パッションがさらに込められていく素晴らしい熱演である。JPOの実力を150%は引き出したのではないだろか。
一方でタケミツメモリアルの残響の良さも十二分に計算され、テンションを強く掛けた引き締まった演奏である一方で、バランスも良く保たれ、素晴らしいホール、明晰で鋭い指揮、パッションに溢れた演奏者が三位一体となった、優れた演奏である。
アンコールは、シベリウスを紹介したJPO創立指揮者-渡邉暁雄に因んで、「フィンランディア」となる。熱気が収まらない中での「フィンランディア」は、完成度の面で序盤から隙がなく、これまた素晴らしい演奏であった。
注1: http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#712
東京オペラシティ タケミツメモリアル (東京)
曲目:
ヨハネス=ブラームス 「大学祝典序曲」 op.80
フェリックス=メンデルスゾーン=バルトルディ ヴァイオリン協奏曲 op.64
(休憩)
シャルル=カミーユ=サン-サーンス 交響曲第3番 「オルガン付き」op.78
ヴァイオリン:成田達輝
オルガン:長井浩美
管弦楽:日本フィルハーモニー交響楽団(JPO)
指揮:山田和樹
山田和樹は、2012年9月から2015年8月までの三年間にわたり、JPO「正指揮者」として活動する。今回の特別演奏会は「今は一度でも多く共に演奏をと双方呼び合って」(注1)との、良くわからないけどまあいいや的な理由により、定期演奏会の枠外としての開催となる。
演奏会場は20から30歳代の若い女性の姿が多い。「ヤマカズ」人気によるものか成田達輝人気によるものかは不明である。演奏会前のプレトークには山田和樹が登場する。内容は、JPOがこの4月1日より目出度く「公益財団法人」に移行できたこと。この演奏会は「公益財団法人」に移行できたことを祝う意味があり、祝典的要素を持つこと。配布されたプログラムに「創立指揮者 渡邉暁雄」の文言を復活させたこと。渡邉暁雄が行った先駆的施策を引き継ぎ、9月13日に協奏曲を主体とした「コンツェルト-シリーズ」演奏会を行うことである。
「大学祝典序曲」は、出だしこそ管弦楽は固めであったが、次第に安定感を増していく演奏である。結尾部は強く綺麗な響きでまとまる。
メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲は、ややゆっくり目のテンポである。ソリストの成田達輝は若干詰めを欠いている部分はあるが、決めるべきところでは何故か、ちゃんと決めている。第二楽章・第三楽章の出来は良い。最も注目させられる点は、ソリストと管弦楽とのバランスは非常に良くかんがえられている点である。ソリストを引き立たせるところと木管ソロを引き立たせるところの切り替えは見事である。成田達輝をサポートする山田和樹の管弦楽に対する指示は実に的確で、成田達輝の実力を150%際立たせることに成功している。
休憩後の三曲目、いよいよ「オルガン付き」である。タケミツメモリアルのオルガンは、スイス連邦チューリッヒ近郊メンネドルフに本拠を置く、クーン社製であり、日本には兵庫県宝塚市にあるヴェガホールを皮切りに、タケミツメモリアルの他、大阪シンフォニーホール、川崎ミューザホール、川口リリカホール、群馬県安中市の新島学園高等学校に導入され、計6台となる。タケミツメモリアルは日本導入第5台目である。
http://www.operacity.jp/concert/facilities/ch/organ/index.php
第一部後半からオルガンが登場する。オルガンの響きは管弦楽と溶け合わせるようなアプローチを取っている。クーン社のオルガンの音色は柔らかいが、涙腺を潤ませる程のロマンチックな響きではなく、音楽そのものに集中しやすい音色だ。
管弦楽は序盤に固さが見られたが、山田和樹の明晰な指揮により適切に導かれ、テンションが高まっていくのが非常に良く分かる演奏である。JPOがいかなる箇所に於いても、ベルリン-フィル程の完璧な表現力を発揮している訳では決してないが、それでも金管ソロの演技が実に的確に決まるなど、失敗のリスクを冒して跳んだトリプルアクセルを見事に決めたかのような箇所もある。山田和樹が10の指示を出すと、期待以上の13の結果でフィードバックされ、パッションがさらに込められていく素晴らしい熱演である。JPOの実力を150%は引き出したのではないだろか。
一方でタケミツメモリアルの残響の良さも十二分に計算され、テンションを強く掛けた引き締まった演奏である一方で、バランスも良く保たれ、素晴らしいホール、明晰で鋭い指揮、パッションに溢れた演奏者が三位一体となった、優れた演奏である。
アンコールは、シベリウスを紹介したJPO創立指揮者-渡邉暁雄に因んで、「フィンランディア」となる。熱気が収まらない中での「フィンランディア」は、完成度の面で序盤から隙がなく、これまた素晴らしい演奏であった。
注1: http://www.japanphil.or.jp/cgi-bin/news.cgi#712
2013年4月6日土曜日
18世紀管弦楽団 東京公演 評
2013年4月6日 土曜日
すみだトリフォニーホール (東京)
曲目:
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第7(8)番「未完成」 D759
(休憩)
フェリックス=メンデルスゾーン-バルトルディ 交響曲第3番 「スコットランド」op.56 (現行版)
管弦楽:18世紀管弦楽団
指揮:フランス=ブリュッヘン
すみだトリフォニーホールでは、2013年4月4日から4月15日までにわたり、フランス=ブリュッヘンを指揮者に迎え、18世紀管弦楽団と三公演、新日本フィルハーモニー交響楽団(NJP)と一公演、演奏会を開催する。この評は、第三回目、4月6日に開催された公演に対してのものである。なお、この公演を持ってブリュッヘン指揮による18世紀管弦楽団の日本に於ける公演は最後となる。ブリュッヘン指揮による日本に於ける最終公演は、4月15日NJPとの公演となる。
ブリュッヘンは車椅子に乗せられて搭乗する。指揮は椅子に腰かけて行う。管弦楽は、左右対向配置であるのか?ヴァイオリンとヴィオラの区別がつきにくく判別できない。コントラバスは舞台下手側に位置する。
まずは「未完成」である。テンポは非常にゆっくりしている。第一楽章と第二楽章とのテンポの違いはあまりない。ブリュッヘンにとっては、Allegro moderatoとAndante con motoとの区別はどうでも良いもののようらしい。また、テンポ面でのメリハリはあまりつけていない。シューベルトの不器用な部分を裸にするような演奏でもある。
ヴィヴィッドさに欠けた演奏ではあるが、ゆっくりでなければ見えてこないものもあるとは思う。例えば、第一楽章主題展開部の終わりごろのティンパニの響きを挙げることができる。
あれだけ遅いテンポでタイミングを狂わさないで演奏する管楽セクションが凄いか。特に、第一楽章第一主題での、ホルンを異常に延ばした指揮者の意図を見事に表現していた。
休憩後の「スコットランド」は、玉石混淆の不思議な感じ。弦楽のメロディーの入りがモゾモゾして不明瞭な印象を受ける一方で、とてもニュアンスに満ちた演奏をする部分がある。断続的に表れる素晴らしい演奏をする所を評価する人たちには良いのかも知れないが、全体的な完成度と言う点では疑問点をつけざるを得ない演奏である。テンポの変化はあまりなく、要所でギアを入れ替えるような変化もない。
アンコールは、J.S.バッハのカンタータ第107番「汝何を悲しまんとするや」BWV107と、ヨーゼフ=シュトラウスのポルカ-マズルカ「とんぼ」op.204である。
この「とんぼ」だけは素晴らしく、ブリュッヘン指揮18世紀管弦楽団の日本に於ける最後の演奏にふさわしい演奏である。カルロス=クライバー指揮のような、キリッキリッと舞い上がる「とんぼ」では決してないけれど、優雅に舞う「とんぼ」で、現在のブリュッヘンにとっては、案外このようなヴィンナーワルツの方が向いているのではないかと思わせる意外な発見をもしてしまう。
3月30日、彩の国さいたま芸術劇場でのBCJ演奏会でもらったチラシをきっかけにして、引退間近のフランス=ブリュッヘンに対する好奇心、あるいは怖いもの見たさで行ってみたところであるが、総じて友人たちに勧められる演奏ではない。ゆっくりでなければ見えてこないものも確かにあるが、あまりに生気が感じられない。人間は変わっていくものだとは思うが、良く言えば「巨匠風」になってしまい、約20年前に購入したハイドン交響曲集のCDでは感じられる若々しさは、現在のブリュッヘンにはない。
ブリュッヘンに臨む観客は、百回に一回あるかないかのレベルで実に静かで、集中力のある聴き方をしていたが、終演後のスタンディング-オベーションには疑問を感じる。サイトウ-キネンで小澤信者が見せるのと同じような、実際の演奏の質とは関連性の薄い評価を観客の側が行うのは、望ましくない。いい所がある演奏ではあるが、優れた演奏と言えるかは疑問であり、ましてスタンディング-オベーションを行うほどの傑出した演奏であるとは決して言えない。それでも、あのような演奏が好みの人たちは確かにいて、熱心に聴いているのだから、私の度量が狭いだけなのかも知れないが・・・。
すみだトリフォニーホール (東京)
曲目:
フランツ=ペーター=シューベルト 交響曲第7(8)番「未完成」 D759
(休憩)
フェリックス=メンデルスゾーン-バルトルディ 交響曲第3番 「スコットランド」op.56 (現行版)
管弦楽:18世紀管弦楽団
指揮:フランス=ブリュッヘン
すみだトリフォニーホールでは、2013年4月4日から4月15日までにわたり、フランス=ブリュッヘンを指揮者に迎え、18世紀管弦楽団と三公演、新日本フィルハーモニー交響楽団(NJP)と一公演、演奏会を開催する。この評は、第三回目、4月6日に開催された公演に対してのものである。なお、この公演を持ってブリュッヘン指揮による18世紀管弦楽団の日本に於ける公演は最後となる。ブリュッヘン指揮による日本に於ける最終公演は、4月15日NJPとの公演となる。
ブリュッヘンは車椅子に乗せられて搭乗する。指揮は椅子に腰かけて行う。管弦楽は、左右対向配置であるのか?ヴァイオリンとヴィオラの区別がつきにくく判別できない。コントラバスは舞台下手側に位置する。
まずは「未完成」である。テンポは非常にゆっくりしている。第一楽章と第二楽章とのテンポの違いはあまりない。ブリュッヘンにとっては、Allegro moderatoとAndante con motoとの区別はどうでも良いもののようらしい。また、テンポ面でのメリハリはあまりつけていない。シューベルトの不器用な部分を裸にするような演奏でもある。
ヴィヴィッドさに欠けた演奏ではあるが、ゆっくりでなければ見えてこないものもあるとは思う。例えば、第一楽章主題展開部の終わりごろのティンパニの響きを挙げることができる。
あれだけ遅いテンポでタイミングを狂わさないで演奏する管楽セクションが凄いか。特に、第一楽章第一主題での、ホルンを異常に延ばした指揮者の意図を見事に表現していた。
休憩後の「スコットランド」は、玉石混淆の不思議な感じ。弦楽のメロディーの入りがモゾモゾして不明瞭な印象を受ける一方で、とてもニュアンスに満ちた演奏をする部分がある。断続的に表れる素晴らしい演奏をする所を評価する人たちには良いのかも知れないが、全体的な完成度と言う点では疑問点をつけざるを得ない演奏である。テンポの変化はあまりなく、要所でギアを入れ替えるような変化もない。
アンコールは、J.S.バッハのカンタータ第107番「汝何を悲しまんとするや」BWV107と、ヨーゼフ=シュトラウスのポルカ-マズルカ「とんぼ」op.204である。
この「とんぼ」だけは素晴らしく、ブリュッヘン指揮18世紀管弦楽団の日本に於ける最後の演奏にふさわしい演奏である。カルロス=クライバー指揮のような、キリッキリッと舞い上がる「とんぼ」では決してないけれど、優雅に舞う「とんぼ」で、現在のブリュッヘンにとっては、案外このようなヴィンナーワルツの方が向いているのではないかと思わせる意外な発見をもしてしまう。
3月30日、彩の国さいたま芸術劇場でのBCJ演奏会でもらったチラシをきっかけにして、引退間近のフランス=ブリュッヘンに対する好奇心、あるいは怖いもの見たさで行ってみたところであるが、総じて友人たちに勧められる演奏ではない。ゆっくりでなければ見えてこないものも確かにあるが、あまりに生気が感じられない。人間は変わっていくものだとは思うが、良く言えば「巨匠風」になってしまい、約20年前に購入したハイドン交響曲集のCDでは感じられる若々しさは、現在のブリュッヘンにはない。
ブリュッヘンに臨む観客は、百回に一回あるかないかのレベルで実に静かで、集中力のある聴き方をしていたが、終演後のスタンディング-オベーションには疑問を感じる。サイトウ-キネンで小澤信者が見せるのと同じような、実際の演奏の質とは関連性の薄い評価を観客の側が行うのは、望ましくない。いい所がある演奏ではあるが、優れた演奏と言えるかは疑問であり、ましてスタンディング-オベーションを行うほどの傑出した演奏であるとは決して言えない。それでも、あのような演奏が好みの人たちは確かにいて、熱心に聴いているのだから、私の度量が狭いだけなのかも知れないが・・・。
2013年3月30日土曜日
バッハ-コレギウム-ジャパン 「ヨハネ受難曲」演奏会評
2013年3月30日 土曜日
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
曲目:
ヨハン=セバスチャン=バッハ 「ヨハネ受難曲」 BMW245
ソプラノ:ジョアン=ラン
アルト(カウンターテノール):青木洋也
テノール(福音史家):ゲルト=テュルク
バス(イエズス):ドミニク=ヴェルナー
合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明
BCJは、3月29日・30日の二日に渡り、「ヨハネ受難曲」演奏会を開催した。3月29日は東京オペラシティ タケミツメモリアル、翌30日は彩の国さいたま芸術劇場を会場とした。BCJの特質からして、東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切と判断した。よってこの評は二日目の彩の国さいたま芸術劇場での公演に対するものである。
昨年11月にこの演奏会のチケットが発売され、発売開始日にすぐに入手していらい、ずっと「マタイ受難曲」をやるのだと勘違いしていた。ちらしを見てもチケットを見ても「ヨハネ受難曲」と書いてあるのに、私の頭の中で勝手に「マタイ」と変換されてしまっていた。3時間半もの公演に気合いが入っていた私に水を浴びせかけたかのようなツィッター投稿が入った。前日の東京オペラシティ公演に対する感想つぶやきの中に、「マタイでなくヨハネです」と言った訂正を説明するものがあったのだ。
これを見て、あわてて用意を開始した。いや、用意ったって、ヨハネによる福音書18・19章を読む事と、曲の構成を理解する程度だ。イエズス=キリストの受難についての曲であるので、何を題材としているのかは何となく分かる。歌詞をいちいち暗記するだなんて大真面目なことなど、この私にできるはずがない。
演奏会場に入ると、写真の通りの立派なプログラムが渡される。歌詞と対訳がつけられている丁寧な内容だ。しかし、演奏開始前には鞄の中に入れられる。真面目な人たちは、歌詞を追いながら聴いていくのだけれど、それには私は反対だ。イエズス=キリストの受難云々以前の問題として、私は音楽を聴きに来ている。誤解を恐れずに言えば、キリストの受難などどうでもよい。キリスト受難の宗教的意義を重視するのであれば、松本城そばのカトリック教会にでも行って、礼拝に参加し、司祭にいろいろ質問すれば良いだけのことである。受難云々からは一旦離れて、純音楽的な観点から聴いていきたい。受難曲を、ましてキリスト者の演奏者が多いBCJの演奏会でこのような態度で聴く事が正しいか否かは、私には分からない。しかし、歌詞に集中するあまり、音そのものへの意識がおろそかになり、歌い手の表情に注目しなくなるのは、これは音楽に臨む観客としての態度として本末転倒だと考える。
第一部緊張に満ちた表情で管弦楽、歌い手、指揮者が登場する。合唱はパワフルに始まる。初めから劇的な展開だ。これに対してソリストはちょっとついていけず、固さがあり、全体的には管弦楽優位の展開である。アルト-ソロのアリアは、完全に管弦楽に埋没している。ソプラノも不安定さがあるが、繰り返しの部分では調子を上げていく形だ。
バスのドミニク=ヴェルナーは、低音でありながらも声量は完璧で、しかも声に艶があって素晴らしい。
テノールも固さがあり、パワーは十分ではない。第一部ではニュアンスで攻めるアプローチだ。ペテロの否認の場面で、福音史家が見得を切る場面があるが、その場面での繊細な声量のコントロールは完璧に決まっている。ここが第一部の最大の見せ場であった。
休憩後の第二部、出だしから舞台の上にいる人たち全員のテンションが急に引き締まっている。レシタティーヴォ部での、ゲルト=テュルクのテノールとドミニク=ヴェルナーのバスともう一人のバス(これはBCJメンバー)、これらと通奏低音との掛け合いは絶妙だ。特にテュルクが第一部とは激変し、ギアを入れ替えたかのような秀逸な出来になるし、もう一人のBCJのバスがヴェルナーに負けないだけの迫力があり、もちろんヴェルナーは第一部での調子を維持し絶好調である。通奏低音の背景作りは目立たないながらも、力強く絶妙だ。
第19・20曲での、バスとテノールのアリアの取り扱いには、疑問を持つ。バス・テノールとも(歌えるだけの喉の調子に整っているのにも関わらず)管弦楽に埋没するようなソロだ。ラストにクライマックスを持っていくために、敢えて埋没させているのかもしれないが、やはりソリストが管弦楽に負けてはいけないだろう。
しかしながら、第30曲:アルトのアリアでは、青木洋也は本来の力を発揮する。第35曲:ソプラノのアリアでは、ジョアン=ランが情感に満ちたソロを歌っていく。ソプラノが線形的に声量をコントロールしていない部分もあり、管弦楽とのバランスの点で難を入れようと思えば入れられるが、大きな問題ではないだろう。
ラストに向けて、レシタティーヴォ形式から離れ、ソリスト・合唱・管弦楽三者による総力戦に移行していく。音のバランスは完璧に取れていると同時に、緊張感がみなぎり、パッションが込められていく完璧な展開である。一番最後で、最高音で頂点に達して曲が終わる。
曲が終わって、10秒ほどで拍手が起こるが、私にとってはすぐに拍手ができる心境ではない。30秒なり1分なり余韻を味わってからの拍手が最もふさわしい最後である。
ブラーヴォと叫ぶのとは対照的な、静かな情熱と達成感に支配されていたというか、名状しがたい独特なものだ。この受難曲を聴くのは初めてで、歌詞など見ていないため、純音楽的なアプローチで臨んだ。だから聖書の内容なんて全く聞いていないけど、それでも、主の栄光を讃え、最後の審判の日の救いを願う、祈りと音楽とが、ここで一致して最高音に達する。私たち弱き人間の静かな情熱が、純音楽的に頂点に向かっていく旅を体験出来た二時間であった。
彩の国さいたま芸術劇場 (埼玉県与野市)
曲目:
ヨハン=セバスチャン=バッハ 「ヨハネ受難曲」 BMW245
ソプラノ:ジョアン=ラン
アルト(カウンターテノール):青木洋也
テノール(福音史家):ゲルト=テュルク
バス(イエズス):ドミニク=ヴェルナー
合唱・管弦楽:バッハ-コレギウム-ジャパン(BCJ)
指揮:鈴木雅明
BCJは、3月29日・30日の二日に渡り、「ヨハネ受難曲」演奏会を開催した。3月29日は東京オペラシティ タケミツメモリアル、翌30日は彩の国さいたま芸術劇場を会場とした。BCJの特質からして、東京オペラシティのような巨大なホールよりは、600名強の規模のホールである彩の国さいたま芸術劇場での演奏が適切と判断した。よってこの評は二日目の彩の国さいたま芸術劇場での公演に対するものである。
昨年11月にこの演奏会のチケットが発売され、発売開始日にすぐに入手していらい、ずっと「マタイ受難曲」をやるのだと勘違いしていた。ちらしを見てもチケットを見ても「ヨハネ受難曲」と書いてあるのに、私の頭の中で勝手に「マタイ」と変換されてしまっていた。3時間半もの公演に気合いが入っていた私に水を浴びせかけたかのようなツィッター投稿が入った。前日の東京オペラシティ公演に対する感想つぶやきの中に、「マタイでなくヨハネです」と言った訂正を説明するものがあったのだ。
これを見て、あわてて用意を開始した。いや、用意ったって、ヨハネによる福音書18・19章を読む事と、曲の構成を理解する程度だ。イエズス=キリストの受難についての曲であるので、何を題材としているのかは何となく分かる。歌詞をいちいち暗記するだなんて大真面目なことなど、この私にできるはずがない。
演奏会場に入ると、写真の通りの立派なプログラムが渡される。歌詞と対訳がつけられている丁寧な内容だ。しかし、演奏開始前には鞄の中に入れられる。真面目な人たちは、歌詞を追いながら聴いていくのだけれど、それには私は反対だ。イエズス=キリストの受難云々以前の問題として、私は音楽を聴きに来ている。誤解を恐れずに言えば、キリストの受難などどうでもよい。キリスト受難の宗教的意義を重視するのであれば、松本城そばのカトリック教会にでも行って、礼拝に参加し、司祭にいろいろ質問すれば良いだけのことである。受難云々からは一旦離れて、純音楽的な観点から聴いていきたい。受難曲を、ましてキリスト者の演奏者が多いBCJの演奏会でこのような態度で聴く事が正しいか否かは、私には分からない。しかし、歌詞に集中するあまり、音そのものへの意識がおろそかになり、歌い手の表情に注目しなくなるのは、これは音楽に臨む観客としての態度として本末転倒だと考える。
第一部緊張に満ちた表情で管弦楽、歌い手、指揮者が登場する。合唱はパワフルに始まる。初めから劇的な展開だ。これに対してソリストはちょっとついていけず、固さがあり、全体的には管弦楽優位の展開である。アルト-ソロのアリアは、完全に管弦楽に埋没している。ソプラノも不安定さがあるが、繰り返しの部分では調子を上げていく形だ。
バスのドミニク=ヴェルナーは、低音でありながらも声量は完璧で、しかも声に艶があって素晴らしい。
テノールも固さがあり、パワーは十分ではない。第一部ではニュアンスで攻めるアプローチだ。ペテロの否認の場面で、福音史家が見得を切る場面があるが、その場面での繊細な声量のコントロールは完璧に決まっている。ここが第一部の最大の見せ場であった。
休憩後の第二部、出だしから舞台の上にいる人たち全員のテンションが急に引き締まっている。レシタティーヴォ部での、ゲルト=テュルクのテノールとドミニク=ヴェルナーのバスともう一人のバス(これはBCJメンバー)、これらと通奏低音との掛け合いは絶妙だ。特にテュルクが第一部とは激変し、ギアを入れ替えたかのような秀逸な出来になるし、もう一人のBCJのバスがヴェルナーに負けないだけの迫力があり、もちろんヴェルナーは第一部での調子を維持し絶好調である。通奏低音の背景作りは目立たないながらも、力強く絶妙だ。
第19・20曲での、バスとテノールのアリアの取り扱いには、疑問を持つ。バス・テノールとも(歌えるだけの喉の調子に整っているのにも関わらず)管弦楽に埋没するようなソロだ。ラストにクライマックスを持っていくために、敢えて埋没させているのかもしれないが、やはりソリストが管弦楽に負けてはいけないだろう。
しかしながら、第30曲:アルトのアリアでは、青木洋也は本来の力を発揮する。第35曲:ソプラノのアリアでは、ジョアン=ランが情感に満ちたソロを歌っていく。ソプラノが線形的に声量をコントロールしていない部分もあり、管弦楽とのバランスの点で難を入れようと思えば入れられるが、大きな問題ではないだろう。
ラストに向けて、レシタティーヴォ形式から離れ、ソリスト・合唱・管弦楽三者による総力戦に移行していく。音のバランスは完璧に取れていると同時に、緊張感がみなぎり、パッションが込められていく完璧な展開である。一番最後で、最高音で頂点に達して曲が終わる。
曲が終わって、10秒ほどで拍手が起こるが、私にとってはすぐに拍手ができる心境ではない。30秒なり1分なり余韻を味わってからの拍手が最もふさわしい最後である。
ブラーヴォと叫ぶのとは対照的な、静かな情熱と達成感に支配されていたというか、名状しがたい独特なものだ。この受難曲を聴くのは初めてで、歌詞など見ていないため、純音楽的なアプローチで臨んだ。だから聖書の内容なんて全く聞いていないけど、それでも、主の栄光を讃え、最後の審判の日の救いを願う、祈りと音楽とが、ここで一致して最高音に達する。私たち弱き人間の静かな情熱が、純音楽的に頂点に向かっていく旅を体験出来た二時間であった。
2013年3月24日日曜日
松本市音楽文化ホール 復活記念演奏会評
2013年3月24日 日曜日
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
曲目:
ヨハン=セバスチャン=バッハ プレリュードとフーガ BWV552
アレクサンドル=アルチュニアン トランペット協奏曲(α)
アウグスティン=ララ 「グラナダ」(β)
黒人霊歌 深い河(β)
横山菁児 マリンバとピアノのためのカプリース(竹田の子守唄による)(β)
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」より アレルヤ(γ)
ガブリエル=ウルバン=フォーレ 「レクイエム」より「ピエ-イエズス」(γ)
作詞:鈴木敏文 作曲:寺嶋陸也 花火-夜ふけに鳴いたせみ-月と子ども(γ)
ジャン=ドンジョン オフェルトワール(δ)
フランツ=ラヒナー エレジー(δ)
ジョアン=アラン 三つの楽章(δ)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 教会ソナタ第10番 K.244(ε)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 教会ソナタ第17番 K.336(ε)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 教会ソナタ第15番 K.329(ε)
オルガン:保田紀子(全て)
トランペット:宮下佳奈(α)
マリンバ:山本令子(β)
ソプラノ:幅谷恵理(γ)
フルート:神田勇哉(δ)
管弦楽:松本交響楽団(ε)
指揮:丸山嘉夫(ε)
私の席:ほぼ真ん中。
2011年6月30日、松本市南部を震源とする最大震度5の地震は、松本市音楽文化ホールのみに甚大な被害を与えた。天井の構造が破壊され、修復のための閉鎖を余儀なくされた。地震から二年近く経過し、修復工事が終了した。修復と同時に座席の交換が行われたが、これまでの横12列の座席は横11列となり、これまでの756名の定員から693名の定員に減少した。
工事終了に際し、復活記念演奏会が3月24日に催される。往復はがきで申し込み、おそらく全員当選となったかと思われる。
演奏会は、全ての曲目に保田紀子のオルガンが演奏され、オルガン-ソロの他、伴奏、管弦楽の役割まで果たす。二曲目以降は、トランペット・マリンバ・ソプラノ・フルートのソリストいずれか一名とオルガンとで演奏され、最後の三曲のみ管弦楽とオルガンとの構成である。
保田紀子は、松本市音楽文化ホールの専属オルガニストであり、ベッケラート社製の、芯がありながらも柔らかい音色を適切に駆使した演奏で、この演奏会を盛り上げた。松本市音楽文化ホールは、実にオルガンが居心地良く響く。
ソリストたちのレベルは様々であったが、フルートの神田勇哉が抜群の完成度である。音がはっきり明瞭に出ており、技術的な成熟度が圧倒的である。管弦楽団の首席奏者は務められるだろう、どこの化け物だと思って経歴を見たら、東京シティフィルハーモニー管弦楽団の首席奏者であった。
管弦楽の松本交響楽団はアマチュアである。教会ソナタ10番は安全運転であったが、最後の15番ではパッションを込めた演奏を実現していた。
最も気になる改修後の、松本市音楽文化ホールの音響であるが、完璧に修復されたと断言する。オルガン、オルガン奏者席からのソリストの音、舞台上の管弦楽の音、その残響は地震前と同様に響いている。松本市音楽文化ホールは、完全復活を遂げたと宣言する。
松本市音楽文化ホール (長野県松本市)
曲目:
ヨハン=セバスチャン=バッハ プレリュードとフーガ BWV552
アレクサンドル=アルチュニアン トランペット協奏曲(α)
アウグスティン=ララ 「グラナダ」(β)
黒人霊歌 深い河(β)
横山菁児 マリンバとピアノのためのカプリース(竹田の子守唄による)(β)
(休憩)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 「踊れ、喜べ、幸いな魂よ」より アレルヤ(γ)
ガブリエル=ウルバン=フォーレ 「レクイエム」より「ピエ-イエズス」(γ)
作詞:鈴木敏文 作曲:寺嶋陸也 花火-夜ふけに鳴いたせみ-月と子ども(γ)
ジャン=ドンジョン オフェルトワール(δ)
フランツ=ラヒナー エレジー(δ)
ジョアン=アラン 三つの楽章(δ)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 教会ソナタ第10番 K.244(ε)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 教会ソナタ第17番 K.336(ε)
ヴォルフガング=アマデウス=モーツァルト 教会ソナタ第15番 K.329(ε)
オルガン:保田紀子(全て)
トランペット:宮下佳奈(α)
マリンバ:山本令子(β)
ソプラノ:幅谷恵理(γ)
フルート:神田勇哉(δ)
管弦楽:松本交響楽団(ε)
指揮:丸山嘉夫(ε)
私の席:ほぼ真ん中。
2011年6月30日、松本市南部を震源とする最大震度5の地震は、松本市音楽文化ホールのみに甚大な被害を与えた。天井の構造が破壊され、修復のための閉鎖を余儀なくされた。地震から二年近く経過し、修復工事が終了した。修復と同時に座席の交換が行われたが、これまでの横12列の座席は横11列となり、これまでの756名の定員から693名の定員に減少した。
工事終了に際し、復活記念演奏会が3月24日に催される。往復はがきで申し込み、おそらく全員当選となったかと思われる。
演奏会は、全ての曲目に保田紀子のオルガンが演奏され、オルガン-ソロの他、伴奏、管弦楽の役割まで果たす。二曲目以降は、トランペット・マリンバ・ソプラノ・フルートのソリストいずれか一名とオルガンとで演奏され、最後の三曲のみ管弦楽とオルガンとの構成である。
保田紀子は、松本市音楽文化ホールの専属オルガニストであり、ベッケラート社製の、芯がありながらも柔らかい音色を適切に駆使した演奏で、この演奏会を盛り上げた。松本市音楽文化ホールは、実にオルガンが居心地良く響く。
ソリストたちのレベルは様々であったが、フルートの神田勇哉が抜群の完成度である。音がはっきり明瞭に出ており、技術的な成熟度が圧倒的である。管弦楽団の首席奏者は務められるだろう、どこの化け物だと思って経歴を見たら、東京シティフィルハーモニー管弦楽団の首席奏者であった。
管弦楽の松本交響楽団はアマチュアである。教会ソナタ10番は安全運転であったが、最後の15番ではパッションを込めた演奏を実現していた。
最も気になる改修後の、松本市音楽文化ホールの音響であるが、完璧に修復されたと断言する。オルガン、オルガン奏者席からのソリストの音、舞台上の管弦楽の音、その残響は地震前と同様に響いている。松本市音楽文化ホールは、完全復活を遂げたと宣言する。
2013年3月9日土曜日
NHK交響楽団 宮崎公演 評
2013年3月9日 土曜日
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
コダーイ=ゾルターン ガランタ舞曲
セルゲイ=プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.63
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:ギル=シャハム
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ディエゴ=マルテス
NHK交響楽団は、2013年3月7日から3月11日までにわたり、ディエゴ=マテウスを指揮者に迎え、東京で一公演、九州の三都市(宮崎・大分・福岡)で各一公演、同じ曲目にて演奏会を開催する。NHK交響楽団の定期演奏会としては位置付けられていない。この評は、第二回目、3月9日に開催された宮崎公演に対してのものである。
約二カ月前にチケットを入手したが、娯楽の少ない宮崎であるせいか人気が凄く、少ない選択肢の中から3階バルコニー上手側後方の席とした。響きは申し分ない。宮崎県立芸術劇場は、豊潤な響きと言うよりはややすっきりした印象の響きである。日本の僻地宮崎にこのような良いホールであることは、奇跡としかいいようがない。
ディエゴ=マテウスの演奏を聴いたのは、2012年1月1日、ヴェネツィア-フェニーチェ大劇場での新年演奏会以来二度目である。縦の線をビシっと揃えたチャイコフスキー第5交響曲の印象があり、ANAのマイレージ特典を使用し、宮崎に乗り込んだ。フェニーチェ大劇場での演奏については、2012年1月のタイムラインで投稿済みである。
ガランタ舞曲は普通の出来。
二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲である。ギム=シャハムのヴァイオリンは弱めであるが、管弦楽と溶け込むように調和しているようで、さりげなく自己主張している。諏訪内晶子のような強く豊潤な響きではなく、パワーがある訳では決してないが、それでも何故かよく聴こえる不思議なソロだ。シャハムはチェロセクションの前に出たり、ヴァイオリン奏者の前に行ったりし、まるで弦楽四重奏でも演奏しているかのように間近で聴きあいながら弾いている。指揮者の立場は??まあ、あまり深く考えなくても良いかと♪管弦楽との調和は完璧で、マテウスの力量が伺える。管弦楽は弱奏がとてもきれいで明瞭な響きだ。ティンパニの弱奏が良いアクセントを与えている。
ソリスト-アンコールは、J.S.バッハの無伴奏パルティータから第3番ガヴォットで、とても完成度の高い素晴らしい演奏だ。ギム=シャハムは、どちらかと言うと700席規模の中規模ホールでリサイタルを行うと、一番の響きで聴ける奏者のような気がする。その点はヒラリー=ハーンと似ている。
休憩後のチャイコフスキー第4交響曲は、作為を入れない、曲を率直に解釈した演奏である。やはり響きがとても明晰できれいに響く演奏である。ミスがないと言えば嘘になるが、縦の線をビシッと合わせるマテウスの意図は強く感じる。気がついて見ると、感情が高ぶる部分でさえも、音の雑さがない。
フェニーチェ大劇場管弦楽団との第5交響曲では、ヴァイオリンと言った高弦が強かったが、今回のN響では低弦が強いのが面白い。チャイコフスキーの演奏ではよくありがちなエモーショナルな展開ではなく、あくまで古典的な様式美を追求するような演奏である。
アンコールは、ブラームスによるハンガリー舞曲第5番であった。
宮崎県立芸術劇場 (宮崎県宮崎市)
曲目:
コダーイ=ゾルターン ガランタ舞曲
セルゲイ=プロコフィエフ ヴァイオリン協奏曲第2番 op.63
(休憩)
ピョートル=イリイッチ=チャイコフスキー 交響曲第4番 op.36
ヴァイオリン:ギル=シャハム
管弦楽:NHK交響楽団
指揮:ディエゴ=マルテス
NHK交響楽団は、2013年3月7日から3月11日までにわたり、ディエゴ=マテウスを指揮者に迎え、東京で一公演、九州の三都市(宮崎・大分・福岡)で各一公演、同じ曲目にて演奏会を開催する。NHK交響楽団の定期演奏会としては位置付けられていない。この評は、第二回目、3月9日に開催された宮崎公演に対してのものである。
約二カ月前にチケットを入手したが、娯楽の少ない宮崎であるせいか人気が凄く、少ない選択肢の中から3階バルコニー上手側後方の席とした。響きは申し分ない。宮崎県立芸術劇場は、豊潤な響きと言うよりはややすっきりした印象の響きである。日本の僻地宮崎にこのような良いホールであることは、奇跡としかいいようがない。
ディエゴ=マテウスの演奏を聴いたのは、2012年1月1日、ヴェネツィア-フェニーチェ大劇場での新年演奏会以来二度目である。縦の線をビシっと揃えたチャイコフスキー第5交響曲の印象があり、ANAのマイレージ特典を使用し、宮崎に乗り込んだ。フェニーチェ大劇場での演奏については、2012年1月のタイムラインで投稿済みである。
ガランタ舞曲は普通の出来。
二曲目のプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲である。ギム=シャハムのヴァイオリンは弱めであるが、管弦楽と溶け込むように調和しているようで、さりげなく自己主張している。諏訪内晶子のような強く豊潤な響きではなく、パワーがある訳では決してないが、それでも何故かよく聴こえる不思議なソロだ。シャハムはチェロセクションの前に出たり、ヴァイオリン奏者の前に行ったりし、まるで弦楽四重奏でも演奏しているかのように間近で聴きあいながら弾いている。指揮者の立場は??まあ、あまり深く考えなくても良いかと♪管弦楽との調和は完璧で、マテウスの力量が伺える。管弦楽は弱奏がとてもきれいで明瞭な響きだ。ティンパニの弱奏が良いアクセントを与えている。
ソリスト-アンコールは、J.S.バッハの無伴奏パルティータから第3番ガヴォットで、とても完成度の高い素晴らしい演奏だ。ギム=シャハムは、どちらかと言うと700席規模の中規模ホールでリサイタルを行うと、一番の響きで聴ける奏者のような気がする。その点はヒラリー=ハーンと似ている。
休憩後のチャイコフスキー第4交響曲は、作為を入れない、曲を率直に解釈した演奏である。やはり響きがとても明晰できれいに響く演奏である。ミスがないと言えば嘘になるが、縦の線をビシッと合わせるマテウスの意図は強く感じる。気がついて見ると、感情が高ぶる部分でさえも、音の雑さがない。
フェニーチェ大劇場管弦楽団との第5交響曲では、ヴァイオリンと言った高弦が強かったが、今回のN響では低弦が強いのが面白い。チャイコフスキーの演奏ではよくありがちなエモーショナルな展開ではなく、あくまで古典的な様式美を追求するような演奏である。
アンコールは、ブラームスによるハンガリー舞曲第5番であった。
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